「そもそも教」の信者として

とかく理屈っぽい人は嫌われます。そういう人は、すぐ「そもそも〇〇というのは・・・」と語りはじめます。そういう言い方は「そもそも論」と呼ばれて敬遠されがちです。私は最近まで学校現場にいましたが、そういう人が職員会議で手を挙げた瞬間、職員室の空気が一変するのを何度も経験してきました。

「得意の『そもそも論』が始まるぞ」という空気感。それも、長い時間かけた結果、ようやく結論が出ようかというときに出てくる「そもそも論」は、それまでの議論を振り出しに戻してしまいます。徒労感は半端なものじゃないでしょう。

「そもそも論」者は結構たくましいので、「理屈はいいから結論を言え」という冷たい視線を気にすることはありません。あなたは「そもそも教」の信者か? と思ってしまいます。そして「そもそも論」者は、「たいした仕事もできないくせに理屈だけは一人前だ」という烙印を押されることになります。みんな忙しい。ありがたくて役に立たないお説教を聞いている暇はありません。

 こんなことがありました。職員会議で校長が結論めいたことを発言したとき、一人の「そもそも論」者が反論を始めました。何とその校長、話が終わらないうちに一喝したのです。

「ぐちゃぐちゃ理屈をこねるな。黙っとれ!」

 気持ちがいいくらい、はっきりと言い切ったのです。校長の勢いに押された「そもそも論」者は沈黙するしかありませんでした。

「そもそも論者」を否定する人は、以下のような本音を持っています。

「偉い学者さんは、学校現場のことが全然わかっていない。だから、偉そうに理想的なことばかり言う。その割に、具体的にどうすればいいかについては何も語らない」。

 こうして「そもそも論」は、「現場」で否定され続けてきました。

 確かに今の学校には余裕がありません。学校にはすぐにでも解決しなければならない問題が山積みです。「いじめ」、「不登校」、「保護者対応」、「働き方改革」等々。そうした学校現場で教員たちが求めているのは、ありがたい説法ではなく、目の前で起こっている問題に対する具体的な方策なのです。

 世の中は多様化が急激に進んでいます。それは、「チーム学校」でまとまろうとする人からすれば多様化は面倒な現象でしょう。一人ひとりの個性を尊重しようとすると収拾がつかなくなるのは目に見えているというわけです。

「個」が最大限に尊重され、何でも自由にできる(ように思わされている)世の中は、選択肢が多くなるという利点もあれば、何を選べばいいのかわかりにくくなり、人びとを迷わせます。例えば、最近夢や目標が持てない小中学生が増えたと言われますが、それは選択肢の多さの前で子どもたちが立ち往生している姿です。

 また、多様化に対応しようとして、一つ一つの事象に一つ一つ具体的な対応策を考えるのは、まるでもぐら叩きのようなもので、教員は次から次へと現れる見知らぬ現象に振り回されてしまいます。教員はどんどん忙しくなり、教員志望者が全国レベルで激減し、学校は教員不足のためさらに忙しくなっています。

 それでも私は敢えて言います。「そもそも論」は学校を救う最終手段であると。何を隠そう私自身が「そもそも教」の信者なのです。一喝された教員とは私のことです。

 実は、現状を打破する原動力となる唯一の武器が「そもそも論」なのです。そもそも(出た!「そもそも論」)、教員が近視眼的にならざるを得ないのは、多様に広がる一つ一つの「価値」を俯瞰する視点を持てないでいるからです。そうした視点は、いわば多様化を包括するまったく別次元の世界を私たちに見せてくれます。今こそ、私たちは学校とは何か、公教育とは何のためにあるのかといった原点に戻ることが必要です。つまり、日々取り組んでいることに対して「そもそも」何のためにやっているのかと考え直してみること、それが「俯瞰する」ということなのです。

 多くの課題を抱え、その上に新たな取り組みを要求され続けている学校。このままでは、学校という組織そのものが崩壊してしまいます。目の前の事象に一喜一憂するのではなく、10年後、20年後の学校を俯瞰的にイメージした上で、今、ここで何が大切なのかを考えることが必要です。

 思い切った学校改革が急務ですが、そこで見えているものが枝葉末節であることに気づかないまま進めてしまえば、学校(公教育)は空中分解してしまいます。公教育を経済の理論で片づけようとする人たちの格好の餌食になるでしょう。

 すでに、改革を進めて「実績」を挙げたと主張する人の中には、学力の保障を学習塾に任せ、学校側が塾の邪魔にならないことが必要だと主張する人さえいます。それが本当に、未来を見据えた「俯瞰」から生まれたものなのか、未来を閉ざす枝葉末節に過ぎないのかを私たちはもっと丁寧に吟味していかなければなりません。改革は必要です。でも、拙速であってはなりません。

