Y先生の「寄り添い方」

今でも月に1回、かかりつけ医に通っています。主治医のY先生は物腰がやわらかで、自然体で話を聞いてくださいます。相槌の打ち方も絶妙で、こちらの言うことをしっかりと受け止めてくださっているのがよく伝わってきます。私の話を途中で遮ることは絶対にありません。そして、私が話し終えたら、ほんの少しの間を取って(この間が実に心地いい)、ゆっくりと、そして静かに私の状況を診断してくださいます。診察時間は5分か10分のほんの短い時間ですが、とても気持ちが落ち着きます。

 Y先生は、診察室に患者を迎えるとき、必ず立って迎えてくださいます。そして、診察が終わって部屋を出るときも必ず立って見送ってくださいます。 

私は、過去にいろんな病院に行きましたが、立って迎え、立って送り出す医師に出会ったことがありません。多くの場合、病院の先生は最初から最後まで座ったままです。中には、診察室に入ったときに全くこちらを見ない人もいます。でも、Y先生はいつも変わらぬ対応です。もちろん他の患者さんにも同じように接しておられます。ほんのちょっとのことですが、これだけで患者側からすると自分は本当に大切にされているんだなあと実感できます。

 そういえば昔、ある先輩の先生に教えてもらいました。「職員室でプリント一つ配るのも、机の上に向きや位置を考えて置きなさい。直接手渡すときはできるだけ両手で渡しなさい。誰にでもできることです。」若いときは、「そんなこといちいちできませんよ」と心の中で思っていましたが、最近になってようやくその大切さがわかってきました。こうした丁寧な一つ一つの所作が相手に「私はあなたを大切に思っていますよ」というメッセージとなって伝わるのです。

 生徒に対しても同じだと思います。何か問題が起こったときにどんなに丁寧に接しようとしても、普段の所作が生徒にとって「ぞんざいなもの」として映っていたら、決して心を開くことはないでしょう。

 最近、教師による暴言がよく話題になります。かつて星野富弘さんが仰っていたように、「言葉は辛抱強い生き物」です。一度相手の心を傷つけてしまったら、それが体のどこかに染みついていて、ある日突然姿を現し、その人を深く落ち込ませることもあります。いわゆる「トラウマ」のような状態です。でも不思議なことに、活字にしたら暴言としか思えない言葉を生徒に発しているにもかかわらず、生徒に慕われ、信頼されている先生もいます。その違いは、普段のその先生の生徒に対する所作と大きく関係しているのだと思います。つまり、普段の所作によって、その先生の温かさが日常的に生徒に十分に伝わっているのです。

 私は、決して暴言を容認するつもりはありません。どんな教師でも使ってないけない言葉は使ってはいけないと思っています。でも、もし私たちが常に生徒を一人の人間として大切にする気持ちを持ち得ているなら、暴言は存在しないとも思うのです。そして、その気持ちは目に見える形で生徒に示さないと伝わりません。

 教師はときに、生徒に対して厳しく注意を促さなければならないことがあります。そういうときに、しっかりと伝えたいことが伝わるかどうかは、そのときの言い方だけの問題ではないと思います。子どもたちの感性は大人が考えるよりずっと鋭いものです。特に自分に自信が持てないでいる子どもたちならなおさらです。彼らは私たちの一挙手一投足を実によく見ています。自分に「寄り添」ってくれる人なのかどうか、それが彼らにとって最大の関心事なのです。

 Y先生は私に「寄り添われる」ことの心地よさを教えてくださいました。(作品No-99B)

若い先生は「楽」をする?

最近、意識して歩くことが多くなりました。退職して毎日が日曜日状態になったので運動不足解消のために始めました。歩いていると、いろんなことが頭に浮かんできます。その日は、若い頃に聞いた、ある落語家の言葉を思い出しました。

 「最近、健康のためにジョギングをやる人が増えているそうです。中高年以上の年齢の人がやるのには何も思いませんが、若い人でやっているのをみるとどうかと思います。だって、若い人は基本的に体力もあって元気です。若者が健康のためにジョギングするなんて信じられない。」

 若い人は、どうやったら楽ができるかを考えるのが普通だと私は思います。「楽」というとさぼっているかのように聞こえるかもしれませんが、そうではなく「合理的に考える」という意味です。すべての若者がそうだとは言いませんが、無駄なことはしたくないと思うのが普通の姿だと思うのです。

