「高原の風景」-「世情」の解釈-

中島みゆきさんの「世情」という歌があります。その歌詞に「変わらない夢を流れに求めて」というのがあるんですが、私は長く「変わらない夢を流れにも止めて」だと思っていました。1978年リリースということですから、少なくとも私は高校生にはなっていたはずです。なんともお恥ずかしい話です。

 この曲は、当時大人気だった学園ドラマ「3年B組金八先生」(武田鉄矢さん主演)の中で加藤君という生徒を中心とした「反抗的」な生徒が数名教室に立てこもり、最後は警察によって強引に引きずり出されるという場面のBGMとして使われて話題になりました。
 担任役の武田鉄矢さんが、廊下でもみくちゃにされながら必死に警察の介入から生徒を「守ろう」とする場面と、この歌の歌詞一つ一つが見事にシンクロしていました。特に「シュプレヒコール・・・」のリフレインは、中島さんの一種「ドス」の効いた迫力ある歌声によって見ている者の胸をぐいぐいと押してきました。そして、日本中を大きな感動の渦に巻き込んだのです。
 
 今思うと、当時の教育はとても「牧歌的」でした。
 1970年代から1980年代といえば「校内暴力」が全国に広がっていた時期であり、学校の治安を守るために警察を介入する学校もありました。
 しかし、いわゆる「非行少年」の暴力や破壊行為は「犯罪」であるというより「わかってくれよ、先生」という悲痛な叫びとして解釈されることが多かったように思います。
 尾崎豊さんの「15の夜」がリリース(1983年)されたのもちょうどこのころです。
 「盗んだバイクで走りだす(立派な犯罪ですが・・・)」けれど行き先は自分にもわからない。でも、締め付けるばかりの学校や教師のやり方が、かけがえのない自由を自分たちから奪っていくことは許せない。免許を取得することもバイクに乗ることも許されない。だから盗むしかない。他に方法が見つからない。でも、俺たちは自由のために本当は何をどうすればいいんだ。当時の「暴力」や「非行」にはそんな若者の切ない思いが含まれていました。
 
 戦場とも言える学校。それを敢えて「牧歌的」と表現したのは、教師は非行に対して厳しく接しながらも根本的に教育は信頼関係によって成立するものだという信念があり、警察に頼ることは教育の敗北だと考える人が数多くいたからです。
 多くの教師は「俺がなんとかしてやる」という熱い思いで生徒にぶつかっていき、社会もそういう「熱い」教師を支持する土壌がありました。
 「お前たちの気持ちはわかる。しかし、許されることと許されないことがあるんだ」という教師の思いが、そこに厳然としてあったのです。金八先生のドラマのシーンが「名場面」となりえたのも、どこかで互いに求めあっているはずだ「牧歌的」なつながりがあったからでしょう。
 
 私が新任として採用されたころ、校内暴力は都市中心から地方中心に移行していました。ピークこそ過ぎてはいましたが、校舎の二階から机が「降ってくる」とか、中庭をバイクで走り抜けるといった暴挙もまだたびたび起こっていました。それでも先輩の先生方は「きっといつかわかってくれる」と生徒を信じて生徒にぶつかっていきました。そして、卒業して何年経っても互いに連絡を取り合うような濃密な信頼関係が成立したのです。
 当時、そうした教師と生徒の関係の築き方ができたのは、「情熱」と「信頼」を目に見える形で訴えることができる「牧歌的」な時代だったからだと思います。
 そして「牧歌的」な教育を社会で共有可能な目標が支えていたのです。社会学者の土井隆義氏は次のように述べています。その頃の日本は「頂上へ向かってひたすら山を登っている最中」1)であり、人々はその目標を信じていました。だからこそ生徒は反抗する対象を見つけやすかったし、教師は正しい道に戻してやろうとぶつかっていくことに疑問を持たずにいられたのです。

