聞こえるということ

私は、車を運転中にラジオをかけることが多いのですが、その内容をすべて聞いているとは限りません。音声は発信されて、空気に振動を与え、私の鼓膜を震わせてはいてもまったく内容を覚えていないことがあります。どうしてこんなことが起こるのでしょう。

 そもそも、人が音を認知するとき、音を出したものが空気を振動させ、私の鼓膜を動かします。そして、その振動は中耳から内耳に伝わり、中耳の中にある液体のようなものを通して内耳の組織に伝わり、最終的に脳に電気信号として送られることで「聞こえる」という状態となります。だから、本来ならばすべての音が脳によって認識されてもおかしくないわけで、そうなると「聞こえているはず」なのにまったく記憶に残らないということは起こらないはずです。

「私たちは常にさまざまな音を聞いていますが、その中でも『注目すべき音』と『聞かなくてもいい音』を脳が区別して、大事な音に注意を向けて、理解し、記憶しているのです。」1)

 つまり、私たちは「今、ここ」における自分にとって興味や関心、必要性のレベルによって「聞く」か「聞かないか」を判断(無意識のことも多いでしょうが)しているというわけです。このときの「判断」は個々人の興味・関心などの度合いによって為されます。現象学的社会学の祖と言われるA・シュッツはこれを「レリバンス」と名付けました。人は見ているものに対する重要性の度合が違うので、それを「大切だ」と感じる人(こと)もあれば、ほとんど記憶にさえ残らないくらい無関心だったりするわけです。

 私たちはしばしば「聞く」と「聴く」の違いを通して、子どもに「聴く」ことの大切さを伝えてきました。それは、「聴く」ことが「聞く」ことに比べて高い「レリバンス」を必要とするからです。よく「心で聴く」といわれますが、それは話し手に対して最も高い「レリバンス」を発動している状態なのです。

 子どもが教師に対して高い「レリバンス」を発動するためには、教師が子ども以上に高い「レリバンス」をもって接することが必要となります。

マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心です。」と言ったというのは、あまりに有名な話です。彼女が世界のいたるところで起こっている悲劇に目を向け、言葉を発することで、悲劇に苦しむ人にその思いが伝わり、多くの人が苦しみの中でさえ彼女に高いレリバンスを発動し、前向きに生きようとする力を生み出すのです。

マザーテレサほどの人格者になるのは至難の業ですが、目の前の子どもが自分にとってどのくらい重要な存在であるかということを絶えず確認することは、誰にでもできるのではないかと思います。(作品No.203RB)

癒されるということ -「読み語り」の被包感-

私は、研修所に勤務していたとき「読み聞かせ」の講座を担当していました。そこで、子どもの生活文化研究家の梓 加依(あずさ かい)先生と出会いました。

 中学校現場しか経験のなかった私には、「読み聞かせ」などまったくの無縁のものでした。不遜にも「この講座は、若輩の指導主事に任される〝軽い〟講座なのだろう」と思っていました。しかも、講師の梓先生はとてもこだわりの強い方で、講座のたびに大量の絵本を研修所に送ってくる人でした。そして、事前に研修する部屋を下見に来られて一冊一冊置く場所を指定されるのです。どのみち、1回の講座で読める本なんてたかが知れてるのに、なぜこんなに大量の本が必要なのか、下準備に付き合うだけでも大変でした。その上、運転免許をお持ちでなく遠方から高速バスで来られるので、毎回インターまで車で送迎しなければなりません。だから、この講座があるときには他の仕事がほとんどできない状態でした。

 ところが、最初の講座で180度意識が変わりました。

 講座は、「読み聞かせ」の基本をまとめた短いビデオを2本見た後、簡単な注意事項-本の持ち方など-を先生が説明され、受講者(ほとんどが小学校教諭)が、部屋いっぱいに並べられた絵本の中から一冊を選びます。そこには、「自分が誰かに読んで聞かせたい」と思う本を自分で選ぶことを先生が重視されていたからでしょう。大量の本にはそういう意味があったのです。そして、少人数のグループ内で互いに「読み聞かせ」を実演し、各グループから選ばれた代表者が全体の前で実演し、それに対して講師が助言する、これが講座の流れでした。

