不登校29万人 -「命を懸けたデモ」-

文科省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(令和4年度)によると、全国の小中学校の児童生徒数が112万3945人減少している(2010~2022)にもかかわらず、不登校者数は11万9891人(2010)から29万9048人(2022 過去最高)と、実に17万9157人増加しています。特に、直近の2020年から2022年には10万人以上増加しました。当然、不登校者数が全児童生徒数に占める割合は上昇し、1.13%(2010)が3.1%(2022)と約3倍になっています。不登校が急増している要因を、文科省は次のように分析して(同調査概要)います。

「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の趣旨の浸透の側面等による保護者の学校に対する意識の変化も考えられるが、長期化するコロナ禍による生活環境の変化により生活リズムが乱れやすい状況が続いたことや、学校生活において様々な制限がある中で交友関係を築くことが難しかったことなど、登校する意欲が湧きにくい状況にあったこと等も背景として考えられる。」

また、文科省は、不登校の具体的な理由(2022)として「無気力・不安」が51.8%、「生活リズムの乱れ、あそび、非行」が11.4%を占めているとしています。このデータはさまざまな研究や論文で引用されています。

しかし、私はこの「具体的な理由」の結果に、かねてから疑問をもってきました。それは、この調査が当事者による回答ではなく、調査における「理由」の選択肢が昔から大きく変わっていないからです。かつて学級担任として生徒の不登校の理由を報告するたびに悩みました。保護者はもちろん、本人でさえよくわかっていないのに、私が選んでいいのかと。

文科省もその辺の矛盾を理解したのか、「不登校に関する調査研究協力会議」を設置し2019年に児童生徒に直接回答を求める実態調査を実施しましたが、残念ながら「回収率はきわめて低かった」1)と言われています。不登校の子どもたちの声を聞くことはそれほど難しいのです。理由がわからないと解決方法も見つかりません。また、本人や保護者も不安が募る一方でしょう。

例えば、「ぶどうの会」(山梨県不登校の子どもを持つ親たちの会)を設立した鈴木正洋・鈴木はつみ両氏は保護者から最も多く受ける質問が「子どもの接し方を知りたい」、「この先どうなってしまうのかとても不安。どうしたらいいのか」であると述べています2)

そもそも不登校は、登校できないことが問題なのはなく、登校できないことで自らを過剰に責め、自分を否定的にしか捉えられなくなり、最終的に生きることにさえ疲れてしまうところに大きな問題があります。

親も教員も何もできない無力感に(さいな)まれることも多いのですが、やはり、私たちにできることは、当事者の声を当事者のペースで粘り強く聞く耳を持ち続けることだと思います。私たちは職業柄、頭のどこかに「学校は来て当たり前」「来ることが正解」という前提で不登校の子や保護者と接してしまいがちです。確かに、不登校による学力低下や、社会性が十分に身につかないのではという不安はあります。また、進路に影響がないとも言い切れません。その子の将来を考えれば何とか学校に来てほしいと思います。しかし、不登校は「子どもたちの命を懸けたデモだ」3)と言われます。「デモ」の要求はただ一つ。「分からない」ことを「分かってほしい」という思い。どうして自分は学校に行けないのか、どうして人よりこんなに弱いんだ(本当な弱くないのに)、こんな自分に生きている意味はあるのか、頭の中は「分からない」ことでいっぱいなのです。だから、「デモ」を行っている最中に私たちが勝手に「理由」を当てはめることはできません。先に挙げた「ぶどうの会」では、入会時に保護者へ「子どものことは子どもに任せて待ちましょう」と伝えるそうです。これも勇気のいることだと思います。

私たちは「デモ」のきっかけは何だったのかを忌憚なく保護者を交えて職員同士で話し合うことが必要です。そして、その子が「デモ」の最中なのか、始めようとしているのか、終えようとしているのかを見守る視点を持つこと、教員は学校以外にも自分を成長させる場がたくさんあることを示すことです(タイミングは大事ですが)。そして、いつか必ず前を向いて歩きはじめると信じて寄り添うことです。

ちなみに、先般「滋賀県フリースクール等連絡協議会」が滋賀県内でフリースクールに通う不登校児童生徒と保護者に実施したアンケートがホームペーに公開されました。この調査が画期的なのは、氏名は伏せてあるものの、自由筆記がほぼ原文のまま掲載されていることです。同協議会は個人情報保護のため転記や引用を固く禁じているため、ここで内容を紹介することはできませんが、ぜひ勇気を持って、一度確認してみてください。私は自分の不登校に対する意味づけが決定的に変わりました。「命を懸けたデモ」の本当の意味がぐさりと胸に刺さったのです。子どもたちが語る真実の声です。私たちにはそれを聞く責任があります。

1) 『教育』2022年5月号(教育科学研究会、p4) 

2) 前掲、p29

3) 吉田田(ヨシダダ)タカシ「【行列のできるアートスクール】 不登校は命を懸けたデモ」2023年8月23日教育新聞デジタル 

吉田田タカシ:2022年「トーキョーコーヒー」設立(登校拒否の言葉遊びから生まれた、教育システムを進化させるムーブメント。

大人が楽しく学びあう拠点は全国に約300ヶ所)。

未来を信じる

『夜と霧』を世に出したオーストリアの精神科医フランクルは、ユダヤ人であるというだけで第二次大戦がはじまると間もなく、家族とともに強制収容所に収監されました。彼の父親はそこで亡くなり、妻や娘も失いました。それでも彼は自らが提唱してきたロゴセラピーによって、収監された多くの人を勇気づけたといわれています。

彼は、収容されて絶望の淵にいる仲間にこう尋ねたといいます。

「あなたには、あなたの帰りを待つ人がいるんじゃないですか。」

 このことについて、神戸親和女子大学教育学部教授(教育学専攻)の広岡義之氏は次のように述べています。

「強制収容所を生き残る可能性の最も高かった人々は、未来に向かって生きることのできた人であり、いつの日かこの私が帰ってくるのを待っているであろう、達成すべき課題や出会うべき人に向かって生きることのできた人たちだったのです。」1)

 つまり、フランクルは人間にとって最もつらいことは未来を信じることができないと捉え、「「未来の目的」や「人生の意味」を見出しえた人間が、結果的に強制収容所から生還」できる2)と考えたのです。そして、フランクルは生還後に『夜と霧』の中で、そのことが本当であったことを世に示しました。

