聞こえるということ

私は、車を運転中にラジオをかけることが多いのですが、その内容をすべて聞いているとは限りません。音声は発信されて、空気に振動を与え、私の鼓膜を震わせてはいてもまったく内容を覚えていないことがあります。どうしてこんなことが起こるのでしょう。

 そもそも、人が音を認知するとき、音を出したものが空気を振動させ、私の鼓膜を動かします。そして、その振動は中耳から内耳に伝わり、中耳の中にある液体のようなものを通して内耳の組織に伝わり、最終的に脳に電気信号として送られることで「聞こえる」という状態となります。だから、本来ならばすべての音が脳によって認識されてもおかしくないわけで、そうなると「聞こえているはず」なのにまったく記憶に残らないということは起こらないはずです。

「私たちは常にさまざまな音を聞いていますが、その中でも『注目すべき音』と『聞かなくてもいい音』を脳が区別して、大事な音に注意を向けて、理解し、記憶しているのです。」1)

 つまり、私たちは「今、ここ」における自分にとって興味や関心、必要性のレベルによって「聞く」か「聞かないか」を判断(無意識のことも多いでしょうが)しているというわけです。このときの「判断」は個々人の興味・関心などの度合いによって為されます。現象学的社会学の祖と言われるA・シュッツはこれを「レリバンス」と名付けました。人は見ているものに対する重要性の度合が違うので、それを「大切だ」と感じる人(こと)もあれば、ほとんど記憶にさえ残らないくらい無関心だったりするわけです。

 私たちはしばしば「聞く」と「聴く」の違いを通して、子どもに「聴く」ことの大切さを伝えてきました。それは、「聴く」ことが「聞く」ことに比べて高い「レリバンス」を必要とするからです。よく「心で聴く」といわれますが、それは話し手に対して最も高い「レリバンス」を発動している状態なのです。

 子どもが教師に対して高い「レリバンス」を発動するためには、教師が子ども以上に高い「レリバンス」をもって接することが必要となります。

マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心です。」と言ったというのは、あまりに有名な話です。彼女が世界のいたるところで起こっている悲劇に目を向け、言葉を発することで、悲劇に苦しむ人にその思いが伝わり、多くの人が苦しみの中でさえ彼女に高いレリバンスを発動し、前向きに生きようとする力を生み出すのです。

マザーテレサほどの人格者になるのは至難の業ですが、目の前の子どもが自分にとってどのくらい重要な存在であるかということを絶えず確認することは、誰にでもできるのではないかと思います。(作品No.203RB)

癒されるということ -「読み語り」の被包感-

私は、研修所に勤務していたとき「読み聞かせ」の講座を担当していました。そこで、子どもの生活文化研究家の梓 加依(あずさ かい)先生と出会いました。

 中学校現場しか経験のなかった私には、「読み聞かせ」などまったくの無縁のものでした。不遜にも「この講座は、若輩の指導主事に任される〝軽い〟講座なのだろう」と思っていました。しかも、講師の梓先生はとてもこだわりの強い方で、講座のたびに大量の絵本を研修所に送ってくる人でした。そして、事前に研修する部屋を下見に来られて一冊一冊置く場所を指定されるのです。どのみち、1回の講座で読める本なんてたかが知れてるのに、なぜこんなに大量の本が必要なのか、下準備に付き合うだけでも大変でした。その上、運転免許をお持ちでなく遠方から高速バスで来られるので、毎回インターまで車で送迎しなければなりません。だから、この講座があるときには他の仕事がほとんどできない状態でした。

 ところが、最初の講座で180度意識が変わりました。

 講座は、「読み聞かせ」の基本をまとめた短いビデオを2本見た後、簡単な注意事項-本の持ち方など-を先生が説明され、受講者(ほとんどが小学校教諭)が、部屋いっぱいに並べられた絵本の中から一冊を選びます。そこには、「自分が誰かに読んで聞かせたい」と思う本を自分で選ぶことを先生が重視されていたからでしょう。大量の本にはそういう意味があったのです。そして、少人数のグループ内で互いに「読み聞かせ」を実演し、各グループから選ばれた代表者が全体の前で実演し、それに対して講師が助言する、これが講座の流れでした。

 助言の内容は実にコンパクトなもので、さほど「すごい」と思えるようなことはなかった(先生、ごめんなさい)のですが、グループ毎の「読み聞かせ」から代表者の「読み聞かせ」へと進むにつれて、少しずつ会場の空気が変わっていくのです。どこか懐かしいような、温かい空気が流れ始めるのです。

 そして、極めつけだったのは最後に梓先生が自ら行う「読み聞かせ」でした。私は、びっくりしました。大人の私、それもこの講座にさほど思い入れもなかった私でさえ、体の中から熱いものが込み上げてきたのです。今、これを書いているときでさえ、そのときの感覚がよみがえってきて涙しそうになります。

 当然、梓先生の読む技術が高かったこともあったでしょうが、それよりも「誰かに読んでもらう」ということが、ものすごく心地の良いものなのです。

 それは、読み手と聞き手が本を通してつながっている世界でした。それが頭ではなく、肌で感じられるのです。先生が読み始めたときはまだ、読み手が聞き手を惹きつけようとしている意図を感じるのですが、聞いているうちに、聞き手は読み手と本が醸し出す世界に自らその身を委ねていくのです。そして、同時に包み込まれるような感覚が体中に広がります。「癒される」というのはこういうことなんだ、そう思うと私は不覚にも自然に涙がこぼれそうになりました。