「そもそも教」の敬虔な信者としては、強くそう思うのです。

(作品No.210RB)

父親の「策略」

学校では、年に何回か個別懇談があります。そこで保護者から、こんな話が出てきます。

「ウチの子は、何回言っても自分から勉強しようとしないんです。先生からも何か言ってやってください。」

 しかし、真剣に訴える保護者の横で子どもは親を睨みつけています。「余計なこと言わないでくれ」という気持ちがありありと窺えます。

 そういうとき、学級担任としてどんな言葉をかければいいのかと迷います。保護者に寄り添えば、子どもを叱らねばなりません。しかし、そうすると、おそらく家に帰ってから親子喧嘩が始まるでしょう。逆に、子どもに寄り添えば、「先生なんだから、もっと厳しく叱ってくださいよ」と保護者は不満に思うでしょう。

 いずれにしても難しい選択です。ただ、いろんな調査やアンケート結果などをみると、「勉強しなさい!」「宿題したの?」といった言葉は、親に言われて嫌だと思うベスト10には入っているようです。親からすれば、放っておけばいつまでたっても勉強しようとしないから心を鬼にして言っていると主張するのですが、言えば言うほど子どもは勉強しなくなっていきます。その姿を見て、また同じ叱責を繰り返してしまうのでしょう。

 ある人に聞いた話を紹介します。

「自分は、親に一度も『勉強しろ』と言われたことはありません。父親に至っては、勉強しよ うと部屋に行こうとする私に『まあ、もちょっと一緒にテレビ見ようや』とか『なんか話しようや』などと声をかけてきて、夕食後のリビングに引き留めとようとするのです。それは、私が受験生だった中学3年や高校3年のときでも同じでした。」

 反抗期真っ盛りだった彼は、父親に引き留められると、逆に強く「俺は勉強するんだ」と思ったと言います。

「今思えば、あれは親父(おやじ)の『策略』だったんじゃないかと思いますよ。反抗期で、しかも天邪鬼(あまのじゃく)だった私の性格を利用して、わざと引き留めようとしていたんじゃないかと。」

 なるほど、そういう手もあったかと思いました。人は強制されると逆に意欲を削がれてしまうものです。

 結局、彼はその後、高校も大学も第一志望の学校に合格し、就職試験もすんなり受かりました。お父さんの作戦勝ちだったと言えるかもしれません。

 でも、それだけではない気がします。それで、彼にもう少し詳しい話を聞いてみました。

 彼のお父さんは昭和の初めに生まれた人で、「俺は尋常高等小学校1)しか出ていない」と言っていたそうです。とはいえ、当時としては高等小学校は尋常小学校6年間(義務教育)の後に「進学」するものだったので、他の子より長く小学校に在籍したことになります。

卒業後は、軍需工場で働いたそうです。もともとその工場は全国でも有名な企業だったのですが、戦況の悪化により軍需工場化し、人手が足りなくて若者を勤労動員で集めることになったようです。そして、数年後に終戦を迎え空襲にも遭わなかったため工場は残り、運よくそのまま就職することができたそうです。お父さん曰く「俺は運が良かった。あの頃は入社試験すらなかった。今なら、こんな大きな会社に勤めることは(自分の学歴からすれば)できなかっただろう」と、事あるごとに話していたそうです。

 ここからは、私の想像ですが、そのお父さんは学歴に対して、ある種の開き直りのようなものがあったのではないかと思います。学歴はなくても努力次第で家族を養ってきたという自負があったのでしょう。経済成長が右肩上がりの時代だったということもあるでしょうが、たとえ自分の子どもが勉強しなくても、人生、何とでもなるというふうに腹を据えていたのでしょう。だから、もし「策略」が裏目に出ていたとしても、それはそれで一つの人生だと息子を受け入れるだけの度量があったのだと思います。

 先行きが見えにくい現代社会において、このお父さんのような腹のくくり方は難しいのかもしれませんが、それでも結局は子どもを信じるしかないのです。それは、今も昔も変わらないと思います。

 親が焦れば焦るほど、子どもは思わぬ方向に進んでしまうような気がします。親が必要以上に焦らなくてもいい社会。そんな社会であればいいのですが。

(作品No.209RB)

1)正式には、「高等小学校」です。「尋常高等小学校」は、明治40年、尋常小学校が4年から6年に延長されたことに伴い、名称が「高等小学校」に変更されました。お父さんが「尋常高等小学校」に通ったとすると、明治時代に生きていたことになり、つじつまが合いません。恐らくお父さんの勘違いだろうと思います。

