PTA問題を考える

最近、小中学校のPTAに対する「異議申し立て」が多くなっています。都道府県の中には、全国組織である日本PTA全国協議会からの脱退を決めたところもあります。毎年納入が実質義務化されている割に、その成果が実感できないからでしょう。

 そもそもPTAの起源はどこにあるのでしょう。このことについて日本PTA全国協議会のホームページには次のように示されています。

「日本のPTAは、米国教育使節団報告書から始まった」ものであり、「アメリカは、日本社会の徹底した民主化を図るため、戦後いち早く教育専門家を派遣し、その基盤となって社会を支えてきた教育について抜本的な改革を進めようとした。」「使節団は、昭和21年(1946年)3月に来日し、早くも4月7日に報告書を発表し」この中で、PTAに関し次のようにふれている。」

「教育といふことは、言ふまでもなく学校のみに限られたことではない。家庭、隣組その他の社会的機構は、教育において果たすべき夫々の役割を持っている。新しい日本の教育は、有意義な知識をうるために、できるだけ多くの資源と方法を開拓するよう努むべきである。」と、教育に果たすべき家庭の役割の重要性をうたっている。」

「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はこうした基本方針を元に、一般成人に対して民主主義の理念を啓蒙することが、新生日本の政治基盤形成上、あるいは占領政策の目的達成上不可欠の要件であるとして重視し、そのための有効な方途としてPTAの設立と普及を奨励する方針を掲げた。GHQの方針を具体的に推進したのは、中央においてはCIE(民間情報教育局)、地方にあっては地方軍政部であった。CIEは文部省を通じて、全国的にPTAの指導、・支援を行ったが,地方では、地方軍政部の指導が大きかった。地方軍政部は制度的にはアメリカ太平洋陸軍総司令部に属するが、実質的にはGHQの下、地方段階で占領政策の実施に当たり、その状況を監視する機関として機能した。

任務の中には、民主的に創設され行動する専門協会とPTAの発展をはかること、PTA会合のために学校施設の利用を促進すること、が掲げられており、地方での実地のPTAの普及・指導に大きな役割を果たした。」(下線は引用者による)

 長い引用となってしまいましたが、ここに記載された内容には「努むべき」という表現でもわかるように、あくまでも「努力義務」だったと解釈するのが妥当でしょう。しかし、戦後すぐの段階でアメリカに盾突くようなことはできるはずもなく、全国の学校にPTA組織が広がったことは容易に想像できます。

 「努力義務」には強制力がありません。PTAの組織をつくることも、そこに加入することも任意であるわけです。この任意性が、PTA離れの背中を押しています。

つまり、PTAが任意の団体であるにもかかわらず、実質的には強制的に入会させられることに理不尽さを感じる人が増えてきたということです。多くの学校では今でも入会届すら求めていないでしょう。入学したら自動的に会員になるのが常識のようになっています。

それでも、PTA会員になってよかったと思えるとか、入会して当たり前だという共通認識があれば、問題にはなりませんが、今は、そのどちらもが揺らぎ始めています。それが、PTA問題の中核です。

例えば、PTA活動を行うには中心的となる役員を決める必要がありますが、共働きが増え、専業主婦の人が減ったことによって、PTA役員として決められた会議や行事の準備に駆り出されることが物理的に無理であったり、苦痛と感じたりする人が増えています。中には、PTAの会議に出席するために仕事を休まなければならないことも起きてきます。給与支払いが時給計算となるパート勤務などの場合は、特に拒否反応が強くなって当然です。近年の貧困化問題を考えても、家計に影響が出てしまう役員にはなりたくないというのが本音でしょう。また、親の介護などで夜の会議に出席できない場合も考えられます。

それでも役員は決めなければならないわけですから、そこに何らかの無理が生じます。学校によっては立候補者がいなければくじ引きによって強制的に決めるところもありますし、選挙の結果をもって有無を言わせず決定するところもあります。そうなると、決められた方は、押しつけられたと感じることになります。学校によっては、学級懇談会を開き、引き受けられない理由を表明できるようにしているところもありますが、これもなかなか難しい。どこまでを妥当な理由として認めるかという基準がはっきりしないからです。PTAの規約に詳細な基準を示している場合もありますが、それでも、他の人の前で家庭の事情を表明しなければならないとなると、かなりの苦痛です。「そんなこと理由にならないでしょう」という周囲の雰囲気の中で、泣きながら訴えざるを得ない人もいます。

また、個人情報保護法を盾に理詰めで抵抗する人もいます。個人情報はそれを求める者(組織や団体)が利用目的をあらかじめ対象者に明示することが義務づけられています。そのため、PTAが個人情報を得るためには、PTAが利用目的を明らかにしたうえで、独自に情報を収集するべきであるというわけです。PTAの活動を行うために学校から個人情報を得るのは漏洩に当たり、違法行為だという主張です。

PTA活動はこれまで、学校や教育委員会では十分に対応できない学校運営上の事柄を陰で支える役目をしてきました。登校時の児童生徒の安全を守るための見守り(立ち番)活動や公費では対応できない費用の捻出(備品購入を除く)などはそれにあたります。

また、PTA役員は保護者の代表として保護者の意見を学校運営に反映させる場としての機能を果たしてきたことも見逃せません。価値観が多様化する中にあっては、気づかないうちに学校と保護者の間の感覚のズレが大きくなってしまうこともあります。そんなとき、PTA会長や本部役員を通して学校に申し入れを行うことができるわけです。

そういう意義があることについて、これまで学校は十分に説明してきたでしょうか。PTAは学校が責を負う組織ではないとはいえ、どこか、PTAは「あって当たり前」、「保護者であれば会員になって当たり前」という意識があったことは否めないのではないでしょうか。もしかしたら、「最近の親は、学校に世話になっているという感謝の気持ちがない」と嘆いていた部分もあるのかもしれません。そうした姿勢が、社会の多様化や私事化の影響を受けて露わにされた結果、会員になりたくないという人が増えている原因の一つとなっているのではないかと思います。

対策としては、任意であることを前提にしながらもPTA会長や学校長が積極的にその意義を訴えることが、まず、第一でしょう。そして、組織のあり方を柔軟に考えることも必要です。

例えば、入学説明会において新入生の保護者に向けてPTAの存在意義を説明し、同意書を提出してもらうようにすることも考えられます。「そんなことをしたら、PTAに入らない人が増えて活動ができなくなる」という人もいるかもしれませんが、このまま何もしなければ、おそらく、今後数年から10年くらいの間に、さらに入会拒否が増えていくだけだと思います。今なら、まだ多くの人の賛同は得られると思います。先手を打つためにもすぐに実行すべきでしょう。

