不易と流行

名探偵のコナン君の決め言葉は「真実はいつもひとつ」。劇場版ではオープニングの最後にコナン君が登場し、この台詞を言うのが恒例。かっこいい言葉です。でも、ひねくれた性格の私は、この台詞を聞くたびに思うのです。本当に真実は一つなのかと。

 例えば、世界にはさまざまな宗教が存在します。日本では、八百万の神という言い方があり神はいたるところにいますが、神は唯一で絶対だとする宗教も多々あります。そうした宗教や国にとっては神の言葉は絶対的な真実(真理)です。その言葉を拠り所にして、自分たちの考え方が正しいかどうかを判断したり、行動に移したりしているわけです。信心の程度には個人差があるにせよ、迷ったときや切羽詰まったときには頼もしい存在となるでしょう。でも、考えてみればおかしな話です。本来なら唯一絶対の神は一人(?)であるはずです。複数いた時点ですでに「唯一絶対」ではないわけです。そうすると、唯一絶対の神を信じれば信じるほど、他の神を否定せざるを得ないことになります。時にはそれがテロや戦争という大惨事につながってしまう危険性をも孕んでいるのです。

 こうした「特定の問題や現実の事象をただ一つの原理で説明しようとする考え方(精選版 日本国語大辞典デジタル)」を「一元論」と言うそうです。一元論的なものの考え方は、正しいとする内容が明確でわかりやすい半面、他を受け入れない怖さもあるのです。

 今回テーマは「不易と流行」。教育の世界では手垢がつくほどよく使われる言葉です。一般的に「不易」はどんなに時代が変わっても不変なもので「真実」に近い意味で使われます。それに対して「流行」は、そのときどきの流行りであり、いつか廃れるものというイメージがあります。これまで教育の世界ではどちらかというと不易の方が重要視され、流行は軽んじられる傾向にありました。どんなに世の中が変わっても変わらないものがある、それを伝えるのが教育の神髄だと。でも、それももしかしたら「一元論的」なのかもしれません。

 もともと不易と流行という言葉は、松尾芭蕉の俳諧論書である『去来抄』で使われたのが最初だと言われています。その一節には、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。解釈にはいろいろあるようですが、「不易と流行を同じ位置に置くからこそ、確かな基盤に基づいた新しい芸術が生まれる」という意味です。私なりの解釈をするなら新しいものを取り入れなければ不易は不易であり得ないということです。

 カナダのシンガーソングライター、ニール・ヤング(Neil Young)の言葉に「変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた」というのがあります。歌手の松任谷由実さんもよく使う言葉だそうです。進化という真実は、人が変わり続けたからこそ得られたのです。

 ちなみにコナン君の名誉のために申し上げておきますと、彼の言う「真実」は「客観的事実」という意味ではないかと思います。真犯人は誰で、どんなトリックを使ったかという「事実」は変えられない。その変わらない事実に至るために、おそらくコナン君は、事件のないときも常に新しい情報を収集し、不断に観察力や洞察力を進化させ続けているのだと思います。突き止めた「事実」を「解決しない事件はない」という真実につなげるために。

(作品No.15HAB)

きょろきょろする

今回は、県の教育委員会にいたときに上司や先輩から教えてもらったことの中から、学校現場でも役に立ちそうなものをいくつか紹介します。

1 最初はいつもきょろきょろしていなさい

 仕事に慣れていないうちは、絶えず周囲を見なさいという意味です。他の人が何をしているのかを視野に入れていないと、自分の課(学校なら学年など)の重要な課題を見落としてしまいます。慣れないうちはどうしても自分の仕事のことばかり気になります。でも組織の一員として力を出すためには、慣れていないときほど周りをきょろきょろと見て情報を集める努力が必要だということです。

 上司が自分以外の課員に話をしているときも耳だけは、その話に傾けておくようにも言われました。そのときは関係なくてもどこかで役に立つこともあります。ときどき、その上司が話の途中で突然「あなたはどう思う?」と意見を求めてくることがあります。そのときに「聞いていませんでした」ではだめだと言われました。所謂「アンテナを高くせよ」という意味です。それは、広く情報を集める効果を上げるだけでなく、自分の仕事に必要以上に「根を詰めない」方策でもあるのです。

2 仕事は7割で上に回せ(皿回しの理論)

 指導主事は一人でいくつもの仕事を任されます。多いときは大小合わせて10件くらいの仕事を抱えることもあります。そんなときに、一つ終わってから次の仕事へ移ろうなんて考えていると最後の方に回した仕事が進まず、気がつけば締切が過ぎていたということもあります。複数の仕事を抱えているときは、「皿回し」の要領で、どの皿(仕事)も少しずつ回していくのが効果的です。そうしておけば、どの仕事もある程度進んだ状態になり、大きなミスを防ぐことができます。また、違う仕事をすることで気分転換になり、効率があがることもよくあります。

一つの仕事に完璧を求めすぎると、行き詰まりやすくなります。例えば、研究授業のための指導案の出来具合は、7割くらいで止め、学年部の検討会に出せばいいのです。その方が、多くの意見を吸収しやすくなります。そして、結果的にその方が指導案作りの時間が少なくて済み、しかも良い授業ができます。特に、苦手な仕事ほど早い段階で先輩に相談したり、会議に提案した方が効率的でミスも減ります。

