野球の神様

教諭時代、16年間野球部の顧問をさせていただきました。私は、中学時代は野球部でしたが控えでしたし、高校の野球部は故障が原因で中途退部しました。大学ではソフトボール部で、チームは毎年のようにインカレに出場していましたが、レギュラーには結局なれませんでした。もちろん野球の指導については素人ですし、実績(戦果)にも目立ったものはありません。わずかにあるとすれば、10年連続で一つ上の大会に駒を進めたくらいのことくらいです。でも、一つだけ自分の中で誇りにしていることがあります。それは、姑息な手段を使うことや、相手チームの選手を危険にさらすようなラフプレーだけは絶対にさせなかったことです。

顧問時代、勝つためなら手段を選ばないチームにたくさん出会いました。例えば、ホームでのクロスプレーの際、スライディングをする走者が捕手のミットの先端を狙ってスパイクを立ててくるチームがありました。ミットの端にスパイクを当てて捕手のミットからボールをこぼさせようとするわけです。練習試合ということもあり、私は特に抗議はしませんでした。でも、試合後部員を集めて言いました。「ああいうプレーを高等な技術だと思うようなチームには絶対にしたくない。あのスライディングは一つ間違えば捕手の顔面や手首にスパイクの刃が当たって大けがとなる。何より、たとえ敵であっても同じ野球をする仲間だ。自分のことしか考えない野球がしたいと思うのなら他のチームでやってくれ。」と。

他にも、いわゆるクイックピッチを繰り返す投手にも出会いました。監督の指示です。クイックピッチとは打者が構えるのを待たずに、捕手からの返球を受け取ってすぐに投球することで、打者はタイミングを合わせることができません。ルール上もボーク(危険球の一種)扱いとなります。ただ、クイックピッチの判断は微妙なところがあります。ボークになるかどうかのギリギリのタイミングで投げさせているのです。それでも野球の理念に反することは確かです。その理念とは、正々堂々と戦うこと、相手をだますプレーはしないことです。クイックピッチは打者の不意を突くことであり、正々堂々を旨とする野球の理念に反します。また、ベンチのサインを窺っている打者に投球が当たると非常に危険です。通常の死球なら、当たりそうな投球に対して打者は一瞬体に力が入り、万一当たっても被害が最小限にとどめることができます。しかし、不意を突かれての死球は体に緊張感がないため、大けがにつながりやすいのです。投手が牽制球をする際、必ず軸足でない方の足をまっすぐ投げる塁に向けて踏み出すことがルール上義務付けられているのも、同様の理念に基づくものです。それは、走者に対して牽制球を予告するという意味があり、打者に投げるふりをして突然牽制球を投げるのは走者をだますことになるからです。こうした理念によって野球は紳士的なスポーツとして成立しているのです。

私は、相手の顧問に「あれは、クイックピッチじゃないですか?」と指摘しました。しかし、その顧問は「地区の大会でも何も言われていない」と聞く耳を持ちませんでした。

さて、先述のクイックピッチを続けた投手は、どんな気持ちでマウンドに立っていたのでしょうか。指示した監督はいったい野球を通じて何を伝えようとしていたのでしょうか。生徒が「嫌だけど監督が言うから仕方がない」と思っていたのならまだ救われます。でも、その子が「これはいい方法だ」と勘違いしていたとしたら、人をだますことを覚えるために野球をやっているようなものです。

野球は、実によくできた競技です。どんなにすごい投手であっても、稀代のホームランバッターであっても決して一人では勝てません。また、それぞれの個性に合わせた出番が用意できます。仮にチームで一番足が遅くても、バッティングがよければ代打で出場できます。逆に守備も苦手、打つのも苦手だけど、足が速ければ代走で出場可能です。状況判断に長けた者は三塁のランナーコーチで活躍できます。少しでも野球を知っている人なら、三塁のランナーコーチがどれだけ重要なポジションかおわかりだと思います。

他にも、相手投手の気持ちを考えて打席に立つことも求められますし、的確な状況判断も必要です。仲間のミスを最小限にするため、野手は一球一球、打球や送球のカバーに走ります。人として学ぶべき要素がふんだんに含まれています。野球は人生の縮図だと思います。

「甲子園に行けるチームと行けないチームがあります。行けないチームには野球以外の部分で何か足りない部分があるのだと思っています。そういうことを野球の神様は見逃してくれないんです」

阪神・淡路大震災直後の1995年にセンバツ大会でベスト8進出を果たし、地元神戸に勇気を与え、チームを通算8回も甲子園に導いた神港学園の前監督北原光広氏から直接伺った言葉です。

今、部活動が地域に移行されようとしています。全国的に教職希望者が激減している状況では、教員の業務改善を実現するためにも避けられないでしょう。でも、どんな形で移行されるにしても、これまで学校部活動で大切に積み上げてきた「子どもの成長」を支援する姿勢だけは確実に受け継ぐものであってほしいと心から願います。(作品No.157RB)

「子どもはみんな金平糖」

昔 (30年以上前)、部活動の練習中にダラダラしている生徒に「やる気がないのなら帰りなさい」と言ってしまったことがあります。今なら暴言と言われてもしかたがないでしょう。しかも、「帰りなさい」と言いながら、本当はその場に残って一生懸命にやりなさいという言外の意味を込めていたのです。所謂「ダブルバインド」です。生徒は私の意図がわかっているから、ただただそこに立ちすくむしかない状態に追い込まれてしまいます。今思えば、どうしてそのとき生徒を近くに呼んで、「今日はどうしてそんなに動きが悪いのか」くらいのことは聞いてやれなかったのかと思います。