保護者の皆様へ

(以下は、私が初めて中学3年生を担任したときの学級通信を冊子にしたときの後書きです。)

本当にありがとうございました。皆様のご協力により、今年もすばらしい感動と巡り会うことができました。いろんな行事に全力を尽くせたのは一重に皆様のお陰であると、心より感謝申し上げます。進路決定の大切な時期に、やれムカデだ、合唱だと朝早くから放課後遅くまで練習させていただいたのは、皆様の深いご理解があればこそであります。しかしながら、その結果、子どもたちは、自分の力を伸ばすことができました。私自身も、半人前なりの充実感を存分に味わうことができました。ご家庭におかれまして、子どもたちに励ましのお言葉をかけていただいたこと、そして、各行事で素晴らしい成果を収められたことは、今後忘れることはないと思います。

 子どもたちは今、卒業のときを迎え、心身ともにたくましくなりました。甘えん坊だった彼らも、一人一人自分の将来をしっかりと見つめています。社会は厳しく彼らを更に鍛えるでしょうが、この中学校で体験した感動を胸に、一層優しく、人間らしく生きていってほしいと願ってやみません。このささやかな冊子が、その成長の過程で少しでも役に立てば幸いと存じます。

 子どもたちは、実に正直で素直でした。三年間の幕を閉じるにあたり、最後のお願いをさせていただきたいと存じます。9組の生徒たちが、卒業式を終えて家に帰りましたら、三年間分、たっぷりとほめてやってください。難しい年ごろと言われる彼らが、反抗しやすい年ごろでありながら、精一杯生きてきたすばらしい中学生活を彼らと語り合っていただけたら、私は教師としてこんなに幸福なことはありません。

 彼らに対し、何もできませんでしたが、せめて彼らに恥じない生き方をすることで報いたいと思います。三年間、本当にありがとうございました。今後の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、ここに御礼申し上げます。(平成元年3月15日初稿 一部改)

 今から、30年以上前の文章です。今、読み返すと、丁寧な言葉を使ってはいるものの、なんとも自分勝手な内容だと思わずにはいられません。

 文中にもありますが、体育祭のムカデ競争や合唱コンクールの練習で朝早く生徒を集め、放課後も特訓しました。ここには示していませんが、休日にも生徒を集めて合唱の練習をしたこともあります。それでも、保護者からは一切クレームはきませんでした。(公立高校の合格発表が終わった後、「先生、行事の練習のために塾を何度も休みました。これで合格しなかったら、どうしてくれるんだとひやひやしてたんですよ」と本音を言ってくださるお母さんがお一人いましたが。)そういう時代だったのかもしれません。

 退職前、同じ学校に校長として勤務したとき、当時生徒だった子に何人も出会いました。子どもを中学校に通わせる親となった彼らは、あの頃のことを懐かしく話してくれました。しかし、私はこういう話を「武勇伝」のようにして若い先生に話をする気はありません。そんなことをしても今の生徒や、今の保護者が求めるものと大きくずれていれば、有害でしかないと思うからです。私に言えることは、目の前の生徒が、あるいはその後ろにいる保護者が何を望んでいるのかに耳を傾け、教師として伝えたいことがちゃんと伝わるようにするためにはどんな言葉を使えばいいのかを、そのときそのとき考えるしかないということだけです。

 自慢じゃないですが、私は当時学級通信を通じて、保護者の一人一人に自分の考えを必死で伝えようとしていました。また、初めての3年生担任ということで、保護者用回覧ノートを作って意見を書いてもらっていました。それなりに努力はしてきたつもりです。これだけ無茶をやっても何とか許してもらえたのは、そういうことをこまめにやってきたからだという自負はあります。

 保護者がモンスターと呼ばれることがあります。確かに、とんでもないことを要求してくる人もいますが、それでも、そうした声に耳を傾ける姿勢は今も大切なことだと思っています。そして、その姿勢を保護者に伝えることが重要だと思います。親が何も言ってこないからこちらも何もしないというのでは、信頼関係はつくれません。保護者は「聞いてくれる」と思うからこそ、本音で語ってくださいます。度を越したクレームもこうした教員の姿勢でかなりの部分が防げると思います。そこから生まれた信頼関係を基盤にした学級経営であるからこそ、担任としてのやりがいも生まれるのだと思います。

(作品No.120RD)

勉強する理由

「勉強は何のためにするの?」と児童生徒に聞かれたらどう答えればいいか迷います。子どもが納得できる答えは簡単にはみつけられません。私は、この問いに答えるためには、学校教育を「機能」と「目的」に分けて考える必要があると思います。