3 上の人に相談するときは、自分の案を3つ考えてから行く。

 これはかなり難しい。学校で言いえば10年くらいの経験があって初めてできることだと思います。「3つ」の内訳は以下の通り。一つは自分の一押しの案。二つ目が、一押しの案が通らなかったときの妥協案(ここまでは譲れるという腹案をもっておく)。三つ目は絶対にやりたくない(してはならないと思う)案。自分の一押しの案を実現しやすくするために、根拠となる資料を用意しておくとさらに効果があります。校長の性格や反応の予測ができるとさらにいいでしょう。なかには、敢えて不十分な案を持っていき、上司にそれを指摘させることで上司が気分よく自分の案を受け容れてくれるように事を運ぶ持っていく強者もいました(学校現場ではあまりお勧めできませんが)。

4 まず、ゴールを決め、そこから逆算して今日までのラフスケッチを描く。

 まず、その仕事をいつまでに仕上げないといけないのかというゴールを決めます。そして、仕上げるために必要なことをランダムに書き出します。その後、時系列にやることを並べます(私はよくエクセルを使って並び替えていました)。大雑把なもの(ラフスケッチ)で十分です。すると、それぞれにどのくらい時間がかけられるかが見えてきて、最初の取りかかりをいつにすべきかが見えてきます。逆にまず何をやろうかとスタートから考え始めると、自分でも進捗状況と締め切りのバランスが見えなくなって焦り、慌てた結果、大きなミスにつながることもあります。

(作品No.38HB)

心が不安定な子どもたち

 このコラムは以前書いた「高原の風景」の続編としてお読みください。

最近、「荒れた」学校が少なくなったと感じます。「高原の風景」にも書きましたが私が本校の教諭だったころは、服装違反はもちろん、あちこちで喧嘩していたし、窓ガラスの割れ方もひどいものでした。消火器を廊下に放出する者もいたし、ひどいときには中庭をバイクで走るという暴挙に出る「元気者」もいました。

そう考えると、今の生徒は実に素直でまじめです。授業中に抜け出す生徒もずいぶん減りました。同じような傾向は近隣の中学校でもみられるようですが、私が最後に勤務した中学校ではかつては結構な荒れ方をしていましたが、今は授業中の集中度はどこの学校にも負けないくらいになりました。反面、不登校や精神的に不安定になりやすい生徒が増えていると感じます。これも近隣の中学校に共通した傾向です。

 なぜ、「元気者」的な生徒が減り、心が不安定な生徒が増えたのでしょう。簡単に答えが出せる問題ではないですが、そこには「自己肯定感」が大きく影響しているように思います。社会学が専門の土井隆義氏は、次のように指摘しています。

「直感に根拠づけられた純粋な自分は、一貫性を保ち続けることが難しくなる。その時々の気分に応じて、自分の根拠も揺れ動くからである。だから彼らは、その不安定さを少しでも解消し、不確かで脆弱な自己の基盤を補強するために、身近な人びとからの絶えざる承認を必要とするようになる」

 簡単に言うと、かつては社会全体にある程度あった「これが正しい」という価値が薄まったために、自分の行動の根拠を自分の中に求めなければならなくなりました。でもその根拠は自分だけがそう思っているだけかもしれないので、非常に不安定で脆弱なものにならざるを得ません。だから絶えず「あなたは正しい」「あなたはよくやっている」と身近な誰かに言ってもらわないと不安でしょうがない、ということです。そうした承認を得るためには、周囲からできるだけ浮かないように絶えず空気を読み続けなければいけません。浮いてしまうと友だちからの承認が得られなくなり、さらに自信を失うことになります。土井氏の分析によれば、最も身近にいる友だちから承認を得られなかったり、教師から些細なことで注意されたりしただけで、まるで全人格を否定されたように感じる子が増えているのは、社会規範などの拠り所を失って子どもたち(若者)の自己肯定感が低下したからだとしています。

 逆に、校内暴力を続けていた生徒は、尾崎豊さんの「15の夜」の歌詞を借りるまでもなく教師を社会の体現者としてとらえ、社会への反発として行動していたとも考えられます。社会に確固たる価値観があるからこそ反発も可能となります。いわば、彼らの反発は彼らなりの正論と自信の証だったということもできます。

 かといって、価値観の多様化をいまさらもとに戻すことはできません。それに、価値観が多様化することによって、多くの自由が与えられ、すべての子どもが平等に扱われるべきだという考え方も広がりました。固められた価値観に苦しんでいた子にとっては希望でもあるでしょう。価値観の多様化は、社会全体が自由と優しさを求めた結果だとも言えるのです。

 こう考えてくると、私たちは目の前の生徒たちに対してどのように関わればよいのかが少しだけ見えてくるような気がします。拠り所がなくて不安でしょうがない生徒が増えたのなら、時間はかかっても、何度も何度も承認のメッセージをタイミングよく送り続けるしかないと思います。私たちが送った言葉がたとえ一つでも子どもたちの「拠り所」となることを信じて。(作品No.14HB)

※尾崎豊(1965年-1992年〉:日本のシンガーソングライター。青山学院高等部中退。1983年高校在学中にデビュー。10代のころ「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、「10代の教祖」などと呼ばれた。シングルデビュー曲「十五の夜」に「校舎の裏 煙草ふかして 見つかれば 逃げ場もない」という歌詞がある。

電話っ子

自宅に初めて電話がやってきた日のことです。いわゆる「黒電話」。ある日、たまたま私一人で留守番をしていたとき突然電話のベルがなりました。予想以上に大きな音に口から心臓が出るかと思うくらいびっくりしました。恐る恐る受話器をとると、いきなり男の人の声が聞こえてきました。その男性は電話口の私にこう言いました。「〇〇さん(父の名前)はいらっしゃいますか」私は、首を振りました。何度か同じ質問をされた後、電話の男性は「お留守なんですか」と聞いてきたので、私は頷きました。それでも電話の声はまた「お留守ですか」と聞いてきます。ちゃんと答えたのに・・・と思いながら、私はさっきより大きく首を縦に振りました。電話の男性はついに諦めて「また、かけます」と言って電話を切ってしまいました。そこでようやく気づきました。電話では顔が見えないんだ、いくら大きく頷いても相手には伝わらないんだ、ということに。今では信じられない話ですが、そのくらい電話は当時の私にとって未知の世界のものでした。

