制度疲労という難問への挑戦 その1

今、学校が抱えているさまざまな問題は学校というシステムが制度疲労を起こしているところから生じていると思います。中でも公立学校における学級制度は明らかです。学校の基本単位として「あって当たり前」のものとして学校の中核に位置する学級ですが、多くの矛盾を抱え、深刻な問題を発生させているのに改革の手が入らず、そのことにとってさらに矛盾が大きくなっています。こうした学級はその存在を疑われることもなく、自明のものとされ、すべての公立学校で学級を編成することを前提とした教育活動が展開されています。

学級の法的根拠は実に曖昧です。学級とは何かという規定や定義はいったいどこに示されているのでしょうか。例えば、学級の編成等について定めた「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」(いわゆる「標準法」)の第三条(学級編制の標準)では「公立の義務教育諸学校の学級は、同学年の児童又は生徒で編制するものとする」とされていますが、ここに示されているのは学級の構成員に関する規定であり、学級そのものの規定でもなければ定義でもありません。「学校には学級を設置すること」といった文言はありません。また、学校を新たに作るときの基準となる「学校設置基準」にも同様の文言が書かれているだけです。新たに学校を設置する場合の基準(当然現存の学校が学校足りえる基準でもありますが)に、学級編成を義務づける文言がないのですから、素直(?)に読めば、学級編成を行わず単位制にすることも可能であることになります。当然、児童生徒の学習内容を規定する学習指導要領にも明記されてはいません。私の知る限りでは、現在の形の学級を法的に規定するものは、明治24年(1891年)に出された「学級編制等ニ関スル規則」しかありません。以下、その内容です。

(学級とは)「一人ノ本科正教員ノ一教室ニ於イテ同時ニ教授スヘキ一団の児童ヲ指シタルモノニシテ従前ノ一年級二年級等ノ如キ等級ヲ云フにアラス」

この「規則」が今も効力を持っているのかどうか判然としないのですが、今から約130年前の規則が今も生きているとしたら制度疲労を起こして当然です。

このように、法的な根拠が曖昧であるにも関わらず学級の構成員である児童生徒は、同年齢であるというだけで同じ学年とされ、自らの意志とは関係なく強制的に学級に振り分けられます。その上、よほどのことがない限り年度途中での学級変更も現実的には認められません。ここまで閉鎖的な空間というのは、現代の日本社会において他に類を見ないでしょう。個人の自由や選択の自由がこれほど保障されている日本の社会の中で、強制的に所属する集団を決めるのであれば、それ相応の理由や効果が法的レベルで示されないといけないはずです。しかし、学級の教育的効果については文科省の通知レベルでしか示されていません。にもかかわらず、学校に作成が義務づけられている指導要録には各学年における学級担任を記載する欄が設けてあり、学習指導要領や生徒指導提要も、学級編成を自明の前提としてその経営をどのようにすることが望ましいかが示されています。

私が、学級の法的根拠にこだわるのは。学級の閉鎖性によってじつにさまざまな問題が発生している現状があり、それらの問題が年々深刻なものとなっていると感じるからです。こうした指摘は私だけでなく、長年にわたって多くの専門家によって指摘されてきました。

超がつくほどの閉鎖空間では、いじめが発生しやすいこと、一旦発生したいじめが長期化しやすいこと、閉鎖空間に対する拒否反応によって登校できなった子どもたちが増えていること、あるいは学級担任による強引な学級経営によって(いわゆる学級王国)自主性が著しく阻害される危険性があること、自分で考えようとしない子どもが増えていることなどあげればきりがありません。それでも、学級は形を変えることなく100年以上も続いてきたのです。

ここ何年かで、公立中学校の大幅な改革を行ったいわゆるカリスマ校長の話がいくつか話題となりました。定期考査を廃止したり、校則を完全に撤廃したり、教員が一切叱らない方針を打ち出した校長もいます。また、最近では個々の生徒が自ら学習のめあてを考え自ら振り返りを行う「自由進度学習」(蓑手章吾『自由進度学習のはじめかた』学陽書房、2022年、初版は2021年)という実践(小学校)も報告されています。これなどは、かなり学級を柔軟に考えた素晴らしい実践だと思います。これまでの学級は、学級を単位とした一斉授業にこだわったがために、膨大な数の「落ちこぼれ」(落ちこぼし?)を生み出してしまいました。それに比べて「自由進度学習」は、個別に目標が違うわけですから他の子と比べられることはありません。また、めあては自分がぎりぎり超えることのできないレベルに設定するよう助言しているため、6年生でも2年生の算数に取り組む児童もいるそうです。このシステムは「きのうの自分を越える」ことを意識させることになり、子どもたちは成長する実感が持ちやすくなります。

これらの実践は、積極的に「今できる範囲で最大限のことをしよう」としたものであり、学級の閉鎖性を緩和する意味でも大きな前進であると思います。けれども、そうした優れた実践においてさえ、学級という枠組みは残されています。学級そのものを根本的に見直したわけではありません。

そもそも、明治24年に修得制の「等級制」を履修制の「学級制」に変更したのは、上級クラスに進級できない子どもの多くが退学してしまうという事態が生じたからだといわれています。また、「教育目標の変化、すなわち個々人の知育を中心に教育を行うことから、訓育、とりわけ日本国民としての一体性を涵養するための道徳教育を中心とするようになったことが、大きな理由とされている」(濱名陽子1983「わが国における『学級制』の成立と学級の変化に関する研究」、柳治男(2005)『<学級>の歴史学』講談社選書メチエ、p143より重引)という指摘の通り、国の方向転換という意味もあったようです。ただ、いずれにしても学制発布から20年弱で最初の制度疲労が起こったわけです。制度疲労を「制度や法律が運用されているうちに社会状況が変わり、実情とかみ合わずにうまく機能しなくなること」(コトバンク)とするならば、国が求めていた姿(近代化の推進)からの乖離が激しくなり、制度そのものの維持が困難になったために、思い切った制度改革をしたということです。時代背景は今と全く違いますが、「だめだ」と思ったときに素早く対応したという点においては評価できると思います。逆に言えば、ここまで社会とのずれが大きくなった現代の学校のシステムを放置していることは、国の怠慢であると言っても過言ではないと思います。

何が深刻な問題なのか、それは不登校という現象一つとっても明らかです。不登校の児童生徒は年々増え続けています。それを、個人の資質の問題であると片づけることはできません。数十年前なら、アメリカの「学校恐怖症」の流れで心理的な問題として見ることもできたかもしれませんが、今や不登校が「心の病」が原因の大半を占めていると信じている人はほとんどいないでしょう。不登校は明らかに社会的な現象であり、その現象は社会全体に広がった私事化による学校の相対化が根本的な原因であると私は思っています。確かに今でも神経症的な症状によって学校に登校できない子どもはいるでしょうが、それが生まれ持った特性が原因であるという例は相対的に少なくなっていると思います。

先述したように明治期に学級制に切り替えたときも、生徒の学校離れが引き金になっていました。それは相対化とは言えないでしょうが、生徒が学校から離れていくという意味では同じ現象です。「令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(令和3年10月13日(水)文部科学省初等中等教育局児童生徒課)によれば、中学校の不登校生徒は166,241人(平成28年度108,999人)に達し、中学生全体の5.6%(平成28年度3.25%)に及んでいます。平成28年度の同調査結果と比較すれば、その増加が著しいことは一目瞭然です。子どもの数が減っている中で不登校の数がこれだけ増えているのは、まさに緊急事態であると言わざるを得ません。この事態を生徒個人の資質に求めたり、教員の対応にのみ求めたりしても決して解決しないでしょう。明治期と同様、生徒が学校から離れていく今の事態を根本的に解決するには、学級という組織を自明のものと考えない改革が必要です。

私は今すぐに学級を解体することを主張したいのではありません。あまりに急速な改革を進めれば、学校現場に無駄な混乱を引き起こすにちがいありません。けれども、多くの苦しんでいる子どもたちを救うには、少しずつ学級の閉鎖性を緩やかに変えていく努力を国が先導して行うべきだと思うのです。

(作品No.174RB)

