「不易」への道

これまで、私は主に今の学校を変えようという立場で、このコラムを書いてきました。

 私は、「昔はよかった」という言い方があまり好きではないので、学校に関することも、過去の武勇伝のような内容は、極力避けてきました。それは、現職の管理職だった頃から考えてきたことです。

 ところが、初めて校長として勤務した小学校で、信頼のおける一人の中堅女性教員から「校長先生の昔こういうことがあったっていう話が結構長いことがある」と言われたことがありました。とても恥ずかしい思いをしました。その先生が私に恥をかかせたという意味ではなく、自分で気をつけているつもりでも、気づかないうちにそういう話をしてしまっていることが恥ずかしかったのです。

 指摘されたときは、ちょっとショックでしたが、今思えば、よく言ってくれたと思います。つい調子に乗って話していたことを、私は自分では気づいていなかったわけです。

そもそも「昔はよかった」的な話や「昔はもっとひどかった」的な話に、ほとんど生産性はありません。これからの学校や教員に何のプラスにはなることはありません。それは、単に自己満足にすぎません。だからこそ、十分に気をつけていたつもりなのですが。

 ただ、若干の違和感もあるのです。無暗に過去にこだわるのは無駄だと思いますが、自分という人間は、周囲の環境や、自分の行動によって作られているわけですから、あまり自分の経験を軽視し過ぎると、自らが立つ基盤を見失う可能性もあるのではないかとも思うのです。それは、誰かに自慢話をしたいからではなく、曲がりなりにも30年以上教職の身にあったのだから、その経験を振り返って凝縮し、次の世代に引き継げるエキスのようなものを見つける作業も必要なのではないかと思うようになりました。

 昔のやり方が今は通じないかもしれないという謙虚さは必要ですが、もっと自分がこれまでやってきたことを整理することも必要だと思うのです。

 以前、不易と流行について書きましたが、真の不易というのはなかなか見つけられるものではありません。どんな場でも、どんな人に対しても、あるいはどんな時代にも通じる不易=真実があるとすれば、それはまるでブッダが悟りを開くような深いレベルの話になるのではないかと思います。

 私のような凡人にそんなことはできません。それでも、私には見えなくても本当はどこかに核のようなものがあるのかもしれないと感じることもあります。真実は一つではないと書いてきた私が言うのも変な話ですが、単に私たちには真実の周囲に存在する枝葉や、あるいはまとわりつくような膜のようなものしか見えないだけなのかもしれないのです。

 もしそうだとすると、真実は一つではないという現実的な前提を持ちながらも、昔の学校と今の学校に共通する部分はないのかと確認することは必要なのではないかと思うのです。

 古いと思ってきた教育の中に実は今に通じる何かがあるかもしれません。

 例えば、校内暴力が激しかった頃は、今なら「不適正なかかわり」とされるような指導もたくさん行われていました。時代が変わっても、それが「不適切」であることには違いありませんが、当時はそうしなければ収まらなかった状況もありました。また、暴れる生徒を力づくで抑え込むことは、その生徒を深刻な加害者にしない効果もあったと思います。

 私の実感でいえば、当時の多くの教員は生徒との心のつながりを大切にしていました。そして、生徒も体を張ってぶつかってくれる教員を望んでいました。激しく対立しているように見えながら、実は互いに信頼関係を求めていたのです。

 今の生徒に同じようにかかわっても何も通じ合うことはありません。それは、今の生徒がぶつかってくれる教員よりも寄り添ってくれる教員を求めているからだと思います。まったくちがったものを求めているようにも見えますが、昔の教員と今の教員に共通して求められるものもあるに違いありません。私は、それは、生徒が今何を求めているかを見ようとする教員の姿勢だと思っています。そのことに関しては昔も今も変わらないでしょう。

 今後、学校という制度が大きく変わり、「昔は寄り添うことが大切なんて言っていたなあ」という会話が職員室に生まれるようになるのかもしれません。かつて正しいと思われていた体ごとぶつかるかかわり方が、今通用しないのと同じようになるかもしれません。そのときにはまた、別の共通点を見つける必要があるでしょう。

 もしかしたら、そういう積み重ねが、ブッダの悟りのような「不易」に近づく唯一の方法なのかもしれません。

(作品No.194RB)

子どもが危ない -放課後児童クラブが抱える問題 その2-

子どもを取り巻く問題は多岐にわたっています。いじめや不登校(不登校そのものが問題ではありませんが)、虐待など深刻な問題が山積みです。でも、最も心配なことは子どもたちの多くが、幼い時に十分に親に甘えられていないことだと私は思います。

 これを論証するためのエビデンスが特にあるわけではありませんが、最近放課後児童クラブ(以下、児童クラブ)の運営に若干関わるようになって痛切に感じるようになりました。

 12月9日のこのコラムでも紹介しましたが、児童クラブからの報告書を読むと、子どもがとても荒れている内容が目につきます。児童クラブの仲間に対して「死ね」とか「うざい」とかといった暴言は日常茶飯事です。簡単に殴ったり蹴ったりする子も少なくありませんし、「このカッターナイフで刺してやろうか」という子もいます。暴力を受けた子が傷つくのは当然ですが、傷つけてしまった子も深い自責の念を負い、自暴自棄になっていく様子が報告書から手に取るようにわかります。「俺は死んだ方がいいんだ」と叫ぶ小学生が、そこには、たくさんいるのです。

 以前、この点についてコラムに書いてから、何がそうさせているのか、周囲の大人がどう関わっていけば少しでも子どもの心は落ち着くのかを考えてきました。

 最終的に私が出した答えは、小学校の低学年くらいまでは親に十分に甘えられる環境を整えることです。子どもは、早ければ0歳児から保育園に預けられます。その後、最も長い子で小学校6年生までの12年もの長きにわたって親元から引き離されるのです。

 せめて、小学校低学年くらいまでは親のどちらかが家にいて、できるだけ子どもに寄り添えることができるよう国レベルの思い切った施策が必要だと思います。前回にも書きましたが、大人がどんな理由をつけても、子どもには通用しません。むしろ、その理由が正論であればあるほど子どもは反論することすら許されなくなります。児童クラブに通う子どもたちは、さみしさから生じる大きなストレスを感じながらも、半面で親が働かなければならない理由を子どもなりに理解しています。反論すれば親が困ることを彼らなりにわかっているのです。

