学級というジレンマ

小学校から高校まで、ほとんどの学校に学級という組織は存在します。高校の中には単位制を導入しているところもありますが、公立の小中学校となると必ず学級はあります。この学級を単位としてすべての授業は行われていますし、教員の配置も学級数によって規定されています。私たちは学級をあって当たり前だと思っていますから、それを疑うことはありません。学校におけるほとんどの教育活動を学級ありきで考えます。そこで、教員はその学級をいかに子どもにとって有益なものとするかを工夫するのです。

 しかし、学級という組織は根源的に大きなジレンマを抱えていることも事実です。そこには、規律と自主という二つの相反するベクトルが存在するからです。

 まず、規律についてですが、学級は第一に授業の単位として、同年齢の者が強制的に決められた学級に属し、決められた席に座り、基本的に教員の指示を受け入れなければなりません。時間割も固定され、自分で教科を選択することもできません。そうしたルールを子どもたちに守らせることによって、現在の授業は成立しています。効率的な学習活動を行うにはこうした規律を明確にしないと収拾がつかなくなります。学級を官僚組織的だという人もいます。それほどに学級というシステムの規律は厳しいものです。生徒を管理するという意味では効果的で無駄がないシステムであると言えますが、この規律は時に子どもたちの自由な発想や考え方を制御してしまう面も否定できません。

 そうした中で、学級には子どもたちの主体性や自主性を高めることも求められています。学習指導要領でも、自ら考える力や自ら判断する力、あるいは課題解決能力や表現力を涵養するように求めています。これらは規律とは相いれないことが多く、教員はその間で苦しむことになります。つまり、自由に意見を言わせれば子どもたちの自主性は伸ばすことができますが、それをやりすぎると決められたカリキュラムがこなせなくなります。また、自由とわがままの区別がわかっていない子どもによって学級が常にざわついてしまい、授業が思うように進まなかったり、効果が薄れたりしてしまうということも起こります。

 そのため、教員にはこのジレンマの狭間で微妙な匙加減が要求されることになります。そして、よく言われるように「自主的であれ」と命ずるというなんとも矛盾した指示を出さざるを得ません。命令されて発揮する自主性はあくまでも教員の想定内でしか発揮できなくなります。ほんとうの意味での自主性は育ちません。

 特に、高校受験を控えている中学校では、受験に対応できる力を身につけさせながら同時に主体的な能力を伸長するという非常に困難な状態に教員は置かれることになります。もし、学校が「読み、書き、そろばん」といったいわゆる「3R’s」だけを徹底すればいい組織であれば、事は単純なのですが・・・。「3R’s」といったところまで限定しないとしても、各教科の内容の理解だけですむなら教員の立ち位置は明確になります。

 学制発布から150年になりますが、もともと学級は等級制だったそうです。つまり、学習の理解度に応じた能力別編成であったと言われています。だから、試験をクリアしないと上のクラスに進級できないし、逆に能力が高ければ飛び級も可能となります。それが、今の学級性に変わったのは明治24年です。理由は、なかなか試験に合格できない者の退学が増えたために、制度を維持しにくくなったからだと言われています。近代化を推し進めようとする国家としては、退学者が増えることは大きな問題だったのでしょう。そして、同じ年齢の者を同じ学年とし、退学させない方式をとったわけです。

 また、子どもたちの序列化を批判的にとらえる人たちによってこの新しい制度は支持されるようになります。そして、所謂児童中心主義や近年の新自由主義的な教育観が学校の常識となっていきます。そうなってしまうともはや学級そのものは議論の対象にさえならなくなります。あまりに当たり前すぎて是非を問う対象とならなくなったのです。

 そして、学校は教科の授業だけでなく生活全般にわたって目を配らせる必要が生まれてしまいました。現在問題となっている「ブラック」な学校のもとはここにあるのだと思います。登下校から休日の過ごし方まで学校がなんらかの指示を出さなければ世間は納得しないようになりました。学級を当たり前のものだと思う視点は、学校の業務を増やし、しかも教員の視点を目の前の問題にのみ集中させる効果を生みだしたともいえるでしょう。

