「アリにだって足音はある」

「アリにだって足音があるはずです。見えないことはないことではない。聞こえないことは動いていないことではない。表現しないことは考えていないことではない。見えなくても、聞こえなくても、表現されなくても、そこにあるものを感じ取る情緒こそ、人が育ち合う場所では最も大切なものです」

福井雅英・山形志保(2023)『保健室から創る希望』新日本出版社,、p116

アリに足音があるなんて考えたこともなかったのですが、そう言われればもっともな話です。
どんなに小さな生き物でも、動けば必ず音はするはずです。
ただ、私たち人間には聞こえないくらい小さな音であるというだけ。

引用した本の著者の一人、山形さんは、高校の養護教諭。
いわゆる教育困難校と言われる学校で長く勤務されていたそうです。

そこで聞いたのは、大人が聞こうとしない生徒の小さな声だったのです。
貧困にあえぎ、虐待に苦しむ生徒が救いを求めて保健室にやってきます。
山形さんは、そうした生徒一人ひとりに丁寧にかかわってきました。

とにかく、生徒を否定しないことを実践してきた山形さんには、よほど注意深く聞かないと語ってくれない彼ら・彼女らの本音を引き出していきます。

正解を与えるのではなく、一緒に悩み、一緒に苦しんでくれる大人の存在は、義務教育ではない高校という場ではとても貴重な場です。

私は、この本を読みながら、献身的とも言える山形さんの実践に感激しましたが、反面、どうして保健室だけがその役目を負っているのかという疑問もぬぐえませんでした。
本当は、教室が彼ら(彼女ら)の声を聴こうとする場であることが必要です。

しかし、現実は違います。
「保健室で甘やかすから、授業に出てこなくなる」と強く非難されることも少なくなかったと言います。

かつて、私は、全国でも珍しい県立のフリースクール(全寮制)に指導員(指導主事)として勤務していたことがあります。
元高校教師の人と二人で子どもたちに関わっていました。
その学校は、中学を卒業してから入学してくるのですが、それぞれに違った苦しみを抱えている子が多く、ほとんどが家庭の温かさを知らない子でした。

生徒たちは、数々の問題行動を起こしました。
そのたび、元高校の先生は「ルールが守れないのなら、やめればいい」と事あるごとに生徒に言い放っていました。
私はその姿を見て、「ああ、この人は今までの高校でも同じように言っていたんだろうなあ」と感じました。
「退学」という伝家の宝刀を使って、生徒に言うことを聞かせてきたんだろうなあ、と。
(高校の先生がみんな同じだとは思いませんが)

確かに彼ら(その学校は男子だけでした)は、品行方正ではありませんでしたが、夜になると(全寮制のため職員が交代で泊まり勤務をしていました)、とても人懐っこく私に近寄ってきて、まるで幼児(おさなご)のような素直な面を見せてくれるのです。

彼らの多くは、既存の学校で「厄介者」扱いをされ続けてきました。
だから、彼らの口癖は「どうせ」でした。
「どうせ、俺たちの声なんか聴いてくれない」という諦めからくる切ない言葉です。
誰かが、彼らの本当の声を聴きだせていれば、こんな口癖は持たずに済んだでしょう。

彼らの本音は、アリの足音のようなものです。
普段は虚勢を張って強がってばかりでしたが、本当のところは、わかってほしいと誰よりも強く願っていたのです。

その本音は、いつも言葉にならず、なったとしても小さな小さな声です。
その声は、彼らが自分を受け止めてくれると信じる人にしか聞こえません。

生きる意味

年老いたある男性の話です。彼は一年前に妻を亡くし、それ以降ずっと落ち込んだままで何も手につかない状態でした。自分ではどうしようもないと考えた彼は、ある精神科医のもとを訪れ、自分の心の状態を打ち明けました。

 そこで彼は目の前の医師から意外な言葉を聞きます。その医師はこう言ったのです。

医師:「もし、あなたのほうが先に亡くなられていたら、どうなったでしょう。」

患者:「妻はたいへん苦しんだにちがいありません」

医師:「そうですよね。つまり、奥様はその苦しみから免れることができたのです。奥様を救ったのは、他ならないあなたなのです。あなたが生きているということは、奥様が受けたかもしれなかった苦しみを、あなたが代わって苦しんでいるという、そういう意味があるのです。」