 講座が終わり、片づけをしながら、私の「癒され」体験について先生に話しました。先生は子どものような表情になって「そうでしょ。本ってすごい力があるんですよ」と満面の笑顔で答えてくださいました。そして、こんな話をしてくださいました。

「でもねえ、私は、「読み聞かせ」っていう言い方があまり好きじゃないんですよ。本当は「読み語り」だと思う  んですよね。「読み聞かせ」というとどうしても「読んでやっている」というイメージになるでしょ。読み手が本の世界に没頭して「語る」。それだけでいいんですよ。余計なことはいらないんです。」

 先生は自著の中で「絵本は誰のもの?」という見出しで次のように述べています。

(研修などでいろんな人に本を読むと)「この絵本の読み語りで、大人の教師や学生たちから「とても癒された、楽しかった」「絵本がこんなに素晴らしい資料だとは思わなかった」「絵本は子どもだけのものじゃない」といった感想がたくさん出てきたのです。お母さんたちも子どものために読んでもらっているのに、自分が楽しかったといってくれます。私も仕事として絵本と関わってきましたが、絵本を楽しみ、絵本に癒されてきました。」1)

 この「癒され」感は、ボルノウが「教育を支えるもの」として最も重要とした「()包感(ほうかん)」(雰囲気)につながるものだと思います。

 絵本に限らず、本は今どんどん電子化されています。聞くところによると電子書籍は紙書籍よりもコストがかからず、売れ残りや返品のリスクがないため、出版業者にとってはありがたい存在なのだそうです。また、近年では朗読のプロが読む電子媒体も増えています。それも貴重な存在でしょう。でも、体ごと包み込まれる感覚が生まれるのは、そこに「読み手」という生きた人間が存在するからです。

 どんなに上手に読んだとしても、読んでいるのが「AI」だったら、梓先生のいう「読み語り」は成立しないのです。

(作品No.202RB)

1) 梓 加依・吉岡真由美・村上理恵子(2011)『介護とブックトーク』素人社、p6

A先生の昔話

ある中学校のA先生の話です。A先生は、新任5年目の独身の男性。最初は、ほとんどの生徒にそっぽを向かれ、学級崩壊を起こすほど状態でしたが、それを何とか乗り越えて、教師としてのやりがいや自信も生まれてきたころのことです。

 A先生は、その年2年生の担任でした。学級経営は順調で、生徒との人間関係も良好でした。そのクラスにBさんという女子がいました。Bさんは、多少感情の起伏が激しいところがあったものの、学習面にも部活動にも前向きに取り組んでいて、誰よりも学校生活を満喫しているように思えました。

 ところが、1学期も半ばに差しかかったころ、普段は明るく覇気のある彼女が、どうも最近、浮かない顔をするようになりました。A先生は、彼女の様子が気になっていました。

 ある日、A先生は生徒指導室でBさんとゆっくり話をすることにしました。

「最近何か嫌なことでもあったんか」

 そう問いかけても、最初は何も言いませんでした。

「そうか、それならいいんやけど、どうも最近あなたの様子がおかしいような気がしてなあ」A先生がそう言うと、まるで(たが)が外れたように急に泣き出したのです。そして、嗚咽の間に一つ、また一つと短い言葉をねじ込むように挟み始めました。

 今まで本当に仲の良かった父と母が、最近家の中で毎日怒鳴り合いの喧嘩をしている、原因はわからない。子どもの私には言えないことなのかもしれない。でも、わからないから余計に不安で、怖い。いがみ合い(ののし)り合っている声が、自分の部屋まで聞こえてくる。その(いさか)いは来る日も来る日も終わることがない。もう、どうしていいかわからない。でも、誰にも相談できない。このまま家庭が壊れてしまったらどうしよう、彼女の思いは切実でした。

 A先生は、何をどう答えてやればいいのかわからず、ただ聞くことしかできませんでした。

そして、彼女のつらい話を聞いているうちに胸が詰まり、自然に涙が(こぼ)れ落ちてきました。 

「そうか。それはつらいなあ」と言うのが精一杯でした。何の力にもなれない歯がゆさが全身に広がっていきました。

 その年の3学期。修業式が終わったすぐ後に、BさんはA先生のところにやってきました。最近は、ようやく両親の関係が良くなって、前のように落ち着いた家庭に戻っていると話してくれたそうです。そして、こう言ったのです。

「先生、ありがとうございました。あのとき、私、ほんっとに嬉しかったんです。私のために泣いてくれる人がいるんだと思うだけで、何とか頑張れる気がしたんです。」

 こういうのが、教師の醍醐味ってやつですかね。退職するまでの30年余り、A先生はこのことを決して忘れることがなかったのですから。

 (作品No.201RB)

問いの立て方

大量の情報にあふれる現代において、非常に重要になるのは「信憑性」です。その情報が信じるに値するかどうかを判断するためには何らかの根拠が必要ですし、そうした根拠の「信憑性」を見極める力が必要となります。しかし、これがなかなか難しい。