 最先端の流行や考え方を取り入れるのも若い世代です。新しいものへの好奇心が旺盛であり、それを行動に移すことへのためらいも少ない。また、同じことをするなら、短時間で終わらそうとする合理性もあります。私のような年配の世代からすれば、そういうところに危うさを感じたり、単に楽をしようとしていると受け取ったりしがちです。そして、「最近の若い奴は・・・」と愚痴ったりもします。

でも、こうした若者の特性は、さまざまな場面でさまざまな改革を推進する原動力になるのも事実です。最先端の技術をいち早く取り入れようとするのは、同じ仕事をどれだけ短時間でできるかという意識があるからです。大げさな言い方かもしれませんが、世の中の進歩はそうした若い人の感覚によって生み出されてきた一面を否定することはできないと思います。

 確かに、何でもかんでも楽をすればいいとは思いません。しかし、時間をかけることそのものに意義を感じているベテランよりははるかにましです。

 市教委で勤務していたとき、かつて市が独自に実施していた教師自作の「夏の友」(正確な名称は覚えていませんがたぶんこんな名前だったと思います)という夏休みの宿題の冊子を復活させようとする動きがありました。当時学校教育課の課長だった私は、市長同席の予算委員会で財政の責任者(役職名は忘れました)から「なぜ、あれ(「夏の友」)を復活させないんだ」と、ほぼ恫喝に近い言い方をされました。財政の責任者の言い分はこうでした。「教師が楽をしようとばかりしていてどうするんだ。子どものためにもっと汗をかけ」

 しかし、かつて実施していた「夏の友」は、単に教師が問題を作成すれば済む問題ではありませんでした。設定した問題の一つ一つに対して著作権の許諾を得る必要があったのです。教員が校種別、教科別等にチームを組んで問題を作成し、その一つ一つに教育委員会は著作権者に許可をとる手続きをしていました。例えば、国語の長文問題をつくるとすれば、その元になっている文について著作権上の許可が必要になります。その文を使って、どんな設問をし、どんな答えを正解とするかを含めて許可が必要となります。作者の意図と違う解答例を出せば当然却下されます。許諾が得られなければ問題作成は最初からやり直しです。膨大な労力です。ならば、問題文自体から作ればいいというかもしれませんが、それでは文学的に価値のある作品は使えません。子どもたちが教科書以外の名文に出会える機会を奪うことになります。

 それでも何らかの効果があるならいいですが、さほど効果があるものではありませんでした。私は、その委員会に出席する前に、他の課の課長から「夏の友」の復活について指摘されることをあらかじめ聞いていたので、過去の冊子の内容や当時の予算、その効果を調べてみました。すると、はっきりしたのです。「夏の友」は、十年間ほど継続して作成・配布していましたが、その十年間の全国学力学習状況調査を調べてみると、最初の数年は平均解答率がなんとか横ばい状態でしたが、最後の方では明らかに下がっているのです。 

 しかも皮肉なことに、実施をやめた次の年に大きく向上していたのです。おそらく「夏の友」と学力(あくまでも全国学力学習状況調査上の数値ですが)は、ほとんど関係がないことが容易に想像できました。しかも学校現場の先生方に聞いてみると「あんなもの、ちょっとできる子なら一日あれば充分終わらせることができる」というのです。実施に要する予算は一回の実施で300万円以上。たった一日のために、しかも何も効果も確認されていないのにもかかわらず、それだけの予算を毎年計上していたのです。そんな状況をしっかり検証もせず、財政の責任者は市長の前で堂々と「汗をかけ」という精神論をぶつけてきたのです。その委員会で、「なぜ実施しないのか」と聞かれたら、実施していたときの「負の成果」について主張しようと資料は準備していました。しかし、私に反論する時間は用意されませんでした。

 当時すでに、ほぼ同額の予算でインターネットを活用し何度でも繰り返し使えるドリルが作成でできるソフトもあり、近隣の教育委員会ではすでに導入していました。私は、予算案を出すときにそのソフトの導入を請求しましたが、却下されました。「また、楽をしようとしている。何度言ったらわかるんだ」というのがその理由でした。

