生徒指導の「物語」

「物語」と聞くとどんなものが頭に浮かぶでしょうか。ある人は「白雪姫」や「桃太郎」といった昔話を想像する人もいるでしょうし、小学校の先生なら「ごんぎつね」や「大造じいさんとガン」かもしれませんし、中学校の先生ならさしずめ「走れメロス」といったところでしょうか。いずれにしても、それらは一種のファンタジーであり、架空の「お話」(フィクション)です。

 今回私が示す「物語」は、これらとは若干違うものです。それは、できるだけ多くの事実(情報)を集め、可能な限り整合性を保ちながらそれらを丁寧に紡いで一つのストーリーを作ることという意味です。

 さて、私たちは日々生徒(生活)指導を実践しています。本来生徒(生活)指導は、開発的、予防的など「積極的な生徒指導」(中村豊)が理想であると言われてきました。私もそれに異存はありません。事後の生徒(生活)指導は、「指導」と言うより「対応」に近いものになるからです。しかしながら、実際の学校現場において「(こと)」が起こる前にトラブルを防ぐことは非常に難しいものです。そのため、私たちは事後の「対応」を含めて生徒(生活)指導と呼ぶことが多いのです。

 事後の対応としての生徒指導で最も大切なことは、事実の確認と指導を可能な限り分けて行うことです。私たちがまず確認すべきことは、どんな出来事が起こったかということです。例えば、ある子がいじめの被害を訴えてきたとします。私たちはその子に何があったのかを確認します。しかし、教師はトラブルが起こった現場を目撃していないことがほとんどですから、その子の言い分だけで、それが事実であると軽々に扱うわけにはいきません。もし、訴えてきた子が自分に不利な事実を隠していたことに気づかず、それを事実として扱い加害者(と思われる)子に「そうしてそんなことしたの」と言ってしまったら大変なことになります。

 特に加害者(と思われる)子が、過去に何度も問題行動を起こしているような場合は、要注意です。「また、あの子か。」という教師の思い込みが邪魔をして事実が見えなくなることもあります。関係者からの聞き取りをする場合は、極力「指導」をせずに、何が起こったのかをできるだけ客観的な出来事として把握することに徹しなければなりません。この二つを同時に行なってしまうと、思わぬ誤解を生じることがあるだけでなく、事実がはっきりしないうちに「指導」されると子どもの心を深く傷つけてしまうこともあります。

 そもそも、誰かによって語られる事実には多かれ少なかれ、語る者の主観を含んでいます。それは、人が目の前の出来事に必ず何らかの意味づけをしているからです。起こった出来事が自分にとって腹立たしいものであれば、事実は誇張されてしまっているかもしれません。

 私は、被害を受けた子を疑えと言っているわけではありません。本当にいじめられている子を救おうとするなら、いじめている者に行動の変容を求めなければなりません。そのとき、事実がどのように確認されたかという説明ができるようにしていなければ、いじめた方は「疑われた」ということを前面に出して、そこに逃げ込んでしまうかもしれません。そうなると、暗礁に乗り上げた船のように身動きが取れなくなってしまい、いじめられた子はいつまでも救われることはありません。

 私は冒頭で、「物語」とは「できるだけ多くの事実(情報)を集め、可能な限り整合性を保ちながらそれらを丁寧に紡いで一つのストーリーを作る」ことだと書きました。もし、ストーリーを紡ぐ前に結果を想定してしまったら、その結果を正当なものにするために都合のいい情報だけを「事実」として扱ってしまうことになります。

 それを防ぐためには、事実を確認する聞き取りの際に当事者の気持ちや、行動の理由など「指導」されたと子どもが感じることは極力避け、一定の事実がはっきりした後に初めて「指導」(なぜその行動が良くないのか)を始めなければなりません。それを怠ると、生徒(生活)指導は、フィクションとなってしまうかもしれないのです。

(作品No.231RB)

最近のSNS事情

チート1)、アカバン2)、クレクレ3)、代行屋4)・・・。若い人なら知っているのかもしれませんが、私は初めて聞く言葉ばかりでした。実はこれは、先日参加した講演会5)で聞いた言葉です。演題は「子どもを取り巻くSNSトラブルの現状と対処法について」、講師はNIT情報技術推進ネットワーク株式会社代表取締役篠原嘉一氏。最新のSNS事情を豊富な具体例を挙げながらテンポよく話される講師にぐいぐい引き込まれました。まあ、SNSに弱い私は話の半分くらいしか理解できませんでしたが。