 ちなみにフランクルは約三年間の収容所生活の間、一度も歯を磨くこともできず、著しいビタミン不足に陥っていたにもかかわらず「健康なとき以上のよい「歯肉」を維持していた」3)し、「傷だらけの体であったにもかかわらず。一度も傷が化膿しなかった」4)そうです。それだけ彼は強靭な精神と未来を信じる気持ちが強かったのでしょう。

 さて、現代に生きる私たち、特に子どもが置かれている状況はどうでしょうか。不登校は過去最多に達し、引きこもりが社会問題となっています。私は不登校そのものが問題だとは思いませんが、不登校である子どもが苦しんでいることは深刻な問題だと思います。

 なかでも、自分に自信をなくし、この先自分はどうなっていくのだろうという不安を抱えている子にとっては毎日がつらく感じられることでしょう。おそらく彼ら(彼女ら)は、そうした不安のために、自分の未来を信じることができなくなっているのではないかと思います。

 私たちは、こうした子どもを救いたいと願っています。簡単なことではありませんが、フランクルは私たちに次にようなヒントを与えてくれています。

「(私たちは)私たちの方から「生きる意味」を問うてはならないのです。なぜなら、人生の方が私たちに問いを出し、問いを提起しているからです。私たちは人生から問われている存在なのであり」、「生きること自体が人生から問われていることに他ならないのです。」p9

 つまり、なぜ生きているのかを問うよりも、なぜ生かされているのかを考えることの方が大切だということです。そう考えることで、自分が今置かれている状況も必ず何らかの意味が与えられているはずだということに気づくのです。それが、自分を責め続けている尖った矢印を少しずつ外に向ける力になると思います。

 自分を見つめるだけでは、信じられる未来は見えてこないのです。

(作品作品No.233rb)

1) 広岡義之(2022)『フランクル教育哲学概説』あいり出版、p10

2) 3) 同上、p12 

4) 同上、p11  

タテ・ヨコ・ナナメ

夏休みの終わりごろ、いつも考えていたのは「始業式に子どもは来てくれるだろうか」ということでした。

 8月の最後の週あたりに「中学生が自ら命を絶った」というニュースが報道されたりすると、もう気が気ではなくなります。正直言って「こんな報道はやめてほしい」と何度も思いました。報道の自由が大切なのは百も承知ですが、こういう報道に(あお)られて追随する子がいたらどう責任を取ってくれるのかとさえ思いました。そして、瞬時にいろんな子の名前や顔が頭に浮かんでくるのです。最後は「学校には来られなくてもいい、生きていればそれでいい。生きていれば何とかなる」と祈るような気持ちになります。

「2022年の一年間に自殺した日本の若者(小学生から高校生)は514人に上り」、国は今年4月に発足した「子ども家庭庁」(以下、家庭庁)に「自殺対策室を設置」し、6月には「こどもの自殺対策に関する関係省庁連絡会議」(以下、連絡会議)が「こどもの自殺対策緊急強化プラン」を取りまとめ」ました1)

 すでに学校には、スクール・カウンセラーやスクール・ソーシャルワーカーなどの専門家が配置され、児童生徒の心のケアをしてもらえるようになりました。しかし、「周りの大人がこれだけクモの糸を垂らして、『相談してね』と呼び掛けても、子どもは来ない、来ることができない」2)状況が続いています。24時間365日誰でも無料・匿名で利用できるチャット相談窓口「あなたのいばしょ」(NPO法人)理事長の大空(こう)()氏によれば、寄せられる相談内容の多くが学校に起因したものだといいます(学校の責任だという意味ではありません)。

 大空氏は家庭庁の連絡会議に有識者の立場で参加し、自殺対策の課題として「スティグマ」からの回避を挙げています。一般に「スティグマ」は烙印という意味ですが、ここでは「思い込み」に近いと考えた方がいいでしょう。大空氏は次のように指摘します。

「『相談することは恥ずかしい』『相談したら負けだ』『大人にはどうせ分かってもらえないじゃないか』と子どもたちは思っている」「スティグマは文化なので、仕組みや教育で変えられる部分もあると思うが、いくら相談の受け皿を増やしても、この部分が変わらない限り難しい。」3)

 私たちがいくら子どもに寄り添おうと努力しても「文化」としてのスティグマの前には、いかにも無力です。なぜなら、「文化」には必ず「規範」が含まれ、社会的規範は「世間の常識」に繋がるからです。『相談することは恥ずかしい』『相談したら負けだ』という子どもの声は、「辛くても自分が頑張らなければ何も解決しない」という社会的規範(当たり前とされていること)は、子どもに大きなプレッシャーとなることがあるのです。つまり、「世の中で当たり前だと言われていることが自分にはできない。当たり前を決めているのは大人だ。だから大人がわかってくれるはずがない。」と思い込んでしまう、それが「スティグマ」の正体です。

 教育に指示や指導は欠かせません。でも、そのために子どもは教師との関係を「タテ」の関係と捉えがちです。そして「タテ」の関係は変えることのできない「規範」であると思い込み、適応できない自分を追い詰めてしまいます。その状態を緩和するのが、「ヨコ」や「ナナメ」の関係です。「ヨコ」とは「子ども同士」の関係、「ナナメ」とは家庭や学校以外の大人との関係(例えば地域の人や各種相談機関の相談員など)のことです。特に現代では、「ナナメ」の関係は学校が意識して機会を作らなければ自然発生的に築かれるものではなくなっています。

 人が本音で相談できるのは、自分をまったく知らない人であることが多いものです。だから、普段の様子が知られていない「ナナメ」の関係の相手には、何の利害関係も上下関係もなく安心してすべて話せるのです。  

 例えばゲストティーチャーの招聘は、第三者との出会いを生み出すきっかけになるかもしれません。また、「あなたのいばしょ」のような相談機関を紹介することによって、「ナナメ」の関係にある大人が社会の規範としての文化を柔軟に理解していることに気づくかもしれません。そうした気づきが、子どもを救うこともあるのです。

 これから起こり得るすべての悲劇を防ぐことはできないのかもしれません。でも、学校という枠組みをほんの少し緩やかにするだけで、どの学校にもできることはあると思うのです。

 ちなみに大空氏は、「2学期の始業式を朝からやらなくてもいいのではないか」と述べています。実際に可能かどうかはわかりませんが、要はこのくらい柔軟な発想が必要だということなのです。