 今の学校が難しいのは、こうした共通の目標が社会の中に見つけにくくなったからです。先ほどの土井氏は見田宗介氏の比喩を用いて、「人々はすでに頂上に達しており、広い「高原」にいる状態だ」2)と指摘しています。
「高原」は見晴らしもよく、自由に走り回ることもできます。しかし、今までみんなで見ていた同じ目標はそこにはなく、それぞれがそれぞれに違う方向を見始めています。
 そこには「本当はこっちを向いた方がいいんですよ」と自信を持って教えてくれる人はいません。誰もが何を見るのが正解なのかがわかっていないからです。
 そうなると一人一人の不安は大きくなっていきます。「本当にこれでいいのか」「もっといい方向はないのか」という不安は尽きることがありません。
 私たち教育に関わる者に求められるのは、まず、今私たちが「高原」にいることを受け容れることです。だだっ広い高原で今まで通りに「上を見ろ」と言っても、そこにあるのは広い広い空と雲だけです。言われた方は途方に暮れてしまいます。

冒頭の「世情」には次のような歌詞があります。
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」
 これまで戦ってきた相手はもうここにはいません。時の流れを止めようとしても無駄です。戻ることは許されないのです。教師や学校が「変わらない夢を見たがるもの」になってしまえば、子どもたちは路頭に迷うだけでしょう。私たちはいまこそ「問い」の仕方を変えなければいけません。広い高原の中で、迷っているのは子どもたちだけではないはずです。
 肩の力を抜いて「さあ、どっちにいこうかねえ」と、子どもの横にゆったりと寄り添わなければなりません。

 そう考えると私の「変わらない夢を流れにも止めて」という聞き間違いは、あながち間違ってはいないのかもしれません。今までと変わらない目標を子どもに押し付けるのではなく、大きな社会の変化の中でさえも敢えて自分を「止めて」、子どもと一緒に考える。悪い話じゃないと思います。(作品No.129RB)

1)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87010?imp=0

2)土井氏は『「宿命』を生きる若者たち』(2021 岩波ブックレットp38)で、見田宗介氏の比喩を次のように引用しています。「見田宗介の巧みな比喩を借りるなら、現在の私たちはすでに山を登りつめて、高原地帯を歩みはじめているのです。」

学校はいつも「丸腰」

学校にはさまざまな問題が山積しています。いじめの問題や不登校の問題はもちろん、古い指導観に囚われた教員の意識の問題(暴言や体罰などを含む)、教員の超多忙化の問題、虐待やヤングケアラーの問題(これは福祉の問題でもありますが、結局学校が解決の窓口にならざるをえません)など挙げればきりがありません。私が最後に勤務していた中学校では、そのすべてが網羅されているような学校でした。

でも、何といっても一番神経をすり減らしてきたのは、子どもの命の問題です。これは、先に挙げたそれぞれの問題と密接にかかわっています。決して、単純な問題ではありません。深刻な生徒指導上の事案が毎日のように起こる学校では、それらの多くが子どもの命に直接関わる可能性があるのです。

例えば、家出をした生徒がいたとして、私たちが一番に考えることは「生きていてくれ」ということです。多少のトラブルはあっても、あるいは警察に保護されるような事案であっても「とにかく生きていてくれたら何とかなる」という思いで先生方と必死に対応してきました。幸いにして、その中学校では私が勤務していたときに自ら命を断つ子はいませんでした。しかし、紙一重のことも数多くありました。

教師がどんなに誠実に子どもとかかわり、何かあったときにでき得る限りの対応をしたとしても、最後の最後は子どもを信じるしかありません。それはもう「祈り」に近いものです。あらゆる手を尽くしているつもりでも、私たち教師に最後に与えられるのは「祈り」しかないのです。もし、魔法が使え、願い事がただ一つ叶うなら「自分の学校から自ら命を断つ子が出ませんように」とお願いするだろうと真剣に考えたことは一度や二度ではありませんでした。生徒指導上の問題がそれほど多くない学校の関係者からすれば「何を大げさに」と思われるかもしれませんが、これが「困難校」と言われる学校の現実なのです。こういうとき私は、教師というのはいつも「丸腰」だと感じます。喩えが適切かどうかはわかりませが、まるで「丸腰」で戦場の最前線に立たされているようなものなのです。決定的な危機回避手段はほとんど持ち合わせていません。そこでは、これまでの経験を持ち寄り、一人ひとり違う生徒に最適な対応は何かをそのときそのときに迅速に判断し続けるしかないのです。