 児童クラブに通う低学年の女の子がこう言ったそうです。

 「お母さんは、どうして早く帰れる仕事しないのかなあ」

 こんな言葉を聞くと、本当に切なくなります。この子は、お母さんが働くことは健気に受け止めています。頭ではわかっているのです。でも、せめて仕事が早い時間に終われば、児童クラブへのお迎えも早くなる、もしかしたら放課後ずっとお母さんと一緒にいられるかもしれないのにと、素朴に、そして、真剣に願っているのです。

 この女の子の願いを叶えられるのは今しかないはずです。中学生くらいの年齢になってしまったら、もう遅いのです。そのときになっても、あるいは大人になっても、子どもが親に十分に甘えられなかったという痕跡は確実に残るのです。それがどういう影響を子どもに及ぼすのか、これからの社会にどんな影響を与えるのか、はかり知れません。

 本気で甘えられた経験がないということは、本気で大切にされたという経験が持てなかったということです。そうなれば、いざ自立しようとする時期になっても、どこか自分に自信が持てなくなります。近年、子どもの自己肯定感の低さが問題にされることが多くなりましたが、その大本を探っていけば、幼い時に十分に甘えられなかったために「自分は大切にされるに値する存在なのだ」という思いを持てなかったことが、一つの原因であることは否定できないと思います。

 確かに、一人親であろうと、0歳児から保育園に預けていようと「親に大切にされた」と感じられる子もいるでしょう。でも、児童クラブから送られてくる報告書には、子どもの切実な叫びが荒れた言動となって表れているとしか思えない事例にあふれているのです。

 はっきりとした根拠があるわけではありませんが、ここ10年で発達障害のある子が倍増しているのも、こうしたことと無縁であると本当に言い切れるのでしょうか。

 かつて、P.アリエスはアンシャンレジーム期(近代以前)には、「子供時代」という概念はなかったことを論証しました。その頃の子どもは早くから一か所に集められて地域の大人が一緒に育てていたといいます。そして、7歳~8歳くらいになると社会の徒弟制度に組み込まれて大人扱いされたのです。ならば、自分の子を自分で育てなければ子どもは健全に育たないという考え方は必ずしも絶対的な真理だとは言えないことになります。

 しかし、今、当時と同じようなコミュニティを再生させることはほぼ不可能でしょう。そうであるなら今の大人に求められるのは、子どもへの愛情を十分に確保できるよう社会福祉を充実させることしかありません。虐待の問題も経済的な不安定さを解消すれば、かなり減少すると思います。親も余裕がないのです。だから、常にイライラしていてそのイライラが子どもに向かってしまうのです。

 子どもは国の宝だとよく言われますが、この国は本当に子どもを宝として扱っているのでしょうか。私には到底そうは思えません。もし、宝だと本気で思っているのなら、せめて児童クラブの支援員の待遇を改善する予算くらいは十分に補償すべきです。ほとんどの支援員が国の定める最低賃金で働いています。宝を宝として必死にかかわっている人を冷遇している時点で間違っていると思います。まずは、国の偉い人に児童クラブの現状を知ってほしいと思います。そこで、子どもたちがどんな思いでいるのかに、もっと関心を持ってほしいと思います。

 冒頭で述べたように、少なくとも両親のどちらかが子どもが幼いうちは働かなくても十分に生活できる保障をすべきです。防衛費も大切ですが、これからの日本を創っていく「宝」を大切にしない国に未来はあるのかと思ってしまいます。自己責任の名のもとに、いつまでも、子どもの養育とその結果はすべて親の責任であるという考え方を続けていたのでは、敵国に攻撃される前にこの国は自滅してしまうかもしれません。

 今回は、極端な論調になったのかもしれません。でも、あながち間違ったことを言っているとも思いません。

 

 さりとて、すぐに国の施策の方針が変わるとは思えません。多くの問題を抱える児童クラブについて、現状から一歩でも前進するための具体的な方法を考えなければなりません。それはまた、別の回でお伝えしたいと思います。

(作品No.193RB)

子どもの「目覚まし」

「最近、家で何してるんですか?」

 退職して間もないころ、よく聞かれました。私は聞かれるたびに、正直に、

「本を読んでるか、何か書いてるかですね。」 

「書いてるって?」

 多くの人は一瞬、軽い驚きを持って反応します。読書には、違和感はないのでしょうが、「書く」となると、あまり馴染みがないようです。

 本を読んでいると、素晴らし言葉に出会ったり、新しい知識を得られることに喜びを感じます。過去の自分の記憶を蘇らせてくれたり、それまで感覚的でしかなかったものが形ある言葉になって浮かんでくることもあります。また、曖昧だった自分の考えがはっきりとした形になることもあります。そうしたとき、自分なりに文章で表してみたいという欲が生まれます。だから、読んでいるうちは何かしら書くことは浮かぶだろうと楽観的に考えています。

 さて、私が「書いている」ことを告げて、一人だけまったく違った反応を示したOという男がいました。Oは、歳は一つ上でしたが大学時代の同期生で、同じクラブで共に汗を流した仲間です。私が、一年早い退職の挨拶状を送ったのを見て、電話をかけてきてくれたのです。そのとき冒頭と同様の会話をしました。私が、「書いている」ことを告げるとOは、「俺なあ、今、放送大学の講義受けとるんや」と言いました。

 びっくりしました。申し訳ないけれど、彼の大学時代を思うと自分から何かを勉強しようというタイプではなかったからです。どういう心境の変化かと思いきや、彼は続けてこう言いました。

「実は俺、癌の手術したんや。」

 経過は良好だと言っていましたが、抗がん剤を打ちながら小学校の校長として勤務していたときは、かなり辛かったようです。その彼が定年退職して、まずやり始めたのが「勉強」だったのです。彼は、「まだまだ、知らん事が多い。せめて自分の興味のあることだけはしっかり勉強したい」と思ったというのです。生死の狭間を乗り越えた彼の言葉は、私の心にずしりときました。

 人間は、もともと学びたい生き物なのだと思います。当然、子どもたちもみんな、学びたい、わかりたいと思っているでしょう。最近、さまざまな理由でそれができない子も増えてきました。そういう子どもに少しでも「できる」、「わかる」喜びを与えられたらどんなに素晴らしいかと思います。授業の内容を十分に理解できなかったとしても、「わかった」と感じた喜びは、いつまでも心のどこかに残っているはずです。