 患者の男は、何も言わずに医師の手を握り、診察室を出ていきました。彼は医師によって自分の生きる意味を与えられ、今の苦しみが耐えるに値するものであると気づいたといいます。

 この医師こそ世界中で最も読まれている書籍の一つといわれる『夜と霧』の著者、フランクルです。ご存じの通り、フランクルは第二次大戦直後、ユダヤ人であるというだけでナチスによって強制収容所に収監され、約三年間、極寒と厳しい強制労働の中で耐え抜き、終戦と同時に奇跡的に生還した人です。

 彼は生還後ロゴセラピーという独特の「精神療法」を確立し、戦後50年以上にわたって多くの患者を救ってきました。フランクルは次のように言います。

「「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことではなく「人生は私になにを期待してい るか」と問うだけです。「人生のどのような仕事が私を待っているかという問いだけなのです。」1)

「「あなたがどれほど人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することはけっしてない。」2)

 ここに書かれた「人生」を「他者」や「社会」など個人を超えた言葉に置き換えると理解しやすいと思います。私たちは、自分の人生を自分のものだと思っていますが、実はそうではなく、すべからく人間は自分以外の大切な人や、自分に与えられた仕事や研究などによって「生かされている」のです。フランクルは「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。」3)とさえ言います。与えられた人生が私に何を期待しているのか、それを考えることが大切だと。

 厚生労働省のデータによると2020年の国内の自殺者は2万1081人に達しています。全体数としては若干減少傾向にありますが、10代の自殺者は少子化が進む中でも増加傾向にあります。人間は生きることに意味を求める存在です。自ら命を絶つ若者の多くは「自分は生きている意味がない」と感じているのかもしれません。しかし、その意味は自分の中に求めても決して見つからない、フランクルはそう主張するのです。

 自分に自信をなくし、苦しんでいる子どもたちにとって、なぜ自分がこんなにも苦しいのかを知ること以上に大切なことは、自分が生きることで支えられている人が必ずいるということを知ることです。自分がいなくなったとき、一人でも悲しい思いをする人がいるなら、それだけで十分生きている意味はあるのです。そして、人生はすべての人間に必ずその人にしかできない何らかの使命を与えているのです。

極限状態の収容所で、最もたくましく生き抜くことができたのは、愛する人がいる人、自分にしかできない仕事があると信じた人だったとフランクルは言います。そして、自分の家族をすべてガス室に送られたフランクルは、「いつかここでの経験を多くの人の前で語ろう」ということに自分の生きる意味を見出し、生き延びることができたのです。つまり、彼は『それでも人生にイエスと言う』と決意したのです。

(作品No.236RB)

1)V・E・フランクル著、山田邦男・松田美佳訳(1993)『それでも人生にイエスと言う』春秋社、p27

2)ヴィクトール・E・フランクル著、中村友太郎訳(2014)『生きがい喪失の悩み』講談社学術文庫、p205(諸富祥彦「解説 フランクル-絶望に効く心理学-」)

3)前掲、フランクル(1993)、p27

本物の音

先日、佐渡裕さんが指揮するコンサートに行きました。私はオーケストラや管弦楽に特別興味があるわけではないのですが、家族がチケットを申し込むときに「あなたも行く?」と訊かれて思わず「行く」と言ってしまったのです。当日になって面倒くさくなって「行く」と言ったことを半ば後悔していました。私は、まあこんな機会は滅多にないので、一度くらいは聴いてみてもいいかと自分を納得させなければなりませんでした。

 しかし、始まってすぐに私の気持ちは大きく変わりました。まるで音楽のわからない(音楽がわかるという言い方がいいのかどうかわかりませんが)自分がぐいぐい引き込まれていきました。

 そこで奏でられる「音」は、音の周りを何か柔らかくふわふわした温かい何かで包まれているように聞こえてきました。これは、おそらく生の演奏でないと感じられないものだと直感しました。

 特に、若干20歳で佐渡さんから「天才」と認められた谷口朱佳さんの演奏は圧巻でした。私は今まで演奏というのは、演奏者が楽器を使って音を出すものだと思っていた(常識的にはその通りです)のですが、彼女の演奏する姿を見ているとそうではなかったのです。