 どうすれば子どもたちの学力が向上するのか、「子どもを真ん中に置いて」考えれば、労力ばかり多くて大した効果がないものを無理して実施するより、簡単にできて、しかも効果が上がるものを導入するのは当然のことです。しかし、時間をかけて苦労しないものは教育とはいえないとする古い価値観が、せっかくの好機を逃すことになったのです。犠牲となったのは他ならぬ子どもたちです。 

先にも書きましたが、何でもかんでも楽をすればいいとは思いません。先生が手を抜いている姿を子どもたちが見れば、先生への信頼も失うでしょう。でも、楽をすることと手を抜くこととはまったく違います。「夏の友」の編集担当になった学校現場の先生方は、多くの時間を作成のために奪われてしまいました。もし、何度でも繰り返し使えて、理解度によって簡単にその子に合ったプリントが手に入るソフトを使っていれば、編集に携わった先生方はその分、子ども一人一人に細やかに寄り添う時間が確保できたはずです。

 ちなみに、数年後私が課長をやめた次の年、例のソフト導入が決まりました。何年かかけて市内全小中学校で使えるようになりました。なんてこった・・・     (作品No-85RB)

「自分らしさ」の伝え方

今回は前回予告した通り、「自分らしさ」や「個性」についての生徒への伝え方について書こうと思います。以下は、私が実際に生徒(中学生)に話した内容(一部改)です。

 桜の木。学校にもたくさんあります。桜は、毎年毎年同じ時期に同じような花を咲かせます。そこに全く迷いはありません。迷っている桜を見たことないですよね。今年はちょっと嗜好を変えてバラの花にしようか、梅にしようかなんて考えない。なぜだと思いますか。それは、桜は桜の花を咲かせることが、自分にとって一番美しいということを知っているからなんです。少なくとも私はそう思っています。

 なんか現実離れした話に聞こえるでしょうが、これを言っているのは実は私だけではないんです。北原白秋って知ってますか?教科書にも載っている詩人です。「あめふり」(雨雨ふれふれ母さんが)など多くの童謡や子守歌を作った人です。その人がこう言っています。

「バラの木にバラの花咲く、何事の不思議なけれど」って。

バラの木にバラの花が咲くのは、何の不思議もないんです。でも白秋は最後に「けれど」と言っています。不思議ではないけれどって。不思議じゃないし、当たり前「だけれど」桜はすごい、うらやましい、白秋はそう感じたんです。なぜなら、人間はいつも迷い続ける存在だからです。白秋も私も、そして皆さんも同じです。人間は、何かを決めようとすると必ず迷うんです。だから、桜がうらやましくてしょうがないんです。でも、逆に言うと迷うことは人間である証でもあるんです。

皆さんも、3年生になれば受検があります。そして、自分の進路を考えないといけない。迷いますし、悩みもします。就職するにしても同じです。でも、結局は一つを選ばなければいけない。一つを選ぶということは、逆に言うとそれ以外を捨てるということです。だから悩むし、迷う。でも、それこそが人間である証なんです。友達との関係で悩む、自分に自信が無いと悩む。それでいいんです。悩んでこその人間ですから。人間は、桜やバラのように生きている間に何をするかは決まっていません。そして、生きている間にすることは一人ひとり全部違うんです。自分が何をするか。それが、世間でいう個性とか、自分らしさということです。

 世の中は「自分らしく生きよう」とか夢を持って生きようというメッセージに溢れています。こんな風にすれば自分らしく生きられますよっていうメッセージがたくさん流れています。でも、自分らしさってなんだということについては、誰もはっきり教えてくれない。どうします?中には「自分探しの旅」とか言って、外国に一人旅に出る人もいます。それを悪いとは思いません。いろんな経験をして自分の視野を広げるのはいいと思います。でもね、本当の自分らしさは、そんな遠くに行かなくてもいいんです。すぐ身近にあるんです。今、隣に座っている人、家族、友達、先生、そういうすぐ近くにいる人とたくさん話をして、一緒に何かをすることで、初めて自分ってどういう人間なのかがわかるんです。言い換えれば、自分らしさというのは、自分の外にあるんです。意外に思うかもしれませんが、自分の中にあると思ってしまうと、見つからないんです。