 子どもたちは体のどこかに「目覚まし時計」を持っているのだと思うことがあります。それは、どんなに無気力に見える子にも必ずあり、「そのとき」がくればベルが鳴り、自ら学びたいと動き出すときがくるのではないかと。

 私たちにできる唯一で最大のことは、それを信じることだと思います。

(作品No.193RB)

教職志望の大学生に伝えたいこと(紙上講演)

最近、教員採用試験を受験する人が激減しているといいます。そんなに先生という仕事には魅力がないと思われているのかと思うと、長年教員をやってきた身としては非常につらいものがあります。

 確かに、ブラックと言われるほど超過勤務が長く、小学校も中学校も過労死ラインを大きく超えている現状を考えれば、そんな職場に行きたくないと思われても仕方がないでしょう。でも、私は長年教員をやってきて、本当に良かったと思っています。実にやりがいのある仕事です。それだけに、国レベルでもっと迅速に働き方改革を進めてほしいと痛切に感じます。

 教員のやりがいは、子どもの成長の中にあります。できなかったことができるようになる、世の中を斜めに見るような子が素直な面を見せてくれるようになる、そして子どもたちが全身で笑顔になる瞬間が見られる。そんな仕事は他にあるでしょうか。

 私が教師になると父親に言ったとき、父はこう言いました。「先生はいい。かかわった子どもと長い付き合いができる。子どもにとってはいつまでたっても、先生は先生だからな」。人と人が直接触れ合え、その関係が長く続く、そういう意味で父はうらやましいと感じていたんだと思います。

 さて、最近では大学でインターンシップのような制度が導入されることが多くなったようです。皆さんも、もしかしたら活用しているかもしれません。現役の大学生の間に学校現場に行って、一定期間教員の補助的なことを行うものです。

 教育実習だけでは、なかなか経験できない学校現場の先生の思いや、細かな仕事の内容まで見えてくるという意味で、貴重な経験になるものだとは思います。だから、教員になると決めている人はやってみたらいいと思います。

 ただ、その際皆さんに覚えておいてほしいことがいくつかあります。

 一つは、どんな学校に行くかはわかりませんが、決してその学校が全てではないという意識を持っていてください。中には、インターンシップに行って「学校って本当にブラックなんだ」と感じて、教職希望を取り下げたという人もいます。その学校が、ブラックなだけで他もみんなどうだとは限りません。また、これから確実に働き方改革は進んでいきます。今でも進んでいます。今だけを見て簡単に判断しないでほしいと思います。

 それからもう一つ。こちらの方が私の最も言いたいことなのですが、インターンシップに行くのはいいんですが、そこでスキルやノウハウだけを学ぼうとするのではなく、むしろ先生方の意識や、理想について聞いてきてください。

 どんな子どもに育てたいと思ってやっているのか、子どものためってどういうことだと考えているのか、そういう根源的な部分について触れてほしいと思います。まあ、そんなこと考えたこともないという先生もいるでしょうが。

 具体的なスキルを学ぶにしても、それがどういう意味を持ち、子どものどんな部分を伸ばそうとしてやっているのかについて、積極的に先生方に聞いてほしいと思います。特に生徒指導上の問題への対応には、指導する先生の教育観がはっきりと出ますから、その辺のところを吸収してほしいと思います。

 そもそもスキルやノウハウというのは、基本的なものはあるにせよ、学校によって違うものです。地域性もあって、その学校独自の文化などもあって当然です。だから、スキルばかりに目を向けても、実際に赴任する学校でそのまま使えるかどうかはわかりません。とても貴重な体験なのですから、もっと根本的なことに目を向けて臨んでほしいと思います。

 この話からすると、学生の間にぜひ、教育の本質的なことが書いてある本を読んでほしと思います。それは、学生のときでないとなかなかできません。実際に赴任してしまうと、最初の数年は、毎日が戦争のような日が続きます。やることが山のようにあって、本質的なことを考える時間的、精神的な余裕を持つことが難しくなります。

 それはそれで、皆さんの将来の糧になることは確かですが、方法論というのは理論的なバックボーンがなければ、すぐに使えなくなります。ある社会学者が言っています。「すぐに使えるものは、すぐに使えなくなる」と。

 インターンシップや大学での具体的なスキルやノウハウはよくもって1年くらいでしょう。必ず枯渇するときがきます。効果的だと教えられたことが、自分の学校では通用しないということはよくあることですし、同じ方法がいつまでも使えるとは限りません。

 そうなると、どうしていいかわからなくなります。そのときに「拠り所」となるものを持っていないと、途方に暮れてしまいます。教育について深く考えた経験がある人はそういうスランプのようなものにぶつかったとき、原点に帰ることができます。

 教育の専門書を本格的に読めるのは、大学生のときだけです。できれば難しいものに挑戦してみてください。例えば、私がおすすめなのはボルノウの『教育を支えるもの』なんかは、現代の学校にも十分に通用すると思います。難しくてわからなくても大学にいるときなら、教授に質問に行けます。その時間的余裕も大学生の方が十分にあるはずです。

 もっと読みやすいものとしては、教育哲学者の苫野一徳さんの本がおすすめです。これは新書版でとても読みやすく、しかも、教育の本質について気づかせてくれます。

 よく、学校現場、特に中学校なんかでは「そんな理屈ばっかり言っても役に立たない」という人が先生方の中にも結構いますが、それは間違いです。指導力のある先生をよく見ているとわかります。その先生がやっていることは、本人が自覚していなくても実は理論的に説明できることが多いのです。それに気づけるようになるためにも、読み応えのある教育の専門書を一冊でもいいから読んで卒業してほしいと思います。

 いま、多くの教育学系の大学ではゼミの授業よりも採用試験対策や現場ですぐに使えるものを教授することが多くなってきているといいます。これは、文科省が率先してやっている面もあります。求められる教師像を設定して、そのためのコアカリキュラムを大学に課すような取組をすでに進めています。それはある意味非常に危うい。同じような先生ばかりを育てることが本当に子どものためになるのだろうかと思います。

 私は、皆さんに長く教員生活を送ってほしいと思います。それは、自分の年齢や経験の数によって、目の前の子どもから見えてくることが変わってくるからです。新任の時にはみえなかったことが、5年後、10年後に見えてくることも多くあります。そうなればなるほど教師のやりがいは深いものになります。ぜひ、それを経験してほしいと思います。