読書の種類

 教諭時代(中学校)、よくこんな会話をしました。私の専門教科は国語です。

保護者「先生、どうやったら子どもが読書好きになれるのでしょうか?」

私「どうしてお子さんを読書好きにしたいのですか?」

保護者「うちの子は国語が苦手なので、本を読むようになれば少しは成績が上がるんじゃないかと思うんです」

そこで私は若干残酷な言い方ではありますが、次のように答えます。

「残念なことですが、本を読むことが嫌い(苦手)な子が、中学生になってから受験のために本を読んでもほとんど効果はありません。本来読書は自分が楽しむためにするものです。受験のためとなるともうそこには「楽しみ」はありません。楽しいと思えないことはきっと続かないでしょう。私は、「本は読むべきだ」と思って行う読書はあまり意味がないと思っています。むしろ、そんなことを強制したらいまよりもっと本が嫌いになるでしょう。」

 でも、保護者の方をあまり失望させることも失礼ですので次のような助言はしました。

「目的が国語の点数を上げるためであるなら、読書よりも効果的な方法があります。そういう子が最も苦手とするのは長文問題です。だから、点数のことだけを考えるなら読書なんて無駄なことをせずに、長文読解の問題集を買ってきて(解答の解説が詳しいものが望ましい)一日15分~30分だけでいいからその問題に取り組ませてください。試験用の文章に慣れることに徹するのです。15分~30分としたのは、それ以上になればおそらく嫌になって続かないと思うからです。そして、自分で15分と決めたら15分経った時点で潔く諦めて解答と解説を見ればいいのです。それでも最初は「どうしてこれが正解なのかわからない」ということもあるでしょうが、続けているうちに問題のパターンと答え方のパターンが見えてきます。「また、同じ聞き方をしている」ということに気づくようになります。そうなればしめたものです。国語の問題に対する抵抗感が減っていき、継続する意欲につながります。それでも、結果が出るまでには半年くらいかかるかもしれませんが。」

 そして、最後にこう付け加えます。

「あくまでもこれは点数を少しでも上げるためのノウハウであって、読書好きになれる方法ではありませんよ」

生徒個々の「読書の経験」の時間格差は十数年生きている間にあまりに大きくなっています。もはや、追いつくことは不可能でしょう。

 当然授業でも受験対策はしていました。問題を解くコツみたいなものや過去問の傾向などを自分なりにまとめて生徒に伝授したこともあります。

ただ、国語が得意な者にとっては、漢字や諺など暗記する内容以外はほとんど受験勉強などしなくても一定の点数が取れてしまいます。文法問題も中学生レベルなら文法の勉強をまったくしていなくてもおおよその見当はついてしまいます。この差は大きい。

それに比べて苦手な子は、頑張りようがない部分もあるわけです。私の同級生が高校時代よく言っていました。彼は理数系のテストはうらやましいくらい点がとれるのですが、国語だけは偏差値が30点台でした。「国語の得意な奴はうらやましい。俺なんか何をしても点が取れない。」と嘆くのです。

生まれてからずっと私たちは日本語の社会で生きてきたのですから、その経験差はおそらくどの教科よりも大きいでしょう。家庭の読書環境によっても大きく左右されます。小さなころから親が図書館によく連れて行ったとか、読み聞かせをしたとか、そういうことも関係してくるでしょう。それを中学生になって受験があるからといって読書を始めても間に合わないのは目に見えています。先にも書いたように、そもそも読書は強制されればされるほど嫌いになります。だから、毎年「課題図書」が決められて読書感想文を書かせるなんて本当はナンセンスです。それは結局間接的に読書を強制しているわけです。

生徒には、読書について年度初めにいつもこんな話をしていました。

「読書の仕方には三種類あります。一つは精読、これは細かく丁寧に読むこと。同じ作者の本を続けて読むとか、同じテーマで違う作者のものを読むとかという読み方です。次に、濫読。手当たり次第に読む。そして、最後の一つが「積読」(つんどく)。タイトルを見て興味ある本を買ってそのまま「つんどく」。(間)つまり、積んでおく。積み上げて放置するということです。いつか読む気になったら読もうとキープしておくことです。」

 生徒たちは、「積読」と聞いて「そんなもの、読書って言えるの?」と聞いてきますが、タイトルが気になるということは何か自分の中で(無意識であっても)必要としている可能性があります。いつでも読めるように身近に置いておくのは意味あることです。

 もう一つ、生徒には「完読できなかったからと言って、それを悔やまないことです」とも言ってきました。読書が嫌いになる一つの理由に「最後まで読めなかった」という嫌な体験があると思うのです。そういう自分が嫌になるから、最初から読まなくなる。でも、100頁ある本のたった1頁しか読まなくても、そこで心に残るたった一つの言葉に出会えたら、それで本を手に取った価値はあると思います。そういう話を生徒にすると結構真剣に聞いてくれました。

 近年は、英語を小学校から授業に取り入れるようになりました。せっかくそれまでの英語活動で英語を楽しんできたのに、教科となればアルファベットがけけるように指導され、一定数の単語を覚えなければならなくなったのです。文科省は英語力の向上のためには早期からやらせるのが効果的だと考えているのかもしれませんが、現実的には、早期から英語嫌いを増やしています。その結果、国語ほど極端ではないにしても、中学校入学時にはすでに英語力に大きな差が出てしまっているのです。早くから始めれば始めるほど差は大きくなるのは当然です。どうも文科省の考えることは、一部のよくできる子を中心に据えているように思えて仕方がありません。私は逆に中学校でも英語活動的な内容に転換するほうがよほど英語嫌いをなくし、最終的にはコミュニケーション能力を向上させると思っていたのですが、非常に残念です。

ちなみに、子どもが読書好きになれる最も効果的な方法は?と聞かれたら、私は迷わずこう答えます。

「親が読んでいる姿を見せることです。」

読書好きな親のもとにいれば自然と子どもは本を手にするようになります。自分は読まないのに、子どもにだけ「読め」と言っても説得力はありません。

(作品No.173RB)

子どもと創るルール

現在、全国各地で校則の見直しが進められています。特に制服については、SDGsの5番目の目標に「ジェンダー平等を実現しよう」(GENDER EQUALITY)と掲げられているように、もはや、学校の規則の改革というレベルではなくなっています。そして、県内でも(あるいは市内でも)多くの学校が生徒や保護者の希望を取り入れて変革を進めています。こうした動きはこれからの学校のあり方を考える上で非常に重要です。

現代社会は多様化の時代だといわれます。それは、多くの価値観や個性があることを認めようとする社会全体の雰囲気のようなものによって支えられています。以前、このコラムでも書きましたが、世の中に唯一絶対の真理があるとはかぎりません。国や地域によって大切にする価値は異なりますし、同じ国にあっても一人ひとりの考え方はそれぞれに違います。社会の多くの人が同じ価値観を持ちやすかった時代は、それに従っていれば何とかなるという安心感を得ることもできました。そういう意味では人々の迷いは少なかっただろうと思います。その反面、マイノリティ(少数派)の価値は常に軽視されやすく、そこから生じる偏見や人権無視の言動によって苦しめられる人も少なくなかったでしょう。多様化はそういう人々の苦しみを救うという意味でも社会に大きな貢献をしていると言えます。

ただ、学校が多様化する価値すべてを受け入れることはかなり難しいでしょう。真っ向から対立する価値が同時に求められることもあります。だから、学校が何か一つの選択をしようとするとき、必ずそれに同意しない人は存在します。それでも、学校は何らかの判断をしなければなりません。ここが辛いところです。そこで学校はあらかじめ一定のルールを設ける必要があります。それがなければ、学校は混乱するだけです。しかし、そのルールそのものが一つの選択(価値)である限り、すべての人を納得させることはできません。

じゃあどうすればいいのか。

結局のところ、ルールを生徒と共に創り出すしかないと思います。これからは、学校が一方的に決めたルールを生徒に守らせるという図式は崩れていくと思います。冒頭に挙げた制服や校則の見直しも、これからは生徒の意見を取り入れることが必須になっていくでしょう。以前、スクールロイヤーの人(弁護士)に聞いた話ですが、校則は学校長の裁量権の中にあるけれども、そのルールの妥当性や決め方に不当な部分があれば、法的に問題が生じる場合があるそうです。