 まるでビオラに当てられた弓が意思をもって自ら動いているように見えたのです。弓に擦られたビオラの弦とビオラ本体が一つになって自らを表現しているように見えるのです。

 楽器の個性を最大限に生かし、作曲家の表現したかったことを余すところなく音に託すためには演奏者は脇役のようになるのです。これが本物の本物たる所以(ゆえん)なのだと思うと沸き起こってくる感動を抑えきれませんでした。

 谷口さんは3歳からヴァイオリン、14歳からビオラを始めたとのことですから、かなりの年月をかけて努力を積み重ねたに違いありません。だからこそ本物の「脇役」に見える境地に達することができたのでしょう。

 教育は本質的にある程度の強制がさけられない営みです。必要な知識や技能を身につけさせるためには、何もかも自由にさせるわけにはいきません。また、本当の意味で子どもの個性を伸ばすためにも、あるいは人として基本的に身につけなければならないことを伝えるためにも一定の規律は必要です。けれども、最後の最後は子どもの「自ら前に進む力」を信じるしかありません。

 教育者の最終目標は、子どもの「脇役」になることなのかもしれません。演奏者から「脇役」に少しずつシフトしていくことの中に、教育者の大きな喜びが含まれているような気がします。

 ともあれ、あのとき「行く」と言って本当によかったと思いました。

(作品No.227)

「先生、それは違う」

まだ、私が20代のころ(30年以上前)の話です。合唱コンクールで絶対最優秀賞を獲る。そう思って練習しました。当時は、学級練習が中心でした。放課後も特訓しました。朝練までやりました。でも、結果は優秀賞。

 そして、最優秀賞が獲れなかった直後の学活。教室は沈んだ雰囲気で包まれていました。私は生徒に「勝たしてやれなくてすまん」と謝りました。その直後でした。一人の女子生徒が泣きながら立ち上がってこう言ったのです。

「先生、それは違う。私たちは、先生に言われて無理矢理やらされたんじゃない。自分たちで頑張ろうと思ってやってきたんです。どうしてよく頑張ったって言ってくれないんですか」

 私は、自分の傲慢さに気づきました。学級をまとめるという大義名分を掲げながら、実は、自分の評価を高めたかっただけなのだと知らされました。自分のクラスがこんなにも良いクラスであるのは、自分の指導力の賜なんだと思いたかったんだと思います。

 その後私は、合唱コンクールの練習のやり方を変えました。最初のうちだけ練習内容を指示し、ある程度形になった時点で、あえて教室を離れる機会を増やしました(実は陰で見ていたのですが・・・)。すると、自然な形でリーダーが生まれ、自分たちで何度も練習し、できていない所を互いに意見を出し合っているのです。結局、最優秀賞は獲れませんでしたし、リーダーとなった子は大粒の涙を流していました。でも、私は素直に目の前の生徒を褒めることができました。自分たちで取り組んだことの素晴らしさを子どもたちと分かち合うことができました。とてもすがすがしい気持ちでした。

 以前書いたかもしれませんが、生徒指導の語源は英語のガイダンス(案内)です。案内というと生徒の前に立って「私についてこい」というイメージを持つかもしれません。しかし、元々アメリカでは、職業指導(今の日本で言えば進路指導に近い)の場面を想定した概念でした。そこでは、生徒一人ひとりの個性や能力に応じて、共に将来について考えるための支援と助言が行われていたと言われています。そうした支援と助言をもとに、自ら考えて最後は自分で決める、そういう力を育てるものだったのです。

 文部科学省も平成22年3月、『生徒指導提要』において、長らく曖昧になっていた生徒指導の概念について「……児童生徒自ら現在及び将来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指す」ことを「積極的な意義」として明確に示しました。ここで示された自己指導能力こそが、変化の激しい社会の中でたくましく生きていくために必要な力であり、私たち教師は生徒に自己選択や自己決定の場や機会を与え、育てていく必要があります。かつての私のように、学級を私物化し、自分のための学級経営をしていたのでは、到底この力が身につくはずはありません。そのことに気づくきっかけを与えてくれた、あのときの生徒に心から感謝したいと思います。