 根拠の「信憑性」を見極める一つの方法として「問いの立て方」に注目することは、結構、有効です。

 例えば、「学級のルールをしっかりと守れるクラスは学力が伸びる」という情報があったとします。私たちは、この情報に対して、「その通りだろう」と思う人もいれば、「それは一概には言えないだろう」と感じる人もいるでしょう。そして、なぜそんなことが言えるのかということに関心が向けられます。このとき気をつけなければならないのは、こうした調査が、暗に二者択一を求めているということです。

 つまり、知らず知らずのうちに私たちは規律と学力との関係はあるのか、ないのかという「二者選択」に誘導されてしまっている可能性があるのです。しかし、この調査の対象となったクラスの担任がどんなタイプの人なのか、あるいは学級の人数がどのくらいなのかなど、他の要因によって学力が左右されることも考えられます。そのことに目を向けなければ、学級の規律が学力に影響するのではないかという閉じられた思考に陥ってしまいます。

 どのような調査や研究でも、ある種の限定が為されているものです。学力と規律に関する調査においても規律とはどういうもので、学力とはどういうものとするという前提があるはずです。その限定された範囲内で示されたものが結果として示されているわけです。

 最近、エビデンスという言葉をよく耳にするようになりました。これは、数値や指数で表される科学的根拠という意味として用いられます。確かに何の根拠もない話は誰も信用しませんから、エビデンスは周囲の納得を得るためには欠かせないものです。それでも、エビデンスそのものが、調査等による実証的結果である限り、一定の限定を避けられるものではありません。

 私はそうしたエビデンスを否定するわけではありません。高度な統計的処理を行うことによって生み出されるデータは非常に貴重なものです。しかし、「量的」な分析だけでは測れないことが多い教育の世界では、私たちの経験の積み重ねから生まれる「質的」な感性もエビデンスとして大切に扱うべきだと思うのです。私たちに必要なのは、その問いの立て方が課題解決のために妥当なものであるかどうかをしっかりと吟味することだと思います。

「……高いエビデンスを誇るとされる量的研究は、まさにそれゆえにこそ、実際の教育政策や教育実践にいくらか無批判に受け入れられてしまいやすい傾向がある。」1)

 また、現象学の提唱者であるフッサールは、さらに厳格な言い方をしています。

「通常おこなわれている明証性(Evidenz)への訴えはすべて、それによってそれ以上遡って問うことが断ち切られるのであるから、理論的にみれば、神がみずからを啓示するといわれる神託に訴える以上のものではないことになろう。」2)

 つまり、「ある科学的エビデンスを客観的真理の動かしがたい証拠として受け取るとするなら、それは「神託」を信じるのと変わらない」3)というのです。

 フッサールの記述は、極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、全知全能の神と同じように科学的根拠を神聖化してはならないという警告として受け止めようと、私は思っています。

(作品No.200RB)

1) 苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p37

2) フッサール(1992)細谷恒夫/木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央 

  公論新社、p344(前掲書、p145より重引)

3) 前掲書、苫野、p145

「事前」の説明責任

学校評価は、平成19年6月に学校教育法を改正に伴って導入されました。文部科学省は、この学校評価の目的として挙げた3つのポイントの一つに、「各学校が保護者や地域住民等に対し、適切に説明責任を果たし、その理解と協力を得る」1)ことを挙げています。

「説明責任」というと、どうしても「事後」の対応を思い浮かべます。たとえば、いじめの重大事案が発生したとき、それに対して、いつどのように対応したか、普段から子どもへのアンケートを定期的に実施していたか、実施していたのならその内容に関してどのように対応をしていたか、などの説明はすべて「事後」に行われます。

 当然、説明をしっかりするためには普段の取組や平素の記録を詳細に残しておくなど、「事」が起こる前の準備は欠かすことはできません。学校は、重大な事案が発生すると大きなダメージを受けます。そのダメージを少しでも減らすために、いつでも説明できるようにしておく視点は非常に重要です。しかし、そうした準備は、ほとんどの場合「事後」の対応を円滑にするために行われます。

 しかし、どんなに正確に記録を残していても、どんなに誠実に対応したとしても、いじめの被害者はなかなか納得してくれません。そこには、何かが足りないものがあるのです。それは、すべてが「事後」に行われるものだからです。前もって言えば「説明」ですが、後になればいくら言っても「言い訳」とされてしまうのです。

 ちょうど学校評価が導入されたとき、私は指導主事として、学校評価の出前講座を担当していました。まだ、学校が学校評価の具体的な在り方を模索していた時期です。県内各地に行くことになったのですが、この制度そのものへの不満もまだ根強く残っていましたので、不安だった私は、近隣の大学の専門家の講義を受けて、学校評価について助言をいただきました。講師先生のお話の中で印象的だったのは、次のような指摘でした。

「学校は評価というと、ついマイナスをゼロにしようとを考えるけれど、もともとその学校が持っている「強味」(プラス面)をグレードアップすると考えた方が前向きになれると思いますよ。不思議なことにプラス面が伸びてくれば、自然にマイナス面が減っていくものなのです。そもそもその方が夢があっていいじゃないですか。」

