所属するということ

かつて「3年B組 金八先生」という手令ドラマが一世を風靡したことがありました。今、某配信サービスによって毎日1話ずつ配信されており、懐かしさもあって毎回見ています。最初のシリーズが始まったのが1979年から、もう44年も経ってしまいました。

このドラマは、その時代に合わせた教育問題をストーリーに落とし込むと同時に、学級のまとまりや同じクラスの仲間同士の友情を非常に重要なものとして展開されていました。若干小難しい言い方をすれば、学級に所属すること、そこで相互に認め合うことで個人のアイデンティティが形成されることを基本としていたのです(あくまでも私の個人的な解釈ですが)。

さて、近代以前の日本では共同体(村社会)において、どこの地区の誰の子かということが個人に存在の承認を与えることができていたと言われています1)。「あんたは、〇〇さん()の△△の子だね」というだけで居場所が確認され、個人の存在価値も与えられていたというわけです。

ところが、現代では当時に比べて地域社会の繋がりが弱くなったことによって、どこの共同体に所属しているかだけでは自分の存在価値を見い出すことが難しくなりました。哲学者の大庭健氏によれば、「存在の承認は、何ができましたかという達成」2)に置き換わたのです。これは、自分の存在意義を自分で示さなければならないということでもあります。しかし、自分の価値を自分で証明するのは簡単なことではありません。共同体のようにそこにいるだけで証明されるわけではないので、どうしても自分の「達成」を他人と比べます。そうしないと、自分のやってきたことがどれだけの価値があるかを実感できないからです。

また、臨床心理学者のリンジー・C・ギブソンは次のように指摘しています。

「人類はその長い歴史を通してずっと、つねに集団に属してきた。おかげで、ストレスよりも安心感を得られてきたのだ。」3)

これらの指摘に従えば、人間にとってどこかの集団に属しているということは、生きていく上で非常に重要であることがわかります。そして、その集団は社会からも認められ、個人でも意義を感じるものでなければなりません。

非常に回りくどい言い方になったかもしれませんが、私の言いたかったことは、これからの学校は子どもにとって貴重な所属集団となるだろうということです。個性の伸長や能力の開発は当然必要ですが、それらを実現するためには、所属する集団である学校が子どもにとって誇りの持てる場であることが必要です。

子どもたちは、どこかの学校に所属しています。自分の学校はこんなに楽しい、こんなに素晴らしいと思ってくれたら子どもたちの抱えるさまざまなストレスは少しずつ軽くなるのではないかと思うのです。

世の中が変わり、金八先生と同じ指導は今の私たちにはできません。でも、少なくとも学校を意味のある集団として位置付けていたことは、覚えておいてもいいように思います。

(作品No.232RB)

1)香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己(2010年)『「生きづらさ」の時代』専修大学出版局。p99

2)同上、p99

3)リンジー・C・ギブソン著・岡田尊司監訳・岩田佳代子訳(2023)『親といるとなぜか苦しい』東洋経済新報社、p53

当たり前を褒(ほ)める

令和4年12月13日に示された文部科学省の「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果ついて」によれば、通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒は、小中学校では8.8%、高校では2.2%に達しています。これは、35人学級(小中学校)であれば、1クラスに3人程度いることになります。

 平成24年に発表された同様の調査(文科省)では、通常の学級における発達障害(LD・ADHD・高機能自閉症等)の可能性のある児童生徒は6.5%程度だったことを考えれば、特別な支援が必要な児童生徒が増えているのは明らかです。

 なぜこんなに増えたのかは私にはわかりません。また、原因の追究をしたとしても素人の私には限界があります。そういうことは、専門家に任せたいと思います。私たちにできることは、目の前の子どもが何を求めているのかにどれだけ耳を傾けることができるかだと思うからです。

 ある多動性傾向の強い子がこんなことを言ったそうです。

「ぼく、本当は座りたいよ」

 授業中に立ち歩く児童に、教員が自席に座るように促したときに発した言葉です。本当はみんなと同じように座って授業を受けたいと思っているのに、どうしてもできないというのです。佐藤氏は他にも、聴覚障害のある子から「耳が4つあり前からも後ろからも音が入ってきた」と聞かされたこともあったといいます。

 こうした話を通して、植草学園短期大学特別教授で特別支援教育士スーパーバイザーである佐藤愼二氏は、次のように子どもに「諭された」と述べています。

「(この子は)見方を変えれば、「着席している状態」は頑張っていたのだ。配慮を要する子どもたちの「客観的に見ればできて当たり前」の行動の多くは、「努力の表れかもしれない」と「見方」を変える必要もありそうだ。」

「多動性とは、パンツの中にアリが1匹入っている感覚なのだ」と諭された。」1)

 よく「困った子」は「困っている子」だと言われます。でも、一番困っているのは本当にしてほしい配慮をうまく周囲に伝えられないでいる子どもです。

 学校は病院ではありません2)。悪いところを治すのが病院ならば、良いところを伸ばすのが学校だと思います。私たちは、つい何か良いことをした子だけを褒めますが、静かに椅子に座っている子は、それが当たり前だとして特別に褒められることはありません。でも考えてみれば、そうした子の〝お陰〟で教師は授業が進められるのです。

 

 私は、新任の時に学級を崩壊させた翌年、最初の学活で全員が静かに座って話を聞いてくれている姿に涙が出そうなくらい感動したのを覚えています。また、複雑な事情を個々に抱えて学校に馴染めず、それでも自分を変えたいと入学してきた山の学校の生徒を思い出します。特別支援教育の話から(そ)れてしまったかもしれませんが、結局は同じなんじゃないかとも思うのです。