子どもは一人ひとり違った個性を持っています。おとなしい子や活発な子、集中力が持続する子もいれば、長続きしない子もいます。素直に指示を聞く子がいるかと思えば、一回一回「めんどくさい」とか「だるい」とかいう子もいます。また、本を読むのが大好きな子もいれば、とにかく体を動かすことが好きだという子もいます。一人として同じ個性は存在しないといっていいでしょう。私たちは、それぞれの子どもに最も響く言葉を選んで声を掛ける必要があります。

 けれども、子どもを集団で指導しています。一人ひとりに寄り添って、じっくり話を聞き、その子に合った言葉を見つけていくのは至難の業です。時間的な余裕もそうそうあるわけではありません。教師というのは実に大変な仕事です。(そういうことを世間の人にもっとわかってもらいたいと思います)。その上、私たちには、決められたカリキュラムを決められた期間(学年)に完了することが義務付けられています。学習指導要領が法的な根拠(学校教育法第33条、学校教育法施行規則第52条)を持っている限り、その責から逃れることはできません。

 そのため、授業が予定より遅れているときには何とか教科書のここまでは授業を進めないといけないと焦ることがあります。特に、中学校では定期考査があるので、テスト範囲までは何が何でも進めなければ、公平なテストが実施できません。私も教諭時代「この時間が勝負だ」と猛スピードで授業を進めてしまうことが何度もありました(反省しています)。でも、そうした「焦り」が、思わぬ負の効果を生み出すことがあります。

 最近「マルトリートメント」という言葉が注目されています。「マル」(mal)は「悪い」、トリートメント(treatment)は「扱い」という意味で、合わせると「不適切なかかわり」p2ということになります。また、そこには必要な賞賛を与えないことも含まれます。これを教師にあてはめると、「体罰やハラスメントのような違法行為として認識されたものではないけれども、日常的によく見かけがちで、子どもたちの心を知らず知らずのうちに傷つけているような「適切ではない指導」(川上康則著『教室マルトリートメント』(2022、東洋館出版社、p1)となり、世界保健機構(WHO)でも「チャイルド・マルトリートメント」として「子どもの心身の健康・発達。対人関係などに害をもたらすこと」と定義されています。

川上氏によれば、マルトリートメントには「やる気がないんだったら、もうやらなくていいから」「勝手にすれば」「すきにすれば」「何回いわれたらわかるの?」(同書p35)などといった教師の言葉かけ(川上氏はこれらを「毒語」としています。)が含まれるそうです。そして、そういう「毒語」を発してしまう背景には、教師の「焦り」があると指摘しています。

では、私たちは子どもたちをどのように見ればいいのでしょうか。そのヒントになるのが東京都小学校学級経営研究会2010年で示された「子どもはみんな金平糖」(前掲書p155重引)という視点です。金平糖はとげのような突起がたくさんあります。これを子どもにあてはめると、私たちはこの突起を削って丸くしてみんな同じように行動させようとします。これは、集団の規律を守るためには、ある程度必要なことです。いじめが最も起きやすいのは規律がなく無法地帯となってしまった学級だと言われるように、それぞれのわがままを認めていたら収集がつきません。また、  

どの子に対しても同じように接しようとするとどうしても我慢させないといけない場面を避けられません。でも、この突起をその子の個性だと考えれば、実は個性を削り取っている可能性もあるのです。

そこで、すべての子どもに同じように接し、個性を重視するためには、とげの多い金平糖の突起部分を削るのではなく、それをすべて包み込む円の中に入れるイメージを持てば、ばかなり違ったものになるというわけです。「金平糖」を囲む円は学級全体が個性を互いに認め合える雰囲気のことです。同時に、教師が一人ひとりをありのままに認めようとする視点でもあります。これだけでは抽象的で分かりにくいですが、教師が言葉や所作の端々に一人ひとりを大切にしているという気持ちを表していけば、学級の規律を崩すことなく、この雰囲気はつくれるのではないかと思います。

 具体的には、子どもが当たり前のことをしたときに「ありがとう」と言うだけで教室の雰囲気は大きく違ってきます。また、子どもの呼び捨てをやめるのも効果的な方法です。子どもを呼び捨てにすると、その後に続く言葉がどうしても厳しくなったり、命令口調になったりします。「〇〇(子どもの名前)!」と大きな声で言った後に「△△してください」とは言いにくいものです。テストや通知表を手渡すときも無言で投げ出すように渡すのではなく、「はい、どうぞ」と一声かけるだけでも、もらう方のイメージは随分違ったものになります。そうした教師の一つ一つの言葉や所作によって、子どもは自分たちが大切にされているという空気を感じます。そういう空気感を大切にしたいと思います。