冒頭に挙げた言葉は、オンライン上での「法的に問題のある行為やそれに対する処置」です。驚いたことに、これらに関わる小学3年生以下の子が急増しているそうです。トラブルの低年齢化は加速度を増しています。少し前、子どもがゲームに多額の課金をすることが問題になりましたが、課金の場合、最終的に保護者の口座から使ったお金が引き落とされるので、比較的早い段階で発覚します。しかし、最近では子どもたちがインターネットやSNSを使って「自力でお金を集める」ことができるのだそうです(これも違法行為です)。自分のスマホを持ち、自分の部屋(個室)があって自分でお金を集められるとなると、保護者もなかなか気づくことができないでしょう。子どもがゲームで使うお金をSNS上で提供する人は、それが違法行為であることを知っています。そして、提供した金銭が一定の額に達すると突然保護者に返金を要求します。しかも「子どもさんが違法行為をしていますよ」と脅して高額な金銭を要求することもあるそうです。

こういうことが起きるのは、子どもたちがリアル(現実社会)とバーチャル(仮想空間)の区別がつきにくくなっているからではないかと思います。講師の篠原氏も、近年スマホ決済が増えて、店舗でお釣りを受け取るという体験をしたことがない子どもが増えていると指摘されていました。現金には確かな手触りがあります。手にしたお金を使えば減っていくのが目で見えます。そうしたリアルな体験によってどのくらいのお金でどんなの物が手に入るのかを実感することができます。しかし、ネットのバーチャル空間では画面の数字が変化するだけです。そこには、紙幣の手触りも硬貨の重みもありません。

今、バーチャルの世界はどんどん広がっています。その流れは、もはや止めることはできないところまできています。今回の講演は青少年補導委員対象の講演でしたが、子どもがこれだけバーチャルな世界に生きている現状にあっては、リアルな世界で行っている日々の挨拶運動や補導活動にどれほどの意味があるのだろうさえ思ってしまいます。

でも、講師の篠原先生は最後にこう話されました。

「結局、子どもを守るために一番大切なのはアナログな人間関係なのです。子どもは、リアルな関係で愛情を感じた相手を裏切るようなことはしません。親子関係が良好であれば親を裏切ってはいけないと思うし、毎朝「おはよう」と挨拶してくれる人が自分のことを気にしてくれると感じれば、そういう人を裏切ってはいけないと思うようになります。」

 大人が常に、子どもにとって「信頼」に値するリアルな存在であるかどうかを意識することは、現状に対する特効薬にはならないとしても、必ず子どもに一定の「歯止め」をかける力になると思います。

1)コンピューターゲームで本来と違う動きをさせる違法行為。               2)オンラインのサービスで、運営者からユーザーアカウントを削除され利用を停止されること 3)オンライン上で金銭やそれに相当するものを他人からもらう違法行為。          4)ゲームのアカウントを渡してレベルを上げること。(いずれも、講演での説明に若干の加筆をしたもの。)                                   5)令和4年度 県青少年補導委員大会・研修会(令和4年10月26日)

「折り合い」

野球界で「怪物」というと松坂大輔氏ですが、昔、私の住む近隣にもかなりの怪物がいました。

その「怪物」に出会ったのは20年以上前の県大会新人戦の3回戦。私はS中学校の顧問でした。1回戦で4番の出会い頭の本塁打で1-0で辛勝。2回戦は、それまでノーヒットの子がサヨナラヒット。勢いに乗って3回戦に臨みました。勝てばベスト8。地区大会から失点0で勝ち上がっていたので、ワンチャンスさえものにすれば、勝算は十分にあると思っていました。そこに「怪物」が現れたのです。その怪物の名はK。私は投球練習を見て「なんだこいつは」と思いました。普通、中学生の投げるボールは手から離れる瞬間に、どのくらいの高さにくるかくらいはベンチからみていても見当がつくつくものです。ところが、「これはワンバウンドになる」と思う球が、低めでグイっと伸びてストライクゾーンに入ってくるのです。「これは打てん」と思いました。何度かセーフティーバントを試みましたが、守備も抜群。絶妙のバントもあっさりアウト。そのうち、無失点だったエースが失策絡みで一挙4失点。最終回二者連続二塁打で何とか一点を返すのがやっとでした(よく打ってくれた)。

そのK選手、県内のH高校を経て、ある年高校生ドラフト1巡めの指名でプロに入団。2年後に初先発初完封を記録。その後故障に苦しみ、思うように勝ち星を重ねることができませんでしたが、11年もの長い間プロに在籍していたのはすごいことです。

