「事前」の説明責任

学校評価は、平成19年6月に学校教育法を改正に伴って導入されました。文部科学省は、この学校評価の目的として挙げた3つのポイントの一つに、「各学校が保護者や地域住民等に対し、適切に説明責任を果たし、その理解と協力を得る」1)ことを挙げています。

「説明責任」というと、どうしても「事後」の対応を思い浮かべます。たとえば、いじめの重大事案が発生したとき、それに対して、いつどのように対応したか、普段から子どもへのアンケートを定期的に実施していたか、実施していたのならその内容に関してどのように対応をしていたか、などの説明はすべて「事後」に行われます。

 当然、説明をしっかりするためには普段の取組や平素の記録を詳細に残しておくなど、「事」が起こる前の準備は欠かすことはできません。学校は、重大な事案が発生すると大きなダメージを受けます。そのダメージを少しでも減らすために、いつでも説明できるようにしておく視点は非常に重要です。しかし、そうした準備は、ほとんどの場合「事後」の対応を円滑にするために行われます。

 しかし、どんなに正確に記録を残していても、どんなに誠実に対応したとしても、いじめの被害者はなかなか納得してくれません。そこには、何かが足りないものがあるのです。それは、すべてが「事後」に行われるものだからです。前もって言えば「説明」ですが、後になればいくら言っても「言い訳」とされてしまうのです。

 ちょうど学校評価が導入されたとき、私は指導主事として、学校評価の出前講座を担当していました。まだ、学校が学校評価の具体的な在り方を模索していた時期です。県内各地に行くことになったのですが、この制度そのものへの不満もまだ根強く残っていましたので、不安だった私は、近隣の大学の専門家の講義を受けて、学校評価について助言をいただきました。講師先生のお話の中で印象的だったのは、次のような指摘でした。

「学校は評価というと、ついマイナスをゼロにしようとを考えるけれど、もともとその学校が持っている「強味」(プラス面)をグレードアップすると考えた方が前向きになれると思いますよ。不思議なことにプラス面が伸びてくれば、自然にマイナス面が減っていくものなのです。そもそもその方が夢があっていいじゃないですか。」

 なるほどと思いました。

 それから私は、学校にとって「説明責任」とは夢や理想を語ることだと思うようになりました。それは「事」が起きる前だからこそ意味があります。4月の最初に子どもたちに出会ったときや保護者の前で最初に話をするときに、この学校(学級)をいいものにしたいという、教員の思いを事前に語っておくことが「説明責任」の原点なのです。

 そう考えたとき、どの学校でも作成し、多くの学校でホームページで閲覧可能にしている「いじめ対応マニュアル」が大きな意味を持ちます。そこには、学校の方針に始まり、どんな生徒を育てたいかという理想像が描かれ、具体的な対応のフローチャートなどが示されています。中には、いじめ早期発見のチェックリストまでつけられているところもあります。

 自分が管理職だったときに、学校だよりなどでもっと積極的に保護者にアピールすべきだったと、いまさらながら思います。

 また、こうしたマニュアルの元になった「いじめ防止対策推進法」(平成25年制定)の第九条には(保護者の責務等)として以下のような記述があります。

「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。」

 このことも保護者には十分に理解してほしいところです。でも、これも後出しでは責任回避として受け取られてしまうでしょう。

 いじめ防止マニュアルを活用すれば、すべてがうまくいくとは言いませんが、深刻な問題が起こって、それに対応しようとするとき、最初に語った夢や目標、そしてそれを実現するための具体的な方策(早期発見を含む)まで書かれているのですから、「説明責任」を果たす上で、これほど有用なものはないと思います。

 理想を事前に周知しておくことで、「事後」の説明が生きてきます。なぜなら、その「説明」が後出しの「言い訳」ではなくなるからです。

 こうしたことにより、いじめだけでなく、実際に行われた指導にどんな意味があったのかを「事」が起こった後でも納得してもらいやすい風土がつくれると思うのです。

(作品No.197RB)

1) 平成22年10月25日 中央教育審議会答申初等中等教育分科会資料より抜粋(下線は引用者による)

S先生の誠実

 以前、このコラムでもご登場願ったことのあるS教授(当時)に関する話です。

私はS先生のゼミに入っていました。私が内地留学した教職大学院では、2年間で修士論文を書き上げないと修了することができません。1年目にテーマを決め、2年目に本格的に調査や執筆作業を行うのが通例でした。

 とはいえ、すぐに研究テーマが決められるわけではないので、S先生は「まずは、テーマにつながる内容で、今、関心があることをまとめてきてください」とゼミ生にレポートを課しました。一緒に考えましょうというスタンスは、いかにも優しく温厚なS先生らしいと感じました。

 ところが、その温厚な先生を私は激怒させてしまったのです。先生は私の書いたレポートに対してこう言われたのです。「あなたのやろうとしていることは教育ではない!」

私はかなりのショックでした。研究テーマの根本的な見直しを求められるかもしれない、そうなれば、私がここに来た意味がなくなってしまう。まさに、途方に暮れたのです。私の書いたレポートは、当時注目を集めていた教育社会学系の著作をベースに書いたもので、学校の現状を有体に示そうとした内容となっていました。純粋に「教育愛」を追究してきた先生は、一つ間違えば子どもを悪者にしかねないとして、私のレポートを完全否定したのです。

 それから、しばらくして先生の研究室に入ったときのことです。先生はたまたま不在でした。ふと見ると先生の机には真新しい本が積み重ねてあります。おそらく研究費で購入された本でしょう。私は、いったい先生はどんな本を読んでいるのだろうと気になって、不在なのをいいことにそのタイトルを覗いてみました。すると、そこに積み上げられていたのは、なんと、私がレポートの参考文献に挙げた本ばかりだったのです。

 びっくりしました。あれほど否定したのになぜ? と驚きました。でも私は、普段の先生の言動を思い浮かべて、すぐに理解しました。「先生は、自分のことをわかろうとしてくれている」。今後、私の研究テーマについてこのまま否定するにしても、いくらか認めるにしても、とにかく私がなぜこれらの本に魅かれたのかを、実際に読んでみて確かめようとしてくださったのです。そして、ゼミが進むにつれて私の本意を理解してくださり、全面的にバックアップしてくださいました。