そもそも法的に問題でなくても、この多様化の時代に一方的に学校がルールを押しつけることはそう長くは続かないでしょう。

ちなみに、私が通っていた中学校では生徒会がかなりの力を持っていました。例えば、各部活動の予算は、総額こそ学校が決めていましたが、それをどう配分するかは生徒会の予算委員会で決めていました。運動部、文化部の代表者を集めて、生徒会執行部の出した原案に対して協議する場があったのです。今では考えられないようなことですが、決められた枠内で各部が予算争奪戦をやっていたのです。まさに喧々諤々1)たる会議となりました。例えば、野球部の主将が茶道部に対して「茶道って礼儀作法を学ぶためにやっているんだろ。だったら、本物のお茶なんか使わなくてもいいじゃないか(その分の予算を回せ)」という、それこそ「無茶」な意見が出ます。それに対して、茶道部も「お茶を使わない茶道はボールを使わない野球と同じですよ」などと反論していました。一応昨年度の予算との変動率の限界値は決めていたと思いますが、部員が大幅に減った部などは結構削られたりもしました。そこで決められた予算が実際に執行されていたのです。意外と遺恨を残すことはなかったと思います。中学生でも任せればそこそこやれるものです。

また、かつては子どもの世界には子どもたちがつくるルールが存在していました。そこは大人が介在しない世界でした。例えば、放課後高学年だけで野球をしていることころに低学年の子が来て、入れてほしそうにしていたとします。その子をどちらのチームに入れるかでもめます。自分のチームに入れたら不利になるのは明らかです。そこで、ハンデを考えます。その低学年の子が打席に立つときは投手がゆるい球(下手からふわっと投げる)を投げることにしたり、守備ではその子がゴロを取りさえすれば(一塁に投げなくても)アウトとするなど、その子を生かすために特別ルールを即興でつくります。そうすることでその子を遊びの中に入れてやることができます。このように子どもの世界ではルールは固定されたものではなく、そのときの状況によって絶えず変化するものでした。

これからの学校は、生徒に関わるルールは生徒が考えるようにする必要があるでしょう。その可能性を持たせることで、学校を自分たちの力で変えることができるという自覚が生まれます。そもそも服装や髪型などは教育にとって必須のものではありません。服装や髪型を自由にすれば学校が荒れるという人もいますが、それは幻想だと思います。かつての校内暴力が激しかったときのイメージで語っているだけでしょう。そもそも教員は普段から「見かけよりも中身で勝負せよ」と子どもたちに教えているわけですから、目に見える服装や髪型が変わってもやるべきことをしっかりやっていればそれでいいわけです。

自分たちでルールを決める過程で子どもたちはいろんなことを学びます。それこそ「学校が荒れる」と心配している先生をどう説得するかも考えさせればいいと思います。また、保護者が反対した場合はどう説明するか、生徒の意見をどういう手順でまとめるか、改正したルールを再度見直すシステムをどうやってつくるかなど考えなければいけないことは山ほどあります。その一つ一つが生徒にとって貴重な学習の場になるはずです。そして、自分たちが決めたルールだからこそ守ろうという意識も高まります。

最近の若者に政治離れが進んでいると批判的に言う人がいますが、それは小中高の12年間という長い時間を、変えられないルールの中で過ごしてきたがために「自分たちで変えよう」という意識が育っていないからです。若者を責めるのはお門違いだと思います。

(作品No.172RB)

1)喧々諤々:もともとは「「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」という別々の言葉が混ざった誤った表現」(辞典・百科事典の検索サービス – Weblio辞書 国語辞典)ですが、近年では十分に定着していると判断し使用しました。

―教員の不祥事について考える その2ー

前回、体罰やセクハラについて書きました。基本的に私はこういうことは厳しく「処理」すべきだと書きました。「処置」や「処罰」ではなく「処理」と書いたのは、できるだけ早くこういう教員を学校から切り離すよう粛々と事を進めるべきだと思うからです。

 ただ一つ気になることがあります。

 それは、最近、小学校の「荒れ」が増えていると感じることです。私の地域だけの傾向かもしれませんが、授業中立ち歩いたり、奇声を発したり、暴れたりする児童が小学校で目立ってきているのです。1980年代半ばがピークだといわれる中学校の「荒れ」が、今小学校で広がりつつあります。当時の中学校では、他の生徒を守るために(良い悪いは別として)、教員は少々手荒い手段を使ってでも体を張って止めに入っていました。そうでもしないと真面目に頑張っている生徒を守れなかったし、世間もある程度厳しい指導を求めていました。それほど学校の中は荒れ放題だったのです。

 でも、小学校における「荒れ」の場合、対応はかなり難しいと思います。時代も変わり、価値観も多様化しています。それは望ましいことです。でも、小学生が荒れた行動を起こした場合に、これといった対処法はいまだ確立されていません。

 マスコミは生徒が被害者になったときには大きく扱いますが、教員が生徒によって傷つけられたケースはほとんど報じません。例えば、特別支援学級の担任なら、おそらく日常的に児童から傷を負わされているでしょう。これは児童の暴力とは言えません。自分の感情をコントロールすることが苦手なために、暴れるという行動でしか表現できないのですから児童が悪いわけではありません。そこは誤解のないようにしていただきたいと思います。

 とにかく、突発的に起こす彼らの行動は一刻も早く収めなければなりません。そのとき「力づく」以外の方法で制止することは可能なのでしょうか。たとえ「力づく」であっても、暴れている児童の行動を制してやらないと、その子を加害者にしてしまいます。感情的になって投げた鉛筆やはさみの先が近くの児童の目に刺さるようなことが起きないとも限りません。それでもしその子が失明でもしたら、暴れていた子は一生その重荷を背負うことになります。暴れている児童に何らかの特性があるならなおさらです。特別な支援が必要な子は、これまで何度も何度も周囲から否定されてきた経験を持っています。だからもともと自尊感情が低いことが多いのです。その上、取り返しのつかないレベルで人を傷つけてしまったら、それこそ自責の念で自尊感情はボロボロになってしまい、立ち直れないほどの心の傷を負うでしょう。

 私はそういう子の保護者によくこんな話をしていました。「あなたのお子さんは、感情が高ぶったときに激しい行動を起こします。しかし、私たちにとってあの子は他と同じように大切なのです。だからこそ、私たちはご両親と協力して、あの子を絶対に加害者にだけはしてはいけないのです。」と。実際、そういう話をして、それまで子どもにほとんど無関心だった父親が、母親に子育てを任せっきりにしていた態度を改め、子どものためにいろいろと動いてくれるようになった例もあります。

 こうしたことは、通常学級でもたびたび起こります。教員はそうした場合、不安やときには恐怖すら感じながらも子どもと必死にかかわっているのです。近年、教員の働き方改革が話題になることが多くなり、過酷な状況の中で、新採用の若い教員が一年を待たずに退職してしまう事例が増えています。その主な原因は、教員の長時間労働だと言われていますが、本当の原因はそれだけじゃないのです。子どもへのかかわり方がわからず途方に暮れてしまっていることも大きな原因の一つなのです。

 しかし、「私は子どもが怖いから教員をやめます」などとは絶対に言えません。そんなことを言ったら周囲から何を言われるかわかったものじゃありません。明らかな不祥事を起こしてしまった教員には厳罰が必要ですが、真摯に子どもと関わろうとしている教員に一つでもいいから有効な方策を与えなければいけません。

 これを書いているときに、インターネットで次のようなニュースが流れました。

「5時間目の授業中、男児のクラス担任の女性教諭(54)が、「学級が落ち着かない」と職員室に連絡した。教頭が様子を見に行くと、男児が机に立てた鉛筆を手で払ったり、床に置いた水筒に座ったりしていた。教頭は口頭で注意をしたうえ、鉛筆を取り上げ、水筒を足で払って授業を受けさせようとしたが、男児が再び水筒の上に座ろうとしたので、腕を強く引っ張って廊下に連れ出し、放り投げたという。男児はその際、机やいすに足や背中がぶつかり、さらに放り投げられた際に尻餅をついたという。」(「小学校教頭が3年男児を放り投げる 愛知・東海市教委が謝罪」 10/4(火) 7:50配信 朝日新聞デジタル)

 市の教育委員会は、教頭の行動に行き過ぎた点があったとして謝罪の記者会見を行っており、当該教頭に対しても何らかの処分を考えているようです。

 しかし、ここに出てくる教頭は教員にとってはとてもありがたい人だったのではないでしょうか。教頭は教員のSOSを受けて、円滑に授業を保障するためすぐに教室に駆けつけています。管理職が駆けつけるということは「私が責任をもつ」という決意の表れです。いい加減な教頭であれば、他の教員を教室に「派遣」したり、忙しいことを理由に放置するでしょう。緊急事態だからこそ学級担任はSOSを出したわけですから、迅速な対応が求められるのに、まず校長に相談して指示を仰いでからでないと動かない教頭も少なくありません。校長に知らせておけば、何かあっても最終的な責任を自分が負うことはないからです。

