子どもの「目覚まし」

「最近、家で何してるんですか?」

 退職して間もないころ、よく聞かれました。私は聞かれるたびに、正直に、

「本を読んでるか、何か書いてるかですね。」 

「書いてるって?」

 多くの人は一瞬、軽い驚きを持って反応します。読書には、違和感はないのでしょうが、「書く」となると、あまり馴染みがないようです。

 本を読んでいると、素晴らし言葉に出会ったり、新しい知識を得られることに喜びを感じます。過去の自分の記憶を蘇らせてくれたり、それまで感覚的でしかなかったものが形ある言葉になって浮かんでくることもあります。また、曖昧だった自分の考えがはっきりとした形になることもあります。そうしたとき、自分なりに文章で表してみたいという欲が生まれます。だから、読んでいるうちは何かしら書くことは浮かぶだろうと楽観的に考えています。

 さて、私が「書いている」ことを告げて、一人だけまったく違った反応を示したOという男がいました。Oは、歳は一つ上でしたが大学時代の同期生で、同じクラブで共に汗を流した仲間です。私が、一年早い退職の挨拶状を送ったのを見て、電話をかけてきてくれたのです。そのとき冒頭と同様の会話をしました。私が、「書いている」ことを告げるとOは、「俺なあ、今、放送大学の講義受けとるんや」と言いました。

 びっくりしました。申し訳ないけれど、彼の大学時代を思うと自分から何かを勉強しようというタイプではなかったからです。どういう心境の変化かと思いきや、彼は続けてこう言いました。

「実は俺、癌の手術したんや。」

 経過は良好だと言っていましたが、抗がん剤を打ちながら小学校の校長として勤務していたときは、かなり辛かったようです。その彼が定年退職して、まずやり始めたのが「勉強」だったのです。彼は、「まだまだ、知らん事が多い。せめて自分の興味のあることだけはしっかり勉強したい」と思ったというのです。生死の狭間を乗り越えた彼の言葉は、私の心にずしりときました。

 人間は、もともと学びたい生き物なのだと思います。当然、子どもたちもみんな、学びたい、わかりたいと思っているでしょう。最近、さまざまな理由でそれができない子も増えてきました。そういう子どもに少しでも「できる」、「わかる」喜びを与えられたらどんなに素晴らしいかと思います。授業の内容を十分に理解できなかったとしても、「わかった」と感じた喜びは、いつまでも心のどこかに残っているはずです。

 子どもたちは体のどこかに「目覚まし時計」を持っているのだと思うことがあります。それは、どんなに無気力に見える子にも必ずあり、「そのとき」がくればベルが鳴り、自ら学びたいと動き出すときがくるのではないかと。

 私たちにできる唯一で最大のことは、それを信じることだと思います。

(作品No.193RB)