 最近の若い人は、とても悩みが多くなっていると言われています。いろんな国際的な調査ででも昔に比べて自分に自信が無い人が増えているんだそうです。なぜだと思います?それは、自分の個性が生まれつき自分の中にあって、それを見つけなきゃいけないと思っているからです。本当はそうじゃないんです。もしそうだとしたら、どんなに頑張っても、なりたい自分になれないかもしれないでしょ。そう思うから自分に自信が持てなくなるんです。

 そうじゃなくて、本当の自分らしさというのは、自分の外にあるものを、取り入れながら身近な人と一緒に「創っていく」ものなんです。自分の周りにいろんな人がいて、そういう人たちと一緒に考えたり、一緒に悩んだり、いろんなことをいろんな人と一緒にすることで、少しずつ創られるものなんです。自分らしさというのは、もともと自分の中にあるものじゃないんです。だから、自分の中にいくらさがしてもないんです。ないものを「あるはずだ」と思って自分の中に探そうとしても見つからない。そして、やっぱり自分はダメだと思ってどんどん自信がなくなってしまうんです。

 最近嫌な言葉が流行っています。「親ガチャ」っていう言葉。ガチャってわかりますよね。100円か200円入れてレバーを回すとガチャっと音がして、中からカプセルに入ったおもちゃなんかがでてくる、あれです。中身は選べない。あれと同じで親は選べない。だから、どんな親の元に生まれてくるかで、人生の大半が決まってしまうという考え方、それが「親ガチャ」です。でも、そんな馬鹿なことはない。

 確かに私も皆さんも親から遺伝子をもらっています。でも、生まれた瞬間にゴールが決まっている人なんていないんです。私たちは、桜の木やバラの木とは違うんです。私が言いたいのは、今の自分が自分のすべてではないということです。よく覚えておいてほしいのは、どんなに自分に自信がなくなっても、それはあくまでも今の時点の話です。自分という人間は、過去と現在と、そして未来を含めての自分なんです。

 皆さんは、これからまだまだ多くの人と出会います。まだ、会うはずの人がたくさんいるんです。高校に行けば、他の中学校から来た新しい友達に出会う、大学に行けば他の都道府県から来た人に出会えるかもしれない。就職すれば、知らない大人たちとたくさん出会う。そういう出会いを含めての自分なんです。 

前に赤ん坊の話をしました。赤ん坊は生まれたとき握った手の中に自分の夢をどこかに飛ばしてしまうという話です。でも、実はね、ほんの少しかけらが残っているんです。体の中に。それが親からもらった遺伝子なんです。そこには人間が人間であるために最低限必要なものが入っています。そのかけらにいろんなものを付け足していって、自分というのは出来上がっていくんです。皆さんが物心つくまでは皆さんの親や家族が付け足してくれました。それをもとにしてこれからは自分で継ぎ足していくんです。

皆さんも、誰かの言葉を聞いて、なるほどと思うことがあると思います。この人は素晴らしいと感じることがあるでしょう。そういうものを今の自分に継ぎ足していってください。それを一番たくさん与えてくれる人は、今隣にいる人、皆さんが読む本、今一緒に生活している人、そして、一緒に歩んでくれる先生です。

 しつこいようですが、個性や自分らしさが自分の中にもともとあって、変わらないものだなんて絶対に思わないでください。自分らしさは遺伝子だけでは絶対に創れないんです。嫌なことがあっても、思い切り悩んだときも、迷ったときも、今の自分だけ見ていたらだめなんです。もしかしたら明日運命を変えるような人と出会うかもしれない。そういう本と出会うかもしれない。だから皆さんの可能性は無限だって言われるんです。

 赤ん坊の時に手放してしまった(と言われる)自分の夢。それに出会えるのは10年後か20年後、あるいはもっと先かもしれません。ときには「これだ」と思ったものが勘違いだったということもあるでしょう。でも、それならそれで、そこからまた積み上げていけばいいんです。みなさんがこれから、どんなことに悩み、迷い、そしてどんな人に出会って何を継ぎ足していくか、心から楽しみにしています。最後まで聞いてくれてありがとう。以上で私の話を終わります。

 これは、卒業式が終わった3月の終わりごろ進級を目前にした1年生と2年生の学年集会でそれぞれ同じ内容で話をしたものです。生徒たちはとても真剣に聞いてくれました。この話をするにあたって参考となった主な書籍を以下にお示ししておきます。個性や自分らしさを見つけられない(創れない)子どもについては、また別の機会にも書きたいと思っています。(作品No-98B)