1) ~3) 2023年8月22日教育新聞デジタル「子どもの自殺対策 「あなたのいばしょ」の大空幸星さんに聞く」

参考)NPO法人「あなたのいばしょ」ホームページ:https://talkme.jp/

(作品No.230RB)

笑顔の意味

私が初めて不登校の生徒を受け持ったのは、新任から5年目でした。中学1年生の彼は小柄で見た目はすごくかわいらしい男の子でした。あまり多くを語ることがなく、深く考えることもなく、ただただ、おびえた瞳を周囲に向けていました。

彼の姉は学年トップクラスの成績で、部活動でもキャプテンをしていました。人前でも堂々と話すことができる、いわゆる優等生でした。

それに比べて彼は、不登校になる前から勉強は大変苦手でした。小学校からの書類でも、5段階の3は一つのなく、中学校に入ってもさっぱり授業についていけなかったようです。

彼の不登校(当時は登校拒否といわれていましたが)が本格的になったのは、1年生の2学期ころだったと思います。

毎日のように家庭訪問をしましたが、彼は私に会おうとはしませんでした。母親は、私が行くと話が止まりませんでした。時には、学校に来て相談室で数時間話し続けたこともあります。話の内容は、彼のことではなく、彼の父親、つまり母親からすると夫のことばかりでした。

とにかく、その父親は毎日のように息子を大きな声で怒鳴りつけ、いうとおりにしないと思い切り殴ったり、蹴ったりしているというのです。今から30年も前のことですから、虐待防止法などありません。いや、虐待という言葉すらまったく頭にありませんでした。

父親は、息子の箸の持ち方が悪いと言っては怒鳴り、猫背になっていると言っては背中を蹴り上げていました。そして、中学校で初めてもらって帰ってきた通知表に1と2ばかりが並んでいるのを見て、怒りが最高潮になりいままで以上に暴力をふるいました。そして、ついに母親にも手をかけるようになっていったのです。

母親が学校に突然やってきて長々と話をするようになったのもちょうどその頃です。母親は家に帰りたくなかったのです。だから、少しでも私との話を長くして帰るのを遅くしようとしていました。

一度だけ父親と話をしたことがあります。そのとき父親が言ったのは、「先生、通知簿の3は「普通」ってことですよね。私はこいつ(息子)に特別いい成績をとってこいとは思わない。上の娘とは違うことも分かっている。でも、せめて「普通」くらいにはなれって思うんですよ。間違っていますかね。」

そのとき、私は父親にその子にはその子の個性があるというようなことを言ったように思いますが、父親が鼻で笑ったのをはっきりと覚えています。「あんた、自分の子じゃないからそんなことが言えるんだ」

彼の家の中は日増しに荒れていきました。彼はまったく学校に来なくなりました。家の中では、昼間母親と二人きりになり、母親に無理難題を吹っかけて母親がそれを拒否すると、母親に向かっていろんな物を投げつけるようになりました。そして、家の中の物を次々に壊していきました。リビングの大きなガラスまで割ったこともあるといいます。

父親はそのことを知っていましたが、彼は父親の前ではおとなしくしていたので、結局「お前が甘やかしたらこうなったんだ」と言って取り合ってくれませんでした。

ある日、我慢しきれなくなった母親は一人で家を出たそうです。父親は、あっちこっちを探し回りましたが、見つかりませんでした。学校には時々母親から電話が入りましたが、居場所は知らせてくれませんでした。「もう二度と戻る気はありません」と電話口で泣いていました。学校にしか(私にしか)こんな話をする相手がいなかったようです。

ところが、しばらくして家庭訪問をすると母親が家に戻っていました。結局行くところがなかった、仕事もこれまでしたことがなく、探してもどこも雇ってくれない。経済的にどうにもならなくなったのが大きな理由だったようです。

そのことがあっても、父親はまったく態度を変えることはありませんでした。息子である彼の荒れ方もさらにひどさを増しました。

ある日、彼が「ミニバイクを買え」と母親に言いました。当時、ミニバイクはとても高額であったし、子ども用のバイクは法律で定められたサーキットコースなどでしか乗ることができないものですから、さすがにそれはできないと母親は拒否しました。

すると、彼は火が付いたように家の中で暴れまわり、家の中は惨状と化しました。母親の額からは、彼が投げた時計が当たって血が出ていました。母親は「殺される」と感じたと言います。結局、息子の要求を拒み続けることができずにミニバイクを購入してしまいました。一応購入時には、家の庭以外では乗らないように話はしたようですが、実際にバイクが届くとそんな約束はまったく忘れたかのように、毎日彼はそのバイクに乗って遊びに行きました。

その頃はまだ不登校の生徒は非常に少なく、マンモス校だった私の学校の中でも珍しい存在でした。同じクラスの子のなかで「あいつ、きのうミニバイクに乗って遊んでいた。サボってるだけじゃん」という会話が聞こえるようになりました。

彼は今思えば特別に支援が必要な子だったと思います。周囲の目を気にせず、法に触れるミニバイクを大勢の人がいる公園で乗りまわしていました。人目をはばかるという感覚はほとんどなかったようです。

とうとう彼の行動は、警察の知るところとなり、バイクに乗っているところを補導され、母親が引き取りに行くことが何度か続きました。それでも彼はまったく懲りる様子もなく、同じことを繰り返しました。その結果、警察は自宅から遠く離れた児童養護施設送致を決めました。まだ中学生であることを考え、実際に施設に連れて行くのは家庭で行うように通告を受けました。しかし、そんなこと母親にできるはずもなく、結局私が付き添うことになりました。施設に行く日、それまでまったく無関心だった校長が突然「私がも本人を説得する」と言って、私と一緒に彼の家に行きました。校長は、ただただ「こんなことをいつまで続けるんだ」という説教ばかりでした。彼は無理やり家から出そうとした校長の手を振り払い、泣き叫びながらリビングのテーブルの脚にしがみつき、離れようとしません。それでも校長は説教まがいのことしか言いませんでした。最後は言うことがなくなって、彼の名前を何度も大きな声で叫ぶばかりとなりました。それを見て私は、この校長の人としての「浅さ」にあきれました。