(作品No.226)

1)教育新聞デジタル(2023年5月13日)「通常学級の「特別」ではない支援教育」第5回、佐藤愼二

2)前掲、2023年5月9日、第4回 

勉強する理由

「勉強は何のためにするの?」と児童生徒に聞かれたらどう答えればいいか迷います。子どもが納得できる答えは簡単にはみつけられません。私は、この問いに答えるためには、学校教育を「機能」と「目的」に分けて考える必要があると思います。

 まず、「機能」とは、社会に出たときに役に立つような知識や技能を身につけさせるはたらきです。例えば、算数の四則計算を使いこなせることや、最低限の漢字が使えるといったいわゆる「読み書き算盤」は、社会生活を営む上で欠かせないものです。

 また、学校には社会化機能というのもあります。社会人として必要な礼儀やモラル、コミュニケーションの取り方などのことです。これも子どもが社会に出て困ることのないようにと願いつつ、私たちは子どもと日々のかかわりを続けているわけです。

 一定の年齢までは「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞いてきた子どもに「将来必ず必要になるから」と答えるのが最もストレートに伝わるでしょう。

 ところが、学年が進むにつれて学習内容は難しくなり、中学校くらいになると抽象的な概念なども増えてきます。そうなると「将来役に立つ」というだけでは説明がつきません。

 例えば、社会人である大人がどれほどに一次関数や二次関数を使っているかと問われれば、答えに窮してしまいます。かくいう私も日常的に関数を使うことはありません。本当は意味のあることなのですが、中学生にとってはその意味を実感することは困難でしょう。

 そこで必要になるのが、勉強の「目的」です。

 近代的な学校が成立する前は、徒弟制度などによって大人から直接必要な知識を得ることができました。それは経験に基づいた技能や知識が中心でした。親の職業を受け継ぐことが多かった時代ならそれでよかったのでしょうが、職業選択の自由が保障されて選択肢が広がっていくにつれ、次第に経験だけで伝えられるものでは不十分となっていきました。つまり、「身の回りにないものを学ばせる必要が生じてきた」1)のです。そして今、学校には「人生のさまざまな生き方の可能性」2)を与えることが求められるようになりました3)

 言い換えれば、学校教育は、この社会や世界がどういうふうに成り立っているのかを理解しようとする視点を子どもが持てるようにすること、これが大きな目的の一つになったのです。だから、卒業した後、一回も使わない知識や技能があったとしてもそれがまったくの無駄であるとは言えないのです。

 中学生に「なぜ、勉強しなきゃいけないんですか?」と聞かれたとき、次の言葉が役に立ちます。

「天文学者と小さな少年が同じように望遠鏡で星を見ていても見えるものが違う」5)

 子どもたちにとって学校で身につける知識は、一見無駄に思えるかもしれません。でも、知識があるからこそ見えてくることもあります。それが自分の人生を豊かにするのです。 

(作品No.207RB)

  1. 広田照幸(2022)『学校はなぜ退屈でなぜ必要なのか』ちくまプリマ-新書、p89
  2. 前掲、p98
  3. このことを最初に提唱したのは、コメニウス(Johannes Amos Comenius、1592-1670)の『大教授学』だとされています。400年以上も前にすでに気づいていた人がいたというのはまさに驚きです。

問いの立て方

大量の情報にあふれる現代において、非常に重要になるのは「信憑性」です。その情報が信じるに値するかどうかを判断するためには何らかの根拠が必要ですし、そうした根拠の「信憑性」を見極める力が必要となります。しかし、これがなかなか難しい。

 根拠の「信憑性」を見極める一つの方法として「問いの立て方」に注目することは、結構、有効です。

 例えば、「学級のルールをしっかりと守れるクラスは学力が伸びる」という情報があったとします。私たちは、この情報に対して、「その通りだろう」と思う人もいれば、「それは一概には言えないだろう」と感じる人もいるでしょう。そして、なぜそんなことが言えるのかということに関心が向けられます。このとき気をつけなければならないのは、こうした調査が、暗に二者択一を求めているということです。

 つまり、知らず知らずのうちに私たちは規律と学力との関係はあるのか、ないのかという「二者選択」に誘導されてしまっている可能性があるのです。しかし、この調査の対象となったクラスの担任がどんなタイプの人なのか、あるいは学級の人数がどのくらいなのかなど、他の要因によって学力が左右されることも考えられます。そのことに目を向けなければ、学級の規律が学力に影響するのではないかという閉じられた思考に陥ってしまいます。

 どのような調査や研究でも、ある種の限定が為されているものです。学力と規律に関する調査においても規律とはどういうもので、学力とはどういうものとするという前提があるはずです。その限定された範囲内で示されたものが結果として示されているわけです。

 最近、エビデンスという言葉をよく耳にするようになりました。これは、数値や指数で表される科学的根拠という意味として用いられます。確かに何の根拠もない話は誰も信用しませんから、エビデンスは周囲の納得を得るためには欠かせないものです。それでも、エビデンスそのものが、調査等による実証的結果である限り、一定の限定を避けられるものではありません。

 私はそうしたエビデンスを否定するわけではありません。高度な統計的処理を行うことによって生み出されるデータは非常に貴重なものです。しかし、「量的」な分析だけでは測れないことが多い教育の世界では、私たちの経験の積み重ねから生まれる「質的」な感性もエビデンスとして大切に扱うべきだと思うのです。私たちに必要なのは、その問いの立て方が課題解決のために妥当なものであるかどうかをしっかりと吟味することだと思います。