・『「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える』土井隆義著、岩波ブックレッ  ト、2004年9月7日

・『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』土井隆義著、ちくま新書、2016年1月5日(第17版)

・『ドリームハラスメント』高部大門著、イースト新書、2020年2月11日

「平凡」であることを恐れない

確かなデータがあるわけではありませんが、最近「荒れている中学校」が少なくなったと思います。私が長く勤めた中学校も私が初任として勤務した30年前には、二階や三階から机や椅子が飛んでくるような状態でした。そのため、校舎のそばを歩くのは危険だと先輩の先生に助言されるほどでした。今ではその頃の雰囲気は全くなく、授業中はどのクラスも集中し服装違反もほとんどありません。実に落ち着いた学校になりました。そういう意味では教師はやりやすくなったと思います。荒れているときは、やんちゃ系の生徒ほど学校が大好きで、ほとんど休むことがありませんでした。また、おとなしい生徒もそういうやんちゃ系の生徒が好き勝手している中でも休むことなく登校していました。

ところが、近年不登校生徒が格段に増えました。30年前なら学校で一人不登校(当時は登校拒否といってました)の生徒がいると、職員室でも大きな話題となりました。今やクラスに数人いてもおかしくない状態です。

私は一概に不登校が「悪」だとは思っていません。ましてや、不登校の生徒を「弱い」とも思いません。問題なのは、多くの不登校状態の生徒が「苦しんでいる」という実態です。仮に学校に通えていなくても自分で何かやりたいと思うことがあって、家でもある程度安定した生活が送れているのなら一つの選択肢としても「あり」だとさえ思っています。

でも、ほとんどの不登校生徒は苦しい思いをしています。みんなが普通にできることができないと感じて自分を情けないと思っていたり、自分に価値がないと思い込んでしまっていたりすることが大きな問題です。

また、教員の中には「なんでこんな些細なことで・・・」という人が結構います。ちょっとからかわれただけでも予想以上に落ち込んでしまうのは昔に比べて生徒が「ひ弱」になったという人もいます。しかし、この「些細なこと」とは、あくまでも教師や大人にとって「些細」であるだけで、生徒本人にとっては自分の生存価値に関わるくらい重大なことなのです。そのことを周囲の大人が十分に理解できていないところに大きな問題があると思います。

世の中は、「自分らしく生きよう」とか「個性を大事にしよう」というメッセージをたくさん送り続けています。報道される内容や授業(道徳など)で生徒に伝えられるのは、ほとんど成功例ばかりです。大リーグで活躍している選手やオリンピックでメダルを獲った選手など、ある種ヒーロー、ヒロインばかりが注目されます。でも、実際には、世の中のほとんどの人が平凡な人なのです。目標を持って最大限の努力をすることは確かに尊いことですし、そういう人の生きざまに触れることで自分の生き方を律することも大切です。でも、だからと言って、そういうヒーローやヒロインと同じ生き方をする必要はありません。ましてや、同様の結果を残さなければ価値がないなどと誰も言うことはできません。斎藤茂太さんの言葉に「努力してこそ凡人になれる」というのがあります。特別な結果を残さなくても十分に価値のある人生を送ることもできるんだというメッセージを大人たち(特に教師は)はもう少し子どもたちに送ってもいいのではないかと思うのです。平凡であることを恐れない、特別になる必要はないというメッセージも必要なんだと思います。

次回は、個性を生徒にどう伝えればいいのかについて書きたいと思います。(作品No-96B)

「教師という看板」

学校の外から学校を論じる人は、往々にして「教師が生徒との信頼関係を築いていれば、こんな起きなかったはずだ」という言い方をします。マスコミなどはその最たるものかもしれません。けれども、いつでもそんなことができる訳ではありません。例えば、4月に入学したばかりの生徒と初めて出会ったとき、信頼関係などあるはずがありません。それでも私たちは、決められたカリキュラムに沿って教育活動を展開しなければなりません。教育にとって信頼は最も大切なことではあるものの、生徒が教師の指示に従っているのは、それだけが理由ではなく、「教師という看板」が一定の威力を発揮しているからだと思います。看板にはこう書いてあります。「学校の先生の言うことは素直に聞くものです」。これは、社会全体の暗黙のルールのようなもので、大多数の生徒がこの看板に書いてあることを受け入れています。世の中はそういうものだと。私たちは、この暗黙のルールである「看板」を持たせてもらっています(最近この看板の文字が見えにくくなっている感もありますが)。そうでなければ、自分の力量だけでクラスをまとめているんだという錯覚や過信が生まれます。