 なるほどと思いました。

 それから私は、学校にとって「説明責任」とは夢や理想を語ることだと思うようになりました。それは「事」が起きる前だからこそ意味があります。4月の最初に子どもたちに出会ったときや保護者の前で最初に話をするときに、この学校(学級)をいいものにしたいという、教員の思いを事前に語っておくことが「説明責任」の原点なのです。

 そう考えたとき、どの学校でも作成し、多くの学校でホームページで閲覧可能にしている「いじめ対応マニュアル」が大きな意味を持ちます。そこには、学校の方針に始まり、どんな生徒を育てたいかという理想像が描かれ、具体的な対応のフローチャートなどが示されています。中には、いじめ早期発見のチェックリストまでつけられているところもあります。

 自分が管理職だったときに、学校だよりなどでもっと積極的に保護者にアピールすべきだったと、いまさらながら思います。

 また、こうしたマニュアルの元になった「いじめ防止対策推進法」(平成25年制定)の第九条には(保護者の責務等)として以下のような記述があります。

「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。」

 このことも保護者には十分に理解してほしいところです。でも、これも後出しでは責任回避として受け取られてしまうでしょう。

 いじめ防止マニュアルを活用すれば、すべてがうまくいくとは言いませんが、深刻な問題が起こって、それに対応しようとするとき、最初に語った夢や目標、そしてそれを実現するための具体的な方策(早期発見を含む)まで書かれているのですから、「説明責任」を果たす上で、これほど有用なものはないと思います。

 理想を事前に周知しておくことで、「事後」の説明が生きてきます。なぜなら、その「説明」が後出しの「言い訳」ではなくなるからです。

 こうしたことにより、いじめだけでなく、実際に行われた指導にどんな意味があったのかを「事」が起こった後でも納得してもらいやすい風土がつくれると思うのです。

(作品No.197RB)

1) 平成22年10月25日 中央教育審議会答申初等中等教育分科会資料より抜粋(下線は引用者による)

S先生の誠実

 以前、このコラムでもご登場願ったことのあるS教授(当時)に関する話です。

私はS先生のゼミに入っていました。私が内地留学した教職大学院では、2年間で修士論文を書き上げないと修了することができません。1年目にテーマを決め、2年目に本格的に調査や執筆作業を行うのが通例でした。

 とはいえ、すぐに研究テーマが決められるわけではないので、S先生は「まずは、テーマにつながる内容で、今、関心があることをまとめてきてください」とゼミ生にレポートを課しました。一緒に考えましょうというスタンスは、いかにも優しく温厚なS先生らしいと感じました。

 ところが、その温厚な先生を私は激怒させてしまったのです。先生は私の書いたレポートに対してこう言われたのです。「あなたのやろうとしていることは教育ではない!」

私はかなりのショックでした。研究テーマの根本的な見直しを求められるかもしれない、そうなれば、私がここに来た意味がなくなってしまう。まさに、途方に暮れたのです。私の書いたレポートは、当時注目を集めていた教育社会学系の著作をベースに書いたもので、学校の現状を有体に示そうとした内容となっていました。純粋に「教育愛」を追究してきた先生は、一つ間違えば子どもを悪者にしかねないとして、私のレポートを完全否定したのです。

 それから、しばらくして先生の研究室に入ったときのことです。先生はたまたま不在でした。ふと見ると先生の机には真新しい本が積み重ねてあります。おそらく研究費で購入された本でしょう。私は、いったい先生はどんな本を読んでいるのだろうと気になって、不在なのをいいことにそのタイトルを覗いてみました。すると、そこに積み上げられていたのは、なんと、私がレポートの参考文献に挙げた本ばかりだったのです。

 びっくりしました。あれほど否定したのになぜ? と驚きました。でも私は、普段の先生の言動を思い浮かべて、すぐに理解しました。「先生は、自分のことをわかろうとしてくれている」。今後、私の研究テーマについてこのまま否定するにしても、いくらか認めるにしても、とにかく私がなぜこれらの本に魅かれたのかを、実際に読んでみて確かめようとしてくださったのです。そして、ゼミが進むにつれて私の本意を理解してくださり、全面的にバックアップしてくださいました。

 修士論文を書き上げたとき、この話を先生に打ち明け、お礼を言いました。先生は「いやあ、最初、とんでもない人がゼミにきたと思いましたよ。」と笑っているだけでした。その後、先生は自分の論文に私の研究結果の一部を引用してくださいました。これは、引用するに値するという評価をもらったということです。

 誰かに寄り添うためには、その人を理解しようとする姿勢が欠かせません。S先生にとっては、私の「研究力」など取るに足らないものだったと思いますが、それでも同じ目線に立って私という人間を信頼し、理解しようとしてくださったのです。

 

 ここに示した、S先生の私に対する関わり方は、私たちが日々行っている子どもへの接し方(寄り添い方)にも大いに通じるものがあります。

「子どもは、教育者が彼について描く像に従って、また教育者が彼の中におく信頼に応じて、みずからを形づくるのである」1)

 子どもをどこまで「信用」するかは、非常に難しい問題です。子どもは時に嘘もつけば、ごまかしもします。でも、人として「信頼」することはできると思います。

 子どもは「…為しうるぎりぎりの限界まで試そうとする自然な願望をもっている」2)存在だとボルノウは言います。

これを信じることができるかどうか、そこが「信用」と「信頼」の境目なのだと思います。

(作品No.199RB)

1) O.F.ボルノウ、森昭・岡田渥美訳(1989)『教育を支えるもの』黎明書房、p115

2) 前掲書、p111

子どもが息をしなくなる?