 そうした中で、私たちにできることは、今やっている教育活動を見直し、今後学校がどうあるべきかを考えることでしょう。何かを見切らなければ抱えすぎた問題の多さに学校は逆に周囲から見限られてしまいます。地域や保護者の要求に耳を傾けることは大切なことですが、本来学校がやるべき業務とそうでない業務をしっかりと区別しながら一つ一つの問題に対処することが必要となります。

 以前、文科省によって本来学校が請け負う必要のない業務をまとめた一覧が公表されたことがありましたが、そういうことをもっと積極的に世間一般に広報してほしいと思います。一つの学校だけがやっても、簡単につぶされてしまいます。

 まずは、学級というシステムを当たり前のものとすることに疑問の目を向けることが必要だと思います。そうすることで、学級はもっと柔軟に機能させることができると思うのです。

(作品No.167B)

「名」と「実」(本質)

「名は体を表す」ということわざがあります。「名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる」1)という意味です。教育の世界でも「名」は重要です。

 例えば、現在の特別支援教育という名称は、「2001年1月の省庁再編に際して、文部科学省初等中等教育局特殊教育課から文部科学省初等中等教育局特別支援課に変更され、採用された」2)のが始まりだそうです。ただ、法的に根拠を持つのは、平成18年12月に「障害者の権利に関する条約」が国連総会で採択されたのを受けて「学校教育法等の一部を改正する法律(平成18年法律第80号)」が平成18年6月21日に公布(平成19年4月1日施行)され、それまでの養護学校が特別支援学校と改称されたのをもって成立しました。「特殊教育」が「特別支援教育」に変わると、かなり受け手のイメージも変わります。「特殊」には「特別」という意味もないではないですが、主に「性質・内容などが、他と著しく異なること。また、そのさま。特異。」3)という意味となり、どこかマイナスのイメージが残ります。それに対して「特別支援教育」の「特別」は比較的少数を対象とするという意味では似ているものの、「特別感がある」のような使い方でもわかるように、必ずしもマイナスのイメージで使われる言葉ではありません。また、「特別支援教育」という概念は「特別な子に何かを支援する」教育という意味ではなく、「特別な支援が必要な子」への教育を指します。これは似て非なるものです。前者の解釈だと「特別な子」がいることを前提とした視点となってしまいます。特性の有無にかかわらず、どの子も同じ尊厳を持った存在であることを大切にするなら後者の表現が妥当でしょう。

 私は「名は体を表す」ことよりも「実体に応じた名前をつける」ことの方が大切だと思います。「名」を「実体」(本質と言ってもいいと思います)にできるだけ近づけることは、様々な偏見を生まないために非常に大切なことです。

 そう考えたとき、私がどうしても納得できない「名」があります。それは、「適応指導教室」という言い方です。今もこれを使用している自治体は結構あります。しかし、不登校傾向の子どもを学校に「適応」させる、しかもそれを指導するということは、裏を返せば「適応」できない子は「指導されるべき存在」だということになります。学校に「適応」するのが絶対的に正しいことだとする学校側の思い上がりのようなものを払拭できません。不登校が問題なのは、学校に登校できないことではなく、その状態の子が不当に苦しんでいることにあります。「不当に」と言ったのは、不登校になる原因は一人ひとり違うにしても、その子にとって「行きたい」場を提供できなかった学校の責任を子どもになすりつけているように感じるからです。

 最近では、教育支援センターと呼び名を変えている自治体も増えてきました。なんだか漠然とした言い方ではありますが、「適応」という言葉を使うよりははるかにましです。

 近年の教員による暴言や体罰、不適切な関わりの根底には、子どもは学校にきて当たり前、教師のいうことに素直に従うのが当たり前といった上から目線の接し方がまだまだ多く残っているからだと思います。「適応指導教室」や「適応教室」という呼称を残している自治体は、すぐにでも変更すべきだと思います。名前が変われば、その理由が気になります。そこで知る理由が教師の意識を変えるきっかけになると思うのです。(作品No.166RB)