 修士論文を書き上げたとき、この話を先生に打ち明け、お礼を言いました。先生は「いやあ、最初、とんでもない人がゼミにきたと思いましたよ。」と笑っているだけでした。その後、先生は自分の論文に私の研究結果の一部を引用してくださいました。これは、引用するに値するという評価をもらったということです。

 誰かに寄り添うためには、その人を理解しようとする姿勢が欠かせません。S先生にとっては、私の「研究力」など取るに足らないものだったと思いますが、それでも同じ目線に立って私という人間を信頼し、理解しようとしてくださったのです。

 

 ここに示した、S先生の私に対する関わり方は、私たちが日々行っている子どもへの接し方(寄り添い方)にも大いに通じるものがあります。

「子どもは、教育者が彼について描く像に従って、また教育者が彼の中におく信頼に応じて、みずからを形づくるのである」1)

 子どもをどこまで「信用」するかは、非常に難しい問題です。子どもは時に嘘もつけば、ごまかしもします。でも、人として「信頼」することはできると思います。

 子どもは「…為しうるぎりぎりの限界まで試そうとする自然な願望をもっている」2)存在だとボルノウは言います。

これを信じることができるかどうか、そこが「信用」と「信頼」の境目なのだと思います。

(作品No.199RB)

1) O.F.ボルノウ、森昭・岡田渥美訳(1989)『教育を支えるもの』黎明書房、p115

2) 前掲書、p111

子どもが息をしなくなる?

民主的な学校づくりは、本気で取り組まなければならない問題です。子どもたちに「自分たちが学校をつくっているんだ」という意識を持たせないと、「指示待ち」の人間ばかりを育ててしまいます。

いわゆるシチズンシップ(市民教育)が必要です。学校は社会に出たときに必要な最低限の知識と技能を身につけるところであると同時に、社会の発展に貢献することのできる人間を育むという大きな二つの目標があるはずです。

シチズンシップを育てるためには、一定の年齢に達したら、今、社会でどんなことが起こっているかについて考える時間を設ける必要があるでしょう。しかし、それは子どもたちにとって、身近な問題になりにくい面もあります。

だから、まずは最も身近な学校の課題に目を向けさせることが必要です。学校は大きく視点を変えて子どもたちに任せられることは思い切って任せる方向に舵を切らないと何も変わりません。例えば、校則の決定や改正については、提案から実現まで生徒会主導で実施するべきです。

ただ、ここで気をつけたいことは、「拙速」にならないことです。緩やかな変革が大切です。どんなに素晴らし取組であっても、拙速に過ぎれば無駄な反動が起こります。

校則の見直しは生徒の手で行えばいいとは思いますが、極端な話、昨日まで制服着用が課せられていたのに、急に明日から着てこなくていよとなれば、生徒はもちろん保護者も戸惑いを隠せないでしょう(ちょっと話が極端すぎましたかね)。

大切なのは、教員、生徒、保護者の三者が合意を形成することです。その合意を得ないままに、今の時代に合わないからといって学校側だけの判断で事を進めたら意味がありません。大切なのは学校に制服が必要かどうか、今の校則が妥当なのかどうかということではなく、それらの見直しが必要かどうかの合意形成をするための「過程」です。

それは、生徒が頑張って取り組んで先生の許しを得るというものではなく、生徒がまず、制服の意義を考え、必要か必要でないかを議論し、全校生徒や保護者、教員にも意見を聞き、いざ、制服を廃止するのがいいという合意が得られたら、どのような手順が必要かを考えるといった「過程」のなかで子どもたちは成長するのです。

だから、問題の内容によっては一年で終わらないかもしれません。生徒会が主導するなら次の代に引き継ぐことも起こりうるでしょう。それでもいいと思います。とにかく、プロセスを軽んじ、結果ありきでことを「拙速」に進めたらシチズンシップを培うことはできません。

ルソーは、大人が子どもに指示、命令、禁止ばかりを続けていると「「やがて、息をしなさい」といわれないと自分で呼吸をすることさえできなくなるだろう……」(苫野一徳(2020)『100分で名著 読書の学校 ルソー社会契約論』NHK出版、p74)という辛辣な皮肉を述べたと言われています。

今の学校は、指示や命令をしなければ維持できないシステムになってしまっています。学校が変われないのは、単に教員の意識レベルの問題だけではありません。子どもたちに、市民として生き抜く力を身につけさせることができる環境整備が何より重要です。

具体的には、教員に時間的な余裕を与えること、入試制度を抜本的に見直すこと、個々の生徒の理解度に合わせた授業展開を可能にするための人員確保など、行政が真剣に改革を進めなければ教員は身動きがとれません。

なぜ、それらの改革が必要なのかについてはまた改めて示したいと思います。とにかく、シチズンシップの育成のためには、生徒に自由を与えなければなりません。そして、そのためには、教員にも余裕と自由を与えるシステム改革が必須なのです。(作品No.198RB)

エビデンスと教育

最近エビデンスという言葉が多く使われるようになりました。医療の世界や利益を追求する企業では有効だと思いますが、どうも教育の世界に持ち込まれると違和感を禁じ得ません。エビデンスとは「根拠」という意味があるようですが、教育的効果を示すエビデンスはどうやって導くのでしょうか。

 一般的にエビデンスは量的な研究(具体的な数値を用いて結論を出す)によることが多いのですが、教育効果を数値で表すことはどこまで可能なのでしょうか。

 経済界の中心には、教育的効果をもっと明確にするために、文科省は全国学力学習状況テストの結果をもっと国の施策のなかで重視すべきだという人もいるそうです。確かに、テストの結果は点数という数値で表れますが、そもそも学力をどのように定義した上で作られたテストなのか、本当にその定義に沿った問題になっているのかをしっかり吟味しているのでしょうか。

 いうまでもなく、学力はじつに多くの要素を含んだ概念です。どんなに精密に作られたテストであっても、学力全体を図ることは不可能でしょう。学力という概念を経済界から見て有効な内容に焦点化してしまう危険性もあります。そうなると、教育にとって重要な要素である、人間関係の温かさや、将来の生きる力になる思い出などが軽視されてしまいそうです。 

