メタな視点

研修所に勤務していたときに、筑波大学の教授からこんな話を聞きました。その人は外国で欧米の学生と日本の学生を同じゼミで受け持っていた経験があるとのことでした。

「日本の学生に、“小・中学校時代、国語でどんなことを習いましたか?”と聞くと、『ごんぎつね』とか『走れメロス』とか答えます。でも、欧米の学生に聞くと「説明文の書き方」とか「小説の書き方」と答えるのです。つまり、日本の学生は教材名を答え、欧米ではそれが何のための授業だったかを答えるのです。」1)

自分の専門教科が国語だったので、この話には少なからず衝撃を受けました。この教授の言われることが全てだとは思いませんが、私のやってきた授業は内容の理解だけにとどまり、何のためにこの教材を使うのか、なぜ筆者(作者)はこの文(作品)を書いたのか、という視点をもたそうとは考えてもみませんでした。

こうした「何のために」とか「なぜ」といった視点は、メタ認知によって可能になります。

「メタ認知(metacognition)の「メタ(meta-)」とは,「高次な」や「一段上の」という意味を持つ接頭語で,「認知(cognition)」は,見たり,聞いたり,考えたりなどといった知的営みや活動を指す言葉です。つまり,メタ認知とは自らの認知活動を高次な(一段上の)レベルから認知することを意味する言葉になります。」1)

つまり、今自分がやっていることがどういう意味を持っているのかを「一段上の」視点によって理解しようとすることです。冒頭の欧米の学生が「説明文の書き方」と答えることができたのは、このメタ認知によって、教材の理解を越えた「授業の意味」を十分に理解していたからでしょう。 

メタ認知は日本語の「俯瞰」に近いものだと思います。例えば、校舎の全体像を写すために航空写真を使うのとよく似ています。また、車のカーナビを想像してもいいかと思います。ナビは人工衛星(GPS衛星など)を使って、高いところからその場所を広角で捉えることができます。角度が小さければ、正確な道案内はできないでしょう。

国語の説明文の授業に即して言えば、教材の内容を正確に理解した上で、その文がどんな構成になっているのか、何のためにこの段落でこの具体例を用いられたのか、そして筆者はなぜこのような文章を書こうと思ったのかなどを考える視点をもつということです。そうした読みをするためには、教材の全体を見渡す必要があります。全体を見渡すことで、筆者の意図が見えてきます。自分が筆者になったつもりで読むと言ってもいいでしょう。筆者は、必ず意図をもって文章を構成しているはずです。文中には書かれていない「高次な」意図を汲み取ることは、自分が説明文を書こうと思ったときに必ず生かされます。

私が小学生のころ、よく、説明文の授業で、形式段落ごとの要点まとめる作業をしていました。丁寧に読むことは大切ですが、あまり細かくやり過ぎると生徒の視点が近視眼的になり、全体像が見えにくくなります。そういうときには、視点を読者から筆者に変えることで、文章全体を見ることが可能になります。

以前注目された「PISA型読解力」も、メタ認知を基調としています。これも児童生徒の全体を見る目を養い、何のために今この授業をしているのかを考える機会を与えることを重視したものです。この考えは、現行の学習指導要領でも生かされています。

このメタ認知は、私たちが仕事を進める上でも重要な視点です。今目の前でやっていることが子どもたちのどんな部分を育てることにつながるのかをちょっと意識するだけで、児童生徒への声のかけ方も変わってくると思います。

また、自分よりも少し経験のある人になったつもりで(授業で筆者の視点をもつのと同じように)その人を見てみることも大切です。学級担任なら学年担当を、学年担当なら教務の先生を、教務の人なら教頭先生を、教頭先生なら校長先生を、といった具合にです。自分のことに精一杯だという人も、時々でいいので試してみて下さい。きっとそこには新しい発見があるはずです。「自分ならどうするだろう」と考えるだけで自分の視野を広げることができます。その姿勢は、将来その立場に立ったときに生かされるだけでなく、自分の仕事や学年のことを「俯瞰」する視野や思考につながっていきます。

(作品No.42HAB)

  1. 「岩手大学教育学部准教授 久坂哲也「メタ認知と学び」(ベネッセ教育総合研究所 マナビコラム https://berd.benesse.jp/special/manabucolumn/classmake19.php