 助言の内容は実にコンパクトなもので、さほど「すごい」と思えるようなことはなかった(先生、ごめんなさい)のですが、グループ毎の「読み聞かせ」から代表者の「読み聞かせ」へと進むにつれて、少しずつ会場の空気が変わっていくのです。どこか懐かしいような、温かい空気が流れ始めるのです。

 そして、極めつけだったのは最後に梓先生が自ら行う「読み聞かせ」でした。私は、びっくりしました。大人の私、それもこの講座にさほど思い入れもなかった私でさえ、体の中から熱いものが込み上げてきたのです。今、これを書いているときでさえ、そのときの感覚がよみがえってきて涙しそうになります。

 当然、梓先生の読む技術が高かったこともあったでしょうが、それよりも「誰かに読んでもらう」ということが、ものすごく心地の良いものなのです。

 それは、読み手と聞き手が本を通してつながっている世界でした。それが頭ではなく、肌で感じられるのです。先生が読み始めたときはまだ、読み手が聞き手を惹きつけようとしている意図を感じるのですが、聞いているうちに、聞き手は読み手と本が醸し出す世界に自らその身を委ねていくのです。そして、同時に包み込まれるような感覚が体中に広がります。「癒される」というのはこういうことなんだ、そう思うと私は不覚にも自然に涙がこぼれそうになりました。

 講座が終わり、片づけをしながら、私の「癒され」体験について先生に話しました。先生は子どものような表情になって「そうでしょ。本ってすごい力があるんですよ」と満面の笑顔で答えてくださいました。そして、こんな話をしてくださいました。

「でもねえ、私は、「読み聞かせ」っていう言い方があまり好きじゃないんですよ。本当は「読み語り」だと思う  んですよね。「読み聞かせ」というとどうしても「読んでやっている」というイメージになるでしょ。読み手が本の世界に没頭して「語る」。それだけでいいんですよ。余計なことはいらないんです。」

 先生は自著の中で「絵本は誰のもの?」という見出しで次のように述べています。

(研修などでいろんな人に本を読むと)「この絵本の読み語りで、大人の教師や学生たちから「とても癒された、楽しかった」「絵本がこんなに素晴らしい資料だとは思わなかった」「絵本は子どもだけのものじゃない」といった感想がたくさん出てきたのです。お母さんたちも子どものために読んでもらっているのに、自分が楽しかったといってくれます。私も仕事として絵本と関わってきましたが、絵本を楽しみ、絵本に癒されてきました。」1)

 この「癒され」感は、ボルノウが「教育を支えるもの」として最も重要とした「()包感(ほうかん)」(雰囲気)につながるものだと思います。

 絵本に限らず、本は今どんどん電子化されています。聞くところによると電子書籍は紙書籍よりもコストがかからず、売れ残りや返品のリスクがないため、出版業者にとってはありがたい存在なのだそうです。また、近年では朗読のプロが読む電子媒体も増えています。それも貴重な存在でしょう。でも、体ごと包み込まれる感覚が生まれるのは、そこに「読み手」という生きた人間が存在するからです。

 どんなに上手に読んだとしても、読んでいるのが「AI」だったら、梓先生のいう「読み語り」は成立しないのです。

(作品No.202RB)

1) 梓 加依・吉岡真由美・村上理恵子(2011)『介護とブックトーク』素人社、p6

A先生の昔話

ある中学校のA先生の話です。A先生は、新任5年目の独身の男性。最初は、ほとんどの生徒にそっぽを向かれ、学級崩壊を起こすほど状態でしたが、それを何とか乗り越えて、教師としてのやりがいや自信も生まれてきたころのことです。