K選手もそうですが、どんなにすごい素質を持っていても、あるいはイチローのようにストイックに努力を続けられる人でも、どこかで「折り合い」をつけなければならないときがきます。つまり、方向転換する(引退するなど)日が必ずくるのです。私たちは、子どもたちに夢を持てと言い、君たちには無限の可能性があるとも言います。それはウソでも間違いでもありません。でも、時にはこの「折り合い」についても触れてやるべきなんじゃないかと思うのです。プロを夢見る野球少年は全国で何万といるでしょうが、夢が叶うのはほんの一握りです。そのほとんどが、どこかで方向転換を余儀なくされます。でも、その方向転換を「折り合い」とするか「諦め」とするかでは大きく違います。「折り合い」は「意見の違いのある場合など、互いに譲り合っておだやかに解決すること」で「諦め」は「仕方がないと思い切ること」(ともに精選版日本国語大辞典Weblio辞書より重引)。「折り合い」は妥協という意味でも使われますが、それだけでなく、その後どう生きるかという葛藤やそこから生まれる今後の見通しを含んでいます。何よりもそこには自分にしかできない「納得」が含まれています。それが次への一歩につながるのです。

私は夢を持って頑張っている子どもたちに、いつか諦めるときがくるという話をしろと言っているわけではありません。でも、悩んだり迷ったりしている子に「折り合い」のつけ方を一緒に探そうと言うことはできると思います。「折り合い」には納得が含まれますが「諦め」にはすべてを否定しかねない怖さを感じます。

夢や目標を持てない、得意なこともない、そんな自分を弱いと感じ、自らを全人格的に否定してしまう。そのために自己肯定感が持てない若者が増えているといいます。おそらくそれは、ありのままの自分を受け容れられず、いつまでも自分の心に「折り合い」が付けられないために、次の一歩が出なくなっているからではないかと思うのです。

(作品No.20HB)

「高原の風景」-「世情」の解釈-

中島みゆきさんの「世情」という歌があります。その歌詞に「変わらない夢を流れに求めて」というのがあるんですが、私は長く「変わらない夢を流れにも止めて」だと思っていました。1978年リリースということですから、少なくとも私は高校生にはなっていたはずです。なんともお恥ずかしい話です。

 この曲は、当時大人気だった学園ドラマ「3年B組金八先生」(武田鉄矢さん主演)の中で加藤君という生徒を中心とした「反抗的」な生徒が数名教室に立てこもり、最後は警察によって強引に引きずり出されるという場面のBGMとして使われて話題になりました。
 担任役の武田鉄矢さんが、廊下でもみくちゃにされながら必死に警察の介入から生徒を「守ろう」とする場面と、この歌の歌詞一つ一つが見事にシンクロしていました。特に「シュプレヒコール・・・」のリフレインは、中島さんの一種「ドス」の効いた迫力ある歌声によって見ている者の胸をぐいぐいと押してきました。そして、日本中を大きな感動の渦に巻き込んだのです。
 
 今思うと、当時の教育はとても「牧歌的」でした。
 1970年代から1980年代といえば「校内暴力」が全国に広がっていた時期であり、学校の治安を守るために警察を介入する学校もありました。
 しかし、いわゆる「非行少年」の暴力や破壊行為は「犯罪」であるというより「わかってくれよ、先生」という悲痛な叫びとして解釈されることが多かったように思います。
 尾崎豊さんの「15の夜」がリリース(1983年)されたのもちょうどこのころです。
 「盗んだバイクで走りだす(立派な犯罪ですが・・・)」けれど行き先は自分にもわからない。でも、締め付けるばかりの学校や教師のやり方が、かけがえのない自由を自分たちから奪っていくことは許せない。免許を取得することもバイクに乗ることも許されない。だから盗むしかない。他に方法が見つからない。でも、俺たちは自由のために本当は何をどうすればいいんだ。当時の「暴力」や「非行」にはそんな若者の切ない思いが含まれていました。
 
 戦場とも言える学校。それを敢えて「牧歌的」と表現したのは、教師は非行に対して厳しく接しながらも根本的に教育は信頼関係によって成立するものだという信念があり、警察に頼ることは教育の敗北だと考える人が数多くいたからです。
 多くの教師は「俺がなんとかしてやる」という熱い思いで生徒にぶつかっていき、社会もそういう「熱い」教師を支持する土壌がありました。
 「お前たちの気持ちはわかる。しかし、許されることと許されないことがあるんだ」という教師の思いが、そこに厳然としてあったのです。金八先生のドラマのシーンが「名場面」となりえたのも、どこかで互いに求めあっているはずだ「牧歌的」なつながりがあったからでしょう。
 