民主的な学校づくりは、本気で取り組まなければならない問題です。子どもたちに「自分たちが学校をつくっているんだ」という意識を持たせないと、「指示待ち」の人間ばかりを育ててしまいます。

いわゆるシチズンシップ(市民教育)が必要です。学校は社会に出たときに必要な最低限の知識と技能を身につけるところであると同時に、社会の発展に貢献することのできる人間を育むという大きな二つの目標があるはずです。

シチズンシップを育てるためには、一定の年齢に達したら、今、社会でどんなことが起こっているかについて考える時間を設ける必要があるでしょう。しかし、それは子どもたちにとって、身近な問題になりにくい面もあります。

だから、まずは最も身近な学校の課題に目を向けさせることが必要です。学校は大きく視点を変えて子どもたちに任せられることは思い切って任せる方向に舵を切らないと何も変わりません。例えば、校則の決定や改正については、提案から実現まで生徒会主導で実施するべきです。

ただ、ここで気をつけたいことは、「拙速」にならないことです。緩やかな変革が大切です。どんなに素晴らし取組であっても、拙速に過ぎれば無駄な反動が起こります。

校則の見直しは生徒の手で行えばいいとは思いますが、極端な話、昨日まで制服着用が課せられていたのに、急に明日から着てこなくていよとなれば、生徒はもちろん保護者も戸惑いを隠せないでしょう(ちょっと話が極端すぎましたかね)。

大切なのは、教員、生徒、保護者の三者が合意を形成することです。その合意を得ないままに、今の時代に合わないからといって学校側だけの判断で事を進めたら意味がありません。大切なのは学校に制服が必要かどうか、今の校則が妥当なのかどうかということではなく、それらの見直しが必要かどうかの合意形成をするための「過程」です。

それは、生徒が頑張って取り組んで先生の許しを得るというものではなく、生徒がまず、制服の意義を考え、必要か必要でないかを議論し、全校生徒や保護者、教員にも意見を聞き、いざ、制服を廃止するのがいいという合意が得られたら、どのような手順が必要かを考えるといった「過程」のなかで子どもたちは成長するのです。

だから、問題の内容によっては一年で終わらないかもしれません。生徒会が主導するなら次の代に引き継ぐことも起こりうるでしょう。それでもいいと思います。とにかく、プロセスを軽んじ、結果ありきでことを「拙速」に進めたらシチズンシップを培うことはできません。

ルソーは、大人が子どもに指示、命令、禁止ばかりを続けていると「「やがて、息をしなさい」といわれないと自分で呼吸をすることさえできなくなるだろう……」(苫野一徳(2020)『100分で名著 読書の学校 ルソー社会契約論』NHK出版、p74)という辛辣な皮肉を述べたと言われています。

今の学校は、指示や命令をしなければ維持できないシステムになってしまっています。学校が変われないのは、単に教員の意識レベルの問題だけではありません。子どもたちに、市民として生き抜く力を身につけさせることができる環境整備が何より重要です。

具体的には、教員に時間的な余裕を与えること、入試制度を抜本的に見直すこと、個々の生徒の理解度に合わせた授業展開を可能にするための人員確保など、行政が真剣に改革を進めなければ教員は身動きがとれません。

なぜ、それらの改革が必要なのかについてはまた改めて示したいと思います。とにかく、シチズンシップの育成のためには、生徒に自由を与えなければなりません。そして、そのためには、教員にも余裕と自由を与えるシステム改革が必須なのです。(作品No.198RB)

エビデンスと教育

最近エビデンスという言葉が多く使われるようになりました。医療の世界や利益を追求する企業では有効だと思いますが、どうも教育の世界に持ち込まれると違和感を禁じ得ません。エビデンスとは「根拠」という意味があるようですが、教育的効果を示すエビデンスはどうやって導くのでしょうか。

 一般的にエビデンスは量的な研究(具体的な数値を用いて結論を出す)によることが多いのですが、教育効果を数値で表すことはどこまで可能なのでしょうか。

 経済界の中心には、教育的効果をもっと明確にするために、文科省は全国学力学習状況テストの結果をもっと国の施策のなかで重視すべきだという人もいるそうです。確かに、テストの結果は点数という数値で表れますが、そもそも学力をどのように定義した上で作られたテストなのか、本当にその定義に沿った問題になっているのかをしっかり吟味しているのでしょうか。

 いうまでもなく、学力はじつに多くの要素を含んだ概念です。どんなに精密に作られたテストであっても、学力全体を図ることは不可能でしょう。学力という概念を経済界から見て有効な内容に焦点化してしまう危険性もあります。そうなると、教育にとって重要な要素である、人間関係の温かさや、将来の生きる力になる思い出などが軽視されてしまいそうです。 

