面白い研究

最近、ペット型ロボットが流行っているそうです。近年のロボットはかなり精巧につくられていて、本物と遜色のないものも増えているようです。まあ、それでも大人ならロボットが生き物ではないことに気づくでしょう。たとえ、見た瞬間は生き物に見えても、ちょっと落ち着いて見れば見分けがつくはずです。

 でも、子どもならどうでしょうか。それも、就学前の幼児の場合、同じように識別できているのでしょうか。幼い子どもは、大人に比べて知識も経験も少ないので、もしかしたら精巧につくられたペット型ロボットを「生き物」と勘違いすることもあるかもしれません。

 この点について、ある人が面白い研究結果を発表しています。その人によれば、幼稚園に動物の形をした動くロボットを置いておくと、しばらくは何かを食べさせたり、話しかけたりするなど「生き物」として認識している行動を示しました。しかし、2週間くらいたつと誰も「世話」をしなくなりました。そこで、幼稚園の先生が「かわいそうだね。世話をしてやろうよ」と促しますが、それでもまったく興味を示さなくなりました。つまり、最初は動くロボットを生き物だと認識していた子どもはロボットを命を持たない「無機物」であることに気づき、おもちゃに飽きたときと同様、振り向きもしなくなったというのです。

 この実験に参加した幼稚園ではうさぎを飼っていたそうですが、子どもたちはうさぎの世話はずっと続けているそうですから、子どもたちは命あるものとそうでないものを(2週間はかかったものの)しっかりと区別することができたということになります。

 さて、この実験研究で興味深いのは、論文のまとめの部分で、子どもたちがロボットと生きたうさぎを区別する基準が「弱さ」だったのではないかという推論で締めくくられていることです。飼われたうさぎは誰かが餌を与えなければ生きていけません。子どもはうさぎの世話をすることで経験的にそのことを知っています。ところが、ロボットは世話をしなくても、ずっと同じ動きをします。自分の世話を必要としないロボットは、子どもにとってもかけがえのないものとはなりません。「弱さ」は、生き物を認識する重要な要素であり、生きていくためには何らかの世話や支えが必要であるという意味で、生きとし生けるものに共通している要素なのです。

 アメリカの哲学者ミルトン・メイヤロフは「他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである。」1)と言っています。メイヤロフは「ケア」の対象を人間だけに限定せず、他の生き物はもちろん、概念や事物にまで視野に入れていました。子どもが無心に小動物の世話をする(役に立つ)ことは、自分の存在が小動物にとってかけがえのないものであると感じることでもあります。その感覚によって、こどもは自分自身の存在価値を自覚することができます。

 子どもに限らず「ケア」する対象を持つことは相手の「弱さ」を受け入れることであり、同時に「ケア」する側にも自分の生きる意味を与えてくれることなのです。

自分にとってかけがえのない誰か(何か)がいるということ、それこそが生きる居場所であり、自尊感情の源だということを純粋な子どもは本能的に知っているのかもしれません。

1) ミルトン・メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳(1987)『ケアの本質』(ゆみる出版)、p15

参考文献:坂田陽子(2020)「ペット型ロボットの疑似飼育は子どもの生物概念を発達させるか」、『発達心理学研究 第31巻 第4号』 183-189

(作品No.213RB)

桜が春に咲くということ

春になると桜が咲きます。誰もがそれを「当たり前」のことだと思っています。桜に迷いはありません(桜に聞いたわけではありませんが)。だから毎年同じ時期に同じ花を咲かせます。それは、あたかもそうすることが自分にとって最も美しい姿であるということを知っているかのようです。

 それに比べると人間は何をするにも迷ったり、悩んだりするものです。今日の夕食は何にしようかといった日常的なことから、どんな生き方をすればいいのかという哲学的なものまで、ありとあらゆる場面で迷い、悩みながら生きています。だから、桜のように「最適解」を持っている存在にあこがれるのです。

 北原白秋の有名な詩に次のようなものがあります。

「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花咲ク 何事ノ不思議ナケレド」

 白秋も大いに迷い、悩んだ一人なのでしょう。自分にとって何が最も大切なのかがわかっていれば、こんなに悩むことはないのにという切実な思いが、桜(自然)への憧憬へと繋がります。自分にとっての「当たり前」が何であるかがわかれば、どんなに楽だろうと思います。

 けれども、私たちは桜のように生きることはできません。すべての人にあてはまる唯一絶対の「最適解」などあろうはずもなく、答えは、選ぶというより自分でつくりだすものだと言った方が正確かもしれません。となると、人間にとっての「当たり前」を考えることは非常に困難な作業です。だから人間は、今の自分が本来あるべき姿でないと感じて悩んだり、誰もが当たり前にできることができないと思って自己嫌悪に陥ったりするのです。私たちは、児童生徒に「当たり前」であることの大切さを訴えることが多いのですが、そんなとき「そうなれない自分」を責めてしまう子がいるかもしれないことを常に頭に置いておく必要があると思います。イギリスの哲学者、バートランド・ラッセル(1872~1970)がその著、『幸福論』の中で述べているように「なんびとも完全であることを期待するべきではないし、また、完全でないからといって不当に悩むべきではない」1)という前提で話をする責任があるのです。