新学期が始まって最初の3日間を「黄金の3日間」というそうです。この期間は子どもたちが先生の話を実に静かに集中して聴くと言われています。新しいクラスになって互いに牽制し合っていることもあるでしょう。どんな先生なのかを観察しているからかもしれません。でも、生徒が前を向いて座っているという、その事実を最初に成立させているのは「教師の看板」なのです。相手が「先生」だからこそ、生徒は話を聞こうとするのです。

恥ずかしい話ですが、私は初任のとき1年生のクラスを担任して完全に学級を崩壊させました。迎えた2年目。再度1年生を持つことになりました。その学級開きの日、私は感激のあまり泣きそうになりました。全ての生徒が椅子に座って前を向いるのです。それだけでなく、真剣に私の話を聞こうとしているのです。

それを見て思いました。この状態は何と有り難いことなんだ、と。そして、前年のクラスも最初はこんな感じだったはずだと。でも、前年私の頭にあったのは「新任だからといって生徒になめられてはいけない」という思いばかりでした。もしあのとき、この有り難さが少しでもわかっていれば、まずは、まっすぐに私を見ている子どもたちを褒め、いつまでも今の気持ちを忘れないようにしてほしいという話ができたのではないかと思うのです。(作品No-26H)

ブログを始めた理由 ー「入院」で気づいた「寄り添う」ことの大切さー

昨年(令和3年)の3月29日、公立中学校の校長であった私は、突然の胸痛に襲われ校長室で倒れました。意識はあったものの、その苦しさと不安のためにその場にうずくまってしまいました。校務分掌(学校内の人事)が佳境を迎えていた時期。朝の8時ごろのことです。「こんな大切なときに校長の私が職場を離れるわけにはいかない」。そう思って、駆けつけてくれた救急隊員の方に、ひたすら「大丈夫です。もう収まりました」と何度も繰り返しました。しかし、本当のところは突然起きた自らの体の異変に恐れ、震えていました。もしかしたらこのまま・・・とまで思いました。春休み中ではありましたが、部活動のために登校している生徒も少なからずいました。私を乗せたストレッチャーは、そうした生徒たちのいる下足場の真横を通って救急車に向かいました。その間、かすかに生徒の驚きの声がいくつか耳に届きました。「ああ、これでもう学校には戻れないだろう」という思いがぼんやりと浮かんでいました。

 搬送された病院でカテーテル検査を受け、心臓につながる大切な三本の血管がどれも半分くらいに狭くなっている(血管狭窄)と医師に告げられました。ただ、医師の診断は「すぐに手術や治療が必要な状態ではない」とのことでした。私はその言葉を聞いて、逆に全身から力が抜けていくのを感じ、自分の体が思うように動かせなくなりました。私は、極度のストレスによって疲れ果てていたのです。私は、絞り出すような声で同席してくれていた娘を診察室から出るように言い、医師に苦しさを訴えました。医師は一向に医師の顔を見ようとしない私の様子にただならぬものを感じ、すべてを察してくれました。そして「よく話してくれましたね。その一歩がなかなか踏み出せない人が多いんですよ」と受け入れてくれ、院内常駐のカウンセラーを紹介してくれました。

 院内の相談室に移動する際、私はカウンセラーにつかまっていないとまともに歩けない状態でした。カウンセラーの人は、40代くらいの女性で、非常に柔らかく包み込むように私から話を聞き出してくれました。苦しそうに話す私のペースに終始合わせてくれました。途中で言葉にするのがつらくなったときも、何も言わず、黙って次の言葉を待ってくれました。途中で口をはさむことは一切ありませんでした。「寄り添う」というのはこういうことなんだと、しみじみ思ました。そして、ようやく家族以外に自分の話を客観的に聞いてくれる人に出会えたと感じました。私は、自分の情けなさや、職場に自分なんていない方がいいんじゃないかという思い、先ほどのカテーテル検査の結果に異常が出たほうが気が楽だったこと、現実の世界に実感がもてないことがあること、数ヶ月前から午前中は気分が重くて仕事にならなかったことなどを、少しずつ話すことができました。