(作品No.9HA)

学級通信の効用

私は教諭の頃、毎年学級通信を出していました。多いときは、年間260号くらいになったこともあります(多いから良いというわけではないですが)。一般的に学級通信は、学級の様子や担任の考えを保護者や子どもに主な目的だと言われますが、それ以外にも多くの効用があります。

 第一の効用は、生徒を細かく見る習慣が自然に身につくことだと思います。学級通信は、生徒の日常から「ネタ」を探すのが一番です。通信は後々まで残ります。悪いことは書けませんから、自ずと生徒の良いところを探すようになります。その姿勢が生徒に伝わり、互いの良好な信頼関係の基盤となります。ただ、中学生の場合、どんなに素晴らしい行動であっても、名前を出されるのを嫌う傾向があるので、私は良いこともあえて名前を伏せました。それでも、本人は自分のことだとわかります。「先生は、こんなところも見てくれているんだ」という安心感が生まれます(小学生、特に低学年では逆に名前を出した方が本人も保護者も喜んでくれるのかもしれません)。

 他に、自分の実践記録になるという効用もあります。過去の通信を見れば、かつて自分が同じような場面で何を考えていたのかを振り返ることができます。そこから新しいアイデアが生まれる経験を何度もしました。今はパソコンで作ることができるようになりましたから、データとして残すことも簡単です。「手書き」にこだわっている人も写真に撮って、後に残る電子データとして保存しておくことをお勧めします。

 また、懇談など保護者と話す際に、「いつも通信楽しみにしています」と言われることもよくありました。保護者との会話が感謝の言葉で始められると、懇談が和やかな雰囲気で進められますし、学級経営にも絶大な効果を生み出します。クラスを大事にしているという姿勢を伝えるには最適な方法だと思います。

 私は、通信を書くのに30分以上時間をかけないと決めていました。書ききれなかったら次の日に出せばいいのです。大切なのは、無理をしないこと、自分が楽しむことです。学級通信は義務ではありません。別に出さなくてもいいわけです。あくまでもプラスアルファだからこそ、書く方も読むほうも楽しめるのです。忙しいなかで学級通信を出すのは大変ですが、見方を変えればこんなにローコストでハイリターンなツールは他にないと思います。

 私は、自分が出張で終日学校にいないときに、副担任先生にお願いして終会で配布してもらったりしていました。生徒は「こんな日にも出るんだ」とびっくりするようで、次の日学校で「先生すごいなあ」と言われました。まあ、若干姑息な手段ですが……。

<補足>使用するイラストや写真などの著作権については十分な注意が必要です。インターネットで「フリー素材」とされていても転用には許可が必要な場合があります。改正著作権法35条(令和2年4月施行)では「学校その他の教育機関」における授業での使用が緩和されました1)が、学級通信は授業外なので緩和の対象にはなりません。フリー素材であっても条件によっては数十万の損害倍書請求をされることがあります。もし、これが人気アニメのキャラクターならもっと大きな額になるかもしれません。インターネットからの「コピペ」は、そのサイトの使用規定を必ず確認することが大切です。少しでも不安がある場合事前にそのサイトの「お問い合せ」窓口などから確認をとるくらいの慎重さが必要です。

1)ただし、同法35条2には「公衆送信を行う場合には,同項の教育機関を設置する者は,相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない.」とあります。(作品No.225)

15歳の選択

中学3年生を担任していた秋、学校に一本の電話がかかってきました。電話の主は、かなり興奮していました。その男性は、私のクラスの男子生徒の父親。開口一番怒鳴るように言いました。

「お前が、うちの息子の担任か!」

「はい、そうです。」

「お前、息子の進路指導はちゃんとやっているんだろうな」

「はい、どの子にも同じようにやっています。」

「いい加減なことしたら許さんぞ。いいか、しっかり面倒見ろよ」

 電話は一方的に切られました。

その父親の息子は、それほど勉強が好きなタイプではありませんでしたが、まじめに日々学校生活を送っていましたし、公立高校に合格するだけの学力もありました。なぜ、突然父親がこんな電話をかけてきたのか、その時はわかりませんでした。