理髪店に行ける理由

私たちはなぜ、髪が長くなると理髪店や美容院に行ける(・・・)のでしょうか?(まあ、普通の人はこんな疑問は持たないと思いますが)。それは、理髪店に対する信用があるからです。理髪店の人は、様々な刃物を持っています。はさみや、かみそりなど悪気があれば凶器になるものをもっているわけです。それでも、私たちは髪を切りに行くことを不安だとは思いません。そこには、「店員さんが、その刃物を持って自分に切りつけてくるようなことはしない」という信用があるからです。厳密に考えれば、そこに根拠はありません。こうこうこうだから刃物を凶器にすることはないという、最近はやりの言葉でいえば「エビデンス」は明確にはないのです。それでも信用するのは、社会や人間に対する信頼があるからです。「普通そんなことは起こるはずがない(そんな人はいない)」という信頼があるからです。もし、少しでも「ひょっとしたら傷つけられるかもしれない」と思ったら二度といけなくなります。そういう疑いを持たない、ある意味絶対に近い信用があるからこそ、私たちは安心して身をゆだねることができるのです(ときには、途中で居眠りをすることさえできます)。

 このことを学校にあてはめれば、学校というシステム(社会と言ってもいい)や教師に対する信頼が十全であれば、生徒は安心して身をゆだねられるということになります。しかし、それは簡単なことではありません。多様化の時代にあってはなおさらです。

でも、この問題は今に始まったことではありません。1950年ごろに活躍したドイツの教育哲学者ボルノウ(1903-1991 ドイツ生まれ)は、当時すでに次のように指摘しています。

「教育者という職業は、彼に求められる信頼に対して、たえず過大な要求を課せられている点で、大きな困難を担っている。ここにしばしば教職に特有の悲劇が生まれる。多くの教育者が、あまりにも早く気むずかしくなり、疲れ切ってしまうのは、まことにもっともなことである」1)

 私たちは、保護者や地域からの理不尽な要求を、近年始まったことだと思い、昔はこうじゃなかったと感じることも多いのですが、実際は、長きにわたって教職という仕事に課せられた課題なのです。

 ボルノウの指摘が本当だとすれば、私たちの先輩たちも同じ悩みを抱えていたことになります。そして、その都度乗り越えてこられたからこそ、今があるのです。気休めにしかならないかもしれませんが、そう考えるとほんの少し肩の荷が下りたような気がするのは、私だけでしょうか。

1)『教育を支えるもの』O・F・ボルノウ著、森昭・岡田清美訳、1993.3.15新装5刷、黎明書房、p124)(新装初版は1989.3.10) ちなみに「教育を支えるもの」というこの本のタイトルは、直訳すれば「教育的雰囲気」(風土のようなもの)となるのですが、情緒的・感傷的な基調を漂わせる「雰囲気」との混同を避けるべきだとするボルノウの意図を汲んで、訳者によって「教育を支えるもの」とされました。かなり読み応えはありますが、若い先生にはぜひ読んでほしい名著です。教育の根本的な問題(「あらゆる効果的な教育にとって欠くべからざる根底をなす情感的条件と人間的態度」(同書p31)について考えるには、最高の一冊です。現代の教育にも十分通用し、将来迷ったときの拠り所となってくれます。

ある店舗でのこと                    -学校のシステムエラーを一つ減らす案-

昨日、ある保険関係の店舗に行きました。すると、入口を入った右側、フロアの隅に7、8人の従業員が仕事用のスーツを着て一つの机を囲むように集まっていました。最初、一部の人しか目に入らなかったので、「結構クライアント(顧客)がきているんだ」と思いました。それにしては結構大きな声で話す声が聞こえてきます。どちらかと言えば白熱した議論をしているかのようでした。後で聞いたら、それは顧客への対応を互いにシミュレーションしている「研修」だったらしく、同じ社員同士、しかも若い人同士で本当の顧客に十分対応できるように練習(研修)していたようです。同じ若い者同士だからこそ「今の説明ではよくわかりません」などと遠慮なく相手を言及することができます。その集団からいきいきとした心地よい空気を感じて、すばらしい研修だと思いました。

多くの企業では、新しく採用した人に対して、一定の研修期間(数か月くらいでしょうか)を設けています。その研修によって,新規採用者が社員として働くための最低限のノウハウや会社のビジョンなどを理解するのだと思います。そして、研修中に新採用者の特性を見極めたうえで、それぞれの配属を決めることになるのでしょう。こうした研修は「何もできない」「何も知らない」者に顧客の対応をさせたり、商品の説明をさせたりするのは顧客に対して失礼であると考えているからだと想像できます。また、顧客の信頼を失うことのないように、接遇の基本などもみっちりと鍛えられることにもなるでしょう。つまり、リスクマネジメントの側面もあるわけです。もし、顧客が「もうこの会社の製品は買わない」と感じたら、身近な人にその不満を伝えるでしょう。今なら、SNSを使ってあっという間に広がります。特に、誠意がないと思われたときのリスクには計り知れないものがあります。そんなとき会社側の上司が、「失礼な対応をお詫びします。ただ、この社員は、まだ採用されたばかりで何もわかっていないんです。」などと言おうものなら、まさに火に油です。顧客からすれば「そんな経験不足の者を説明に当たらせるとは、どういうことだ。私を軽く見ているのか」ということになるでしょう。