 もともと、研究者の言う学力と学校現場の教員が考える学力とが同じとは限りませんし、ましてや競争原理や自己責任の重圧に苦しんで、勉強したくてもできない子どもが増えている現状においては、テストの点数を見て教育の効果を推し量るというのは、現場感覚として受け入れがたいものがあります。

 かつて、県教委に勤務していたとき、私が起案を上げたときによく上司に「この部分の根拠は何か?」と聞かれました。その際の「根拠」とは、科学的な研究結果などではなく、どんな公の機関が認めているかという出典のような意味でした。一つの文言を使用するにも、例えば文部科学省がこういう通知でこの表現を使っていますとか、県の指針から引用しましたということを示せというレベルでした。

 教育委員会は、行政機関の一つですのでそういう「根拠」を出すことは当然でしょう。国や県が推奨していないことを実施することは許されないからです。

 しかし、子どもたちの学力の向上に資する研究や実践においてはそうした説明責任は二義的な意味合いしか持たないはずです。どういう授業をしているのかを保護者に説明することは大切だとは思いますが、それ以上に大切なのは実質的に子どもの学力を高めることであるはずです。

 エビデンスとは何らかの課題の解決のために、有効な手段を考えるときの根拠となるものです。決して説明責任のためにやるものではありません。

 かつて、2003年に日本では「PISAショック」と言われる現象が起きました。OECDが世界の15歳の子どもを対象に教育的効果を測定するために行われている「PISA調査」の結果が2000年(第1回)に比べて参加国内での順位が大きく下がったことが発端になって、文科省は危機感をあらわにしました。

 特に、読解力の低下が著しいとして学校向けにかなり厳しいプログラムを課したことがあります(まあ、あんまりまともに受け止めなかった学校が多いと思いますが)。

 文科省からすれば、OECDが求める学力については、OECDに先駆けて学習指導要領を改訂し学校現場に示していたはずだ、先生は何をやっているんだ、しっかり効果的な授業をしなさいというわけです(例えば2005年に出された『読解力向上プログラム』には、国語の授業が心情理解に偏っているなど、非常に細かいことまで書かれていました)。

 文科省は単に順位が下がったことで、世間からの批判を恐れ「対策は講じていますよ」という説明責任(言い逃れ?)のために使用したのではないかとさえ思います。そして、責任を学校押しつけたのです。

 哲学者ボルノウは、教育を支えるものは「雰囲気」であると言っています。朝の気分でさわやかに子どもに接する教師の姿が、子どもたちの前向きな態度を培い、さまざまな面で可能性を伸ばすと指摘しています。こうしたことは、決して数値では測れません。

 それに、数学的な数値を基にした教育改革は恣意的になりやすい面があります。もし、経済界の要求を取り入れて企業にとって必要なタイプの人間を育てようとしたとしたら、それを肯定的に示す調査をすればいいわけです。また、同じ調査でも分析の視点を変えれば、結果も違ったものになります。

 量的な調査による客観的なデータは、教育の一部分を分析するには有効でしょうが、その分析は絶対的なものではありません。結局は平均値でしかないのです。量的な調査・研究によって明らかになった(とされる)ことを、学校現場の教員が実践してみて再度フィードバックすることが必要です。それによって、調査や分析を見直し、より効果的な方法を見出す、そういう作業がいるのです。

 どんなに高度な技術をもって分析したとしても、その問いの仕方が学校現場の実態とかけ離れていれば意味がありません。量的な調査研究の内容を決めるのは人間です。だからこそ、どんな調査をするかを考える前に、学力をどう規定するかについてもっと議論すべきだと思うのですが。

(作品No.197RB)

自分の原点を知るために -映画『同胞』-

この映画を始めて観たのは、地元の市民会館、封切から5年も経った後でした。当時、高校3年生だった私は、12月に遠い関東の大学を推薦で合格を決めていました。暇を持ちあましていたとき、近くで映画会があると聞いて出かけたのです。

「同胞」という映画が松竹80周年記念作品であることも知りませんでしたし、芸術祭参加作品であることも知りませんでした。それだけではなく、監督がかの有名な山田洋次氏だということさえ意識にはありませんでした。そもそも「同胞」を「はらから」と読むことさえ知らなかったのです。

 今も細かいストーリーを覚えているわけではありません。心に残る特別なシーンがあったわけでもありません。けれども私は、一人でこの映画を観ながら、ただただ「号泣」したことだけは、はっきりと覚えています。嗚咽とはこういうものかと実感したのもそのときです。ちょうど新しい生活が始まるタイミングだったこともあったのかもしれませんが、なぜあんなに「号泣」したのか自分でもよく覚えていないのです。

 今から42年前、何がそれほどまでに私の心を動かしたか。その頃の自分にもう一度出会いたくて、インターネットでレンタル落ちDVDを購入しました。

 ストーリーは、いたって日常的です。田舎の村にミュージカル公演を実現させるという設定はどこにでもあるものではないでしょうが、一つひとつのセリフは、いつでも、どこにいても出会えそうなものばかりです。はらはらどきどきするような映画でもありません。クライマックスのシーンですらどこか冷静さを感じるほどで、仰々しさはほとんどみられません。観る者を惹きつける場面と言えば、主演の寺尾聡氏が感極まって泣き出すシーンと消防団長役の渥美清氏が画面に大きく映る場面(この映画での渥美さんの出演は数分あるかないかです)くらいでしょうか。

