エポケー

クリティカルシンキングというのを聞いたことがある人も多いと思います。「本当にそうか?」「他にはないのか?」など、今まで持っていなかった視点で対象を見つめることです。これは、対象をありのままに見ようとするときには、なくてはならない視点です。今まで当たり前にやってきたからそれでいいと思うと、新しいアイデアが出てこないばかりでなく、今までやってきたことの本質的な意義すら見落としてしまうことになりかねません。

クリティカルは「批判的」と訳されることが多いのですが、これは若干誤解を生みやすい。正確に言うと単なる批判ではなく「建設的な批判」という意味であり、どちらかというと「吟味」のほうが意味としてはしっくりくると思います。目の前の対象が本当に必要なのかどうかと「吟味」するために、「これでいいのか」という目で見てみましょうということです。そして、その視点を持つためには、自分の価値観を一旦「保留」する必要があります。この「保留」を現象学ではエポケー(判断停止、判断保留)と言います。

例えば、インドの人はカレーを手で食べることがありますが、これを日本人がはじめて見れば、違和感を抱く人もいるでしょう。それは、日本で生まれ育ってきた私たちには素手でごはんを食べるという習慣がなく、むしろ行儀が悪いこととして周囲の大人から躾けられてきたからです。でも、手でご飯を食べているインドの人を前にして「なんという非常識な」と思ってしまったら、インドの文化やそこに生きてきた人々を理解することはできません。私たちは、日本の常識や文化は一旦「保留」して、そこにどんな意味が込められているかを考えてこそ相手を理解することができます。学校の常識や教師としての「当たり前」も時には一旦「保留」し、その意義を考えることも必要だと思います。

 さて、学校現場を支える理論は教育学だという常識もかなり前から変わっています。例えば、スクール・カウンセラーは、導入当時「生徒を甘やかす」として学校現場の抵抗感が強くありましたが、今では常識、というより学校教育は心理学なしでは語れません。また、有名な「いじめの四層構造」を解明した森田洋司氏は、専門が教育社会学です。教育学が多くの国民や教員の納得にとって疑いようのないものと捉えられていたときは、社会全体にその価値を支える「まなざし」(学校のことは先生に任せておけばいいなど)があり、他の学問領域からすればあまり強い関心が寄せられてこなかった面もあるのでしょう。逆に、他分野からの関心が高まり、教育を研究対象とする学問分野が広がったのは、学校教育の「吟味」が必要だとする見方(クリティカルな視点)が増えたからでしょう。

インターネットやSNSなどがどんなに発達しても、AIがどんなに進化しても、人が大切にしなければならないことは変わらないのかもしれません。でも、かつてグーテンブルグが活版印刷を考案した(諸説ありますが)とき、社会は大きく変わったはずです。電話が発明されたときもそうでしょう。何か便利なものが発明されるたびに、それまで信じられなかったようなことが当たり前になり、それによって人びとの考え方や価値観も大きく変わったと考えるのが自然だと思います。何が起こっても教育の本質は変わらない、だから、教師も変わる必要はない、私にはそう言い切る自信はありません。(作品No.24HB)

参考:1960年、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスが『<子供>の誕生』という本で中世ヨーロッパには教育という概念も子供時代という概念もなく7〜8歳になれば、徒弟修業に出され大人と同等に扱われ飲酒も恋愛も自由とされたと述べています。ヨーロッパにおいて子供という概念はもともとあったものではなく、学校教育制度が生み出したものであることを示したのです。これも、クリティカルに物事をみる視点から生まれたのだと思います。

「子どもを真ん中に」-子ども家庭庁設置に期待すること-

ちょっとびっくりしました。昨日、岸田総理が答弁で「子どもを真ん中に・・・」という言葉を使ったのをテレビで見たからです。このブログは「こどまん通信」。「こどまん」は、子どもを真ん中に、の略です。光栄だと感じればいいのか微妙なところですが。

私の勉強不足だとは思うのですが、どうも「子ども家庭庁」の中身が今一つよくわかりません。各省に分かれていたものを一つに総合して司令塔を一元化することによって、施策の実行が迅速に行われることにつなげようという主旨なのかとは思うのですが、スッキリしない点もあります。

例えば、幼稚園はこれまでどおり文科省の管轄に残るそうです。幼保の連携を考えれば思い切ってどちらかで一つにする方がいいような気がします。

でも、期待することもあります。それは児童虐待への対応です。児童虐待は、保護者の意識や倫理の問題だとされることが多いのですが、じつはそうとは言い切れません。児童精神科医で臨床心理学者の滝川一廣氏は、虐待の問題について次のように述べています。