 私が新任として採用されたころ、校内暴力は都市中心から地方中心に移行していました。ピークこそ過ぎてはいましたが、校舎の二階から机が「降ってくる」とか、中庭をバイクで走り抜けるといった暴挙もまだたびたび起こっていました。それでも先輩の先生方は「きっといつかわかってくれる」と生徒を信じて生徒にぶつかっていきました。そして、卒業して何年経っても互いに連絡を取り合うような濃密な信頼関係が成立したのです。
 当時、そうした教師と生徒の関係の築き方ができたのは、「情熱」と「信頼」を目に見える形で訴えることができる「牧歌的」な時代だったからだと思います。
 そして「牧歌的」な教育を社会で共有可能な目標が支えていたのです。社会学者の土井隆義氏は次のように述べています。その頃の日本は「頂上へ向かってひたすら山を登っている最中」1)であり、人々はその目標を信じていました。だからこそ生徒は反抗する対象を見つけやすかったし、教師は正しい道に戻してやろうとぶつかっていくことに疑問を持たずにいられたのです。

 今の学校が難しいのは、こうした共通の目標が社会の中に見つけにくくなったからです。先ほどの土井氏は見田宗介氏の比喩を用いて、「人々はすでに頂上に達しており、広い「高原」にいる状態だ」2)と指摘しています。
「高原」は見晴らしもよく、自由に走り回ることもできます。しかし、今までみんなで見ていた同じ目標はそこにはなく、それぞれがそれぞれに違う方向を見始めています。
 そこには「本当はこっちを向いた方がいいんですよ」と自信を持って教えてくれる人はいません。誰もが何を見るのが正解なのかがわかっていないからです。
 そうなると一人一人の不安は大きくなっていきます。「本当にこれでいいのか」「もっといい方向はないのか」という不安は尽きることがありません。
 私たち教育に関わる者に求められるのは、まず、今私たちが「高原」にいることを受け容れることです。だだっ広い高原で今まで通りに「上を見ろ」と言っても、そこにあるのは広い広い空と雲だけです。言われた方は途方に暮れてしまいます。

冒頭の「世情」には次のような歌詞があります。
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」
 これまで戦ってきた相手はもうここにはいません。時の流れを止めようとしても無駄です。戻ることは許されないのです。教師や学校が「変わらない夢を見たがるもの」になってしまえば、子どもたちは路頭に迷うだけでしょう。私たちはいまこそ「問い」の仕方を変えなければいけません。広い高原の中で、迷っているのは子どもたちだけではないはずです。
 肩の力を抜いて「さあ、どっちにいこうかねえ」と、子どもの横にゆったりと寄り添わなければなりません。

 そう考えると私の「変わらない夢を流れにも止めて」という聞き間違いは、あながち間違ってはいないのかもしれません。今までと変わらない目標を子どもに押し付けるのではなく、大きな社会の変化の中でさえも敢えて自分を「止めて」、子どもと一緒に考える。悪い話じゃないと思います。(作品No.129RB)

1)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87010?imp=0

2)土井氏は『「宿命』を生きる若者たち』(2021 岩波ブックレットp38)で、見田宗介氏の比喩を次のように引用しています。「見田宗介の巧みな比喩を借りるなら、現在の私たちはすでに山を登りつめて、高原地帯を歩みはじめているのです。」

「つ」のつくうちは・・・

私には、大学生のときから現在に至るまで未だ解決していない疑問があります。それは、「発達」に関する疑問です。大学で教職の必修科目だったので「児童心理学」(発達を含む)に関する授業を受けましたが、その授業は「出生直後から小学生くらいまで、すなわち乳幼児期から学童期まで」1)に子どもが何歳くらいにどんな能力が発達しどんなことを身につけられるかを、最初から決まったことのように説明する講義でした(基礎講座だから仕方ないのですが)。そのとき次から次へと疑問が湧いてきました。「それはすべての人間に当てはまるのか?」「時代の変化や社会の価値観の変化、メディアの著しい発達などが発達に影響を与えることはないのか?」。「持って生まれた特性よりも環境の方が発達に与える影響は大きいんじゃないのか?」そう考えると「「発達法則」2)のような基準に意味はあるのだろうか?」そんなことを考えてしまったのです。結局、内容がなかなか頭に入ってこず、成績も惨憺たるものでした(クラブ活動ばかりしていたからという説もありますが・・・)。