 ただ、見方を変えれば、人間が迷ったり、悩んだりするのは、私たちがそれだけ自由な存在であるということでもあります。決められた「最適解」を持たないからこそ自由に生きることが可能性になるのです。選択する自由があるからこそ迷い、悩むのです。桜(自然)は悩むことはありません。でも、同時に選択肢もないのです。

 私たちは、悩んだり落ち込んだりしている子を見かけると、当たり前のように「そんなことで悩む必要はないよ」と声をかけます。でも、もしかしたらその子は、「やっぱり自分は〝そんなこと〟で悩むような弱い人間なのだ」と受け止めているかもしれません。 

 そういう子には「悩んでいるのはあなたが自由である証拠なんですよ」というメッセージが必要なのだと思います。

(作品No.212RB)

1)小川仁志(2021)『バートランド・ラッセBル幸福論 競争、疲れ、ねたみから解き放たれるために』NHK出版、p52

マルトリートメントを失くすために

非常に残念なことですが、教員による暴言や体罰といった〝不適切な関わり〟が連日のように報道されています。

 〝不適切な関わり〟のことを「マルトリートメント」と言うそうです。それは、「「大人の子どもへの不適切なかかわり」を意味しており、児童虐待の意味を広く捉えた概念」1)です。それを学校に当てはめて「教室マルトリートメント」と呼ばれることもあります2)

 いずれにしても、教師にとっては指導のつもりでも、暴言や高圧的な態度は子どもの心を思いのほか深く傷つけてしまいます。なかには、そうした接し方によって子どもが自ら命を絶つ悲劇、つまり「指導死」を生み出す危険性もあります。

 そうした教員は全体からすればごくわずかでしょうが、そのごくわずかな人によって学校や教師に対する信頼が損なわれてしまうことには忸怩(じくじ)たる思いを禁じ得ません。

 1960年から1970年ごろに活躍したアメリカの哲学者ミルトン・メイヤロフは、他者を一人の人格としてケアすることを「最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである」3)とした上で次のように述べています。

「……もし相手が事実上成長していないのであれば、私は相手の要求に対応していないわけであり、したがってケアをしていることにはならないのである。」4)

教育も子どもの「成長」と「自己実現」を期するものです。メイヤロフの「ケア」は、まさに教育そのものであると理解すべきでしょう。

 私たちは子どもに、人として大切なことを伝えたいと願っています。どうすれば、最もよく伝わるのかと悩みます。そして、伝えたつもりが、実は伝わっていなかったということをしばしば経験します。そして、伝わらない子(何度言ってもわからない子)を否定的に見てしまいがちです(私もそうでした)。しかし、メイヤロフによれば、伝わったのなら結果として相手が成長しているはずだと断言するのです。メイヤロフの主張に従えば、伝わらなかったのは「伝わるように伝えなかった」ということなのです。非常に厳しい言葉です。私たちが伝えようと思っていることが子どもにしっかりと伝わる方法で伝えていたら、必ず子どもは成長するはずであり、その成長を実現させることで教師も成長するというのがメイヤロフの立場です。

 ただ、メイヤロフは完ぺきな人間でなければケア(あるいは教育)ができないと言っているわけではありません。ケアする対象(子ども)を「本来持っている権利において存在するものと認め、成長しようと努力している存在として尊重する」5)ことができれば、真のケアに近づくことができると述べています。

 学校におけるマルトリートメントを失せるかどうかは、私たちが子どもを人として尊重できるかどうかにかかっています。

(作品No.211)

1)文部科学省「養護教諭のための児童虐待対応の手引」(平成19年10月)第2章、p8

2)川上康則(2022)『教室マルトリートメント』、東洋館出版社

3)ミルトン・メイヤロフ、田村真・向野宣之訳(1987)『ケアの本質』、ゆみる出版、p13

4)前掲、p90

5)前掲、p13

「そもそも教」の信者として

とかく理屈っぽい人は嫌われます。そういう人は、すぐ「そもそも〇〇というのは・・・」と語りはじめます。そういう言い方は「そもそも論」と呼ばれて敬遠されがちです。私は最近まで学校現場にいましたが、そういう人が職員会議で手を挙げた瞬間、職員室の空気が一変するのを何度も経験してきました。

「得意の『そもそも論』が始まるぞ」という空気感。それも、長い時間かけた結果、ようやく結論が出ようかというときに出てくる「そもそも論」は、それまでの議論を振り出しに戻してしまいます。徒労感は半端なものじゃないでしょう。