今や、電話はスマホに代わり、親が赤ん坊をあやすかわりに動画を見せたりすることも珍しくありません。そうした環境が子どもにどんな影響を与えるのか私にはわかりません。様々な悪影響も懸念されているところです。

 でも、この前とても興味深い文章に出会いました。「心理学から考える「現代の」いじめ問題」というタイトルの小論です。その中に、今から40年以上前の1979年に読売新聞社婦人部に書かれた記事から次のような文が引用されていました。

「いまの子どもたちにとって、テレビと同様、電話も物心ついたときからのおなじみ。足にたよらず、電話にたよる行動形態が身についた“電話っ子”なのだ」1)

 筆者は「この文章の「電話」を「スマホ」に入れ替えると、そのまま現代の状況が書かれているかのようである」と述べています。「足にたよらず」という表現から、電話ばかりかけている子どもを否定的に評価している様子が伺えます。

 かつて、新入社員が「今日はデートですから」と言って残業を断ることが話題になりました。上の世代から、無責任だとかやる気がないとされました。でも、今では滅私奉公的な働き方に社会は否定的になり、自分の時間を大切にすることは人生を豊かにすると肯定的に捉えられるようになりました。終身雇用制が崩れ、懸命に会社のために尽くしてきた人がリストラの憂き目にあう時代を経て、社会全体の仕事に対するまなざしが変わってきたのです。

 そもそも「問題」というのは、それを「問題」と捉える人によって「問題」になるわけです。人は分かりにくいものに出会うと、それを「問題」と捉える傾向があります。「最近の若い奴は・・・」という物言いはその最たるものでしょう。若者が「わかりにくい」と感じられるとき、上の世代の人は自分たちの価値観を脅かされる不安を感じます。その不安から身を守るためには、「わからない」相手を否定するのが最も手っ取り早いわけです。

 私が校長だったとき「今年の新任は、当たり前のことさえもできない」「やる気があるのかどうかも怪しい」というベテラン教師からの苦情を何度も聞いてきました。そういうとき私は、何ができていないのかを具体的に確認し、新任の先生に指導してきました。でも、最後に必ずこう言うことにしていました。「これからの学校を背負っていくのはあなたのような若い世代です。おかしいと思ったことや疑問に思ったことがあれば必ず言ってください。経験を積んだ人の言うことがいつも正しいとは限りません。」

 世の中が変わり、価値観も多様化している中にあって、若い先生の感覚は宝です。膠着した学校の在り方を変えるには、今の社会から最も影響を受けている若い人の感覚を積極的に受け入れる姿勢が必要です。そういう新陳代謝を当たり前にしなければ、学校はいつか世間から孤立してしまいます。

 自分の足を使わないと危惧された「電話っ子」は、今50歳を越えています。その世代がいま「スマホっ子」を批判しているというのは、何とも滑稽な話です。(作品No.132RB)

1)小寺朋子「心理学から考える「現代の」いじめ問題」竹田敏彦監修・編(2020)『いじめはなぜなくならないのか』ナカニシヤ出版、p47

本屋でないとできないこと

私は本屋に行くのが好きです。理由は二つ。一つは、世の中が今何に注目しているのかを感じるため。専門書を中心に置いている書店ではなく、幅広いジャンルをそろえている本屋に行き、タイトルだけを眺めます。これだけで、結構世の中が今どっちに向かっているかがわかったりします。世の中の動きを感じることができます。

もう一つの理由は、自分の興味がどこにあるのかを確認するため。「この本がほしい」と思っているときはインターンネットで買いますが、本屋に足を運ぶときは、ほしい本があるときとは限ません。数多い本の背表紙(タイトル)を順に眺めているとなぜか目に留まる本に出会います。自分に必要なことを教えてくれたり、そのとき考えていることにヒントを与えてくれたりすることもあります。

インターネットではなかなかこうはいきません。自分の興味のあるものだけを検索をしていると、ご親切なことに「あなたにお勧めの本」などと勝手にコーナーができていたりします。そういうのを見ると天邪鬼の私は、逆に本屋に行きたくなります。私はそれだけじゃないという軽い反発もあるからかもしれません。

ネット販売は、検索して注文までほんの数分で完了することができます(しかも安かったりする)。そして、早ければ翌日には届く。こうなれば、本屋に行く必要はない。でも、そこにはあまり「偶然」は存在しません。偶然に出会った本が、自分の考え方や生き方に決定的な影響を与える「必然」に変わることはあまり期待できないと思います。

大学に入学したばかりのとき、帰省のため大学のある山梨から東京に出たとき、以前から興味のあった「八重洲ブックセンター」に立ち寄りました。「冷やかし」程度の気持ちでした。実際にそこにいた時間も30分足らず。この書店は8階建てのビルすべてが本で埋め尽くされています。開店初年度(1978年)の入店者数は約1000万人、売れた本は約500万冊であったと言われています。今でも在庫数120万冊を誇ります。それだけ膨大な数の本の中から、私は本当に「偶然」に一冊の本(写真集)に出会いました。その本によって私は教師になろうと決めました。まさに運命的な出会いです。それが『写真集・教育の再生をもとめて 学ぶこと変わること』(林竹二、1978年、初版、筑摩書房、湊川高校授業 カメラ:小野成志 秋山宏行 西川範之)。神戸湊川高校で大学教授の林氏が、定時制に通う生徒に対してソクラテスやプラトンなどの話を交えて「人間とは何か」という最も哲学的な授業を展開した様子が経時的に写真に収められていました。そこには最初まったく興味を示さなかった生徒が授業が進むにつれて表情が変わり、頬杖をついていた手を外し、最後は食い入るように前を向く姿が示されていたのです。私は、その場で動けなくなるくらいの大きな衝撃を受けました。授業というのはこんなにも人を変える力があるんだ、と。