「たまたま幸運に恵まれた我々が、恵まれなかった親たちの失敗を一方的に「虐待」と名づけて糾弾するのは果たしてこころあることなのか」

「そもそも子育ての不調を相談すれば直ちに「虐待通告」をする(しなければならない)専門家のドアを困っている親たちが叩くだろうか。」

そして、滝川氏は生後最初の二年間に虐待死や虐待が集中していることをふまえ、「0歳~一歳の育児を社会がしっかりと護ることさえできれば、<虐待死>ひいては<虐待>は激減する」として「子どもを本当に護りたければ、何よりも「育児を護る」、すなわち「育児に取り組む親を護る」ことこそ真っ先にしなければならない」と主張しています。国は2000年「児童虐待の防止等に関する法律」を制定し通告の義務を明確化(このとき社会福祉法も改正された)、その後2020年4月に改正し、親の虐待行為を体罰とすることで歯止めをかけようとしてきました。いじめの定義を広いものに変更してきたのと同様に、虐待の早期発見を確実に行うために、問題を拾う「網」を広く細かくしてきたのです。それはそれで間違っているとは言えません。しかし、滝川氏の言うように、虐待は必ずしも親の無責任や倫理観の乏しさから生じるとは限りません。経済格差がすすみ、貧困家庭が増加していることを考えると、まず必要なのは福祉を充実させて本当に困っている親を支える制度を確立することでしょう。早期発見は重要ですが、根本の原因をなくす施策を展開しなければ通告数は増えても、本当に困っている人がその膨大な数の中に埋もれてしまうかもしれません。

また、通告を受ける専門機関(子ども家庭センターなど)もその通告数の多さゆえに十分な対応ができなくなります。実際、多くの専門機関はすでにパンク状態になっており、学校が早期に発見して通告しても「まずは市町の児童福祉に相談してください」など、いわゆる「門前払い」とせざるを得ないことが多くなりました。

こういう実態を考えたとき、今回の「子ども家庭庁」には、虐待を早期に発見するだけでなく福祉の面での十分な支援策を講じてほしいと思います。再び滝川氏の言葉を借りれば、「「児童虐待」という否定的概念とそれに基づく摘発型の対策」が「問題解決の足枷」になっている面は否定できません。また、福祉領域において「障害」の「害」を問題にする視点があるのなら、虐待の「虐」も表現を変えて「育児困難」や「子育て不安」として捉えることが必要だという滝川氏の見解は、実に的を射ていると思います。

「子どもを真ん中に」という言葉を首相が使ってくれたのはありがたいことです。だからこそ本当に子どもが真ん中に置かれる社会をつくるために、実態に即した施策を打ち出してほしと願ってやみません。(作品No.135RB)

(参考・引用文献)滝川一廣「基調論文<虐待死>をどう考えるか」『子ども虐待を考えるために知っておくべきこと』日本評論社こころの科学2020年10月1日発行、pp2-29)

名刺と肩書き

名刺にこだわる人は結構いるもので、名前や住所、職場と役職以外に地元の写真を入れたり、メッセージを入れたりする人もいます。インターネットが始まったころ、URLを入れるのがかっこいいと思っている人もいました。カラフルな名刺を好んで使う人もいます。確かに、そういう名刺は印象に残りやすいと思います。現役時代、名前と学校名、所在地や電話番号しか書いてない私とは雲泥の差です。

 そんななか、究極の名刺に出会いました。名前しか書かれていないのです。それをもらったとき、「ほー、こういうパターンもあるのか」と思いました。その人曰く、「私は私という人間そのもので勝負したいと思っています。肩書で私という人間を判断してほしくない」というのが「名前のみ名刺」を作った理由だと自信たっぷりに仰いました。世の中にはいろんな人がいるものだと思いました。相手の肩書によって物の言い方や態度を変えるのはよくないというのも一理なくはない。でも、かなりの違和感がありました。

 それから何年か経って、ある校長先生からこんな話を聞きました。私が県教委に出るときの所属校の校長だった人です。「指導主事になったら、名刺は必ず多めに作っておきなさい。中でも役職は非常に大切です。なかには、名前だけの名刺を作って悦に入っている人がいるが、自分の身を明かさないことは、相手に対してこれほど失礼なことはないし、実に無責任な態度です。指導主事の名刺を渡すということは、県の職員として責任をもって対応しますという意思表示でもあるのです。」なるほどと思いました。名前なしの名刺を受け取ったときの違和感の正体はこれだったのかと納得しました。

 また、その校長先生は指導主事になろうとする私へのアドバイスとして「当たり前のことですが、自分が作成した文書には必ず自分の名前を書くこと。上司の代わりに出す文書であっても最後に担当者の自分の名前を書くこと」とも言われました。

 つまり、自分の名前を出すということは、責任の所在を明確にするということです。ごくまれにですが、学校だよりに〇〇学校長とだけ書いて自分の名前が書かれていないものを見かけます。インターネット(ホームページ)に上げるときに消すというのならまだわかりますが、保護者や地域に紙で配布する文書に名前を書かないのはどうかと思います。書かれたものというのは、口頭と違って後に残ります。そこに何か問題があれば、書いた者の責任が問われます。配布したものが確たる証拠になるからです。だから、できれば誰が書いたかわからなくしておいた方がいいという下心がはたらくのです。その気持ちがまったくわからないわけではないですが、名前を明記することによって書くときに細心の注意を払おうとする姿勢につながるのも事実です(その割には私の学校だよりはミスが多くて何度も出し直しをしましたが・・・)。