また、PTA活動をエントリー制にすることも考えられます。すでにある小学校では実践に移しているそうですが、行事や各種の取組ごとに協力者を募るというやり方です。これなら強制感は軽減されるでしょう。活動に協力する人が少なければ、意思を表明した人数で実行可能なことを考えればいいのです。

 ただ、このやり方は入会の任意性の問題を解決する手段とはなりません。根本的に改善しようとするなら、思い切ってPTAの看板を外し、「保護者会制度」にするという方法もあります。そもそもPTAの「P」は保護者、「T」は教員ですから、「保護者会」とすることで、学校から独立した組織であることが明確になります。そうすれば、活動は保護者が主体的に決めることができます。また、保護者である限り自動的に入会させられても違和感は軽減されるでしょう。小規模の学校では、創立当初から実施しているところもあります。

ともあれ、今、PTAの本質が問われています。PTAにしかできないことは何かについて、学校、教育委員会も含めて考え直す時期を迎えていることは確かです。

(作品No.181RB)

鳥の親心二つ

今から15年以上前のことです。知り合いとゴルフをしていたときティーアップをしようとしたら、不自然な飛び方をしている鳥が目に入りました。天敵にでも襲われたのか羽に傷を負っているようで、いまにも墜落しそうにフラフラと飛んでいます。パニックを起こしたようなすさまじい鳴き声も出しています。私は「大丈夫ですかね」と後ろにいたAさんに声をかけました。Aさんは、森林伐採のプロです。Aさんは、笑いながら言いました。「あれはわざとやっているんです」。

Aさんによると、これは鳥類の一部に見られる「偽傷」(ぎしょう)と呼ばれる行動で、翼を骨折して飛べないようにふるまったり、傷を負って飛べないでいるかのような動作をしたりして、巣への侵入者の注意を引き、卵やひなから外敵を遠ざけようとする行動なのだそうです。その話を聞いて、もう一度「演技」している親鳥を見ていました。「演技」をやめてまっすぐにどこかへ飛び去る姿を見た瞬間、私は、ただただ感動しました。

 もう一つ。

「親鳥は、巣立ちの時が近づくと、雛鳥にエサをあげなくなります。そうなると、おなかが空いてくるので、雛鳥も自分で飛んでエサをとりにいかざるを得なくなります。」(松尾英明2022『不親切教師のススメ』さくら社、p159)

鳥の種類にもよるのかもしれませんが、鳥は子どもの自立を促す方法を本能的に知っているというわけです。

 さて、人間の場合はどうでしょう。近年(と言ってもかなり前からですが)家庭の教育力が低下していると、まことしやかに指摘する人がいます。本当にそうなのでしょうか。

 教育社会学者の広田照幸氏は、1937年(昭和12年)の柳田國男の講演記録を根拠につぎのように指摘しています。

(柳田は)「親は教育の担い手としては「無力」であり、家庭は「教育の主たる管理者」ではなかった、というのである。「昔は家庭が責任をもってしつけや教育をちゃんとやっていた」という、今のわれわれが抱くイメージとちょうど逆のことが語られているのである」1)

「家族が直面していた多くの問題の中で、子供の問題は、優先順位が高くなかった。ましてや、子供のしつけや教育の問題は、簡単に無視できる程度のものだった。(中略)ろくに野良仕事もしないで子供のしつけや教育に時間をかける嫁がいたら、村中の笑いものになったはずである。(中略)乳幼児期における母親とのスキンシップが大切だとも考えられていなかったし、子供の成長や成功を自分の自己実現の一部とみなすような観念も希薄であった。」2)

 つまり、私たちがよく耳にする(あるいは口にする)「最近の家庭の教育力は低下した」という言い方は正しいとは限らないということなのです。

そういえば、高齢者の方から「昔は家に帰って、今日は先生に叱られたと親に不満を漏らすと“お前がわるいことをしたからだろう”と逆に厳しく叱られるから、学校で叱られたことは家では隠していた。」という話を聞くことがあります。言い換えれば「最近の親はなんでもかんでも学校に文句を言うが、昔は家でしっかりしつけていたものだ」というわけです。  

しかし、広田氏の指摘に当てはめれば、学校のことは学校に任せっきりにしていたというわけです。だから、ことさらに文句を言う必要もなかったのです。ただ、柳田國男が講演をしたころは、家庭よりも地域の「若者衆」などと呼ばれる地域組織の制約が厳しく、今と比べると地域には圧倒的な教育力(強制力?)は存在していたようです。そこで、若者は村独自のルールを叩き込まれたわけです。でも、それは「家庭」が子どもに教育しなくてもよかったことの裏付けにはなっても、家庭に教育力があったという根拠にはなりません。

このように考えてくると、今の家庭は教育力が衰退したのではなく、むしろ教育し過ぎ(子どもに関わりすぎ)なのかもしれません。些細なことでも学校にクレームをつけてくる親が増えたと言われますが、それは、親の子どもに対する関心が高まりすぎて「気になって仕方がない」からなのだと思います。かつてのように、子育てやしつけの優先順位が低ければ、親にとって子どもの言い分など「どうでもいい」ことと考えても当然です。だから、まともに受け付けなかったわけで、そのことを今の高齢者の方は「厳しくしつけられた」と振り返っているのかもしれないのです。そういえば私も、小さいころにはよく「子どもは黙ってろ」とか「大人の話に入ってくるな」と、一方的に叱られたものです。

昔の大人は、子どもを子ども扱いすることで、逆に子どもは冒頭二つ目に挙げた雛のように早く一人前の大人になりたいと思えたでしょう。でも、子ども時代は面白くないことや理不尽な扱いに耐えなくてはいけない面も多々あったと思います。逆に、今の子どもは、親がかまってくれます。子どもの訴えを聞いて学校に乗り込んでくる姿は、どこか冒頭一つ目の「偽傷」する親鳥に見えないこともありません。子を守るための必死の行動なのです。ただ、それによって子どもは一時的には平穏に過ごせるかもしれませんが、自立するタイミングを失いやすくなります。

親の対応の仕方は、社会全体の価値観や環境の変容にも大きな影響を受けます。昔のような接し方をすれば子どもは自立できるという単純な問題ではありません。昔、存在した「若者衆」のような地域社会の「受け皿」はもうないのですから、本当に効果を上げようとすれば、社会全体を昭和の初期に戻さなければいけません。そんなことはできるはずがありません。結局は、社会の現状に合わせて最適なものを模索するしかないのです。

今、学校に求められることは、子を思う親の心を十分に尊重した上で、子どもの自立を促すには何ができるかを考えることでしょう。社会の状況など現状を考えれば、子どもを見守りながらも、少しずつ子どもにかける手を引いていくことが必要です。

そして、最も大切なのは、どのタイミングで「偽傷」する親鳥になるか、どのタイミングでエサを与えない親鳥になるか、それを保護者とともに考えていく姿勢だと思います。

(作品No.180RB)

  1. 広田照幸(1999)『日本のしつけは衰退したか』(講談社現代新書、p25)
  2. 前掲書、p28

「習っていない漢字はひらがなで書く」は意味あるか?