 もともと、研究者の言う学力と学校現場の教員が考える学力とが同じとは限りませんし、ましてや競争原理や自己責任の重圧に苦しんで、勉強したくてもできない子どもが増えている現状においては、テストの点数を見て教育の効果を推し量るというのは、現場感覚として受け入れがたいものがあります。

 かつて、県教委に勤務していたとき、私が起案を上げたときによく上司に「この部分の根拠は何か?」と聞かれました。その際の「根拠」とは、科学的な研究結果などではなく、どんな公の機関が認めているかという出典のような意味でした。一つの文言を使用するにも、例えば文部科学省がこういう通知でこの表現を使っていますとか、県の指針から引用しましたということを示せというレベルでした。

 教育委員会は、行政機関の一つですのでそういう「根拠」を出すことは当然でしょう。国や県が推奨していないことを実施することは許されないからです。

 しかし、子どもたちの学力の向上に資する研究や実践においてはそうした説明責任は二義的な意味合いしか持たないはずです。どういう授業をしているのかを保護者に説明することは大切だとは思いますが、それ以上に大切なのは実質的に子どもの学力を高めることであるはずです。

 エビデンスとは何らかの課題の解決のために、有効な手段を考えるときの根拠となるものです。決して説明責任のためにやるものではありません。

 かつて、2003年に日本では「PISAショック」と言われる現象が起きました。OECDが世界の15歳の子どもを対象に教育的効果を測定するために行われている「PISA調査」の結果が2000年(第1回)に比べて参加国内での順位が大きく下がったことが発端になって、文科省は危機感をあらわにしました。

 特に、読解力の低下が著しいとして学校向けにかなり厳しいプログラムを課したことがあります(まあ、あんまりまともに受け止めなかった学校が多いと思いますが)。

 文科省からすれば、OECDが求める学力については、OECDに先駆けて学習指導要領を改訂し学校現場に示していたはずだ、先生は何をやっているんだ、しっかり効果的な授業をしなさいというわけです(例えば2005年に出された『読解力向上プログラム』には、国語の授業が心情理解に偏っているなど、非常に細かいことまで書かれていました)。

 文科省は単に順位が下がったことで、世間からの批判を恐れ「対策は講じていますよ」という説明責任(言い逃れ?)のために使用したのではないかとさえ思います。そして、責任を学校押しつけたのです。

 哲学者ボルノウは、教育を支えるものは「雰囲気」であると言っています。朝の気分でさわやかに子どもに接する教師の姿が、子どもたちの前向きな態度を培い、さまざまな面で可能性を伸ばすと指摘しています。こうしたことは、決して数値では測れません。

 それに、数学的な数値を基にした教育改革は恣意的になりやすい面があります。もし、経済界の要求を取り入れて企業にとって必要なタイプの人間を育てようとしたとしたら、それを肯定的に示す調査をすればいいわけです。また、同じ調査でも分析の視点を変えれば、結果も違ったものになります。

 量的な調査による客観的なデータは、教育の一部分を分析するには有効でしょうが、その分析は絶対的なものではありません。結局は平均値でしかないのです。量的な調査・研究によって明らかになった(とされる)ことを、学校現場の教員が実践してみて再度フィードバックすることが必要です。それによって、調査や分析を見直し、より効果的な方法を見出す、そういう作業がいるのです。

 どんなに高度な技術をもって分析したとしても、その問いの仕方が学校現場の実態とかけ離れていれば意味がありません。量的な調査研究の内容を決めるのは人間です。だからこそ、どんな調査をするかを考える前に、学力をどう規定するかについてもっと議論すべきだと思うのですが。

(作品No.197RB)

自分の原点を知るために -映画『同胞』-

この映画を始めて観たのは、地元の市民会館、封切から5年も経った後でした。当時、高校3年生だった私は、12月に遠い関東の大学を推薦で合格を決めていました。暇を持ちあましていたとき、近くで映画会があると聞いて出かけたのです。

「同胞」という映画が松竹80周年記念作品であることも知りませんでしたし、芸術祭参加作品であることも知りませんでした。それだけではなく、監督がかの有名な山田洋次氏だということさえ意識にはありませんでした。そもそも「同胞」を「はらから」と読むことさえ知らなかったのです。

 今も細かいストーリーを覚えているわけではありません。心に残る特別なシーンがあったわけでもありません。けれども私は、一人でこの映画を観ながら、ただただ「号泣」したことだけは、はっきりと覚えています。嗚咽とはこういうものかと実感したのもそのときです。ちょうど新しい生活が始まるタイミングだったこともあったのかもしれませんが、なぜあんなに「号泣」したのか自分でもよく覚えていないのです。

 今から42年前、何がそれほどまでに私の心を動かしたか。その頃の自分にもう一度出会いたくて、インターネットでレンタル落ちDVDを購入しました。

 ストーリーは、いたって日常的です。田舎の村にミュージカル公演を実現させるという設定はどこにでもあるものではないでしょうが、一つひとつのセリフは、いつでも、どこにいても出会えそうなものばかりです。はらはらどきどきするような映画でもありません。クライマックスのシーンですらどこか冷静さを感じるほどで、仰々しさはほとんどみられません。観る者を惹きつける場面と言えば、主演の寺尾聡氏が感極まって泣き出すシーンと消防団長役の渥美清氏が画面に大きく映る場面(この映画での渥美さんの出演は数分あるかないかです)くらいでしょうか。

 いったい、この作品のどこに「号泣」するほどのインパクトがあったのか、その答えは結局見つかりませんでした。

 けれども、あの頃こういう映画に感動する心を自分は持っていたのだ。そういう敏感な時期が自分にもあったのだということだけは、確認することができました。

 出会いというのは不思議なものです。私がこの映画に出会ったのは偶然としか言いようがありません。推薦入試に落ちていれば呑気に映画など見る余裕はなかったでしょう。市民会館が上映会をこの時期にしていなければ、私の「号泣」はなかったのです。それらの偶然によって与えられた出会いが、私の心に刻みこまれ、いつしか必然に変わっていきます。必然となった記憶は、それがなければ、今の自分の何かが欠け落ちてしまうような重要な位置を占めるようになります。