 まず、「機能」とは、社会に出たときに役に立つような知識や技能を身につけさせるはたらきです。例えば、算数の四則計算を使いこなせることや、最低限の漢字が使えるといったいわゆる「読み書き算盤」は、社会生活を営む上で欠かせないものです。

 また、学校には社会化機能というのもあります。社会人として必要な礼儀やモラル、コミュニケーションの取り方などのことです。これも子どもが社会に出て困ることのないようにと願いつつ、私たちは子どもと日々のかかわりを続けているわけです。

 一定の年齢までは「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞いてきた子どもに「将来必ず必要になるから」と答えるのが最もストレートに伝わるでしょう。

 ところが、学年が進むにつれて学習内容は難しくなり、中学校くらいになると抽象的な概念なども増えてきます。そうなると「将来役に立つ」というだけでは説明がつきません。

 例えば、社会人である大人がどれほどに一次関数や二次関数を使っているかと問われれば、答えに窮してしまいます。かくいう私も日常的に関数を使うことはありません。本当は意味のあることなのですが、中学生にとってはその意味を実感することは困難でしょう。

 そこで必要になるのが、勉強の「目的」です。

 近代的な学校が成立する前は、徒弟制度などによって大人から直接必要な知識を得ることができました。それは経験に基づいた技能や知識が中心でした。親の職業を受け継ぐことが多かった時代ならそれでよかったのでしょうが、職業選択の自由が保障されて選択肢が広がっていくにつれ、次第に経験だけで伝えられるものでは不十分となっていきました。つまり、「身の回りにないものを学ばせる必要が生じてきた」1)のです。そして今、学校には「人生のさまざまな生き方の可能性」2)を与えることが求められるようになりました3)

 言い換えれば、学校教育は、この社会や世界がどういうふうに成り立っているのかを理解しようとする視点を子どもが持てるようにすること、これが大きな目的の一つになったのです。だから、卒業した後、一回も使わない知識や技能があったとしてもそれがまったくの無駄であるとは言えないのです。

 中学生に「なぜ、勉強しなきゃいけないんですか?」と聞かれたとき、次の言葉が役に立ちます。

「天文学者と小さな少年が同じように望遠鏡で星を見ていても見えるものが違う」5)

 子どもたちにとって学校で身につける知識は、一見無駄に思えるかもしれません。でも、知識があるからこそ見えてくることもあります。それが自分の人生を豊かにするのです。 

(作品No.207RB)

  1. 広田照幸(2022)『学校はなぜ退屈でなぜ必要なのか』ちくまプリマ-新書、p89
  2. 前掲、p98
  3. このことを最初に提唱したのは、コメニウス(Johannes Amos Comenius、1592-1670)の『大教授学』だとされています。400年以上も前にすでに気づいていた人がいたというのはまさに驚きです。

自殺防止と学校のあり方

「令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議まとめ」(以下「審議まとめ」)によれば、令和元年度と令和2年度の自殺者数は、小学生8人から14人、中学生は112人から146人、高校生279人から339人といずれもかなりの増加となっています。

 なかでも、女子の自殺者の増加が顕著で、小学生で100%、中学生で46.8%、高校生で75.0%増加しています。

 令和3年度は若干の減少に転じた(100名減)ことから、コロナ禍の影響、特に休校措置による影響が大きいことが推測されます。

 子どもたちは、コロナ禍の休校措置によって、長時間家で過ごすことを余儀なくされました。友達と会って、何気ない会話をすることさえできない状態が長く続きました。このことが何らかの影響を与えたことは十分に考えられます。

 しかも、保護者もテレワークなどによって在宅勤務が増えたため、もともと親子関係に苦しんでいた児童生徒にとっては、非常に厳しい環境になったとかんがえられます。

 すなわち、関係が悪くなっている保護者と過ごす時間が増え、これまで日中友達と交流することでできていた気分転換や気晴らしなど、精神的に解放される時間が極端に減り、極度に息苦しさを感じる子どもが増えたのでしょう。なかには、家屋の関係(自分の部屋がないなど)によって必然的に保護者と長時間同室にいなければならなくなったために精神的に追い詰められてしまった子も少なくないでしょう。

 そして精神的に追い込まれた上に、せめてSNSなどで友達とつながろうとしても、すぐそばにいる保護者から「いったい何時間スマホばかりやっているんだ」などといった叱責の機会が増え、さらに追い込まれてしまったとも考えられます。逃げ場がない状態に追い込まれてしまったのです。

 女子の自殺者数が増えた原因については、専門家でもない私が軽々に語ることはできませんので分析は控えますが、明らかに有意な差はあるだろうと思われます。

 先に挙げた文科省の「審議まとめ」にもあるように、皮肉にもコロナの拡大による休校措置によって、子どもたちにとって学校が大きな意味を持っていたことが明らかになりました。日常的に、友達に会い、様々な行事や取り組みによって創造的な活動を行なうことが、子どもたちの命を守るために大きな貢献をしてきたのです。それが強制的に停止されたことによってくっきりと浮かび上がってきました。