  1. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%90%8D%E3%81%AF%E4%BD%93%E3%82%92%E8%A1%A8%E3%81%99/
  2. 平原春好・寺崎昌男編(2002)『教育小事典』(学陽書房、p241)
  3. https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%89%B9%E6%AE%8A/

教員採用試験面接のポイント(講義風)

こんにちは。本日は、この面接練習に参加してくださってありがとうございます。

たくさんの人が試験を受けてくださっていることに、深く感謝したいと思います。本県は幸か不幸か倍率が高い。それは他府県に比べて働きやすいという証拠でもあります。

さて、面接の話ですが、私の経験から言うと質問の内容には大きく分けて3つあります。

一つ目は、服務に関する質問。これは法的な質問ですね。公務員の身分に関する法律とか、体罰を禁じている法的根拠とか、わからないときは潔く「すみません。わかりません」と言えばいいんです。もじもじするのが一番よくない。

二つ目は、志望動機と具体的な対応です。志望動機は大丈夫だと思いますが、具体的な対応については、若干皆さんを迷わせるような質問もあります。いじめの現場をみたらどうするかとか、クレームに対する対応とかです。終わった後に、一番気になるのがこれです。

でも、大丈夫です。皆さんが迷うような質問をするのは、困った時にどんな対応をする人なのかを見るためです。むずかしい問題にどれだけ真摯に答えようとしているかを見ています。少々的外れになっても気にせず堂々と答えてください。面接官ってね、質問は山ほど用意していますが、答えはもともと用意してないんです。受けている方は、面接官が正解を知っていると思うから、間違ったことを言っていないか気になるのですが、正解なんてあまり持っていないものなのです

そして、三つ目は、主に皆さんの熱意の確認です。どんな生徒を育てたいかとか、どんな夢や希望を持って先生になろうとしているかを聞いてきます。ここが一番皆さんの腕の見せ所です。

この三つがきっちりと分かれることもあれば、混ざることもあります。そして、本県の施策をどのくらい知っているのかをスパイスのように織り交ぜて質問されます。だから、そこのところはしっかり勉強しておいた方がいいですね。

それから、簡潔に答えることも大切です。面接官は、決められた時間内でいろんなことを聞きたいと思っています。だから、長く話されるとしたい質問が十分にできません。簡潔に答えることが好印象につながります。また、語尾をはっきり言うことも大切です。

それから、面接官の中にはずっとしかめっ面の人がいたり、皆さんが答えているときに、首をかしげるような人もいます。そういう人を見ると不安になりますが、大丈夫です。皆さんの将来に関わる面接ですから当然真剣です。人間真剣になるとどうしてもしかめっ面になりがちなものです。それから、面接官は、意外と余裕がないのです。それに。皆さんの回答を聞かなきゃいけないし、そこから次に質問を見つけようとしますし、聞いた内容や評価をメモしないといけません。結構忙しいのです。そうなると慣れてない面接官ほど、しかめっ面になります。また、首をかしげているのは、どんなふうにメモを取ろうかって考えているだけです。皆さんの回答がおかしいからじゃないのです。そんなときは「ああ、面接官も大変なんだなあ」と思えば、気持ちは楽になります。

それから、面接官は皆さんの思想・信条については聞いてはいけないことになっています。最近では、尊敬する人や最近読んだ本、家族構成なんかも聞かないことになっているはずです。皆さんは合格するまでは一般市民ですから、かつてのような圧迫面接もなくなっているはずです。逆に今の面接は、受験生をどれだけリラックスさせるかに気を遣っています。

とにかく、当日、緊張すると思いますが、その緊張している姿から誠実さが伝わることもあります。大いに緊張したらいいと思います。

今日の練習を通して、少しでも皆さんのお役に立てればと思います。

最後に、「山よりでっかい獅子は出ん」。自信を持って臨んでください。(作品No.165RB)