仮に、リストカットをした生徒がいるとします。専門家の中には「リストカットは生きていることを確認しようとする行為だから、むやみにやめなさいというのは逆効果だ」という人もいます。でも、それを信じて特に何も対応しなかった結果、本人には死ぬ気がなくても、うっかり深く切り過ぎて大量出血となることもあります。もし命を落とすようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれません。「様子を見る」という判断は問題を先送りする消極的な方法だと思われがちですが、実はかなりの勇気がいることなのです。そういう場合、専門機関に通告しますが、その専門機関が現状ではパンク状態のため、かつては比較的柔軟に対応してくれていた子ども家庭センターなども「すぐに命の危険にさらされている場合でなければ保護できない。まずは、市町の児童福祉に相談してください」として取り合ってくれなくなってきました。一度や二度のリストカットくらいでは保護の対象にならないことが多いのです。センター側からすれば地域全体から数えきれない通報があるわけでしょうから、緊急性の高い順にしか対応できないのもわかります。しかし、ここ数年では市町の児童福祉からの通報でないと基本的に対応してくれません。学校が直接通告しても門前払いとなります。でも、市町の児童福祉課としても強制的に保護する権限はなく、その場所も確保されていません。結局対応は学校に委ねられます。

そして、仮に原因が学校になかったとしても子どもが自ら命を断てば、必ずマスコミは「いじめがあったんじゃないか」と勘ぐってきます。明らかないじめがあって、それを認知していたにもかかわらず放置していたとか、そういう事実を隠蔽しようとすることは絶対にあってはならないことです。でも、大規模校にあって、しかも「超」がつくほど多忙な勤務状態で一人ひとりの心の変化をすべて把握するのは至難の業です。それでも、ひとたび事が起これば学校の責任は厳しく追及されます。マスコミが騒ぎ、周囲がざわつき始めると、子どもたちの動揺は激しくなります。私は自校の生徒が命を落とすという経験を三回しました。中学校の教諭時代に二回。もう一回は小学校の教頭時代でした。いずれもいじめなど学校の問題によるものではありませんでしたが、それでも昨日まで一緒に生活していた友だちが突然いなくなる衝撃は子どもたちにとって耐え難いものがあります。精神的なバランスを崩して生きる気力を失う子も出てきます。そういう場合、県や市からカウンセラーが増員されますが、それも一時的な対応で終わってしまうこともしばしばです。

そして、管理職、特に校長は教員も守らなければなりません。自分のクラスの子が自ら命を断ったときの心労はとてつもなく大きなものです。世間では、一切合切すべてを公表せよと迫ってきます。教師に問題があった場合(体罰や暴言など)なら仕方がないと思いますが、そうでない場合でもすべてつまびらかにするように迫られます。それが、当の教員にとって、あるいはその保護者にとってどれほどの重荷になるかを考えたとき、ある程度の情報統制をせざるをえないときもあると思うのが普通の校長です。時にそれが「隠蔽」と言われることがあっても校長だけが責められて済むならそれでいいと考えてしまうのです。

それなら、そういうことも含めて説明すればいいと言われるかもしれませんが、説明できない理由を説明すること自体がすでに説明していることになってしまうというジレンマに陥ることも多いのです。また、そういう話を世間が本当に冷静に受け止めてくれるかどうかわかりません。すべてを話す方がよほど校長としては楽なことです。でもそうすると、該当する教員は教職を続けられないほどの痛手を受けることもあります。場合によっては保護者が根拠のない誹謗中傷を受けることもあります。何度も言いますが、これは教員に誤った言動がなかった場合の話です。落ち度があった場合は、全面的に情報を公開し誠意を持って謝罪すべきです。

学校は今、いろんな面で相対化が進んでいます。学校に対するまなざしも大きく変わりました。それは、多様化する社会のなかでは仕方がないと思います。また、相対化によって学校に意見を言いやすくなっている面もあり、それが必ずしも悪いこととは言えません。これまでの学校はどちらかと言えば閉鎖的で、教育的意義という大義名分をもって、頑なにこれまでの指導方法を変えようとしなかった責任も大いにあります。だから、教員の意識も含めて制度的な改革も進めなければならないと思います。ただ、本当に学校側の意識を変えようとするなら、学校側の本音も冷静に受け止める土壌が社会になければならないはずです。それがないと感じるから現職の校長や教育委員会の口は固くなり、問題の本質に迫れなくなるのです。私も現役のときには、こんなことを書き示すなど絶対にできませんでした。