仕方なく、私は校長を彼から引き離し、力づくで彼をテーブルの下から引きずり出し抱きかかえて車に押し込みました。それしか方法はないと思ったのです。かわいそうだとは思いましたが、このままでは、この家は完全に崩壊する。いや、もうすでに崩壊している。こんな両親のところにいても彼にとって何のプラスにもならない。ここであきらめたらきっと今度は警察がやってきて強引に連れていくでしょう。それだけは避けたいと思いました。私は彼に一生恨まれるかもしれないと思いましたが、校長のように自分の立場でしかものが言えないよりははるかにましだと思いました。いま思うと、校長が突然彼の家に行くと言い出したのも、警察が教育委員会を通じて対応を迫ったからだと思います。上の命令には逆らいたくなかったのでしょう。

とにかく、彼を車の後部座席に押し込みました。はっきりとは覚えていませんが、たぶんその時、施設側の車が彼を迎えに来ていたと思います。

施設までの車中、意外にも彼は暴れたりはしませんでした。小一時間かけて施設に着き、職員に連れられて中に入っていきました。その職員は車に同乗していた私と母親に、「里心がでないうちに、このままお帰りください」と言って、同じ車でそのまま引き返しました。

施設は、小高い山の上にあり、帰る道は施設の近くを周回するように続いていました。私は複雑な気持ちでぼんやりと車の窓から見える施設を眺めていました。と、その時です。彼の姿が見えたのです。私はびっくりしました。私の目に飛び込んできたのは、これまで一度も見せたことのないような晴れやかな笑顔だったのです。その上、元気よく私たちに向かって大きく手を振っていたのです。「えっ、どうして?」と私は戸惑いました。時間にしてほんの数秒の出来事でした。

若かった私には、その時の彼の様子を見て、正直「気味の悪さ」を感じました。その感覚はホラー映画を見たときとよく似たものでした。怒りや憎しみを遥かに超えた、なにか得体のしれないものが彼の心に宿っていると思い、体が震えました。それは教育者としての感覚ではなく、恐怖に近いものでした。

彼はその後、中学卒業まで施設にいました。その施設に入るということは書類上転校扱いになっていました。転校先は近隣の中学校になります。でもそれはあくまでも書類上のことで、彼が施設を出て「転校先」の中学校に通うことはありません。ただ、卒業に当たっては元いた学校に再度籍を戻します。そのため、彼は私の勤務校の卒業生ということになります。記録上は、施設に入っていたことは公になりません。

私は、自分の中学校の卒業式が終わった後、彼の卒業証書を持って施設に行きました。施設の職員と彼と私だけの卒業式に参加するためです。私は、二年半ぶりに彼の名前を呼び、卒業証書を渡しました。彼は両手を差し出し、私から卒業証書を受け取りました。けれど、一度も顔を上げることはありませんでした。「式」は5分ほどで終わり、施設の職員から「彼はとてもまじめにここで頑張りましたよ」と私に伝えてくれました。

私は、あの笑顔の意味を聞くことができませんでした。式が終わってからも私に視線を向けることのない彼の姿を前にして、何を言ってもウソになるような気がしたのです。ここで何か言えば、あのときの校長と同じように教師としての立場だけで取り繕うことになる気がしました。

それから彼がどんな人生を送ったのか私にはわかりません。30年の時を経て、あの時の笑顔は、安堵の笑顔だったのかもしれないと思うようになりました。入所中、施設からは彼は知的に障害があり、周囲の状況を正確に判断できないと連絡を受けていました。でも、本当はすべてを理解していたのかもしれません。毎日が戦場のような家庭で、もがき苦しんで、それでもそこにいるしかなかった自分を冷静に見つめていたのかもしれません。

だれでもいいから、無理やりでもいいから、俺をこの戦場から救い出してくれと心の底で願っていたのかもしれません。彼が施設の前から手を振ったのは、あきらめや憎しみではなく安心して過ごせる日常をやっと手にすることができるという、ほっとした気持ちだったのではないかと思うのです。

勝手な言い分かもしれませんが。

「気分」がもたらすもの

近年、不登校児童生徒が増えています。全国の国公私立小中学校で2021年度に30日以上欠席した不登校の児童生徒は24万4940人(文部科学省の問題行動・不登校調査)となり、過去最多となりました。コロナ禍の影響を差し引いたとしてもかなりの数です。

 不登校の原因は必ずしも明確ではありません。文部科学省は、原因別のデータも公表していますが、そこに示された数字は各学校の判断を集計したものです。学校側の判断と不登校児童生徒の本音との間にズレがないかどうかの検証はなされていません。結局のところ根本的な原因は、はっきりしないというのが学校現場の実感ではないでしょうか。 

原因が曖昧(当然、明確な場合もありますが)であるとすると、具体的な打開策を打ち出すのも難しいということになります。個々に異なる原因に対応するために学校ではスクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)などが配置されて、大きな効果を上げています。しかしながら、SCやSSWへの相談件数は年々増える傾向にあり、SCの予定表はすぐにいっぱいになります。予約を取ろうとしても数週間後などということも珍しくありません。専門家の増員はすぐにできないでしょうから、学校は個別対応以外の方法も考える必要がある時期にきていると思います。

 こうした状況の中で最も有効な打開策は、児童生徒にとって学校を「行きたい場所」にすることです。そこに「会いたい人(先生や友人など)」がいて、「やりたいこと」があれば、子どもは進んで学校に足を運ぶでしょう。しかしそれは、そんな簡単なことではありません。偉そうなことを書いている私も、これまで学校をすべての子どもにとって「行きたい場所」にしてきたなどとは決して言えません。これだけ価値観の多様化が進み、教員の多忙化が過労死レベルを超えている状況の中では、かなり困難なことだと言わざるを得ません。

 でも、私たちに向かうべき方向を示唆してくれる、次のような指摘もあります。

「子供の楽しい成長のための第一の条件は、「幸福で、悩みのない、不安や心配を背負ってい  ない、心の本質的な気分である。この気分を育て、守り、避けがたいあらゆる障害の後にこれを取りもどさせることが、教師にたいする最高の要請なのである。」1)(ボルノー)p60 

「気分というものはけっして心の表面的なつまらないたわむれではなく、むしろそこから初めてあらゆる個々の仕事が生まれ、それらを持続的に一定のものに保つ土台である……」2)(ハイデッガー) 

 