 長く続けるには、そして長いほどに味わえる教員のやりがいは自分の中にある「拠り所」の確かさに比例します。そのためにも、ぜひ教育の専門書を読むことにこだわってください。

 

 最後になりますが、皆さんが、晴れて教職に就かれたときにお願いしたいことがあります。それは、できるだけ自分の考えを発言してほしいということです。未熟な自分には何も言えないとか、何もできないくせに何を偉そうに言っているんだと思われないかとか、迷いはあるとは思いますが、それでも自分はこう考えるということを意思表示してください。

 先輩の先生がやっていることが必ずしも正しいとは限りません。特に最近は学校も大きく変わろうとしています。そういうときに若い皆さんの感性は必ず役に立つはずです。これからの学校を支えるのは皆さんのような若い人です。

 企業の中には、社の命運をかけるようなプロジェクトに敢えて新採用の人をメンバーに入れることもあるそうです。それは、会議を硬直化させないためです。何もわからない、経験もない人の方が意外と物事の本質を突くことがあるんです。

 若い人の声に耳を貸さない組織は必ず衰退します。学校も同じです。私は20代の先生によく言っていました。「あなたの考えは間違っていない。もっと職員会議で発言してください。これからは、あなた方の時代なんですよ」って。

 ベテランの先生の言う「こうするべき」という考えも尊重することは必要ですが、「べき」にこだわりすぎると、目の前の子どもと離れていくことに気づかないことも結構あるんです。

 最近の新任の先生はとてもまじめです。でも、あまり自分を出さない人が多いとも感じます。もっと、わがままになっていいと思います。そうやって自分の考えを行動に移すことで周囲のベテランからいろいろいわれることもあるかもしれません。それでいいんです。そういう経験が皆さんの将来の力になるんです。若い人は多少とげがあってごつごつしているくらいがちょうどいい。不要なとげとげしさは、ぶつかっていくうちに丸くなります。そして、必要な「とげ」、つまり自分らしさだけが最後に残るんです。最初から丸いとそこから自分らしい「とげ」を作ることは難しい。

 現代は多様化の時代だと言われています。この10年ほどで社会の価値観は大きく変わりました。皆さんはそういう社会で育ってきたのです。社会の最先端の空気を吸って成長してきたのです。子どもたちと最も近い感覚を持っているのは、皆さんです。

 どうか自信をもって、やりがいを満喫してください。

(作品No.192RB)

「ホワイト」で退職?

最近若い人を中心に、あたかも世の中の動きと逆行するような現象が起きているそうです。2022年12月19日付けのネットニュース(テレ朝news)で次のようなニュースが報じられました。

「最近、企業などに勤める若手社員が「仕事がゆるすぎる」「職場がホワイトすぎる」という理由で、退職するケースが増えている」というのです。同ニュースによれば、若手社員4分の1以上が上司などから叱られた経験がないのだそうです。

 上司からすると、これだけパワハラやブラックな職場が問題になっているのですから、できるだけ優しく接するとか、褒めて育てようとするのも当然だと思います。

 また、部下が早々に辞めてしまえば、自分の管理能力を問われることにもなりかねません。上司や先輩がかなり、気を遣った結果「ホワイト」な職場になったのでしょう。

 でも、このニュースが本当であるなら、そうした気遣いが仇になったことになります。

 どうも、若い人は意外と何も言われないと不安になるようです。世の中は転職ブームです。終身雇用が期待できなくなった現代では、今の会社がずっと自分を雇ってくれるとは限りません。また、今の仕事が本当に自分に合っているかどうかもわかりません。

 そう考えると、いずれ迎える転職のときのために、今いる会社で身につけられるスキルやノウハウをたくさん身につけておきたい、それがキャリアアップにつながると思うわけです。これは、自分を成長させたいという前向きな姿勢です。とても健全な発想だと思います。

 その点、あまりにホワイトな職場は、叱られて嫌な思いをしたり、パワハラの被害を受けたりすることは少ないでしょう。その代わり、自分が成長していることも実感しにくくなります。このままこの会社にいたら、ほとんど成長できないかもしれないという思いが、退職につながるのでしょう。

 この記事は、社会人に関する内容ですが、子どもたちにも共通するところもあると思います。子どもたちも自分が今日、何ができるようになったか、何を知ることができたかを実感したいと思っています。優しい先生は、「不適切なかかわり」をする先生よりははるかにいいでしょうが、できること、わかることを増やしてくれない先生は物足りないと感じるに違いありません。

 子どもが家に帰って、「今日はこんなことができるようになったよ」と嬉々として、家の人に報告するような授業ができればいいなあと思います。

 いずれにしても、成長する喜びを得たいと願うのは、大人も子どもも同じなんだと思うと、何だかうれしくなりました。

(作品No.191RB)

処分されないという悲劇

同窓会の帰りでした。招待していた恩師がわざわざ私のところにやってきてこう言いました。

「とにかく、徹底的に職員を守れよ」

 その恩師は、私がそのとき教頭として小学校に赴任していたことを知っていました。そして、ちょうど、ある臨時講師が何度も児童への暴言を続けることを受けて、校長と協議した結果辞めてもらう決断をした直後でした。その恩師は元県教委の要職についていた人です。もしかしたら、今回の臨時講師の件も知っていたのかもしれません。とにかく、迫力のある目で私を圧倒してきました。「職員を守ってこその管理職だ」と私に知らしめたかったのでしょう。

 私は、かなり残念な思いがしました。あれだけ信頼していた恩師がもうすでに時代遅れの感覚を持ち続けていることを感じたからです。

 かつては職員を守るというのは、事を大きくせずに穏便に済ませるという意味でした。そのことによって、その職員の職歴に傷をつけることがなく、管理職としても職員をあたかも家族のように守ってやったという満足感が得られたのでしょう。

 でも、今はその考え方は仇にしかなりません。

 昨日(2022年12月17日)、読売新聞オンラインで次のような記事を見つけました。タイトルは「保護者から相次いだ苦情、体罰の訴え軽視した元小学校長「責任感じている」…中1男子が自殺」。体罰を繰り返す教員に校長が何度も指導したにも関わらず、態度を変えることがなく、ついに生徒が自ら命を絶ってしまったことについて、当時の校長が取材に応じたという記事です。