当時の湊川高校の教員、西田秀秋氏は「もうアカンかなあ」と諦めていた生徒が、林先生の授業を契機に「まるごと人が変わる」事実を目の当たりにし、「人となるために如何にせねばならないか」を「学問で得たものを精緻に練りあげ、無駄の一切をはぶいて(心の琴線に)迫る授業」から授業の力を実感し、日々の授業の改善に挑んだと言います

このままだと書店はどんどん減っていくでしょう。ネット販売を利用していながら言うのもおかしな話ですが、どうか、本屋さんには、頑張ってほしいと願うばかりです。

※日本教育学会第79回大会 The 79th Annual Conference of Japanese Educational Research Associationラウンドテーブル「林竹二の求めた「教育の再生」―兵庫県立湊川高校での「自己の再造」―企画者:吉村 敏之(宮城教育大学)司会者:吉村 敏之(宮城教育大学)報告者:松本 匡平(ヴィアトール学園洛星中学校高等学校) 報告者:吉村 敏之(宮城教育大学)」2020.8.24~28 引用部分は、文意を損なわない程度に修正を加えた。

(作品No.25HB)

「ね」と「か」

コンビニで煙草を買う。レジの後ろにあるたばこには、番号が付されていて「〇番の煙草をください」と言うと、その番号のところから煙草をとってくれます。そこまでは、何の違和感もありません。ところが店員の中にはこういう人がいます。「これでよろしいですね」。語尾が「ね」なのです。この「ね」は、相手に確認を求める「ね」です。文法的に間違っているわけではありません。でも、何か違和感があります。どこか「上から目線」な感じがします。それは、本当に間違いないですよね、あなたがそう言ったんだから「ね」。

たいしたことではないとは思うから、文句も言わず「はい」と答えてその煙草をもらいますが、「これでよろしいですか」と語尾を「か」にしてもらうと気分は全く違うのにと思います。それは、同じ確認でも疑問の形で聞かれるだけで、こちらの意見を聞こうと言う姿勢が伝わってくるからです。この場合の「ね」は、答えを強要される圧迫感があります。たかだかひらがな一文字のことですが、相手が抱くイメージは大きく変わります。(店員の方は、「ね」を使うことで丁寧に話しているつもりなのだとは思いますが・・・)

この「ね」は、相手のミスや言い間違えを指摘したり、その間違いを攻撃したりするときにも使われます。「あなたは前にこう言いましたよね。あれはウソだったんですか」というときの「ね」。(ただし、「ね」は使い方によってとても温かい響きを持ちます。「よくがんばったね」の「ね」、「元気でね」の「ね」など)

かく言う私も教諭時代,、なかなか約束を守れない子どもを前にして、つい「何度言ったらわかるんだ」と怒気を込めて叱ってしまったことが何度もあります。そんなとき子どもは、こちらの怒りの前に完全に萎縮し、何も言えなくなって固まっていました。卒業して何年も経ってから「実はあのときちゃんとした理由があったんです」と、その子から聞かされたことも数知れず・・・。情けない話です。

他に相手に不快な感じを持たせてしまう例として。電話対応での「うん」があります。相手が親しい人ならいいですが、そうでなければかなり「ぞんざい」な言い方に聞こえます。まさに目線が「上から」です。以前、勤務していた学校で苦情の電話に対しても「うん」を使う人がいました。これは、冒頭の「ね」よりはるかに罪が重い。「はい」と相槌を打てば相手は何とも思わないのに「うん、うん」と言えば、相手は「何て偉そうな対応をするんだ」と逆上することになりかねません。こういう対応をする人に注意をしたら「癖ですから仕方ないです」と言われたことがありました。その時点でアウトです。自分の癖なら相手が不快に思おうと関係ないという、その姿勢が相手を怒らせるのです。「ね」も「うん」も程度こそ違え相手に対して「高圧的」であるという意味では同じです。

今、学校には子どもたちに「寄り添う」姿勢が求められています。社会の多様化が進み、これまで拠り所となっていた規範(当たり前と思われていたこと)が崩れていく中、多くの子どもたちが何を拠り所にすればいいのかわからなくて悩んでいます。彼らに残された唯一の拠り所は自分に寄り添ってくれる誰かです。

「超」がつくほど忙しくなった学校で、子どもたち一人ひとりに「寄り添う」のは簡単なことではありません。でも、語尾を一文字変えるくらいなら、ほんの一瞬です。こうした「一瞬」に込められた教師の思いは、子どもたちに「寄り添っているよ」というメッセージとして必ず伝わります。それが子どもたちの「安心感」につながり、ひいてはいじめなどの問題発生に歯止めをかける力にもなると思うのです。(作品No.12HB)