初めて小学校に勤務(教頭)したとき、どうも腑に落ちないことがありました。先生が「習っていない漢字は使わない」ということでした。確かに、習っていない漢字は読めないでしょうが、黒板に書くときに読み仮名を書けばいいだけのことではないかと思ったのです。私は、中学校で長く授業をしてきましたが生徒がすでに習っているかどうかなど、あまり意識したことはありませんでした(新出漢字は必ず1時間かけて覚えさせましたが)。

時々、各教室の授業を見させてもらっていましたが、教員が黒板に習っていない字を書くと、子どもの中から「先生、その漢字まだ習っていないよ」と声がかかります。指摘を受けた教員は「ああ、そうだったね」といって、わざわざ消して平仮名に書き直しているのです。

例えば、「登校」とかくとき、「登」という字を習っていないと「とう校」と書きます。しかし、こうした熟語は全体のフォルムも大切なのです。大人が、「とう校」というフォルムを見ると、かなりの違和感があります。どのみち、習うのですからそのまま「登校」と書いて、読み仮名を大きく横に書いてやればいいのではないかと思います。熟語の本来の姿を早くから見せた方が、日本語特有のフォルムがイメージしやすくなり記憶にも残りやすいと思うのです。また、ノートに写させるのなら「読み仮名を付けた感じはひらがなでもいいよ」と一言添えればいいだけです。

そうすることで先生の負担も大幅に減ります。先生が習っていない漢字を書けないとなると、どの漢字を何年生で習うかをすべて頭に入れておかなければなりません。ベテランの先生ならまだしも、新任の先生にはそれだけでかなりの負担になるでしょう。

その上、早い段階でできるだけ多くの漢字を見せることで、子どもたちは、自然に覚えるでしょう。わざわざ6年生で習う漢字だからといって、それまで目に触れさせないようにするのは、漢字を習得させる上でもマイナスなのではないかと思います。極端に難しい漢字でなければどんどん目に触れさせてやればいいと思います。

公立小学校教諭で多数の著作のある松尾英明氏は、

「「習った字しか黒板に書かない」を忠実に続けていると、配当表にある漢字以外は一切読めないということになる。」(『不親切のススメ』さくら社、2022、p34)

と指摘しています。

漢字は、読めるよりは読めた方がいいに決まっています。学習指導要領も、最低限必要なこととして学年別配当表を示しているわけですから、その学年で習うべき漢字を扱わないのは問題でしょうが、上の学年の漢字を覚えてはいけないなどと言っているわけではありません。松尾氏は低学年であっても「漢字のクイズ」として、河馬、駱駝、縞馬、土竜など絶対に読めないような漢字を示すこともあるそうです。実際に示すときには、「今日は、哺乳類シリーズだよ」など、テーマを設定する(これが考えるヒントとなります)そうです。子どもたちは、「普通はできないけど、できる子はすごいよ」という課題はとても好きです。

熟字訓までいかなくても、日常的によく耳にする漢字くらいは、学年配当表を気にすることなく、黒板や自作プリントに使ってやればいいと思います。その方が、漢字に興味を持つようになっていくと思います。毎日、決められた漢字を書き写すような宿題などしなくてもきっと書けるようになると思います。見たことのある漢字は、書くことへの抵抗も軽くするものです。

最低限のルール(学習指導要領に定められた内容)さえはずさなければ、いくらでも工夫することはできると思います。こうした思考は、学校の無駄をなくし、効率的な授業を構成するためにも大いに駆使すべきです。

(作品No.179RB)

オンリーワン

世界には一人として同じ人間はいないという意味で、すべての人はオンリーワンだと言われます。ただ、オンリーワンはナンバーワンに比べてわかりにくいものです。オリンピックで金メダルを獲った人や、何かの大会で優勝した人は誰の目にも明らかにナンバーワンであることがわかりますが、オンリーワンというのは、どこかつかみどころのなさを感じます。

それでもオンリーワンという言葉は魅力的な響きを持ちます。そこに、すべての人にはそれぞれに違った個性があるのだから「そのままの自分でいいんだ」という優しさが含まれているからでしょう。同時に、他の人と比べることの虚しさも教えてくれます。

でも、オンリーワンは直訳すれば「ただ一つ」という意味です。もし、自分の中に他の人にはない「ただ一つ」が見つけられなければ、自分はダメな人間じゃないのかと感じてしまうこともあります。思春期を迎えた子どもが、そういう自信のなさのために自己肯定感を下げてしまうことも少なくありません。この悩みは大人が考えている以上に深刻なもので、中には家に閉じこもってしまうケースもあるといいます。オンリーワンの個性を「持ちたい」と思っているときはいいのですが、「持つべきだ」という規範として受け止めてしまうと一種の圧力となります。この点について社会学者の土井隆義氏は次のように指摘しています。

「個性的な存在たることに究極の価値を置くこのような社会的圧力の下で、彼らは、自己の深淵に隠されているはずの潜在的な可能性や適性を見出そうとあせり、絶えざる焦燥感へと駆り立てられています。」(土井隆義2004『「個性を煽られる子どもたち』岩波ブックレットNo.633、p38 下線は引用者による)

思春期の子どもは「自分は何者なのか」と自問します。そのとき、「こうありたい」とか「こうあるべきだ」という自分像と、現実の自分とのギャップに悩みます。思春期の子どもが気難しくなりやすいのは、そういうギャップが解消できないもどかしさによって気持ちの波が激しくなるからでしょう。所謂アイディンティティ(自我同一性)確立に関わる悩みです。