 でも、この教頭はすぐに教室に駆けつけています。確かに、本人も言っているように「感情的」になって、児童の水筒を足で払ったり「放り投げる」(どの程度かはわかりませんが)行為はやりすぎだったかもしれません。でも、この事例を前回取り上げた高校の顧問(高校1年生に対して顎が外れるほどの有形力の行使をした顧問)と同じ俎上に載せることはできません。私が最も恐れるのは、単純に「なんてことだ、教諭だけでなく教頭まで体罰を平気でやっているのか。いったい学校はどうなっているんだ」という文脈でとらえられてしまうことです。また、「学級担任がどうして自分で収められなかったのか。50歳を過ぎたベテランが情けない。力量不足だろう。」と一蹴されてしまうことも危惧します。果たして、このケースの場合教頭が最後まで冷静であったとしても、根本的な解決方法はあったのでしょうか。

 報道内容から判断する限り、この児童はかなり反抗的な態度を示しています。それが「自分の水筒を足で払われた」ことに対する怒りだったのかもしれませんし、普段の学級担任との人間関係も影響しているかもしれません。報道内容だけでいろんなことを判断するには無理があります。また、いかなるときも教員が児童を悪者扱いするのは許されません。それでもあえて言うなら、こういう場合にどんな対処方法がこれ以外にあったのかということです。教頭を一方的に非難する人は、具体的な(有効な)手段を示さなければなりません。

 通常考えられる対応としては、駆けつけた職員(この場合は教頭)があくまでも冷静に児童に接し、少々荒っぽい児童の言動を前にしても声を荒げることなく対応し、本人の納得を得て教室以外の場所に連れていき、クールダウンの時間を十分にとってからじっくりと話を聞く時間を確保することでしょう。けれども、そんなことがいつもできるとは限りません。

 万一、今回のケースで児童が限度を越えた暴力行為に及びそうになった場合、教員に「力づく」以外の方法はあったのでしょうか。それさえ許されないとしたら教員は一体どうすればいいのでしょう。私なら、児童の背後に回って体を抱え込み、とにかく他の児童に被害が及ばないようにするでしょう。でも、これも「力づく」の一つです。後ろに回るのは、前から行けば当該児童の手や足の洗礼を受けてけがをする場合もあるからです。それを防ぐには背後から抱え込む必要があるのです。それでも児童は私を振り払おうとして必死になり、頭突きで私の顎をねらってくるかもしれません。実際に私はその洗礼を何度も受けました。小学3年生といえども全力で向かってこられれば、こちらも無傷でいられないのです。私たちは、暴れる児童のためにも絶対に大きなケガをしないようにしなければなりません。当然周囲の他の児童もケガをさせるわけにはいきません。

 学校現場の経験のない人にぜひわかってほしいのは、教員はどんなに児童から攻撃されてけがをしてもどこにも訴えるところがないということです。特に、体格的にも体力的にも優位である教員が幼い児童に責任を負わせるようなことはできません。その日収まっても次の日にはまた同じことが起こる可能性は十分にありますが、だからと言って教員は、その児童を翌日から教室に入れないわけにはいかないのです。その子にも学習権はあるのです。だからこそ、教員は苦しんでいるのです。

 こうした問題に対する有効な手段が成立しないのは、今の学級制度があまりに強固であるからです。明らかに制度疲労を起こしているのに、それに従うしかない状況がすべての原因なのです。

 今回の場合、教育委員会は立場上、謝罪するしかないでしょう。でも、実際は毎日のように教員は児童によって傷を負わされているのです。それを労務災害として訴える教員はほとんどいません。それは教員であることのプライドでもあるのです。子どものためなら少々のことは我慢しようという切ないまでの真摯な態度の表れなのです。だから授業中立ち歩いて授業の妨害をし、教員を教員とも思わない言動を繰り返し、教員から注意を受けるとパニックになって暴れ出すことがあっても「教員」として誇りをもって子どもに接しようとしているのです。それが正しいことかどうかはわかりませんが、せめてそういう教員の思いを受け止められる社会であってほしいと思うのです。そのためには、学級を普段からもっと柔軟に運用できるよう制度を整えてほしいと思います。

 だからこそ、そうした本質的な議論を一瞬で無駄にしてしまう、前回挙げたような「暴行」を確信的にやってしまう教員が許せないのです。そんなことをするから、学校は教師の資質や意識のレベルばかりを問われ続けた上に、正解のない問題を解き続けなければならないという悲劇が延々と続いてしまうのです。

(作品No.171RB)

「これは明らかに体罰である」という表現は存在しない

―教員の不祥事について考える その1ー

社会の中で体罰が問題視されたのはいつごろからなのでしょうか。今は誰に聞いても「体罰は良くない」と答えるでしょう。かつては「愛のムチ」だと言って容認していた時代もありましたが、今そんなことを言ったらそれこそ「愛の無知」と非難されるでしょう。

 しかし、依然として体罰はなくなっていません。つい先日もある私立高校で部活動の顧問が、試合当日にユニフォームを忘れてきた部員(高校1年生女子)の頭を殴り、それによって女子生徒の顎が外れるという大きな傷害を負わせました。しかも、そのまま5時間以上自分の側に立たせて罵詈雑言を浴びせ、次の日も臀部を減るなどの暴挙に出たというのです。生徒は精神的にショックを受けて学校に通えない状態であるということです。ここまでくればもう暴力を越えた暴行であり、生徒がケガを負った以上は「傷害罪」が適用されても何の不思議もないでしょう。いや、むしろそうすべきです。

 そもそも、これだけ連日のように教員による暴言や体罰が報じられ、教員が処分されているにもかかわらず暴行に及んだわけですから、明らかに「確信犯」です。今後、被害届が出されると思いますが、その前に学校は当該教員を懲戒解雇処分(私立高校ですから、理事長の判断でできるはずです)とすべきでしょう。被害者からすればそれでも足りないくらいです。とにかく、教師としての資格があるとは到底思えません。

 と、ここまで書いてきて読者の皆さんは「あれっ」と思われたでしょう。タイトルと内容が微妙にかみ合っていないんじゃないの?と。

 実は私は、現代においては有形力の行使(殴る、叩く、蹴るなど)としての「体罰」は存在しないと思っています。なぜなら、有形力を行使した時点でそれは「体罰」ではなく「暴行」だからです。「体罰」という言葉を使うから、どこか教育的配慮というニュアンスを残してしまうのです。

 私は以前、「体罰」について若干研究のまねごとをしたことがありますが、意外と「体罰」の定義は、はっきりしないまま放置されてきたのです。学校教育法第11条には、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。」とされていますが、そういう割には「体罰とは何か」という定義は示されていません。他の法規にも明記されていないのです。懲戒と体罰の境界については、通知レベルでしかありません。しかもそうした通知は、過去の裁判の判例をもとに書かれていることが多いのです。「体罰」とは何かという明確な定義を法的レベルで明示せず、最終的な判断を司法に委ねてきたという意味で、文科省の怠慢と言ってもいいのではないかと思います。

 私は「体罰」という言葉が使用できるのは、その行為が「体罰」かどうか微妙な場合に限られると思っています。例えば、何か良くないことをした生徒を別室に呼んで説諭しようとしたところ、説諭が終わらないうちに当該生徒がその部屋から勢いよく立ち去ろうとしたとします。教員とすれば「まだ話は終わっていない」と思って当然でしょう。そして、教員が生徒をその場に引き留めるために、逃げようとする生徒の腕をつかんだとします。そのとき、教員の手の跡が生徒の腕についてしまったといった場合、それを有形力の行使と言えるかどうかは微妙な状況となります。文科省は「有形力の行使」を体罰の筆頭のように扱っていますが、有形力を行使したらもう「体罰」の域を超えているのです。だから「体罰」という言葉が使えるのは、それが有形力の行使に当たるかどうかを見定める余地があるときに限って、「便宜上」用いられる概念だと思うのです。

 しつこいようですが、有形力の行使は明らかに暴行であり、相手がけがをすれば傷害罪のレベルになります。後は、その行為の程度によって処罰の内容が決められるだけです。だから、「これは明らかに「体罰」である」という言い方は、そもそも日本語として成立しないのです。こういう言い方をした時点で、暴行に教育的配慮という保護膜を施し、曖昧にしようとしているのと同じことです。