センスのない人

ある年の忘年会(小学校)のときです。私は校長として、会の初めの挨拶を任されました。まだ、コロナもなかったころの話です。

 その日は、非常勤の先生や、用務員さんまで参加してくれました。ほぼ全職員が集まることでできるのはそうそうあることではありません。とてもありがたいことだと思いました。そして、この一年間特に大きな事故もなく比較的平和な日々が流れたことに感謝しようという趣旨で話をすることにしました。

 過去に勤務していた学校で、教員が不祥事を起こし全国版のニュースにも流れたことがあり、半年以上「飲み会」を自粛せざるを得ませんでした。そのときは職員全体に暗く重い空気に包まれていました。自粛は当然の流れでした。誰も宴会など開こうという気にはなれなかったのです。そうした私自身の経験を少しだけ話したあと「こうして、みんなが集まって楽しい会が持てるということに、心から感謝したい」と締めくくりました。

 さて、次に登場したのは、乾杯の音頭を取る教頭です。私は耳を疑いました。乾杯の発声の前にした話が、私とほとんど同じ話だったのです。こんな人間がいるのかと思いました。おそらく教頭は「自分だってこんなに苦労したことがある」と、私を相手にマウントを取ろうとしたのでしょう。そのセンスのなさに唖然としてしまいました。普通は校長の話を受けて、それをフォローするのが教頭の立ち位置です。私が県の教育委員会にいた経験があるから特に感じたのかもしれませんが、そうでなくても校長相手にマウントを取る話をする感覚には驚きしかありませんでした。それも、あたかも自分だけがそういう経験をしてきたかのように、自慢げに話しているのです。正直に言って、かなり不愉快でした。

 もし、県教委の宴会でこれをやったら上司にその場で激怒されているところです。私は、校長を立てないから腹が立ったのではなく、そういう態度で職員に接していることに無性に腹が立ったのです。私は、教育委員会でも自分の課内にいるものを「部下」だと思ったことはありません。それがいいかどうかはわかりませんが、役職的には部下であっても、同じ課の仲間です。残念ながら教員にはまだこういう人間がいるんだ。申し訳ないけれど、小学校ばかり経験しているとこうなってしまう人もいるのかもしれないとさえ感じました。

 小学校の先生の中には、中学校の教員に対して「高圧的だ」とか子どもを邪険に扱いすぎるとか批判する人がいます。私も若いときベテランの小学校の先生から「〇〇は最近荒れてるそうじゃないか。あの子は私の前では今でも素直に話ができる。もっとちゃんと指導できないのか」と本気で怒られたことがあります。この教頭の姿を見て、その時のベテラン小学校教員を思い出しました。何もわかっちゃいない。あなたには、「中学校に行っても(環境が変わっても)しっかり生活ができるだけの心を育てる」という気概はないのかと思いました。体も小さく、自我の発達もまだ未熟な小学生を相手に自分の思うように子どもをあやつっていただけなんじゃないのかと思うのです。そういう人は、一度中学校に来て生徒に胸倉をつかまれてみないとわからないのだろうか(その頃はまだ校内暴力が残っていました)。

 何も中学校の教員がすべて正しいと言っているわけではありません。センスのない教員はどの校種にもいるでしょう。けれども、それなりの経験を積んでいながらそんな狭い視点しか持てないのは、子どもにとって害にしかなりません。おそらくそういう人は保護者にも同じような物言いをするのでしょう。

 

ちなみに、先に挙げた教頭は電話対応で相手を選ばず「うん、うん」と相槌を打つのです。電話先の相手が後で校長の私に「あの教頭はどうにかならないんですか」と訴えてきました。そりゃそうです。「うん」という言い方が上からだということに気づくセンスがないのですから。

(作品No.163RB)

なぜ、いじめはなぜなくならいか 仮想講演

いじめがいつごろからあったのかということについては、諸説あって、はっきりしないのですが、最もセンセーショナルに最初にいじめが新聞等で扱われたのは、1980年代だと言われています。まず1980年に立て続けに3件のいじめによる自殺事件が起こり、1985年には鹿川君事件が起こって、一つのピークを迎えたというのが定説のようにいわれています。

 しかし、「いじめ」を扱った最初の研究論文はすでに1971年に『児童心理』という月刊誌に掲載されています。とすると、少なくとも現代的な「いじめ」はそのころから問題にはなっていたことになります。50年以上前のことです。半世紀にわたってこの問題は続いているのです。不思議だと思いませんか?