 今回私は、同じ映画を観ても当時のような感動は得られませんでした。でもそれは、必然に変わった何かが、私という存在にまったりと同化したからだ、そう思いたいという感情が生まれました。

 私が、自分の手や足や、それらを動かす心臓や脳の存在をほとんど意識することがないように、今も、あのときの「号泣」が私の体のどこかに潜んでいるのだと。(作品No.196RB)

<映画『同胞』について>

 1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開された。監督・脚本 山田洋次、出演 倍賞千恵子・寺尾聡他。DVD(発売・販売元:松竹株式会社ビデオ事業室、1975年)のディスクジャケットには「美しいふるさとで一つのものを作り上げる喜び」という見出しで以下の説明がある。「農村青年たちと都会の演劇青年たちが多くの困難や障害を克服し青春の夢の一つ(演劇公演)を現実のものにした岩手県の松尾村で実際に起った感動の物語」。

 いかにも「昭和」である。

これからの学校に必要なこと-相対化を超える現象学的視点-

新しい年を迎えました。昨年このコラムを読んでくださったすべての方に感謝いたします。教育は国家百年の計とも言われます。私ごときに百年先を考える力はありませんが、今年も私のつたないコラムが少しでも皆さんの力になれたら幸いです。

 さて、唐突ですが、昔、中学校の教諭だったころ、こんなことがありました。クラスの女子が職員室の私のところに来て「先生、これもらってください。母がお世話になっている先生にぜひ食べていただきたいと言うので、持ってきました。」

きれいな木箱に入っていたのは、なんと松茸でした。それも、少なくとも20㎝以上はある大物です。一目で高級品であることがわかりました。私は、「こんな高価なものはもらえない」と断りましたが、「このまま持って帰ると母に叱られるから」と彼女が何度もいうので、結局私は受け取りました。(こんな立派な松茸が食べられるという下心もないではなかったのですが)

 「一度手に取ってみてください」と言う彼女の言葉に従って松茸を手にしたその瞬間、予想外の軽さにびっくりしました。「そんなはずはない」と驚く私を前にして、手渡した生徒は満面の笑顔を見せています。

 そうです。私が手に取った松茸は、大量のティッシュを固めて精巧に作られた「偽物」だったのです。ずしりとくる感覚を予想していた私は、その軽さにすべてを理解しました。そう、私は見事に生徒のドッキリに嵌ってしまったのです。色も形も実によくできていました。彼女が言うには、色付けは水彩絵具ではなくプラモデルなどに使う本格的な塗料を何色も使ったそうで、一部ライターであぶって細工までしたとのこと。そして、渡す場所に職員室を選んだセンスの良さにも感服しました。まさか、職員室でこんなことをするわけがないと普通は思います。それが、彼女のねらいだったのです。

 彼女は、声を挙げて笑いながら、この「作品」が、母娘との共同製作であり、完成までに何時間もかかったと話してくれました。私は恥をかかされたというよりも、私を驚かせるためだけにわざわざ時間と手間をかけてくれたことに感激しました。

 実はこの話、今後の教育を語るうえで、とても重要なことを含んでいるのです(そのことに気づいたのはそれから10年以上後のことですが)。

 私は、最初に偽物の松茸を見たとき「本物だ」と確信していました。「偽物」だと気がついたのは、その後です。だから、初めから松茸はなかったわけです。じゃあ、松茸は本当にどこにもなかったのかというと、実はそうではないのです。私が「偽物」を「本物」だと信じていたときには、私にとっての松茸は確かにあったのです。それが、「偽物」だとわかった時点で、私のなかの「松茸」はティシュの塊に変わりました。でも、一つだけ存在している松茸があるのです。それは、私が「偽物」の松茸を「本物」だと信じていたという事実としての松茸です。その事実は、それが偽物だとわかった後でも覆すことはできないのです。

 この覆せない事実は、世の中がどんなに多様化しても、どんなに相対化が進んでもけっして否定することができないのです。私がある時点で感じたことや、何かを信じていたという事実だけは何者であっても否定することはできないのです。

 私は、平成7年ごろから現象学的社会学者の祖といわれるシュッツとの出会いをきっかけとして、現象学や社会学に関心を持ってきました。そして、今このような混沌とした教育界を救いうるのは現象学的な視点しかないと確信するようになりました。

 学校は今、あるべきものとしての自明の理を失いかけています。30年ほど前にはまだ、「学校(義務教育)は行って当然」という常識があり、それを疑う人は少なかったでしょう。そこには、登校は自明のものだとする世間のまなざしがあったわけです。今はそれもかなり薄らいでいます。社会における様々な場面で多様化と相対化が急激に進んでいるのですから、学校教育だけがそこから逃れるわけにはいきません。

 そうした時代だからこそ、現象学的な視点は大きな意味を持ちます。

 現象学を一言で説明するのはかなり困難ですが、それでもあえて簡単に言うと、「「これが絶対に正しい」という「真理」をとらえるしくみ」ではなく「物事の意義や価値をたしかめ合う必要が生じた際に、誰もが自分の中で吟味し、共有し合うことのできる「たしかめのしくみ」」1)となります。それまでほとんどの哲学者が求めてきた客観的な「真理」と主観的な認識をどう一致させるかという問題に対して、フッサールは「「そもそも根源とか真理とか求めること自体がもう終わっている」」2)と一刀両断に否定したのです。

 つまり、どんな哲学や科学をもってこようとも、目の前にある「もの」が客観的に存在することを証明することはできないというわけです。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、次のように考えるとわかってきます。

 例えば、冒頭に挙げた松茸が本物であるかどうかを私たちはどうやって判断しているのでしょう。形でしょうか? 色でしょうか? それとも手に取ったときの感触や重さでしょうか? それとも食べてみればわかるだろうというでしょうか?。でも、考えてみてください。現代の技術をもってすれば、松茸とほとんどかわらない味や香りを他のもので再現することは不可能とは言い切れません。