 肩書きを書かない名刺を作って相手に渡す人は、結局は肩書きにこだわっているように思うのです。最初隠しておいて、後で「えっ、あの人そんなすごい人だったの?」と言われることを期待しているような気がするのですが・・・。考えすぎでしょうか。

「努力」の扱い方

「努力することは大切だ」というのは、誰もが認めることでしょう。私も学級担任や部活動の顧問として何度も子どもたちに訴えてきました。そんなとき「努力は必ず報われる」という言葉をセットにしていました。そうしないと説得力がないからです。でも、「努力」と「報い」をセットで語ることにはずっと違和感がありました。「本当に努力は必ず報われるのか」というためらいです。

 ちょっと古いデータではありますが、2007年にベネッセ教育総合研究所が行った「学習基本調査」によると「日本は、努力すれば報われる社会だと思うか」という問いに、「そう思う」と答えたのは、小学生68.5%、中学生54.3%、高校生45.4%、大学生では42.8%だったそうです。年齢が上がるについて肯定的な意見が減少しているのは、少しずつ、現実が見えてくるということでしょうか。それにしても、中学生の半分近くが努力は報われないかもしれないと考えているというのは、無視できないデータです。

これは、私の推論にすぎませんが、こうした傾向は「努力は報われる」というときの「報い」の意味を「目に見える結果」に求めすぎてきたからではないかと思います。

 高度経済成長の真只中であれば、今、努力すれば将来必ず自分にとって素晴らしい人生が待っていると信じることができました。だから、大人たちの「今ちゃんと勉強しておかないと将来困ったことになるよ」という言葉もそれなりに現実感を持って伝わったのだと思います。しかし、バブルの崩壊で経済がほとんど成長しなくなり、滅私奉公の精神で会社に忠誠を尽くしてきた人がリストラの憂き目にあう悲劇があちこちで起きました。終身雇用というゴール(結果)を信じて真面目に勤めてきた人たちにとっては、努力や勤勉を否定された気がしたでしょう。そう考えれば、人びとが先のことよりも「今」を充実させたいと考えるようになったのはごく自然な流れといえます。少し前に「リア充」という言葉が若者を中心に流行ったのもそうした生き方を肯定するものだったのだと思います。若者はいつの時代でも時代の空気を最も敏感に受け取って生きています。それは、職業人としてだけでなく、個人としても豊かな人生を築いていきたいという前向きな感情でもあります。こうした生き方に対して「目先のことばかり考えてどうするんだ」と彼らに説教しても、おそらく何も伝わらないでしょう。 

私は、努力することの大切さを否定したいのではありません。むしろ、今まで以上になぜ努力は必要なのかを子どもたちに訴えていく必要があると考えています。ただ、これまでのように「目に見えるご褒美のため」として意味づけるのではなく、「今」の自分を充実させるために必要なのだと訴えるべきだと思います。

 

オリンピックに3大会連続出場を果たした、あるトップアスリートはこう言っています。

「たとえ結果が思うように出なくても、努力は無駄だったと思ってはいけない。何かに向かっていたその日々を君は確かに輝いて生きていたではないか。それが報酬(ごほうび)だと思わないか。」

 私たちは、部活動などで大きな大会に出場したり、好成績を上げたりした生徒やその部に対して、あまり深く考えることなく「よくがんばったね」と言います。でも同時に、そうした「目に見える結果」が出せなかった子どもたちに、どういう言葉が用意できるかを考えておかなければいけません。それを準備した上で、「結果」を残した子どもたちに賞賛の言葉をかけることが大切だと思います。努力は結果を伴うから意義があるわけではないのです。

「目に見える結果」を「報酬」とする考え方は、ときに子どもたちを追い込んでしまいます。経済的格差や貧困が問題視され、ヤングケアラーと呼ばれる子どもたちが増えています。努力できない環境のなかで生きざるを得ない子が増えているのです。しかも、ある研究によれば、皮肉にもそういう子どもたちの生活満足度が上がっているといいます1)。それは「結果が出ないのは自分の努力が足りないからだ」と受け入れて、報われることを端から考えてもみないからだというのです。そうした自己責任としての努力観を子どもたちに内面化させたのは、他ならぬ私たち大人です。私たちは「努力しなければ結果は得られないよ」という、どこか否定的なイメージを伴う言い方から、「努力は自分の人生を豊かにしますよ」という前向きな言い方に変えていく必要があると思います。

(作品No.134RB)

1)土井隆義(2021)『「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの』岩波ブックレット(初版は2019)

不易と流行

名探偵のコナン君の決め言葉は「真実はいつもひとつ」。劇場版ではオープニングの最後にコナン君が登場し、この台詞を言うのが恒例。かっこいい言葉です。でも、ひねくれた性格の私は、この台詞を聞くたびに思うのです。本当に真実は一つなのかと。