 こうした状況を踏まえて、私たち学校関係者が考えなければならないことは主に次の二つであると思います。

 一つは、仲間と呼べる存在の重要性を教員が今まで以上に理解することです。学力の保障も大切ですが、学校で様々な人と触れ合うことの重要性をこれまで以上に自覚しなければなりません。やはり人間は一人では生きていけないのです。「審議のまとめ」にもありますが、自殺の原因の中で精神疾患に関わるものが最も多い(ただし、この分析が警察による聞き取りをもとにしていることには注意が必要ですが)ことは、そのことを如実に物語っています。

 もう一つは、コロナ以前から不登校児童生徒が増えていることをどうとらえるかです。コロナが明らかにした人と繋がりの重要性を目の当たりにして、考えるべきことは、コロナ前から、その繋がりを絶たれてしまっている子どもがたくさんいるということです。そこにこそ目を向けなければなりません。

 換言すれば、そうした子どもたちを生み出しているのは、現在の学校のあり方そのものに原因があるのではないかという視点を持たなければならないということです。令和2年度に比べて令和3年度の自殺者が100名減ったといっても、まだ一年に400人近くの子どもが自ら命を絶っているのです。当然のことながら、その原因をコロナに求めることはできません。

 学校にとっては当たり前の日常が、実は不登校を生み出している要因になっているのではないかと内省することが必要なのです。

 それは、不登校の児童生徒を減らすことを目標にしていたのでは根本的な解決にはなりません。学校のあり方が、本当に子どもにとって魅力あるものになっているのか、どうしても学校に来られない子どもに信頼できる誰かに繋げる方策は他にないのか、それを問い続けなければ悲劇を失くすことはできないでしょう。

(作品No.206RB)

プロの仕事

久しぶりにバスに乗りました。目的地までの約30分間でしたが、いつも車を運転している身としては、結構、新鮮でした。

 私は一番前の席に座りました。小銭をあまり持っていなかったので両替しやすい席に座ったのです。そういえば、子どもの頃は、電車やバスの最前列に座るのが好きだったなあと思い出したりしながら。

 そのときの運転手さんは、停留所から走り始めるたびに「全員の着席を確認しましたので、発車します」とアナウンスされていました。「発車します」というアナウンスはよく聞きますが、わざわざ全員の着席を確認したことを声に出していう人はあまりいません。

 「真面目な人なんだろうなあ」と思いました。

 いくつかの停留所を通過して、比較的交通量の多い二車線の道路に入りました。すると、運転手さんは、停留所に止まるたびに「お客様、減速時の際には、バスが揺れます。ご注意ください」とアナウンスしました。それ自体は珍しいことではないのですが、その言い方がいかにも緊急事態が起こったかのような緊迫感のあるトーンだったので、最初に聞いたときは、何か危ないことが起こったのかと一瞬ドキッとしました。

 驚いたのは、この運転手さんは、毎回停留所に止まるたびに同じトーンでアナウンスされたことです。

「やるなあ、この人」

と、私は感心しました。

 運転手の中には、ボソボソとした口調で、何を言っているのかよく聞き取れない人も結構います。毎日同じことを繰り返しているのですから、言い方がおざなりになってしまった運転手を責めるのもかわいそうだと思います。でも、この人は毎回気持ちを込めた言い方をされていたのです。

 考えてみれば、私にとっては「毎回」であっても乗ったばかりの乗客にとっては、1回目であるわけです。すべての乗客を大切にするその姿勢に感服しました。

 終点が近づいてきたので、私は、さっき両替した小銭を財布から取り出そうとして、100円玉を1枚足元に落としてしまいました。100円玉は、ころころと通路の真ん中にまで転がってしまいました。運転手さんから見える位置です。いつもの私なら、走行中であっても立ち上がって拾いにいったと思います。でも、そのとき思ったのです。この人(運転手)の前で走行中立ち上がることなんてできないと。

 これがプロの仕事なんだなあと気がつきました。

 こんなに誠意をもって乗客の安全を大事に思っている人の誠意をむだにすることは失礼です。私は、バスが次の停留所に止まるのを待ちました。

 子どもも同じです。私たちが、子どもたちにどう接するかによって、子どもの行動は変わっていくのです。

「……子どもは、彼の環境から、彼に寄せられる期待によって、左右されるのである。子ども  は発達をすすめるためには、彼を取りまくものからの信頼を必要とする。この信頼が欠けているばあい、すなわち信頼の代りに、明らさまにせよ、暗黙にせよ、なんらかの不信がそこにあるばあいには、子どもの発達も決して首尾よくすすまず、あるいは停止し、あるいはひどく歪められてしまう」(ボルノウ(1989)森昭・岡田渥美訳『教育を支えるもの』、p107)