そこでは、「音楽の授業で子供の腹を殴ったのでは」と保護者から訴えがあった際に、「腹筋を使うようにという指導」との元教諭の説明を信じ、市教委には体罰ではなく「不適切な指導」として報告するに留めたとあります。

 また、児童、保護者を対象に体罰の有無を尋ねるアンケートでは、複数の保護者が元教諭の体罰があったと証言しているにもかかわらず、市教委に報告すらしていませんでした。

 その上、元教諭は問題行動が多かったために担任から外されていたのに、元校長はそうした引き継ぎも受けていながら、6年生の学級担任にしています。「希望したのが彼だけだった。不安はあったが、指導で徐々に変わっていた」というのです。

 この元校長が、のために大ごとにすると面倒だと考える事なかれ主義者だったのか、いわゆる「親分肌」タイプの校長として「職員を守ろう」とした結果のことだったのかは、この記事からはわかりません。

 当該教員は「元校長から指導を受けた覚えはない」と主張していますが、元校長は何度も指導したと話しています。こういうところから推察すると、元校長の中に、昔ながらの「職員を守る」という意識があり、指導の内容が厳しさに欠けた可能性を否定することはできないと思います。元校長の指導が「とりあえず指導しました」というアリバイづくりくらいのレベルだったのではないかと勘繰られても仕方ありません。

 私の勤務していた学校にも同様の不適切教員がいたことがありますが、どんなに保護者が真剣に訴えてきても絶対に事実を認めることはありませんでした。その教員は過去に市の教育長から児童へのセクハラをもみ消してもらった経験があり、事実を認めなければ処分されないという確信があったのだと思います。

 こうした悲劇を生み出さないためには、最初の体罰や問題行動に対して第三者による事実確認や、公的な処分を行うべきです。「守られる」のが当然だと思っている教員の意識を変えるためにも、たとえ非情だと言われても校長は事を公にし、処分も辞さない方向で対応すべきです。職員を守ろうとして子どもの命を奪ってしまったら、何のために校長をやっているかわかりません。仮に、早い段階でこの職員が公式に処分されていれば、このような悲劇は起こらなかったと思います。

 本人が事実を認めない場合、確たる証拠があるわけではないため、対応は慎重に進める必要があるでしょうが、校長としては毅然とした姿勢を周囲に示すべきです。SNSがこれだけ広がっている時代です。隠そうなんて考えても、保護者の間であっと言う間に情報が広がります。ときには、動画を取られていることもあるのです。そんな時代に、職員を守るために事を穏便に済ますことなどできるはずはありません。

 それに、こうした不適切な教員に対して校長が「守る」姿勢を見せれば、その他の真面目な教員を守ることができなくなります。被害を受けた児童生徒の学級担任にも過酷なほどの負荷がかかります。学級担任として、受け持っている子どもが命を落とすほどショックなことはありません。精神のバランスを崩してしまうことも十分あり得ます。

 教員の中にも、まだまだ「守られる」のが当たり前の権利のように思っている人がいます。先述の私の学校でのケースでも職員鍵で堂々と「管理職が職員を切り捨てるようなことが許されていいのか」と怒気を強めて訴える人もいました。そういう人の意識を変えるためにも、できるだけ早期に、目に見える形で公にする方向で対処すべきです。

 こうした事案は、事実を確認するだけでも膨大な時間がかかることも考えられますが、方向性が処分も辞さないという毅然とした対応であることが被害者に伝われば、最悪の事態防止に大きな力になるはずです。

 かつて、私と同期の校長が職員会議で次のように言ったそうです。

「子どもは死ぬんですよ。私たちよりずっと死との距離は近いんです。そのことを頭に入れて関わってください」

 まさにその通りです。中途半端な対応は子どもを殺してしまう可能性があります。その危機感を、すべての教員が持たなければなりません。

 (作品No.190RB)

講義式の授業が批判される本当の理由

新しい学習指導要領が始まって数年が経過し、主体的・対話的で深い学び(いわゆるアクティブラーニング)が少しずつ学校現場に浸透しつつあります。新型コロナウイルス感染拡大の影響で思うようにできないことも多々ありますが、子どもがこれらの力を身につけるために、小集団活動を積極的に取り入れ、話し合い活動を活発化させようと取り組む事は、変化の激しい社会を生き抜く子どもを育てるために非常に重要なことです。

 一方、講義式による一方向的な授業展開は、アクティブな授業の対極にあるものとして否定的に語られることが多くなりました。明治の学制発布から続けられたこの授業形態は、今では知識を注入するだけの詰め込み教育の典型として揶揄されるようになったのです。

 ただ、なんとなく私には違和感が残ります。

「たとえば私は授業中、絶対に生徒を当てないと決めているんです。ペアワークもさせません。そういうのが苦手な子が一定数いるので。ただ私の話を聞いて、英語に興味をもってくれればいいと思っています。最初の授業でそう話すと、みんな安心してくれます」1)

 これは、東京にある目黒日本大学高等学校通信制課程の先生の話です。この先生は、生徒たちに発言や発話を促すことすらしないそうです。それは「受け身でもいいから、英語を楽しいと思ってほしい」と願ってのことだといいます。最近の通信制高校には、かなりの割合で中学校時代に不登校を経験した子がいます。そうした子の多くは、活発に発表や意見交換をするのが苦手で、「いつ指名されるか」「指名されてわからなかったらどうしよう」と他の子以上に考えてしまう傾向があります。だから、あえて発言を求めず、発表も強制しないことを宣言した上で授業をするのです。

 公立の小中学校と高校、それもスクーリングでしか体面で授業をしない通信制高校とでは条件が大きく違うので単純に比較はできませんが、私たちが注目すべきなのは、この先生が目の前の生徒の個性や心の状態に応じた授業展開を考えていることです。この学校でもアクティブな授業を行うことは不可能ではないでしょう。けれども、中学時代にそうした授業についていけずに不登校になった生徒に強引にアクティブさを求めてしまえば、せっかく入学した通信制高校も続けるのが嫌になってしまいます。

 講義式の授業が批判される本当の理由とは、教師のペースで一方的に授業を進めてしまうことによって、目の前の生徒一人ひとりの個性や理解度が視野に入らなくなることにあるのだと思います。