 例えば、世界にはさまざまな宗教が存在します。日本では、八百万の神という言い方があり神はいたるところにいますが、神は唯一で絶対だとする宗教も多々あります。そうした宗教や国にとっては神の言葉は絶対的な真実(真理)です。その言葉を拠り所にして、自分たちの考え方が正しいかどうかを判断したり、行動に移したりしているわけです。信心の程度には個人差があるにせよ、迷ったときや切羽詰まったときには頼もしい存在となるでしょう。でも、考えてみればおかしな話です。本来なら唯一絶対の神は一人(?)であるはずです。複数いた時点ですでに「唯一絶対」ではないわけです。そうすると、唯一絶対の神を信じれば信じるほど、他の神を否定せざるを得ないことになります。時にはそれがテロや戦争という大惨事につながってしまう危険性をも孕んでいるのです。

 こうした「特定の問題や現実の事象をただ一つの原理で説明しようとする考え方(精選版 日本国語大辞典デジタル)」を「一元論」と言うそうです。一元論的なものの考え方は、正しいとする内容が明確でわかりやすい半面、他を受け入れない怖さもあるのです。

 今回テーマは「不易と流行」。教育の世界では手垢がつくほどよく使われる言葉です。一般的に「不易」はどんなに時代が変わっても不変なもので「真実」に近い意味で使われます。それに対して「流行」は、そのときどきの流行りであり、いつか廃れるものというイメージがあります。これまで教育の世界ではどちらかというと不易の方が重要視され、流行は軽んじられる傾向にありました。どんなに世の中が変わっても変わらないものがある、それを伝えるのが教育の神髄だと。でも、それももしかしたら「一元論的」なのかもしれません。

 もともと不易と流行という言葉は、松尾芭蕉の俳諧論書である『去来抄』で使われたのが最初だと言われています。その一節には、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。解釈にはいろいろあるようですが、「不易と流行を同じ位置に置くからこそ、確かな基盤に基づいた新しい芸術が生まれる」という意味です。私なりの解釈をするなら新しいものを取り入れなければ不易は不易であり得ないということです。

 カナダのシンガーソングライター、ニール・ヤング(Neil Young)の言葉に「変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた」というのがあります。歌手の松任谷由実さんもよく使う言葉だそうです。進化という真実は、人が変わり続けたからこそ得られたのです。

 ちなみにコナン君の名誉のために申し上げておきますと、彼の言う「真実」は「客観的事実」という意味ではないかと思います。真犯人は誰で、どんなトリックを使ったかという「事実」は変えられない。その変わらない事実に至るために、おそらくコナン君は、事件のないときも常に新しい情報を収集し、不断に観察力や洞察力を進化させ続けているのだと思います。突き止めた「事実」を「解決しない事件はない」という真実につなげるために。

(作品No.15HAB)

心が不安定な子どもたち

 このコラムは以前書いた「高原の風景」の続編としてお読みください。

最近、「荒れた」学校が少なくなったと感じます。「高原の風景」にも書きましたが私が本校の教諭だったころは、服装違反はもちろん、あちこちで喧嘩していたし、窓ガラスの割れ方もひどいものでした。消火器を廊下に放出する者もいたし、ひどいときには中庭をバイクで走るという暴挙に出る「元気者」もいました。

そう考えると、今の生徒は実に素直でまじめです。授業中に抜け出す生徒もずいぶん減りました。同じような傾向は近隣の中学校でもみられるようですが、私が最後に勤務した中学校ではかつては結構な荒れ方をしていましたが、今は授業中の集中度はどこの学校にも負けないくらいになりました。反面、不登校や精神的に不安定になりやすい生徒が増えていると感じます。これも近隣の中学校に共通した傾向です。

 なぜ、「元気者」的な生徒が減り、心が不安定な生徒が増えたのでしょう。簡単に答えが出せる問題ではないですが、そこには「自己肯定感」が大きく影響しているように思います。社会学が専門の土井隆義氏は、次のように指摘しています。

「直感に根拠づけられた純粋な自分は、一貫性を保ち続けることが難しくなる。その時々の気分に応じて、自分の根拠も揺れ動くからである。だから彼らは、その不安定さを少しでも解消し、不確かで脆弱な自己の基盤を補強するために、身近な人びとからの絶えざる承認を必要とするようになる」

 簡単に言うと、かつては社会全体にある程度あった「これが正しい」という価値が薄まったために、自分の行動の根拠を自分の中に求めなければならなくなりました。でもその根拠は自分だけがそう思っているだけかもしれないので、非常に不安定で脆弱なものにならざるを得ません。だから絶えず「あなたは正しい」「あなたはよくやっている」と身近な誰かに言ってもらわないと不安でしょうがない、ということです。そうした承認を得るためには、周囲からできるだけ浮かないように絶えず空気を読み続けなければいけません。浮いてしまうと友だちからの承認が得られなくなり、さらに自信を失うことになります。土井氏の分析によれば、最も身近にいる友だちから承認を得られなかったり、教師から些細なことで注意されたりしただけで、まるで全人格を否定されたように感じる子が増えているのは、社会規範などの拠り所を失って子どもたち(若者)の自己肯定感が低下したからだとしています。