さて、ここで一つの矛盾に気づきます。オンリーワンという概念に従って「ただ一つ」であることを実感しようとすると、必然的に他者との比較が必要になってしまうのです。自分の個性が「自分にしかない」ことを証明しようとすれば、比較対象となる他者がいないとできないからです。アイディンティティの問題で悩む子に「あなたらしく生きればいい」と言ってもなかなか伝わらないのは、そう言われた子が、自分らしさを(土井氏の指摘する)自分の中にあるはずの「潜在的な可能性や適性」に見出そうとしてしまうからです。つまり「個性」が自分の内側(生まれ持った資質など)のどこかにあるはずだと思ってしまうのです。しかし、そもそも人間は他者なくして「個性」をつくることはできません。オンリーワンという概念は非常に魅惑的ですが、個性をつくり上げるために欠かせない「他者」の存在を薄めてしまう危険性もあります。

他者と自分を比較して、劣等感を抱いたり、優越感に浸ったりするのは愚かな行為だと思います。しかし、世の中に自分と他者を比べないで生きられる人がどれほどいるのでしょうか。ましてや、子どもなら無意識に比べてしまっても責めることはできないでしょう。

私たちは他者と自分を比較することを「良くないこと」として否定するのではなく、その比較の仕方によっては、自分の「個性」を形成する大切な作業になりうると伝える方が、よほど説得力があると思うのです。「あなたの苦しみは、かけがえのない自分をつくるために必要なことなんですよ」というメッセージをどう伝えるかが大切なのではないかと思います。

そもそも、何に、どう悩むか、それも自分らしさの一つなのですから。

(作品No.97BA)

「名」と「実」(本質)

「名は体を表す」ということわざがあります。「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる」1)という意味です。教育の世界でも「名」は重要です。

 例えば、現在の特別支援教育という名称は、「2001年1月の省庁再編に際して、文部科学省初等中等教育局特殊教育課から文部科学省初等中等教育局特別支援課に変更され、採用された」2)のが始まりだそうです。ただ、法的に根拠を持つのは、平成18年12月に「障害者の権利に関する条約」が国連総会で採択されたのを受けて「学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が平成18年6月21日に公布(平成19年4月1日施行)され、それまでの養護学校が特別支援学校と改称されたのをもって成立しました。「特殊教育」が「特別支援教育」に変わると、かなり受け手のイメージも変わります。「特殊」には「特別」という意味もないではないですが、主に「性質・内容などが、他と著しく異なること。また、そのさま。特異。」3)という意味となり、どこかマイナスのイメージが残ります。それに対して「特別支援教育」の「特別」は比較的少数を対象とするという意味では似ているものの、「特別感がある」のような使い方でもわかるように、必ずしもマイナスのイメージで使われる言葉ではありません。また、「特別支援教育」という概念は「特別な子に何かを支援する」教育という意味ではなく、「特別な支援が必要な子」への教育を指します。これは似て非なるものです。前者の解釈だと「特別な子」がいることを前提とした視点となってしまいます。特性の有無にかかわらず、どの子も同じ尊厳を持った存在であることを大切にするなら後者の表現が妥当でしょう。

 私は「名は体を表す」ことよりも「実体に応じた名前をつける」ことの方が大切だと思います。「名」を「実体」(本質と言ってもいいと思います)にできるだけ近づけることは、様々な偏見を生まないために非常に大切なことです。

 そう考えたとき、私がどうしても納得できない「名」があります。それは、「適応指導教室」という言い方です。今もこれを使用している自治体は結構あります。しかし、不登校傾向の子どもを学校に「適応」させる、しかもそれを指導するということは、裏を返せば「適応」できない子は「指導されるべき存在」だということになります。学校に「適応」するのが絶対的に正しいことだとする学校側の思い上がりのようなものを払拭できません。不登校が問題なのは、学校に登校できないことではなく、その状態の子が不当に苦しんでいることにあります。「不当に」と言ったのは、不登校になる原因は一人ひとり違うにしても、その子にとって「行きたい」場を提供できなかった学校の責任を子どもになすりつけているように感じるからです。

 最近では、教育支援センターと呼び名を変えている自治体も増えてきました。なんだか漠然とした言い方ではありますが、「適応」という言葉を使うよりははるかにましです。

 近年の教員による暴言や体罰、不適切な関わりの根底には、子どもは学校にきて当たり前、教師のいうことに素直に従うのが当たり前といった上から目線の接し方がまだまだ多く残っているからだと思います。「適応指導教室」や「適応教室」という呼称を残している自治体は、すぐにでも変更すべきだと思います。名前が変われば、その理由が気になります。そこで知る理由が教師の意識を変えるきっかけになると思うのです。(作品No.166RB)

  1. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%90%8D%E3%81%AF%E4%BD%93%E3%82%92%E8%A1%A8%E3%81%99/
  2. 平原春好・寺崎昌男編(2002)『教育小事典』(学陽書房、p241)
  3. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%89%B9%E6%AE%8A/

「善意」と「正論」

令和4年5月2日NHKクローズアップ現代で、アスリートのメンタルの問題を取り上げていました。入院経験のある私にとっては非常に興味のある内容でした。萩野公介さんや鈴木明子さんといったトップアスリートといわれた方々が、不当な誹謗中傷によっていかに苦しい思いをされたかが実によく伝わってきました。

 私が何よりも注目したのは、番組中の国際大学の山口真一准教授のコメントです。それは、山口准教授が、批判や誹謗中傷する側の心理について、「俺の中ではこういう決まりがある、こうであるべきだという個人の価値観の強要」1)があるとして、それを「『俺理論』」1)と呼んでいるというくだりです。そして、「本人は悪意がないんです。だから『自分は正しいことを言っている』と思っていることが誹謗中傷の実態でして、『自分が正しい』と思っているからこそ厄介なんです」1)と続けられました。

 これを聴いて私は耳が痛い思いをしました。自分が若いときの生徒(生活)指導は、まさに「ダメなものはダメだ」という「正論」ありきでの指導だったのではないかと思ったからです。悪意を感じるSNS等での誹謗中傷と、生徒(生活)指導を同じ土俵で論じるのは極端に過ぎるかもしれませんが、「自分が正しい」と思っていることを相手に押し付けるという点では同じ根を持っているような気がします。そして、考えました。私は「指導」する目の前の生徒が私に思いを伝える機会を十分に与えていただろうかと。私も山口氏の言う通り、悪意は全くありませんでした。むしろ、その生徒に正しい考えを持ってもらおうという「善意」で「指導」をしていました。「正論」はたいていの場合こうした「善意」に支えられています。しかし、ことさらに「正論」を持ち出すことは一つ間違うと相手をねじ伏せてしまいます。なぜなら「正論」を言われた生徒は十分に考ええる余裕もなく「自分はだめな人間なんだ」と思い込んでしまい、何も言えなくなってしまう可能性があるからです。「善意ほどやっかいなものはない」2)と言われる所以です。