 そもそも主体的、対話的で、深い学びというのは必ずしも活発な意見交換の場だけで培われるとは限りません。この先生の授業によって、それまで緊張感や自己嫌悪の感情が邪魔をして授業に集中できなかった子たちが、自分で考え、教科書の文言と懸命に対話し、深く思考することができる環境が整うのであれば、それでいいわけです。

「活動」はあくまでも主体的な学習のための手段です。アクティブラーニングの成果は、一人ひとりの個性(性格など)と理解度を通して個々に違った形で表れます。それを十分に発揮できる環境をいかにつくり出すかを考える方がはるかに大切です。

 例えば、小集団での人間関係によって「活動」が一部の子どもにとって苦痛な場となっている場合には、柔軟にグループを編成し直すことも必要でしょう。また、グループ内での発言は少なくても、振り返りを書かせることは「深く」考えている子に表現の場を与えることでもあります。ときには(本人の了承を得て)そういう子の意見や答えの出し方などを全体に紹介する機会を設けることで、子どもは自信を持つこともあると思います。私たちには、知識を伝えるだけでなく、環境を含めて授業をコーディネートすることが求められています。

(作品No.189)

1)おおたとしまさ(2022)『不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき』集英社新書、p349

福祉と学校教育

学校教育の世界はいま大変な状況です。いじめや不登校への対応はもとより、次々と降ろされてくる教育改革によって、仕事の量が年々増え続けています。その上、保護者からの理不尽な要求への対応もあります。

 また、近年では、教員による不祥事や「不適切なかかわり」がマスメディアで毎日のように報じられます。そのたびに、文科省や教育委員会は新たな取組を学校現場に求めてきます。不祥事を起こす教員に非があるのは当然ではありますが、ほんの一握りの教員の蛮行によって、締め付けが厳しくなり、報告書の類はさらに増えていきます。

 このような状況の中にあって、教員は疲れきっています。

 教員は、子どもと接し、その成長ぶりを身近に感じることが最大の喜びです。いまも昔もそのことに変わりはないと思います。ところが、最もやりがいのある仕事が十分にできない状況に追い込まれているのです。

 それでも教員の多くは少しでも子どもたちの成長を支えようと必死で頑張っています。

 いまこそ、子どもとかかわる以外の教員の業務を大幅に削減しなければ、単に教員不足となるだけでなく、子どもたちの将来にも悪い影響が生まれてしまうでしょう。

 私は、教育、特に学校教育をこの苦境から救うには福祉の充実を行うべきだと思います。格差社会の中で、貧困にあえぐ家庭に余裕はなく、親も必死で働いているのに子どもと寄り添う時間を確保できていません。子どもは、長い時間親から引き離され、やっと帰ってきた親にいろんなことを聞いてもらい、甘えようとしても親は家事に追われ、何より疲れ切ってじっくりと話を聞く余裕がありません。虐待の多くはこういう環境によって生まれます。 

 子どもは純粋です。そしてけなげです。どんなに親に邪険にされようとも親を見限ることはしません。特に、小学校低学年くらいの子にそんな選択肢はありません。じっと我慢するしかありません。むしろ、疲れている親に気遣い、欲しいものも欲しいと言えず、抱きしめて欲しい気持ちも抑えています。自分のために必死になって働いていることを子どもは十分理解しています。

 けれども、さみしい気持ちややるせない気持ちを家庭の中でため込んだ子どもたちが、学校に来て集中して学習に取り組めるはずはありません。なかには、些細なことで友だちに暴力を振るってしまったり、先生に悪態をついてしまうこともあるでしょう。現状ではそれを受け止めるのは教員しかいません。

 福祉がもっと充実していれば、そういう子どもたちの鬱憤はかなり減るでしょう。本来福祉でやるべきことが十分にできていないために起こる問題さえも、学校は引き受けているのです。

 私は、福祉関係で働く人を悪く言うつもりはありません。福祉の仕事をしている人も限られた予算と人員の中で精一杯努力されていることは十分理解しているつもりです。

 学校の教員を増やすことも急務だとは思いますが、福祉に関わる人の増員もそれ以上に重要だと思います。

 福祉の充実というと、子育て支援としていくばくかのお金を支給するイメージがあります。それも大切ですし、現状十分な措置がなされていないことを考えれば、さらに充実させる必要があるでしょう。本当なら、子どもが小学校を卒業するまでくらいは親のどちらかが働かなくても(あるいは学校に行っている間のパート程度でも)十分に生活できるような施策が必要です。しかし、それはいまの日本ではほぼ不可能でしょう。

 それならば、せめて子どもたちに自由に過ごせる場所と時間を与え、相互に育ちあう環境を整備することが必要だと思うのです。福祉はそこに焦点をあてるべきです。

 子どものことはすべて学校に任せようとするから、学校はどんどん疲弊していくのです。広い場所を用意し、子どもをそこで自由にさせることはできないものでしょうか。教員が関われば「教育」をしなければならなくなります。また、現在行われている放課後児童クラブは、狭い部屋に大勢の子どもがひしめき合っています。狭い空間は、それだけで子どもにとって大きなストレスです。 

 企業の体育館などを開放するなどによって、広い場所を確保し、福祉に関わる人員を増やせばそんなに無理なことではないと思います。

 体育館なんて何も遊具がないじゃないかという人もいるでしょうが、子どもは遊びの天才です。場所と自由さえあればいくらでも自分たちで遊びます。遊び道具は、ボールを何種類か用意してやれば充分です。

 安全の確保の問題も懸念されるかもしれません。でも、それに固執すればするほど子どもは大人の目からは自由になることはできません。学校では教員によって制御され(必要な制御だとは思いますが)、放課後児童クラブでは安全確保のために細かい規則によって縛られています。それは、大人が決めたルールです。安全・安心とそれを保障する責任を追求することが悪いとは言いませんが、それは子どもたちの我慢によって成り立っているのです。子どもはもっと遊びたいはずです。

 いまの子どもたちに必要なのは、さまざまな鬱憤を思い切り発散させる場所と時間なのです。

 近年では、教育系の大学を中心に学生を学校現場に送り込んで経験をさせる「インターンシップ」制度を導入しているところが増えていると言います。即戦力を期待するのも結構ですが、将来教員になろうと考えている学生に、子どもをより深く知ってもらうには、確保した場所と時間の中で子どもと一緒に遊ぶ方がよほど有益だと思います。