「カニカマ」を考えればさらにわかりやすいでしょう。カニなどまったく入っていなくても色合い、重さ、食感、味、風味のどれをとっても本物のカニと区別がつかない食品に仕上がっています。カニカマは販売開始当時、「本物のカニだ」と信じた人が少なからずいたため、メーカーがわざわざ「風味蒲鉾」という名称に変えたこともあったそうです3)。こう考えてくると、何が本物なのかを確信するのは思ったよりも大変であることがわかります。

 日本の代表的な哲学者である竹田青嗣氏は、こうした人間の判断のしかたについてリンゴをたとえにして次のように述べています。

「たとえば、ここに1個のリンゴがある。普通に考えれば、「『ここにリンゴがある』から私たちは『その赤くてツヤツヤした丸いかたちを目にしている』ことになる。だがこれをあえて次のようにとらえてみる。「『(あの例の)赤くてツヤツヤした丸いものが見えている』から、私は『ここにリンゴがある』と思っている」と。」4」

 また、私たちは一度も行ったことがなくてもアメリカという国が存在していることを疑いません。それは、様々な本や人から聞いたこと、インターネットやメディアから受けた情報を信じているからであり、その情報が本当に正しいのかどうかを疑うことがほとんどないからです。でも、それらの情報が本当に正しいかどうかは誰も証明してくれません5)。私たちが信じているから(見えているから)、私たちはそれを当たり前のこととして受け入れているに過ぎないのです。

 真実がないとすると、私たちに残された問題解決の唯一の方法は互いの共通了解をいかに得るかということになります。今の状態が本当にいいのかどうかを、まずは一人ひとりが吟味を重ね、その結果を持ち寄って「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか?」6)と絶えず対話を続けることで最もよい方法を見つけ出さねばならないのです。

 学校が抱える問題の多くが、相対化によって生み出されています。相対化は、教師も保護者も、そして子どもたちをも「寄る辺なき」存在にしてしまいます。これまで述べてきたように唯一絶対の「解」はありません。どこにもない正解をめいめいが正解だとして主張したら収集がつかなくなって当然です。この発想から抜け出せない限り、問題はいつまでも問題であり続けるでしょう。それでも、かつてのように同じ価値を大半の人が共有している状況なら大きな混乱はなかったでしょうが、学校を支える価値そのものが多様化している現代においては、いくら正解の行方を追っても、徒労に終わるでしょう。

 そもそも相対化とは絶対的なものを否定する現象のことですから、そこに一つの正解として何らかの方策を押し付けようとしても反発されるのは当然です。それは、学校の理想形というものがどこかにあって、そこに向かうことがあるべき姿だという発想から抜け出せていないからです。そのため両者は、互いに相手を攻撃しようとし、争いやトラブルが絶えなくなるのです。

 「これからの学校はどうあるべきか」という問題に対して、お互いが自分の正しさを一方的に相手にぶつけるのではなく、それぞれの見解を持ち寄って実現可能な方向を模索しなければなりません。

(作品No.195RB)

1)、2)、4)竹田青嗣・現象学研究会(2008)『知識ゼロからの哲学入門』幻冬舎、p126

3) https://seafood-reference.com/kanikama/entry1224.html

5)竹田青嗣(1989)『現象学入門』NHKブックス、p210(要約して引用、また文意に影響を与えない程度に加筆)

6)苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p63

「不易」への道

これまで、私は主に今の学校を変えようという立場で、このコラムを書いてきました。

 私は、「昔はよかった」という言い方があまり好きではないので、学校に関することも、過去の武勇伝のような内容は、極力避けてきました。それは、現職の管理職だった頃から考えてきたことです。

 ところが、初めて校長として勤務した小学校で、信頼のおける一人の中堅女性教員から「校長先生の昔こういうことがあったっていう話が結構長いことがある」と言われたことがありました。とても恥ずかしい思いをしました。その先生が私に恥をかかせたという意味ではなく、自分で気をつけているつもりでも、気づかないうちにそういう話をしてしまっていることが恥ずかしかったのです。

 指摘されたときは、ちょっとショックでしたが、今思えば、よく言ってくれたと思います。つい調子に乗って話していたことを、私は自分では気づいていなかったわけです。

そもそも「昔はよかった」的な話や「昔はもっとひどかった」的な話に、ほとんど生産性はありません。これからの学校や教員に何のプラスにはなることはありません。それは、単に自己満足にすぎません。だからこそ、十分に気をつけていたつもりなのですが。

 ただ、若干の違和感もあるのです。無暗に過去にこだわるのは無駄だと思いますが、自分という人間は、周囲の環境や、自分の行動によって作られているわけですから、あまり自分の経験を軽視し過ぎると、自らが立つ基盤を見失う可能性もあるのではないかとも思うのです。それは、誰かに自慢話をしたいからではなく、曲がりなりにも30年以上教職の身にあったのだから、その経験を振り返って凝縮し、次の世代に引き継げるエキスのようなものを見つける作業も必要なのではないかと思うようになりました。

 昔のやり方が今は通じないかもしれないという謙虚さは必要ですが、もっと自分がこれまでやってきたことを整理することも必要だと思うのです。

 以前、不易と流行について書きましたが、真の不易というのはなかなか見つけられるものではありません。どんな場でも、どんな人に対しても、あるいはどんな時代にも通じる不易=真実があるとすれば、それはまるでブッダが悟りを開くような深いレベルの話になるのではないかと思います。

 私のような凡人にそんなことはできません。それでも、私には見えなくても本当はどこかに核のようなものがあるのかもしれないと感じることもあります。真実は一つではないと書いてきた私が言うのも変な話ですが、単に私たちには真実の周囲に存在する枝葉や、あるいはまとわりつくような膜のようなものしか見えないだけなのかもしれないのです。

 もしそうだとすると、真実は一つではないという現実的な前提を持ちながらも、昔の学校と今の学校に共通する部分はないのかと確認することは必要なのではないかと思うのです。

 古いと思ってきた教育の中に実は今に通じる何かがあるかもしれません。

 例えば、校内暴力が激しかった頃は、今なら「不適正なかかわり」とされるような指導もたくさん行われていました。時代が変わっても、それが「不適切」であることには違いありませんが、当時はそうしなければ収まらなかった状況もありました。また、暴れる生徒を力づくで抑え込むことは、その生徒を深刻な加害者にしない効果もあったと思います。