「……高いエビデンスを誇るとされる量的研究は、まさにそれゆえにこそ、実際の教育政策や教育実践にいくらか無批判に受け入れられてしまいやすい傾向がある。」1)

 また、現象学の提唱者であるフッサールは、さらに厳格な言い方をしています。

「通常おこなわれている明証性(Evidenz)への訴えはすべて、それによってそれ以上遡って問うことが断ち切られるのであるから、理論的にみれば、神がみずからを啓示するといわれる神託に訴える以上のものではないことになろう。」2)

 つまり、「ある科学的エビデンスを客観的真理の動かしがたい証拠として受け取るとするなら、それは「神託」を信じるのと変わらない」3)というのです。

 フッサールの記述は、極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、全知全能の神と同じように科学的根拠を神聖化してはならないという警告として受け止めようと、私は思っています。

(作品No.200RB)

1) 苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p37

2) フッサール(1992)細谷恒夫/木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央 

  公論新社、p344(前掲書、p145より重引)

3) 前掲書、苫野、p145

エビデンスと教育

最近エビデンスという言葉が多く使われるようになりました。医療の世界や利益を追求する企業では有効だと思いますが、どうも教育の世界に持ち込まれると違和感を禁じ得ません。エビデンスとは「根拠」という意味があるようですが、教育的効果を示すエビデンスはどうやって導くのでしょうか。

 一般的にエビデンスは量的な研究(具体的な数値を用いて結論を出す)によることが多いのですが、教育効果を数値で表すことはどこまで可能なのでしょうか。

 経済界の中心には、教育的効果をもっと明確にするために、文科省は全国学力学習状況テストの結果をもっと国の施策のなかで重視すべきだという人もいるそうです。確かに、テストの結果は点数という数値で表れますが、そもそも学力をどのように定義した上で作られたテストなのか、本当にその定義に沿った問題になっているのかをしっかり吟味しているのでしょうか。

 いうまでもなく、学力はじつに多くの要素を含んだ概念です。どんなに精密に作られたテストであっても、学力全体を図ることは不可能でしょう。学力という概念を経済界から見て有効な内容に焦点化してしまう危険性もあります。そうなると、教育にとって重要な要素である、人間関係の温かさや、将来の生きる力になる思い出などが軽視されてしまいそうです。 

 もともと、研究者の言う学力と学校現場の教員が考える学力とが同じとは限りませんし、ましてや競争原理や自己責任の重圧に苦しんで、勉強したくてもできない子どもが増えている現状においては、テストの点数を見て教育の効果を推し量るというのは、現場感覚として受け入れがたいものがあります。

 かつて、県教委に勤務していたとき、私が起案を上げたときによく上司に「この部分の根拠は何か?」と聞かれました。その際の「根拠」とは、科学的な研究結果などではなく、どんな公の機関が認めているかという出典のような意味でした。一つの文言を使用するにも、例えば文部科学省がこういう通知でこの表現を使っていますとか、県の指針から引用しましたということを示せというレベルでした。

 教育委員会は、行政機関の一つですのでそういう「根拠」を出すことは当然でしょう。国や県が推奨していないことを実施することは許されないからです。

 しかし、子どもたちの学力の向上に資する研究や実践においてはそうした説明責任は二義的な意味合いしか持たないはずです。どういう授業をしているのかを保護者に説明することは大切だとは思いますが、それ以上に大切なのは実質的に子どもの学力を高めることであるはずです。

 エビデンスとは何らかの課題の解決のために、有効な手段を考えるときの根拠となるものです。決して説明責任のためにやるものではありません。

 かつて、2003年に日本では「PISAショック」と言われる現象が起きました。OECDが世界の15歳の子どもを対象に教育的効果を測定するために行われている「PISA調査」の結果が2000年(第1回)に比べて参加国内での順位が大きく下がったことが発端になって、文科省は危機感をあらわにしました。

 特に、読解力の低下が著しいとして学校向けにかなり厳しいプログラムを課したことがあります(まあ、あんまりまともに受け止めなかった学校が多いと思いますが)。

 文科省からすれば、OECDが求める学力については、OECDに先駆けて学習指導要領を改訂し学校現場に示していたはずだ、先生は何をやっているんだ、しっかり効果的な授業をしなさいというわけです(例えば2005年に出された『読解力向上プログラム』には、国語の授業が心情理解に偏っているなど、非常に細かいことまで書かれていました)。

 文科省は単に順位が下がったことで、世間からの批判を恐れ「対策は講じていますよ」という説明責任(言い逃れ?)のために使用したのではないかとさえ思います。そして、責任を学校押しつけたのです。

 哲学者ボルノウは、教育を支えるものは「雰囲気」であると言っています。朝の気分でさわやかに子どもに接する教師の姿が、子どもたちの前向きな態度を培い、さまざまな面で可能性を伸ばすと指摘しています。こうしたことは、決して数値では測れません。

 それに、数学的な数値を基にした教育改革は恣意的になりやすい面があります。もし、経済界の要求を取り入れて企業にとって必要なタイプの人間を育てようとしたとしたら、それを肯定的に示す調査をすればいいわけです。また、同じ調査でも分析の視点を変えれば、結果も違ったものになります。

 量的な調査による客観的なデータは、教育の一部分を分析するには有効でしょうが、その分析は絶対的なものではありません。結局は平均値でしかないのです。量的な調査・研究によって明らかになった(とされる)ことを、学校現場の教員が実践してみて再度フィードバックすることが必要です。それによって、調査や分析を見直し、より効果的な方法を見出す、そういう作業がいるのです。