しかし、研修をきちんと実施するのは顧客のためだけではありません。新採用者にとっても拠り所を与えてもらえるという意味もあります。この会社が何を目指しているのかというビジョンに始まり、商品に関する知識や、説明手順、顧客への言葉遣いにいたるまで事前に丁寧に研修することで安心して顧客の前に立てるのです。

それに比べれば、新採用教員というのは非常に残酷な扱いを受けています。大学を卒業してすぐに採用された人はなおさらです。教員は4月1日から即プロ扱いです。まったく研修なしで学級担任を任されることもあります(都道府県によっては、都道府県教委から可能な限り学級担任をさせよという指示が出ている場合もあります)。これは一般企業では考えられないことです。昔に比べれば、県教委や市教委の研修は、内容も系統性も充実しています。それでも「走りながら」の研修であることに変わりはありません。これでは研修が生かされる前に教員がつぶれてしまいます。ツイッターなどで、新採用教員が4月の初旬(4月1日という人さえいるようです)に辞職したというのをしばしば目にします。これを「最近の若い人は我慢が足りない」と一蹴していいものだろうかと思います。確かに、私が新任だった37年前から(いやもっと前から)同じやり方をしているわけですから、現役教員の多くが「いきなり最前線制」を経験しているわけです。「誰もが我慢してやってきたじゃないか」という人もいるでしょう。しかし、それはあくまでも学校側、教員側の理屈です。

学校に勤務した経験のない人に実際に聞いた話ですが、その人曰く「せめて、接遇の仕方、特に電話対応の仕方くらいは研修で身につけさせてから学級担任や部活動の顧問にしてほしい。失礼な物言いをしていることに気づかず、ちょっと質問をしたらモンスター扱いされて、次にものが言いにくくなる。先生は自分たちはいつも正しいと思っているのですか。」

私も、大学を出てすぐ採用、その年から学級担任でした。経験もなく研修もまったくないまま毎日手探りの状態でした。不安ばかりが広がり、いつもイライラしていていました。「どうしたらいいでしょう」と先輩に聞いても「あなたのやりやすいようにやれば」としか言ってもらえず、途方にくれ、孤立感は限界に達しました。毎日通勤途上で「今日こそ朝一番に校長室に行こう。そして校長先生に辞めると言おう」と思っていました。そう思わなければ学校に行く力が湧いてこなかったのです。そして、6月には学級が崩壊し、保護者から「訴える」とまで言われました。

私は、そのとき思いました。「これでは、泳げない者に泳ぎ方も教えずに、太平洋の真ん中に放り出すようなものじゃないか」と。

こうした事態をヒューマンエラーではなくシステムエラーだと指摘する人もいます。まさにその通りです。こうしたシステムエラーを解消するには、初任者の採用を3月1日とし、せめて一か月くらいは研修期間を設けるべきでしょう。その分予算もかかるでしょうし、大学との調整が必要でしょう。法的な改正も必要かもしれません。しかし、採用試験受験者が激減し「受験した者をすべて合格にしても定員割れ」となってしまう県もあるという実態を考えれば、緊急な対応が必要です。文科省にはそのくらいのことを実施する危機感と決断力を望みます。

それにしても、生きる力の育成が叫ばれていったい何年が経っているのでしょう。その間、文科省は具体的には何も大きな改革をしていません。いやむしろ学校現場の教員を信頼せず、できていないことばかり指摘してきたようにしか見えません。この度廃止されるに至った教員免許の更新制度にしても、恐らく文科省のオリジナルアイデアではないでしょう。文科省はいつも誰かを頼り、専門家を集めて意見を聞き、重い腰をゆっくりといか動かしません。だから、教員の負担を軽減することを理由に廃止したはずの免許更新制度に、今後も校長の指示による研修を義務づけるような見解を出すのです。本当に教員の負担を軽減することが急務だと思っているなら、周囲から教員の質の低下を指摘されてもなぜ反論しきれなかったのでしょう。「研修は重要だ。しかし、多くの府県で採用試験の倍率が1倍台になっている今、まず最優先すべきは教員の確保である」と。文科大臣が堂々とて発信して成しえた施策は一つでもあるのかと疑いたくなります。