 私の実感でいえば、当時の多くの教員は生徒との心のつながりを大切にしていました。そして、生徒も体を張ってぶつかってくれる教員を望んでいました。激しく対立しているように見えながら、実は互いに信頼関係を求めていたのです。

 今の生徒に同じようにかかわっても何も通じ合うことはありません。それは、今の生徒がぶつかってくれる教員よりも寄り添ってくれる教員を求めているからだと思います。まったくちがったものを求めているようにも見えますが、昔の教員と今の教員に共通して求められるものもあるに違いありません。私は、それは、生徒が今何を求めているかを見ようとする教員の姿勢だと思っています。そのことに関しては昔も今も変わらないでしょう。

 今後、学校という制度が大きく変わり、「昔は寄り添うことが大切なんて言っていたなあ」という会話が職員室に生まれるようになるのかもしれません。かつて正しいと思われていた体ごとぶつかるかかわり方が、今通用しないのと同じようになるかもしれません。そのときにはまた、別の共通点を見つける必要があるでしょう。

 もしかしたら、そういう積み重ねが、ブッダの悟りのような「不易」に近づく唯一の方法なのかもしれません。

(作品No.194RB)

子どもが危ない -放課後児童クラブが抱える問題 その2-

子どもを取り巻く問題は多岐にわたっています。いじめや不登校(不登校そのものが問題ではありませんが)、虐待など深刻な問題が山積みです。でも、最も心配なことは子どもたちの多くが、幼い時に十分に親に甘えられていないことだと私は思います。

 これを論証するためのエビデンスが特にあるわけではありませんが、最近放課後児童クラブ(以下、児童クラブ)の運営に若干関わるようになって痛切に感じるようになりました。

 12月9日のこのコラムでも紹介しましたが、児童クラブからの報告書を読むと、子どもがとても荒れている内容が目につきます。児童クラブの仲間に対して「死ね」とか「うざい」とかといった暴言は日常茶飯事です。簡単に殴ったり蹴ったりする子も少なくありませんし、「このカッターナイフで刺してやろうか」という子もいます。暴力を受けた子が傷つくのは当然ですが、傷つけてしまった子も深い自責の念を負い、自暴自棄になっていく様子が報告書から手に取るようにわかります。「俺は死んだ方がいいんだ」と叫ぶ小学生が、そこには、たくさんいるのです。

 以前、この点についてコラムに書いてから、何がそうさせているのか、周囲の大人がどう関わっていけば少しでも子どもの心は落ち着くのかを考えてきました。

 最終的に私が出した答えは、小学校の低学年くらいまでは親に十分に甘えられる環境を整えることです。子どもは、早ければ0歳児から保育園に預けられます。その後、最も長い子で小学校6年生までの12年もの長きにわたって親元から引き離されるのです。

 せめて、小学校低学年くらいまでは親のどちらかが家にいて、できるだけ子どもに寄り添えることができるよう国レベルの思い切った施策が必要だと思います。前回にも書きましたが、大人がどんな理由をつけても、子どもには通用しません。むしろ、その理由が正論であればあるほど子どもは反論することすら許されなくなります。児童クラブに通う子どもたちは、さみしさから生じる大きなストレスを感じながらも、半面で親が働かなければならない理由を子どもなりに理解しています。反論すれば親が困ることを彼らなりにわかっているのです。

 児童クラブに通う低学年の女の子がこう言ったそうです。

 「お母さんは、どうして早く帰れる仕事しないのかなあ」

 こんな言葉を聞くと、本当に切なくなります。この子は、お母さんが働くことは健気に受け止めています。頭ではわかっているのです。でも、せめて仕事が早い時間に終われば、児童クラブへのお迎えも早くなる、もしかしたら放課後ずっとお母さんと一緒にいられるかもしれないのにと、素朴に、そして、真剣に願っているのです。

 この女の子の願いを叶えられるのは今しかないはずです。中学生くらいの年齢になってしまったら、もう遅いのです。そのときになっても、あるいは大人になっても、子どもが親に十分に甘えられなかったという痕跡は確実に残るのです。それがどういう影響を子どもに及ぼすのか、これからの社会にどんな影響を与えるのか、はかり知れません。

 本気で甘えられた経験がないということは、本気で大切にされたという経験が持てなかったということです。そうなれば、いざ自立しようとする時期になっても、どこか自分に自信が持てなくなります。近年、子どもの自己肯定感の低さが問題にされることが多くなりましたが、その大本を探っていけば、幼い時に十分に甘えられなかったために「自分は大切にされるに値する存在なのだ」という思いを持てなかったことが、一つの原因であることは否定できないと思います。

 確かに、一人親であろうと、0歳児から保育園に預けていようと「親に大切にされた」と感じられる子もいるでしょう。でも、児童クラブから送られてくる報告書には、子どもの切実な叫びが荒れた言動となって表れているとしか思えない事例にあふれているのです。

 はっきりとした根拠があるわけではありませんが、ここ10年で発達障害のある子が倍増しているのも、こうしたことと無縁であると本当に言い切れるのでしょうか。

 かつて、P.アリエスはアンシャンレジーム期(近代以前)には、「子供時代」という概念はなかったことを論証しました。その頃の子どもは早くから一か所に集められて地域の大人が一緒に育てていたといいます。そして、7歳~8歳くらいになると社会の徒弟制度に組み込まれて大人扱いされたのです。ならば、自分の子を自分で育てなければ子どもは健全に育たないという考え方は必ずしも絶対的な真理だとは言えないことになります。

 しかし、今、当時と同じようなコミュニティを再生させることはほぼ不可能でしょう。そうであるなら今の大人に求められるのは、子どもへの愛情を十分に確保できるよう社会福祉を充実させることしかありません。虐待の問題も経済的な不安定さを解消すれば、かなり減少すると思います。親も余裕がないのです。だから、常にイライラしていてそのイライラが子どもに向かってしまうのです。

