幸せ行きのチケット

初めて、養老孟司さんの講演を聴きました。テーマは「しあわせに生きるために」。

養老先生というと、どちらかというと歯に衣着せぬ物言いをするというイメージがあったのですが、講演ではまったく違いました。85歳というご高齢であることもあるのかもしれませんが、とても落ち着いた話し方で、いつ始まっていつ終わったのかわからない感じがしました。かといって不快な感じはまったくなく、実に自然体なお話でした。

講演全体の中で、先生が言わんとされていたのは、人間が文明の発達によってさまざまな形で自然を管理しようとしてきたが、結局はそのしっぺ返しがいま起こっている。自然保護というけれど、そもそも自然なんて人間が保護できるものじゃない。南海トラフのような大きな地震も自然です。そんなもの保護できるはずがない。

世の中で幸せに生きていくために大切なのは、自分のことは自分でする(自立する)ことと、それに満足する(自足する)ことだということでした。

演が予想よりも早く終わったので、先生が「何か質問は?」と聞かれました。

たくさんの質問が出たのですが、最後の質問がとても興味深いものでした。その質問は「先生は、今の教育をどう思われますか?」

という、ごく普通の質問だったのですが、私はよくぞ聞いてくれたと思いました。しかも、先生の回答が素晴らしかった。先生曰く、

「学校では、子どもに遊ばせてやればいいんですよ。勉強なんてやめてね。フリースクールがやっているみたいに。なんか最近の教師は教育制度を維持するために仕事しているみたいになっています。子ども時代が幸せでなければだめですよ。先生の仕事は、子どもと関わることでしょ。もっと関われるようにしないと。

あと、体を使う教育をすべきでしょう。今は、子どもが遊べる環境がない。それを大人がつくらなきゃいけない。ただ、今の先生が遊んだ経験が少ないのが気になりますが。

遊ばせてもらった子は、その恩を感じて、人のために役に立ちたいと思うようになりますよ」

まさに、本質を突いていると思いました。公立の学校が「遊べる」場になるためには、受験体制や学歴重視、エリート教育などを根本から見直す必要があるでしょう。そういうものにしがみついている限り、公立学校の魅力は生まれません。

さすがに、授業を全部やめてずっと子どもを遊ばせるのは現実的に無理だとは思いますが、それでも最近では所謂「一条校」でもカリキュラムを柔軟にして、子どもたちが時間割を自分で決められるようにするなど、子どもの自己決定を最優先する学校が注目されるようになっています。文科省の「不登校特例校」なども、かなり柔軟です。

自分で考えて、自分でさまざまな問題やトラブルを解決する力を子どもたちにつけるには、一つ一つ教師が指示を出したり、禁止事項をたくさんつくったりするこれまでのやり方では、限界があります。

指示や禁止は、安全、安心を第一に考えてのことでしょうが、転ばぬ先の杖を大人が前もって準備し過ぎるのは、子どもたちから自立する権利を奪っているのかもしれません。

受験や成績で縛りつけて、必要以上に安全・安心な学校を維持するために命令や指示ばかりをくり返し、「最近の子どもは指示待ちばかりで、何も自分からやろうとしない」と嘆くのは、天に唾を吐くのと同じです。

これからの学校は、子どもたちが自分で決められる場面を少しずつ増やしていくことが大切です。受験や目で見える評定ばかりを重視しても、社会自体がもうそんなものを求めていないかもしれないのです。

そういう意味では、どこの学校に進学しようが、難関大学に入ろうが、幸せ行きのチケットは手に入らないでしょう。子どもたちに大切なのは「自分が大切にされた」という経験です。それは、子どもたちを「信じて任せる」場面を増やすことで生まれるものだと思います。

(作品No.183RB)