「折り合い」

野球界で「怪物」というと松坂大輔氏ですが、昔、私の住む近隣にもかなりの怪物がいました。

その「怪物」に出会ったのは20年以上前の県大会新人戦の3回戦。私はS中学校の顧問でした。1回戦で4番の出会い頭の本塁打で1-0で辛勝。2回戦は、それまでノーヒットの子がサヨナラヒット。勢いに乗って3回戦に臨みました。勝てばベスト8。地区大会から失点0で勝ち上がっていたので、ワンチャンスさえものにすれば、勝算は十分にあると思っていました。そこに「怪物」が現れたのです。その怪物の名はK。私は投球練習を見て「なんだこいつは」と思いました。普通、中学生の投げるボールは手から離れる瞬間に、どのくらいの高さにくるかくらいはベンチからみていても見当がつくつくものです。ところが、「これはワンバウンドになる」と思う球が、低めでグイっと伸びてストライクゾーンに入ってくるのです。「これは打てん」と思いました。何度かセーフティーバントを試みましたが、守備も抜群。絶妙のバントもあっさりアウト。そのうち、無失点だったエースが失策絡みで一挙4失点。最終回二者連続二塁打で何とか一点を返すのがやっとでした(よく打ってくれた)。

そのK選手、県内のH高校を経て、ある年高校生ドラフト1巡めの指名でプロに入団。2年後に初先発初完封を記録。その後故障に苦しみ、思うように勝ち星を重ねることができませんでしたが、11年もの長い間プロに在籍していたのはすごいことです。

K選手もそうですが、どんなにすごい素質を持っていても、あるいはイチローのようにストイックに努力を続けられる人でも、どこかで「折り合い」をつけなければならないときがきます。つまり、方向転換する(引退するなど)日が必ずくるのです。私たちは、子どもたちに夢を持てと言い、君たちには無限の可能性があるとも言います。それはウソでも間違いでもありません。でも、時にはこの「折り合い」についても触れてやるべきなんじゃないかと思うのです。プロを夢見る野球少年は全国で何万といるでしょうが、夢が叶うのはほんの一握りです。そのほとんどが、どこかで方向転換を余儀なくされます。でも、その方向転換を「折り合い」とするか「諦め」とするかでは大きく違います。「折り合い」は「意見の違いのある場合など、互いに譲り合っておだやかに解決すること」で「諦め」は「仕方がないと思い切ること」(ともに精選版日本国語大辞典Weblio辞書より重引)。「折り合い」は妥協という意味でも使われますが、それだけでなく、その後どう生きるかという葛藤やそこから生まれる今後の見通しを含んでいます。何よりもそこには自分にしかできない「納得」が含まれています。それが次への一歩につながるのです。

私は夢を持って頑張っている子どもたちに、いつか諦めるときがくるという話をしろと言っているわけではありません。でも、悩んだり迷ったりしている子に「折り合い」のつけ方を一緒に探そうと言うことはできると思います。「折り合い」には納得が含まれますが「諦め」にはすべてを否定しかねない怖さを感じます。

夢や目標を持てない、得意なこともない、そんな自分を弱いと感じ、自らを全人格的に否定してしまう。そのために自己肯定感が持てない若者が増えているといいます。おそらくそれは、ありのままの自分を受け容れられず、いつまでも自分の心に「折り合い」が付けられないために、次の一歩が出なくなっているからではないかと思うのです。

(作品No.20HB)

「高原の風景」-「世情」の解釈-

中島みゆきさんの「世情」という歌があります。その歌詞に「変わらない夢を流れに求めて」というのがあるんですが、私は長く「変わらない夢を流れにも止めて」だと思っていました。1978年リリースということですから、少なくとも私は高校生にはなっていたはずです。なんともお恥ずかしい話です。

 この曲は、当時大人気だった学園ドラマ「3年B組金八先生」(武田鉄矢さん主演)の中で加藤君という生徒を中心とした「反抗的」な生徒が数名教室に立てこもり、最後は警察によって強引に引きずり出されるという場面のBGMとして使われて話題になりました。
 担任役の武田鉄矢さんが、廊下でもみくちゃにされながら必死に警察の介入から生徒を「守ろう」とする場面と、この歌の歌詞一つ一つが見事にシンクロしていました。特に「シュプレヒコール・・・」のリフレインは、中島さんの一種「ドス」の効いた迫力ある歌声によって見ている者の胸をぐいぐいと押してきました。そして、日本中を大きな感動の渦に巻き込んだのです。
 
 今思うと、当時の教育はとても「牧歌的」でした。
 1970年代から1980年代といえば「校内暴力」が全国に広がっていた時期であり、学校の治安を守るために警察を介入する学校もありました。
 しかし、いわゆる「非行少年」の暴力や破壊行為は「犯罪」であるというより「わかってくれよ、先生」という悲痛な叫びとして解釈されることが多かったように思います。
 尾崎豊さんの「15の夜」がリリース(1983年)されたのもちょうどこのころです。
 「盗んだバイクで走りだす(立派な犯罪ですが・・・)」けれど行き先は自分にもわからない。でも、締め付けるばかりの学校や教師のやり方が、かけがえのない自由を自分たちから奪っていくことは許せない。免許を取得することもバイクに乗ることも許されない。だから盗むしかない。他に方法が見つからない。でも、俺たちは自由のために本当は何をどうすればいいんだ。当時の「暴力」や「非行」にはそんな若者の切ない思いが含まれていました。
 
 戦場とも言える学校。それを敢えて「牧歌的」と表現したのは、教師は非行に対して厳しく接しながらも根本的に教育は信頼関係によって成立するものだという信念があり、警察に頼ることは教育の敗北だと考える人が数多くいたからです。
 多くの教師は「俺がなんとかしてやる」という熱い思いで生徒にぶつかっていき、社会もそういう「熱い」教師を支持する土壌がありました。
 「お前たちの気持ちはわかる。しかし、許されることと許されないことがあるんだ」という教師の思いが、そこに厳然としてあったのです。金八先生のドラマのシーンが「名場面」となりえたのも、どこかで互いに求めあっているはずだ「牧歌的」なつながりがあったからでしょう。
 