 そういう中途半端な部分を残している上に、有形力の行使をした教員は多くの場合懲戒免職とはなりません。それどころか暴力をふるった教員は、顔写真はもとより、名前すら公表されないこともあります。名前や顔を公表しないのは、ほとぼりが冷めれば他の学校などで教員として出直す道を残すためなのではないかと勘繰ってしまいます。そもそも、傷害罪を問われるようなレベルの暴力をふるっておきながら、私立学校なら理事長、公立学校なら都道府県教委の課長クラスら数人がテレビの前に立って深々と頭を下げること自体が不自然です。確かに採用したそれらの人の責任はあるでしょうが、これだけはっきりした事例であれば、本人も同席すべきでしょう。だいたい、一般企業に勤める人が無抵抗の同僚や後輩を顎が外れるくらい殴ってけがを負わせ、出勤できないほどの精神状態に追い込んでいる状況で、加害者が警察に連行されるかされないかくらいのタイミングで謝罪の記者会見などさせてもらえるでしょうか。刑が確定していないのに何を謝っているのでしょう。しかも、そこにいるのは上司なんてこと世間ではあり得ません。

 学校という組織は、教育委員会を含めて身内に非常に甘い。一昔前の校長は、何かしら不祥事があったときにいかにして当の本人を前に出さないかを一番に考えていました。それが職員を守ることだと信じて疑わなかったのです。そしてそういう校長が「親分肌」の校長として慕われてきたのです。今でも多くの校長がその感覚を残していますし、教員も守ってくれる校長を当てにしているところがあります。そして、「校長が何とかしてくれるだろう」という甘えた教員が生き残るのです。熱心にやった結果なんだから何とか助けてやるのが「親分」の役割だというわけです。

 私は、かつて教頭のとき暴言が止まらない臨時講師(当時は半年経過し時点で、一日空白をあけて再度採用するという制度でした)を校長と相談して更新しなかったことがあります。普通なら警察にでも捕まらない限り更新するのが通例です。しかし、あまりに目に余ったので校長と相談の上、決断しました。そのあと、本人はもちろん、同じ職場の同僚や地方議員、引退した元校長などから「自分の学校の教員くらい守れないのか」と罵声を浴びせられました(当時の校長はもっとひどかったでしょう)。その中には、私の中学校時代の恩師もいました。とても悲しかったのを覚えています。あんなに頼もしかった先生も現実が見えなくなっている、そのことがとてもつらかったのです。

 私は今でもそのときの判断は間違っていなかったと思います。有形力の行使こそなかったものの毎日烈火のごとく怒鳴り散らされ続けている子どもたちを放っておくことはできませんでした。子どもたちは、学級担任であるその教員の顔を見るだけで固まってしまうほど恐れていました。学校関係者から聞こえるのは非難の声ばかりでしたが、保護者からは感謝されました。そして、なにより子どもたちに笑顔が戻りました。職員を守っていれば、少なくともあと半年、子どもたちは死ぬ思いで登校を続けなければならなかったのです。

 昔はそれでも何とかなったかもしれません。でも、今は違います。そういう守り方をすればするほど不祥事を起こした教員にバッシングが集中し、それを許した校長に無数の矢が飛び、他の教員も信用を失い、学校不信は取り返しがつかないほど深刻になってしまいます。しかし、そういう管理職は今でもたくさんいます。まるで教員が第一に守るべきは生徒であるという基本を忘れてしまっているかのようです。

 また、私は小学校の校長をしていたとき、保護者からパワハラやセクハラまがいの言動で子どもが追い詰められているという訴えを受けました。私はそのときその教員にはっきりと宣言しました。「あなたは自分にはやましいところはないと言いますが、保護者が泣きながら訴えてきているのです。その事実を真摯に受け止めなさい。もし、明らかな証拠が出た場合には、私はあなたを守ることは一切しません。」と。

 その教員はちょうどその年、定年退職を迎えるタイミングでした。当然私よりも年上です。その教員はその後、私を「パワハラ校長として訴えてやる」と陰で息巻いていたそうです。しかし、私は教育委員会にいたので知っていたのです。その教諭が、10年ほど前に同じような問題を起こし、保護者が教育委員会に被害を訴えていたにもかかわらず、教育委員会は何の処罰も与えず、教員を転勤させるだけでうやむやにしていたことを。そして、そのときの記録が教育委員会のどこに保管されているかも知っていました。訴えればその資料を裁判所に提出するつもりでした。当然その教員も私が教育委員会にいたことは知っています。だから、どんなに息巻いていても絶対に訴えることはないという確信が私にはありました。その資料の内容が公になって一番困るのはその教員です。そうなれば、下手をすれば目の前の退職金すらすべて没収される可能性もあります。そこまで覚悟して訴えるほどの度胸がある人間なら、こそこそとセクハラまがいのことはしないでしょう。

 この教員を野放しにしてしまったのは10年前に厳罰(懲戒免職までは無理だったとしても)に処しなかったからです。そうしていれば、その後被害に遭う子どもを生み出すことはなかったかもしれないのです。そのツケを私は払わされたのです。こんな腹立たしいことはありません。だから、その学校に赴任が決まった時点で「どこかではっきりさせてやる」と決めていました。それまでの管理職は学級担任から外したり、固定された特別教室での授業に専念させ、できるだけ複数の教員を授業に配置するなどさまざまな手立てを打ってきたようです(複数の学校をたらいまわしにされていたようですが)。加配もさほど多くなかった当時は慢性的な人員不足でした(今も解消されていませんが)。学校現場にとって、これほど迷惑な話はありません。また、児童が特別教室と一般の教室移動の行き来する場合も必ず別の教員を先導させるなど校内のルールも変更したそうです。何より、セクハラ疑惑があることを他の教員は知っているわけですから、何かあれば職員全体が管理職に攻撃の矢を向けることも考えられます。そうなると学校は空中分解してしまいます。

 実際、私がその学校に赴任するまで何度も怪しい雰囲気があったそうですし、保護者から苦情も結構あったようです。しかし、それまでの管理職は、総じて腫れ物にさわるように対応してきました。真っ向から攻めることを避けてきたのです。だからいつまでたっても同じようなことをいろんなところで起こし続けて、そのたびにしらを切り続けてきたのです。

 私がその教員に宣言した際、同席した教頭が終わったあと若干心配そうな顔で「あそこまではっきり言う校長には出会ったことがない」と言われました。そして、その話は職員の間に広がりました。「今度の校長は本気だ」という雰囲気が生まれました。だから、問題が起きたとき躊躇なく私に報告してくれたのです。私は保護者の了解を得て、その日のうちに本人を呼び出して宣言したのです。自慢みたいになってしまいますが、そのスピード感は大成功だったと今でも思います。ちょっとでもためらう様子を見せたら、職員の気持ちは離れていくに違いないと思いました。だから、本人との対応も管理職だけで行いました。学級担任をはじめ他の教員を介入させることはしませんでした。そんなことをしたら、同席した職員にどんな被害が及ぶかわかりません。

 実は、私はその学校に赴任してすぐに、セクハラ疑惑の教員を校長室に呼び出して「宣戦布告」をしていました。本当はそこまでしなくてもよかったのですが、本人が私の顔を見るたび「再任用頼みますよ」としつこく言ってきたのです。正直、頭にきました。「ああ、やっぱり何も反省していない」ということがはっきりしたのです。私は校長室で言いました。「私がこの学校に来たのは、あなたを無事に定年退職させるためだ。しかし、それはあなたのためではない。あなたが無事に定年退職するということは、あなたが何も問題を起こさなかったということだ。どうか私の期待に背くことはしないでほしい。」

 その教員はかなり不満そうな表情で、どうしてそんなことをわざわざ言われなければならないのかと反論してきましたが、「今、私が言ったことがすべてです。」として取り合いませんでした。先に書いたように、案の定問題は起こりました。本人は最後まで否定を続けました。本当は私はその教員に辞めてほしいと思っていたのですが、しばらくして被害者側の保護者があきらめてしまいました。これ以上、事を大きくしないでほしいと言ってきたので処分までは至りませんでした。夫婦そろって校長室に来られたときのご両親の苦渋の表情が忘れられません。親としては、これ以上事が大きくなれば本人(娘)がさらに傷つく。もし、被害者として名前が知れるようになったら娘のためにはならないとおっしゃったのです。そこまで言われて、一緒に最後まで戦いましょうとはさすがに言えませんでした。でも、私の対応には感謝してくださいました。結局その教諭は最後まで勤め上げました。教育委員会にも始終情報を伝えていましたが、明確な証拠がないため具体的な対応ができなかったという事情も分からないではないので、特に教育委員会にいやごとは言いませんでした。