 ところが数日後、その父親の訃報が突然舞い込んできました。持病が悪化した結果の悲劇でした。その子は母親を幼いころに亡くしています。本人のショックはかなりのものでした。私は何度もその子の家に行き、励ましていました。しかし、祖母と二人暮らしとなった彼は、前にも増して寡黙になっていきました。

 そして進路を決める最後の個別懇談で彼は、意を決したような表情で「俺、就職する」と私に告げました。大黒柱を失った彼の家庭は、祖母の年金に頼る生活でした。経済的に苦しい家庭を支えるための一大決心だったのです。そのころすでに高校進学率は9割を超えていました。15歳の身には辛い決断だったと思います。私は、彼の真剣さに押され、その思いを受けとめることにしました。

 それから私は、彼の就職先を探しました。中卒で雇ってくれるところはなかなか見つからないだろうと考えた私はいろんな人に相談し、二つの工場を紹介してもらいました。一つは全国的に有名な企業の家電工場で、清潔かつ静かな職場で体力的にも負担の少ない職場でした。もう一つの工場は鋳造工場で、特殊な砂と薬品を扱っており、旋盤などの大きな機械音が鳴り響く、まさに町工場といった所でした。私は、前者の工場が無理なく働けていいのではないかと思いましたが、実際に働くのは本人です。私は彼を連れて両方の工場に見学に行きました。どちらの工場でも丁寧に対応してくださり、製造過程を間近に見せてくれました。

 後日私は、彼に「どっちがいい?どっちも嫌ならそう言ってくれ」と聞きました。彼は、ほぼ迷うことなく鋳造工場を選びました。私は意外に思ってその理由を聞きました。彼は「鋳造工場の方が温かかった」と、いつものようにぶっきらぼうに、でもはっきりと答えました。見学に行ったときに油まみれの作業着を着た大人たちが、気さくに声をかけてくれたことが彼の決め手になったようでした。

 周囲の友達が皆進学していく中で、さみしさを抱えていたのかもしれません。彼は労働条件よりも、人間としての温もりを選んだのです。

 私は彼の家に行き、父親の位牌を前に手を合わせました。あの電話は、自分の死を予感した父親の最後で最大の愛情表現だったのだと思います。言い方は乱暴でしたが、自分がいなくなった後の息子の進路を命がけで私に託したのです。

 私は、仏前で報告しました。

「お父さん、大丈夫です。息子さんはもう立派な大人ですよ。」

(作品No.222RB)

進路の話

今回は、あるベテラン先生が中学3年生の学年集会(4月実施)で話された内容です。今から数十年前のことです。

「皆さんはこの4月から中学3年生になりました。来年の今頃には、新しい進路先でそれぞれの力を発揮して頑張っていることでしょう。それにしても、自分の進路を決めるのは結構難しいですよね。将来自分がどんな職業に就きたいとか、こんなことがしたいという夢や目標をもって、そこから逆算して、そのためにはどの高校を選択するのがいいのか、あるいはすぐに社会に出て経験を積むのがいいのかを決める、これが理想だと言われますが、なかなか中3で将来の仕事まで決められる人は少ないでしょう。

 

 でも、こういう人もいます。中学3年生の女の子。大好きな男の子ができました。3年生になってその男の子と同じ高校に行きたいと思うようになります。しかし、最初の個別懇談で担任の先生に合格の確率は半々だと言われました。いわゆるボーダーラインというやつです。その女の子は、それでもあきらめずに進路希望を変えませんでした。そして、懸命に勉強しました。ただ、その子にはひどいアレルギーがあって、これが彼女の努力を前に立ちはだかりました。毎日のように襲ってくる全身のかゆみは、彼女の集中力を根こそぎ奪ってしまおうとしているかのようでした。当時はアトピー性皮膚炎という言葉もなかった時代です。この苦しみをわかってくれる人は、毎週通っている病院の優しい看護師さんくらいでした。

 それでも、好きな子と同じ高校に行きたいという思いは強く、彼女はそれをエネルギーに変えて歯をくいしばって勉強に取り組みました。

 12月、最後の個別懇談のとき、合格の確率をもう一度先生に聞きました。でも、答えは同じでした。両親は進路変更を進めましたが、彼女は頑として変えませんでした。万一のために私立を受験することを条件に両親を説得しました。そして、彼女のたゆまぬ努力と強い思いによって、見事に合格しました。 