 どんなに高度な技術をもって分析したとしても、その問いの仕方が学校現場の実態とかけ離れていれば意味がありません。量的な調査研究の内容を決めるのは人間です。だからこそ、どんな調査をするかを考える前に、学力をどう規定するかについてもっと議論すべきだと思うのですが。

(作品No.197RB)

これからの学校に必要なこと-相対化を超える現象学的視点-

新しい年を迎えました。昨年このコラムを読んでくださったすべての方に感謝いたします。教育は国家百年の計とも言われます。私ごときに百年先を考える力はありませんが、今年も私のつたないコラムが少しでも皆さんの力になれたら幸いです。

 さて、唐突ですが、昔、中学校の教諭だったころ、こんなことがありました。クラスの女子が職員室の私のところに来て「先生、これもらってください。母がお世話になっている先生にぜひ食べていただきたいと言うので、持ってきました。」

きれいな木箱に入っていたのは、なんと松茸でした。それも、少なくとも20㎝以上はある大物です。一目で高級品であることがわかりました。私は、「こんな高価なものはもらえない」と断りましたが、「このまま持って帰ると母に叱られるから」と彼女が何度もいうので、結局私は受け取りました。(こんな立派な松茸が食べられるという下心もないではなかったのですが)

 「一度手に取ってみてください」と言う彼女の言葉に従って松茸を手にしたその瞬間、予想外の軽さにびっくりしました。「そんなはずはない」と驚く私を前にして、手渡した生徒は満面の笑顔を見せています。

 そうです。私が手に取った松茸は、大量のティッシュを固めて精巧に作られた「偽物」だったのです。ずしりとくる感覚を予想していた私は、その軽さにすべてを理解しました。そう、私は見事に生徒のドッキリに嵌ってしまったのです。色も形も実によくできていました。彼女が言うには、色付けは水彩絵具ではなくプラモデルなどに使う本格的な塗料を何色も使ったそうで、一部ライターであぶって細工までしたとのこと。そして、渡す場所に職員室を選んだセンスの良さにも感服しました。まさか、職員室でこんなことをするわけがないと普通は思います。それが、彼女のねらいだったのです。

 彼女は、声を挙げて笑いながら、この「作品」が、母娘との共同製作であり、完成までに何時間もかかったと話してくれました。私は恥をかかされたというよりも、私を驚かせるためだけにわざわざ時間と手間をかけてくれたことに感激しました。

 実はこの話、今後の教育を語るうえで、とても重要なことを含んでいるのです(そのことに気づいたのはそれから10年以上後のことですが)。

 私は、最初に偽物の松茸を見たとき「本物だ」と確信していました。「偽物」だと気がついたのは、その後です。だから、初めから松茸はなかったわけです。じゃあ、松茸は本当にどこにもなかったのかというと、実はそうではないのです。私が「偽物」を「本物」だと信じていたときには、私にとっての松茸は確かにあったのです。それが、「偽物」だとわかった時点で、私のなかの「松茸」はティシュの塊に変わりました。でも、一つだけ存在している松茸があるのです。それは、私が「偽物」の松茸を「本物」だと信じていたという事実としての松茸です。その事実は、それが偽物だとわかった後でも覆すことはできないのです。

 この覆せない事実は、世の中がどんなに多様化しても、どんなに相対化が進んでもけっして否定することができないのです。私がある時点で感じたことや、何かを信じていたという事実だけは何者であっても否定することはできないのです。

 私は、平成7年ごろから現象学的社会学者の祖といわれるシュッツとの出会いをきっかけとして、現象学や社会学に関心を持ってきました。そして、今このような混沌とした教育界を救いうるのは現象学的な視点しかないと確信するようになりました。

 学校は今、あるべきものとしての自明の理を失いかけています。30年ほど前にはまだ、「学校(義務教育)は行って当然」という常識があり、それを疑う人は少なかったでしょう。そこには、登校は自明のものだとする世間のまなざしがあったわけです。今はそれもかなり薄らいでいます。社会における様々な場面で多様化と相対化が急激に進んでいるのですから、学校教育だけがそこから逃れるわけにはいきません。

 そうした時代だからこそ、現象学的な視点は大きな意味を持ちます。

 現象学を一言で説明するのはかなり困難ですが、それでもあえて簡単に言うと、「「これが絶対に正しい」という「真理」をとらえるしくみ」ではなく「物事の意義や価値をたしかめ合う必要が生じた際に、誰もが自分の中で吟味し、共有し合うことのできる「たしかめのしくみ」」1)となります。それまでほとんどの哲学者が求めてきた客観的な「真理」と主観的な認識をどう一致させるかという問題に対して、フッサールは「「そもそも根源とか真理とか求めること自体がもう終わっている」」2)と一刀両断に否定したのです。

 つまり、どんな哲学や科学をもってこようとも、目の前にある「もの」が客観的に存在することを証明することはできないというわけです。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、次のように考えるとわかってきます。

 例えば、冒頭に挙げた松茸が本物であるかどうかを私たちはどうやって判断しているのでしょう。形でしょうか? 色でしょうか? それとも手に取ったときの感触や重さでしょうか? それとも食べてみればわかるだろうというでしょうか?。でも、考えてみてください。現代の技術をもってすれば、松茸とほとんどかわらない味や香りを他のもので再現することは不可能とは言い切れません。

「カニカマ」を考えればさらにわかりやすいでしょう。カニなどまったく入っていなくても色合い、重さ、食感、味、風味のどれをとっても本物のカニと区別がつかない食品に仕上がっています。カニカマは販売開始当時、「本物のカニだ」と信じた人が少なからずいたため、メーカーがわざわざ「風味蒲鉾」という名称に変えたこともあったそうです3)。こう考えてくると、何が本物なのかを確信するのは思ったよりも大変であることがわかります。

