年老いたある男性の話です。彼は一年前に妻を亡くし、それ以降ずっと落ち込んだままで何も手につかない状態でした。自分ではどうしようもないと考えた彼は、ある精神科医のもとを訪れ、自分の心の状態を打ち明けました。
そこで彼は目の前の医師から意外な言葉を聞きます。その医師はこう言ったのです。
医師:「もし、あなたのほうが先に亡くなられていたら、どうなったでしょう。」
患者:「妻はたいへん苦しんだにちがいありません」
医師:「そうですよね。つまり、奥様はその苦しみから免れることができたのです。奥様を救ったのは、他ならないあなたなのです。あなたが生きているということは、奥様が受けたかもしれなかった苦しみを、あなたが代わって苦しんでいるという、そういう意味があるのです。」
患者の男は、何も言わずに医師の手を握り、診察室を出ていきました。彼は医師によって自分の生きる意味を与えられ、今の苦しみが耐えるに値するものであると気づいたといいます。
この医師こそ世界中で最も読まれている書籍の一つといわれる『夜と霧』の著者、フランクルです。ご存じの通り、フランクルは第二次大戦直後、ユダヤ人であるというだけでナチスによって強制収容所に収監され、約三年間、極寒と厳しい強制労働の中で耐え抜き、終戦と同時に奇跡的に生還した人です。
彼は生還後ロゴセラピーという独特の「精神療法」を確立し、戦後50年以上にわたって多くの患者を救ってきました。フランクルは次のように言います。
「「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことではなく「人生は私になにを期待してい るか」と問うだけです。「人生のどのような仕事が私を待っているかという問いだけなのです。」1)
「「あなたがどれほど人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することはけっしてない。」2)
ここに書かれた「人生」を「他者」や「社会」など個人を超えた言葉に置き換えると理解しやすいと思います。私たちは、自分の人生を自分のものだと思っていますが、実はそうではなく、すべからく人間は自分以外の大切な人や、自分に与えられた仕事や研究などによって「生かされている」のです。フランクルは「私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。」3)とさえ言います。与えられた人生が私に何を期待しているのか、それを考えることが大切だと。
厚生労働省のデータによると2020年の国内の自殺者は2万1081人に達しています。全体数としては若干減少傾向にありますが、10代の自殺者は少子化が進む中でも増加傾向にあります。人間は生きることに意味を求める存在です。自ら命を絶つ若者の多くは「自分は生きている意味がない」と感じているのかもしれません。しかし、その意味は自分の中に求めても決して見つからない、フランクルはそう主張するのです。
自分に自信をなくし、苦しんでいる子どもたちにとって、なぜ自分がこんなにも苦しいのかを知ること以上に大切なことは、自分が生きることで支えられている人が必ずいるということを知ることです。自分がいなくなったとき、一人でも悲しい思いをする人がいるなら、それだけで十分生きている意味はあるのです。そして、人生はすべての人間に必ずその人にしかできない何らかの使命を与えているのです。
極限状態の収容所で、最もたくましく生き抜くことができたのは、愛する人がいる人、自分にしかできない仕事があると信じた人だったとフランクルは言います。そして、自分の家族をすべてガス室に送られたフランクルは、「いつかここでの経験を多くの人の前で語ろう」ということに自分の生きる意味を見出し、生き延びることができたのです。つまり、彼は『それでも人生にイエスと言う』と決意したのです。
(作品No.236RB)
1)V・E・フランクル著、山田邦男・松田美佳訳(1993)『それでも人生にイエスと言う』春秋社、p27
2)ヴィクトール・E・フランクル著、中村友太郎訳(2014)『生きがい喪失の悩み』講談社学術文庫、p205(諸富祥彦「解説 フランクル-絶望に効く心理学-」)
3)前掲、フランクル(1993)、p27