 教員の不祥事は、子どもが被害者となっていわれのない苦しみを与え、学校に対する信頼を失墜させるだけではありません。こういうことが続けば、今の学校が抱えている問題の本質すら曖昧にしてしまうのです。

 私は、現在の学校の多くの問題は学校の制度疲労が原因だと思っています。まじめな教員ほど、制度疲労を起こした学校制度と現実に起こる問題との狭間で苦しんでいます。特に、学級制度はもう限界に達しています。学級は、明治24年(1886年)の「学級編成ニ関スル規則」で初めて法的根拠を得ました1)。今もこれを根拠としているかどうかはわかりませんが2)、このときにそれまで採用されてきた「等級制」を廃止してほぼ今の学級の形が成立しました。100年以上同じシステムが続いているのですから「制度疲労」が起こっても不思議ではありません。とにかく、強制的に所属する学級が決められ、それを変更する要求はよほどでない限り認められない超閉鎖的な空間の中で、いじめられた子が行き場を失い、不登校の子が復帰するきっかけを失っています。教員はその子を何とかしようと懸命に頑張りますが、いじめにしても不登校にしても学級制度があまりに頑強であるために解決の道は閉ざされているのです。学級がせめてもう少し柔軟な組織であれば、普段から子どもたちにさまざまな居場所をつくることができます。大学では深刻ないじめは小中高に比べて非常に少ないといわれています。それは、集団が固定されていないからです。自分と合わない者がいても、嫌がらせをしたとしても、それが限定された場と空間で済むからこそ問題は深刻化しないのです。強固な学級制度のままでは、いじめられた子の戻るところは元の学級しかありません。悲劇的なのは、そういう子どもたちが学級に入れないことを次第に自分の責任だと自分を責めるようになることです。こんな理不尽が許されていいはずはありません。

 だからこそ、本来ならば、文科省はもちろん、教師や生徒、教育委員会、そして保護者や地域が一丸となって、本当の意味で子どもにとっていい学校(学級)とはどうあるべきかを考えなければならないのです。それなのに、犯罪まがいの行為をする一部の教員がいることで、本質的な問題を論じることが困難になってしまいます。つまり、「システムがどうのこうのという前に、教員の問題行動を何とかする方が先だろう」とか「教員の責任をシステムせいにするのは詭弁だ」という見方が広がってしまうからです。そういう意味でも、明らかに有形力の行使をした教員は、即刻公の場に出し、警察に介入してもらって徹底的に捜査するべきです。学校の中だけで対応しようとするから、問題を長く引きずることになり、さらに学校不信は深刻なもとになって、本当に必要な議論ができなくなってしまうのです。

 いまや学校は、一部の問題教員にかまっているような余裕はありません。冷たい言い方かもしれませんが、教員を特別視することなく、一般の人と同じ手順で「処理」すべきです。

 ただ、一つ気になることがあります。それは、次回に。

  1. 寺﨑昌男・平原春好編(2002)『新版教育小事典』(学陽書房、p37)
  2. この点についていろいろ調べたのですが、いわゆる標準法も学習指導要領も当然生徒指導提要も学級の定義は明治24年の「学級編成ニ関スル規則」以外には見つけられませんでした。そこで、文科省に直接電話して聞いてみたのですが、後ほど私の携帯に電話しますと言われて、もうそろそろ一か月が経とうとしています。

(作品No.170RB)

ゴジラ飛ぶ、天使が走る

授業中、集中できずに窓の外をぼーっと見ている子を時折見かけます。特に、南側の窓に最も近い席で、しかも後方に座っている生徒は授業に飽きたら何気なく窓の外を見るのです。私は、そういう生徒に注意するとき「おーい〇〇、窓の外にゴジラでも飛んでるのかあ」と、できるだけのんきな感じで声を掛けるようにしていました。すると、その子はちょっと恥ずかしそうにしながら素直に前を向きます。

私は新任の頃、生徒が少しでもよそ見をしようものなら烈火のごとく𠮟りつけていました。当然、教室の雰囲気は重く沈み込み、それ以降の授業は暗い雰囲気の中、無理やり進めることになります。さらには、そういう叱り方を続けていたせいで次第に生徒は反抗的になり、最後は学級崩壊状態になってしまいました。注意をすることは当たり前のことですが、もっとソフトなやり方はないかと思うようになり、その一つの方法としてゴジラに飛んでもらったわけです。

すると他の子から「先生、ゴジラは飛べないよ」と声があがります。私は待ってましたとばかりに「いやいや、ゴジラ飛べるんですよ」と答えます。実際、ゴジラシリーズの一つ「ゴジラ対ヘドラ」でゴジラは熱戦を吐きながら尻尾を丸めて、後ろ向きに飛ぶシーンがあります。そういう話を(授業中に不謹慎ですが)、黒板につたないゴジラの絵を書きながら説明してやると、生徒は授業の何倍もの集中力で私の話を食い入るように聞いています。

でも、なぜゴジラなのか?理由は大きく二つあります。

ます、誰もが飛べないと思っているものであることが大切です。「ガメラでも飛んでるのか」ではだめです。ガメラが飛べることは生徒もよく知っていますので、意外性に欠けます。「えっ」と思わせることで、よそ見した生徒だけでなく他にもいるであろう集中力が切れかけている子にも刺激を与えることができます。

もう一つの理由。これが非常に重要です。ゴジラは1954年に第一作が公開されました。その年、日本にとって非常に衝撃的な事件が起こりました。アメリカがビキニ環礁で実施した水素爆弾実験によって第五福竜丸を含めた多くの日本漁船が被爆し、いわゆる「死の灰」を大量に浴びてしまったのです。ゴジラは「身長50メートルの怪獣」で「人間にとっての恐怖の対象であると同時に、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれました(ウィキペディア)。第一作の宣伝用のポスターにも「水爆大怪獣映画」と書かれています。

周知のとおり、日本は世界で唯一の被爆国です。その日本がアメリカから二発の原爆を投下されてから10年もたたないうちに、また同じアメリカから甚大なる核の被害を被ったのです。当時の日本人にとってはかなりの衝撃だったと思います。ゴジラはそうした日本人の反核、反戦の思いを背負って誕生したのです。

私は、ゴジラが飛べる話をした後生徒にそんな話をしました。生徒は単に面白がって聞いている段階を経て、真剣なまなざしに変わります。

さらに言えば、初めてゴジラが空を飛んだ「ゴジラ対ヘドラ」が公開されたのは1971年、ちょうど公害が社会問題になっているころでした。この映画で、ゴジラは公害の申し子ともいえるヘドラと戦います。ヘドラは当時問題になっていたヘドロをもじったものでしょうが、ゴジラが戦ったのはヘドラに象徴される日本の公害であったわけです。ネタバレになるので詳しいことは書けませんが、そのラストシーンはまだ小学生だった私にとっては、実に衝撃的なものであったのを覚えています。

というわけで、生徒を注意するとき、ただ厳しく叱責するのではなくできるだけソフトな言い方で、しかも一定の効果がある方法として私はよくゴジラに登場してもらっていました。(授業の脱線時間が増えたこともありましたが・・・)

もう一つ、ソフトな注意として登場してもらったのが「天使」です。出典は明らかではありませんが、場がしらけるような発言やウケねらいの発言が思うようにウケなかったときに「あ、今天使が走った」ということがあるという話をどこかで聞いたことがありました。神の使いである天使は人間を救うために存在しているので、ウケない話をしてしまった人を救うためにも現れる、みたいな話をどこかで聞いたことがあったのです。授業中に、ウケねらいで発言する生徒は結構いるものです。いわゆるちゃちゃを入れるとか、話の腰を折るといった発言です。単発の場合はさほど邪魔にはなりませんが、何度も続くと授業の妨げになりますから注意せざるを得ません。でも、教師が真っ向から𠮟りつけるのは芸がないような気がします。そこで、天使にご登場願うわけです。