「そもそも論」者は結構たくましいので、「理屈はいいから結論を言え」という冷たい視線を気にすることはありません。あなたは「そもそも教」の信者か? と思ってしまいます。そして「そもそも論」者は、「たいした仕事もできないくせに理屈だけは一人前だ」という烙印を押されることになります。みんな忙しい。ありがたくて役に立たないお説教を聞いている暇はありません。

 こんなことがありました。職員会議で校長が結論めいたことを発言したとき、一人の「そもそも論」者が反論を始めました。何とその校長、話が終わらないうちに一喝したのです。

「ぐちゃぐちゃ理屈をこねるな。黙っとれ!」

 気持ちがいいくらい、はっきりと言い切ったのです。校長の勢いに押された「そもそも論」者は沈黙するしかありませんでした。

「そもそも論者」を否定する人は、以下のような本音を持っています。

「偉い学者さんは、学校現場のことが全然わかっていない。だから、偉そうに理想的なことばかり言う。その割に、具体的にどうすればいいかについては何も語らない」。

 こうして「そもそも論」は、「現場」で否定され続けてきました。

 確かに今の学校には余裕がありません。学校にはすぐにでも解決しなければならない問題が山積みです。「いじめ」、「不登校」、「保護者対応」、「働き方改革」等々。そうした学校現場で教員たちが求めているのは、ありがたい説法ではなく、目の前で起こっている問題に対する具体的な方策なのです。

 世の中は多様化が急激に進んでいます。それは、「チーム学校」でまとまろうとする人からすれば多様化は面倒な現象でしょう。一人ひとりの個性を尊重しようとすると収拾がつかなくなるのは目に見えているというわけです。

「個」が最大限に尊重され、何でも自由にできる(ように思わされている)世の中は、選択肢が多くなるという利点もあれば、何を選べばいいのかわかりにくくなり、人びとを迷わせます。例えば、最近夢や目標が持てない小中学生が増えたと言われますが、それは選択肢の多さの前で子どもたちが立ち往生している姿です。

 また、多様化に対応しようとして、一つ一つの事象に一つ一つ具体的な対応策を考えるのは、まるでもぐら叩きのようなもので、教員は次から次へと現れる見知らぬ現象に振り回されてしまいます。教員はどんどん忙しくなり、教員志望者が全国レベルで激減し、学校は教員不足のためさらに忙しくなっています。

 それでも私は敢えて言います。「そもそも論」は学校を救う最終手段であると。何を隠そう私自身が「そもそも教」の信者なのです。一喝された教員とは私のことです。

 実は、現状を打破する原動力となる唯一の武器が「そもそも論」なのです。そもそも(出た!「そもそも論」)、教員が近視眼的にならざるを得ないのは、多様に広がる一つ一つの「価値」を俯瞰する視点を持てないでいるからです。そうした視点は、いわば多様化を包括するまったく別次元の世界を私たちに見せてくれます。今こそ、私たちは学校とは何か、公教育とは何のためにあるのかといった原点に戻ることが必要です。つまり、日々取り組んでいることに対して「そもそも」何のためにやっているのかと考え直してみること、それが「俯瞰する」ということなのです。

 多くの課題を抱え、その上に新たな取り組みを要求され続けている学校。このままでは、学校という組織そのものが崩壊してしまいます。目の前の事象に一喜一憂するのではなく、10年後、20年後の学校を俯瞰的にイメージした上で、今、ここで何が大切なのかを考えることが必要です。

 思い切った学校改革が急務ですが、そこで見えているものが枝葉末節であることに気づかないまま進めてしまえば、学校(公教育)は空中分解してしまいます。公教育を経済の理論で片づけようとする人たちの格好の餌食になるでしょう。

 すでに、改革を進めて「実績」を挙げたと主張する人の中には、学力の保障を学習塾に任せ、学校側が塾の邪魔にならないことが必要だと主張する人さえいます。それが本当に、未来を見据えた「俯瞰」から生まれたものなのか、未来を閉ざす枝葉末節に過ぎないのかを私たちはもっと丁寧に吟味していかなければなりません。改革は必要です。でも、拙速であってはなりません。

「そもそも教」の敬虔な信者としては、強くそう思うのです。

(作品No.210RB)

父親の「策略」

学校では、年に何回か個別懇談があります。そこで保護者から、こんな話が出てきます。

「ウチの子は、何回言っても自分から勉強しようとしないんです。先生からも何か言ってやってください。」

 しかし、真剣に訴える保護者の横で子どもは親を睨みつけています。「余計なこと言わないでくれ」という気持ちがありありと窺えます。

 そういうとき、学級担任としてどんな言葉をかければいいのかと迷います。保護者に寄り添えば、子どもを叱らねばなりません。しかし、そうすると、おそらく家に帰ってから親子喧嘩が始まるでしょう。逆に、子どもに寄り添えば、「先生なんだから、もっと厳しく叱ってくださいよ」と保護者は不満に思うでしょう。