 そういえば30年以上前、初めて不登校の生徒を担任したとき、一番対応に困ったのが保護者でもなく本人でもなく、近所に住む「世話焼き」タイプのお年寄りでした。あるとき家庭訪問をするためにその生徒の家の近くを歩いていたとき、一人のご老人がすっと近寄ってきて「〇〇さんのところの息子は学校に行ってないと聞いてね。私が、親御さんにこんこんと話しておきましたよ」と得意げに話されたことがありました。そのご老人には、多少の功名心のようなものはあったかもしれませんが、悪意はなかったと思います。しかし、その後当事者の母親が地域でいづらくなってしまったのです。

 良かれと思って行ったことでも逆の受け止め方をされることがあります。アスリートに対する誹謗中傷は、「正論」を装ってその実悪意に溢れているということもあるでしょう。決して教師の「正論」や「善意」と同等に扱うことはできません。けれども、私たちが本当に生徒の成長を願うのならば、最初から「正論」を振りかざすことだけは避けたいところです。そして、私たちの用いる「正論」が生徒の将来のどこにつながるものなのか、根拠のない「俺理論」となっていないか、常に確認する習慣を身に付けることは必要だと思います。

(作品No.100RB)

1)「日本選手への「誹謗中傷」と「過度な批判」ツイート、東京・北京オリンピック中に計「2200件」(NHKクロ現調査)」5/2(月) 8:00配信 ハフポスト日本版

2) 「不登校新聞」479号2018/4/1不登校50年「善意ほどやっかい 精神科医・高岡健さん【不登校50年/公開】」https://futoko.publishers.fm/article/17646/

絵画教室で感じたこと

先日、生まれて初めて小学生対象の絵画教室を参観しました。テーマは風景画かポスターのいずれかを子どもが選ぶというものでした。参加児童は高学年を中心に20名弱というところでしょうか。子どもたちは夏休みの絵の宿題に助言を求めて集まっていたのです。

テーマが複数ある上に子どもたちはそれぞれに違う絵を描いているわけですから、助言する方も大変です。しかし、70代の元小学校教師の講師は一人ひとりに的確な助言をしておられます。そこからは、かなりの経験や技術、アイデアをお持ちの方だということが伝わってきます。

ただ、気になったのは子どもが鉛筆で描いた下書きに容赦なく「ダメ出し」をして、あっさりと消しゴムで消してしまうのです。子どもにとっては、自分がそれなりに一生懸命考えて描いた下書きをいとも簡単に消されてしまうのですから、当然意気消沈してしまいます。中には明らかにふてくされてしまっている子もいます。講師さんはそんな子にもお構いなく、消しゴムを走らせながら「なぜ、駄目なのか」を一方的に説明しています。しかし、一旦ふてくされてしまった子どもは聞く耳を持ちません。体を横に向けたまま憮然とした表情です。講師さんにとっては「間違いは間違い」という確固とした信念があったのでしょう。けれども最後に、講師さんがしびれを切らして、ポスターの中の言葉(例えば「火遊びはダメ」など)のレタリング(下書き)をあっという間に描いてしまったのです。子どもはもうただ茫然と立ち尽くすしかありません。

私は、「ああ、この人が現役の教師だったころはこういう指導が当たり前だったんだろうなあ」と感じました。それにしても、レタリングまで講師が描いてしまったら、それはもう子どもの作品ではなくなってしまいます。絵の指導など一度もしたことのない私には、何も言う権利はないのかもしれませんが、いくらそれが「正しい」描き方だとしても、果たしてそれが教育的に「正しい」のかと疑問を抱かずにはいられませんでした。いきなり消された子どもからすれば、自分自身を否定されたような気になったかもしれません。

そんな様子を見ているうちに、私には別の思いが浮かんできました。確かに、否定された子は自信をくじかれてしまってはいるでしょうが、これは「本物」のレタリングを目の前で見る貴重な機会なのかもしれないと思ったのです。ここに集まった子どもたちは特別に絵の勉強をしているわけではありません。絵の才能を伸ばすために専門の先生について勉強している子はいません。目の前であっという間に素晴らしいレタリングが仕上がっていく過程を見て、あるいは出来上がったレタリングを目の前にして「すごい」と思ったに違いありません。もしかしたら、こんな経験は今後二度とないかもしれません。次に自分で何かを描くときに役に立つこともあるでしょう。

 近年の学校教育では、自ら課題を見つけ、自ら考え、課題を解決する力が重視されています。所謂「探究」する力です。私もその理念には賛同する一人です。理想の教育を語る多くの専門家や研究者も、「型」にはめる教育は良くないと警鐘を鳴らしています。しかし、それを本当に実現するための具体策については多くを語ってくれません。また、語ったとしても大抵は、教師の授業に対する考え方や、教授法レベルの考え方にとどまっているように思います。けれども、この問題の本質は、そういうところにあるのではなく、学校というシステムそのものが制度疲労を起こしていることから生じているのです。義務教育において本当に、自ら考える子どもを育てようとするなら、今の学校の枠組みから抜本的に考え直さなければいけないと思います。

例えば、高校入試のシステムを変え、入試問題の内容を子どもの創造力を試す問題にすれば、中学校の授業は変わらざるを得ないでしょう。また、学力も認知能力も大幅に差のある子どもたちが、学年・学級という枠に強制的に集められています。「探究」的な学習や「アクティブラーニング」といった理想を重視して日々の授業を行えば、まさに「できる子」しか実質的に参加できない授業になってしまう可能性もあります。基礎をしっかりと身につけていない、あるいは何らかの理由でそれができない子に対して、いくら「探究」的な授業を展開しようとしても難しいでしょう。そうなると、「できない子」は基礎学力すら身につけられないまま、今まで以上に置き去りにされてしまうことになりかねません。レタリングの技法の基礎を知っているからこそ、それを自分の発想に合わせて表現する絵が描けるわけです。

前回の学習指導要領の改訂のときだったと思いますが、「習得」「活用」「探究」を螺旋状に捉えて授業をすることが示されました。この考えは、現行の指導要領よりもわかりやすかったと思います。今、さまざまな要因で努力しようにもできない環境にいる子どもが増えています。極端な言い方かもしれませんが、学年の枠を超えて生徒の「習得」(基礎的な知識や技能を身につける)の場面を意図的に作り出すことが必要だと思います。総合的な学習の時間は、「探究」的な活動がメインになることが多いのですが、「探究」の過程で「習得」の不十分さが見つかったときには、すでに学習した内容を振り返る時間を設定することが必要でしょう。そのためには、総合的な時間の授業では時間がかかり過ぎるテーマではなくポイントを絞った内容にして、「習得」に帰る時間の余裕を持っておくことが必要だと思います。もし、可能であるならせめて月に一回くらいは学年の枠を取り除いた「習得」の時間を設定するのもいいと思います。「探究」の授業は、調べ学習や体験活動とイコールではありません。