 かつて、県の研修所に勤務していたとき、当時の所長に、ある資料の提出を依頼されて届けたとき、両手を首の下あたりで合わせて「ありがとう」と言ってくださいました。その所長は、ほんの些細なことでも自分のために何かをしてくれた人には、同じようにされていました。教育行政の世界は厳格なタテ社会です。上位下達が当たり前の世界で研修所のトップが、なりたての指導主事に手を合わせて礼を言うなどまずあり得ません。しかもその人は県の教職員課長まで経験された方でした。当時の私からすれば雲の上の人です。そのとき、私は、駆け出しの身でありながら「大切にされている」と感じました。仕事には厳しい方でしたが、とても温かいものを感じました。

(作品No.151RB)

無駄なことができる人

適応障害と診断されて3か月療養をとっていたとき、本当に何も手に付きませんでした。ひどいときは、目の前のコップをとるエネルギーさえなかったことがあります。そこまでひどくなる前でも、新聞を読んだり、それまで興味があったはずの本を読んだりすることができないときもありました。とにかく前向きな気持ちが湧いてこないのです。

 私は、そういう経験を通して、人から見て「無駄だ」と思うようなこと、たいして何の役にも立ちそうにないこと(その人にとっては意味のあることなのだろうとは思いますが)ができるのは、自分の中に不安な気持ちがないからだと気づきました。そういうことができる人は、いろんな意味で気持ちに余裕がある人なのだと思います。

 心が弱っているときというのは、自分の視線がすべて自分の内側に向いてしまいます。自己嫌悪が激しくなり、他の人を見ると今の自分はなんでこんなに情けないんだろうと思ってしまいます。それが怖いから視線を外に向けることができなくなります。でも、自分の中をいくら探しても自信の持てるものが見つからない。だから、余計に自分が嫌になる。何をしても無意味だと感じてしまいます。でもそれは、意味のあることを求めすぎている裏返しでもあるのです。意味のないことをすれば、自分自身が意味のない存在だと確認することになるからです。

 例えば、上司が部下に指示を出すとき、指示の内容だけを伝えればそれでことは足ります。でも、ほんのちょっとユーモアを交えて指示が出せることができる人はすごいと思うのです。そのちょっとしたユーモアは、ある意味「無駄」なのかもしれません。そんなことを言うより正確に指示が出せる方がいいのかもしれません。でも、そのちょっとした「無駄」によって、部下にしてみれば上司に親しみを覚え、何かトラブルを抱えていても相談しやすくなるでしょう。まあ、そのユーモアが上司にとってユーモアでも部下にとっては嫌味に聞こえることもあるので注意が必要だと思いますが。

 子どもというのは、そういう意味では無駄のかたまりなのかもしれません。大人にとっては何の意味もないような物を一生懸命集めたり、一つの物をいつまでも眺めていたりします。授業中も興味がなくなれば、すぐに手遊びを始めたりします。

 ダンゴムシを集めたり、泥だんご作りに夢中になったりするのは、ある意味「無駄」なことのように見えます。時間割が厳密に決められた学校の中では、休み時間に懸命になってダンゴムシを探している子も、チャイムと同時に教室に入らなければなりません。大人にとっては、ダンゴムシを集めることよりも、次の授業に遅れないようにさせることが意味のあることであり、際限なく続けるダンゴムシ集めは「無駄」なのです。

 でも、もしかしたらそのダンゴムシ集めからその子は小さい生き物の不思議さを学ぶかもしれません。大人にとっての「無駄」が子どもにとっても同じように「無駄」だとは言い切れないのです。

 私はよく思います。夢のような話ですが、せめて、たまには、一日中それぞれの子どもが学校の中で自由に過ごせる日があってもいいのではないかと。一日中寝転んでいてもいいし、一日中友達と鬼ごっこをしてもいい。そんな日があってもいいのではないかと。今、子どもたちは道草すら許されません。不審者から子どもを守るためには一斉登校、一斉下校の方が安全です。それは確かにその通りです。実際に被害に合った子どももいるわけですから仕方ありません。だったら、学校という安全な場所で月に一回くらいは完全フリータイムを作ってやりたいと思うのです。特に小学生の間はそんな時間があってもいいのではないかと思います。

 小学校に勤務していたとき、虚言癖のある子がいました。その子は、いつも叱られていました。親からも先生からも。でも、毎朝学校には明るい笑顔で登校してきていました。そして、毎日のように登校中に見つけたバッタやヤモリなどを大事そうに持ってきていました。一度は鹿の角をもってきたこともありました。そのときの顔は実に生き生きとしていました。私はその様子を見て、必ず声を掛けるようにしていました。「今日は何が見つかった?」それだけでその子はとても自慢そうにいろいろ話をしてくれました。そういう子にとって、本当に自由な一日があればどんなに生かされるだろうと思うのです。本当に夢のような話かもしれません。でも、工夫次第でできないこともないのではないかとも思います。自分が勤務しているときにできなかったくせに、何を偉そうにと言われるのは覚悟のうえでそう思います。

 子どもの「無駄」に見える行動は、大人にとっての「無駄」であり、決して子どもが認めた「無駄」ではないのです。「無駄」をしているときの子どもの視線は必ず外に向かっています。心が弱っている子にはできないのです。

(作品No.87RB)

