『夜と霧』を世に出したオーストリアの精神科医フランクルは、ユダヤ人であるというだけで第二次大戦がはじまると間もなく、家族とともに強制収容所に収監されました。彼の父親はそこで亡くなり、妻や娘も失いました。それでも彼は自らが提唱してきたロゴセラピーによって、収監された多くの人を勇気づけたといわれています。
彼は、収容されて絶望の淵にいる仲間にこう尋ねたといいます。
「あなたには、あなたの帰りを待つ人がいるんじゃないですか。」
このことについて、神戸親和女子大学教育学部教授(教育学専攻)の広岡義之氏は次のように述べています。
「強制収容所を生き残る可能性の最も高かった人々は、未来に向かって生きることのできた人であり、いつの日かこの私が帰ってくるのを待っているであろう、達成すべき課題や出会うべき人に向かって生きることのできた人たちだったのです。」1)
つまり、フランクルは人間にとって最もつらいことは未来を信じることができないと捉え、「「未来の目的」や「人生の意味」を見出しえた人間が、結果的に強制収容所から生還」できる2)と考えたのです。そして、フランクルは生還後に『夜と霧』の中で、そのことが本当であったことを世に示しました。
ちなみにフランクルは約三年間の収容所生活の間、一度も歯を磨くこともできず、著しいビタミン不足に陥っていたにもかかわらず「健康なとき以上のよい「歯肉」を維持していた」3)し、「傷だらけの体であったにもかかわらず。一度も傷が化膿しなかった」4)そうです。それだけ彼は強靭な精神と未来を信じる気持ちが強かったのでしょう。
さて、現代に生きる私たち、特に子どもが置かれている状況はどうでしょうか。不登校は過去最多に達し、引きこもりが社会問題となっています。私は不登校そのものが問題だとは思いませんが、不登校である子どもが苦しんでいることは深刻な問題だと思います。
なかでも、自分に自信をなくし、この先自分はどうなっていくのだろうという不安を抱えている子にとっては毎日がつらく感じられることでしょう。おそらく彼ら(彼女ら)は、そうした不安のために、自分の未来を信じることができなくなっているのではないかと思います。
私たちは、こうした子どもを救いたいと願っています。簡単なことではありませんが、フランクルは私たちに次にようなヒントを与えてくれています。
「(私たちは)私たちの方から「生きる意味」を問うてはならないのです。なぜなら、人生の方が私たちに問いを出し、問いを提起しているからです。私たちは人生から問われている存在なのであり」、「生きること自体が人生から問われていることに他ならないのです。」p9
つまり、なぜ生きているのかを問うよりも、なぜ生かされているのかを考えることの方が大切だということです。そう考えることで、自分が今置かれている状況も必ず何らかの意味が与えられているはずだということに気づくのです。それが、自分を責め続けている尖った矢印を少しずつ外に向ける力になると思います。
自分を見つめるだけでは、信じられる未来は見えてこないのです。
(作品作品No.233rb)
1) 広岡義之(2022)『フランクル教育哲学概説』あいり出版、p10
2) 3) 同上、p12
4) 同上、p11