 そもそも、学校現場に赴任すれば日々の業務は自然に身につきます。教育の本質は、こどもの中にあるはずです。むしろ、下手に学校現場を経験させることで「こんなにブラックなのか」と驚愕し教職をあきらめてしまう人も出てくるかもしれません。

 極端な話だと思われたかもしれませんが、個々の家庭が経済的な面で追い詰められている状況では、どんなにすばらしい教育施策を打ち出しても根底から崩れ落ちてしまいます。

 思い切り遊び、思い切り甘える。大人が子どもたちに用意すべきなのはこの二つを実現できる環境なのです。

(作品No.188RB)

放課後児童クラブが抱える問題

「放課後児童クラブ」が全国的に定着しています。今では、保護者が働くためには必須の制度です。小学校に上がるまでは、保育園やこども園に預けられますが、それ以上の年齢になると預かってくれません。かといって、例えば小学校1年生の子を一人で家に帰らせるのは、このご時世非常に心配です。

そこで、児童クラブに預けることになるわけです。しかし、この児童クラブの実情や子どもの気持ちというのは、意外と一般に知られていません。

まず、子どもたちは、学校ではそれなりに素直に過ごしていても児童クラブにいるときはまったく違った顔を見せます。豹変すると言ってもいいでしょう。

例えば、支援員が何か大切な連絡をしようとしてもまったく聞こうとせずに騒ぎ続け、少し厳しく注意するとふてくされます。女性の支援員に「うるさい、クソババー」など叫ぶのは日常茶飯事。下級生を殴ろうとしている子を注意すると「殺すぞ、ボケ」と支援員に言い放つ子。なかには、「あんたら、ボクらがおるから金もらえてるんだろ、ボクらにもっと感謝しなよ」と逆ギレする子。他には、気に入らないことがあると持っている水筒を支援員に投げつけたり、「私外遊びに行ってくるから、その間に先生、私の宿題しておいて」という子もいます。支援員が宿題をしている子のプリントをのぞき込むと「気安く見るんじゃねえ」と叫んだりする子もいます。理由もなく支援員の足を思い切って蹴ってケガをさせる子さえいます。

近年は、保育園などでの大人の「不適切なかかわり」が問題としてニュース等で報じられますが、今あげたような子どもの行動は、ほとんど報道されることはありません。子どもは守られるものであって、少々わがまま勝手な言動をしても、それを何とかするのが支援員の仕事だろうということでしょうか。

そういう子どもたちに対しても、支援員は子どもへの暴力や暴言、恫喝まがいのことは決して許されません。しかも、支援員というのは特別な資格が必要な職ではありません。一定の研修は受けますが、具体的な対処法までは沿言えられないままに現場に立つ人も少なくないのです。なかには、過去に保育園や幼稚園で経験を積んだ人もいますが、どちらかと言えば少数派です。

つまり、子どもの扱いについては素人といってもいいわけです。何の資格も求めない制度そのものに問題があるとは思いますが、資格を求めると十分な支援員の確保が難しくなります。現在、保育園やこども園でも人手不足が深刻になっている状況を考えれば、児童クラブの支援員に何らかの資格を条件づけるのは現実的ではないでしょう。

多くの自治体では、少し前から児童クラブの先生の呼称を「指導員」から「支援員」に変更しました。支援というのは「優しい」言葉です。子どもに寄り添うと言う意味では、「指導」よりも「支援」の方がいいに決まっています。

でも、子どもたちの中には(大人の入れ知恵だとは思いますが)、それを逆手にとる子もいます。「支援員に子どもに命令する権利はない。そんなことも知らないの!」と平気で文句を言ってきます。低学年の子がそういう態度を示すのです。

子どもたちを管理し過ぎるから、反発が生じるのだという人もいるかもしれません。でも、考えてみてください。冒頭にあげたような暴言を口にする子や指示を無視する子が多数いる中で、一定の管理なしに子どもの安全が守れるでしょうか。

子どもたちを自由にさせておけば、些細なことから喧嘩が始まります。口喧嘩くらいならかわいいものですが、最近の子は、結構平気で相手の顔面をグーで殴りつけます。今にも殴りかかろうとする子を前にしたら、時には大きな声で厳しく制止することも必要になります。

しかし、そういう「指導」は「支援」の域を越えているとして、保護者からのクレームが入ったりもするのです。もし、子どもが大きなケガでもしたら、支援員が責任を問われます。

まさに、支援員にとっては、なす術がない状況で日々奮闘しているのです。その上、多くの自治体では、国の定める最低賃金レベルの時給で雇用し、昇給もほとんどない状態です。もう少し本気で待遇改善をしなければ、そのうち支援員不足によって児童クラブが運営できなくなることになるでしょう。

雇用の促進をいくら叫んでも、雇用を根本で支えている児童クラブが崩壊すれば、親は十分に働くことができず、貧困の問題はさらに深刻化するでしょう。

国や自治体は、子育て世代への支援をさらに充実させ、支援員の待遇改善を早急に実施すべきです。

それにしても、どうして、こんなに子どもたちは児童クラブで荒れてしまうのでしょうか。そこには、親に甘えたい盛りの時期に、親と引き離されてしまうさみしさがあると思います。

子どもたちは、そんなさみしさを抱えながら、学校で緊張感を持って生活し、放課後にはさほど広くない児童クラブの部屋に閉じ込められるわけです。子どもたちは別に児童クラブに来たくて来ているのではありません。大人の事情で来ているわけです。それがやむを得ないということは、子どもは子どもなりに理解はしています。けれども心情的には抑えきれないものがあるに違いありません。

子どもは、社会情勢などとは関係なく、とにかく親に甘えたいわけです。そして、十分に甘えた経験があるからこそ自立への歩みをすすめることができるのです。

児童クラブに通う子どもはみんな、親がいつもより早くお迎えにきてくれるとすごく喜びます。また、いつもはおばあさんがお迎えなのに、今日はお母さんが来てくれるというだけでテンションが上がるのです。「ママがもっと早く帰れる仕事をしてくれないかなあ」とつぶやく子もいます。

近年では、一人親家庭も増えています。そういう場合は、0歳から保育園に預けることも珍しくありません。子どもはが十分に親に甘えられる時間は年々減っています。

子どもの立場からすれば、せめて小学校の低学年くらいまでは親が毎日働かなくてもいいくらいの社会保障制度が必要なのかもしれません。それができないなら、子どもたちだけの自由な時間を確保する工夫がなされるべきです。