 子どもは国の宝だとよく言われますが、この国は本当に子どもを宝として扱っているのでしょうか。私には到底そうは思えません。もし、宝だと本気で思っているのなら、せめて児童クラブの支援員の待遇を改善する予算くらいは十分に補償すべきです。ほとんどの支援員が国の定める最低賃金で働いています。宝を宝として必死にかかわっている人を冷遇している時点で間違っていると思います。まずは、国の偉い人に児童クラブの現状を知ってほしいと思います。そこで、子どもたちがどんな思いでいるのかに、もっと関心を持ってほしいと思います。

 冒頭で述べたように、少なくとも両親のどちらかが子どもが幼いうちは働かなくても十分に生活できる保障をすべきです。防衛費も大切ですが、これからの日本を創っていく「宝」を大切にしない国に未来はあるのかと思ってしまいます。自己責任の名のもとに、いつまでも、子どもの養育とその結果はすべて親の責任であるという考え方を続けていたのでは、敵国に攻撃される前にこの国は自滅してしまうかもしれません。

 今回は、極端な論調になったのかもしれません。でも、あながち間違ったことを言っているとも思いません。

 

 さりとて、すぐに国の施策の方針が変わるとは思えません。多くの問題を抱える児童クラブについて、現状から一歩でも前進するための具体的な方法を考えなければなりません。それはまた、別の回でお伝えしたいと思います。

(作品No.193RB)

子どもの「目覚まし」

「最近、家で何してるんですか?」

 退職して間もないころ、よく聞かれました。私は聞かれるたびに、正直に、

「本を読んでるか、何か書いてるかですね。」 

「書いてるって?」

 多くの人は一瞬、軽い驚きを持って反応します。読書には、違和感はないのでしょうが、「書く」となると、あまり馴染みがないようです。

 本を読んでいると、素晴らし言葉に出会ったり、新しい知識を得られることに喜びを感じます。過去の自分の記憶を蘇らせてくれたり、それまで感覚的でしかなかったものが形ある言葉になって浮かんでくることもあります。また、曖昧だった自分の考えがはっきりとした形になることもあります。そうしたとき、自分なりに文章で表してみたいという欲が生まれます。だから、読んでいるうちは何かしら書くことは浮かぶだろうと楽観的に考えています。

 さて、私が「書いている」ことを告げて、一人だけまったく違った反応を示したOという男がいました。Oは、歳は一つ上でしたが大学時代の同期生で、同じクラブで共に汗を流した仲間です。私が、一年早い退職の挨拶状を送ったのを見て、電話をかけてきてくれたのです。そのとき冒頭と同様の会話をしました。私が、「書いている」ことを告げるとOは、「俺なあ、今、放送大学の講義受けとるんや」と言いました。

 びっくりしました。申し訳ないけれど、彼の大学時代を思うと自分から何かを勉強しようというタイプではなかったからです。どういう心境の変化かと思いきや、彼は続けてこう言いました。

「実は俺、癌の手術したんや。」

 経過は良好だと言っていましたが、抗がん剤を打ちながら小学校の校長として勤務していたときは、かなり辛かったようです。その彼が定年退職して、まずやり始めたのが「勉強」だったのです。彼は、「まだまだ、知らん事が多い。せめて自分の興味のあることだけはしっかり勉強したい」と思ったというのです。生死の狭間を乗り越えた彼の言葉は、私の心にずしりときました。

 人間は、もともと学びたい生き物なのだと思います。当然、子どもたちもみんな、学びたい、わかりたいと思っているでしょう。最近、さまざまな理由でそれができない子も増えてきました。そういう子どもに少しでも「できる」、「わかる」喜びを与えられたらどんなに素晴らしいかと思います。授業の内容を十分に理解できなかったとしても、「わかった」と感じた喜びは、いつまでも心のどこかに残っているはずです。

 子どもたちは体のどこかに「目覚まし時計」を持っているのだと思うことがあります。それは、どんなに無気力に見える子にも必ずあり、「そのとき」がくればベルが鳴り、自ら学びたいと動き出すときがくるのではないかと。

 私たちにできる唯一で最大のことは、それを信じることだと思います。

(作品No.193RB)

教職志望の大学生に伝えたいこと(紙上講演)

最近、教員採用試験を受験する人が激減しているといいます。そんなに先生という仕事には魅力がないと思われているのかと思うと、長年教員をやってきた身としては非常につらいものがあります。

 確かに、ブラックと言われるほど超過勤務が長く、小学校も中学校も過労死ラインを大きく超えている現状を考えれば、そんな職場に行きたくないと思われても仕方がないでしょう。でも、私は長年教員をやってきて、本当に良かったと思っています。実にやりがいのある仕事です。それだけに、国レベルでもっと迅速に働き方改革を進めてほしいと痛切に感じます。

 教員のやりがいは、子どもの成長の中にあります。できなかったことができるようになる、世の中を斜めに見るような子が素直な面を見せてくれるようになる、そして子どもたちが全身で笑顔になる瞬間が見られる。そんな仕事は他にあるでしょうか。

 私が教師になると父親に言ったとき、父はこう言いました。「先生はいい。かかわった子どもと長い付き合いができる。子どもにとってはいつまでたっても、先生は先生だからな」。人と人が直接触れ合え、その関係が長く続く、そういう意味で父はうらやましいと感じていたんだと思います。

 さて、最近では大学でインターンシップのような制度が導入されることが多くなったようです。皆さんも、もしかしたら活用しているかもしれません。現役の大学生の間に学校現場に行って、一定期間教員の補助的なことを行うものです。

 教育実習だけでは、なかなか経験できない学校現場の先生の思いや、細かな仕事の内容まで見えてくるという意味で、貴重な経験になるものだとは思います。だから、教員になると決めている人はやってみたらいいと思います。

 ただ、その際皆さんに覚えておいてほしいことがいくつかあります。

 一つは、どんな学校に行くかはわかりませんが、決してその学校が全てではないという意識を持っていてください。中には、インターンシップに行って「学校って本当にブラックなんだ」と感じて、教職希望を取り下げたという人もいます。その学校が、ブラックなだけで他もみんなどうだとは限りません。また、これから確実に働き方改革は進んでいきます。今でも進んでいます。今だけを見て簡単に判断しないでほしいと思います。