ドリーム・ハラスメント

『大学で学生の支援を行う高部大問は、若者たちが「「夢」に押しつぶされていく実態を「ドリーム・ハラスメント」と名づけた。「高校でキャリアの講演をしたとき、ある学生は「夢を持つことを強制されている」と高部に訴えた。「小学生のときに夢を具体的に決めるように強制されて以来、将来の夢という言葉が嫌い」「夢が無いことがそんなにダメなのか」「夢に囚われずに生きたい」というのが若者の本音だという。これはいわば「夢のファシズム」で、現代の若者は、大人の社会が「夢をもたせよう」とすることをハラスメント(虐待)と感じているのだ。』(橘玲,『無理ゲー社会』,小学館新書,2021,6,p28 一部重引)

にわかには受け入れられない内容です。特に、「夢のファシズム」という表現はさすがに極端に過ぎると感じます。しかし、以前「遠くから見る」ことも必要だと書きました。まさに教育に携わる者にとって、この文章ははるか遠くからのメッセージと言えるかもしれません。私たちは、子どもたちに夢を持ってほしいと願ってきました。夢があれば目標が決まり、目標が決まれば日々の努力につながる、そう思って励ましてきました。

 つまり、教師が「あなたの将来の夢は?」と聞くのは、生徒が自分の生き方を考えるきっかけにしてほしいと願ってのことです。何も強制しているつもりはありません。例えば、一生懸命サッカーに取り組んでいる子が「将来Jリーグに入りたい」という夢を持っていたとして、その子の夢を教師が知ることで、応援してやりたいと思ったり、「楽しみにしているよ」と声をかけてやったりすることができます。こんなことさえハラスメントと言われたのではキャリア教育なんて事実上不可能であるかのように感じます。

ただ、このような「遠くからのメッセージ」からでさえ、学ぶべきものはあると思います。一つは、現時点で生徒が夢を持っていないことを容認する余裕を持つこと、もう一つは、自分の物言いがステレオタイプになっていないかを顧みることです。

私は、大学を受験するときですら将来何になるのか決めていませんでした。私が「文学部」を選んだのは「文学部」という響きに憧れ、興味があっただけです、父親からは「文学部なんか出ても就職がないし、社会で役に立たん」といって反対されましたが、文学部は国語の教員免許が取れると知ると、あっさりと認めてくれました。そもそも中学生くらいで将来の夢をはっきりと持っている方が少ないと思います。「ゆっくり考えればいいよ」と言える余裕があれば、この大学生も「強制された」とは思わなかったでしょう。

もう一つのステレオタイプの言い方について。この方が重要です。ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念や思い込みのことで、国籍・宗教・性別など、特定の属性を持つ人に対して付与される単純化されたイメージのことを指します(例えば、最近の若者は礼儀を知らないなど)。私たちは、自分の経験に沿って何が大切かを判断しています。しかし、それはあくまでも自分の判断であって相手の判断ではないのです。私たちは、「夢は持つべきだ」というステレオタイプの物言いではなく、「夢を持つっていいな」と思えるメッセージを届け続けることが大切なのだと思います。

現代は、選択肢が多くなった分、逆に一つに決めることが難しい時代です。中学生にとって夢を持ちにくい時代になったといえるのは確かでしょう。そうだとしたら、私たちは、そうした子どもたちの「生きづらさ」のようなものにもしっかりと寄り添う必要があると思います。

(作品No.47HB)

出さなくてもいいものだからこそ、学級通信には意味がある

私は教諭時代、毎年学級通信を出していました。多いときは、年間260号くらいになったこともあります(数が多いからいいというものでもありませんが)。学級通信を出す最大の目的は、担任の考え方や学級の様子を家庭に伝えるためだと言われますが、私にとってはそれだけでなく、忘れっぽい私の防波堤でもありました。日程表や事務的な連絡も紙で渡すことによって、言い忘れ防止にもなったのです、

でも、それ以外にも多くの効用があります。以下に注意事項も含めて、主なものをまとめてみました。あくまで私の個人的見解としてお読みください。

第一の効用は、出すことによって生徒を細かく見る習慣が身についたことです。これが実に意義のあることだと思います。学級通信は、生徒の様子を伝えるのが中心になりますので、生徒の姿から「ネタ」を探すのが一番です。しかも、後々まで残る「紙」で渡すのですから、悪いことは書けません。自ずと生徒の良いところを探すようになります。そして生徒の良いところを見つけるのが楽しみになります。その姿勢が生徒に伝わり、互いの良好な信頼関係の基盤となります。ただ、中学生の場合、どんなに素晴らしい行動であっても、名前を出されるのを嫌う傾向があります。最悪の場合、書かれたことで、からかわれたり、いじめられたりするきっかけになる可能性もあります。そうなると書かれた生徒は、その後、積極的に行動できなくなってしまいます。私は、良いことであっても名前を伏せるようにしていました。それでも、本人は自分のことだとわかります。「先生は、こんなところも見てくれているんだ」という安心感を与えることができます。名前を出すのは、部活動の成績や合唱コンクールの指揮者、伴奏者、係の割り当てなど、客観的な事実に限っていました。ただ、小学生、特に低学年では逆に名前を出した方が本人も保護者も喜んでくれるのかもしれません(小学校での担任経験がないので、これは想像でしかありませんが)。ただ、その際には年間を通じてどの子も同じように(一定の子に偏らないように)書くことが必要だと思います。