この会社が実施していたような「相互研修」を新採用教員に行うことで、若い教員がそうした研修の楽しさを実感し、実際に授業を行うときに子ども同士の授業展開を積極的に取り入れる原動力になると思うのです。何の研修も受けずにどうしてアクティブラーニングなどできるはずはありません。新任の教師が教科書の内容を伝えることにアップアップしてしまうのも当然です。そこからは「教え合う」こととは程遠い、「教え込む」までもいかない「知識を報告する」授業にとどまってしまうでしょう。

現在の学校は様々な面で制度疲労を起こしています。学校のシステム改善は待ったなしの問題です。制度疲労を起こしているシステムの一つ、新規採用者への研修制度を変えるためには、3月採用制度は決して無理でもなく、悪くもない案だと思うのですが。

(作品No.92RB)

電話の失敗 -危機管理の常道-

県の研修所に勤務していたとき、最初に与えられた仕事が「真っ先に電話に出る」ことでした。今はどうかわかりませんが、当時の研修所では一番若い者が最初に電話を取るという慣習がありました。私が在籍していた課は、研修全般の日程や場所の調整、講座の申し込みを受け付ける部署でした。研修所には他に義務教育に関する研修を担当する課、高校教育に関する研修を担当する課、情報教育に関する研修を担当する課、それにカウンセリングを受け付ける課など様々な課があり、それぞれがいくつも研修講座を主催していました。私の課はそれらの研修に関する質問を受け付け、何十もある研修についての電話を即座に担当課につながなければいけません。しかし、入ったばかりの私にはどんな研修があって、それがどの課の担当なのかもわかりません。電話が入るたびに研修の一覧を見て担当課を確認するため、どうしても時間がかかります。もたもたしていると電話の向こうからお叱りの声が飛んできます。かけてきた方はこっちが新参者かどうかなんて関係ありません。研修所にいるのだから研修のことは全部知っていて当然だと思っていますから。

 新参者が電話を最初に取るという暗黙のルールは、危機管理上非常に重要なことです。できるだけ、上司に電話(特に苦情電話)を取らせない、そうすることで、新参者が対応に失敗しても上司がフォローすることができる。その上司が対応を間違えたとしてもそのまた上司が対応することができます。こうした組織は、トップが柔軟な思考をしないと新しいこと始めるときには動きが遅くなったりもしますが、何層にもガードを準備することという意味では組織を守ることはしやすくなります。学校でも同じです。私は校長時代、最初に電話に出ることはまずありませんでした。目の前の電話が鳴っても、受話器をとることはあえてしませんでした。職員によっては「電話くらい出てくれたらいいのに」とか、「ややこしい電話を職員に取らせるのか」という人もいましたが、校長が出て話をしてしまうと、それは最終決定になってしまいます。大きな事件やマスコミがからむようなトラブルが発生している場合でも、教頭は校長より先に電話に出なければいけません。それは学校や職員を守るために大変重要なことです。

 ただ、たとえ上司であっても何ともフォローしにくい失敗もあります。

当時の研修所は、丁寧な電話対応を誇りとしていて、私の課の場合、電話を受けた直後に「はい、こちら教育研修所、〇〇課、△△と申します」と言わなければなりませんでした。これが簡単なようでなかなかできない。必ず途中で噛んでしまいます。最初のうちは、通勤途上の車の中で何度も繰り返し練習していました。そして、何とかすんなりと言えるようになったころ、とんでもない失敗をしてしまったのです。なんと電話を取った第一声で、

「はい、こちら教育研修所、〇〇課、△△(私の名前)と思います(・・・・)

と言ってしまったのです。私は、「しまった」と思うより先に自分の失敗がおかし過ぎて笑いが止まらなくなってしまいました。「自分の名前を“思って”どうするんだ」と、心の中で自分に突っ込みを入れていました。そうすると余計に笑えてきて、電話の相手には本当に申し訳ないと思いつつ、まともに対応するどころではなくなり、最後まで笑いながら対応してしまいました。課長は、その一部始終を見ていました。「叱る」を通り越して、あきれていました。

私は、人があきれたときというのは、本当に口がポカンと開くのだということをそのとき初めて知りました。

(作品No.36HB)

「読み物」教材はなぜ有効なのか

道徳の授業でしばしば「読み物」教材が使われます。特に、道徳が「特別な教科」として扱われ、教科書を使うようになってからは、まさに授業の「定番」といってもいいでしょう。では、なぜ、道徳の授業で「読み物」が有効なのでしょう。