 A先生は、その年2年生の担任でした。学級経営は順調で、生徒との人間関係も良好でした。そのクラスにBさんという女子がいました。Bさんは、多少感情の起伏が激しいところがあったものの、学習面にも部活動にも前向きに取り組んでいて、誰よりも学校生活を満喫しているように思えました。

 ところが、1学期も半ばに差しかかったころ、普段は明るく覇気のある彼女が、どうも最近、浮かない顔をするようになりました。A先生は、彼女の様子が気になっていました。

 ある日、A先生は生徒指導室でBさんとゆっくり話をすることにしました。

「最近何か嫌なことでもあったんか」

 そう問いかけても、最初は何も言いませんでした。

「そうか、それならいいんやけど、どうも最近あなたの様子がおかしいような気がしてなあ」A先生がそう言うと、まるで(たが)が外れたように急に泣き出したのです。そして、嗚咽の間に一つ、また一つと短い言葉をねじ込むように挟み始めました。

 今まで本当に仲の良かった父と母が、最近家の中で毎日怒鳴り合いの喧嘩をしている、原因はわからない。子どもの私には言えないことなのかもしれない。でも、わからないから余計に不安で、怖い。いがみ合い(ののし)り合っている声が、自分の部屋まで聞こえてくる。その(いさか)いは来る日も来る日も終わることがない。もう、どうしていいかわからない。でも、誰にも相談できない。このまま家庭が壊れてしまったらどうしよう、彼女の思いは切実でした。

 A先生は、何をどう答えてやればいいのかわからず、ただ聞くことしかできませんでした。

そして、彼女のつらい話を聞いているうちに胸が詰まり、自然に涙が(こぼ)れ落ちてきました。 

「そうか。それはつらいなあ」と言うのが精一杯でした。何の力にもなれない歯がゆさが全身に広がっていきました。

 その年の3学期。修業式が終わったすぐ後に、BさんはA先生のところにやってきました。最近は、ようやく両親の関係が良くなって、前のように落ち着いた家庭に戻っていると話してくれたそうです。そして、こう言ったのです。

「先生、ありがとうございました。あのとき、私、ほんっとに嬉しかったんです。私のために泣いてくれる人がいるんだと思うだけで、何とか頑張れる気がしたんです。」

 こういうのが、教師の醍醐味ってやつですかね。退職するまでの30年余り、A先生はこのことを決して忘れることがなかったのですから。

 (作品No.201RB)

S先生の誠実

 以前、このコラムでもご登場願ったことのあるS教授(当時)に関する話です。

私はS先生のゼミに入っていました。私が内地留学した教職大学院では、2年間で修士論文を書き上げないと修了することができません。1年目にテーマを決め、2年目に本格的に調査や執筆作業を行うのが通例でした。

 とはいえ、すぐに研究テーマが決められるわけではないので、S先生は「まずは、テーマにつながる内容で、今、関心があることをまとめてきてください」とゼミ生にレポートを課しました。一緒に考えましょうというスタンスは、いかにも優しく温厚なS先生らしいと感じました。

 ところが、その温厚な先生を私は激怒させてしまったのです。先生は私の書いたレポートに対してこう言われたのです。「あなたのやろうとしていることは教育ではない!」

私はかなりのショックでした。研究テーマの根本的な見直しを求められるかもしれない、そうなれば、私がここに来た意味がなくなってしまう。まさに、途方に暮れたのです。私の書いたレポートは、当時注目を集めていた教育社会学系の著作をベースに書いたもので、学校の現状を有体に示そうとした内容となっていました。純粋に「教育愛」を追究してきた先生は、一つ間違えば子どもを悪者にしかねないとして、私のレポートを完全否定したのです。

 それから、しばらくして先生の研究室に入ったときのことです。先生はたまたま不在でした。ふと見ると先生の机には真新しい本が積み重ねてあります。おそらく研究費で購入された本でしょう。私は、いったい先生はどんな本を読んでいるのだろうと気になって、不在なのをいいことにそのタイトルを覗いてみました。すると、そこに積み上げられていたのは、なんと、私がレポートの参考文献に挙げた本ばかりだったのです。