「気分」という言葉は「楽しい気分」、「悲しい気分」など、真逆の場面で使用可能であることからもわかるように、非常に曖昧さを含んでいます。そんな曖昧なもので何が解決できるのかと思いますが、ハイデッガーはすでに約100年前に、人間の最も根源的な部分は「気分」だと主張し、今も「実存哲学」として受け継がれています。私たちには学校全体に「楽しい気分」を広げ、一人でも多くの子どもをその「気分」に引き込んでいく工夫が求められているのだと思います。

「教育のすべて、とくに学校教育と施設の教育は、人生のまじめさを強調しすぎて、遊びをなおざりにする危険にさらされているので、このことはきわめて重要である。これらの教育はすぐに喜びのない、灰色の雰囲気を生みやすいし、勉強や一般に自分の活動へのすべての楽しみや愛を、子供からなくしてしまうのである。」3)(ボルノー)

 ボルノーが指摘する「遊び」とは、「楽しい」と感じる「気分」に満たされている時間や空間によって支えられるものであり、休み時間だけでなく授業中や教職員との会話の中でも成立するものです。誤解を恐れずに言うなら、不登校の原因の多くは本質的な意味での「気分」にあるのではないかと思います。私たちは、個別の対応を専門家に頼りながらも、同時に子どもたちの希望にあふれた「気分」をいかに高揚させることができるかという難題に挑戦する姿勢を子どもに見せることが大切ではないかと思います。

1)O・F・ボルノー、浜田正秀訳(1996 初版1996)『ボルノー 人間学的に見た教育学』      玉川大学出版部、p60、下線は引用者による)

2)前掲、p60(ハイデッガーの1927年の著からボルノーが引用したもの)

3)前掲、p61

※ここに書いた考察は、不登校に関する重要な論点のほんの一部に過ぎません。不登校につい て今回書ききれなかった内容については、別の機会に述べたいと思います。

自殺防止と学校のあり方

「令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議まとめ」(以下「審議まとめ」)によれば、令和元年度と令和2年度の自殺者数は、小学生8人から14人、中学生は112人から146人、高校生279人から339人といずれもかなりの増加となっています。

 なかでも、女子の自殺者の増加が顕著で、小学生で100%、中学生で46.8%、高校生で75.0%増加しています。

 令和3年度は若干の減少に転じた(100名減)ことから、コロナ禍の影響、特に休校措置による影響が大きいことが推測されます。

 子どもたちは、コロナ禍の休校措置によって、長時間家で過ごすことを余儀なくされました。友達と会って、何気ない会話をすることさえできない状態が長く続きました。このことが何らかの影響を与えたことは十分に考えられます。

 しかも、保護者もテレワークなどによって在宅勤務が増えたため、もともと親子関係に苦しんでいた児童生徒にとっては、非常に厳しい環境になったとかんがえられます。

 すなわち、関係が悪くなっている保護者と過ごす時間が増え、これまで日中友達と交流することでできていた気分転換や気晴らしなど、精神的に解放される時間が極端に減り、極度に息苦しさを感じる子どもが増えたのでしょう。なかには、家屋の関係(自分の部屋がないなど)によって必然的に保護者と長時間同室にいなければならなくなったために精神的に追い詰められてしまった子も少なくないでしょう。

 そして精神的に追い込まれた上に、せめてSNSなどで友達とつながろうとしても、すぐそばにいる保護者から「いったい何時間スマホばかりやっているんだ」などといった叱責の機会が増え、さらに追い込まれてしまったとも考えられます。逃げ場がない状態に追い込まれてしまったのです。

 女子の自殺者数が増えた原因については、専門家でもない私が軽々に語ることはできませんので分析は控えますが、明らかに有意な差はあるだろうと思われます。

 先に挙げた文科省の「審議まとめ」にもあるように、皮肉にもコロナの拡大による休校措置によって、子どもたちにとって学校が大きな意味を持っていたことが明らかになりました。日常的に、友達に会い、様々な行事や取り組みによって創造的な活動を行なうことが、子どもたちの命を守るために大きな貢献をしてきたのです。それが強制的に停止されたことによってくっきりと浮かび上がってきました。

 こうした状況を踏まえて、私たち学校関係者が考えなければならないことは主に次の二つであると思います。

 一つは、仲間と呼べる存在の重要性を教員が今まで以上に理解することです。学力の保障も大切ですが、学校で様々な人と触れ合うことの重要性をこれまで以上に自覚しなければなりません。やはり人間は一人では生きていけないのです。「審議のまとめ」にもありますが、自殺の原因の中で精神疾患に関わるものが最も多い(ただし、この分析が警察による聞き取りをもとにしていることには注意が必要ですが)ことは、そのことを如実に物語っています。

 もう一つは、コロナ以前から不登校児童生徒が増えていることをどうとらえるかです。コロナが明らかにした人と繋がりの重要性を目の当たりにして、考えるべきことは、コロナ前から、その繋がりを絶たれてしまっている子どもがたくさんいるということです。そこにこそ目を向けなければなりません。

 換言すれば、そうした子どもたちを生み出しているのは、現在の学校のあり方そのものに原因があるのではないかという視点を持たなければならないということです。令和2年度に比べて令和3年度の自殺者が100名減ったといっても、まだ一年に400人近くの子どもが自ら命を絶っているのです。当然のことながら、その原因をコロナに求めることはできません。

 学校にとっては当たり前の日常が、実は不登校を生み出している要因になっているのではないかと内省することが必要なのです。

 それは、不登校の児童生徒を減らすことを目標にしていたのでは根本的な解決にはなりません。学校のあり方が、本当に子どもにとって魅力あるものになっているのか、どうしても学校に来られない子どもに信頼できる誰かに繋げる方策は他にないのか、それを問い続けなければ悲劇を失くすことはできないでしょう。

(作品No.206RB)

退職生活と不登校

退職して一か月ほど、まったくの無職の期間がありました。収入はなくなりましたが、時間だけは有り余るほどありました。最初のうちは、自分のしたいことを好きなだけできる喜びで満ち溢れていました。私の場合、辞めたらブログを立ち上げたいと思っていたので、その手続きやブログに載せる文章を書くことで、一日があっという間に過ぎていきました。

 でも、しばらくすると自分一人で活動することになんとなく違和感を覚えるようになりました。毎日、楽しいのですが、自分だけでやっていることには、どんな意味があるのだろうという葛藤のようなものが生まれたのです。