 いずれにしても難しい選択です。ただ、いろんな調査やアンケート結果などをみると、「勉強しなさい!」「宿題したの?」といった言葉は、親に言われて嫌だと思うベスト10には入っているようです。親からすれば、放っておけばいつまでたっても勉強しようとしないから心を鬼にして言っていると主張するのですが、言えば言うほど子どもは勉強しなくなっていきます。その姿を見て、また同じ叱責を繰り返してしまうのでしょう。

 ある人に聞いた話を紹介します。

「自分は、親に一度も『勉強しろ』と言われたことはありません。父親に至っては、勉強しよ うと部屋に行こうとする私に『まあ、もちょっと一緒にテレビ見ようや』とか『なんか話しようや』などと声をかけてきて、夕食後のリビングに引き留めとようとするのです。それは、私が受験生だった中学3年や高校3年のときでも同じでした。」

 反抗期真っ盛りだった彼は、父親に引き留められると、逆に強く「俺は勉強するんだ」と思ったと言います。

「今思えば、あれは親父(おやじ)の『策略』だったんじゃないかと思いますよ。反抗期で、しかも天邪鬼(あまのじゃく)だった私の性格を利用して、わざと引き留めようとしていたんじゃないかと。」

 なるほど、そういう手もあったかと思いました。人は強制されると逆に意欲を削がれてしまうものです。

 結局、彼はその後、高校も大学も第一志望の学校に合格し、就職試験もすんなり受かりました。お父さんの作戦勝ちだったと言えるかもしれません。

 でも、それだけではない気がします。それで、彼にもう少し詳しい話を聞いてみました。

 彼のお父さんは昭和の初めに生まれた人で、「俺は尋常高等小学校1)しか出ていない」と言っていたそうです。とはいえ、当時としては高等小学校は尋常小学校6年間(義務教育)の後に「進学」するものだったので、他の子より長く小学校に在籍したことになります。

卒業後は、軍需工場で働いたそうです。もともとその工場は全国でも有名な企業だったのですが、戦況の悪化により軍需工場化し、人手が足りなくて若者を勤労動員で集めることになったようです。そして、数年後に終戦を迎え空襲にも遭わなかったため工場は残り、運よくそのまま就職することができたそうです。お父さん曰く「俺は運が良かった。あの頃は入社試験すらなかった。今なら、こんな大きな会社に勤めることは(自分の学歴からすれば)できなかっただろう」と、事あるごとに話していたそうです。

 ここからは、私の想像ですが、そのお父さんは学歴に対して、ある種の開き直りのようなものがあったのではないかと思います。学歴はなくても努力次第で家族を養ってきたという自負があったのでしょう。経済成長が右肩上がりの時代だったということもあるでしょうが、たとえ自分の子どもが勉強しなくても、人生、何とでもなるというふうに腹を据えていたのでしょう。だから、もし「策略」が裏目に出ていたとしても、それはそれで一つの人生だと息子を受け入れるだけの度量があったのだと思います。

 先行きが見えにくい現代社会において、このお父さんのような腹のくくり方は難しいのかもしれませんが、それでも結局は子どもを信じるしかないのです。それは、今も昔も変わらないと思います。

 親が焦れば焦るほど、子どもは思わぬ方向に進んでしまうような気がします。親が必要以上に焦らなくてもいい社会。そんな社会であればいいのですが。

(作品No.209RB)

1)正式には、「高等小学校」です。「尋常高等小学校」は、明治40年、尋常小学校が4年から6年に延長されたことに伴い、名称が「高等小学校」に変更されました。お父さんが「尋常高等小学校」に通ったとすると、明治時代に生きていたことになり、つじつまが合いません。恐らくお父さんの勘違いだろうと思います。

保護者の皆様へ

(以下は、私が初めて中学3年生を担任したときの学級通信を冊子にしたときの後書きです。)

本当にありがとうございました。皆様のご協力により、今年もすばらしい感動と巡り会うことができました。いろんな行事に全力を尽くせたのは一重に皆様のお陰であると、心より感謝申し上げます。進路決定の大切な時期に、やれムカデだ、合唱だと朝早くから放課後遅くまで練習させていただいたのは、皆様の深いご理解があればこそであります。しかしながら、その結果、子どもたちは、自分の力を伸ばすことができました。私自身も、半人前なりの充実感を存分に味わうことができました。ご家庭におかれまして、子どもたちに励ましのお言葉をかけていただいたこと、そして、各行事で素晴らしい成果を収められたことは、今後忘れることはないと思います。