さて、三大発達段階説3)というのがあるそうです。フロイト(4段階)、ピアジェ(5段階)、エリクソン(8段階)の三つを指します。やっぱり「発達法則」は確かに存在するんだと思わせるには十分な面子です。私なんぞに否定することなどできるはずもありません。でも、最も新しいエリクソンでさえ30年以上前の理論です。現代のように、年端も行かない子どもが毎日スマホを見ている(親が見せている)環境を想像できたのでしょうか。そして、それが発達に影響しないとどうして言い切れるのでしょうか。発達心理学は常に更新しなければ意味がないのではないだろうか。疑問は疑問のままです。

  昔から日本には『「つ」のつくうちは神の子』という言葉があります。「「ひとつ」「ふたつ」というふうに年齢に「つ」がつく間、すなわち「ここのつ」までは別の生き物であり、神様が育ててくれるのだから、大人があまり介入するな」4)という意味で使われるようです。9歳までは神様の子だから、自由にさせておいても勝手に育つ、何とも牧歌的です。でも、なんだか懐かしい感じがします。もしかしたら、子だくさんで一人ひとりになかなか関われなかった時代の「親側の知恵」だったのかもしれません。

今の私に言えることは、基本的な「発達法則」は確かにあるだろうし、無視することはできないとしても、それにこだわりすぎて「なんで〇歳になっても、こんなこともできないの?」と子どもを責めることだけは避けなければいけないということ。あくまで「発達法則」は原則であり、結局は一人ひとりの状況や状態に合わせてどう関われば(寄り添えば)いいのかを考えるしかないと思うのです。(作品No.115RAB)

(私の疑問に明解な答えをお持ちの方、どうか教えていただければ幸いです。)

注)

1)コトバンク:「児童心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「児童心理学」の解説 https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%AB%A5%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-74416

2) コトバンク:「発達心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「発達心理学」の解説https://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%81%94%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-115139「受胎から死に至るまでの生体の心身の形態や機能の成長・変化の過程、これに伴う行動の進化や体制化の様相、変化を支配する機制や条件などを解明し、発達法則を樹立しようと目ざす心理学の一分科。発生心理学とよばれることもある。児童心理学と相互に混用されることもあるが、発達心理学は1950年代以降世界的に広まっていった名称であり、両者の間にいくつかの対比を認めることができる。」[藤永 保](文中文字強調は引用者による)

3)ピアジェ(1896-1980)の発達段階論は、フロイト(1856―1939)の「リビドー発達段階理論」、エリクソン(1902-1994)の「心理社会的発達理論」と並ぶ、3大発達段階説のひとつ。https://kodomo-manabi-labo.net/piaget-developmental-stages

4) https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages

「先生はうちの子を見捨てるんですか」

初任で初めて担任した最初の学級懇談会でのことです。7月ころだったでしょうか。懇談時間が終わりに近づいてきたとき、ある保護者から質問が出ました。

保護者「このクラスに校則違反や服装違反の生徒はいるんですか」

私「いえ、そういう生徒は今のところいません」

保護者「そうですか・・・」

次の瞬間、別の保護者(母親)が唐突に声を挙げました。それは発言というより叫ぶような声でした。

「先生は、うちの息子が違反ズボンをはいているのを知っているはずです。あんなにはっきりした太いズボンなのに・・・。なんで、そんなこと言うんですか!」そして、大粒の涙を流しながらこう言ったのです。「先生は、うちの子を見捨てるんですか!」。

 実は、そのときすでに私のクラスは学級崩壊寸前でした。指示はまともに通らないし、取っ組み合いの喧嘩している生徒を止めても収めることさえできない状態でした。

 最初の保護者の質問を聞いたとき、違反していた一人の男子生徒の顔が浮かびました。しかし、正直に言えばそこから学級のひどい状態についての話題になったら収集がつかなくなると思い、思わず嘘をついてしまったのです。その頃の私はいっぱいいっぱいの状態でした。

 その後、クラスはまさに坂道を転げ落ちるように崩壊していきました。当たり前です。誠実さのない担任を生徒も保護者も信頼するはずはありません。

 3学期の最後の学年懇談会の後、学級ごとに保護者が集まったとき、私は学級を壊してしまったことを謝りました。そのとき、一人の保護者(母親)の方が「先生は、まだ若いんですから、これからまたがんばればいいじゃないですか。」と、集まった他の保護者の前で声をかけてくださいました。救われた思いがしました。