 逆に、校内暴力を続けていた生徒は、尾崎豊さんの「15の夜」の歌詞を借りるまでもなく教師を社会の体現者としてとらえ、社会への反発として行動していたとも考えられます。社会に確固たる価値観があるからこそ反発も可能となります。いわば、彼らの反発は彼らなりの正論と自信の証だったということもできます。

 かといって、価値観の多様化をいまさらもとに戻すことはできません。それに、価値観が多様化することによって、多くの自由が与えられ、すべての子どもが平等に扱われるべきだという考え方も広がりました。固められた価値観に苦しんでいた子にとっては希望でもあるでしょう。価値観の多様化は、社会全体が自由と優しさを求めた結果だとも言えるのです。

 こう考えてくると、私たちは目の前の生徒たちに対してどのように関わればよいのかが少しだけ見えてくるような気がします。拠り所がなくて不安でしょうがない生徒が増えたのなら、時間はかかっても、何度も何度も承認のメッセージをタイミングよく送り続けるしかないと思います。私たちが送った言葉がたとえ一つでも子どもたちの「拠り所」となることを信じて。(作品No.14HB)

※尾崎豊(1965年-1992年〉:日本のシンガーソングライター。青山学院高等部中退。1983年高校在学中にデビュー。10代のころ「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、「10代の教祖」などと呼ばれた。シングルデビュー曲「十五の夜」に「校舎の裏 煙草ふかして 見つかれば 逃げ場もない」という歌詞がある。

電話っ子

自宅に初めて電話がやってきた日のことです。いわゆる「黒電話」。ある日、たまたま私一人で留守番をしていたとき突然電話のベルがなりました。予想以上に大きな音に口から心臓が出るかと思うくらいびっくりしました。恐る恐る受話器をとると、いきなり男の人の声が聞こえてきました。その男性は電話口の私にこう言いました。「〇〇さん(父の名前)はいらっしゃいますか」私は、首を振りました。何度か同じ質問をされた後、電話の男性は「お留守なんですか」と聞いてきたので、私は頷きました。それでも電話の声はまた「お留守ですか」と聞いてきます。ちゃんと答えたのに・・・と思いながら、私はさっきより大きく首を縦に振りました。電話の男性はついに諦めて「また、かけます」と言って電話を切ってしまいました。そこでようやく気づきました。電話では顔が見えないんだ、いくら大きく頷いても相手には伝わらないんだ、ということに。今では信じられない話ですが、そのくらい電話は当時の私にとって未知の世界のものでした。

今や、電話はスマホに代わり、親が赤ん坊をあやすかわりに動画を見せたりすることも珍しくありません。そうした環境が子どもにどんな影響を与えるのか私にはわかりません。様々な悪影響も懸念されているところです。

 でも、この前とても興味深い文章に出会いました。「心理学から考える「現代の」いじめ問題」というタイトルの小論です。その中に、今から40年以上前の1979年に読売新聞社婦人部に書かれた記事から次のような文が引用されていました。

「いまの子どもたちにとって、テレビと同様、電話も物心ついたときからのおなじみ。足にたよらず、電話にたよる行動形態が身についた“電話っ子”なのだ」1)

 筆者は「この文章の「電話」を「スマホ」に入れ替えると、そのまま現代の状況が書かれているかのようである」と述べています。「足にたよらず」という表現から、電話ばかりかけている子どもを否定的に評価している様子が伺えます。

 かつて、新入社員が「今日はデートですから」と言って残業を断ることが話題になりました。上の世代から、無責任だとかやる気がないとされました。でも、今では滅私奉公的な働き方に社会は否定的になり、自分の時間を大切にすることは人生を豊かにすると肯定的に捉えられるようになりました。終身雇用制が崩れ、懸命に会社のために尽くしてきた人がリストラの憂き目にあう時代を経て、社会全体の仕事に対するまなざしが変わってきたのです。

 そもそも「問題」というのは、それを「問題」と捉える人によって「問題」になるわけです。人は分かりにくいものに出会うと、それを「問題」と捉える傾向があります。「最近の若い奴は・・・」という物言いはその最たるものでしょう。若者が「わかりにくい」と感じられるとき、上の世代の人は自分たちの価値観を脅かされる不安を感じます。その不安から身を守るためには、「わからない」相手を否定するのが最も手っ取り早いわけです。

 私が校長だったとき「今年の新任は、当たり前のことさえもできない」「やる気があるのかどうかも怪しい」というベテラン教師からの苦情を何度も聞いてきました。そういうとき私は、何ができていないのかを具体的に確認し、新任の先生に指導してきました。でも、最後に必ずこう言うことにしていました。「これからの学校を背負っていくのはあなたのような若い世代です。おかしいと思ったことや疑問に思ったことがあれば必ず言ってください。経験を積んだ人の言うことがいつも正しいとは限りません。」