 カウンセラーの女性は、私が「こんな状態の私なんかいない方が学校はうまくいく」という意味で「私は学校にいないほうがいい」と言ったのを「この人は自殺するかもしれない」と感じたのだと思います。驚くべき速さで次の病院につないでくれました。最初に搬送された病院には1日だけの入院となり、翌朝10時には退院、11時には次の病院の予約がとられていました。

 次の病院は「精神科」でした。心療内科ではなく本格的な精神科の病院です。予想はしていたとはいえ、やはり自分の状態はそこまで悪いんだと自覚せざるを得ませんでした。病院に向かう車中、運転する家内に入院も辞さないことを告げました。とにかく、まったく気力がわいてこず、このまま学校に戻っても何の役にも立たないのは明らかだと思ったからです。残っていた校務分掌の決定が困難を極めているだろうということ、年度当初の始業式や入学式が校長不在となること、また、それらのことで職員や保護者からどんな反応があるのだろうという不安が頭をよぎりましたが、それでも「もう無理だ」と思いました。そして、その瞬間、退職を決意しました。

 入院にあたって、スマホやたばこ、ライターを病院に預けるように言われ、他にカッターナイフやはさみなどを持っていないかを確認された後、自分の病室に案内されました。
入院にあたって、スマホやたばこ、ライターを病院に預けるように言われ、他にカッターナイフやはさみなどを持っていないかを確認された後、自分の病室に案内されました。

 病室のあるフロアは鉄の扉で常時施錠されていました。中に入ると案内してくれた看護師の方がすぐにその扉に鍵をかけました。そのときの「ガチャ」という音が今も耳に残っています。私は、その音によってはじめて自分の現実を知らされたような気がしました。「ああ、ここまできたのか」と。いや、もっと正直に言えば「ここまで落ちたか」と感じたのです。私は教職に就いてから30年以上、目の前の生徒に対して偏見と差別の愚かさを説いてきたはずなのに、実のところはその自分自身がこの病気に対して明らかに偏見を持っていたのです。だからこそ、そのときの自分の状態を「情けない」と感じ「落ちぶれた」と思ってしまったのです。

 その後一か月の入院を経て、2か月間自宅で療養し、学校現場に復帰しました。先にも書いたように、入院を決めた時点で「辞めよう」と思い、市の教育委員会にもその旨を伝えていました。私が辞めない限り次の校長は決められません。正式に辞めれば、年度途中であっても市か県のいずれかから指導主事などが校長に赴任することもできる、そう考えました。しかし、県教委に勤務していたときに、県内のある学校で教頭が急逝し突然課内の筆頭(課長の次席で課内の事務や調整をするリーダー)が引き抜かれ、課のメンバーがどれほど混乱したかを思い出しました。そう考えると、やはり年度途中での退職はあまりに無責任すぎると思い直し、市教委の温かい支援や励ましもあって、とにかく年度末までは続けようと思い直しました。

 全国にどれほどの中学校があるのかよく知りませんが、数多ある中学校の中でこの病気(適応障害)で精神病棟に入院した校長はほとんどいないと思います。ある意味で最悪の校長なのかもしれません。でも、この経験によって私は「寄り添う」ことの大切さを身に染みて感じました。先述のカウンセラーの方はもとより、療養中は家族がとにかく温かく寄り添ってくれました。市教委も同じです。

 そして、自分にしかできない何かがあるはずだと考えた末、始めたのが教職員向けの「校長コラム」でした。生徒に寄り添うとはどういうことなのか、今までのやり方や生徒への接し方は本当に変えなくていいのか、もっと広い視野をもつべきではないかというようなことを、できるだけ柔らかい表現で示そうと考えたのです。

生徒を真に「見ようとする」意識と「変わる」勇気

 学校には、学校独特の文化や価値観があります。それは一貫性のある教育を進める上では、ある程度必要なことです。けれども、今まで疑問に思うことなく(あるいは、それが生徒のためになると信じて)やってきたことのすべてが、今、目の前にいる生徒にとって有益だとは限りません。例えば、今までよく言われてきた、「押さえを利かす」指導では、生徒は心を開いてくれなくなっています。