 

これは、「読み物」が「間主観的」な状態をつくりやすいからです。通常、主観というと個人の内部に存在するものとして考えられますが、「間主観的」とは、この主観を人と人との間に成立するものという立場をとります。つまり、「ある事柄が間主観的であるとは、二人以上の人間において同意が成り立っていることを指す」1)わけです。

 道徳の授業に「同意」というのは馴染まない気がするかもしれません。それは、そもそも道徳というものは「正しい」考え方を示すものであって、話し合って決めるというイメージが薄いからです。しかし、以前にも書きましたが、究極的には絶対的に「正しい」真理は存在しないと考えれば、今「正しい」とされていることも、そこに生きる人々の同意によって成立しているといえます。理想的な道徳の授業というのは、この同意の過程を経験させることにあると私は思います。

 例えば、いじめについて考えるとき実際に自分の学級で起きている問題をそのまま取り上げると、被害者側も加害者側も相手との人間関係を気にして思うように意見が出せないことがあります。被害者からすると「この後もっとひどいいじめにあうかもしれない」と思うだろうし、加害者側は本当は自分が悪いと感じていても「いじめられる方にも原因がある」とあえて主張するかもしれません。相互の同意としての道徳の授業を成立させるためには、クラスの誰もが話しやすい雰囲気を作り出す必要があります。相互に(あるいは学級全員に)利害関係がない方が意見を言いやすくなります。その点「読み物」教材は、意見の違う者同士がそれぞれに一定の距離を保てるため、様々な意見が出しやすく、同意への道を開きやすくします。そもそも、意見を出し合うことがなければ「同意」は成立しません。距離を置いた「読み物」だからこそ逆にいじめの核心に迫る触れることも可能になります。

 確かに、こうした方法は、いじめ問題に対する即効性は期待できません。しかし、「優しさ」や「思いやり」、「命の大切さ」などのさまざまなテーマに対する意識を少しずつ高めることはできます。わずか一時間の間にできることは限られていますが、なぜ「優しさ」などが大切だとされているのかという意味を考えることはできます。この意味を考える時間こそ「内容項目」が社会の中で同意されるに至った歴史的過程を疑似体験することなのです。

 以前、県の人権交流センターに勤めておられた方に「人権教育はマイナス(差別や偏見など)を減らすために行い、道徳教育はプラスを増やすために行うものだ」と聞いたことがあります。「同意」による「疑似体験」は、心のプラスを増やす営みでもあります。

 また、道徳の時間とは生徒からすれば「最初から答えが決まっている」授業と受け止められやすいものです。そうなると子どもたちは何を発表しても意味がないと感じてしまいます。打開策としては、一時間のうちに一回でもいいから生徒の心を揺さぶる(「えっ」と思わせる)発問を取り入れることです。それによって授業は活性化し「同意」の「疑似体験」に近づくことができます。

そして、教育哲学者の林竹二氏2)は次のように述べています。

「私は授業というものは、一つの事件を起こすことだと言ったり、一つの出会いが成立することだと言ったりしてきた。もう少し突き詰めていけば、その時間を『一緒に生きることだ』と言ったほうがいい。プラトンも教育とは、『一緒に生きること』だと言っている。」3

 道徳の授業は、適度な距離感と適度な「事件」が一緒になって大きな意義を生み出します。

(作品No.41HB)

1) https://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/intersubjectivity.html児玉聡京都大学文学研究科准教授

2)  林竹二:1906年12月21日-1985年4月1日。日本の教育哲学者。東北大学名誉教授。元宮城教育大学学長。専攻はギリシア哲学。プラトンについての論文がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E7%AB%B9%E4%BA%8C

3)  静岡県総合教育センター「指導充実のために「授業論」を学ぶ」より重引。原典は林竹二著『問いつづけて—教育とは何だろうか』 1981.4.1径書房

ハレとケ

子どもたちには「ハレ」の日が必要です。「ハレ」の日は、「ケ」の日があって初めて成り立ちます。「ハレ」と「ケ」とは、「柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ」※1であり、「民俗学や文化人類学において(中略)ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表し」※1ており、「ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した」ものです。学校でいうと卒業式などは、まさに「ハレ」の日です。

また、教育哲学者のボルノウは、この「ハレ」の日に行う「学校における祝祭」について次のように述べています。

「・・・荘厳・厳粛な祝いの経験は、それ自体、決定的な人生経験なのである。なぜなら、ある具体的なきっかけから、一般に人生のいっそう深い意義、つまり、人間がそれによって生きる歴史的基底が、祝いの荘厳さのなかで経験されるからである」