 世の中が変わり、価値観も多様化している中にあって、若い先生の感覚は宝です。膠着した学校の在り方を変えるには、今の社会から最も影響を受けている若い人の感覚を積極的に受け入れる姿勢が必要です。そういう新陳代謝を当たり前にしなければ、学校はいつか世間から孤立してしまいます。

 自分の足を使わないと危惧された「電話っ子」は、今50歳を越えています。その世代がいま「スマホっ子」を批判しているというのは、何とも滑稽な話です。(作品No.132RB)

1)小寺朋子「心理学から考える「現代の」いじめ問題」竹田敏彦監修・編(2020)『いじめはなぜなくならないのか』ナカニシヤ出版、p47

本屋でないとできないこと

私は本屋に行くのが好きです。理由は二つ。一つは、世の中が今何に注目しているのかを感じるため。専門書を中心に置いている書店ではなく、幅広いジャンルをそろえている本屋に行き、タイトルだけを眺めます。これだけで、結構世の中が今どっちに向かっているかがわかったりします。世の中の動きを感じることができます。

もう一つの理由は、自分の興味がどこにあるのかを確認するため。「この本がほしい」と思っているときはインターンネットで買いますが、本屋に足を運ぶときは、ほしい本があるときとは限ません。数多い本の背表紙(タイトル)を順に眺めているとなぜか目に留まる本に出会います。自分に必要なことを教えてくれたり、そのとき考えていることにヒントを与えてくれたりすることもあります。

インターネットではなかなかこうはいきません。自分の興味のあるものだけを検索をしていると、ご親切なことに「あなたにお勧めの本」などと勝手にコーナーができていたりします。そういうのを見ると天邪鬼の私は、逆に本屋に行きたくなります。私はそれだけじゃないという軽い反発もあるからかもしれません。

ネット販売は、検索して注文までほんの数分で完了することができます(しかも安かったりする)。そして、早ければ翌日には届く。こうなれば、本屋に行く必要はない。でも、そこにはあまり「偶然」は存在しません。偶然に出会った本が、自分の考え方や生き方に決定的な影響を与える「必然」に変わることはあまり期待できないと思います。

大学に入学したばかりのとき、帰省のため大学のある山梨から東京に出たとき、以前から興味のあった「八重洲ブックセンター」に立ち寄りました。「冷やかし」程度の気持ちでした。実際にそこにいた時間も30分足らず。この書店は8階建てのビルすべてが本で埋め尽くされています。開店初年度(1978年)の入店者数は約1000万人、売れた本は約500万冊であったと言われています。今でも在庫数120万冊を誇ります。それだけ膨大な数の本の中から、私は本当に「偶然」に一冊の本(写真集)に出会いました。その本によって私は教師になろうと決めました。まさに運命的な出会いです。それが『写真集・教育の再生をもとめて 学ぶこと変わること』(林竹二、1978年、初版、筑摩書房、湊川高校授業 カメラ:小野成志 秋山宏行 西川範之)。神戸湊川高校で大学教授の林氏が、定時制に通う生徒に対してソクラテスやプラトンなどの話を交えて「人間とは何か」という最も哲学的な授業を展開した様子が経時的に写真に収められていました。そこには最初まったく興味を示さなかった生徒が授業が進むにつれて表情が変わり、頬杖をついていた手を外し、最後は食い入るように前を向く姿が示されていたのです。私は、その場で動けなくなるくらいの大きな衝撃を受けました。授業というのはこんなにも人を変える力があるんだ、と。

当時の湊川高校の教員、西田秀秋氏は「もうアカンかなあ」と諦めていた生徒が、林先生の授業を契機に「まるごと人が変わる」事実を目の当たりにし、「人となるために如何にせねばならないか」を「学問で得たものを精緻に練りあげ、無駄の一切をはぶいて(心の琴線に)迫る授業」から授業の力を実感し、日々の授業の改善に挑んだと言います

このままだと書店はどんどん減っていくでしょう。ネット販売を利用していながら言うのもおかしな話ですが、どうか、本屋さんには、頑張ってほしいと願うばかりです。

※日本教育学会第79回大会 The 79th Annual Conference of Japanese Educational Research Associationラウンドテーブル「林竹二の求めた「教育の再生」―兵庫県立湊川高校での「自己の再造」―企画者:吉村 敏之(宮城教育大学)司会者:吉村 敏之(宮城教育大学)報告者:松本 匡平(ヴィアトール学園洛星中学校高等学校) 報告者:吉村 敏之(宮城教育大学)」2020.8.24~28 引用部分は、文意を損なわない程度に修正を加えた。

(作品No.25HB)

「高原の風景」-「世情」の解釈-

中島みゆきさんの「世情」という歌があります。その歌詞に「変わらない夢を流れに求めて」というのがあるんですが、私は長く「変わらない夢を流れにも止めて」だと思っていました。1978年リリースということですから、少なくとも私は高校生にはなっていたはずです。なんともお恥ずかしい話です。