 日本の代表的な哲学者である竹田青嗣氏は、こうした人間の判断のしかたについてリンゴをたとえにして次のように述べています。

「たとえば、ここに1個のリンゴがある。普通に考えれば、「『ここにリンゴがある』から私たちは『その赤くてツヤツヤした丸いかたちを目にしている』ことになる。だがこれをあえて次のようにとらえてみる。「『(あの例の)赤くてツヤツヤした丸いものが見えている』から、私は『ここにリンゴがある』と思っている」と。」4」

 また、私たちは一度も行ったことがなくてもアメリカという国が存在していることを疑いません。それは、様々な本や人から聞いたこと、インターネットやメディアから受けた情報を信じているからであり、その情報が本当に正しいのかどうかを疑うことがほとんどないからです。でも、それらの情報が本当に正しいかどうかは誰も証明してくれません5)。私たちが信じているから(見えているから)、私たちはそれを当たり前のこととして受け入れているに過ぎないのです。

 真実がないとすると、私たちに残された問題解決の唯一の方法は互いの共通了解をいかに得るかということになります。今の状態が本当にいいのかどうかを、まずは一人ひとりが吟味を重ね、その結果を持ち寄って「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか?」6)と絶えず対話を続けることで最もよい方法を見つけ出さねばならないのです。

 学校が抱える問題の多くが、相対化によって生み出されています。相対化は、教師も保護者も、そして子どもたちをも「寄る辺なき」存在にしてしまいます。これまで述べてきたように唯一絶対の「解」はありません。どこにもない正解をめいめいが正解だとして主張したら収集がつかなくなって当然です。この発想から抜け出せない限り、問題はいつまでも問題であり続けるでしょう。それでも、かつてのように同じ価値を大半の人が共有している状況なら大きな混乱はなかったでしょうが、学校を支える価値そのものが多様化している現代においては、いくら正解の行方を追っても、徒労に終わるでしょう。

 そもそも相対化とは絶対的なものを否定する現象のことですから、そこに一つの正解として何らかの方策を押し付けようとしても反発されるのは当然です。それは、学校の理想形というものがどこかにあって、そこに向かうことがあるべき姿だという発想から抜け出せていないからです。そのため両者は、互いに相手を攻撃しようとし、争いやトラブルが絶えなくなるのです。

 「これからの学校はどうあるべきか」という問題に対して、お互いが自分の正しさを一方的に相手にぶつけるのではなく、それぞれの見解を持ち寄って実現可能な方向を模索しなければなりません。

(作品No.195RB)

1)、2)、4)竹田青嗣・現象学研究会(2008)『知識ゼロからの哲学入門』幻冬舎、p126

3) https://seafood-reference.com/kanikama/entry1224.html

5)竹田青嗣(1989)『現象学入門』NHKブックス、p210(要約して引用、また文意に影響を与えない程度に加筆)

6)苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p63

講義式の授業が批判される本当の理由

新しい学習指導要領が始まって数年が経過し、主体的・対話的で深い学び(いわゆるアクティブラーニング)が少しずつ学校現場に浸透しつつあります。新型コロナウイルス感染拡大の影響で思うようにできないことも多々ありますが、子どもがこれらの力を身につけるために、小集団活動を積極的に取り入れ、話し合い活動を活発化させようと取り組む事は、変化の激しい社会を生き抜く子どもを育てるために非常に重要なことです。

 一方、講義式による一方向的な授業展開は、アクティブな授業の対極にあるものとして否定的に語られることが多くなりました。明治の学制発布から続けられたこの授業形態は、今では知識を注入するだけの詰め込み教育の典型として揶揄されるようになったのです。

 ただ、なんとなく私には違和感が残ります。

「たとえば私は授業中、絶対に生徒を当てないと決めているんです。ペアワークもさせません。そういうのが苦手な子が一定数いるので。ただ私の話を聞いて、英語に興味をもってくれればいいと思っています。最初の授業でそう話すと、みんな安心してくれます」1)

 これは、東京にある目黒日本大学高等学校通信制課程の先生の話です。この先生は、生徒たちに発言や発話を促すことすらしないそうです。それは「受け身でもいいから、英語を楽しいと思ってほしい」と願ってのことだといいます。最近の通信制高校には、かなりの割合で中学校時代に不登校を経験した子がいます。そうした子の多くは、活発に発表や意見交換をするのが苦手で、「いつ指名されるか」「指名されてわからなかったらどうしよう」と他の子以上に考えてしまう傾向があります。だから、あえて発言を求めず、発表も強制しないことを宣言した上で授業をするのです。

 公立の小中学校と高校、それもスクーリングでしか体面で授業をしない通信制高校とでは条件が大きく違うので単純に比較はできませんが、私たちが注目すべきなのは、この先生が目の前の生徒の個性や心の状態に応じた授業展開を考えていることです。この学校でもアクティブな授業を行うことは不可能ではないでしょう。けれども、中学時代にそうした授業についていけずに不登校になった生徒に強引にアクティブさを求めてしまえば、せっかく入学した通信制高校も続けるのが嫌になってしまいます。

 講義式の授業が批判される本当の理由とは、教師のペースで一方的に授業を進めてしまうことによって、目の前の生徒一人ひとりの個性や理解度が視野に入らなくなることにあるのだと思います。

 そもそも主体的、対話的で、深い学びというのは必ずしも活発な意見交換の場だけで培われるとは限りません。この先生の授業によって、それまで緊張感や自己嫌悪の感情が邪魔をして授業に集中できなかった子たちが、自分で考え、教科書の文言と懸命に対話し、深く思考することができる環境が整うのであれば、それでいいわけです。