生徒が何かウケねらいの発言をします。だいたい教師への質問形式で出現することが多いのですが、私は、何も答えず黙ったまましばらく間をとります。そして、おもむろに「実はねえ」(ここでもう一度間を取る)「今、天使が走ったんですよ。」と切り出す。そして(少し大きめの声で指をさしながら)「そこ、教室の後ろ、ロッカーの前」。何人もの生徒が思わず後ろを振り返ったりします。

そして天使が登場する意味を伝えます。登場するのが天使ですから、教室の雰囲気は重くなりません。ちゃちゃを入れた子も不思議と落ち着きます。要は、自分の言うことに何らかのリアクションがほしいだけですから、それで欲求は満たされるわけです。

次の時間も同じような発言を続けた場合はこう言います。「〇〇さん(ちゃちゃをいれる子の名前)、天使も忙しいんだから何回も呼んじゃいけませんよ」と言うことにしていました。そのうち、生徒同士で注意し合うときも「〇〇、天使呼ぶなよ」と言い合うようになってきます。要は、「うるさい、黙っとけ」という意味なのですが、言葉が言葉なのでさほどきつく聞こえません。結構効果的でした。ただ、特定の子に「今日の時間、思い切り天使呼べよ」とけしかける生徒が現れないように十分注意する必要はありますが・・・。

そう言えば、あるとき、いつものように「ゴジラでも飛んでるか」と声を掛けたとき、「そうなんです。ちょうどあの辺です」と指さすという強者もいました。まさに一本取られた感じです。笑うしかありませんでした。

(作品No.169)

好きこそものの・・・

好きこそものの上手なれと言います。野球が好きな人は誰に言われなくても練習するでしょうし、日曜大工が好きな人は毎日でも何か作っていたいと思うでしょう。好きだからこそ、それにかける時間が増えるので、当然経験も豊富になりますし、必要な知識や技術も自然に身につくでしょう。

 しかし、この「好き」ということが厄介なことになることもあります。以前県教委に勤務していたときの上司に、日本全国の城郭について大変造詣が深い方がいました。その人はお城の話をするときは実に生き生きとしていました。上下関係の厳しい世界でしたから、部下の私はそういう話をただ聞くしかありません。しかし、お城に全くといっていいほど興味がない私は、いかに嫌々聞いていることを悟られないようにするかに細心の注意を払っていました。そういう時間は実に長く感じます。

私たち教員の仕事は、話すことを抜きにしては語れません。話術に長けていることは大きな武器になります。「好きこそ・・・」の諺に従えば、話すことが好きな人は話術に長けていることになります。ところが、そう簡単にいかないのが難しいところです。

 精神科医で長年青少年の心のケアに携わってこられ、何度も学校に出向いて研修会の講師を務められた実績のある吉田脩二氏は教師の話し方について次のように述べています。

「いつも思うのだが、一般に教師は話が下手である。ただし、決して朴訥ではなくて、むしろ多弁である。多弁であるが内容が少ない。まわりくどくて、しかも断定しないから、結局は何を言いたいのかがわからなくなってしまう。」(吉田脩二・生徒の心を考える教師の会(1999)『不登校 その心理と学校の病理』、高文研、p201)

 実に厳しい言葉です。でも、あながち的外れとも言えないようにも思います。教員は一般の人に比べると話が好きな人が多いと思います。その方が長く教師をやる上では有利でしょう。また、経験を積むほどに話のコツがわかってきて「好き」になっていくということもあるでしょう。でも、「好き」になったときに気をつけなければならないのが、この「多弁」や「饒舌」です。

 かつて、尊敬する先輩(元中学校長)から教えられたことがあります。

「人前で話をするときに大切なのは、“何を話すか”よりも“何を話さないか”を考えることなんです」

 私たちが子どもや保護者、地域の人に話すのは「伝えるべきこと」があるからです。話し好きになることは悪いこととは言えませんが、話すこと自体が目的化してしまっては、本末転倒です。こうなると独りよがりの傾向、つまり教員の自己満足で終わってしまいかねません。特に、自分の好きなことや得意分野になるほど、あれも言いたいこれも伝えたいと欲を出し過ぎて、いわゆる「枝葉」が多くなり、最も大切な話の「幹」の部分がぼやけてしまいます。しかし、聞く側は「枝葉」の話をさほど聞きたいとは思っていません。

 つまり、わかりやすくて聞く人を引きつける話をするためには「捨てる勇気」が必要なのです。私は、指導主事や校長の立場でさまざまな人の前で話したり挨拶したりする機会をたくさんいただいてきましたが、自分が納得できる話ができたのは、ほんの数回しかありません。それは、私が「目の前の人が何を欲しているか」に寄り添いきれずに、自分が話したいことを優先してしまった結果なのだろうと思います。「自慢話」や「苦労話」が聞いていて面白くないのは、それが話し手が自分の満足のために話しているからです。置き去りにされた聞き手は、適当に相槌を打って聞いているように振る舞ってはいても、頭の中では他のことを考えているでしょう。

 それに気づかずに話し続ける醜態だけはさらしたくないと思ってはいるのですが・・・

(作品No.168RB)

学級というジレンマ

小学校から高校まで、ほとんどの学校に学級という組織は存在します。高校の中には単位制を導入しているところもありますが、公立の小中学校となると必ず学級はあります。この学級を単位としてすべての授業は行われていますし、教員の配置も学級数によって規定されています。私たちは学級をあって当たり前だと思っていますから、それを疑うことはありません。学校におけるほとんどの教育活動を学級ありきで考えます。そこで、教員はその学級をいかに子どもにとって有益なものとするかを工夫するのです。

 しかし、学級という組織は根源的に大きなジレンマを抱えていることも事実です。そこには、規律と自主という二つの相反するベクトルが存在するからです。

 まず、規律についてですが、学級は第一に授業の単位として、同年齢の者が強制的に決められた学級に属し、決められた席に座り、基本的に教員の指示を受け入れなければなりません。時間割も固定され、自分で教科を選択することもできません。そうしたルールを子どもたちに守らせることによって、現在の授業は成立しています。効率的な学習活動を行うにはこうした規律を明確にしないと収拾がつかなくなります。学級を官僚組織的だという人もいます。それほどに学級というシステムの規律は厳しいものです。生徒を管理するという意味では効果的で無駄がないシステムであると言えますが、この規律は時に子どもたちの自由な発想や考え方を制御してしまう面も否定できません。

 そうした中で、学級には子どもたちの主体性や自主性を高めることも求められています。学習指導要領でも、自ら考える力や自ら判断する力、あるいは課題解決能力や表現力を涵養するように求めています。これらは規律とは相いれないことが多く、教員はその間で苦しむことになります。つまり、自由に意見を言わせれば子どもたちの自主性は伸ばすことができますが、それをやりすぎると決められたカリキュラムがこなせなくなります。また、自由とわがままの区別がわかっていない子どもによって学級が常にざわついてしまい、授業が思うように進まなかったり、効果が薄れたりしてしまうということも起こります。

 そのため、教員にはこのジレンマの狭間で微妙な匙加減が要求されることになります。そして、よく言われるように「自主的であれ」と命ずるというなんとも矛盾した指示を出さざるを得ません。命令されて発揮する自主性はあくまでも教員の想定内でしか発揮できなくなります。ほんとうの意味での自主性は育ちません。

 特に、高校受験を控えている中学校では、受験に対応できる力を身につけさせながら同時に主体的な能力を伸長するという非常に困難な状態に教員は置かれることになります。もし、学校が「読み、書き、そろばん」といったいわゆる「3R’s」だけを徹底すればいい組織であれば、事は単純なのですが・・・。「3R’s」といったところまで限定しないとしても、各教科の内容の理解だけですむなら教員の立ち位置は明確になります。

 学制発布から150年になりますが、もともと学級は等級制だったそうです。つまり、学習の理解度に応じた能力別編成であったと言われています。だから、試験をクリアしないと上のクラスに進級できないし、逆に能力が高ければ飛び級も可能となります。それが、今の学級性に変わったのは明治24年です。理由は、なかなか試験に合格できない者の退学が増えたために、制度を維持しにくくなったからだと言われています。近代化を推し進めようとする国家としては、退学者が増えることは大きな問題だったのでしょう。そして、同じ年齢の者を同じ学年とし、退学させない方式をとったわけです。