他に、自分の実践記録になるという効用もありました。通信はかつて自分が同じような場面で何を考えていたのかを振り返ることができます。それを見返すことで新しいアイデアが生まれる経験を何度もしました。今はパソコンで作ることができるようになりましたから、データとして残すことも簡単です。今でも「手書き」にこだわっている人もいます。パソコンにはない独特の温かさや自分らしさが表現できる効果は見逃せません。それでも、写真に撮るなどして、電子データとして保存しておくことをお勧めします。

また、保護者と出会ったときに、まず「いつも通信ありがとうございます」という話から入れるのも大きな効用の一つでした。保護者との会話が感謝の言葉で始められるのは、学級経営に絶大な効果を生み出します。クラスを大事にしているという姿勢を伝えるには最適な方法だと思います。通信を出すのは義務ではありません。あくまでもプラスアルファなのです。やらなくてもいいことだからこそ感謝してくれたのだと思います。

私が有り難かったのは、当時通信を出さない先生から何もクレームがなかったことです。「そんなに出したら、出さない担任が非難されるじゃないか」というようなことは一言も言われませんでした。当時の中学校では、出しているクラスがあまりなかったからかもしれません。とにかく、義務だと考えると出す方もしんどいし、嫌だなあと思いながら出している通信を読んでも面白くないでしょう。もともと、学級通信は無理して出す必要はないのです。通信以外の形で(自分の得意な方法で)伝えられればそれでいいわけです。

そして、書くときに忘れてはいけないのは、紙は残るということです。その頃も学級通信に提出物の状況を載せたり、問題行動についてあからさまに書いたりする人がいましたが、よくもそんなことができるなあと思いました。私は、良いことは「残る」通信で、悪いことは残らない(生徒の記憶には残りますが)口頭で伝えるようにしていました。さまざまな効果のある学級通信ですが、記憶だけでなく「記録」としていつまでも残るという怖さは自覚しておく必要があります。

また、出すと決めたら年間を通じて継続して出し続けることが大切です。そのためにはできるだけ短時間に作成することです。時間をかける「大作」は年に数回、「ここぞ」というときだけでいいと思います。私は、出し始めたときは、一枚書くのに2時間くらいかけていたこともありましたが、数年後からは、30分以内(そのうち10分程度で書けるようになりました)で書くと決めました。その方が長続きします。途中で挫折すると、それだけで、読む側の信頼を失うことになりかねません。途中でやめるくらいなら初めから出さない方がましだと思います。実際、新任のときに一学期の途中で学級経営がうまくいかなくなり、途中で出すのをやめたら、学級懇談のときにかなり厳しく保護者からお叱りを受けました。「先生が、やり始めたことを途中でやめるってどういうことですか!」と。

他にも、自分が出張で一日学校にいないときに生徒の手に渡るようにしたこともありました。これが意外と効果的で「こんな日にも出るんだ」と生徒は驚きとともにとても喜んでくれました。いつも自分たちのことを大切に思ってくれているんだという気持ちで受け止めてくれます。

忙しいなかで定期的に学級通信を出すのは大変かもしれませんが、出し方によってはローコストでハイリターンなものにすることができます。大切なのは、無理をしないこと、自分が楽しむことです。繰り返しになりますが、学級通信は「出さなくてもいい」ものです。必須の業務ではありません。でも、そうであるからこそ、効果的なのです。

(作品No.49HB)

「足りない」ということ

今から数年前、100人ほどが集まる講演会に参加したときのことです。テーマは「地域のつながり」。いわゆる参加型の講演会で、いくつかのグループに分かれ、あらかじめ用意されたペンでコメントを書いたり、はさみで紙を切ったりといった簡単な作業が盛り込まれていて、なかなかおもしろい講演会でした。でも、どうもしっくりこなかったことがありました。それは、はさみやペンなどの道具については、「適当に取りに来てください」と全体に声をかけるだけで、配ってくれなかったことです。その上、全て大幅に数が足りないのです。  

こうなると誰が道具を取りに行けばいいのか、何人に一つの割合で道具があるのかなど、わからないことだらけです。正直「気が利かない講師だ」と思ってしまいました。おそらく会場にいる多くの人が同じように感じていたと思います。

 そんなわけで、私たちは最初どうしたらいいかわからないまま黙って座っているだけでした。しかし、そのうち「まず数を数えようか」と誰かが言い出し、配り始めると「そちらの方は足りていますか」とか「私は使い終わりましたので、どうぞ」など、あちこちから声が聞こえるようになりました。

 そして、講演会の後半、講師さんが静かな口調でこう言われました。

「『足りない』って、人をつなげるんです」

「なるほど」と思いました。そうです。講師さんは「わざと」道具を少なめに準備し、細かな指示をしなかったのです。「ペンやはさみが全員分あれば、貸し借りのための会話は必要ありません。お互いのことを気遣う必要もありません。でも、何か足りないものがあるからこそ、人間はそれを何とかしようと知恵をしぼり、協力し合うことができるんです」