 学級がどんなにひどい状態であっても、日ごろから逃げずに向き合っていれば、こんなことにはならなかったはずです。

今思い出しても顔から火が出るくらい恥ずかしい話です。でも、この経験があってこそその後30年以上にわたって教員生活が続けられたのだと思います。最後に救いの手を差し伸べてくださった保護者の方とともに、叫ぶように訴えてくださった保護者の方にも心から感謝しています。(作品No.113RB)

こんなこともあります

S中学校に勤務していたときの話です。私は野球部の顧問でした。生徒も保護者もとても熱心で、厳しい練習をしてもクレームはほとんどありませんでした。逆に「先生、うちの子が練習後に帰ってきた姿を見たが、ユニホームがあんまり汚れてないじゃないですか。本当に練習したんですか。」といった「もっと頑張れ」的な声がほとんどでした。もともと野球が好きな私にはうれしい「クレーム」でした。

そんなある日の昼休みでした。キャプテンのTさんが私のところに来てこう言いました。

「部員の〇〇君が、先生のいないとき、たいした理由もなくときどき練習を休んでいます。注意しても聞きません。どうしたらいいですか?」

Tさんは、キャプテンとしてチームの雰囲気を壊すような行為は許せないと感じていたのでしょう。でも、うまく伝わらない。真剣な訴えでした。

以下、私とTさんとの会話です。

私「Tさんは、野球部になぜ入りましたか?」

T「僕は、野球が好きだから入りました」

私「そうか。じゃあ、あなたはときどき休むその子を、うらやしいと思ったことはありますか。そして、練習に参加して損をしたと思ったことはありますか?」

T「そんなこと思ったことはありません」

私「そうですよね。じゃあ、その子に言ってやってください。練習は楽しい。やれば必ずうまくなる。参加しないなんてもったいないぞって。」

Tさんの表情がパッと明るくなりました。そして、私の元から走るように去っていきました。きっと、少しでも早くその子に伝えたかったのだと思います。

こんなこともあるんです。だから教師はやめられない(辞めた私がいうのも変ですが)。

(作品No.117RB)

Y先生の「寄り添い方」

今でも月に1回、かかりつけ医に通っています。主治医のY先生は物腰がやわらかで、自然体で話を聞いてくださいます。相槌の打ち方も絶妙で、こちらの言うことをしっかりと受け止めてくださっているのがよく伝わってきます。私の話を途中で遮ることは絶対にありません。そして、私が話し終えたら、ほんの少しの間を取って(この間が実に心地いい)、ゆっくりと、そして静かに私の状況を診断してくださいます。診察時間は5分か10分のほんの短い時間ですが、とても気持ちが落ち着きます。

 Y先生は、診察室に患者を迎えるとき、必ず立って迎えてくださいます。そして、診察が終わって部屋を出るときも必ず立って見送ってくださいます。 

私は、過去にいろんな病院に行きましたが、立って迎え、立って送り出す医師に出会ったことがありません。多くの場合、病院の先生は最初から最後まで座ったままです。中には、診察室に入ったときに全くこちらを見ない人もいます。でも、Y先生はいつも変わらぬ対応です。もちろん他の患者さんにも同じように接しておられます。ほんのちょっとのことですが、これだけで患者側からすると自分は本当に大切にされているんだなあと実感できます。

 そういえば昔、ある先輩の先生に教えてもらいました。「職員室でプリント一つ配るのも、机の上に向きや位置を考えて置きなさい。直接手渡すときはできるだけ両手で渡しなさい。誰にでもできることです。」若いときは、「そんなこといちいちできませんよ」と心の中で思っていましたが、最近になってようやくその大切さがわかってきました。こうした丁寧な一つ一つの所作が相手に「私はあなたを大切に思っていますよ」というメッセージとなって伝わるのです。

 生徒に対しても同じだと思います。何か問題が起こったときにどんなに丁寧に接しようとしても、普段の所作が生徒にとって「ぞんざいなもの」として映っていたら、決して心を開くことはないでしょう。

 最近、教師による暴言がよく話題になります。かつて星野富弘さんが仰っていたように、「言葉は辛抱強い生き物」です。一度相手の心を傷つけてしまったら、それが体のどこかに染みついていて、ある日突然姿を現し、その人を深く落ち込ませることもあります。いわゆる「トラウマ」のような状態です。でも不思議なことに、活字にしたら暴言としか思えない言葉を生徒に発しているにもかかわらず、生徒に慕われ、信頼されている先生もいます。その違いは、普段のその先生の生徒に対する所作と大きく関係しているのだと思います。つまり、普段の所作によって、その先生の温かさが日常的に生徒に十分に伝わっているのです。