 この曲は、当時大人気だった学園ドラマ「3年B組金八先生」(武田鉄矢さん主演)の中で加藤君という生徒を中心とした「反抗的」な生徒が数名教室に立てこもり、最後は警察によって強引に引きずり出されるという場面のBGMとして使われて話題になりました。
 担任役の武田鉄矢さんが、廊下でもみくちゃにされながら必死に警察の介入から生徒を「守ろう」とする場面と、この歌の歌詞一つ一つが見事にシンクロしていました。特に「シュプレヒコール・・・」のリフレインは、中島さんの一種「ドス」の効いた迫力ある歌声によって見ている者の胸をぐいぐいと押してきました。そして、日本中を大きな感動の渦に巻き込んだのです。
 
 今思うと、当時の教育はとても「牧歌的」でした。
 1970年代から1980年代といえば「校内暴力」が全国に広がっていた時期であり、学校の治安を守るために警察を介入する学校もありました。
 しかし、いわゆる「非行少年」の暴力や破壊行為は「犯罪」であるというより「わかってくれよ、先生」という悲痛な叫びとして解釈されることが多かったように思います。
 尾崎豊さんの「15の夜」がリリース(1983年)されたのもちょうどこのころです。
 「盗んだバイクで走りだす(立派な犯罪ですが・・・)」けれど行き先は自分にもわからない。でも、締め付けるばかりの学校や教師のやり方が、かけがえのない自由を自分たちから奪っていくことは許せない。免許を取得することもバイクに乗ることも許されない。だから盗むしかない。他に方法が見つからない。でも、俺たちは自由のために本当は何をどうすればいいんだ。当時の「暴力」や「非行」にはそんな若者の切ない思いが含まれていました。
 
 戦場とも言える学校。それを敢えて「牧歌的」と表現したのは、教師は非行に対して厳しく接しながらも根本的に教育は信頼関係によって成立するものだという信念があり、警察に頼ることは教育の敗北だと考える人が数多くいたからです。
 多くの教師は「俺がなんとかしてやる」という熱い思いで生徒にぶつかっていき、社会もそういう「熱い」教師を支持する土壌がありました。
 「お前たちの気持ちはわかる。しかし、許されることと許されないことがあるんだ」という教師の思いが、そこに厳然としてあったのです。金八先生のドラマのシーンが「名場面」となりえたのも、どこかで互いに求めあっているはずだ「牧歌的」なつながりがあったからでしょう。
 
 私が新任として採用されたころ、校内暴力は都市中心から地方中心に移行していました。ピークこそ過ぎてはいましたが、校舎の二階から机が「降ってくる」とか、中庭をバイクで走り抜けるといった暴挙もまだたびたび起こっていました。それでも先輩の先生方は「きっといつかわかってくれる」と生徒を信じて生徒にぶつかっていきました。そして、卒業して何年経っても互いに連絡を取り合うような濃密な信頼関係が成立したのです。
 当時、そうした教師と生徒の関係の築き方ができたのは、「情熱」と「信頼」を目に見える形で訴えることができる「牧歌的」な時代だったからだと思います。
 そして「牧歌的」な教育を社会で共有可能な目標が支えていたのです。社会学者の土井隆義氏は次のように述べています。その頃の日本は「頂上へ向かってひたすら山を登っている最中」1)であり、人々はその目標を信じていました。だからこそ生徒は反抗する対象を見つけやすかったし、教師は正しい道に戻してやろうとぶつかっていくことに疑問を持たずにいられたのです。

 今の学校が難しいのは、こうした共通の目標が社会の中に見つけにくくなったからです。先ほどの土井氏は見田宗介氏の比喩を用いて、「人々はすでに頂上に達しており、広い「高原」にいる状態だ」2)と指摘しています。
「高原」は見晴らしもよく、自由に走り回ることもできます。しかし、今までみんなで見ていた同じ目標はそこにはなく、それぞれがそれぞれに違う方向を見始めています。
 そこには「本当はこっちを向いた方がいいんですよ」と自信を持って教えてくれる人はいません。誰もが何を見るのが正解なのかがわかっていないからです。
 そうなると一人一人の不安は大きくなっていきます。「本当にこれでいいのか」「もっといい方向はないのか」という不安は尽きることがありません。
 私たち教育に関わる者に求められるのは、まず、今私たちが「高原」にいることを受け容れることです。だだっ広い高原で今まで通りに「上を見ろ」と言っても、そこにあるのは広い広い空と雲だけです。言われた方は途方に暮れてしまいます。

冒頭の「世情」には次のような歌詞があります。
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」
 これまで戦ってきた相手はもうここにはいません。時の流れを止めようとしても無駄です。戻ることは許されないのです。教師や学校が「変わらない夢を見たがるもの」になってしまえば、子どもたちは路頭に迷うだけでしょう。私たちはいまこそ「問い」の仕方を変えなければいけません。広い高原の中で、迷っているのは子どもたちだけではないはずです。
 肩の力を抜いて「さあ、どっちにいこうかねえ」と、子どもの横にゆったりと寄り添わなければなりません。