私は、ほんの少しでも講師さんのことを悪く思ってしまったことを恥ずかしく思いました。

教諭時代、一般の人(教員以外の人)から「あなたは何を教えているんですか」と、よく聞かれました。いつも私はその問いに戸惑いを感じていました。「国語を教えています」と答えればいいんですが、何とも言えない違和感のようなものがつきまとうのです。それは、「教える」という言葉が教師から生徒への一方向のように聞こえるからです。一方向のみの「教える」は、生徒にとっては受容するだけのものになります。また、一方向による授業は常に与え続けなければなりません。次第に生徒たちは「次に何が必要なんだろう」と考えるのではなく、「次は何を渡してくれるだろう」と受け身になります。そして、受け身になった生徒は、与えられたものが不十分だと感じると、「あれがない」「これがない」「だからわからない」と不平を持ちます。与えすぎないこと、これからの教育では、とても大切なことの一つだと思います。(作品No.48HA)

研究者について

大学における研究に対して学校現場の私たちは、学校現場を知らずに「しち難しい」ことや、できもしない理想ばかりを語っているという思うことがあります。しかし、今大学の変革はかなりの勢いで進んでいます。以前に比べて学校現場に役立つ研究が多くなされています。大学教授も積極的に学校現場に入るようになってきました。つまり非常に実践的な研究が行われるようになってきたわけです。でも、本当にそれでいいのかとも思うのです。

かつて、兵教大でお世話になったS教授が「最近はどうも目先のノウハウばかりを追いすぎている。評価ばかりがうるさく言われて学校現場は大変だろう。数値(結果)で表せない部分にこそ本当の教育があるんだがなあ。」と、つぶやくようによく仰っていました。某県では全国学力学習状況調査を実施する直前に何度も生徒に模擬試験を受けさせることもあると聞きます。平均点が全国で上位となる「結果」を求め過ぎるとこのような本末転倒なことが起きてしまいます。私が勤務していた県立教育研修所も実践中心の研修がほとんどでした。まあ、研究所ではなく研修所なので仕方がないのですが、「研究」部門も実践的なもの以外はなかなか研究紀要に乗せられることはありませんでした。学校現場に戻ってすぐに役立つもの、教員や県民のニーズがあるものでないと講座としても成立しません。「役に立つ」という「結果」を求めることは悪いことではありません。でも、「結果」だけを求めると、結局その場しのぎになる可能性もあります。

こう考えたとき、私は研究を専門とする方々には「すぐには役に立たなくても、必要なこと」もじっくり深めていただきたいと思うし、私たちも研究者に「役に立つ」ものを求めすぎないことも必要なのかもしれません。研究者が研究者らしくせず、学校現場以上に学校現場らしいことを考えてしまうのは非常に勿体ない話だと思います。

学校現場が、「使える」知識や技術を求めるのは当然のことです。でも、研究部門には理論的なリーダーシップをとるという重要な役割があるはずです。例えば教育とはなにか、生きる力とはどのようなものかという根源的な問いを徹底的に極めるのは大学等の研究部門でしかできないのです。兵教大の元学長の佐藤修策先生が当時のパンフレットに「理論と実践の融合」を掲げておられたのは、それぞれの立場でそれぞれのできることを精一杯やったうえで、相互につながらなければ意味がないという信念があってのことだと思います。 

現場で長年勤めていると、「本当にこれでいいのだろうか」という壁にぶつかることがあります。その壁を乗り越えるためには、しっかりとした「理論」が必要です。その理論が拠り所となって、初めて自分の指導方法を検証することができるのです。その拠り所を提示するはずの大学があまりに現場寄りになってしまえば、この先、現場の教師が本当に迷ったときに何を頼ればいいのか、いよいよ分からなくなります。

学校現場の殺人的な忙しさの中では、根源的な問いにじっくり向かい合う時間など到底ありません。そういう問題こそ研究する立場の人たちが「役に立たない」という批判を恐れず、徹底的に研究をしてほしいと思います。そして、それを私たちにわかりやすく示してくれることが本当の意味で学校現場にとって有益だと思うのですが・・・。(作品No.44HB)

理髪店に行ける理由

私たちはなぜ、髪が長くなると理髪店や美容院に行ける(・・・)のでしょうか?(まあ、普通の人はこんな疑問は持たないと思いますが)。それは、理髪店に対する信用があるからです。理髪店の人は、様々な刃物を持っています。はさみや、かみそりなど悪気があれば凶器になるものをもっているわけです。それでも、私たちは髪を切りに行くことを不安だとは思いません。そこには、「店員さんが、その刃物を持って自分に切りつけてくるようなことはしない」という信用があるからです。厳密に考えれば、そこに根拠はありません。こうこうこうだから刃物を凶器にすることはないという、最近はやりの言葉でいえば「エビデンス」は明確にはないのです。それでも信用するのは、社会や人間に対する信頼があるからです。「普通そんなことは起こるはずがない(そんな人はいない)」という信頼があるからです。もし、少しでも「ひょっとしたら傷つけられるかもしれない」と思ったら二度といけなくなります。そういう疑いを持たない、ある意味絶対に近い信用があるからこそ、私たちは安心して身をゆだねることができるのです(ときには、途中で居眠りをすることさえできます)。

 このことを学校にあてはめれば、学校というシステム(社会と言ってもいい)や教師に対する信頼が十全であれば、生徒は安心して身をゆだねられるということになります。しかし、それは簡単なことではありません。多様化の時代にあってはなおさらです。

でも、この問題は今に始まったことではありません。1950年ごろに活躍したドイツの教育哲学者ボルノウ(1903-1991 ドイツ生まれ)は、当時すでに次のように指摘しています。