 びっくりしました。あれほど否定したのになぜ? と驚きました。でも私は、普段の先生の言動を思い浮かべて、すぐに理解しました。「先生は、自分のことをわかろうとしてくれている」。今後、私の研究テーマについてこのまま否定するにしても、いくらか認めるにしても、とにかく私がなぜこれらの本に魅かれたのかを、実際に読んでみて確かめようとしてくださったのです。そして、ゼミが進むにつれて私の本意を理解してくださり、全面的にバックアップしてくださいました。

 修士論文を書き上げたとき、この話を先生に打ち明け、お礼を言いました。先生は「いやあ、最初、とんでもない人がゼミにきたと思いましたよ。」と笑っているだけでした。その後、先生は自分の論文に私の研究結果の一部を引用してくださいました。これは、引用するに値するという評価をもらったということです。

 誰かに寄り添うためには、その人を理解しようとする姿勢が欠かせません。S先生にとっては、私の「研究力」など取るに足らないものだったと思いますが、それでも同じ目線に立って私という人間を信頼し、理解しようとしてくださったのです。

 

 ここに示した、S先生の私に対する関わり方は、私たちが日々行っている子どもへの接し方(寄り添い方)にも大いに通じるものがあります。

「子どもは、教育者が彼について描く像に従って、また教育者が彼の中におく信頼に応じて、みずからを形づくるのである」1)

 子どもをどこまで「信用」するかは、非常に難しい問題です。子どもは時に嘘もつけば、ごまかしもします。でも、人として「信頼」することはできると思います。

 子どもは「…為しうるぎりぎりの限界まで試そうとする自然な願望をもっている」2)存在だとボルノウは言います。

これを信じることができるかどうか、そこが「信用」と「信頼」の境目なのだと思います。

(作品No.199RB)

1) O.F.ボルノウ、森昭・岡田渥美訳(1989)『教育を支えるもの』黎明書房、p115

2) 前掲書、p111

「不易」への道

これまで、私は主に今の学校を変えようという立場で、このコラムを書いてきました。

 私は、「昔はよかった」という言い方があまり好きではないので、学校に関することも、過去の武勇伝のような内容は、極力避けてきました。それは、現職の管理職だった頃から考えてきたことです。

 ところが、初めて校長として勤務した小学校で、信頼のおける一人の中堅女性教員から「校長先生の昔こういうことがあったっていう話が結構長いことがある」と言われたことがありました。とても恥ずかしい思いをしました。その先生が私に恥をかかせたという意味ではなく、自分で気をつけているつもりでも、気づかないうちにそういう話をしてしまっていることが恥ずかしかったのです。

 指摘されたときは、ちょっとショックでしたが、今思えば、よく言ってくれたと思います。つい調子に乗って話していたことを、私は自分では気づいていなかったわけです。

そもそも「昔はよかった」的な話や「昔はもっとひどかった」的な話に、ほとんど生産性はありません。これからの学校や教員に何のプラスにはなることはありません。それは、単に自己満足にすぎません。だからこそ、十分に気をつけていたつもりなのですが。

 ただ、若干の違和感もあるのです。無暗に過去にこだわるのは無駄だと思いますが、自分という人間は、周囲の環境や、自分の行動によって作られているわけですから、あまり自分の経験を軽視し過ぎると、自らが立つ基盤を見失う可能性もあるのではないかとも思うのです。それは、誰かに自慢話をしたいからではなく、曲がりなりにも30年以上教職の身にあったのだから、その経験を振り返って凝縮し、次の世代に引き継げるエキスのようなものを見つける作業も必要なのではないかと思うようになりました。