 私は、「友達や好きな子が行くから」という理由で進路を決めることが必ずしもいいとは思いません。でも、何もないよりははるかにましです。どんな理由であっても自分が本気で頑張れるのなら、それも一つの選択としてあってもいいと思います。そして、本気で努力しているうちに、その思いが本物かどうかが見えてきます。自分の思いが中途半端ではないか、目指す方向が本当に自分らしいのかどうかは実際に努力しているからこそわかるものです。

 彼女は、念願かなって、好きな子と同じ高校に通えることになりました。結局告白はできなかったようですが。でも、中3の時を振り返って気づいたことがありました。自分の努力を支えてくれたのは大好きなあの子だけではない。あの苦しい時に、自分を支えてくれた看護師さんの励ましがなかったら、くじけていたかもしれない。そう考えたとき、彼女の将来の夢が決まりました。看護師になる。そして、自分と同じような苦しい思いをしている人に力を与えられる人になろうと決めたそうです。すべては、彼女が必死で頑張ったことから生まれた彼女なりの答えです。努力は結果よりも努力することそのものに意味があるのです。

 ちなみに、その後彼女は、その大好きな男の子と結婚したそうです。彼女は今、自分の高校の選び方についてどう思っているんでしょうかね。

 今日、家に帰ったら聞いてみたいと思います。」

(作品No.221RB)

生徒理解の本質

令和4年12月、『生徒指導提要』(以下『提要』)が10年ぶりに改訂されました。最初の『提要』が平成22年に出されるまでは、『生徒指導の手引き』(1981年、当時の文部省発行、以下『手引き』)が生徒指導の指針とされていました。しかし、学習指導と生徒(生活)指導は「車の両輪」といわれてきたにもかかわらず、41年もの間、生徒(生活)指導については全く手つかずの状態だったのです。これだけ間があくと、学校の実情に合わなくなってしまいます。

 例えば、『手引き』では、子どもを理解するために必要な情報として、生徒の氏名や住所や出欠状況、学業成績などはもちろん、乳幼児における病気やそのころのしつけの状況や家庭の社会的、経済的状況に加え、両親の関係が和合的かどうかまで知ることが必要だとされています。また、家族内で子どもがどんな扱いをされているのか(無視や偏愛はないか)といった家族関係の詳細な部分や、本人の情緒的な問題や習癖(過敏性、爆発性、気分の変異性、精神的な打撃を受けた経験の有無など)、友人関係、知能など、理解の対象は実に49項目にもわたっていました。これは、そのころの児童生徒理解が、いかに多くの情報を集めるかを重要視していたことがわかります。しかし、現代の私たちからみれば、そこまで、子どもの情報を集めることを求められるのは違和感を禁じ得ません。

 この違和感を説明するのに、以下に示した新潟県立看護大学臨床看護学領域(母性・助産看護学)准教授で教育学博士でもある西田絵美氏の見解が参考になります。看護の世界の話ですが、教育の世界、特に児童生徒理解に通じる内容として非常に重要な示唆を与えてくれます。

「……「相手の存在やその状態」の把握を、相手の属性や背景などの諸要素を一つずつ取り上げて分析し解釈する。つまり、人間を要素や部分に分割し、それらを総合して相手を理解しようとする……」1)

「このような思考は、まさしく主客二元論的思考に則ったものである。そして、これがエビデンス(根拠)に基づく科学的な看護と考えられている。この方法を間違いなく実施しようとすれば、膨大な知識が必要となる。それは、あらゆる情報をコンピュータ-に入れ込んで、スイッチを押せば情報処理された結果が出てくるようなものである。看護師がこのような思考しかできないのであれば、近い将来、看護という仕事は簡単にAIに取って変わられるだろう」2)

 主客二元論的思考とは、「主体(看護師)と客体(患者)という二つの対立概念を基礎に世界を理解しようとする認識論」3)のことで、看護師が主体となって患者を分析しようとする態度のことを指します。