ここでいう「歴史的基底」には、個人のそれまでの過去はもとより自分の住む国や地域の文化や歴史の重みを身をもって感じるという意味を含んでいます。ボルノウは、教育を支えているものは、一種の「雰囲気」であると主張します。卒業式で、歩き方一つとっても日常とは違うやり方をするのは、「ハレ」の日として一定の厳粛さを保つためです。その厳粛さが、会場全体の「雰囲気」を「ハレ」にふさわしいものとし、柳田國男のいう「日本人の伝統的な世界観」を肌で感じる「場」として成立させているのです。

今後卒業式がどのように変わっていくのかわかりません。また、私はこれまでこのコラムの中で何度も学校は変わらなければならないと述べてきました。でも、この卒業式だけは、やはり一定の「雰囲気」(厳粛さ)が必要だと思います。卒業式を「ケ」のようにしてしまうことは、学校における「ハレ」を学校自らが放棄することです。学校が「ケ」だけになれば、子どもたちは理屈を超えた「教育的な雰囲気」を肌で感じる場を失い、「伝統的な世界観」を経験する機会を失うことになります。

近代以降、科学は目覚ましい進歩を遂げました。人類が月に行き、ミクロの世界では遺伝子の組み換えが可能になり、そのことによって多くの難病が治せる世の中になってきました。反面、大量殺人が可能な核兵器などを生み出してしまったのも科学です。本来科学は人間の「善」と「幸福」のために寄与するものだと思います。私は、宗教家ではありませんが、すべてを科学が解明できると思うのは人間の奢りのような気もするのです。

ボルノウのいう教育を支える雰囲気は、科学的には立証できないかもしれません。でも、私たちは子どもたちとかかわる中で、その成長ぶりを理屈や理論だけで解明できないことを日々肌で感じています。その「肌感覚」は、学校教育にとって最も大切なものの一つだと思います。 (作品No.39HB)

※1フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

※2『教育を支えるもの』O・F・ボルノウ著、森昭・岡田渥美訳、1993.3.15(第5刷)、p183

過去は変えられる

過去を変えるなど、タイムマシンでもない限り無理だとも思われるでしょう。でも、そうでもないんです。

新任のとき一緒に採用された新任が5人いたのですが、学級担任は私だけでした。当時、その学校はまだ校内暴力がかなり残っており、毎日のようにケンカやトラブルが絶えない状態でした。自分のクラスだけは「荒れ」させたくない。新任であることでなめられてはいけない。私は、新任であることを決して口にしませんでした。そして、学級開きの日から毎日のように生徒を押さえつける指導を繰り返しました。ほんの少しでも騒がしかったり、指示を聞かなかったりすれば烈火のごとく叱りつけました、授業中にちょっと後ろを向いただけの生徒を大声で怒鳴りつけたこともありました。何とか学級の「荒れ」を防ごうと懸命でした。不安の裏返しでもあったのだと思います。しかし、赴任したばかりで学校のシステムやルールも全くわかっていなかったため、私が出す指示は間違いだらけでした。それでも私は生徒に謝りもせず、平然と新たな指示を出していました。朝令暮改を絵にかいたような状態だったのです。

そのうち、生徒たちは私の指示を信用しなくなりました。それでも同じように厳しい口調で叱り続ける私に、次第に反抗的な態度を示す生徒が増えていきました。6月ごろにはもう誰もまともに私の話を聞かなくなりました。教室でケンカが始まっても仲裁に入る私の手は簡単に振り払われました。二学期になるとさらに状態は悪くなり、道徳の時間にクラスの女子が全員エスケープしたこともありました。

また、雪の降った日授業中にクラスの多くの子が雪玉を隠し持っていて、私が板書しようとすると黒板めがけて投げてくるのです。私を狙ったのではなく、黒板をねらっていたのです。黒板は濡れると乾くまで字が書けません。それに対して私が怒ったり困ったりするのを見て喜んでいるわけです。

とにかく毎日が地獄のような日々でした。ひどいいじめも起こりました。ある土曜日、終わりの会をするために教室に行くと、最後列の女の子が机に突っ伏して泣いています。どうしたのかと近寄るとそのまま教室を飛び出していきました。見れば額からうっすら血が流れています。クラス全体に「何があったか」と聞くと、そのときの学級委員長の女子がすっくと立って、「私が隣のクラスの子から借りていた教科書を廊下で投げて返したら、ちょうどそこにAさん(泣いて飛び出した子)がいて額に当たりました。すみません」ときっぱり言い切った。ところが、後でAさん宅に家庭訪問したときに知らされた事実は全く違うものでした。Aさんは、7~8名の女子生徒にトイレで囲まれ罵詈雑言を浴びせられた上に、殴られたり蹴られたりされていたのです。委員長の女子はその主犯格でした。