 だって、現場の先生方はもちろんのこと、各方面の専門家がさまざまな研究や調査を繰り返して、その実態を確かめたり、対策を講じてきたにもかかわらず、半世紀もの長い間根本的な解決を見ないのは、どういうことかと、少しくらいはましになってもおかしくないはずなのに、先日も旭川で悲惨ないじめ事件が起こるなど、一向に改善されたという実感がありませんよね。これはどういうことなんでしょうか。

 今日は、そのことについて考えてみたいと思います。最初に申し上げておきますが、私はいじめの問題の根本的な責任は、先生方にはないと思っています。その前提でお話をします。途中で、学校や先生方の責任であるかのような内容に触れることもあるかもしれませんが、それは最終的に何が原因なのかを説明するための途中経過としてお聞きください。

 さて、私はいじめの研究には二つの段階があると考えています。それは、現代的ないじめとそうでないいじめです。現代的ないじめというのは、その根本的な要因が現在に通じるものです。冒頭で、最初の研究論文が1971年に掲載されたとお話ししましたが、そのときの論文のタイトルは「いじめられっ子。いじめっ子 その心理と扱い方について」でした。これは、現代的とは言いにくい。最初にいじめに着目した功績は大きいと思いますが、いじめっ子といじめられっ子の二者でいじめを捉えている点で、現在のいじめにはあてはまらないと思います。いじめは主に学級を中心とした学校内の集団の中で起こります。特に現代のいじめは、集団の力学のようなものがあって、もっと構造的な問題から発生していると考えられます。

 そのことをはっきりさせたのが、皆さんもよくご存じだと思いますが、森田洋司さんの解明した「いじめの四層構造」というものです。いじめる子といじめられる子の二者だけで考えるのではなく、それを取り巻く、観衆や傍観者を視野に入れた解析です。今でもこの理論は多くのいじめ事象にあてはまることが多く、いじめに関するどんな研究でも、この「四層構造」に触れていないものはないくらいです。文科省のさまざまな通知もこの理論をベースにしています。最も注目されたのは、「傍観者」の位置づけですよね。「傍観者」はそれまでの研究では、その存在すら触れられなかったことが多かったのですが、実は、教室の中でこの「傍観者」の存在が非常に重要で、いじめを支えてしまっていることがこの研究で明らかになったということは、皆さんもよくお聞き及びのことだと思います。

 けれども、意外にそれ以外の部分についてはよく知られていないのではないかと思います。

 ステグマという言葉を聞いたことがあるでしょうか。私は、森田さんの研究で最も注目すべきことはこのステグマだと思っています。ステグマとはもともと負のレッテルを貼るという意味です。それまでは、行動が遅い子(のろい子)、場の空気が読めない子、不潔などの要素を持っている子など、ある面での能力に欠ける子に貼られていたと言われていたのですが、森田氏の研究によって能力の高い子にも貼られることが明確になりました。学校現場で担任をしてきた先生方にとっては、特に珍しいことではないという感覚をお持ちだと思いますが、明確に研究結果として示されたことは非常に重要です。教師の側から見ていわゆるまじめないい子にもステグマが貼られるわけです。総じて言えば、このステグマは、その子の能力とは直接関係なく、目立つ子や異質なものに対して行われることがはっきりしたということです。このステグマ貼りがいじめの実態です。