 価値観の多様化は加速度を増し、変化の激しい社会の中にあっては、何が正しくて何が間違っているのかを見極めることさえ難しい時代になってきました。私たちは、今、目の前の生徒に何が起こっているのか、何に悩んでいるのか、そして、学校にどんな意味づけをしているのか、それら一つ一つにしっかりと目を向け一人一人に寄り添う姿勢がなければ、いずれ私たちは生徒から見放されてしまうときがくるのではないかと思うのです。とても都会とは言い難い私の勤務していた地域ですら、私立中学への進学を選択する児童が増え続けています。寄り添う「指導」は、今始めないと間に合わないかもしれません。それには今までの何倍もの時間がかかるでしょう。それでも子どもたちの見ている現実は、日々変化しています。その変化に遅れをとらないためにも、これまでの「指導」に固執することなく、子どもに徹底的に寄り添うことが必要です。近年盛んに言われている「働き方改革」は、その時間を確保するためにこそ必要なのです。私がかのカウンセラーにしてもらったように、生徒の話を、生徒のペースでゆっくりと聞く時間を確保することが急務です。

 そして、それ以上に重要なのは、現実をありのままに見ようとする意識だと思います。人は関心のないものに対しては、すぐ目の前にあっても気づかないものです。子どもをありのままに見ようとする意識、それこそが「子どもを真ん中に置く」ということだと私は思います。教師が変わる勇気を持たなければ、子どもはどんどん私たちから離れていくでしょう。 

 最近の子どもたちは「ひ弱」になったという人がいます。「些細なことで傷つき親に助けを求める。ちょっと強く叱ると学校に行きたくないと言い出す」と。その真偽を客観的に証明することはできません。でも、それが仮に本当だとしても、私たちは子どもたちを「ひ弱」だと決めつけておしまいにすることはできません。昔の子はたくましかったと何万回嘆いたところで何の意味もないのです。真面目な先生ほど自らが受けてきた教育のあり方に基づいて、あるいは先輩諸氏の武勇伝に魅力を感じ、「教育の真実は一つだ」として自らが正しいと思う方向に子どもたちを引き上げようとします。それがすべて悪いとは思いません。信念を持って子どもに対することも必要でしょう。でも本当に大切なのは、目の前の子どもが「ひ弱」に見えたとき、なぜそう見えるのかを考えることだと思います。その答えは教師の側にはありません。子どもたちに寄り添って子どもたちに教えてもらうしかないのです。子どもたちは、寄り添ってくれない教師からは距離をとるようになります。そうなればなるほど、目の前の子どもたちの「現実」(見ているものとそこに込められた意味付け)は見えなくなり、教師の目に映る子どもたちと子どもたちが見ている現実とのギャップは大きくなります。そのギャップが真面目な教師をしらずしらずのうちに苦しめ始めています。過去の歴史を振り返ればわかるように、教育の真実は時代によって振り子のように揺れ続けるものです。「変化を続けるからこそ変わらないでいられる」(ニール・ヤング)という言葉どおり、「変わり続けることが唯一の真実だ」と考え、ありのままの子どもたちの姿から学ぼうという姿勢が必要なのだと思います。

 わかったような偉そうな書き方になってしまいました。また、最初ということで肩に力が入りすぎた文章になってしまいました。次からは、もう少し短めにやんわりと書いていきたいと思います。そして、周囲から認められず悶々とした日々を重ねている子どもたちに、変化の激しい学校の中にあって奮闘する先生方に、少しでも何かが伝わればと願って、このブログを始めました。                             (作品No-95B)

はじめに

これからの教師の視点や意識はどうあるべきか。ストレスのため3か月療養した元中学校長が最後にたどり着いたごく当たり前の答え、それが「こどまん」(子どもを真ん中に置いて寄り添う)。中学校教諭、県研修所指導主事、公立フリースクール指導員、市教委学校教育課長、小中学校管理職(うち校長5年)などを歴任。復帰後、自校の職員に向けて発行したコラムや研修資料など、変わりゆく学校の中にあって奮闘する先生方に贈る柔らかいメッセージです。