 私は、決して暴言を容認するつもりはありません。どんな教師でも使ってないけない言葉は使ってはいけないと思っています。でも、もし私たちが常に生徒を一人の人間として大切にする気持ちを持ち得ているなら、暴言は存在しないとも思うのです。そして、その気持ちは目に見える形で生徒に示さないと伝わりません。

 教師はときに、生徒に対して厳しく注意を促さなければならないことがあります。そういうときに、しっかりと伝えたいことが伝わるかどうかは、そのときの言い方だけの問題ではないと思います。子どもたちの感性は大人が考えるよりずっと鋭いものです。特に自分に自信が持てないでいる子どもたちならなおさらです。彼らは私たちの一挙手一投足を実によく見ています。自分に「寄り添」ってくれる人なのかどうか、それが彼らにとって最大の関心事なのです。

 Y先生は私に「寄り添われる」ことの心地よさを教えてくださいました。(作品No-99B)

「自分らしさ」の伝え方

今回は前回予告した通り、「自分らしさ」や「個性」についての生徒への伝え方について書こうと思います。以下は、私が実際に生徒(中学生)に話した内容(一部改)です。

 桜の木。学校にもたくさんあります。桜は、毎年毎年同じ時期に同じような花を咲かせます。そこに全く迷いはありません。迷っている桜を見たことないですよね。今年はちょっと嗜好を変えてバラの花にしようか、梅にしようかなんて考えない。なぜだと思いますか。それは、桜は桜の花を咲かせることが、自分にとって一番美しいということを知っているからなんです。少なくとも私はそう思っています。

 なんか現実離れした話に聞こえるでしょうが、これを言っているのは実は私だけではないんです。北原白秋って知ってますか?教科書にも載っている詩人です。「あめふり」(雨雨ふれふれ母さんが)など多くの童謡や子守歌を作った人です。その人がこう言っています。

「バラの木にバラの花咲く、何事の不思議なけれど」って。

バラの木にバラの花が咲くのは、何の不思議もないんです。でも白秋は最後に「けれど」と言っています。不思議ではないけれどって。不思議じゃないし、当たり前「だけれど」桜はすごい、うらやましい、白秋はそう感じたんです。なぜなら、人間はいつも迷い続ける存在だからです。白秋も私も、そして皆さんも同じです。人間は、何かを決めようとすると必ず迷うんです。だから、桜がうらやましくてしょうがないんです。でも、逆に言うと迷うことは人間である証でもあるんです。

皆さんも、3年生になれば受検があります。そして、自分の進路を考えないといけない。迷いますし、悩みもします。就職するにしても同じです。でも、結局は一つを選ばなければいけない。一つを選ぶということは、逆に言うとそれ以外を捨てるということです。だから悩むし、迷う。でも、それこそが人間である証なんです。友達との関係で悩む、自分に自信が無いと悩む。それでいいんです。悩んでこその人間ですから。人間は、桜やバラのように生きている間に何をするかは決まっていません。そして、生きている間にすることは一人ひとり全部違うんです。自分が何をするか。それが、世間でいう個性とか、自分らしさということです。

 世の中は「自分らしく生きよう」とか夢を持って生きようというメッセージに溢れています。こんな風にすれば自分らしく生きられますよっていうメッセージがたくさん流れています。でも、自分らしさってなんだということについては、誰もはっきり教えてくれない。どうします?中には「自分探しの旅」とか言って、外国に一人旅に出る人もいます。それを悪いとは思いません。いろんな経験をして自分の視野を広げるのはいいと思います。でもね、本当の自分らしさは、そんな遠くに行かなくてもいいんです。すぐ身近にあるんです。今、隣に座っている人、家族、友達、先生、そういうすぐ近くにいる人とたくさん話をして、一緒に何かをすることで、初めて自分ってどういう人間なのかがわかるんです。言い換えれば、自分らしさというのは、自分の外にあるんです。意外に思うかもしれませんが、自分の中にあると思ってしまうと、見つからないんです。

 最近の若い人は、とても悩みが多くなっていると言われています。いろんな国際的な調査ででも昔に比べて自分に自信が無い人が増えているんだそうです。なぜだと思います?それは、自分の個性が生まれつき自分の中にあって、それを見つけなきゃいけないと思っているからです。本当はそうじゃないんです。もしそうだとしたら、どんなに頑張っても、なりたい自分になれないかもしれないでしょ。そう思うから自分に自信が持てなくなるんです。