 それでは、なぜ子どもたちはステグマを友達に貼り付けるのか。

 最初に考えられるのは、ステグマを貼る子の倫理観や道徳観が未発達であるということです。これは多くの人が考えることだと思いますし、あながち間違っているとも言えません。しかし、もしそれだけが理由だとしたら、次々に起こるいじめ事案はクラスの中で限定的な子が何度も繰り返していることになります。ところが、実際は、そういう子がいつもいじめる側に立っているかというとそうとは限りません。立場が逆転し、いじめていたはずの子がいつの間にかいじめられる側に立たされていたということはよくあることです。つまり、その子以外にもステグマを貼る子がいるということです。確かにいじめ事案でしょっちゅう名前が出てくる子がいるのも確かですが、意外な子の名前が出てくることも結構ありますよね。まあ、それだって、その時にいじめる側に立った子の倫理観や道徳観が未熟だったということもできますが、まさかと思う子の名前がでてきたときや、次々に違う子の名前が出てくるような事態の前では、倫理観や道徳観だけですべて説明できるのかと思ってしまいます。そもそも、小学生や中学生で完全に倫理観や道徳観が確立している子がどれだけいるかとも思います。そう考えると、もっと違う何かがいじめを支えているのではないかと思うのです。

 ちなみに、そういう道徳観を高めるのが道徳の授業であり、いじめの問題は結局道徳の授業を充実しなければ解決しないという人がいます。それも間違いだとは思いませんし、最も核になるものであるとは思います。けれども、週1回の道徳の授業でしっかりと心を育てるには、気の遠くなるような時間がかかります。その効果を待っているうちにいじめが深刻化してしまいます。道徳の授業は重要ですが、それだけでいじめを軽減することはできません。

限りなく現実に近いフィクション

今日は、参観日(中学校)。M先生のクラスは1年生。授業は理科室での理科。授業者はK先生。50歳を過ぎたベテランです。M先生はすでに年度当初の第1回の参観日で「顔見せ」を済ませていたので、今回は駐車場係でした。それが終わったあと、参観授業後の学級懇談会に備えて教室の環境整備の仕上げをするために、自分の教室に向かいました。できるだけ和やかな雰囲気で会が進むようにと机を円形に並べ直したり、ゴミが落ちていないかなどを確認したりしていました。

M先生は、今年その学校に転勤してきたばかりだったのですが、すでに10年以上の経験があり、前年までは当時としては珍しかった内地留学で大学院での研究もしていました。

4月に出会った生徒はたいへん素直で、学級経営も順調。今日の学級懇談は、きっと充実したものになるという確信めいたものさえありました。ところが―――。

参観授業終了のチャイムが鳴り、M先生は保護者を迎えるべく、自分の教室の入口で待っていました。廊下の端の方から、予想以上の保護者が教室に向かってくるのが見えた。「ほお、この学校は保護者が熱心なんだ。こんなに学級懇談に残ってくれるとは」と思って、先頭にいた男性保護者に「ご苦労様です」と声を掛けようと近づいたそのとき、男性は怒りが収まらないといった鬼の形相で吐き捨てるように言った。「いやあ、すごいもの見せてもらいましたよ」「えっ!何のこと?」後に続く保護者の顔も一様に強張っています。

懇談が始まります。M先生は、冒頭の担任あいさつで恐る恐る聞いてみました。「授業、どうでしたか?」

一瞬のうちに教室の空気が凍りつきました。そして、さっきの男性保護者が口火を切りました。「あの先生は何なんですか?あんなのを普段から許しているんですか」

その保護者曰く、授業中に指名された生徒が「わかりません」と答えたら、授業していた教諭がこう言ったのだと言う。

「そんなものもわからないの?親の顔が見てみたいわ!(後ろで見ている保護者の中の)どの人?」

それだけではすまず、K先生は、最近の親の教育力のなさについて延々と話し続けたのだといいます。

M先生は耳を疑いました。こんなことがあるはずがない。人間業だとは思えません。その後、K教諭に対する批判が次々と噴き出しました。完全にヒートアップ状態です。あまりに予想外の出来事にM先生は現実感を失ってしまいました。そして、これはもうここで収集がつくレベルではないと判断したM先生は、「K先生はもちろん、管理職とも相談して対応させていただきます」と答えるのが精一杯でした。用意していた家庭学習の仕方や生徒指導上の問題についての資料に触れる余裕などまったくありませんでした。