 子どもたちは今、卒業のときを迎え、心身ともにたくましくなりました。甘えん坊だった彼らも、一人一人自分の将来をしっかりと見つめています。社会は厳しく彼らを更に鍛えるでしょうが、この中学校で体験した感動を胸に、一層優しく、人間らしく生きていってほしいと願ってやみません。このささやかな冊子が、その成長の過程で少しでも役に立てば幸いと存じます。

 子どもたちは、実に正直で素直でした。三年間の幕を閉じるにあたり、最後のお願いをさせていただきたいと存じます。9組の生徒たちが、卒業式を終えて家に帰りましたら、三年間分、たっぷりとほめてやってください。難しい年ごろと言われる彼らが、反抗しやすい年ごろでありながら、精一杯生きてきたすばらしい中学生活を彼らと語り合っていただけたら、私は教師としてこんなに幸福なことはありません。

 彼らに対し、何もできませんでしたが、せめて彼らに恥じない生き方をすることで報いたいと思います。三年間、本当にありがとうございました。今後の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、ここに御礼申し上げます。(平成元年3月15日初稿 一部改)

 今から、30年以上前の文章です。今、読み返すと、丁寧な言葉を使ってはいるものの、なんとも自分勝手な内容だと思わずにはいられません。

 文中にもありますが、体育祭のムカデ競争や合唱コンクールの練習で朝早く生徒を集め、放課後も特訓しました。ここには示していませんが、休日にも生徒を集めて合唱の練習をしたこともあります。それでも、保護者からは一切クレームはきませんでした。(公立高校の合格発表が終わった後、「先生、行事の練習のために塾を何度も休みました。これで合格しなかったら、どうしてくれるんだとひやひやしてたんですよ」と本音を言ってくださるお母さんがお一人いましたが。)そういう時代だったのかもしれません。

 退職前、同じ学校に校長として勤務したとき、当時生徒だった子に何人も出会いました。子どもを中学校に通わせる親となった彼らは、あの頃のことを懐かしく話してくれました。しかし、私はこういう話を「武勇伝」のようにして若い先生に話をする気はありません。そんなことをしても今の生徒や、今の保護者が求めるものと大きくずれていれば、有害でしかないと思うからです。私に言えることは、目の前の生徒が、あるいはその後ろにいる保護者が何を望んでいるのかに耳を傾け、教師として伝えたいことがちゃんと伝わるようにするためにはどんな言葉を使えばいいのかを、そのときそのとき考えるしかないということだけです。

 自慢じゃないですが、私は当時学級通信を通じて、保護者の一人一人に自分の考えを必死で伝えようとしていました。また、初めての3年生担任ということで、保護者用回覧ノートを作って意見を書いてもらっていました。それなりに努力はしてきたつもりです。これだけ無茶をやっても何とか許してもらえたのは、そういうことをこまめにやってきたからだという自負はあります。

 保護者がモンスターと呼ばれることがあります。確かに、とんでもないことを要求してくる人もいますが、それでも、そうした声に耳を傾ける姿勢は今も大切なことだと思っています。そして、その姿勢を保護者に伝えることが重要だと思います。親が何も言ってこないからこちらも何もしないというのでは、信頼関係はつくれません。保護者は「聞いてくれる」と思うからこそ、本音で語ってくださいます。度を越したクレームもこうした教員の姿勢でかなりの部分が防げると思います。そこから生まれた信頼関係を基盤にした学級経営であるからこそ、担任としてのやりがいも生まれるのだと思います。

(作品No.120RD)

「事前」の説明責任

学校評価は、平成19年6月に学校教育法を改正に伴って導入されました。文部科学省は、この学校評価の目的として挙げた3つのポイントの一つに、「各学校が保護者や地域住民等に対し、適切に説明責任を果たし、その理解と協力を得る」1)ことを挙げています。

「説明責任」というと、どうしても「事後」の対応を思い浮かべます。たとえば、いじめの重大事案が発生したとき、それに対して、いつどのように対応したか、普段から子どもへのアンケートを定期的に実施していたか、実施していたのならその内容に関してどのように対応をしていたか、などの説明はすべて「事後」に行われます。

 当然、説明をしっかりするためには普段の取組や平素の記録を詳細に残しておくなど、「事」が起こる前の準備は欠かすことはできません。学校は、重大な事案が発生すると大きなダメージを受けます。そのダメージを少しでも減らすために、いつでも説明できるようにしておく視点は非常に重要です。しかし、そうした準備は、ほとんどの場合「事後」の対応を円滑にするために行われます。

 しかし、どんなに正確に記録を残していても、どんなに誠実に対応したとしても、いじめの被害者はなかなか納得してくれません。そこには、何かが足りないものがあるのです。それは、すべてが「事後」に行われるものだからです。前もって言えば「説明」ですが、後になればいくら言っても「言い訳」とされてしまうのです。