 昔のやり方が今は通じないかもしれないという謙虚さは必要ですが、もっと自分がこれまでやってきたことを整理することも必要だと思うのです。

 以前、不易と流行について書きましたが、真の不易というのはなかなか見つけられるものではありません。どんな場でも、どんな人に対しても、あるいはどんな時代にも通じる不易=真実があるとすれば、それはまるでブッダが悟りを開くような深いレベルの話になるのではないかと思います。

 私のような凡人にそんなことはできません。それでも、私には見えなくても本当はどこかに核のようなものがあるのかもしれないと感じることもあります。真実は一つではないと書いてきた私が言うのも変な話ですが、単に私たちには真実の周囲に存在する枝葉や、あるいはまとわりつくような膜のようなものしか見えないだけなのかもしれないのです。

 もしそうだとすると、真実は一つではないという現実的な前提を持ちながらも、昔の学校と今の学校に共通する部分はないのかと確認することは必要なのではないかと思うのです。

 古いと思ってきた教育の中に実は今に通じる何かがあるかもしれません。

 例えば、校内暴力が激しかった頃は、今なら「不適正なかかわり」とされるような指導もたくさん行われていました。時代が変わっても、それが「不適切」であることには違いありませんが、当時はそうしなければ収まらなかった状況もありました。また、暴れる生徒を力づくで抑え込むことは、その生徒を深刻な加害者にしない効果もあったと思います。

 私の実感でいえば、当時の多くの教員は生徒との心のつながりを大切にしていました。そして、生徒も体を張ってぶつかってくれる教員を望んでいました。激しく対立しているように見えながら、実は互いに信頼関係を求めていたのです。

 今の生徒に同じようにかかわっても何も通じ合うことはありません。それは、今の生徒がぶつかってくれる教員よりも寄り添ってくれる教員を求めているからだと思います。まったくちがったものを求めているようにも見えますが、昔の教員と今の教員に共通して求められるものもあるに違いありません。私は、それは、生徒が今何を求めているかを見ようとする教員の姿勢だと思っています。そのことに関しては昔も今も変わらないでしょう。

 今後、学校という制度が大きく変わり、「昔は寄り添うことが大切なんて言っていたなあ」という会話が職員室に生まれるようになるのかもしれません。かつて正しいと思われていた体ごとぶつかるかかわり方が、今通用しないのと同じようになるかもしれません。そのときにはまた、別の共通点を見つける必要があるでしょう。

 もしかしたら、そういう積み重ねが、ブッダの悟りのような「不易」に近づく唯一の方法なのかもしれません。

(作品No.194RB)

「寄り添う」の肝

一人ひとりの子どもに寄り添える教師になりたい、誰もがそう思っているでしょう。でも、さまざまな理由で、なかなか思うようにいかないものです。実際に子どもに「寄り添う」ためにはどんなことが大切になるのでしょうか。

 まず一つ目は、メタな視点を持つことです。「メタ認知」については、以前にも書きました。物事を「俯瞰」する視点は全体を見るために重要であるだけでなく、私たちの冷静な判断を促してくれます。目の前の子ども行動を表面的に見ていると「何度同じことを言わせるんだ」という気持ちにさせられます。しかし、(気持ちの上で)少し距離を置いて、この子の行動の背景には何があるんだろうと考える(これが俯瞰するということです)ことで、冷静にその子を見ることができます。それはその子をありのままに捉える視点でもあります。「俯瞰」しなければ「一部分」しか見えません。また、自分(教師)が正しいと思っていることをすぐに伝えずに、まず相手の話を聞く心の余裕も生まれます。

 この「俯瞰」は、その子が何を望んでいるのかに気づかせてくれることもあります。それがわかれば対応の仕方も自ずと見えてきます。同時に、子どもの変化にいち早く気づくこともできるようになります。

 他に大切なこととして、「さりげなさ」があります。「寄り添う」というと、いつもそばにいてじっくり話を聞くというイメージがあるかと思いますが、物理的な距離は必ずしも必須の条件ではないと思います。遠くから送られる教師からのアイコンタクトだけでも、救われる子はたくさんいます。私は、現役の教諭時代、担任した生徒が卒業するときに言ってくれたことを思い出します。その子は、真面目で極端に無口な子でしたが、家庭のことで深く悩んでいました。