そして、最後にさらに予想外の展開が待っていたのです。

小一時間、K先生批判がとめどなくあふれ出た後、一人の女性保護者が静かに発言を始めました。教室の中はK先生糾弾の方向でほぼ結論を得た状態でした。

 その女性は、消え入りそうな小さな声で話し始めます。

「皆さんの言われることは、よくわかります。」

女性は目にいっぱいの涙をためていた。唇は小刻みに震えています。そして、若干の間があった後、絞り出すように言葉を続けました。

「皆さんやM先生の言う通り、こんなひどい先生はありえないと思います。K先生は一昨年まで私の娘が通う小学校に勤務していました。そのとき、同じような問題が起きて、私は校長先生に直談判しました。そして、校長先生がK先生に指導されたようです。その後、私の娘に対するK先生の当たり方がひどくなりました。授業(専科)のあるたびに嫌味を言われ続けました。娘は私に「お母さんがいらんことするからだ」と毎日泣いていました。娘は必死に耐え、学校を休むこともなく、授業も受けました。でも精神が壊れるんじゃないかと何度も思いました。でもK先生は結局何も変わりませんでした。次の年、K先生はこの中学校に転勤となり、6年生のときは安心して学校に通うことができました。なのに、また・・・。  

皆さんに言いたいことは、あの先生は何をしても絶対に態度を変えないということです。それに、あの先生は2年に一度転勤を繰り返しています。一つの学校に長く勤務させられないので校区の学校を順にたらいまわしにされているんです。たぶん、今年で転勤になると思います。何をしても変わらない人と関わるのはエネルギーの無駄遣いです。傷つく子が増えるだけです。子どもと一緒に無視する方が子どものためだと思います。筋が通っていないのはよくわかっています。でも、今年我慢すれば、あの人はいなくなるんです。うちの娘にとってはそれだけが一筋の希望なんです。下手に刺激して、また娘に集中攻撃されたら娘は本当に壊れてしまうかもしれません。」

教室の空気が一変しました。ひどいとは感じたもののそこまでとは・・・。その後、その女性保護者と同じ小学校区の保護者数名が、援護するように続けて意見を述べました。まさに「無理が通れば道理引っ込む」の究極の状況です。ここまで子どもたちや保護者を追い込んでいて、何も感じず教職を続けられることにM先生は怒りを抑えきれませんでした。しかし、懇談会は保護者の総意として「無視」をすることでまとまりました。やるせない気持ちを強く感じながらも、M先生はその場はそこで会を閉じることにした。

このような「総意」が成立したのは、その学校が近隣地区に比べて田舎であったことも影響していたのかもしれません。また、この話が今から30年ほど前のことであることも関係していたのかもしれないと思います。しかし、今なら、確実にマスコミにリークされて大問題になっていたはずです(その方がよかったかもしれませんが)。M先生は校長にすべてを話すことにしました。校長はK先生が問題あることを知っており、かの保護者が言うように、2年で転勤させることを教育委員会でも確認していたようでした(それも変な話ですが)。

その年の年度末、人事異動が発表になり、K先生は予定通り転勤となりました。ただ、それまでと違ったのは、校区内でのたらいまわしではなく、市外への異動となったのです。校長は、K先生に指導するのではなく、K先生に内緒でKさんの夫に何度も会い、夫から退職を勧めるように説得を続けていたようです。しかし、それは不調に終わりました。ただ、市外に転勤したその年の年度末、K先生は定年まで数年残して退職したと聞きました。なぜ、市外への転勤が可能になったのか、なぜあれだけ教職にこだわったKさんがあっさり退職したのか、はっきりしたことはわかりません。やり手と言われた校長だったから、何か特別な方法を取ったのかもしれません。

いずれにしても、M先生が当時の校長を信じて、すべてを話したことは間違いではありませんでした。

後にも先にもM先生が、こんな学級懇談会を経験したのはこのときだけです。

(作品No.143RB)