「活動」はあくまでも主体的な学習のための手段です。アクティブラーニングの成果は、一人ひとりの個性(性格など)と理解度を通して個々に違った形で表れます。それを十分に発揮できる環境をいかにつくり出すかを考える方がはるかに大切です。

 例えば、小集団での人間関係によって「活動」が一部の子どもにとって苦痛な場となっている場合には、柔軟にグループを編成し直すことも必要でしょう。また、グループ内での発言は少なくても、振り返りを書かせることは「深く」考えている子に表現の場を与えることでもあります。ときには(本人の了承を得て)そういう子の意見や答えの出し方などを全体に紹介する機会を設けることで、子どもは自信を持つこともあると思います。私たちには、知識を伝えるだけでなく、環境を含めて授業をコーディネートすることが求められています。

(作品No.189)

1)おおたとしまさ(2022)『不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき』集英社新書、p349

千年を支える礎石

家を建てるときには、まず基礎を固めます。最近はコンクリートで基礎を作るのが通常の方法です。その上に柱を立てるのですが、柱を載せただけでは安定しないのでボルトなどで、柱と基礎をしっかりとつなぎます。私は門外漢なので、詳しいことはわかりませんが、それでも自分の家を建てるときには、どんな基礎を作っているのかを確認にいきました。

 この基礎がしっかりしていないと、地震などの災害のときに家が大きなダメージを受けやすくなると思ったからです。

 当然のことながら、コンクリートの面と、柱の断面は同じように水平(まっ平)になっているでしょう。もし、どちらかに凸凹があれば、その分接地面積が減って、いくらボルトでつないでも不安定になってしまうでしょう。

 ところが、法隆寺が建立された千三百年前の時代は、そうではなかったというのです。

 「法隆寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔など、ふんだんな檜を使って堂塔の復興や再建を果たした最後の宮大工棟梁」1)といわれる、西岡常一氏の話です。

当時の建造物の基礎は礎石(そせき)と呼ばれる石を使用していました。できるだけ平らな面をもつ石を使ったのでしょうが、その石の表面を平らに削ることはしなかったといいます。まず、その石の重心を見極めて、最も柱をしっかり支えられる場所を探します。そして、その礎石の面に合わせて柱となる檜の断面を合わせて加工したのだそうです。

 こういう方法を「ひかりつけ」というのだそうですが、この「ひかりつけ」によって大きな地震にも耐えられる強度が保たれたといいます。

 そして、信じられないことに、地震で多少、礎石と柱がずれたとしても時間がたてばもとに戻るのだそうです。つまり、建物自体が自分の力で元の安定した状態に戻すというわけです。これは驚くべきことです。こういうことを、当時の宮大工はすでに知っていたというのです。

 なぜ、柱を石の上に載せるだけでボルトのようなものでつながなくても、千年を越える間びくともしない強度が保たれたのでしょうか。

 西岡氏によれば、それは「遊び」があるからだそうです。ボルトとコンクリートを密着させると、ある一定の負荷に対しては強さを発揮しますが、強く結びついている分、建物にもその衝撃がそのまま伝わってしまいます。しかし、「ひかりつけ」工法だと礎石の上で柱が微妙に動いてずれるわけです。それが緩衝となって建物に伝わる衝撃を和らげるというのです。

 近年のビルなどの建築は耐震構造から制震構造へと進化し、ビルの内部に制震ダンパーと呼ばれる装置を組み込み、地震の際にその揺れをダンパーに吸収させることで地震が建物に与えるダメージを軽減する工法が採用されることが多くなったようです。まさに、「ひかりつけ」と同じ発想です。このことに千年以上前に、当時の日本人はすでに気づいていたのです。

 この話は、学校教育にも通ずるものがあると思います。

 かつて、「神戸連続児童殺傷事件」や児童生徒の殺傷事件が相次いて起こったとき「ゼロ・トレランス」方式を生徒指導に取り入れようとする動きが起こりました。

「ゼロ・トレランス方式(ゼロ・トレランスほうしき、英語: zero-tolerance policing)とは、割れ窓理論に依拠して1990年代にアメリカで始まった教育方針の一つ。「zero」「tolerance(寛容)」の文字通り、不寛容を是とし細部まで罰則を定めそれに違反した場合は厳密に処分を行う方式」(ウィキペディア)

 つまり、校則を厳格に適用し、一切の例外を認めない指導です。それは、まったく「遊び」を許さないやり方です。

 日本でも、文部科学省も導入を検討していた時期もありますし、実際に取り入れた学校も多くありました。しかし、その厳格さのあまり発祥の地であるアメリカでさえ批判が強まって、ゼロ・トレランス方式は長くは続きませんでした。

 いま、社会は多様化が進んでいます。その中で、学校はまだまだ古い体質が残っており、さまざまな場面でその矛盾が表面化しています。

 学校に理不尽な要求をする保護者は、モンスターと言われたり、クレーマー扱いされたりすることもありますが、その中には多様化を受け入れきれない学校の姿勢に起因するものも少なくないように思います。学校に「遊び」が少ないことが保護者にとってみれば不満の対象になるのでしょう。

 「遊び」の少ない教育は、どうしても子どもたちの個性を軽視してしまいます。この個性につながる話として、冒頭の西岡氏は次のように述べています。

「飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるのです。それと「木は生育の方位のままに使え」というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、(中略)生育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻じれているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを山で見わけるんですな。」2)