文部科学省もこれまでにくらべれば、わかりやすい教員向けのパンフレットなども積極的に出しています。学校側の本音に近いことも踏まえてある点は評価できると思います。書いてあることについて基本的に異論はありません。でも、そこには理念と結論しか書かれていません。今、学校が求めているのはそんなわかりきった内容ではなく、何をどこまでやれば学校はその責任を果たしたことになるのかという指針です。ここでいう指針とはマニュアルに近いものです。「いじめ防止対策推進法」の施行を受けてほとんどの各学校には「いじめ対応マニュアル」が作成されました。私が勤務していた学校も「チェックリスト」を含めた詳細なものをホームページに掲載していました(現在もあります)。「超」多忙な困難校を救うには詳細なマニュアルは必須です。それを全職員が理解し、行動に移すよう指導するのは管理職の役目でしょう。マニュアルがなければ教師による指導や対応を際限なく続けざるをえない今の状況を打破することはできません。でも、いつもどこかに不安があります。それは、そのマニュアル通りに対応すれば学校の責任が本当に回避されるのかという不安です。

「困難校」では(いじめ防止対策推進法施行前から)ストラテジー(対処戦略)として、とにかく専門機関や警察に通告することが多くなりました。連絡された専門機関にどんなに嫌がられても、そうでもしないと一日にいじめと思われる事象が重複して発生することも珍しくない「困難校」では、教員の身がもたないのです。それにしたって一時的な精神安定剤くらいの効果しかありませんが。

ようやくではありますが、近年教員の働き方改革が進められようとしています。それが、教職希望者の激減という外からの力によって切羽詰まった結果であったとしても、やらないよりははるかにましです。社会の学校化はもう限界に達しています。背負いきれないものを背負わされている学校の現実に目を向けなければ、最終的に救われないのは子どもたちです。限界を超えた重荷を一つずつ減らし、その代わりに持てる荷物については今まで以上にしっかりと責任を果たす、そういう流れをつくっていかなければいけないと思います。

なお、いじめについての私の見解については、別の回に少しずつ示していこうと思っています。

(作品No.125RB改)

「とうとうと」

教員対象の講演会や研修会で、講師の話が終わった後に「何か質問があればどうぞ」という場面があります。そこで手を挙げるのはちょっとした勇気がいります。だから、それができる人はすごいと思います。でも、時々「ちょっとそれは・・・」と思うこがあります。例えば、質問をするための前置きが長いとき。質問自体は簡単なのに、「私の学校では今こういう取組をいついつから始めていまして・・・」で始まって、その取組の成果を「とうとうと」述べたあと、ようやく質問にたどり着くというパターンです。「いらち」の私は「早よ質問せいよ」とイライラしたりします。

また、以前経験したことですが、ある講演会の謝辞を小学校の定年間近の校長がされました。ところが、講演の内容に対する自分の意見を「とうとうと」話すにとどまらず、仕舞いには「私はもっとすごいこともやっています」という「自慢話」になってしまいました。会場全体がしらけてしまったのはまだ許せるとしても、講師の先生があきらかに不機嫌になってしまったのです。進行役の人は実に困った顔をしていました。確かに、講師の話を漠然と聞いていると謝辞にならないので、いろんな挨拶の中でも謝辞というのは一番難しいとは思います。でも、文字通り「感謝の意を表す」のが謝辞ですから、講師を置き去りにしたのではまさに本末転倒。またそういう人に限って自分は話がうまいと思っているから始末が悪い。反面教師として肝に銘じました。得意だとか慣れているからというのが実は一番危ないのかもしれません。車の運転でも「俺はベテラン」と思うのが一番危ない。逆にスキーの初心者は骨折しないと聞いたことがあります。

さて、こうした「自慢話」をしたがる人をどう理解すればいいのか。それを考えるのにとてもいい本に出会いました。以下に、抜粋します。

「「苦労が身になる」という言葉がありますが、「経験」をした人は苦労が身になりますが、一方「体験」止まりの人は、苦労は身にならず「勲章」になります。苦労が「経験」になっている人は、よほどこちらが質問しない限りは、自分からは苦労話をしないものですが、「体験」の人の場合は、こっちが聞いてもいないのにうんざりするぐらい苦労話をしてくれます」1)