 それからもう一つ。こちらの方が私の最も言いたいことなのですが、インターンシップに行くのはいいんですが、そこでスキルやノウハウだけを学ぼうとするのではなく、むしろ先生方の意識や、理想について聞いてきてください。

 どんな子どもに育てたいと思ってやっているのか、子どものためってどういうことだと考えているのか、そういう根源的な部分について触れてほしいと思います。まあ、そんなこと考えたこともないという先生もいるでしょうが。

 具体的なスキルを学ぶにしても、それがどういう意味を持ち、子どものどんな部分を伸ばそうとしてやっているのかについて、積極的に先生方に聞いてほしいと思います。特に生徒指導上の問題への対応には、指導する先生の教育観がはっきりと出ますから、その辺のところを吸収してほしいと思います。

 そもそもスキルやノウハウというのは、基本的なものはあるにせよ、学校によって違うものです。地域性もあって、その学校独自の文化などもあって当然です。だから、スキルばかりに目を向けても、実際に赴任する学校でそのまま使えるかどうかはわかりません。とても貴重な体験なのですから、もっと根本的なことに目を向けて臨んでほしいと思います。

 この話からすると、学生の間にぜひ、教育の本質的なことが書いてある本を読んでほしと思います。それは、学生のときでないとなかなかできません。実際に赴任してしまうと、最初の数年は、毎日が戦争のような日が続きます。やることが山のようにあって、本質的なことを考える時間的、精神的な余裕を持つことが難しくなります。

 それはそれで、皆さんの将来の糧になることは確かですが、方法論というのは理論的なバックボーンがなければ、すぐに使えなくなります。ある社会学者が言っています。「すぐに使えるものは、すぐに使えなくなる」と。

 インターンシップや大学での具体的なスキルやノウハウはよくもって1年くらいでしょう。必ず枯渇するときがきます。効果的だと教えられたことが、自分の学校では通用しないということはよくあることですし、同じ方法がいつまでも使えるとは限りません。

 そうなると、どうしていいかわからなくなります。そのときに「拠り所」となるものを持っていないと、途方に暮れてしまいます。教育について深く考えた経験がある人はそういうスランプのようなものにぶつかったとき、原点に帰ることができます。

 教育の専門書を本格的に読めるのは、大学生のときだけです。できれば難しいものに挑戦してみてください。例えば、私がおすすめなのはボルノウの『教育を支えるもの』なんかは、現代の学校にも十分に通用すると思います。難しくてわからなくても大学にいるときなら、教授に質問に行けます。その時間的余裕も大学生の方が十分にあるはずです。

 もっと読みやすいものとしては、教育哲学者の苫野一徳さんの本がおすすめです。これは新書版でとても読みやすく、しかも、教育の本質について気づかせてくれます。

 よく、学校現場、特に中学校なんかでは「そんな理屈ばっかり言っても役に立たない」という人が先生方の中にも結構いますが、それは間違いです。指導力のある先生をよく見ているとわかります。その先生がやっていることは、本人が自覚していなくても実は理論的に説明できることが多いのです。それに気づけるようになるためにも、読み応えのある教育の専門書を一冊でもいいから読んで卒業してほしいと思います。

 いま、多くの教育学系の大学ではゼミの授業よりも採用試験対策や現場ですぐに使えるものを教授することが多くなってきているといいます。これは、文科省が率先してやっている面もあります。求められる教師像を設定して、そのためのコアカリキュラムを大学に課すような取組をすでに進めています。それはある意味非常に危うい。同じような先生ばかりを育てることが本当に子どものためになるのだろうかと思います。

 私は、皆さんに長く教員生活を送ってほしいと思います。それは、自分の年齢や経験の数によって、目の前の子どもから見えてくることが変わってくるからです。新任の時にはみえなかったことが、5年後、10年後に見えてくることも多くあります。そうなればなるほど教師のやりがいは深いものになります。ぜひ、それを経験してほしいと思います。

 長く続けるには、そして長いほどに味わえる教員のやりがいは自分の中にある「拠り所」の確かさに比例します。そのためにも、ぜひ教育の専門書を読むことにこだわってください。

 

 最後になりますが、皆さんが、晴れて教職に就かれたときにお願いしたいことがあります。それは、できるだけ自分の考えを発言してほしいということです。未熟な自分には何も言えないとか、何もできないくせに何を偉そうに言っているんだと思われないかとか、迷いはあるとは思いますが、それでも自分はこう考えるということを意思表示してください。

 先輩の先生がやっていることが必ずしも正しいとは限りません。特に最近は学校も大きく変わろうとしています。そういうときに若い皆さんの感性は必ず役に立つはずです。これからの学校を支えるのは皆さんのような若い人です。

 企業の中には、社の命運をかけるようなプロジェクトに敢えて新採用の人をメンバーに入れることもあるそうです。それは、会議を硬直化させないためです。何もわからない、経験もない人の方が意外と物事の本質を突くことがあるんです。

 若い人の声に耳を貸さない組織は必ず衰退します。学校も同じです。私は20代の先生によく言っていました。「あなたの考えは間違っていない。もっと職員会議で発言してください。これからは、あなた方の時代なんですよ」って。

 ベテランの先生の言う「こうするべき」という考えも尊重することは必要ですが、「べき」にこだわりすぎると、目の前の子どもと離れていくことに気づかないことも結構あるんです。

 最近の新任の先生はとてもまじめです。でも、あまり自分を出さない人が多いとも感じます。もっと、わがままになっていいと思います。そうやって自分の考えを行動に移すことで周囲のベテランからいろいろいわれることもあるかもしれません。それでいいんです。そういう経験が皆さんの将来の力になるんです。若い人は多少とげがあってごつごつしているくらいがちょうどいい。不要なとげとげしさは、ぶつかっていくうちに丸くなります。そして、必要な「とげ」、つまり自分らしさだけが最後に残るんです。最初から丸いとそこから自分らしい「とげ」を作ることは難しい。

 現代は多様化の時代だと言われています。この10年ほどで社会の価値観は大きく変わりました。皆さんはそういう社会で育ってきたのです。社会の最先端の空気を吸って成長してきたのです。子どもたちと最も近い感覚を持っているのは、皆さんです。

 どうか自信をもって、やりがいを満喫してください。

(作品No.192RB)