「教育者という職業は、彼に求められる信頼に対して、たえず過大な要求を課せられている点で、大きな困難を担っている。ここにしばしば教職に特有の悲劇が生まれる。多くの教育者が、あまりにも早く気むずかしくなり、疲れ切ってしまうのは、まことにもっともなことである」1)

 私たちは、保護者や地域からの理不尽な要求を、近年始まったことだと思い、昔はこうじゃなかったと感じることも多いのですが、実際は、長きにわたって教職という仕事に課せられた課題なのです。

 ボルノウの指摘が本当だとすれば、私たちの先輩たちも同じ悩みを抱えていたことになります。そして、その都度乗り越えてこられたからこそ、今があるのです。気休めにしかならないかもしれませんが、そう考えるとほんの少し肩の荷が下りたような気がするのは、私だけでしょうか。

1)『教育を支えるもの』O・F・ボルノウ著、森昭・岡田清美訳、1993.3.15新装5刷、黎明書房、p124)(新装初版は1989.3.10) ちなみに「教育を支えるもの」というこの本のタイトルは、直訳すれば「教育的雰囲気」(風土のようなもの)となるのですが、情緒的・感傷的な基調を漂わせる「雰囲気」との混同を避けるべきだとするボルノウの意図を汲んで、訳者によって「教育を支えるもの」とされました。かなり読み応えはありますが、若い先生にはぜひ読んでほしい名著です。教育の根本的な問題(「あらゆる効果的な教育にとって欠くべからざる根底をなす情感的条件と人間的態度」(同書p31)について考えるには、最高の一冊です。現代の教育にも十分通用し、将来迷ったときの拠り所となってくれます。

ハレとケ

子どもたちには「ハレ」の日が必要です。「ハレ」の日は、「ケ」の日があって初めて成り立ちます。「ハレ」と「ケ」とは、「柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ」※1であり、「民俗学や文化人類学において(中略)ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表し」※1ており、「ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した」ものです。学校でいうと卒業式などは、まさに「ハレ」の日です。

また、教育哲学者のボルノウは、この「ハレ」の日に行う「学校における祝祭」について次のように述べています。

「・・・荘厳・厳粛な祝いの経験は、それ自体、決定的な人生経験なのである。なぜなら、ある具体的なきっかけから、一般に人生のいっそう深い意義、つまり、人間がそれによって生きる歴史的基底が、祝いの荘厳さのなかで経験されるからである」

ここでいう「歴史的基底」には、個人のそれまでの過去はもとより自分の住む国や地域の文化や歴史の重みを身をもって感じるという意味を含んでいます。ボルノウは、教育を支えているものは、一種の「雰囲気」であると主張します。卒業式で、歩き方一つとっても日常とは違うやり方をするのは、「ハレ」の日として一定の厳粛さを保つためです。その厳粛さが、会場全体の「雰囲気」を「ハレ」にふさわしいものとし、柳田國男のいう「日本人の伝統的な世界観」を肌で感じる「場」として成立させているのです。

今後卒業式がどのように変わっていくのかわかりません。また、私はこれまでこのコラムの中で何度も学校は変わらなければならないと述べてきました。でも、この卒業式だけは、やはり一定の「雰囲気」(厳粛さ)が必要だと思います。卒業式を「ケ」のようにしてしまうことは、学校における「ハレ」を学校自らが放棄することです。学校が「ケ」だけになれば、子どもたちは理屈を超えた「教育的な雰囲気」を肌で感じる場を失い、「伝統的な世界観」を経験する機会を失うことになります。

近代以降、科学は目覚ましい進歩を遂げました。人類が月に行き、ミクロの世界では遺伝子の組み換えが可能になり、そのことによって多くの難病が治せる世の中になってきました。反面、大量殺人が可能な核兵器などを生み出してしまったのも科学です。本来科学は人間の「善」と「幸福」のために寄与するものだと思います。私は、宗教家ではありませんが、すべてを科学が解明できると思うのは人間の奢りのような気もするのです。

ボルノウのいう教育を支える雰囲気は、科学的には立証できないかもしれません。でも、私たちは子どもたちとかかわる中で、その成長ぶりを理屈や理論だけで解明できないことを日々肌で感じています。その「肌感覚」は、学校教育にとって最も大切なものの一つだと思います。 (作品No.39HB)

※1フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

※2『教育を支えるもの』O・F・ボルノウ著、森昭・岡田渥美訳、1993.3.15(第5刷)、p183

過去は変えられる

過去を変えるなど、タイムマシンでもない限り無理だとも思われるでしょう。でも、そうでもないんです。

新任のとき一緒に採用された新任が5人いたのですが、学級担任は私だけでした。当時、その学校はまだ校内暴力がかなり残っており、毎日のようにケンカやトラブルが絶えない状態でした。自分のクラスだけは「荒れ」させたくない。新任であることでなめられてはいけない。私は、新任であることを決して口にしませんでした。そして、学級開きの日から毎日のように生徒を押さえつける指導を繰り返しました。ほんの少しでも騒がしかったり、指示を聞かなかったりすれば烈火のごとく叱りつけました、授業中にちょっと後ろを向いただけの生徒を大声で怒鳴りつけたこともありました。何とか学級の「荒れ」を防ごうと懸命でした。不安の裏返しでもあったのだと思います。しかし、赴任したばかりで学校のシステムやルールも全くわかっていなかったため、私が出す指示は間違いだらけでした。それでも私は生徒に謝りもせず、平然と新たな指示を出していました。朝令暮改を絵にかいたような状態だったのです。