著者は森有正の著2)を引用して「経験」とは、あくまで未来に向かって開かれているものであって、まったく新しいものを絶えず受け入れる用意ができているものとした上で、「≪生きているもの≫を「経験」と呼び、硬直化した≪死んでいるもの≫は「体験」と呼んで区別しようとした」のが森有正の理想であると述べています。つまり、新しいものを取り入れようとせず自分の考えに固執する人ほど聞かれもしていない「自慢話」を「とうとうと」話すのです。

人の話し方をとやかく言うお前はどうなんだという声が聞こえてきそうです。私は校長になる前も、研修所や市の教育委員会で話すことが多かったのですが、人前に立つたびに緊張していました。自分のイメージ通りに話せたことはほとんどありません。ましてや自分が話がうまいなどと思ったことはありません。それでも学級担任をしていたころ、生徒が食い入るように聞いてくれることが何度かありました。そんなときの充実感や達成感は何物にも代えがたいものがあります。

恐らく、こうした充実感や達成感は、その話が自分の中で「経験」に近いものだったのではないかと思います。ただ自分が話したいことを勝手に押し付けているだけの単なる「体験」による話は、聞いている子どもにとっては苦痛でしかありません。自分の話が単なる「自慢話」なのか、「経験」として伝わる話なのかは、その内容が子どもたち(聞く側)の未来(明日や明後日と言った近い未来を含みます)につながるものかどうかで決まるのではないかと思うのです。そして、その答えはいつも子どもたちが出してくれています。まずはそのことに気付く姿勢を持つことです。聞いている子どもたちの様子や態度といった目に見えるものだけではなく、一種の雰囲気(空気と言ってもいいと思います)のような「目には見えないもの」を敏感に感じ取ろうとする姿勢こそが「経験」と「体験」の違いを見分ける唯一の方法だと思うのです。

(作品No.21hb-2)

  1. 泉谷閑示『「普通がいい」という病』講談社現代新書、2006.10.20、p199
  2. 森有正『生きることと考えること』講談社現代新書

「先生はうちの子を見捨てるんですか」

初任で初めて担任した最初の学級懇談会でのことです。7月ころだったでしょうか。懇談時間が終わりに近づいてきたとき、ある保護者から質問が出ました。

保護者「このクラスに校則違反や服装違反の生徒はいるんですか」

私「いえ、そういう生徒は今のところいません」

保護者「そうですか・・・」

次の瞬間、別の保護者(母親)が唐突に声を挙げました。それは発言というより叫ぶような声でした。

「先生は、うちの息子が違反ズボンをはいているのを知っているはずです。あんなにはっきりした太いズボンなのに・・・。なんで、そんなこと言うんですか!」そして、大粒の涙を流しながらこう言ったのです。「先生は、うちの子を見捨てるんですか!」。

 実は、そのときすでに私のクラスは学級崩壊寸前でした。指示はまともに通らないし、取っ組み合いの喧嘩している生徒を止めても収めることさえできない状態でした。

 最初の保護者の質問を聞いたとき、違反していた一人の男子生徒の顔が浮かびました。しかし、正直に言えばそこから学級のひどい状態についての話題になったら収集がつかなくなると思い、思わず嘘をついてしまったのです。その頃の私はいっぱいいっぱいの状態でした。

 その後、クラスはまさに坂道を転げ落ちるように崩壊していきました。当たり前です。誠実さのない担任を生徒も保護者も信頼するはずはありません。

 3学期の最後の学年懇談会の後、学級ごとに保護者が集まったとき、私は学級を壊してしまったことを謝りました。そのとき、一人の保護者(母親)の方が「先生は、まだ若いんですから、これからまたがんばればいいじゃないですか。」と、集まった他の保護者の前で声をかけてくださいました。救われた思いがしました。

 学級がどんなにひどい状態であっても、日ごろから逃げずに向き合っていれば、こんなことにはならなかったはずです。

今思い出しても顔から火が出るくらい恥ずかしい話です。でも、この経験があってこそその後30年以上にわたって教員生活が続けられたのだと思います。最後に救いの手を差し伸べてくださった保護者の方とともに、叫ぶように訴えてくださった保護者の方にも心から感謝しています。(作品No.113RB)

若い先生は「楽」をする?