 私が新任として採用されたころ、校内暴力は都市中心から地方中心に移行していました。ピークこそ過ぎてはいましたが、校舎の二階から机が「降ってくる」とか、中庭をバイクで走り抜けるといった暴挙もまだたびたび起こっていました。それでも先輩の先生方は「きっといつかわかってくれる」と生徒を信じて生徒にぶつかっていきました。そして、卒業して何年経っても互いに連絡を取り合うような濃密な信頼関係が成立したのです。
 当時、そうした教師と生徒の関係の築き方ができたのは、「情熱」と「信頼」を目に見える形で訴えることができる「牧歌的」な時代だったからだと思います。
 そして「牧歌的」な教育を社会で共有可能な目標が支えていたのです。社会学者の土井隆義氏は次のように述べています。その頃の日本は「頂上へ向かってひたすら山を登っている最中」1)であり、人々はその目標を信じていました。だからこそ生徒は反抗する対象を見つけやすかったし、教師は正しい道に戻してやろうとぶつかっていくことに疑問を持たずにいられたのです。

 今の学校が難しいのは、こうした共通の目標が社会の中に見つけにくくなったからです。先ほどの土井氏は見田宗介氏の比喩を用いて、「人々はすでに頂上に達しており、広い「高原」にいる状態だ」2)と指摘しています。
「高原」は見晴らしもよく、自由に走り回ることもできます。しかし、今までみんなで見ていた同じ目標はそこにはなく、それぞれがそれぞれに違う方向を見始めています。
 そこには「本当はこっちを向いた方がいいんですよ」と自信を持って教えてくれる人はいません。誰もが何を見るのが正解なのかがわかっていないからです。
 そうなると一人一人の不安は大きくなっていきます。「本当にこれでいいのか」「もっといい方向はないのか」という不安は尽きることがありません。
 私たち教育に関わる者に求められるのは、まず、今私たちが「高原」にいることを受け容れることです。だだっ広い高原で今まで通りに「上を見ろ」と言っても、そこにあるのは広い広い空と雲だけです。言われた方は途方に暮れてしまいます。

冒頭の「世情」には次のような歌詞があります。
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」
 これまで戦ってきた相手はもうここにはいません。時の流れを止めようとしても無駄です。戻ることは許されないのです。教師や学校が「変わらない夢を見たがるもの」になってしまえば、子どもたちは路頭に迷うだけでしょう。私たちはいまこそ「問い」の仕方を変えなければいけません。広い高原の中で、迷っているのは子どもたちだけではないはずです。
 肩の力を抜いて「さあ、どっちにいこうかねえ」と、子どもの横にゆったりと寄り添わなければなりません。

 そう考えると私の「変わらない夢を流れにも止めて」という聞き間違いは、あながち間違ってはいないのかもしれません。今までと変わらない目標を子どもに押し付けるのではなく、大きな社会の変化の中でさえも敢えて自分を「止めて」、子どもと一緒に考える。悪い話じゃないと思います。(作品No.129RB)

1)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87010?imp=0

2)土井氏は『「宿命』を生きる若者たち』(2021 岩波ブックレットp38)で、見田宗介氏の比喩を次のように引用しています。「見田宗介の巧みな比喩を借りるなら、現在の私たちはすでに山を登りつめて、高原地帯を歩みはじめているのです。」

「定義」と「いじめ」

前回、学校の「丸腰」状態について書きました。そして、少しずついじめについて書いていくとしました。今回は、まず過去の経験を踏まえて私の基本的な考え方について触れておこうと思います。この文章は昨年度自校の職員向けに校長の私が示したものを一部修正したものです。

学級担任をしているとき、学活の時間に「定義づけテスト」いうのをやっていました。黒板に示した言葉を自分なりに定義してみようというもので、例えば、「鉛筆」という「お題」を出すと生徒が「字を書く道具」などと書きます。それを集めて生徒の前で私が読むという、いたって単純なものです。これが結構面白い。最初は目に見える物から始めて徐々に抽象的な言葉(概念)へと発展させます。「優しさ」や「幸せ」など「お題」が抽象的になるほど生徒の回答も多様になります。生徒の持っているイメージもよく表れます。教室全体を「ほーっ」と感心させるものも結構出てきます。

もともと定義とは、「概念の内容や用語の意味を正確に限定すること」(精選版 日本国語大辞典 コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%AE%9A%E7%BE%A9-79069)です。例えば、新型コロナウイルスを撲滅するためには、ウイルスがどんなものかという「正体」を知る必要があります。さまざまな分析や解析によって他のウイルスと何が違うのかを突き止め、ウイルスを「限定」することで「正体」が判明し、ワクチンの開発も可能となります。まさにウイルスを「定義」しているわけです。そうやって開発されたワクチンは、あくまでも限定された範囲内でどのくらい効果があるかということがわかるわけです。

 ところが、学校における様々な課題、特にいじめについてはだれも明確な定義を持ち合わせていません。これが問題を複雑にしています。確かに文科省は定義を示していますが、現在の定義は範囲が広く、「限定」が非常に難しい内容です。昭和61年度に明記されていた「弱い者に対して一方的に」「継続的」「深刻な苦痛」「学校としてその事実を確認」などの表記がすべて削除され、現在いじめは被害者が「いじめられた」と思うことによって成立することになりました。しかし、いじめられた側にもいじめについての明確な定義があるわけではなく、冒頭の「定義づけテスト」と同様、あくまで個人のイメージなのです。自ずと生徒一人ひとりのいじめの定義もそれぞれ違ったものにならざるを得ません。