「先生が、廊下なんかですれ違うときに、いつもほんのちょっと私の方を見て目で合図のようなものをくれたのが、とても嬉しかった」

「寄り添う」というのは、とても大切なことです、けれども、あまり大げさに考えすぎると、子どもにとっても負担になることもあります。また、教師の方が寄り添えていないという自己嫌悪に陥ってしまいかねません。

 最も重要なことは、たとえ相手が子どもであっても、対等な一人の人間として尊重しているかどうか、それが「寄り添うの肝」です。人間というのは不思議なもので、こちらが相手をどう思っているかは、自然に伝わることが多いものです。それは、数値で客観的に示せるようなものではありませんが、だれしも経験していることでしょう。自分が「児童・生徒」として見られているか、「人」として見られているか、子どもは敏感に感じ取っています。そのセンサーの精度は、教師から見て「問題」の多いとされる子ほど高くなります。

「一人ひとりがちゃんと自立して、両足が大地に着いた状態で両隣の子どもたち、仲間と手を取り合う。つぶあん状態。(中略)僕はつぶあんが好きなのよ。口に入れたとき、つぶつぶが口にあたるの。あれが個性を主張しているようで、愛おしくなる。こしあんもおいしいんですが、つぶれちゃってるでしょう。」1)

「尾木ママ」こと尾木直樹氏2)の言葉です。

対等な「人」として子どもを見るということは、その子の個性を尊重するということでもあります。そして「寄り添う」とは、「あなたのことを大切に考えていますよ」というメッセージを届けることです。ちゃんと届いているかどうかは、子どもにしかわかりません。でも、届けようとする姿勢は必ず伝わると私は信じています。

1)「〈ミニ講演〉「個」に寄り添う教育」法政大学教職課程センター長(当時)2013年。

2)尾木直樹:早稲田大学大学院客員教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、法政大学教職課程センター長・教授などを経て、2017年4月から法政大学特任教授。2019年から法政大学名誉教授。これまでに200冊を超える著書を上梓。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「マルトリートメント」を克服する教師

最近、『教室マルトリートメント』(東洋館出版社、2022)という本を読みました。著者は、東京の特別支援学校主任教諭の川上康則氏。マルトリートメントとは、「不適切なかかわり」全般を指す言葉で「「マルトリートメント」(不適切な関わり)という概念そのものは、海外ではチャイルド・マルトリートメント(child maltreatment)という表現で広く知られて」(同書p2)いるそうです。malは「悪い」、treatmentは「扱い」を指し、総じて「不適切な養育」「避けたいかかわり方」(同書p15)となります。欧米や国際社会では広義の子どもへの不適切なかかわりすべてをさす概念だといいます。これが教室で行われた場合「教室マルトリートメント」(川上氏の造語)となります。

例えば、「やる気がないんだったら、もうやらなくていいから」とか、「勝手にすれば」といった突き放した言い方や「誰に向かってそんな口のきき方をするんだ?」といった質問形式で子どもを追い込む言い方です(同書p35)。川上氏はこうした言い方を「毒語」と命名しています。

まず私が驚いたのは、この本を書いた人が特別支援学校の先生であるということです。本来なら、最も子どもに寄り添う姿勢が求められる校種でさえ、こうしたことが起こっているのです。まさに一般の小中学校では言わずもがなでしょう。

非常に残念なことですが、私の経験からしてもこのような教師の言葉は日常的に使われていると言わざるを得ません。それどころか、こういう物の言い方を一つの技術として若い教師が引き継いでしまっているのが現状です。ごく普通の言い方としてまかり通っています。もし、「こういう言い方が問題になっていますよ」と先生方に伝えたら、「じゃあ、言うことを聞かない子をどうやって指導するんですか」と食ってかかられるかもしれません。そのくらい(あくまで私の肌感覚ですが)当たり前の光景となってしまっているのです。