 そのためには、児童クラブはもっと広い場所を準備する必要があるでしょうし、子ども同士のトラブルに寛容である社会の土壌が必要となります。非常に難しい問題だとは思いますが、支援員が「指導」せざるを得ない今の状況では、子どもたちの気持ちは荒れ、支援員や周囲の子に鬱憤を晴らすしかありません。

 児童クラブの中には、その日のスケジュールをできるだけ子どもたちの話し合いで決めているところもあります。そういうところでは、高学年の子が低学年のこの面倒をよくみてくれるそうです。自分たちが決めた予定だから、気持ちが前向きになるのでしょう。

 教育の場でもなく、保育の場とも言えない児童クラブには、子どもたちを取り巻く社会の矛盾がそのまま表れています。その矛盾の一番の被害者は他ならぬ子どもたちです。子どもの気持ちに、大人の事情は通用しないのです。

(作品No.187RB)

千年を支える礎石

家を建てるときには、まず基礎を固めます。最近はコンクリートで基礎を作るのが通常の方法です。その上に柱を立てるのですが、柱を載せただけでは安定しないのでボルトなどで、柱と基礎をしっかりとつなぎます。私は門外漢なので、詳しいことはわかりませんが、それでも自分の家を建てるときには、どんな基礎を作っているのかを確認にいきました。

 この基礎がしっかりしていないと、地震などの災害のときに家が大きなダメージを受けやすくなると思ったからです。

 当然のことながら、コンクリートの面と、柱の断面は同じように水平(まっ平)になっているでしょう。もし、どちらかに凸凹があれば、その分接地面積が減って、いくらボルトでつないでも不安定になってしまうでしょう。

 ところが、法隆寺が建立された千三百年前の時代は、そうではなかったというのです。

 「法隆寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔など、ふんだんな檜を使って堂塔の復興や再建を果たした最後の宮大工棟梁」1)といわれる、西岡常一氏の話です。

当時の建造物の基礎は礎石(そせき)と呼ばれる石を使用していました。できるだけ平らな面をもつ石を使ったのでしょうが、その石の表面を平らに削ることはしなかったといいます。まず、その石の重心を見極めて、最も柱をしっかり支えられる場所を探します。そして、その礎石の面に合わせて柱となる檜の断面を合わせて加工したのだそうです。

 こういう方法を「ひかりつけ」というのだそうですが、この「ひかりつけ」によって大きな地震にも耐えられる強度が保たれたといいます。

 そして、信じられないことに、地震で多少、礎石と柱がずれたとしても時間がたてばもとに戻るのだそうです。つまり、建物自体が自分の力で元の安定した状態に戻すというわけです。これは驚くべきことです。こういうことを、当時の宮大工はすでに知っていたというのです。

 なぜ、柱を石の上に載せるだけでボルトのようなものでつながなくても、千年を越える間びくともしない強度が保たれたのでしょうか。

 西岡氏によれば、それは「遊び」があるからだそうです。ボルトとコンクリートを密着させると、ある一定の負荷に対しては強さを発揮しますが、強く結びついている分、建物にもその衝撃がそのまま伝わってしまいます。しかし、「ひかりつけ」工法だと礎石の上で柱が微妙に動いてずれるわけです。それが緩衝となって建物に伝わる衝撃を和らげるというのです。

 近年のビルなどの建築は耐震構造から制震構造へと進化し、ビルの内部に制震ダンパーと呼ばれる装置を組み込み、地震の際にその揺れをダンパーに吸収させることで地震が建物に与えるダメージを軽減する工法が採用されることが多くなったようです。まさに、「ひかりつけ」と同じ発想です。このことに千年以上前に、当時の日本人はすでに気づいていたのです。

 この話は、学校教育にも通ずるものがあると思います。

 かつて、「神戸連続児童殺傷事件」や児童生徒の殺傷事件が相次いて起こったとき「ゼロ・トレランス」方式を生徒指導に取り入れようとする動きが起こりました。

「ゼロ・トレランス方式(ゼロ・トレランスほうしき、英語: zero-tolerance policing)とは、割れ窓理論に依拠して1990年代にアメリカで始まった教育方針の一つ。「zero」「tolerance(寛容)」の文字通り、不寛容を是とし細部まで罰則を定めそれに違反した場合は厳密に処分を行う方式」(ウィキペディア)

 つまり、校則を厳格に適用し、一切の例外を認めない指導です。それは、まったく「遊び」を許さないやり方です。

 日本でも、文部科学省も導入を検討していた時期もありますし、実際に取り入れた学校も多くありました。しかし、その厳格さのあまり発祥の地であるアメリカでさえ批判が強まって、ゼロ・トレランス方式は長くは続きませんでした。

 いま、社会は多様化が進んでいます。その中で、学校はまだまだ古い体質が残っており、さまざまな場面でその矛盾が表面化しています。

 学校に理不尽な要求をする保護者は、モンスターと言われたり、クレーマー扱いされたりすることもありますが、その中には多様化を受け入れきれない学校の姿勢に起因するものも少なくないように思います。学校に「遊び」が少ないことが保護者にとってみれば不満の対象になるのでしょう。

 「遊び」の少ない教育は、どうしても子どもたちの個性を軽視してしまいます。この個性につながる話として、冒頭の西岡氏は次のように述べています。

「飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるのです。それと「木は生育の方位のままに使え」というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、(中略)生育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻じれているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを山で見わけるんですな。」2)

 南側の木が強いからといって、そうした木だけで千年もつような建造物は作れません。柔らかい北側の木の細工がしやすいという特長も欠かせないのです。

 子どもも同じです。それぞれに違った成育歴を持ち、一人ひとり違った個性があります。それを尊重しないゼロ・トレランスが長続きしないのは、当然の結果でしょう。

 これからの学校は、どんどん進んでいく多様化の中で柔軟な姿勢を持ち、さまざまな個性を生かせる体制に変えていく必要があるでしょう。

 そのためにも、教員にもっと余裕を持たせる国レベルの施策が求められるのです。

(作品No.186RB)

1)西岡常一(1994)『木のいのち 木のこころ』(草思社、巻末筆者紹介欄より)

2)前掲書、p16