 相手に対する誠意は、信頼につながり、信頼は人を動かし成長させます。子どもたちも、信頼する人を決して裏切りたくないと思うはずです。

(作品No.204RB)

聞こえるということ

私は、車を運転中にラジオをかけることが多いのですが、その内容をすべて聞いているとは限りません。音声は発信されて、空気に振動を与え、私の鼓膜を震わせてはいてもまったく内容を覚えていないことがあります。どうしてこんなことが起こるのでしょう。

 そもそも、人が音を認知するとき、音を出したものが空気を振動させ、私の鼓膜を動かします。そして、その振動は中耳から内耳に伝わり、中耳の中にある液体のようなものを通して内耳の組織に伝わり、最終的に脳に電気信号として送られることで「聞こえる」という状態となります。だから、本来ならばすべての音が脳によって認識されてもおかしくないわけで、そうなると「聞こえているはず」なのにまったく記憶に残らないということは起こらないはずです。

「私たちは常にさまざまな音を聞いていますが、その中でも『注目すべき音』と『聞かなくてもいい音』を脳が区別して、大事な音に注意を向けて、理解し、記憶しているのです。」1)

 つまり、私たちは「今、ここ」における自分にとって興味や関心、必要性のレベルによって「聞く」か「聞かないか」を判断(無意識のことも多いでしょうが)しているというわけです。このときの「判断」は個々人の興味・関心などの度合いによって為されます。現象学的社会学の祖と言われるA・シュッツはこれを「レリバンス」と名付けました。人は見ているものに対する重要性の度合が違うので、それを「大切だ」と感じる人(こと)もあれば、ほとんど記憶にさえ残らないくらい無関心だったりするわけです。

 私たちはしばしば「聞く」と「聴く」の違いを通して、子どもに「聴く」ことの大切さを伝えてきました。それは、「聴く」ことが「聞く」ことに比べて高い「レリバンス」を必要とするからです。よく「心で聴く」といわれますが、それは話し手に対して最も高い「レリバンス」を発動している状態なのです。

 子どもが教師に対して高い「レリバンス」を発動するためには、教師が子ども以上に高い「レリバンス」をもって接することが必要となります。

マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心です。」と言ったというのは、あまりに有名な話です。彼女が世界のいたるところで起こっている悲劇に目を向け、言葉を発することで、悲劇に苦しむ人にその思いが伝わり、多くの人が苦しみの中でさえ彼女に高いレリバンスを発動し、前向きに生きようとする力を生み出すのです。

マザーテレサほどの人格者になるのは至難の業ですが、目の前の子どもが自分にとってどのくらい重要な存在であるかということを絶えず確認することは、誰にでもできるのではないかと思います。(作品No.203RB)

癒されるということ -「読み語り」の被包感-

私は、研修所に勤務していたとき「読み聞かせ」の講座を担当していました。そこで、子どもの生活文化研究家の梓 加依(あずさ かい)先生と出会いました。

 中学校現場しか経験のなかった私には、「読み聞かせ」などまったくの無縁のものでした。不遜にも「この講座は、若輩の指導主事に任される〝軽い〟講座なのだろう」と思っていました。しかも、講師の梓先生はとてもこだわりの強い方で、講座のたびに大量の絵本を研修所に送ってくる人でした。そして、事前に研修する部屋を下見に来られて一冊一冊置く場所を指定されるのです。どのみち、1回の講座で読める本なんてたかが知れてるのに、なぜこんなに大量の本が必要なのか、下準備に付き合うだけでも大変でした。その上、運転免許をお持ちでなく遠方から高速バスで来られるので、毎回インターまで車で送迎しなければなりません。だから、この講座があるときには他の仕事がほとんどできない状態でした。

 ところが、最初の講座で180度意識が変わりました。

 講座は、「読み聞かせ」の基本をまとめた短いビデオを2本見た後、簡単な注意事項-本の持ち方など-を先生が説明され、受講者(ほとんどが小学校教諭)が、部屋いっぱいに並べられた絵本の中から一冊を選びます。そこには、「自分が誰かに読んで聞かせたい」と思う本を自分で選ぶことを先生が重視されていたからでしょう。大量の本にはそういう意味があったのです。そして、少人数のグループ内で互いに「読み聞かせ」を実演し、各グループから選ばれた代表者が全体の前で実演し、それに対して講師が助言する、これが講座の流れでした。