 いったい、この作品のどこに「号泣」するほどのインパクトがあったのか、その答えは結局見つかりませんでした。

 けれども、あの頃こういう映画に感動する心を自分は持っていたのだ。そういう敏感な時期が自分にもあったのだということだけは、確認することができました。

 出会いというのは不思議なものです。私がこの映画に出会ったのは偶然としか言いようがありません。推薦入試に落ちていれば呑気に映画など見る余裕はなかったでしょう。市民会館が上映会をこの時期にしていなければ、私の「号泣」はなかったのです。それらの偶然によって与えられた出会いが、私の心に刻みこまれ、いつしか必然に変わっていきます。必然となった記憶は、それがなければ、今の自分の何かが欠け落ちてしまうような重要な位置を占めるようになります。

 今回私は、同じ映画を観ても当時のような感動は得られませんでした。でもそれは、必然に変わった何かが、私という存在にまったりと同化したからだ、そう思いたいという感情が生まれました。

 私が、自分の手や足や、それらを動かす心臓や脳の存在をほとんど意識することがないように、今も、あのときの「号泣」が私の体のどこかに潜んでいるのだと。(作品No.196RB)

<映画『同胞』について>

 1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開された。監督・脚本 山田洋次、出演 倍賞千恵子・寺尾聡他。DVD(発売・販売元:松竹株式会社ビデオ事業室、1975年)のディスクジャケットには「美しいふるさとで一つのものを作り上げる喜び」という見出しで以下の説明がある。「農村青年たちと都会の演劇青年たちが多くの困難や障害を克服し青春の夢の一つ(演劇公演)を現実のものにした岩手県の松尾村で実際に起った感動の物語」。

 いかにも「昭和」である。

これからの学校に必要なこと-相対化を超える現象学的視点-

新しい年を迎えました。昨年このコラムを読んでくださったすべての方に感謝いたします。教育は国家百年の計とも言われます。私ごときに百年先を考える力はありませんが、今年も私のつたないコラムが少しでも皆さんの力になれたら幸いです。

 さて、唐突ですが、昔、中学校の教諭だったころ、こんなことがありました。クラスの女子が職員室の私のところに来て「先生、これもらってください。母がお世話になっている先生にぜひ食べていただきたいと言うので、持ってきました。」

きれいな木箱に入っていたのは、なんと松茸でした。それも、少なくとも20㎝以上はある大物です。一目で高級品であることがわかりました。私は、「こんな高価なものはもらえない」と断りましたが、「このまま持って帰ると母に叱られるから」と彼女が何度もいうので、結局私は受け取りました。(こんな立派な松茸が食べられるという下心もないではなかったのですが)

 「一度手に取ってみてください」と言う彼女の言葉に従って松茸を手にしたその瞬間、予想外の軽さにびっくりしました。「そんなはずはない」と驚く私を前にして、手渡した生徒は満面の笑顔を見せています。

 そうです。私が手に取った松茸は、大量のティッシュを固めて精巧に作られた「偽物」だったのです。ずしりとくる感覚を予想していた私は、その軽さにすべてを理解しました。そう、私は見事に生徒のドッキリに嵌ってしまったのです。色も形も実によくできていました。彼女が言うには、色付けは水彩絵具ではなくプラモデルなどに使う本格的な塗料を何色も使ったそうで、一部ライターであぶって細工までしたとのこと。そして、渡す場所に職員室を選んだセンスの良さにも感服しました。まさか、職員室でこんなことをするわけがないと普通は思います。それが、彼女のねらいだったのです。

 彼女は、声を挙げて笑いながら、この「作品」が、母娘との共同製作であり、完成までに何時間もかかったと話してくれました。私は恥をかかされたというよりも、私を驚かせるためだけにわざわざ時間と手間をかけてくれたことに感激しました。

 実はこの話、今後の教育を語るうえで、とても重要なことを含んでいるのです(そのことに気づいたのはそれから10年以上後のことですが)。

 私は、最初に偽物の松茸を見たとき「本物だ」と確信していました。「偽物」だと気がついたのは、その後です。だから、初めから松茸はなかったわけです。じゃあ、松茸は本当にどこにもなかったのかというと、実はそうではないのです。私が「偽物」を「本物」だと信じていたときには、私にとっての松茸は確かにあったのです。それが、「偽物」だとわかった時点で、私のなかの「松茸」はティシュの塊に変わりました。でも、一つだけ存在している松茸があるのです。それは、私が「偽物」の松茸を「本物」だと信じていたという事実としての松茸です。その事実は、それが偽物だとわかった後でも覆すことはできないのです。

 この覆せない事実は、世の中がどんなに多様化しても、どんなに相対化が進んでもけっして否定することができないのです。私がある時点で感じたことや、何かを信じていたという事実だけは何者であっても否定することはできないのです。