別に何かの試験に合格しなければならないわけでもないし、上司に課せられた仕事があるわけでもないのですから、自分が楽しければそれでいいと言えばいいのですが、それでも、何となく落ち着かないのです。それは、ある種の罪悪感に近いものでした。

 しかも、その罪悪感は自分に向けられた罪悪感とは少し違うのです。何か、人としてもっと根源的なもののような気がするのです。大げさかもしれませんが、それは生命体として生まれ落ちた時からもっている「何か」であるように感じたのです。説明できない直感のようなもので、怠惰を否定する社会の規範から生まれるような表層的なものではなく、何かにせっつかれるような気分なのです。

 そして、最近思い始めたのが、こうした私の感覚は、ひょっとしたら不登校の児童生徒の心情にも同じようなものがあるんじゃないだろうかということです。彼らの精神状態は、私のようにのんびりと過ごす老人の気分とは、その深刻さにおいてまったくレベルが違うものだとは思いますが、それでも共通点はあるように思うのです。

周知のとおり、不登校は年々増え続けています。実数はもちろんですが、これだけ少子化が進んでいることを考えれば、その増え方は尋常ではありません。今や中学校ではクラスの中で5~6人はいる計算になるといいます。

 ただ、逆の見方をすれば、他の34~35人は登校できているのです。それが、不登校の子にとってみれば、非常につらいことなのです。なぜなら、大半の子が当たり前にできていることが自分にはなぜできないのかという罪悪感がそこに生まれるからです。

 不登校の子どもにとって、世間は非常に気になる存在です。いくら「あなたはあなたのままでいいんですよ」と言われても、納得できません。むしろ、そんなことを言われたら「見放された」と感じてしまうでしょう。つまり、自分以外の「声」が頭の中で大きな声を上げて自分を否定していると感じてしまっているのです。自分の中にある「世間」が、自分を「何をやっているんだ」「もっとしっかりしろよ」とせっついてくる。それが、彼らの感じる最も重い重圧となるのです。

 私の抱いた感覚も、レベルこそ違え、自分の外側から「お前のやっていることは、本当に自分の人生にとって有益なことなのか」という「せっつき」の声が、つかみどころのない罪悪感を生み出しているのです。共通するものがあると感じたのは、どちらも「せっつかれる」感覚があるからです。ただ、私の場合はたとえ「せっつかれて」もその先にあるものは、自分のやりたいことをどうするかという希望へとつながるものです。それに対して不登校の子への「せっつき」は、自分を完全に否定されていると感じる「せっつき」です。そこが大きく違うところです。

 最近、不登校について書かれた本をいろいろと読みながら願うことは、自分の外から聞こえてくる「声」も、いつか必ず自分の中に蓄積されていくエネルギーによって、少しずつ小さなものになっていき、いずれはそれが自分の生きる指針となるということに気づいてほしいということです。

その気づきを得るのは、子どもだけではなかなか難しいでしょう。学校に「普通」に通っている子が、何も自分よりも偉いわけではない、同じ価値を持った人間なのだと思える環境を大人はつくっていくべきです。

 今、学校は、多くのことを背負いすぎています。それが、教員の疲弊につながっています。しかし、問題はそれだけではないのです。学校が、たとえ善意であったとしても、過剰に多くのものを抱え込んでしまったが故に、学校から外れたときに、自分には何も残らないのではないかと子どもは錯覚してしまうのです。

学校の相対化は必ずしも歓迎できるとは思いませんが、それでも、胸を張って既成の学校以外を選択できる社会の空気みたいなものが必要です。それには、ホームスクールも含めて、フリースクールなども、その学習内容に応じて学校として認めていかなければ、不登校の子どもの苦しみは消えません。国も「不登校特例校」(このネーミングもセンスがないと思いますが)を設置していますが、選択肢として市民権を得るには、まだ数が少なすぎます。

 また、既成の学校が選択肢の一つになることに拒否反応を示す教員は多いと思います。でも、苦しんでいる子どもを放置してまで、今の学校だけを学校とすることにどれだけの意味があるのかと思います。

 子どもたちに、多くの、そして「正規」の選択肢を与えることができれば(社会的に用意できていれば)、最初の学校に合わなかったとしても、しばらく休憩すれば身近にある別の学校に手を伸ばすことができます。それは、自分の罪悪感を消すための行為ではなく、積極的に「生」を求める行動としての選択になると思うのです。

とはいえ、私は、いわゆる新自由主義者が訴える(すでに実施されている)学校選択制には賛成できません。それは、必ずしも苦しんでいる子どもを救うために有益であるとは思えないからです。この制度には、学校を競争原理によって学校の質を向上させようとする意図が透けて見えます。競争は必ず結果を求めます。誰の目にも明らかな数値としての結果を学校に求める危うさが伴います。

不登校の子どもは、競争原理に決して馴染むことはないでしょう。比較や競争に耐えられないからこそ学校に足が向かないのです。

そこには、彼らを追い込んでいる「声」が大音量となって響いている気がしてならないのです。

(作品No.182RB)

不登校はマイノリティか?

「不登校は、もはやマイノリティとは言えない」

先日某市の市長が、ある研修会の開会挨拶で述べた言葉です。その市長は、自分の市内の不登校の人数を具体的に挙げながら、不登校児童生徒が急増していることに危機感を表明しました。全国でも不登校児童生徒の数は上昇の一途です。文部科学省が10月27日に公表した「問題行動・不登校調査」(全国の学校を対象。2021年度実施)によれば、「病気や経済的理由などとは異なる要因で30日以上登校せず「不登校」と判断された小中学生は24万4940人」で過去最多となっています。最も多いのが中学校で、中学生全体の4%を越えています1)。これは、コロナ禍の影響を差し引いたとしてもかなりの数です。「不登校」を単純に「問題」とすることには抵抗を感じますが、学校に行けないことによって多くの子どもたちが、悩み、苦しんでいることは確かです。市長が危機感を口にするのも無理のないことでしょう。

それにしても、4%というのは、かなりの数です。全校生徒500人の中学校なら20人が不登校となっていることになります。この規模の中学校の全校の学級数は13クラスあまりですから、各クラス1~2人いることになります。しかも、これはあくまでも平均値ですから、学校によっては3~4人くらいいても不思議ではありません。