最近、意識して歩くことが多くなりました。退職して毎日が日曜日状態になったので運動不足解消のために始めました。歩いていると、いろんなことが頭に浮かんできます。その日は、若い頃に聞いた、ある落語家の言葉を思い出しました。

 「最近、健康のためにジョギングをやる人が増えているそうです。中高年以上の年齢の人がやるのには何も思いませんが、若い人でやっているのをみるとどうかと思います。だって、若い人は基本的に体力もあって元気です。若者が健康のためにジョギングするなんて信じられない。」

 若い人は、どうやったら楽ができるかを考えるのが普通だと私は思います。「楽」というとさぼっているかのように聞こえるかもしれませんが、そうではなく「合理的に考える」という意味です。すべての若者がそうだとは言いませんが、無駄なことはしたくないと思うのが普通の姿だと思うのです。

 最先端の流行や考え方を取り入れるのも若い世代です。新しいものへの好奇心が旺盛であり、それを行動に移すことへのためらいも少ない。また、同じことをするなら、短時間で終わらそうとする合理性もあります。私のような年配の世代からすれば、そういうところに危うさを感じたり、単に楽をしようとしていると受け取ったりしがちです。そして、「最近の若い奴は・・・」と愚痴ったりもします。

でも、こうした若者の特性は、さまざまな場面でさまざまな改革を推進する原動力になるのも事実です。最先端の技術をいち早く取り入れようとするのは、同じ仕事をどれだけ短時間でできるかという意識があるからです。大げさな言い方かもしれませんが、世の中の進歩はそうした若い人の感覚によって生み出されてきた一面を否定することはできないと思います。

 確かに、何でもかんでも楽をすればいいとは思いません。しかし、時間をかけることそのものに意義を感じているベテランよりははるかにましです。

 市教委で勤務していたとき、かつて市が独自に実施していた教師自作の「夏の友」(正確な名称は覚えていませんがたぶんこんな名前だったと思います)という夏休みの宿題の冊子を復活させようとする動きがありました。当時学校教育課の課長だった私は、市長同席の予算委員会で財政の責任者(役職名は忘れました)から「なぜ、あれ(「夏の友」)を復活させないんだ」と、ほぼ恫喝に近い言い方をされました。財政の責任者の言い分はこうでした。「教師が楽をしようとばかりしていてどうするんだ。子どものためにもっと汗をかけ」

 しかし、かつて実施していた「夏の友」は、単に教師が問題を作成すれば済む問題ではありませんでした。設定した問題の一つ一つに対して著作権の許諾を得る必要があったのです。教員が校種別、教科別等にチームを組んで問題を作成し、その一つ一つに教育委員会は著作権者に許可をとる手続きをしていました。例えば、国語の長文問題をつくるとすれば、その元になっている文について著作権上の許可が必要になります。その文を使って、どんな設問をし、どんな答えを正解とするかを含めて許可が必要となります。作者の意図と違う解答例を出せば当然却下されます。許諾が得られなければ問題作成は最初からやり直しです。膨大な労力です。ならば、問題文自体から作ればいいというかもしれませんが、それでは文学的に価値のある作品は使えません。子どもたちが教科書以外の名文に出会える機会を奪うことになります。

 それでも何らかの効果があるならいいですが、さほど効果があるものではありませんでした。私は、その委員会に出席する前に、他の課の課長から「夏の友」の復活について指摘されることをあらかじめ聞いていたので、過去の冊子の内容や当時の予算、その効果を調べてみました。すると、はっきりしたのです。「夏の友」は、十年間ほど継続して作成・配布していましたが、その十年間の全国学力学習状況調査を調べてみると、最初の数年は平均解答率がなんとか横ばい状態でしたが、最後の方では明らかに下がっているのです。 

 しかも皮肉なことに、実施をやめた次の年に大きく向上していたのです。おそらく「夏の友」と学力(あくまでも全国学力学習状況調査上の数値ですが)は、ほとんど関係がないことが容易に想像できました。しかも学校現場の先生方に聞いてみると「あんなもの、ちょっとできる子なら一日あれば充分終わらせることができる」というのです。実施に要する予算は一回の実施で300万円以上。たった一日のために、しかも何も効果も確認されていないのにもかかわらず、それだけの予算を毎年計上していたのです。そんな状況をしっかり検証もせず、財政の責任者は市長の前で堂々と「汗をかけ」という精神論をぶつけてきたのです。その委員会で、「なぜ実施しないのか」と聞かれたら、実施していたときの「負の成果」について主張しようと資料は準備していました。しかし、私に反論する時間は用意されませんでした。