家庭訪問では、Aさんの両親から「これは犯罪だ。二度とこんなことがないとここで約束しろ。そうでなければお前を訴えてやる」と言われました。当然の怒りです。しかし、私は学級の現状を考えると「二度とないようにする」自信はまったくありませんでした。怒り狂う両親を前にして、ただ無言で耐えるしかありませんでした。結局、その子の母親が偶然にも学年担当の先生の教え子だったため、何とかなだめてくださり、訴えられることはありませんでしたが、その一件で私の教師としての教師としての誇りや自身は壊滅状態になりました。

その後私は、とにかく一日が過ぎればそれでいい。早く一年が終わってほしい。そればかり考えていました。新任であるにも関わらず年休をすべて使い果たしました。生徒に対しても完全に逃げ腰になりました。生徒と向き合うエネルギーはもう残っていませんでした。三学期、最後の大掃除のとき、学級の全員がロッカーの上に座ったままでまったく掃除しようとしませんでした。私は次に入学してくる新入生が使うことになっている机だけは修繕しようと、一人で一つ一つの机に向かっていました。そのとき、私の頭にあったのは、惨めさを通り越した「恨み」でした。そして、教師として絶対に思ってはならないことを思ってしまったのです。こんな奴らに俺の人生を狂わされてたまるか。私を何とかそこに留まらせたのは、生徒への「憎しみ」だったのです。

翌年、再度1年生の担任となった私は、二度と同じ轍を踏むようなら、その時は潔く職を辞そうと考えていました。二年連続となれば、もう自分に教師としての適性はないということだ。その代わり今度こそ最後まで逃げずに生徒に向き合おうと決めました。相当な無茶もしました。どうせだめならやめるんだと思うと、迷わず好きなようにやれました。クラスも落ち着いていました。

そんなある日、グラウンドの石段に腰かけていた私に、一人の女子生徒が話しかけてきました。前年私のクラスにいた子で、毎日のようにいがみ合っていた生徒です。嫌味の一つでも言うかと思ったら、意外にもこう言ったのです。「今の先生、なんかすごくいい感じだね」そのときは、ただただ嬉しかっただけでした。

それから何年も経ったのち、アドラーという心理学者の存在を知りました。アドラーはこう言います。

「人は誰もが同じ「客観的な世界」に生きているわけではなく各々自分で意味づけをほどこした「主観的な世界」に生きているということです。同じ経験をしても意味づけ次第で世界はまったく違ったものに見え行動も違ってくる」1)

アドラーの言うことが正しければ、客観的な事実としての過去は変えることはできなくても、それに与える意味は変えられるということになります。そして、人が各々違う意味づけの「主観的な世界」に生きているとすれば、悔いしかないような失敗でさえ、意味づけが変われば、失敗は必ずしも失敗ではなくなるのです。私は気づかされました。一年目の「失敗」(だと思っていた経験)があったからこそ、それ以降の教師生活が充実したのだと。記憶から消したいとまで思ったあの一年間に、新たな意味づけが与えられたのです。

「過去は変えられる」。管理職になってから、何人かの先生にそう伝えました。ただし、自分のやったことが本当に失敗だったと、心から考えていると感じた人にだけですが。

1)岸見一郎・NHK「100分de名著」制作班監修、脚本:藤田美菜子、まんが:上地優歩『まんが!100分de名著アドラーの教 え 『人生の意味の心理学』を読む』宝島社、2017年4月22日、p35)

教育と「振り子」

「教育は、“ある2点”を両極として、時代によって力点の置かれ方がまるで振り子のよう変わるのです。」地元の大学に内地留学をさせてもらっていたときに、ゼミの教授から教えていただいた話です。“ある2点”とは、一方が「系統主義」、もう一方が「経験主義」と呼ばれるものです。「系統主義」は、知識や技術など教科の内容をしっかりと教えるために、系統立てて順々に教えていくことを重視します。詰め込み主義などと批判されることはありますが、多くの子どもたちに平等に知識や技術を身に付けたり、伝統文化の継承には効果的です。「哲学者ジョン・ロックの“タブラ・ラサ(白紙)”が有名で、生まれた子どもの頭=白紙のキャンバスにどんどん絵を描こうとします」※1