 私は、平成7年ごろから現象学的社会学者の祖といわれるシュッツとの出会いをきっかけとして、現象学や社会学に関心を持ってきました。そして、今このような混沌とした教育界を救いうるのは現象学的な視点しかないと確信するようになりました。

 学校は今、あるべきものとしての自明の理を失いかけています。30年ほど前にはまだ、「学校(義務教育)は行って当然」という常識があり、それを疑う人は少なかったでしょう。そこには、登校は自明のものだとする世間のまなざしがあったわけです。今はそれもかなり薄らいでいます。社会における様々な場面で多様化と相対化が急激に進んでいるのですから、学校教育だけがそこから逃れるわけにはいきません。

 そうした時代だからこそ、現象学的な視点は大きな意味を持ちます。

 現象学を一言で説明するのはかなり困難ですが、それでもあえて簡単に言うと、「「これが絶対に正しい」という「真理」をとらえるしくみ」ではなく「物事の意義や価値をたしかめ合う必要が生じた際に、誰もが自分の中で吟味し、共有し合うことのできる「たしかめのしくみ」」1)となります。それまでほとんどの哲学者が求めてきた客観的な「真理」と主観的な認識をどう一致させるかという問題に対して、フッサールは「「そもそも根源とか真理とか求めること自体がもう終わっている」」2)と一刀両断に否定したのです。

 つまり、どんな哲学や科学をもってこようとも、目の前にある「もの」が客観的に存在することを証明することはできないというわけです。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、次のように考えるとわかってきます。

 例えば、冒頭に挙げた松茸が本物であるかどうかを私たちはどうやって判断しているのでしょう。形でしょうか? 色でしょうか? それとも手に取ったときの感触や重さでしょうか? それとも食べてみればわかるだろうというでしょうか?。でも、考えてみてください。現代の技術をもってすれば、松茸とほとんどかわらない味や香りを他のもので再現することは不可能とは言い切れません。

「カニカマ」を考えればさらにわかりやすいでしょう。カニなどまったく入っていなくても色合い、重さ、食感、味、風味のどれをとっても本物のカニと区別がつかない食品に仕上がっています。カニカマは販売開始当時、「本物のカニだ」と信じた人が少なからずいたため、メーカーがわざわざ「風味蒲鉾」という名称に変えたこともあったそうです3)。こう考えてくると、何が本物なのかを確信するのは思ったよりも大変であることがわかります。

 日本の代表的な哲学者である竹田青嗣氏は、こうした人間の判断のしかたについてリンゴをたとえにして次のように述べています。

「たとえば、ここに1個のリンゴがある。普通に考えれば、「『ここにリンゴがある』から私たちは『その赤くてツヤツヤした丸いかたちを目にしている』ことになる。だがこれをあえて次のようにとらえてみる。「『(あの例の)赤くてツヤツヤした丸いものが見えている』から、私は『ここにリンゴがある』と思っている」と。」4」

 また、私たちは一度も行ったことがなくてもアメリカという国が存在していることを疑いません。それは、様々な本や人から聞いたこと、インターネットやメディアから受けた情報を信じているからであり、その情報が本当に正しいのかどうかを疑うことがほとんどないからです。でも、それらの情報が本当に正しいかどうかは誰も証明してくれません5)。私たちが信じているから(見えているから)、私たちはそれを当たり前のこととして受け入れているに過ぎないのです。

 真実がないとすると、私たちに残された問題解決の唯一の方法は互いの共通了解をいかに得るかということになります。今の状態が本当にいいのかどうかを、まずは一人ひとりが吟味を重ね、その結果を持ち寄って「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか?」6)と絶えず対話を続けることで最もよい方法を見つけ出さねばならないのです。

 学校が抱える問題の多くが、相対化によって生み出されています。相対化は、教師も保護者も、そして子どもたちをも「寄る辺なき」存在にしてしまいます。これまで述べてきたように唯一絶対の「解」はありません。どこにもない正解をめいめいが正解だとして主張したら収集がつかなくなって当然です。この発想から抜け出せない限り、問題はいつまでも問題であり続けるでしょう。それでも、かつてのように同じ価値を大半の人が共有している状況なら大きな混乱はなかったでしょうが、学校を支える価値そのものが多様化している現代においては、いくら正解の行方を追っても、徒労に終わるでしょう。

 そもそも相対化とは絶対的なものを否定する現象のことですから、そこに一つの正解として何らかの方策を押し付けようとしても反発されるのは当然です。それは、学校の理想形というものがどこかにあって、そこに向かうことがあるべき姿だという発想から抜け出せていないからです。そのため両者は、互いに相手を攻撃しようとし、争いやトラブルが絶えなくなるのです。

 「これからの学校はどうあるべきか」という問題に対して、お互いが自分の正しさを一方的に相手にぶつけるのではなく、それぞれの見解を持ち寄って実現可能な方向を模索しなければなりません。

(作品No.195RB)

1)、2)、4)竹田青嗣・現象学研究会(2008)『知識ゼロからの哲学入門』幻冬舎、p126

3) https://seafood-reference.com/kanikama/entry1224.html

5)竹田青嗣(1989)『現象学入門』NHKブックス、p210(要約して引用、また文意に影響を与えない程度に加筆)

6)苫野一徳(2022)『学問としての教育学』日本評論社、p63