本屋でないとできないこと

私は本屋に行くのが好きです。理由は二つ。一つは、世の中が今何に注目しているのかを感じるため。専門書を中心に置いている書店ではなく、幅広いジャンルをそろえている本屋に行き、タイトルだけを眺めます。これだけで、結構世の中が今どっちに向かっているかがわかったりします。世の中の動きを感じることができます。

もう一つの理由は、自分の興味がどこにあるのかを確認するため。「この本がほしい」と思っているときはインターンネットで買いますが、本屋に足を運ぶときは、ほしい本があるときとは限ません。数多い本の背表紙(タイトル)を順に眺めているとなぜか目に留まる本に出会います。自分に必要なことを教えてくれたり、そのとき考えていることにヒントを与えてくれたりすることもあります。

インターネットではなかなかこうはいきません。自分の興味のあるものだけを検索をしていると、ご親切なことに「あなたにお勧めの本」などと勝手にコーナーができていたりします。そういうのを見ると天邪鬼の私は、逆に本屋に行きたくなります。私はそれだけじゃないという軽い反発もあるからかもしれません。

ネット販売は、検索して注文までほんの数分で完了することができます(しかも安かったりする)。そして、早ければ翌日には届く。こうなれば、本屋に行く必要はない。でも、そこにはあまり「偶然」は存在しません。偶然に出会った本が、自分の考え方や生き方に決定的な影響を与える「必然」に変わることはあまり期待できないと思います。

大学に入学したばかりのとき、帰省のため大学のある山梨から東京に出たとき、以前から興味のあった「八重洲ブックセンター」に立ち寄りました。「冷やかし」程度の気持ちでした。実際にそこにいた時間も30分足らず。この書店は8階建てのビルすべてが本で埋め尽くされています。開店初年度(1978年)の入店者数は約1000万人、売れた本は約500万冊であったと言われています。今でも在庫数120万冊を誇ります。それだけ膨大な数の本の中から、私は本当に「偶然」に一冊の本(写真集)に出会いました。その本によって私は教師になろうと決めました。まさに運命的な出会いです。それが『写真集・教育の再生をもとめて 学ぶこと変わること』(林竹二、1978年、初版、筑摩書房、湊川高校授業 カメラ:小野成志 秋山宏行 西川範之)。神戸湊川高校で大学教授の林氏が、定時制に通う生徒に対してソクラテスやプラトンなどの話を交えて「人間とは何か」という最も哲学的な授業を展開した様子が経時的に写真に収められていました。そこには最初まったく興味を示さなかった生徒が授業が進むにつれて表情が変わり、頬杖をついていた手を外し、最後は食い入るように前を向く姿が示されていたのです。私は、その場で動けなくなるくらいの大きな衝撃を受けました。授業というのはこんなにも人を変える力があるんだ、と。

当時の湊川高校の教員、西田秀秋氏は「もうアカンかなあ」と諦めていた生徒が、林先生の授業を契機に「まるごと人が変わる」事実を目の当たりにし、「人となるために如何にせねばならないか」を「学問で得たものを精緻に練りあげ、無駄の一切をはぶいて(心の琴線に)迫る授業」から授業の力を実感し、日々の授業の改善に挑んだと言います

このままだと書店はどんどん減っていくでしょう。ネット販売を利用していながら言うのもおかしな話ですが、どうか、本屋さんには、頑張ってほしいと願うばかりです。

※日本教育学会第79回大会 The 79th Annual Conference of Japanese Educational Research Associationラウンドテーブル「林竹二の求めた「教育の再生」―兵庫県立湊川高校での「自己の再造」―企画者:吉村 敏之(宮城教育大学)司会者:吉村 敏之(宮城教育大学)報告者:松本 匡平(ヴィアトール学園洛星中学校高等学校) 報告者:吉村 敏之(宮城教育大学)」2020.8.24~28 引用部分は、文意を損なわない程度に修正を加えた。

(作品No.25HB)

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