最近、教師の暴言が問題になっています。有形力の行使でなくても「体罰」として扱われるようになりました。しかし、殊、中学校においては部活動を中心に生徒の人格を否定するような暴言も未だなくならず、それによって深く傷つき、不登校になってしまう子も増えています。それは、直接怒鳴られた子だけではなく、周囲の子にも多大な影響を及ぼしています。クラスの中で大声で叱責される子を見て恐怖心が生まれ、担任が怖くなって学校に行けなくなる子も少なくありません。その事実をどう受け止めればいいのか。「最近の生徒は普段から叱られていないからだ」とか「耐性が欠如している」とかいう教師もいます。しかし、実際に苦しんでいる生徒がいるという事実を私たち教師は認めなければいけません。

今、傷つきやすい子が増えているのは確かでしょう。傷つきやすいから弱いというのではなく、子どもの感性が変わってきているのです。「怖い」と感じる基準は個人によって違います。「怖さ」を感じるセンサーが敏感になっている子が増えたということではないかと思います。そしてそれは、社会全体が変わってきている結果でもあります。そう考えると、この問題は学校だけで解決できるものではありません。

最も効果的な方法は、教員に時間的な余裕を与えるシステムを構築することだと思います。例えば、学級担任を二人制にするとか、必ず複数で授業に入るとかというシステムが実現すれば、子どもの変化に気づきやすくなるでしょう。しかし、そんなことはすぐにはできません。ただでさえ教員不足ですし、予算もかかります。一教員には、手が出せません。

ならば、まずは教師自身の視点を変えるしかありません。その視点とは、物事を「俯瞰」することです。目の前で起こっていることだけに注目するのではなく、その背景にまで視野を広げることです。そして、今まで自分の中にある「子ども像」を一旦、括弧に入れてみることです。自分の子ども像は経験があるほど変化させにくくなる面があります。しかし、それは時として、子どもをありのままに見る目を曇らせる原因にもなります。「私の経験から言って、この子がわがままなのは親の愛情不足だ。」と決めつけるのは簡単です。でも、その答えは、目の前の子に十分に寄り添ってからしか出せないものです。最初から自分の側に答えを持ってしまうと、そこから抜け出せなくなり、一旦否定的に評価してしまった子に対しては、いつまでも否定的な見方をしてしまうことになります。

 寄り添うというと、ずっとそばにいてじっくり話をきいてやるというイメージが先行しがちですが、物理的な距離は必須の条件とは言い切れません。遠くから送られてくる教師のアイコンタクト一つで、子どもは寄り添ってもらっていると感じることはできます。要は、「指導を行なう立場の前提として、「何を言うか」「何をするか」よりも「どんな態度でその子の前にいるか」(同書p31)が大切なのです。

 これまでは、学校に対するまなざしが学校を支える力となっていました。しかし、今は必ずしもそうとは限りません。少しでも何かあったら学校に文句をいってやろうと、手ぐすねを引いている保護者も少なからずいます。子どもも社会の多様化の影響をまともに受けているので、「なぜ、自分がやりたいと思ったことができないんだ」という発想になりやすくなっています。その姿は、いかにもわがまま勝手に見えます。そうした状況を考えれば、まさに教師受難の時代なのかもしれません。

私たちは今まさに問われています。「あなたは、こういう時代の教師としてどうあるべきだということをどのくらい深く考えていますか」と。これまでの指導法が通用しないからと言って、子どもや保護者を悪者にするのは、「思考停止」状態になっている証拠です。どんなに探しても「正解」は見つからないのかもしれません。でも、何が、より「正解」に近いかを考えているかどうかは、確実に子どもに伝わると私は思います。

寄り添うことができる教師とは、「正解」を知っている教師のことではなく、子どもたち一人ひとりにとっての「正解」とは何かを、深く考えている教師のことだと思います。

(作品No.156RB)