「探究」が「探究」であるためには、それに必要な「習得」と「活用」が必要です。そこにいつでも帰れる状態にしておかなければ、理想は絵にかいた餅になってしまいます。

(作品No.155RB)

「ほんまかいな」学

今回は、私の勤う務していた学校(小学校、中学校ともに)で自校の先生方に実際に配布したものをご紹介します。これまでに、投稿した内容と一部重複するところもありますがご了承ください(一部修正しています)。

以前、ある会(校内)で「これからの教育に必要なものをボードに書ホワイトボードに書いてください」と言われました。急なことだったので慌てたのですが、咄嗟に浮かんだのが「ほんまかいなと思うこと」という回答でした。これは、今までやってきたことを一旦立ち止まって「ほんまかいな(本当にこれからもそれで良いのか?)」って見直すと意外と新しい発見があるということです。かの、「ルビンの壺」も、見えるのは本当にカップだけか?と疑う(視点を変える)からこそ、向き合う二人の顔が浮かび上がってくるのです。

こういう視点は、クリティカルシンキングと言われ、「本当にそうか?」「他にはないのか?」など、今まで持っていなかった視点で対象を見つめる視点として、PISA型「読解力」が流行った頃に特に注目されました。今まで当たり前にやってきたからそれでいい(今までと同じ視点で対象を見ることに疑いを持たない)と思うと、新しいアイデアが出てこないばかりでなく、今までやってきた本質的な意義すら見落としてしまうことになりかねません。

また、クリティカルは「批判的」と訳されることが多いのですが、これは若干誤解を生みやすい。正確に言うと単なる批判ではなく「建設的な批判」という意味であり、どちらかというと「吟味」のほうが意味としてはしっくりきます。目の前の対象が本当に必要なのかどうか、改革できる部分はないかと「吟味」するために、これでいいのかという目で見てみましょうということです。

その視点を持つためには、自分の価値観を一旦保留する必要があります。これを現象学ではエポケー(判断停止、判断保留)と言います。

例えば、インドの人はカレーを手で食べることがありますが、これを日本人がはじめて見れば、違和感を持つ人もいるでしょう。それは、日本で生まれ育ってきた者には、素手でごはん食べるという習慣がなく、むしろ行儀が悪い「良くない」こととして周囲の大人から躾けられてきたからです。でも、手でご飯を食べているインドの人に向かって「なんという非常識な」と思ってしまったら、インドの文化やそこに生きてきた人々を理解することはできません。私たちは、日本の常識や文化は一旦保留して、そこにどんな意味が込められているかを考えてこそ相手を理解することができるのです。

また、「江戸時代は強固な身分制のため職業選択の自由がなくて、当時の人は不幸だった」という命題に対してそれが本当かどうかを確かめようとするとき、現代に生きる者は、まず「自由は人間の不可侵権利だ」という価値を一旦保留(判断停止)する必要があります。そうしないと、「そんなもの不幸に決まっている」と決めつけてしまう恐れがあります。でも、当時の人たちに「自由=不可侵の権利」という視点がそもそもなかったとしたら、あるいは職業は選べるものだという選択肢すら頭になかったとしたらどうでしょう。おそらく、魚屋の子は小さい頃から魚屋である親の姿を見て育ち、自分が跡を継ぐつもりで仕事を覚えていったでしょう。そして、少しずつ自分でもできることが増えていくことに喜びを感じていたことは容易に想像できます。かつて、エイリッヒ・フロム(ドイツの社会心理学者)が、自著『自由からの逃走』で「人は自由が多すぎると逆に束縛を求める存在だ」と指摘した通り、選べないからこそ迷うことがなく、多様な自由が保障される現代より幸せだったかもしれないのです。

私たちは、日々生徒やその保護者に接していますが、その言動がどうにも理解できないと思うときがよくあります。そんなとき、インドの人を理解するときと同じように、江戸時代の人々の願いに思いを馳せるときと同じように、一旦、学校の常識や教育の「当たり前」を封印する必要があると思います。私たちは、ついついこれまでの指導観や人物観を強く持ちすぎて、偏見や臆見、憶測を十分に捨て切れなくなることがあります。相手や対象物を「色眼鏡」でみてしまうことがないかどうか、常に振り返る必要があると思うのです。

学校教育の例も一つ挙げておこうと思います。「不登校」についてです。不登校はかつて登校拒否と呼ばれていました。日本における登校拒否の研究は、アメリカの「学校恐怖症」の研究を基礎として始まっており、学校に来られないのは何かしらの(心理的な)病気であるとして、子どもや保護者に対するケアが行われました。その実績は教育界に大きな影響を与え、多くの苦しむ子どもたちやその保護者を救ってきました。

それに対して「ほんまかいな」と異を唱えたのが、当時大阪市立大学の助教授だった森田洋司氏です。森田氏は自著『「不登校」現象の社会学』(学文社1991)の中で、不登校(当時は登校拒否)を社会的な現象として捉え、できるだけありのままに分析し、子どもが学校に来られなくなる原因は、必ずしも個人的な要因にとどまるものではなく、社会的な価値観の変化が大きく影響していることを明らかにしました。組織や会社などを公的なものと捉えていた価値観が相対化され、個人の幸福を優先する現象(私事化)が社会全体に広がっている。その相対化は当然学校にも向けられ、学校は何を置いても登校すべものだという考えが薄まってきた。そのため、子どもや親は学校を「行くか、行かないか」といった選択可能なものとして捉え始めているというわけです。これは、学校関係者に少なからず衝撃を与えました。森田氏は、私たち学校に警告を発したのかもしれません。つまり、子どもたちが登校する必然性を創造する(子どもにとって楽しい学校、行きたいと思える学校など)努力によってつなぎ止める工夫をしなければ不登校現象はさらに深刻になると。その後「不登校」は、全国的に急速に広がり、森田氏の指摘は残念ながら的中していると言わざるを得ません。

