(以下は、私が初めて中学3年生を担任したときの学級通信を冊子にしたときの後書きです。)
本当にありがとうございました。皆様のご協力により、今年もすばらしい感動と巡り会うことができました。いろんな行事に全力を尽くせたのは一重に皆様のお陰であると、心より感謝申し上げます。進路決定の大切な時期に、やれムカデだ、合唱だと朝早くから放課後遅くまで練習させていただいたのは、皆様の深いご理解があればこそであります。しかしながら、その結果、子どもたちは、自分の力を伸ばすことができました。私自身も、半人前なりの充実感を存分に味わうことができました。ご家庭におかれまして、子どもたちに励ましのお言葉をかけていただいたこと、そして、各行事で素晴らしい成果を収められたことは、今後忘れることはないと思います。
子どもたちは今、卒業のときを迎え、心身ともにたくましくなりました。甘えん坊だった彼らも、一人一人自分の将来をしっかりと見つめています。社会は厳しく彼らを更に鍛えるでしょうが、この中学校で体験した感動を胸に、一層優しく、人間らしく生きていってほしいと願ってやみません。このささやかな冊子が、その成長の過程で少しでも役に立てば幸いと存じます。
子どもたちは、実に正直で素直でした。三年間の幕を閉じるにあたり、最後のお願いをさせていただきたいと存じます。9組の生徒たちが、卒業式を終えて家に帰りましたら、三年間分、たっぷりとほめてやってください。難しい年ごろと言われる彼らが、反抗しやすい年ごろでありながら、精一杯生きてきたすばらしい中学生活を彼らと語り合っていただけたら、私は教師としてこんなに幸福なことはありません。
彼らに対し、何もできませんでしたが、せめて彼らに恥じない生き方をすることで報いたいと思います。三年間、本当にありがとうございました。今後の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げ、ここに御礼申し上げます。(平成元年3月15日初稿 一部改)
今から、30年以上前の文章です。今、読み返すと、丁寧な言葉を使ってはいるものの、なんとも自分勝手な内容だと思わずにはいられません。
文中にもありますが、体育祭のムカデ競争や合唱コンクールの練習で朝早く生徒を集め、放課後も特訓しました。ここには示していませんが、休日にも生徒を集めて合唱の練習をしたこともあります。それでも、保護者からは一切クレームはきませんでした。(公立高校の合格発表が終わった後、「先生、行事の練習のために塾を何度も休みました。これで合格しなかったら、どうしてくれるんだとひやひやしてたんですよ」と本音を言ってくださるお母さんがお一人いましたが。)そういう時代だったのかもしれません。
退職前、同じ学校に校長として勤務したとき、当時生徒だった子に何人も出会いました。子どもを中学校に通わせる親となった彼らは、あの頃のことを懐かしく話してくれました。しかし、私はこういう話を「武勇伝」のようにして若い先生に話をする気はありません。そんなことをしても今の生徒や、今の保護者が求めるものと大きくずれていれば、有害でしかないと思うからです。私に言えることは、目の前の生徒が、あるいはその後ろにいる保護者が何を望んでいるのかに耳を傾け、教師として伝えたいことがちゃんと伝わるようにするためにはどんな言葉を使えばいいのかを、そのときそのとき考えるしかないということだけです。
自慢じゃないですが、私は当時学級通信を通じて、保護者の一人一人に自分の考えを必死で伝えようとしていました。また、初めての3年生担任ということで、保護者用回覧ノートを作って意見を書いてもらっていました。それなりに努力はしてきたつもりです。これだけ無茶をやっても何とか許してもらえたのは、そういうことをこまめにやってきたからだという自負はあります。
保護者がモンスターと呼ばれることがあります。確かに、とんでもないことを要求してくる人もいますが、それでも、そうした声に耳を傾ける姿勢は今も大切なことだと思っています。そして、その姿勢を保護者に伝えることが重要だと思います。親が何も言ってこないからこちらも何もしないというのでは、信頼関係はつくれません。保護者は「聞いてくれる」と思うからこそ、本音で語ってくださいます。度を越したクレームもこうした教員の姿勢でかなりの部分が防げると思います。そこから生まれた信頼関係を基盤にした学級経営であるからこそ、担任としてのやりがいも生まれるのだと思います。
(作品No.120RD)