文科省が定義を広くとらえるようになったのは、いじめによる自殺など重大な事態をなくすために早期発見、早期対応を緊急課題としたからです。いじめによって自ら命を絶つという数多くの悲劇があったことは忘れるわけにはいきません。しかし、深刻ないじめをなくそうとしたことで、皮肉にもいじめの増減さえよくわからない事態となっています。それぞれに定義が違うものを集計しても正確な経年比較はできないからです。また、明確で統一された限定がないということは、正体がはっきりわからないということです。正体がわからないものをなくすことは、理論上不可能です。

新聞やニュースではよく「いじめ過去最多」などと報じられます。それを見た生徒や親は「やっぱりなくならないのか」と感じ、いじめに対して、より敏感になり、些細なことも「いじめ」だと感じやすくなります。いじめがなくならない隠れた原因の一つがここにあります。

このような状況で私たちにできることは、目の前で起こっていることが生徒にとって望ましいかそうでないかを考えることに集中することだと思います。いじめかどうかという識別よりも「生徒にとって何が良くて、何が悪いのか」を考える方がずっと重要です。

(作品No.18HB)

(追伸)これを書いたきっかけは、生徒間のトラブルが多発するなかで生徒指導担当の先生を中心に、どの事例をいじめとして市教委に報告するかどうかで時間をかけているのを見て、そんなことに時間をかけるのはもったいないと感じたからです。また、学級担任や部活動の顧問が保護者と対応するときに「これはいじめだ」と言われることに対するプレッシャーを少しでも軽減できればと思ったからです。報告についてはできるだけそのまま報告すればいいし、いじめはいじめられたと感じたらいじめなのですから、起こって当たり前です。被害者の生徒や保護者が「いじめだ。どうしてくれるんだ」と強く訴えてきたとしても、「そうです。いじめとして対応します」という姿勢でいればいいのです(実際に保護者にそういう言い方はできませんが・・・)。学校には詳細な対応マニュアルがあります。その通り丁寧に対応すれば、何もショックを受けることはないし、プレッシャーに感じる必要はないと思うのです。そもそも定義による限定ができないのですから、発生件数を気にすることに意味があるとは思えません。これも「困難校」のストラテジー(対処戦略)の一つです。

学校はいつも「丸腰」

学校にはさまざまな問題が山積しています。いじめの問題や不登校の問題はもちろん、古い指導観に囚われた教員の意識の問題(暴言や体罰などを含む)、教員の超多忙化の問題、虐待やヤングケアラーの問題(これは福祉の問題でもありますが、結局学校が解決の窓口にならざるをえません)など挙げればきりがありません。私が最後に勤務していた中学校では、そのすべてが網羅されているような学校でした。

でも、何といっても一番神経をすり減らしてきたのは、子どもの命の問題です。これは、先に挙げたそれぞれの問題と密接にかかわっています。決して、単純な問題ではありません。深刻な生徒指導上の事案が毎日のように起こる学校では、それらの多くが子どもの命に直接関わる可能性があるのです。

例えば、家出をした生徒がいたとして、私たちが一番に考えることは「生きていてくれ」ということです。多少のトラブルはあっても、あるいは警察に保護されるような事案であっても「とにかく生きていてくれたら何とかなる」という思いで先生方と必死に対応してきました。幸いにして、その中学校では私が勤務していたときに自ら命を断つ子はいませんでした。しかし、紙一重のことも数多くありました。

教師がどんなに誠実に子どもとかかわり、何かあったときにでき得る限りの対応をしたとしても、最後の最後は子どもを信じるしかありません。それはもう「祈り」に近いものです。あらゆる手を尽くしているつもりでも、私たち教師に最後に与えられるのは「祈り」しかないのです。もし、魔法が使え、願い事がただ一つ叶うなら「自分の学校から自ら命を断つ子が出ませんように」とお願いするだろうと真剣に考えたことは一度や二度ではありませんでした。生徒指導上の問題がそれほど多くない学校の関係者からすれば「何を大げさに」と思われるかもしれませんが、これが「困難校」と言われる学校の現実なのです。こういうとき私は、教師というのはいつも「丸腰」だと感じます。喩えが適切かどうかはわかりませが、まるで「丸腰」で戦場の最前線に立たされているようなものなのです。決定的な危機回避手段はほとんど持ち合わせていません。そこでは、これまでの経験を持ち寄り、一人ひとり違う生徒に最適な対応は何かをそのときそのときに迅速に判断し続けるしかないのです。

仮に、リストカットをした生徒がいるとします。専門家の中には「リストカットは生きていることを確認しようとする行為だから、むやみにやめなさいというのは逆効果だ」という人もいます。でも、それを信じて特に何も対応しなかった結果、本人には死ぬ気がなくても、うっかり深く切り過ぎて大量出血となることもあります。もし命を落とすようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれません。「様子を見る」という判断は問題を先送りする消極的な方法だと思われがちですが、実はかなりの勇気がいることなのです。そういう場合、専門機関に通告しますが、その専門機関が現状ではパンク状態のため、かつては比較的柔軟に対応してくれていた子ども家庭センターなども「すぐに命の危険にさらされている場合でなければ保護できない。まずは、市町の児童福祉に相談してください」として取り合ってくれなくなってきました。一度や二度のリストカットくらいでは保護の対象にならないことが多いのです。センター側からすれば地域全体から数えきれない通報があるわけでしょうから、緊急性の高い順にしか対応できないのもわかります。しかし、ここ数年では市町の児童福祉からの通報でないと基本的に対応してくれません。学校が直接通告しても門前払いとなります。でも、市町の児童福祉課としても強制的に保護する権限はなく、その場所も確保されていません。結局対応は学校に委ねられます。