 ちょうど学校評価が導入されたとき、私は指導主事として、学校評価の出前講座を担当していました。まだ、学校が学校評価の具体的な在り方を模索していた時期です。県内各地に行くことになったのですが、この制度そのものへの不満もまだ根強く残っていましたので、不安だった私は、近隣の大学の専門家の講義を受けて、学校評価について助言をいただきました。講師先生のお話の中で印象的だったのは、次のような指摘でした。

「学校は評価というと、ついマイナスをゼロにしようとを考えるけれど、もともとその学校が持っている「強味」(プラス面)をグレードアップすると考えた方が前向きになれると思いますよ。不思議なことにプラス面が伸びてくれば、自然にマイナス面が減っていくものなのです。そもそもその方が夢があっていいじゃないですか。」

 なるほどと思いました。

 それから私は、学校にとって「説明責任」とは夢や理想を語ることだと思うようになりました。それは「事」が起きる前だからこそ意味があります。4月の最初に子どもたちに出会ったときや保護者の前で最初に話をするときに、この学校(学級)をいいものにしたいという、教員の思いを事前に語っておくことが「説明責任」の原点なのです。

 そう考えたとき、どの学校でも作成し、多くの学校でホームページで閲覧可能にしている「いじめ対応マニュアル」が大きな意味を持ちます。そこには、学校の方針に始まり、どんな生徒を育てたいかという理想像が描かれ、具体的な対応のフローチャートなどが示されています。中には、いじめ早期発見のチェックリストまでつけられているところもあります。

 自分が管理職だったときに、学校だよりなどでもっと積極的に保護者にアピールすべきだったと、いまさらながら思います。

 また、こうしたマニュアルの元になった「いじめ防止対策推進法」(平成25年制定)の第九条には(保護者の責務等)として以下のような記述があります。

「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。」

 このことも保護者には十分に理解してほしいところです。でも、これも後出しでは責任回避として受け取られてしまうでしょう。

 いじめ防止マニュアルを活用すれば、すべてがうまくいくとは言いませんが、深刻な問題が起こって、それに対応しようとするとき、最初に語った夢や目標、そしてそれを実現するための具体的な方策(早期発見を含む)まで書かれているのですから、「説明責任」を果たす上で、これほど有用なものはないと思います。

 理想を事前に周知しておくことで、「事後」の説明が生きてきます。なぜなら、その「説明」が後出しの「言い訳」ではなくなるからです。

 こうしたことにより、いじめだけでなく、実際に行われた指導にどんな意味があったのかを「事」が起こった後でも納得してもらいやすい風土がつくれると思うのです。

(作品No.197RB)

1) 平成22年10月25日 中央教育審議会答申初等中等教育分科会資料より抜粋(下線は引用者による)

子どもが息をしなくなる?

民主的な学校づくりは、本気で取り組まなければならない問題です。子どもたちに「自分たちが学校をつくっているんだ」という意識を持たせないと、「指示待ち」の人間ばかりを育ててしまいます。

いわゆるシチズンシップ(市民教育)が必要です。学校は社会に出たときに必要な最低限の知識と技能を身につけるところであると同時に、社会の発展に貢献することのできる人間を育むという大きな二つの目標があるはずです。

シチズンシップを育てるためには、一定の年齢に達したら、今、社会でどんなことが起こっているかについて考える時間を設ける必要があるでしょう。しかし、それは子どもたちにとって、身近な問題になりにくい面もあります。

だから、まずは最も身近な学校の課題に目を向けさせることが必要です。学校は大きく視点を変えて子どもたちに任せられることは思い切って任せる方向に舵を切らないと何も変わりません。例えば、校則の決定や改正については、提案から実現まで生徒会主導で実施するべきです。

ただ、ここで気をつけたいことは、「拙速」にならないことです。緩やかな変革が大切です。どんなに素晴らし取組であっても、拙速に過ぎれば無駄な反動が起こります。

校則の見直しは生徒の手で行えばいいとは思いますが、極端な話、昨日まで制服着用が課せられていたのに、急に明日から着てこなくていよとなれば、生徒はもちろん保護者も戸惑いを隠せないでしょう(ちょっと話が極端すぎましたかね)。

大切なのは、教員、生徒、保護者の三者が合意を形成することです。その合意を得ないままに、今の時代に合わないからといって学校側だけの判断で事を進めたら意味がありません。大切なのは学校に制服が必要かどうか、今の校則が妥当なのかどうかということではなく、それらの見直しが必要かどうかの合意形成をするための「過程」です。

それは、生徒が頑張って取り組んで先生の許しを得るというものではなく、生徒がまず、制服の意義を考え、必要か必要でないかを議論し、全校生徒や保護者、教員にも意見を聞き、いざ、制服を廃止するのがいいという合意が得られたら、どのような手順が必要かを考えるといった「過程」のなかで子どもたちは成長するのです。