 南側の木が強いからといって、そうした木だけで千年もつような建造物は作れません。柔らかい北側の木の細工がしやすいという特長も欠かせないのです。

 子どもも同じです。それぞれに違った成育歴を持ち、一人ひとり違った個性があります。それを尊重しないゼロ・トレランスが長続きしないのは、当然の結果でしょう。

 これからの学校は、どんどん進んでいく多様化の中で柔軟な姿勢を持ち、さまざまな個性を生かせる体制に変えていく必要があるでしょう。

 そのためにも、教員にもっと余裕を持たせる国レベルの施策が求められるのです。

(作品No.186RB)

1)西岡常一(1994)『木のいのち 木のこころ』(草思社、巻末筆者紹介欄より)

2)前掲書、p16

褒めるということ

教員にとって、子どもをどう褒めて、どう叱るかは永遠の課題だと言われ、古くて新しい問題です。

中学校の教諭時代、私のクラスにMさん(2年生男子)という子がいました。口数は少ない子でしたが、非常にまじめな子でした。特に、掃除の時間では、周りの子がどんなにサボっていても、いつも黙々と掃除に取り組んでいました。

ある日、私は教室の真ん中で、周囲に聞こえるようにMさんを褒めました。

「Mさんは、いつ見ても手を抜かずにがんばってるなあ」と。

その瞬間、信じられないことが起こったのです。普段温厚で怒りをあらわにすることなどまずなかったMさんが、突然、ほうきをその場に投げ捨て、教室の隅で座り込んでしまったのです。その顔には「怒り」ともとれる表情が伺えます。状況から考えて、私が褒めたことが原因だというのは理解できましたが、それでもなぜこうなったのか、若かった私にはまったくわかりませんでした。

その日の放課後、家庭訪問をしてMさんのお母さんと話をしました。そのとき初めてMさんの気持ちがわかりました。お母さん曰く、

「あの子は、ものすごくまっすぐな性格でね。もうちょっと融通がきく子になってほしいと親の私でさえ思うことがよくあるんです。今日、帰ってきて話してました。自分はやるべきことをやっていただけなのに、あんな褒められ方をしたら、褒められるためにやっていることになってしまうって。そういう子なんです。」

子どもは褒められて喜ばないはずはないという私の思い込みが、Mさんの誇りを傷つけてしまったのです。

私たちは、子どもが何かよいことをしたら褒め、良くないことをしたら叱ります。それはそうした評価を積み重ねることによって子どもに少しでも正しい行動がとれるようにという教員の願いでもあります。そして、基本的には叱るより褒めることの方が大切だと思っています。でも、褒められる側に立った褒め方でなければ、私のような失敗をしてしまうことになります。小学校の低学年なら、ほとんどの子はみんなの前で褒めてやれば喜びますが、思春期真っ只中の子に同じように褒めても効果があるとは限りません。

冒頭のMさんのケースで言えば、失敗の最大の原因は、私に「邪(よこしま)な」考えがあったからです。私は、Mさんを利用して、他の子に「真面目に掃除しろ」というメッセージを送ろうとしたのです。これでは、本当に褒めたことにはなりません。私の邪な考えをMさんは即座に見抜いたのです。

子どもを褒めるときに大切なのは、その子が今何を考えているのか、どういう個性を持っているのかを踏まえておくことだと思います。当然、発達段階も視野に入れなければなりません。そして、発達段階は単純に年齢で決まるものではありません。そうしたことが頭にあれば、私の失敗は防げたと思います。Mさんのような子には、掃除時間以外にさりげなくMさんにだけ伝えるべきだったのです。

さて、ここで「褒める」」についてもう少し深く考えてみようと思います。

アドラーによれば、

「「ほめる」のは、相手が自分の期待していることを達成したときです。言ってみれば条件つきののごほうび。逆に期待に応えられないと、ほめるどころか失望を表現されて勇気がくじかれる可能性もあります。」1)

となります。

褒めることが「条件つきのごほうび」だとすると、私たちが考えなければならないのは、その「条件」が子どもにとって本当に価値のあることかどうかということです。私たちは得てして深く考えずに「これは良いことに決まっている」という常識にとらわれがちですが、これだけ社会全体に多様化が進んでいることを考えれば、いつまでも同じ価値が通用するかどうかはわかりません。また、私たちが正しいと考える価値は生きていても、そこから派生するさまざまな考え方が生まれていてもおかしくはありません。私たちは、社会の価値観の変化に積極的に目を向けなければならないと思います。

また、アドラーは

「人と比べて「ほめる」と、必要以上に他人との競争を気にするようになります。」2)

とも言っています。冒頭の私の失敗の原因は、まさにここにあります。

最終的にアドラーが大切にしたのは、「褒める」よりも「勇気づける」ことです。

「勇気づける」とは、あくまでも言葉を受ける側の立場に立って、その人の行為そのものを認めることで、その人の意欲を引き出そうとするものです。決して、結果だけを「褒める」のではありません。

例えば、テストで100点を取った子に「よく頑張ったね」と褒めたり、何かの大会で優勝した子を「すごい」と称えたりしますが、こういう数値や客観的な結果で表すことができるものは、簡単に他と比較できてしまいます。褒める側にその気がなくても受け止める側からすると、今後も他者と比較することで承認欲求を得ようとしてしまいます。

 100点を取って、褒めてもらおうと先生のところに飛んできた子には、100点を褒めるのではなく「あなたは、授業中にいつもしっかり話を聞いていたよね。それが素晴らしいんですよ」と、行為を確認することが大切だということです。そして、そういう認め方をするためには、普段から子どもの様子をしっかり見ていることが必要になります。