ただ、見方を変えれば96%の中学生は登校できているのです。この96%の子どもたちはなぜ登校ができているのでしょうか。実は、それを考えることが不登校現象の根本的要因に迫るために欠かせない視点なのです。現在曲がりなりにも登校できているすべての子どもが、楽しく、充実した学校生活を送っているとは限りません。もしかしたら、大半の子は「グレーゾーン」に入る「不登校予備軍」なのかもしれないのです。

「グレーゾーン」とは、森田洋司氏が『「不登校」現象の社会学』(1991年、学文社)において、登校している子どもたちの学校に対する結びつきの強さ(ソーシャルボンド)は、個々に違っており、いつ不登校になってもおかしくない子どもが一定数いることを明らかにしたものです。そうした子どもたちは、学校に対する弱い絆しか持ち合わせていません。それが何に由来するのかを知ることが、すでに不登校になっている子どもたちへの支援策にもつながるのです。

こうした状況の中、教員は誰もが、不登校を減らすために全力を尽くしています。学級担任が密に連絡をとり、家庭訪問をし、スクールカウンセラーなどの専門家の力を借りながら、校内でのケース会議を開いて対応を協議するなど、可能な限りの対応を行っています。それでも、不登校生徒は増え続けています。なぜか。それは、多くの場合、学校の対応が不登校児童生徒に限られてしまっているからです。それが、対応の基本であることは確かです。また、一定の効果も上げてきたのも事実です。でも、対応を不登校の子にだけに限っていても状況を大きく変えることは非常に困難です。誤解を恐れずに言えば、それはある意味で「対症療法」にとどまっていると言わざるを得ません。つまり、不登校の要因を子どもの「個人」の中にのみ求めようとしては、根本的な要因に迫ることはできないのです。このことは、先に挙げた森田氏が約30年前に、すでに指摘していることです。

不登校に至った理由は、さまざまです。一人ひとり違うと言ってもいいくらいです。でも、大きな共通点があります。それが学校に対する抵抗感です。

その抵抗感の由来が、自分自身の気質の問題であるのか、教員に対するものなのか、友だちに関することなのか、あるいは学級というシステムそのものに対するものなのかは、生徒によって違うでしょうが、どの子にも学校に対する「抵抗感」は存在するのです。もし、何の抵抗感もないのであれば、おそらく登校できているでしょう。重要なのは、その抵抗感は、現在登校できている生徒たちの中にも存在しているということです。だからこそ、登校できている子がどういう理由で登校できているかを細かく分析し、学校に対してどのようなイメージを持っているのかを把握しておく必要があるのです。全校生徒にアンケートを定期的にとったり、教育相談の機会を増やしたりしながら、ぎりぎりのところでかろうじて踏ん張っている子どもたちから学ばなければなりません。そうした子が、今現在、学校に対してどんなことを感じているか、それを把握することがすべての生徒を救うことになるのです。

不登校の原因を登校できない子の中に求めても限界があります。なぜ学校に行けないかを明確に説明できる不登校生徒は多くありません。本人にもよくわからないことが多いのです。何だかよく分からないけれど教室が怖いと感じる子もいますし、何のために学校に行くのか分からなくなっている子もいるでしょう。いずれにしても、体が学校に向かなくなってしまってからでは、本人に冷静に自分を分析しなさいと言ってもできるはずがありません。

だからこそ、「予備軍」の生徒に教えてもらわないといけないのです。そのための第一歩として、瀬戸際に立っている生徒を見つけ出さなければなりません。そのとき初めて学校には、これまで見えていなかったものが見えてくるはずです。学校と生徒をつなぐ力、つまりソーシャルボンドのどこが弱くなっているのかが見えてくるのです。

一部の生徒を除いて、生徒は学校が楽しいと感じられれば学校に来ます。そう思えない生徒に、何がそう思わせてしまっているのか、私たちは謙虚に目を向けなければなりません。

こうしたことを進めれば、これまでの学校の常識を根本から見直さなければならない壁に当たるかもしれません。でも、それを恐れていては、おそらくこれからも教員は増え続ける不登校の対応に忙殺されていくでしょう。しかも、それは「本丸」ではない可能性が高いのです。もし、そうだとすれば教員はただ疲弊するしかありません。

持って回った言い方になってしまいましたが、結局は教員を始めとする学校関係者が、学校のあり方を根本から見直す覚悟をするしかないのです。不登校はもはや単なる「学校不適応」の枠組みではとらえられなくなっています。「不適応」と考える視点は、不登校の苦しみを最終的に個人の責任に委ねてしまうでしょう。なぜなら、「不適応」という言葉が学校が絶対的に正しいという意識によって支えられているからです。「正しい」学校には、適応すべきだという姿勢からは、自分たちのあり方や学校のあり方に目が向けられることはありません。

全校にアンケートをすれば、学校が混乱するだけだと思うかもしれません。解決しようのない問題が出てきたらどうするんだという人もいるかもしれません。でも、だからこそやるべきなのです。そこを避けているうちは、言われのない苦しみを一身に受けてしまった不登校の児童生徒を救うことはできないでしょう。そして近い将来、不登校がさらに増え、抜き差しならない状態になってしまったら(今でも十分深刻ですが)、学校の先生には任せておけないとして、公設民営化などによる市場原理の波に吞み込まれてしまうかもしれません。すでに公立学校離れは進んでいます。それは、必ずしも都市部に限ったことではありません。そうなれば、教育格差は今以上に広がります。そこに、教育の本質は残されているのでしょうか。

冒頭の市長の言う通り、もはや不登校はマイノリティではありません。「グレーゾーン」を含めれば、学校に抵抗感を抱く子どもたちは、すでにマジョリティなのかもしれないのです。

(作品No.178RB)

オンリーワン

世界には一人として同じ人間はいないという意味で、すべての人はオンリーワンだと言われます。ただ、オンリーワンはナンバーワンに比べてわかりにくいものです。オリンピックで金メダルを獲った人や、何かの大会で優勝した人は誰の目にも明らかにナンバーワンであることがわかりますが、オンリーワンというのは、どこかつかみどころのなさを感じます。

それでもオンリーワンという言葉は魅力的な響きを持ちます。そこに、すべての人にはそれぞれに違った個性があるのだから「そのままの自分でいいんだ」という優しさが含まれているからでしょう。同時に、他の人と比べることの虚しさも教えてくれます。