だから、問題の内容によっては一年で終わらないかもしれません。生徒会が主導するなら次の代に引き継ぐことも起こりうるでしょう。それでもいいと思います。とにかく、プロセスを軽んじ、結果ありきでことを「拙速」に進めたらシチズンシップを培うことはできません。

ルソーは、大人が子どもに指示、命令、禁止ばかりを続けていると「「やがて、息をしなさい」といわれないと自分で呼吸をすることさえできなくなるだろう……」(苫野一徳(2020)『100分で名著 読書の学校 ルソー社会契約論』NHK出版、p74)という辛辣な皮肉を述べたと言われています。

今の学校は、指示や命令をしなければ維持できないシステムになってしまっています。学校が変われないのは、単に教員の意識レベルの問題だけではありません。子どもたちに、市民として生き抜く力を身につけさせることができる環境整備が何より重要です。

具体的には、教員に時間的な余裕を与えること、入試制度を抜本的に見直すこと、個々の生徒の理解度に合わせた授業展開を可能にするための人員確保など、行政が真剣に改革を進めなければ教員は身動きがとれません。

なぜ、それらの改革が必要なのかについてはまた改めて示したいと思います。とにかく、シチズンシップの育成のためには、生徒に自由を与えなければなりません。そして、そのためには、教員にも余裕と自由を与えるシステム改革が必須なのです。(作品No.198RB)

自分の原点を知るために -映画『同胞』-

この映画を始めて観たのは、地元の市民会館、封切から5年も経った後でした。当時、高校3年生だった私は、12月に遠い関東の大学を推薦で合格を決めていました。暇を持ちあましていたとき、近くで映画会があると聞いて出かけたのです。

「同胞」という映画が松竹80周年記念作品であることも知りませんでしたし、芸術祭参加作品であることも知りませんでした。それだけではなく、監督がかの有名な山田洋次氏だということさえ意識にはありませんでした。そもそも「同胞」を「はらから」と読むことさえ知らなかったのです。

 今も細かいストーリーを覚えているわけではありません。心に残る特別なシーンがあったわけでもありません。けれども私は、一人でこの映画を観ながら、ただただ「号泣」したことだけは、はっきりと覚えています。嗚咽とはこういうものかと実感したのもそのときです。ちょうど新しい生活が始まるタイミングだったこともあったのかもしれませんが、なぜあんなに「号泣」したのか自分でもよく覚えていないのです。

 今から42年前、何がそれほどまでに私の心を動かしたか。その頃の自分にもう一度出会いたくて、インターネットでレンタル落ちDVDを購入しました。

 ストーリーは、いたって日常的です。田舎の村にミュージカル公演を実現させるという設定はどこにでもあるものではないでしょうが、一つひとつのセリフは、いつでも、どこにいても出会えそうなものばかりです。はらはらどきどきするような映画でもありません。クライマックスのシーンですらどこか冷静さを感じるほどで、仰々しさはほとんどみられません。観る者を惹きつける場面と言えば、主演の寺尾聡氏が感極まって泣き出すシーンと消防団長役の渥美清氏が画面に大きく映る場面(この映画での渥美さんの出演は数分あるかないかです)くらいでしょうか。

 いったい、この作品のどこに「号泣」するほどのインパクトがあったのか、その答えは結局見つかりませんでした。

 けれども、あの頃こういう映画に感動する心を自分は持っていたのだ。そういう敏感な時期が自分にもあったのだということだけは、確認することができました。

 出会いというのは不思議なものです。私がこの映画に出会ったのは偶然としか言いようがありません。推薦入試に落ちていれば呑気に映画など見る余裕はなかったでしょう。市民会館が上映会をこの時期にしていなければ、私の「号泣」はなかったのです。それらの偶然によって与えられた出会いが、私の心に刻みこまれ、いつしか必然に変わっていきます。必然となった記憶は、それがなければ、今の自分の何かが欠け落ちてしまうような重要な位置を占めるようになります。

 今回私は、同じ映画を観ても当時のような感動は得られませんでした。でもそれは、必然に変わった何かが、私という存在にまったりと同化したからだ、そう思いたいという感情が生まれました。

 私が、自分の手や足や、それらを動かす心臓や脳の存在をほとんど意識することがないように、今も、あのときの「号泣」が私の体のどこかに潜んでいるのだと。(作品No.196RB)

<映画『同胞』について>

 1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開された。監督・脚本 山田洋次、出演 倍賞千恵子・寺尾聡他。DVD(発売・販売元:松竹株式会社ビデオ事業室、1975年)のディスクジャケットには「美しいふるさとで一つのものを作り上げる喜び」という見出しで以下の説明がある。「農村青年たちと都会の演劇青年たちが多くの困難や障害を克服し青春の夢の一つ(演劇公演)を現実のものにした岩手県の松尾村で実際に起った感動の物語」。

