過去を変えるなど、タイムマシンでもない限り無理だとも思われるでしょう。でも、そうでもないんです。
新任のとき一緒に採用された新任が5人いたのですが、学級担任は私だけでした。当時、その学校はまだ校内暴力がかなり残っており、毎日のようにケンカやトラブルが絶えない状態でした。自分のクラスだけは「荒れ」させたくない。新任であることでなめられてはいけない。私は、新任であることを決して口にしませんでした。そして、学級開きの日から毎日のように生徒を押さえつける指導を繰り返しました。ほんの少しでも騒がしかったり、指示を聞かなかったりすれば烈火のごとく叱りつけました、授業中にちょっと後ろを向いただけの生徒を大声で怒鳴りつけたこともありました。何とか学級の「荒れ」を防ごうと懸命でした。不安の裏返しでもあったのだと思います。しかし、赴任したばかりで学校のシステムやルールも全くわかっていなかったため、私が出す指示は間違いだらけでした。それでも私は生徒に謝りもせず、平然と新たな指示を出していました。朝令暮改を絵にかいたような状態だったのです。
そのうち、生徒たちは私の指示を信用しなくなりました。それでも同じように厳しい口調で叱り続ける私に、次第に反抗的な態度を示す生徒が増えていきました。6月ごろにはもう誰もまともに私の話を聞かなくなりました。教室でケンカが始まっても仲裁に入る私の手は簡単に振り払われました。二学期になるとさらに状態は悪くなり、道徳の時間にクラスの女子が全員エスケープしたこともありました。
また、雪の降った日授業中にクラスの多くの子が雪玉を隠し持っていて、私が板書しようとすると黒板めがけて投げてくるのです。私を狙ったのではなく、黒板をねらっていたのです。黒板は濡れると乾くまで字が書けません。それに対して私が怒ったり困ったりするのを見て喜んでいるわけです。
とにかく毎日が地獄のような日々でした。ひどいいじめも起こりました。ある土曜日、終わりの会をするために教室に行くと、最後列の女の子が机に突っ伏して泣いています。どうしたのかと近寄るとそのまま教室を飛び出していきました。見れば額からうっすら血が流れています。クラス全体に「何があったか」と聞くと、そのときの学級委員長の女子がすっくと立って、「私が隣のクラスの子から借りていた教科書を廊下で投げて返したら、ちょうどそこにAさん(泣いて飛び出した子)がいて額に当たりました。すみません」ときっぱり言い切った。ところが、後でAさん宅に家庭訪問したときに知らされた事実は全く違うものでした。Aさんは、7~8名の女子生徒にトイレで囲まれ罵詈雑言を浴びせられた上に、殴られたり蹴られたりされていたのです。委員長の女子はその主犯格でした。
家庭訪問では、Aさんの両親から「これは犯罪だ。二度とこんなことがないとここで約束しろ。そうでなければお前を訴えてやる」と言われました。当然の怒りです。しかし、私は学級の現状を考えると「二度とないようにする」自信はまったくありませんでした。怒り狂う両親を前にして、ただ無言で耐えるしかありませんでした。結局、その子の母親が偶然にも学年担当の先生の教え子だったため、何とかなだめてくださり、訴えられることはありませんでしたが、その一件で私の教師としての教師としての誇りや自身は壊滅状態になりました。
その後私は、とにかく一日が過ぎればそれでいい。早く一年が終わってほしい。そればかり考えていました。新任であるにも関わらず年休をすべて使い果たしました。生徒に対しても完全に逃げ腰になりました。生徒と向き合うエネルギーはもう残っていませんでした。三学期、最後の大掃除のとき、学級の全員がロッカーの上に座ったままでまったく掃除しようとしませんでした。私は次に入学してくる新入生が使うことになっている机だけは修繕しようと、一人で一つ一つの机に向かっていました。そのとき、私の頭にあったのは、惨めさを通り越した「恨み」でした。そして、教師として絶対に思ってはならないことを思ってしまったのです。こんな奴らに俺の人生を狂わされてたまるか。私を何とかそこに留まらせたのは、生徒への「憎しみ」だったのです。
翌年、再度1年生の担任となった私は、二度と同じ轍を踏むようなら、その時は潔く職を辞そうと考えていました。二年連続となれば、もう自分に教師としての適性はないということだ。その代わり今度こそ最後まで逃げずに生徒に向き合おうと決めました。相当な無茶もしました。どうせだめならやめるんだと思うと、迷わず好きなようにやれました。クラスも落ち着いていました。
そんなある日、グラウンドの石段に腰かけていた私に、一人の女子生徒が話しかけてきました。前年私のクラスにいた子で、毎日のようにいがみ合っていた生徒です。嫌味の一つでも言うかと思ったら、意外にもこう言ったのです。「今の先生、なんかすごくいい感じだね」そのときは、ただただ嬉しかっただけでした。
それから何年も経ったのち、アドラーという心理学者の存在を知りました。アドラーはこう言います。
「人は誰もが同じ「客観的な世界」に生きているわけではなく各々自分で意味づけをほどこした「主観的な世界」に生きているということです。同じ経験をしても意味づけ次第で世界はまったく違ったものに見え行動も違ってくる」1)
アドラーの言うことが正しければ、客観的な事実としての過去は変えることはできなくても、それに与える意味は変えられるということになります。そして、人が各々違う意味づけの「主観的な世界」に生きているとすれば、悔いしかないような失敗でさえ、意味づけが変われば、失敗は必ずしも失敗ではなくなるのです。私は気づかされました。一年目の「失敗」(だと思っていた経験)があったからこそ、それ以降の教師生活が充実したのだと。記憶から消したいとまで思ったあの一年間に、新たな意味づけが与えられたのです。
「過去は変えられる」。管理職になってから、何人かの先生にそう伝えました。ただし、自分のやったことが本当に失敗だったと、心から考えていると感じた人にだけですが。
1)岸見一郎・NHK「100分de名著」制作班監修、脚本:藤田美菜子、まんが:上地優歩『まんが!100分de名著アドラーの教 え 『人生の意味の心理学』を読む』宝島社、2017年4月22日、p35)