 助言の内容は実にコンパクトなもので、さほど「すごい」と思えるようなことはなかった(先生、ごめんなさい)のですが、グループ毎の「読み聞かせ」から代表者の「読み聞かせ」へと進むにつれて、少しずつ会場の空気が変わっていくのです。どこか懐かしいような、温かい空気が流れ始めるのです。

 そして、極めつけだったのは最後に梓先生が自ら行う「読み聞かせ」でした。私は、びっくりしました。大人の私、それもこの講座にさほど思い入れもなかった私でさえ、体の中から熱いものが込み上げてきたのです。今、これを書いているときでさえ、そのときの感覚がよみがえってきて涙しそうになります。

 当然、梓先生の読む技術が高かったこともあったでしょうが、それよりも「誰かに読んでもらう」ということが、ものすごく心地の良いものなのです。

 それは、読み手と聞き手が本を通してつながっている世界でした。それが頭ではなく、肌で感じられるのです。先生が読み始めたときはまだ、読み手が聞き手を惹きつけようとしている意図を感じるのですが、聞いているうちに、聞き手は読み手と本が醸し出す世界に自らその身を委ねていくのです。そして、同時に包み込まれるような感覚が体中に広がります。「癒される」というのはこういうことなんだ、そう思うと私は不覚にも自然に涙がこぼれそうになりました。

 講座が終わり、片づけをしながら、私の「癒され」体験について先生に話しました。先生は子どものような表情になって「そうでしょ。本ってすごい力があるんですよ」と満面の笑顔で答えてくださいました。そして、こんな話をしてくださいました。

「でもねえ、私は、「読み聞かせ」っていう言い方があまり好きじゃないんですよ。本当は「読み語り」だと思う  んですよね。「読み聞かせ」というとどうしても「読んでやっている」というイメージになるでしょ。読み手が本の世界に没頭して「語る」。それだけでいいんですよ。余計なことはいらないんです。」

 先生は自著の中で「絵本は誰のもの?」という見出しで次のように述べています。

(研修などでいろんな人に本を読むと)「この絵本の読み語りで、大人の教師や学生たちから「とても癒された、楽しかった」「絵本がこんなに素晴らしい資料だとは思わなかった」「絵本は子どもだけのものじゃない」といった感想がたくさん出てきたのです。お母さんたちも子どものために読んでもらっているのに、自分が楽しかったといってくれます。私も仕事として絵本と関わってきましたが、絵本を楽しみ、絵本に癒されてきました。」1)

 この「癒され」感は、ボルノウが「教育を支えるもの」として最も重要とした「()包感(ほうかん)」(雰囲気)につながるものだと思います。

 絵本に限らず、本は今どんどん電子化されています。聞くところによると電子書籍は紙書籍よりもコストがかからず、売れ残りや返品のリスクがないため、出版業者にとってはありがたい存在なのだそうです。また、近年では朗読のプロが読む電子媒体も増えています。それも貴重な存在でしょう。でも、体ごと包み込まれる感覚が生まれるのは、そこに「読み手」という生きた人間が存在するからです。

 どんなに上手に読んだとしても、読んでいるのが「AI」だったら、梓先生のいう「読み語り」は成立しないのです。

(作品No.202RB)

1) 梓 加依・吉岡真由美・村上理恵子(2011)『介護とブックトーク』素人社、p6

A先生の昔話

ある中学校のA先生の話です。A先生は、新任5年目の独身の男性。最初は、ほとんどの生徒にそっぽを向かれ、学級崩壊を起こすほど状態でしたが、それを何とか乗り越えて、教師としてのやりがいや自信も生まれてきたころのことです。

 A先生は、その年2年生の担任でした。学級経営は順調で、生徒との人間関係も良好でした。そのクラスにBさんという女子がいました。Bさんは、多少感情の起伏が激しいところがあったものの、学習面にも部活動にも前向きに取り組んでいて、誰よりも学校生活を満喫しているように思えました。

 ところが、1学期も半ばに差しかかったころ、普段は明るく覇気のある彼女が、どうも最近、浮かない顔をするようになりました。A先生は、彼女の様子が気になっていました。

 ある日、A先生は生徒指導室でBさんとゆっくり話をすることにしました。

「最近何か嫌なことでもあったんか」

 そう問いかけても、最初は何も言いませんでした。

「そうか、それならいいんやけど、どうも最近あなたの様子がおかしいような気がしてなあ」A先生がそう言うと、まるで(たが)が外れたように急に泣き出したのです。そして、嗚咽の間に一つ、また一つと短い言葉をねじ込むように挟み始めました。