 いかにも「昭和」である。

制度疲労という難問への挑戦 その2

学校の制度疲労を克服するために大切なことの一つに、高校入試のあり方があります。

H県とS県では、高校入試に用いる調査書の考え方が180度違います。

まず、H県は本年度末の入試から、調査書の内容を大幅に削減する方針を示しました。各教科の評定以外は、部活動の成績や特別活動(生徒会)などの記録、欠席状況も記載しないとしたのです。そのうえで受験生には、自己表現を課します。プレゼンテーションなど生徒独自の工夫も受け入れるようです。

H県はもともと調査書そのものを不要なものと考えているようで、かねてから文部科学省に廃止の許可を求めてきたのですが、学校教育法施行規則という「法の壁」に阻まれて実現できないでいました。そこで、今回学業成績以外は姓名などの基本事項と学習の評定だけに記載事項を限定したのです。

対照的なのがS県です。読売新聞(11月1日付)が報じたところによれば、S県立高校では、部活の実績や生徒会活動などを点数化するそうです。本年度の進学説明会で明らかにしたとのことですから、本年度末の入試から導入するのでしょう。

ちなみに、学力テスト500点に対し、調査書の点数配分は、成績評定が210点、特別活動(部活動や生徒会活動など)に上限67点を配し、その他(英検2級以上、囲碁・将棋各四段以上など)としている。特別活動のうち生徒会活動については、生徒会長と副会長に限定しており、部活動については全国大会・県大会への出場、入賞、優勝などとされています。

(私の知るところでは、S県では各学校で比率が違うようです)

 さて、入試を実施するにあたって欠かせない条件とは何でしょうか。

 さまざまな点が挙げられると思いますが、ここでは、二つだけ取り上げます。

一つは公平性です。特定の受験生に不利になるような基準で選考することは許されません。公平性を担保するには、入試の合否を決める基準をあらかじめ公表することが必須です。内容は違っても、いずれの場合も問題はないように思います。ここには書きませんでしたが、H県も配点について公表しています。

もう一つが、中学校での学習活動を阻害する内容になっていないかということだと思います。そんなこと、入試に関係ないと言う人もいるかもしれませんが、入試で何が問われるかは、中学校の授業や特別活動に大きな影響を与えます。五教科の学力テストを課している点では両者共通していますが、それ以外のところでは大きく違います。どちらが中学校の教育にとって有益かという視点は欠かせません。

一見、特別活動や部活動などを合否判定に用いるS県の高校の方が、中学校での生徒の頑張りを広く視野に入れているという点で妥当性が高いように感じます。しかし、本当にそうでしょうか。

例えば、生徒会活動について言えば、生徒会長と副会長にならなければ原則加点されません。他の各員会の委員長レベルではだめだという根拠がよくわかりません。また、加点されるとなると、いざ生徒会長に立候補しようとしても周囲から「入試のためだろう」というやっかみが入り、立候補しにくくなるという事態が生まれるかもしれません。そもそも、生徒会活動は入試のためにするものではありません。その辺をどう考えているのでしょうか。

特別活動について研究している、ある大学教授に「特別活動というのは、絶対にこれだけはやらねばならないという制約がないからこそ、意義のある活動ができる」と聞いたことがあります。所謂「ひも付き」ではないところが、特別活動の良さだというわけです。体育祭のプログラムや合唱コンクールの楽曲には、制約がありません。そもそもそれらをやらなければならないという規制はありません。自由度が高いからこそ、そこに創意工夫が生まれるのです。純粋な活動を保障するなら、入試とは完全に切り離した方がリーダーである生徒会長ものびのびと活動できるのではないでしょうか。

部活動についても、全国大会出場などが挙げられていますが、個人でも団体でも同じように扱うのでしょうか。総じて団体競技の方が勝ち上がるのが難しいものです。団体競技は一人の思わぬミスによって上の大会に進めなくなることもあります。ミスをした生徒が、試合後も自責の念を長く引きずることのないように願うばかりです。生徒会活動と同じく、部活動も、勝つためだけにするものではありません。そもそも、全国大会や県大会といった大きな大会への出場は、生徒が成長するために必要な「手段」であって教育的な「目標」ではありません。生徒は「目標」と考えているかもしれませんが、顧問までが結果を「目標」や「目的」にしてしまえば、負けた瞬間に生徒に何も残りません。また、勝ち上がれなかったチームや個人を心からねぎらえる気持ちが育つとは思えません。

私の狭い知見によるものかもしれませんが、どちらかというとH県方式の方が入試のやり方としては妥当だと思います。もし、S県が生徒会活動や部活動を入試に結びつけることによって活性化しようと考えているとしたら、まさに本末転倒です。生徒同士が、互いに疑心暗鬼になる場面が増えるだけです。

(作品No.182RB)