 行為を認めるということは、その子をまるごと承認するということです。だから、自尊感情は継続するとアドラーは言います。

東京都の私立中高一貫校、栄光学園の数学教員である井本陽久氏は、長い教員生活で紆余曲折した結果、ある時期から「子どもを叱らない」と決めたそうです。その代わりに子どもの存在を丸ごと受け入れようと決意して、今やカリスマ教師とまでいわれるようになりました。

栄光学園は、毎年東大合格者数がベスト10に入るほどの進学校ですが、井本氏は栄光学園だけでなく国内外の児童養護施設でも成果を挙げています。決して、学力の高い子や環境的に恵まれたこだけと関わっているわけではないのです。

私は、カリスマといわれる教員と同じようにしなければいけないとは考えません。そもそも、その人が本当にカリスマだとしたら、滅多にいないからこそカリスマなわけで、だれでもすぐに真似できるようなレベルならだれもカリスマとは呼ばないでしょう。また、中途半端なカリスマ(実際一部の人からしか認められていないカリスマも存在します)はかえって他の教員がやりにくくなることもあります。

でも、子どもを叱らなくても学力をつけることに成功している人がいることもまた事実です。井本氏の授業では全員が自ら進んで学習に取り組んでいると言います。

おそらく井本氏の子どもへの関わり方は「褒める」から「勇気づけ」に進化した結果生まれたものではないかと思います。

そのまま真似をする必要はないと思いますが、「勇気づけ」というキーワードを頭にいれておくだけで、子どもたちはきっと、いきいきとした表情を見せてくれるようになるでしょう。

そうなれば、教員の暴言や、不適切なかかわりなどとはまったく無縁の空間が、そこには広がっていくと思うのです。


1)永藤かおる著・岩井俊憲監修(2017)『図解 勇気の心理学 アドラー超入門』(ディ スカバー・トゥエンティワン、p36、中段)

2)前掲書、p36、下段

(作品No.185RB)

幸せ行きのチケット

初めて、養老孟司さんの講演を聴きました。テーマは「しあわせに生きるために」。

養老先生というと、どちらかというと歯に衣着せぬ物言いをするというイメージがあったのですが、講演ではまったく違いました。85歳というご高齢であることもあるのかもしれませんが、とても落ち着いた話し方で、いつ始まっていつ終わったのかわからない感じがしました。かといって不快な感じはまったくなく、実に自然体なお話でした。

講演全体の中で、先生が言わんとされていたのは、人間が文明の発達によってさまざまな形で自然を管理しようとしてきたが、結局はそのしっぺ返しがいま起こっている。自然保護というけれど、そもそも自然なんて人間が保護できるものじゃない。南海トラフのような大きな地震も自然です。そんなもの保護できるはずがない。

世の中で幸せに生きていくために大切なのは、自分のことは自分でする(自立する)ことと、それに満足する(自足する)ことだということでした。

演が予想よりも早く終わったので、先生が「何か質問は?」と聞かれました。

たくさんの質問が出たのですが、最後の質問がとても興味深いものでした。その質問は「先生は、今の教育をどう思われますか?」

という、ごく普通の質問だったのですが、私はよくぞ聞いてくれたと思いました。しかも、先生の回答が素晴らしかった。先生曰く、

「学校では、子どもに遊ばせてやればいいんですよ。勉強なんてやめてね。フリースクールがやっているみたいに。なんか最近の教師は教育制度を維持するために仕事しているみたいになっています。子ども時代が幸せでなければだめですよ。先生の仕事は、子どもと関わることでしょ。もっと関われるようにしないと。

あと、体を使う教育をすべきでしょう。今は、子どもが遊べる環境がない。それを大人がつくらなきゃいけない。ただ、今の先生が遊んだ経験が少ないのが気になりますが。

遊ばせてもらった子は、その恩を感じて、人のために役に立ちたいと思うようになりますよ」

まさに、本質を突いていると思いました。公立の学校が「遊べる」場になるためには、受験体制や学歴重視、エリート教育などを根本から見直す必要があるでしょう。そういうものにしがみついている限り、公立学校の魅力は生まれません。

さすがに、授業を全部やめてずっと子どもを遊ばせるのは現実的に無理だとは思いますが、それでも最近では所謂「一条校」でもカリキュラムを柔軟にして、子どもたちが時間割を自分で決められるようにするなど、子どもの自己決定を最優先する学校が注目されるようになっています。文科省の「不登校特例校」なども、かなり柔軟です。

自分で考えて、自分でさまざまな問題やトラブルを解決する力を子どもたちにつけるには、一つ一つ教師が指示を出したり、禁止事項をたくさんつくったりするこれまでのやり方では、限界があります。

指示や禁止は、安全、安心を第一に考えてのことでしょうが、転ばぬ先の杖を大人が前もって準備し過ぎるのは、子どもたちから自立する権利を奪っているのかもしれません。

受験や成績で縛りつけて、必要以上に安全・安心な学校を維持するために命令や指示ばかりをくり返し、「最近の子どもは指示待ちばかりで、何も自分からやろうとしない」と嘆くのは、天に唾を吐くのと同じです。

これからの学校は、子どもたちが自分で決められる場面を少しずつ増やしていくことが大切です。受験や目で見える評定ばかりを重視しても、社会自体がもうそんなものを求めていないかもしれないのです。

そういう意味では、どこの学校に進学しようが、難関大学に入ろうが、幸せ行きのチケットは手に入らないでしょう。子どもたちに大切なのは「自分が大切にされた」という経験です。それは、子どもたちを「信じて任せる」場面を増やすことで生まれるものだと思います。

(作品No.183RB)