そのうち、生徒たちは私の指示を信用しなくなりました。それでも同じように厳しい口調で叱り続ける私に、次第に反抗的な態度を示す生徒が増えていきました。6月ごろにはもう誰もまともに私の話を聞かなくなりました。教室でケンカが始まっても仲裁に入る私の手は簡単に振り払われました。二学期になるとさらに状態は悪くなり、道徳の時間にクラスの女子が全員エスケープしたこともありました。

また、雪の降った日授業中にクラスの多くの子が雪玉を隠し持っていて、私が板書しようとすると黒板めがけて投げてくるのです。私を狙ったのではなく、黒板をねらっていたのです。黒板は濡れると乾くまで字が書けません。それに対して私が怒ったり困ったりするのを見て喜んでいるわけです。

とにかく毎日が地獄のような日々でした。ひどいいじめも起こりました。ある土曜日、終わりの会をするために教室に行くと、最後列の女の子が机に突っ伏して泣いています。どうしたのかと近寄るとそのまま教室を飛び出していきました。見れば額からうっすら血が流れています。クラス全体に「何があったか」と聞くと、そのときの学級委員長の女子がすっくと立って、「私が隣のクラスの子から借りていた教科書を廊下で投げて返したら、ちょうどそこにAさん(泣いて飛び出した子)がいて額に当たりました。すみません」ときっぱり言い切った。ところが、後でAさん宅に家庭訪問したときに知らされた事実は全く違うものでした。Aさんは、7~8名の女子生徒にトイレで囲まれ罵詈雑言を浴びせられた上に、殴られたり蹴られたりされていたのです。委員長の女子はその主犯格でした。

家庭訪問では、Aさんの両親から「これは犯罪だ。二度とこんなことがないとここで約束しろ。そうでなければお前を訴えてやる」と言われました。当然の怒りです。しかし、私は学級の現状を考えると「二度とないようにする」自信はまったくありませんでした。怒り狂う両親を前にして、ただ無言で耐えるしかありませんでした。結局、その子の母親が偶然にも学年担当の先生の教え子だったため、何とかなだめてくださり、訴えられることはありませんでしたが、その一件で私の教師としての教師としての誇りや自身は壊滅状態になりました。

その後私は、とにかく一日が過ぎればそれでいい。早く一年が終わってほしい。そればかり考えていました。新任であるにも関わらず年休をすべて使い果たしました。生徒に対しても完全に逃げ腰になりました。生徒と向き合うエネルギーはもう残っていませんでした。三学期、最後の大掃除のとき、学級の全員がロッカーの上に座ったままでまったく掃除しようとしませんでした。私は次に入学してくる新入生が使うことになっている机だけは修繕しようと、一人で一つ一つの机に向かっていました。そのとき、私の頭にあったのは、惨めさを通り越した「恨み」でした。そして、教師として絶対に思ってはならないことを思ってしまったのです。こんな奴らに俺の人生を狂わされてたまるか。私を何とかそこに留まらせたのは、生徒への「憎しみ」だったのです。

翌年、再度1年生の担任となった私は、二度と同じ轍を踏むようなら、その時は潔く職を辞そうと考えていました。二年連続となれば、もう自分に教師としての適性はないということだ。その代わり今度こそ最後まで逃げずに生徒に向き合おうと決めました。相当な無茶もしました。どうせだめならやめるんだと思うと、迷わず好きなようにやれました。クラスも落ち着いていました。

そんなある日、グラウンドの石段に腰かけていた私に、一人の女子生徒が話しかけてきました。前年私のクラスにいた子で、毎日のようにいがみ合っていた生徒です。嫌味の一つでも言うかと思ったら、意外にもこう言ったのです。「今の先生、なんかすごくいい感じだね」そのときは、ただただ嬉しかっただけでした。

それから何年も経ったのち、アドラーという心理学者の存在を知りました。アドラーはこう言います。

「人は誰もが同じ「客観的な世界」に生きているわけではなく各々自分で意味づけをほどこした「主観的な世界」に生きているということです。同じ経験をしても意味づけ次第で世界はまったく違ったものに見え行動も違ってくる」1)

アドラーの言うことが正しければ、客観的な事実としての過去は変えることはできなくても、それに与える意味は変えられるということになります。そして、人が各々違う意味づけの「主観的な世界」に生きているとすれば、悔いしかないような失敗でさえ、意味づけが変われば、失敗は必ずしも失敗ではなくなるのです。私は気づかされました。一年目の「失敗」(だと思っていた経験)があったからこそ、それ以降の教師生活が充実したのだと。記憶から消したいとまで思ったあの一年間に、新たな意味づけが与えられたのです。

「過去は変えられる」。管理職になってから、何人かの先生にそう伝えました。ただし、自分のやったことが本当に失敗だったと、心から考えていると感じた人にだけですが。

1)岸見一郎・NHK「100分de名著」制作班監修、脚本:藤田美菜子、まんが:上地優歩『まんが!100分de名著アドラーの教 え 『人生の意味の心理学』を読む』宝島社、2017年4月22日、p35)