 また、子どもたちの序列化を批判的にとらえる人たちによってこの新しい制度は支持されるようになります。そして、所謂児童中心主義や近年の新自由主義的な教育観が学校の常識となっていきます。そうなってしまうともはや学級そのものは議論の対象にさえならなくなります。あまりに当たり前すぎて是非を問う対象とならなくなったのです。

 そして、学校は教科の授業だけでなく生活全般にわたって目を配らせる必要が生まれてしまいました。現在問題となっている「ブラック」な学校のもとはここにあるのだと思います。登下校から休日の過ごし方まで学校がなんらかの指示を出さなければ世間は納得しないようになりました。学級を当たり前のものだと思う視点は、学校の業務を増やし、しかも教員の視点を目の前の問題にのみ集中させる効果を生みだしたともいえるでしょう。

 そうした中で、私たちにできることは、今やっている教育活動を見直し、今後学校がどうあるべきかを考えることでしょう。何かを見切らなければ抱えすぎた問題の多さに学校は逆に周囲から見限られてしまいます。地域や保護者の要求に耳を傾けることは大切なことですが、本来学校がやるべき業務とそうでない業務をしっかりと区別しながら一つ一つの問題に対処することが必要となります。

 以前、文科省によって本来学校が請け負う必要のない業務をまとめた一覧が公表されたことがありましたが、そういうことをもっと積極的に世間一般に広報してほしいと思います。一つの学校だけがやっても、簡単につぶされてしまいます。

 まずは、学級というシステムを当たり前のものとすることに疑問の目を向けることが必要だと思います。そうすることで、学級はもっと柔軟に機能させることができると思うのです。

(作品No.167B)

「名」と「実」(本質)

「名は体を表す」ということわざがあります。「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる」1)という意味です。教育の世界でも「名」は重要です。

 例えば、現在の特別支援教育という名称は、「2001年1月の省庁再編に際して、文部科学省初等中等教育局特殊教育課から文部科学省初等中等教育局特別支援課に変更され、採用された」2)のが始まりだそうです。ただ、法的に根拠を持つのは、平成18年12月に「障害者の権利に関する条約」が国連総会で採択されたのを受けて「学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が平成18年6月21日に公布(平成19年4月1日施行)され、それまでの養護学校が特別支援学校と改称されたのをもって成立しました。「特殊教育」が「特別支援教育」に変わると、かなり受け手のイメージも変わります。「特殊」には「特別」という意味もないではないですが、主に「性質・内容などが、他と著しく異なること。また、そのさま。特異。」3)という意味となり、どこかマイナスのイメージが残ります。それに対して「特別支援教育」の「特別」は比較的少数を対象とするという意味では似ているものの、「特別感がある」のような使い方でもわかるように、必ずしもマイナスのイメージで使われる言葉ではありません。また、「特別支援教育」という概念は「特別な子に何かを支援する」教育という意味ではなく、「特別な支援が必要な子」への教育を指します。これは似て非なるものです。前者の解釈だと「特別な子」がいることを前提とした視点となってしまいます。特性の有無にかかわらず、どの子も同じ尊厳を持った存在であることを大切にするなら後者の表現が妥当でしょう。

 私は「名は体を表す」ことよりも「実体に応じた名前をつける」ことの方が大切だと思います。「名」を「実体」(本質と言ってもいいと思います)にできるだけ近づけることは、様々な偏見を生まないために非常に大切なことです。

 そう考えたとき、私がどうしても納得できない「名」があります。それは、「適応指導教室」という言い方です。今もこれを使用している自治体は結構あります。しかし、不登校傾向の子どもを学校に「適応」させる、しかもそれを指導するということは、裏を返せば「適応」できない子は「指導されるべき存在」だということになります。学校に「適応」するのが絶対的に正しいことだとする学校側の思い上がりのようなものを払拭できません。不登校が問題なのは、学校に登校できないことではなく、その状態の子が不当に苦しんでいることにあります。「不当に」と言ったのは、不登校になる原因は一人ひとり違うにしても、その子にとって「行きたい」場を提供できなかった学校の責任を子どもになすりつけているように感じるからです。

 最近では、教育支援センターと呼び名を変えている自治体も増えてきました。なんだか漠然とした言い方ではありますが、「適応」という言葉を使うよりははるかにましです。

 近年の教員による暴言や体罰、不適切な関わりの根底には、子どもは学校にきて当たり前、教師のいうことに素直に従うのが当たり前といった上から目線の接し方がまだまだ多く残っているからだと思います。「適応指導教室」や「適応教室」という呼称を残している自治体は、すぐにでも変更すべきだと思います。名前が変われば、その理由が気になります。そこで知る理由が教師の意識を変えるきっかけになると思うのです。(作品No.166RB)

  1. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%90%8D%E3%81%AF%E4%BD%93%E3%82%92%E8%A1%A8%E3%81%99/
  2. 平原春好・寺崎昌男編(2002)『教育小事典』(学陽書房、p241)
  3. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%89%B9%E6%AE%8A/

教員採用試験面接のポイント(講義風)

こんにちは。本日は、この面接練習に参加してくださってありがとうございます。

たくさんの人が試験を受けてくださっていることに、深く感謝したいと思います。本県は幸か不幸か倍率が高い。それは他府県に比べて働きやすいという証拠でもあります。

さて、面接の話ですが、私の経験から言うと質問の内容には大きく分けて3つあります。

一つ目は、服務に関する質問。これは法的な質問ですね。公務員の身分に関する法律とか、体罰を禁じている法的根拠とか、わからないときは潔く「すみません。わかりません」と言えばいいんです。もじもじするのが一番よくない。

二つ目は、志望動機と具体的な対応です。志望動機は大丈夫だと思いますが、具体的な対応については、若干皆さんを迷わせるような質問もあります。いじめの現場をみたらどうするかとか、クレームに対する対応とかです。終わった後に、一番気になるのがこれです。

でも、大丈夫です。皆さんが迷うような質問をするのは、困った時にどんな対応をする人なのかを見るためです。むずかしい問題にどれだけ真摯に答えようとしているかを見ています。少々的外れになっても気にせず堂々と答えてください。面接官ってね、質問は山ほど用意していますが、答えはもともと用意してないんです。受けている方は、面接官が正解を知っていると思うから、間違ったことを言っていないか気になるのですが、正解なんてあまり持っていないものなのです

そして、三つ目は、主に皆さんの熱意の確認です。どんな生徒を育てたいかとか、どんな夢や希望を持って先生になろうとしているかを聞いてきます。ここが一番皆さんの腕の見せ所です。

この三つがきっちりと分かれることもあれば、混ざることもあります。そして、本県の施策をどのくらい知っているのかをスパイスのように織り交ぜて質問されます。だから、そこのところはしっかり勉強しておいた方がいいですね。

それから、簡潔に答えることも大切です。面接官は、決められた時間内でいろんなことを聞きたいと思っています。だから、長く話されるとしたい質問が十分にできません。簡潔に答えることが好印象につながります。また、語尾をはっきり言うことも大切です。

それから、面接官の中にはずっとしかめっ面の人がいたり、皆さんが答えているときに、首をかしげるような人もいます。そういう人を見ると不安になりますが、大丈夫です。皆さんの将来に関わる面接ですから当然真剣です。人間真剣になるとどうしてもしかめっ面になりがちなものです。それから、面接官は、意外と余裕がないのです。それに。皆さんの回答を聞かなきゃいけないし、そこから次に質問を見つけようとしますし、聞いた内容や評価をメモしないといけません。結構忙しいのです。そうなると慣れてない面接官ほど、しかめっ面になります。また、首をかしげているのは、どんなふうにメモを取ろうかって考えているだけです。皆さんの回答がおかしいからじゃないのです。そんなときは「ああ、面接官も大変なんだなあ」と思えば、気持ちは楽になります。

それから、面接官は皆さんの思想・信条については聞いてはいけないことになっています。最近では、尊敬する人や最近読んだ本、家族構成なんかも聞かないことになっているはずです。皆さんは合格するまでは一般市民ですから、かつてのような圧迫面接もなくなっているはずです。逆に今の面接は、受験生をどれだけリラックスさせるかに気を遣っています。

とにかく、当日、緊張すると思いますが、その緊張している姿から誠実さが伝わることもあります。大いに緊張したらいいと思います。

今日の練習を通して、少しでも皆さんのお役に立てればと思います。

最後に、「山よりでっかい獅子は出ん」。自信を持って臨んでください。(作品No.165RB)