 そうじゃなくて、本当の自分らしさというのは、自分の外にあるものを、取り入れながら身近な人と一緒に「創っていく」ものなんです。自分の周りにいろんな人がいて、そういう人たちと一緒に考えたり、一緒に悩んだり、いろんなことをいろんな人と一緒にすることで、少しずつ創られるものなんです。自分らしさというのは、もともと自分の中にあるものじゃないんです。だから、自分の中にいくらさがしてもないんです。ないものを「あるはずだ」と思って自分の中に探そうとしても見つからない。そして、やっぱり自分はダメだと思ってどんどん自信がなくなってしまうんです。

 最近嫌な言葉が流行っています。「親ガチャ」っていう言葉。ガチャってわかりますよね。100円か200円入れてレバーを回すとガチャっと音がして、中からカプセルに入ったおもちゃなんかがでてくる、あれです。中身は選べない。あれと同じで親は選べない。だから、どんな親の元に生まれてくるかで、人生の大半が決まってしまうという考え方、それが「親ガチャ」です。でも、そんな馬鹿なことはない。

 確かに私も皆さんも親から遺伝子をもらっています。でも、生まれた瞬間にゴールが決まっている人なんていないんです。私たちは、桜の木やバラの木とは違うんです。私が言いたいのは、今の自分が自分のすべてではないということです。よく覚えておいてほしいのは、どんなに自分に自信がなくなっても、それはあくまでも今の時点の話です。自分という人間は、過去と現在と、そして未来を含めての自分なんです。

 皆さんは、これからまだまだ多くの人と出会います。まだ、会うはずの人がたくさんいるんです。高校に行けば、他の中学校から来た新しい友達に出会う、大学に行けば他の都道府県から来た人に出会えるかもしれない。就職すれば、知らない大人たちとたくさん出会う。そういう出会いを含めての自分なんです。 

前に赤ん坊の話をしました。赤ん坊は生まれたとき握った手の中に自分の夢をどこかに飛ばしてしまうという話です。でも、実はね、ほんの少しかけらが残っているんです。体の中に。それが親からもらった遺伝子なんです。そこには人間が人間であるために最低限必要なものが入っています。そのかけらにいろんなものを付け足していって、自分というのは出来上がっていくんです。皆さんが物心つくまでは皆さんの親や家族が付け足してくれました。それをもとにしてこれからは自分で継ぎ足していくんです。

皆さんも、誰かの言葉を聞いて、なるほどと思うことがあると思います。この人は素晴らしいと感じることがあるでしょう。そういうものを今の自分に継ぎ足していってください。それを一番たくさん与えてくれる人は、今隣にいる人、皆さんが読む本、今一緒に生活している人、そして、一緒に歩んでくれる先生です。

 しつこいようですが、個性や自分らしさが自分の中にもともとあって、変わらないものだなんて絶対に思わないでください。自分らしさは遺伝子だけでは絶対に創れないんです。嫌なことがあっても、思い切り悩んだときも、迷ったときも、今の自分だけ見ていたらだめなんです。もしかしたら明日運命を変えるような人と出会うかもしれない。そういう本と出会うかもしれない。だから皆さんの可能性は無限だって言われるんです。

 赤ん坊の時に手放してしまった(と言われる)自分の夢。それに出会えるのは10年後か20年後、あるいはもっと先かもしれません。ときには「これだ」と思ったものが勘違いだったということもあるでしょう。でも、それならそれで、そこからまた積み上げていけばいいんです。みなさんがこれから、どんなことに悩み、迷い、そしてどんな人に出会って何を継ぎ足していくか、心から楽しみにしています。最後まで聞いてくれてありがとう。以上で私の話を終わります。

 これは、卒業式が終わった3月の終わりごろ進級を目前にした1年生と2年生の学年集会でそれぞれ同じ内容で話をしたものです。生徒たちはとても真剣に聞いてくれました。この話をするにあたって参考となった主な書籍を以下にお示ししておきます。個性や自分らしさを見つけられない(創れない)子どもについては、また別の機会にも書きたいと思っています。(作品No-98B)

・『「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える』土井隆義著、岩波ブックレッ  ト、2004年9月7日

・『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』土井隆義著、ちくま新書、2016年1月5日(第17版)

・『ドリームハラスメント』高部大門著、イースト新書、2020年2月11日