でも、オンリーワンは直訳すれば「ただ一つ」という意味です。もし、自分の中に他の人にはない「ただ一つ」が見つけられなければ、自分はダメな人間じゃないのかと感じてしまうこともあります。思春期を迎えた子どもが、そういう自信のなさのために自己肯定感を下げてしまうことも少なくありません。この悩みは大人が考えている以上に深刻なもので、中には家に閉じこもってしまうケースもあるといいます。オンリーワンの個性を「持ちたい」と思っているときはいいのですが、「持つべきだ」という規範として受け止めてしまうと一種の圧力となります。この点について社会学者の土井隆義氏は次のように指摘しています。

「個性的な存在たることに究極の価値を置くこのような社会的圧力の下で、彼らは、自己の深淵に隠されているはずの潜在的な可能性や適性を見出そうとあせり、絶えざる焦燥感へと駆り立てられています。」(土井隆義2004『「個性を煽られる子どもたち』岩波ブックレットNo.633、p38 下線は引用者による)

思春期の子どもは「自分は何者なのか」と自問します。そのとき、「こうありたい」とか「こうあるべきだ」という自分像と、現実の自分とのギャップに悩みます。思春期の子どもが気難しくなりやすいのは、そういうギャップが解消できないもどかしさによって気持ちの波が激しくなるからでしょう。所謂アイディンティティ(自我同一性)確立に関わる悩みです。

さて、ここで一つの矛盾に気づきます。オンリーワンという概念に従って「ただ一つ」であることを実感しようとすると、必然的に他者との比較が必要になってしまうのです。自分の個性が「自分にしかない」ことを証明しようとすれば、比較対象となる他者がいないとできないからです。アイディンティティの問題で悩む子に「あなたらしく生きればいい」と言ってもなかなか伝わらないのは、そう言われた子が、自分らしさを(土井氏の指摘する)自分の中にあるはずの「潜在的な可能性や適性」に見出そうとしてしまうからです。つまり「個性」が自分の内側(生まれ持った資質など)のどこかにあるはずだと思ってしまうのです。しかし、そもそも人間は他者なくして「個性」をつくることはできません。オンリーワンという概念は非常に魅惑的ですが、個性をつくり上げるために欠かせない「他者」の存在を薄めてしまう危険性もあります。

他者と自分を比較して、劣等感を抱いたり、優越感に浸ったりするのは愚かな行為だと思います。しかし、世の中に自分と他者を比べないで生きられる人がどれほどいるのでしょうか。ましてや、子どもなら無意識に比べてしまっても責めることはできないでしょう。

私たちは他者と自分を比較することを「良くないこと」として否定するのではなく、その比較の仕方によっては、自分の「個性」を形成する大切な作業になりうると伝える方が、よほど説得力があると思うのです。「あなたの苦しみは、かけがえのない自分をつくるために必要なことなんですよ」というメッセージをどう伝えるかが大切なのではないかと思います。

そもそも、何に、どう悩むか、それも自分らしさの一つなのですから。

(作品No.97BA)

「折り合い」

野球界で「怪物」というと松坂大輔氏ですが、昔、私の住む近隣にもかなりの怪物がいました。

その「怪物」に出会ったのは20年以上前の県大会新人戦の3回戦。私はS中学校の顧問でした。1回戦で4番の出会い頭の本塁打で1-0で辛勝。2回戦は、それまでノーヒットの子がサヨナラヒット。勢いに乗って3回戦に臨みました。勝てばベスト8。地区大会から失点0で勝ち上がっていたので、ワンチャンスさえものにすれば、勝算は十分にあると思っていました。そこに「怪物」が現れたのです。その怪物の名はK。私は投球練習を見て「なんだこいつは」と思いました。普通、中学生の投げるボールは手から離れる瞬間に、どのくらいの高さにくるかくらいはベンチからみていても見当がつくつくものです。ところが、「これはワンバウンドになる」と思う球が、低めでグイっと伸びてストライクゾーンに入ってくるのです。「これは打てん」と思いました。何度かセーフティーバントを試みましたが、守備も抜群。絶妙のバントもあっさりアウト。そのうち、無失点だったエースが失策絡みで一挙4失点。最終回二者連続二塁打で何とか一点を返すのがやっとでした(よく打ってくれた)。

そのK選手、県内のH高校を経て、ある年高校生ドラフト1巡めの指名でプロに入団。2年後に初先発初完封を記録。その後故障に苦しみ、思うように勝ち星を重ねることができませんでしたが、11年もの長い間プロに在籍していたのはすごいことです。

K選手もそうですが、どんなにすごい素質を持っていても、あるいはイチローのようにストイックに努力を続けられる人でも、どこかで「折り合い」をつけなければならないときがきます。つまり、方向転換する(引退するなど)日が必ずくるのです。私たちは、子どもたちに夢を持てと言い、君たちには無限の可能性があるとも言います。それはウソでも間違いでもありません。でも、時にはこの「折り合い」についても触れてやるべきなんじゃないかと思うのです。プロを夢見る野球少年は全国で何万といるでしょうが、夢が叶うのはほんの一握りです。そのほとんどが、どこかで方向転換を余儀なくされます。でも、その方向転換を「折り合い」とするか「諦め」とするかでは大きく違います。「折り合い」は「意見の違いのある場合など、互いに譲り合っておだやかに解決すること」で「諦め」は「仕方がないと思い切ること」(ともに精選版日本国語大辞典Weblio辞書より重引)。「折り合い」は妥協という意味でも使われますが、それだけでなく、その後どう生きるかという葛藤やそこから生まれる今後の見通しを含んでいます。何よりもそこには自分にしかできない「納得」が含まれています。それが次への一歩につながるのです。

私は夢を持って頑張っている子どもたちに、いつか諦めるときがくるという話をしろと言っているわけではありません。でも、悩んだり迷ったりしている子に「折り合い」のつけ方を一緒に探そうと言うことはできると思います。「折り合い」には納得が含まれますが「諦め」にはすべてを否定しかねない怖さを感じます。

夢や目標を持てない、得意なこともない、そんな自分を弱いと感じ、自らを全人格的に否定してしまう。そのために自己肯定感が持てない若者が増えているといいます。おそらくそれは、ありのままの自分を受け容れられず、いつまでも自分の心に「折り合い」が付けられないために、次の一歩が出なくなっているからではないかと思うのです。

(作品No.20HB)