 当時すでに、ほぼ同額の予算でインターネットを活用し何度でも繰り返し使えるドリルが作成でできるソフトもあり、近隣の教育委員会ではすでに導入していました。私は、予算案を出すときにそのソフトの導入を請求しましたが、却下されました。「また、楽をしようとしている。何度言ったらわかるんだ」というのがその理由でした。

 どうすれば子どもたちの学力が向上するのか、「子どもを真ん中に置いて」考えれば、労力ばかり多くて大した効果がないものを無理して実施するより、簡単にできて、しかも効果が上がるものを導入するのは当然のことです。しかし、時間をかけて苦労しないものは教育とはいえないとする古い価値観が、せっかくの好機を逃すことになったのです。犠牲となったのは他ならぬ子どもたちです。 

先にも書きましたが、何でもかんでも楽をすればいいとは思いません。先生が手を抜いている姿を子どもたちが見れば、先生への信頼も失うでしょう。でも、楽をすることと手を抜くこととはまったく違います。「夏の友」の編集担当になった学校現場の先生方は、多くの時間を作成のために奪われてしまいました。もし、何度でも繰り返し使えて、理解度によって簡単にその子に合ったプリントが手に入るソフトを使っていれば、編集に携わった先生方はその分、子ども一人一人に細やかに寄り添う時間が確保できたはずです。

 ちなみに、数年後私が課長をやめた次の年、例のソフト導入が決まりました。何年かかけて市内全小中学校で使えるようになりました。なんてこった・・・     (作品No-85RB)

「教師という看板」

学校の外から学校を論じる人は、往々にして「教師が生徒との信頼関係を築いていれば、こんな起きなかったはずだ」という言い方をします。マスコミなどはその最たるものかもしれません。けれども、いつでもそんなことができる訳ではありません。例えば、4月に入学したばかりの生徒と初めて出会ったとき、信頼関係などあるはずがありません。それでも私たちは、決められたカリキュラムに沿って教育活動を展開しなければなりません。教育にとって信頼は最も大切なことではあるものの、生徒が教師の指示に従っているのは、それだけが理由ではなく、「教師という看板」が一定の威力を発揮しているからだと思います。看板にはこう書いてあります。「学校の先生の言うことは素直に聞くものです」。これは、社会全体の暗黙のルールのようなもので、大多数の生徒がこの看板に書いてあることを受け入れています。世の中はそういうものだと。私たちは、この暗黙のルールである「看板」を持たせてもらっています(最近この看板の文字が見えにくくなっている感もありますが)。そうでなければ、自分の力量だけでクラスをまとめているんだという錯覚や過信が生まれます。

新学期が始まって最初の3日間を「黄金の3日間」というそうです。この期間は子どもたちが先生の話を実に静かに集中して聴くと言われています。新しいクラスになって互いに牽制し合っていることもあるでしょう。どんな先生なのかを観察しているからかもしれません。でも、生徒が前を向いて座っているという、その事実を最初に成立させているのは「教師の看板」なのです。相手が「先生」だからこそ、生徒は話を聞こうとするのです。

恥ずかしい話ですが、私は初任のとき1年生のクラスを担任して完全に学級を崩壊させました。迎えた2年目。再度1年生を持つことになりました。その学級開きの日、私は感激のあまり泣きそうになりました。全ての生徒が椅子に座って前を向いるのです。それだけでなく、真剣に私の話を聞こうとしているのです。

それを見て思いました。この状態は何と有り難いことなんだ、と。そして、前年のクラスも最初はこんな感じだったはずだと。でも、前年私の頭にあったのは「新任だからといって生徒になめられてはいけない」という思いばかりでした。もしあのとき、この有り難さが少しでもわかっていれば、まずは、まっすぐに私を見ている子どもたちを褒め、いつまでも今の気持ちを忘れないようにしてほしいという話ができたのではないかと思うのです。(作品No-26H)