 つまり、この態度は情報を集めるだけ集めて病状を正確に把握しようとしてはいるものの、看護師が患者を一方的に理解しようとしている姿であり、本当に相手(患者)に寄り添ったものとは言えないのではないかという指摘です。西田氏はさらに、「(ケアする相手に)「対象」という語を用いている時点で、ケアの相手を物象化(モノ化)」4)しているのと同じだと断じます。看護師にとって患者は、あくまでケアする相手であり、医学的に分析する「対象」ではないのです。

 以前紹介した哲学者のメイヤロフも「ケア」とは、「最も深い意味で、その人が成長すること。自己実現することをたすけること」5)と定義しています。そしてそれは、相互に成長し合う関係でなければならないと指摘しています。教師にとって主にケアする相手は児童生徒ですが、西田氏やメイヤロフの指摘に従えば、私たちが「理解する教師」と「理解される子ども」という「二元論的」な視点をもった時点で、相手はわからなくなるということになります。

 ちなみに、メイヤロフのいう「ケア」は原文では「On caring」であり、現在進行形として示されています。これは、児童生徒理解が現在進行中でしか成立しないということを示唆するものだと私は思っています。                   (作品No.218RB)

1)西田絵美(2022)『ケアの気づき-メイヤロフの「ケア論」がひらく世界-』ゆみる出版、p35

2)前掲、p36 3)前掲、p32、引用中( )内は引用者による 4)前掲、p38、引用中( )内は引用者による

5) ミルトン・メイヤロフ著、田村真・向野宣之訳(1987)『ケアの本質』(ゆみる出版)、p13

参考:文部省(1981)『生徒指導の手引き』、p55

「きしむ車輪は油をさしてもらえる」

アメリカのことわざに、「きしむ車輪は油をさしてもらえる」(The squeaky wheel gets the grease.)というのがあるそうです。意味は、困ったことを自ら発信すれば(言葉にすれば)話を聞いてもらえて、助けてもらうことができるという意味です。いかにも自己主張が重要視されるアメリカらしいことわざです。

さて、日本の学校に視線を移したとき、自分の「車輪」がきしんでいてもなかなか言葉にできない子どもが増えているように感じます。特に小学校高学年や中学生くらいになると、いじめられていても、声に出せばさらに事態が悪くなることを恐れて口を閉ざしてしまうことも少なくありません。それが積もり積もると、学校に来づらくなってしまうこともあるでしょう。深刻なケースでは、自分の部屋にかけてある制服を見るだけで体が硬直してしまう子もいるそうです。

なぜ、そこまで本音が言えない子がいるのか。そこには、複雑な要因が絡み合っていて簡単に説明できるものではありませんが、恐らくそうした子たちは、自分の「きしみ」を周囲の大人は十分に受け止めてくれないと感じているのではないかと思います。自分の苦しみを吐き出すためには、「苦しみを受け止めてくれる」という信頼が必要です。

学校という場に限定すれば、最も身近な大人は教員です。「信頼」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、要は「話しやすい」雰囲気を醸し出せているかどうかということです。人と人が全面的に信頼し合える関係になるにはかなりの時間がかかります。でも、信頼のもとになる「話しやすさ」なら、明日からでも表に出すことはできます。

そんなに難しく考えることではありません。以前、このコラムでも少し触れましたかもしれませんが、教員である自分に「子どもを丁寧に扱っているか」と問いかけるだけでいいのです。名前を呼びすてにしていないか、緊急事態以外に大声を出してはいないか、軽はずみに体を近づけたり触ったりしていないか(パーソナルスペースを守っているか)、プリントを渡す時に投げつけるようにしていないか、また、受け取るときに生徒の顔を見ているか、他のことをしながら子どもの話を聞いていないかなど、ちょっとした自分の所作を積み重ねればいいのです。その積み重ねは「信頼貯金」1)として子どもの心に貯まっていきます。

分刻みでやることが山積みの中で、そんなこといつもできるとは限らないと思うかもしれません。でも、私たちが意識していることは必ず子どもには伝わるものです。教師も人間ですから、いつも完ぺきであることなどできません。でも、何とか自分を変えようとする姿勢さえ伝われば、必ず子どもは私たちに自ら大切なことを話し始めるに違いありません。