そして、仮に原因が学校になかったとしても子どもが自ら命を断てば、必ずマスコミは「いじめがあったんじゃないか」と勘ぐってきます。明らかないじめがあって、それを認知していたにもかかわらず放置していたとか、そういう事実を隠蔽しようとすることは絶対にあってはならないことです。でも、大規模校にあって、しかも「超」がつくほど多忙な勤務状態で一人ひとりの心の変化をすべて把握するのは至難の業です。それでも、ひとたび事が起これば学校の責任は厳しく追及されます。マスコミが騒ぎ、周囲がざわつき始めると、子どもたちの動揺は激しくなります。私は自校の生徒が命を落とすという経験を三回しました。中学校の教諭時代に二回。もう一回は小学校の教頭時代でした。いずれもいじめなど学校の問題によるものではありませんでしたが、それでも昨日まで一緒に生活していた友だちが突然いなくなる衝撃は子どもたちにとって耐え難いものがあります。精神的なバランスを崩して生きる気力を失う子も出てきます。そういう場合、県や市からカウンセラーが増員されますが、それも一時的な対応で終わってしまうこともしばしばです。

そして、管理職、特に校長は教員も守らなければなりません。自分のクラスの子が自ら命を断ったときの心労はとてつもなく大きなものです。世間では、一切合切すべてを公表せよと迫ってきます。教師に問題があった場合(体罰や暴言など)なら仕方がないと思いますが、そうでない場合でもすべてつまびらかにするように迫られます。それが、当の教員にとって、あるいはその保護者にとってどれほどの重荷になるかを考えたとき、ある程度の情報統制をせざるをえないときもあると思うのが普通の校長です。時にそれが「隠蔽」と言われることがあっても校長だけが責められて済むならそれでいいと考えてしまうのです。

それなら、そういうことも含めて説明すればいいと言われるかもしれませんが、説明できない理由を説明すること自体がすでに説明していることになってしまうというジレンマに陥ることも多いのです。また、そういう話を世間が本当に冷静に受け止めてくれるかどうかわかりません。すべてを話す方がよほど校長としては楽なことです。でもそうすると、該当する教員は教職を続けられないほどの痛手を受けることもあります。場合によっては保護者が根拠のない誹謗中傷を受けることもあります。何度も言いますが、これは教員に誤った言動がなかった場合の話です。落ち度があった場合は、全面的に情報を公開し誠意を持って謝罪すべきです。

学校は今、いろんな面で相対化が進んでいます。学校に対するまなざしも大きく変わりました。それは、多様化する社会のなかでは仕方がないと思います。また、相対化によって学校に意見を言いやすくなっている面もあり、それが必ずしも悪いこととは言えません。これまでの学校はどちらかと言えば閉鎖的で、教育的意義という大義名分をもって、頑なにこれまでの指導方法を変えようとしなかった責任も大いにあります。だから、教員の意識も含めて制度的な改革も進めなければならないと思います。ただ、本当に学校側の意識を変えようとするなら、学校側の本音も冷静に受け止める土壌が社会になければならないはずです。それがないと感じるから現職の校長や教育委員会の口は固くなり、問題の本質に迫れなくなるのです。私も現役のときには、こんなことを書き示すなど絶対にできませんでした。

文部科学省もこれまでにくらべれば、わかりやすい教員向けのパンフレットなども積極的に出しています。学校側の本音に近いことも踏まえてある点は評価できると思います。書いてあることについて基本的に異論はありません。でも、そこには理念と結論しか書かれていません。今、学校が求めているのはそんなわかりきった内容ではなく、何をどこまでやれば学校はその責任を果たしたことになるのかという指針です。ここでいう指針とはマニュアルに近いものです。「いじめ防止対策推進法」の施行を受けてほとんどの各学校には「いじめ対応マニュアル」が作成されました。私が勤務していた学校も「チェックリスト」を含めた詳細なものをホームページに掲載していました(現在もあります)。「超」多忙な困難校を救うには詳細なマニュアルは必須です。それを全職員が理解し、行動に移すよう指導するのは管理職の役目でしょう。マニュアルがなければ教師による指導や対応を際限なく続けざるをえない今の状況を打破することはできません。でも、いつもどこかに不安があります。それは、そのマニュアル通りに対応すれば学校の責任が本当に回避されるのかという不安です。

「困難校」では(いじめ防止対策推進法施行前から)ストラテジー(対処戦略)として、とにかく専門機関や警察に通告することが多くなりました。連絡された専門機関にどんなに嫌がられても、そうでもしないと一日にいじめと思われる事象が重複して発生することも珍しくない「困難校」では、教員の身がもたないのです。それにしたって一時的な精神安定剤くらいの効果しかありませんが。

ようやくではありますが、近年教員の働き方改革が進められようとしています。それが、教職希望者の激減という外からの力によって切羽詰まった結果であったとしても、やらないよりははるかにましです。社会の学校化はもう限界に達しています。背負いきれないものを背負わされている学校の現実に目を向けなければ、最終的に救われないのは子どもたちです。限界を超えた重荷を一つずつ減らし、その代わりに持てる荷物については今まで以上にしっかりと責任を果たす、そういう流れをつくっていかなければいけないと思います。

なお、いじめについての私の見解については、別の回に少しずつ示していこうと思っています。

(作品No.125RB改)