森田氏の研究は、「どうして、ほとんどの子どもたちは学校に来ることができているんだろう」という視点から始まりました。それまでの研究は「どうしてこの子は学校に来られないのか」という視点から為されていましたから、まさに、真逆の視点です。登校拒否を個人の問題として捉えていれば決して生まれなかった発想です。その後、森田氏はいじめ問題の研究にも取り組み、「いじめる側」と「いじめられる側」という対立構造で語られることが多かった問題に、「観衆」や「傍観者」という新たな視点を入れて、いじめを支える四層構造を解明しました。今では、いじめ問題を考えるときの常識になっています。これもそれまでの常識を一旦外し「ほんまかいな」という視点を現状に向けることで真実をあぶり出したのです。

こうした考え方は、様々な学問領域で用いられています。社会学、現象学、現象学的社会学などの世界ではもうずっと前から言われてきたことなのです。でも、これまで教育についてこれらの学問があまり深く関わってくることはありませんでした。つまり、研究対象として学校を扱うことが少なかったということです。それは、教育学の内容が多くの国民や教員の納得のいくものであって、疑いようのないものだったからであり、社会全体でその価値を支えていたからだと思います(学校のことは先生に任せておけばいいという時代)。誰もが当たり前だと信じる強固な価値観は、強固であるが故に誰もそれを疑うことなく「ほんまかいな」という視点を持つこともなかったのだと思います。

これまで日本には疑う余地のない「勤勉」という価値がありました(今でも多くの人が肯定するでしょうし、私もこの価値を否定するつもりはありません)。しかし、社会は変化し、終身雇用制が揺らぎ始め、「24時間働けますか」と言われながら、毎日毎日残業で家庭も顧みず、全てをかけて会社のために働いてきた人たちが次々にリストラの憂き目に遭う、なんともやりきれない現象が起き始めます。こうなると次の世代の若者が、同じようになりたくないと考えるのは無理のないことです。そして、人々にとって「勤勉」という価値は、次第に絶対的なものから相対的なものへと移行し始めます。つまり、私事(ワタクシゴト)を重視する人が増えていったのです。かつて、デートを理由に残業を断る若者が「責任感がない」とか、今さえよければいいとする「快楽主義」だとして非難されたことを覚えている人もいるでしょう。それは、若者のそうした姿が、大人にとっては解消しなければ(なくさなければ)ならない「問題」として映ったからでしょう。これは、「まじめ」や「勤勉」が崩壊していくことに強い危機感を抱いた大人たちが、徹底してこれまでの価値観を守ろうとした現象であるとも言えます。

しかし、若者は本当に間違っていたのでしょうか。相対化がもたらした社会の「私事化」は、見る角度を変えれば、人として豊かな生き方って何だろう(会社人として生涯を終えることが幸せなのか)、ちょっと立ち止まって考えてみようという人が増えた証拠でもあります。思えば私たち教師も、長年に渡って子どもたちに、お金や地位だけが全てじゃない、人として豊かな人生を送ってほしいと願ってきました。相対化現象が広がる中で、皮肉にも私たち教師の教えを若者が体現したのかもしれません。

社会がどんなに変わっても子どもの本質は変わらないと言う人がいます。その人たちが言うように、インターネットやSNSなどの情報機器がどんなに発達しようが、AIがどんなに進化しようが、人が大切にしなければならないことは変わらないのかもしれません。でも、かつてグーテンブルグが活版印刷を考案した(諸説有りますが)とき、世界の価値観は本当に変わらなかったと言い切れるでしょうか。ベルが電話を発明したときはどうだったでしょうか。恐らく、それまで信じられなかったようなことが当たり前になり、それによって人の考え方や価値観も大きく影響されたと思います。何が起こっても子どもは変わらない。だから、教育も変える必要はない。これは、教育に携わる者の「傲慢」かもしれません。少なくとも、私たちはプロとして「本当に今のままでいいのか」という自省は重ねていかなければならないと思います。

参考:とんでもない「ほんまかいな」を一つ紹介。1960年、フランス歴史学フィリップ・アリエスという人が『<子供>の誕生』という本を刊行し、子供大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して疑義を呈しました(「ほんまかいな」の視点です)。アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなく、 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され大人と同等に扱われ、飲酒恋愛も自由とされたと述べています。つまり、ヨーロッパにおいて子供という概念はもともとあったものではなく、学校教育制度が生み出したものであることを示したのです。

「人は変わり続けるからこそ、変わらずにいられる」

これは、カナダ出身のシンガーソングライター、ニール・ヤングさんの言葉で、松任谷由美さんもコンサートなどでよく使われるそうです。まさに、これからの教育にぴったりの言葉だと思います。教師個人としても、一人の人間としても、学校全体としても、あるいは日本全体の教育としてもこの視点はとても大切になってくると思います。

私は、どんなに時代が変わろうと教育(学校ではありません)の神髄は同じだと思います。これだけ「ほんまかいな」の視点が大切だと力説していたくせに、矛盾しているじゃないかと思われるかもしれません。そうではなく、本当に大切なもの、変わらない教育の神髄を守るためにも、私たちは変化に敏感である必要があるのです。今までの価値観で新しいものを否定することで、逆に一番大切なものも失う可能性があるのです。

今、私たちには、教育の本質を見極めるために自分たちのやってきたことをしっかりと吟味することが求められています。エポケーという概念も、ニール・ヤングさんの言葉も、今まで気づかなかった真実の在処をきっと教えてくれると私は信じています。本当に大切なものは子どもたちが安心して成長できる環境を整えることから始まるのだと思います。(作品No.94HB)

「足りない」ということ

今から数年前、100人ほどが集まる講演会に参加したときのことです。テーマは「地域のつながり」。いわゆる参加型の講演会で、いくつかのグループに分かれ、あらかじめ用意されたペンでコメントを書いたり、はさみで紙を切ったりといった簡単な作業が盛り込まれていて、なかなかおもしろい講演会でした。でも、どうもしっくりこなかったことがありました。それは、はさみやペンなどの道具については、「適当に取りに来てください」と全体に声をかけるだけで、配ってくれなかったことです。その上、全て大幅に数が足りないのです。  

こうなると誰が道具を取りに行けばいいのか、何人に一つの割合で道具があるのかなど、わからないことだらけです。正直「気が利かない講師だ」と思ってしまいました。おそらく会場にいる多くの人が同じように感じていたと思います。

 そんなわけで、私たちは最初どうしたらいいかわからないまま黙って座っているだけでした。しかし、そのうち「まず数を数えようか」と誰かが言い出し、配り始めると「そちらの方は足りていますか」とか「私は使い終わりましたので、どうぞ」など、あちこちから声が聞こえるようになりました。