 そう考えると私の「変わらない夢を流れにも止めて」という聞き間違いは、あながち間違ってはいないのかもしれません。今までと変わらない目標を子どもに押し付けるのではなく、大きな社会の変化の中でさえも敢えて自分を「止めて」、子どもと一緒に考える。悪い話じゃないと思います。(作品No.129RB)

1)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87010?imp=0

2)土井氏は『「宿命』を生きる若者たち』(2021 岩波ブックレットp38)で、見田宗介氏の比喩を次のように引用しています。「見田宗介の巧みな比喩を借りるなら、現在の私たちはすでに山を登りつめて、高原地帯を歩みはじめているのです。」

「定義」と「いじめ」

前回、学校の「丸腰」状態について書きました。そして、少しずついじめについて書いていくとしました。今回は、まず過去の経験を踏まえて私の基本的な考え方について触れておこうと思います。この文章は昨年度自校の職員向けに校長の私が示したものを一部修正したものです。

学級担任をしているとき、学活の時間に「定義づけテスト」いうのをやっていました。黒板に示した言葉を自分なりに定義してみようというもので、例えば、「鉛筆」という「お題」を出すと生徒が「字を書く道具」などと書きます。それを集めて生徒の前で私が読むという、いたって単純なものです。これが結構面白い。最初は目に見える物から始めて徐々に抽象的な言葉(概念)へと発展させます。「優しさ」や「幸せ」など「お題」が抽象的になるほど生徒の回答も多様になります。生徒の持っているイメージもよく表れます。教室全体を「ほーっ」と感心させるものも結構出てきます。

もともと定義とは、「概念の内容や用語の意味を正確に限定すること」(精選版 日本国語大辞典 コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%AE%9A%E7%BE%A9-79069)です。例えば、新型コロナウイルスを撲滅するためには、ウイルスがどんなものかという「正体」を知る必要があります。さまざまな分析や解析によって他のウイルスと何が違うのかを突き止め、ウイルスを「限定」することで「正体」が判明し、ワクチンの開発も可能となります。まさにウイルスを「定義」しているわけです。そうやって開発されたワクチンは、あくまでも限定された範囲内でどのくらい効果があるかということがわかるわけです。

 ところが、学校における様々な課題、特にいじめについてはだれも明確な定義を持ち合わせていません。これが問題を複雑にしています。確かに文科省は定義を示していますが、現在の定義は範囲が広く、「限定」が非常に難しい内容です。昭和61年度に明記されていた「弱い者に対して一方的に」「継続的」「深刻な苦痛」「学校としてその事実を確認」などの表記がすべて削除され、現在いじめは被害者が「いじめられた」と思うことによって成立することになりました。しかし、いじめられた側にもいじめについての明確な定義があるわけではなく、冒頭の「定義づけテスト」と同様、あくまで個人のイメージなのです。自ずと生徒一人ひとりのいじめの定義もそれぞれ違ったものにならざるを得ません。

文科省が定義を広くとらえるようになったのは、いじめによる自殺など重大な事態をなくすために早期発見、早期対応を緊急課題としたからです。いじめによって自ら命を絶つという数多くの悲劇があったことは忘れるわけにはいきません。しかし、深刻ないじめをなくそうとしたことで、皮肉にもいじめの増減さえよくわからない事態となっています。それぞれに定義が違うものを集計しても正確な経年比較はできないからです。また、明確で統一された限定がないということは、正体がはっきりわからないということです。正体がわからないものをなくすことは、理論上不可能です。

新聞やニュースではよく「いじめ過去最多」などと報じられます。それを見た生徒や親は「やっぱりなくならないのか」と感じ、いじめに対して、より敏感になり、些細なことも「いじめ」だと感じやすくなります。いじめがなくならない隠れた原因の一つがここにあります。

このような状況で私たちにできることは、目の前で起こっていることが生徒にとって望ましいかそうでないかを考えることに集中することだと思います。いじめかどうかという識別よりも「生徒にとって何が良くて、何が悪いのか」を考える方がずっと重要です。

(作品No.18HB)

(追伸)これを書いたきっかけは、生徒間のトラブルが多発するなかで生徒指導担当の先生を中心に、どの事例をいじめとして市教委に報告するかどうかで時間をかけているのを見て、そんなことに時間をかけるのはもったいないと感じたからです。また、学級担任や部活動の顧問が保護者と対応するときに「これはいじめだ」と言われることに対するプレッシャーを少しでも軽減できればと思ったからです。報告についてはできるだけそのまま報告すればいいし、いじめはいじめられたと感じたらいじめなのですから、起こって当たり前です。被害者の生徒や保護者が「いじめだ。どうしてくれるんだ」と強く訴えてきたとしても、「そうです。いじめとして対応します」という姿勢でいればいいのです(実際に保護者にそういう言い方はできませんが・・・)。学校には詳細な対応マニュアルがあります。その通り丁寧に対応すれば、何もショックを受けることはないし、プレッシャーに感じる必要はないと思うのです。そもそも定義による限定ができないのですから、発生件数を気にすることに意味があるとは思えません。これも「困難校」のストラテジー(対処戦略)の一つです。