子どもには「きしむ車輪」でいてほしいと思います。そのために私たちにできることは、自分の最も尊敬する人に接するときと同じように、子どもに接することだと思います。そうすれば所作は自然に丁寧になり、子どもの反応が変わり、それを見てさらに子どもを大切に思う気持ちが私たちの中に育っていくと思うのです。

1)「信頼貯金」:「この大人は自分を理解してくれる大人かもしれないという信頼の期待値。信頼貯金が貯まっていない生徒が自己開示することはなく、逆に貯まっていれば聞かなくても話してくれる」(居場所カフェ立ち上げプロジェクト編(2019年)『学校に居場所カフェをつくろう!』明石書店、p13脚注)

いいかげんな教育

最近では、さまざまな場面で「エビデンス」が求められるようになりました。「エビデンス」とは、「証拠、根拠、証明、検証結果」1)のことを指します。人びとを納得させたり、説得したりするときには、客観的な根拠は欠かせません。例えば、病院で医者が患者に「この薬がたぶん効くんじゃないかなあ。」などと「いいかげんな」言い方をしたら、患者は「この医者は本当に大丈夫か?」と不安になるでしょう。そして、今自分に施されている治療も科学的根拠や臨床的な裏づけ、つまり明確な根拠がないのではないかと不安になり、違う病院に行った方がいいかも…と思ってしまいます。患者は医師を信頼し、治療に「エビデンス」があると信じているからこそ安心して治療が受けられるのです。

こうした「エビデンス」は、医療の世界に限らず、さまざまな領域で広く重視されるようになりました。企業の活動においても、学術的な研究論文においても、なくてはならないものです。そして、それらの「エビデンス」の多くは客観的な数値に表されます。

しかし、世の中にはどうしても数値では測れないものもあります。教育の世界ではむしろそうしたものの方が重要であったりします。例えば、クラスの雰囲気がいいとか悪いとかというのは、教室内の二酸化炭素濃度のように機械では測定できません。しかし、不思議なことに雰囲気の良さは、教室前の廊下を通るだけで伝わってくることがあります。これを感じるには、ある程度の経験が必要だとは思いますが、10年もすればその空気感がわかるようになります。これが結構的を射ているのです。

ある先生が若いとき、先輩教師から次のように言われたそうです。

「「七」の力を持っている子には教師である自分が「三」だけ出し、「四」しか持っていない子には、反対にこっちが「六」を出す」2)

それが、子どもの可能性を最大限に引き出す秘訣だと恩師は言うのです。でも、どの子が「七」なのか「三」なのかを見極める確かな基準や根拠はありません。結局はその恩師は自分の経験や勘による「さじ加減」で判断しているわけで、考えようによっては非常に「いいかげん」な話です。でも、その恩師はこう続けました。

「わかるか。いいかげんってのはな、テキトーってことじゃないんだぞ。好(よ)い加減なんだ。」3)

この言葉をもらった先生は、この経験を自著の中で次のように振り返っています。

「コンピュータやアマチュアにはわかるはずのない、経験に培われたこの「いいかげん」の感覚こそが、プロの教員の専門性なのではないだろうか」4)

 私は、教育の世界にも「エビデンス」は必要だと思っています。近年では、子どもたちの支援のために、児童生徒の遅刻回数や保健室訪問頻度、忘れ物の頻度など細かな情報をデータベースにして支援に活用する「スクリーニング」の重要性が盛んに言われるようになりました。そうした客観的なデータを有効活用することで、教師による思い込みや決めつけに歯止めをかけ、それまで見えていなかったいじめや虐待の早期発見につながると言われています。そうした客観的なデータは、子どもたちを苦しみから救う一助になるでしょう。ただ、どんなに細かな情報を集めたとしても、それをどう分析し、どういう支援がその子を最も成長させることができるのかは、最終的に教員の判断に委ねられることになります。

 教師の「さじ加減」は、両刃の剣です。「いいかげん」になるか「好(よ)い加減」とするかは、豊かな経験とともに、それを共有できる教員同士の十分なコミュニケーション(同僚性)の密度によって決まるのだと思います。それが確保できたとき、「さじ加減」は数値に勝る根拠となるのです。(作品No.216RB)

1)コトバンク「エビデンス」より一部を引用

2)3)4)鈴木大裕(2016)『崩壊するアメリカの公教育』岩波書店、p66