 今まで本当に仲の良かった父と母が、最近家の中で毎日怒鳴り合いの喧嘩をしている、原因はわからない。子どもの私には言えないことなのかもしれない。でも、わからないから余計に不安で、怖い。いがみ合い(ののし)り合っている声が、自分の部屋まで聞こえてくる。その(いさか)いは来る日も来る日も終わることがない。もう、どうしていいかわからない。でも、誰にも相談できない。このまま家庭が壊れてしまったらどうしよう、彼女の思いは切実でした。

 A先生は、何をどう答えてやればいいのかわからず、ただ聞くことしかできませんでした。

そして、彼女のつらい話を聞いているうちに胸が詰まり、自然に涙が(こぼ)れ落ちてきました。 

「そうか。それはつらいなあ」と言うのが精一杯でした。何の力にもなれない歯がゆさが全身に広がっていきました。

 その年の3学期。修業式が終わったすぐ後に、BさんはA先生のところにやってきました。最近は、ようやく両親の関係が良くなって、前のように落ち着いた家庭に戻っていると話してくれたそうです。そして、こう言ったのです。

「先生、ありがとうございました。あのとき、私、ほんっとに嬉しかったんです。私のために泣いてくれる人がいるんだと思うだけで、何とか頑張れる気がしたんです。」

 こういうのが、教師の醍醐味ってやつですかね。退職するまでの30年余り、A先生はこのことを決して忘れることがなかったのですから。

 (作品No.201RB)

問いの立て方

大量の情報にあふれる現代において、非常に重要になるのは「信憑性」です。その情報が信じるに値するかどうかを判断するためには何らかの根拠が必要ですし、そうした根拠の「信憑性」を見極める力が必要となります。しかし、これがなかなか難しい。

 根拠の「信憑性」を見極める一つの方法として「問いの立て方」に注目することは、結構、有効です。

 例えば、「学級のルールをしっかりと守れるクラスは学力が伸びる」という情報があったとします。私たちは、この情報に対して、「その通りだろう」と思う人もいれば、「それは一概には言えないだろう」と感じる人もいるでしょう。そして、なぜそんなことが言えるのかということに関心が向けられます。このとき気をつけなければならないのは、こうした調査が、暗に二者択一を求めているということです。

 つまり、知らず知らずのうちに私たちは規律と学力との関係はあるのか、ないのかという「二者選択」に誘導されてしまっている可能性があるのです。しかし、この調査の対象となったクラスの担任がどんなタイプの人なのか、あるいは学級の人数がどのくらいなのかなど、他の要因によって学力が左右されることも考えられます。そのことに目を向けなければ、学級の規律が学力に影響するのではないかという閉じられた思考に陥ってしまいます。

 どのような調査や研究でも、ある種の限定が為されているものです。学力と規律に関する調査においても規律とはどういうもので、学力とはどういうものとするという前提があるはずです。その限定された範囲内で示されたものが結果として示されているわけです。

 最近、エビデンスという言葉をよく耳にするようになりました。これは、数値や指数で表される科学的根拠という意味として用いられます。確かに何の根拠もない話は誰も信用しませんから、エビデンスは周囲の納得を得るためには欠かせないものです。それでも、エビデンスそのものが、調査等による実証的結果である限り、一定の限定を避けられるものではありません。

 私はそうしたエビデンスを否定するわけではありません。高度な統計的処理を行うことによって生み出されるデータは非常に貴重なものです。しかし、「量的」な分析だけでは測れないことが多い教育の世界では、私たちの経験の積み重ねから生まれる「質的」な感性もエビデンスとして大切に扱うべきだと思うのです。私たちに必要なのは、その問いの立て方が課題解決のために妥当なものであるかどうかをしっかりと吟味することだと思います。

「……高いエビデンスを誇るとされる量的研究は、まさにそれゆえにこそ、実際の教育政策や教育実践にいくらか無批判に受け入れられてしまいやすい傾向がある。」1)

 また、現象学の提唱者であるフッサールは、さらに厳格な言い方をしています。

「通常おこなわれている明証性(Evidenz)への訴えはすべて、それによってそれ以上遡って問うことが断ち切られるのであるから、理論的にみれば、神がみずからを啓示するといわれる神託に訴える以上のものではないことになろう。」2)

 つまり、「ある科学的エビデンスを客観的真理の動かしがたい証拠として受け取るとするなら、それは「神託」を信じるのと変わらない」3)というのです。

 フッサールの記述は、極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、全知全能の神と同じように科学的根拠を神聖化してはならないという警告として受け止めようと、私は思っています。

(作品No.200RB)

1) 苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p37

2) フッサール(1992)細谷恒夫/木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央 

  公論新社、p344(前掲書、p145より重引)

3) 前掲書、苫野、p145