 そして、講演会の後半、講師さんが静かな口調でこう言われました。

「『足りない』って、人をつなげるんです」

「なるほど」と思いました。そうです。講師さんは「わざと」道具を少なめに準備し、細かな指示をしなかったのです。「ペンやはさみが全員分あれば、貸し借りのための会話は必要ありません。お互いのことを気遣う必要もありません。でも、何か足りないものがあるからこそ、人間はそれを何とかしようと知恵をしぼり、協力し合うことができるんです」

私は、ほんの少しでも講師さんのことを悪く思ってしまったことを恥ずかしく思いました。

そう言えば、「天国と地獄」のたとえ話を聞いたことがあります。どちらもごちそうが目の前にたくさん並んでいるのですが、使える箸がとても長くて自分で掴んだものを自分の口に運ぶことが出来ないのです。地獄では、それを何とか自分だけおいしい物を食べようと必死で自分の口に持っていこうとするのですができません。ところが、天国ではみんなニコニコしておししい料理を食べているのです。それは、周囲の人に「何が食べたいですか」と聞いて遠くにある食べ物を箸で掴み、その人の口に運んでいるのです。これなら、多少箸が長くても食べることが出来ます。自分のことしか考えない地獄の世界とは大違いです。

教諭時代、一般の人(教員以外の人)から「あなたは何を教えているんですか」と、よく聞かれました。いつも私はその問いに戸惑いを感じていました。「国語を教えています」と答えればいいんですが、何とも言えない違和感のようなものがつきまとうのです。それは、「教える」という言葉が教師から生徒への一方向のように聞こえるからです。一方向のみの「教える」は、生徒にとっては受容するだけのものになります。また、一方向による授業は常に与え続けなければなりません。次第に生徒たちは「次に何が必要なんだろう」と考えるのではなく、「次は何を渡してくれるだろう」と受け身になります。そして、受け身になった生徒は、与えられたものが不十分だと感じると、「あれがない」「これがない」「だからわからない」と不平を持ちます。そもそも、自分では何もしない人ほど他人に安易に文句を言うものです。子どもたちがそんな人間にならないためにも、私たちは子どもに最初から多くを与えすぎないこと、転ばぬ先の杖は最小限にとどめること、これからの教育では、とても大切なことになっていくと思います。

(作品No.48HAB)

メタな視点

研修所に勤務していたときに、筑波大学の教授からこんな話を聞きました。その人は外国で欧米の学生と日本の学生を同じゼミで受け持っていた経験があるとのことでした。

「日本の学生に、“小・中学校時代、国語でどんなことを習いましたか?”と聞くと、『ごんぎつね』とか『走れメロス』とか答えます。でも、欧米の学生に聞くと「説明文の書き方」とか「小説の書き方」と答えるのです。つまり、日本の学生は教材名を答え、欧米ではそれが何のための授業だったかを答えるのです。」1)

自分の専門教科が国語だったので、この話には少なからず衝撃を受けました。この教授の言われることが全てだとは思いませんが、私のやってきた授業は内容の理解だけにとどまり、何のためにこの教材を使うのか、なぜ筆者(作者)はこの文(作品)を書いたのか、という視点をもたそうとは考えてもみませんでした。

こうした「何のために」とか「なぜ」といった視点は、メタ認知によって可能になります。

「メタ認知(metacognition)の「メタ(meta-)」とは,「高次な」や「一段上の」という意味を持つ接頭語で,「認知(cognition)」は,見たり,聞いたり,考えたりなどといった知的営みや活動を指す言葉です。つまり,メタ認知とは自らの認知活動を高次な(一段上の)レベルから認知することを意味する言葉になります。」1)

つまり、今自分がやっていることがどういう意味を持っているのかを「一段上の」視点によって理解しようとすることです。冒頭の欧米の学生が「説明文の書き方」と答えることができたのは、このメタ認知によって、教材の理解を越えた「授業の意味」を十分に理解していたからでしょう。 

メタ認知は日本語の「俯瞰」に近いものだと思います。例えば、校舎の全体像を写すために航空写真を使うのとよく似ています。また、車のカーナビを想像してもいいかと思います。ナビは人工衛星(GPS衛星など)を使って、高いところからその場所を広角で捉えることができます。角度が小さければ、正確な道案内はできないでしょう。

国語の説明文の授業に即して言えば、教材の内容を正確に理解した上で、その文がどんな構成になっているのか、何のためにこの段落でこの具体例を用いられたのか、そして筆者はなぜこのような文章を書こうと思ったのかなどを考える視点をもつということです。そうした読みをするためには、教材の全体を見渡す必要があります。全体を見渡すことで、筆者の意図が見えてきます。自分が筆者になったつもりで読むと言ってもいいでしょう。筆者は、必ず意図をもって文章を構成しているはずです。文中には書かれていない「高次な」意図を汲み取ることは、自分が説明文を書こうと思ったときに必ず生かされます。

私が小学生のころ、よく、説明文の授業で、形式段落ごとの要点まとめる作業をしていました。丁寧に読むことは大切ですが、あまり細かくやり過ぎると生徒の視点が近視眼的になり、全体像が見えにくくなります。そういうときには、視点を読者から筆者に変えることで、文章全体を見ることが可能になります。

以前注目された「PISA型読解力」も、メタ認知を基調としています。これも児童生徒の全体を見る目を養い、何のために今この授業をしているのかを考える機会を与えることを重視したものです。この考えは、現行の学習指導要領でも生かされています。

このメタ認知は、私たちが仕事を進める上でも重要な視点です。今目の前でやっていることが子どもたちのどんな部分を育てることにつながるのかをちょっと意識するだけで、児童生徒への声のかけ方も変わってくると思います。

また、自分よりも少し経験のある人になったつもりで(授業で筆者の視点をもつのと同じように)その人を見てみることも大切です。学級担任なら学年担当を、学年担当なら教務の先生を、教務の人なら教頭先生を、教頭先生なら校長先生を、といった具合にです。自分のことに精一杯だという人も、時々でいいので試してみて下さい。きっとそこには新しい発見があるはずです。「自分ならどうするだろう」と考えるだけで自分の視野を広げることができます。その姿勢は、将来その立場に立ったときに生かされるだけでなく、自分の仕事や学年のことを「俯瞰」する視野や思考につながっていきます。

(作品No.42HAB)

  1. 「岩手大学教育学部准教授 久坂哲也「メタ認知と学び」(ベネッセ教育総合研究所 マナビコラム https://berd.benesse.jp/special/manabucolumn/classmake19.php