もう一方の「経験主義」は、生活に根ざした問題解決型学習(探求の授業など)を重視します。代表的な人物に『エーミール』を表したルソーや「道具主義」と呼ばれたデューイがいます。「学習者の興味・問題から出発するので学習活動が活発で効果的になる。」※1などの魅力がありますが、知識や文化を確実に継承できるのかという批判もあります。

時代背景や政治的な影響なども含めて、教育の世界はこの2つの主義の間を揺れ動き続けてきました。最もわかりやすい例としては、所謂スプートニク・ショックによる大転換です。「経験主義」は、アメリカで多くの支持を集め戦後日本の教育にも大きな影響を与えましたが、1957年10月4日のソ連による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げが成功したことで、西側諸国(特にアメリカ)は大きな衝撃を受け、一気に系統主義へと振り子を振り直しました。たった一発の人工衛星が、西側諸国の教育を180度変えたのです。

 この例でもわかるように、教育の核となる部分でさえも世界の情勢や政治的な意味合いによって変更されることがあります。このコラムで何度か書きましたが、教育は普遍の真理があるとは言い切れません。でも、それじゃあいったい何を根本的な拠り所とすればいいか。私ごときにはこの難問を解決する力はありません。私に言えることは、常に今、教育について何が語られているかに強い関心を持ち、先行き不透明な社会の変化に敏感であり続け、生徒が5年後や10年後の社会で生き抜くためには何が必要かを考え続けることだけです。学校は、知識や技能の習得はもちろん、将来の生きる礎を築くところです。その原点は(中身は振れても)おそらく大きく変わることはないと思います。

 もう一つ。ある教育哲学者が、真実は一つではないことを認めた上で以下のような拠り所を提案しています。それ(教育の本質)は「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の<教養=力能>を通した実質化」※2であると(ややこしい)。簡単に言うと、個々人の自由を最大限に尊重するが、その個々の自由は他者や社会によって互いに認め合うことを条件とする。教育は実質的にどこまでを自由として認めるかということを個々の立場や状況に応じて判断できるような力をつけることであるというのです。言い換えれば、自由が「わがまま」になっていないかを、どう判断するか。それを、互いに話し合いながら求めていく力と言えばいいでしょうか。私には今のところこれが一番しっくりきます。

(苫野氏はこれを深く考えていくと「系統」も「経験」も超えたメタな位置に拠り所を見つけられると述べています。ほんまかいなと思った方は下記の本を読んでみてください)。

※1 熊本大学公開科目: 基盤的教育論【第11回】教育学の2大潮流(1)系統主義と経験主義https://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/4Block/11/11-hajimeni.html

※2 『どのような教育が「よい」教育か』苫野一徳、懇談社選書メチエ、2011初版(引用は2012版)、p28

偏差値

私は、大学の時に遠山啓(数学者)の『競争原理を超えて』1) を読んで感銘を受け、序列主義や偏差値に捉われない教師になりたいと単純に思っていました。自分が教師になったら、この「偏差値」偏重主義には、必ず反抗しようと思っていました(あの頃は純粋だったのです)。ところが、実際に勤務してみると、偏差値はおろか順位も出していませんでした。おそらく国会で偏差値での「輪切り」や業者テストの問題が取り上げられるなど、序列主義の評価に対する批判が相次いだためだと思います。3年生は受験のことがあるので順位は出していたと思いますが、1、2年生には自分の得点と教科ごとの平均点しか生徒には示していませんでした。若干拍子抜けしましたが、これは素晴らしいと思っていました。ところが、数年して新しい評価システム(と言ってもちょっとこましな表計算ソフト程度だったと思いますが)が導入できることになり、出そうと思えば偏差値も簡単に出せるようになりました。そのことを受けて、当時中堅教員だった先輩の先生が「簡単に出せるんなら全学年出したらいい」と軽い口調で職員会議で提案されました。それをテスト結果通知表に記載して生徒に渡すというのです。

 私は咄嗟に手を挙げて反対しました。当時20代前半の若造が40近い先生に楯突いた形となりました。私は、「偏差値というのは、素点が正規分布(ガウス曲線)するという前提で出されるもので、学年単位くらいの人数では必ずしも正規分布するとは限らない。また、問題点も多く指摘されているのに、何の議論もすることなく、単に技術的にできるからといって実施するのは短絡的すぎる」と反論したのです。先輩の先生は、みるみる不機嫌な表情になりましたが、それ以上何も言わず、そのまま私の意見が通りました。その頃の私は、偏差値の功罪については職員の中で一番わかっているという根拠のない自信がありました(若いというのは時に恐ろしい)。

 私は、もともと偏差値というのが1957年(昭和32年)に「東京都港区立城南中学校(当時)理科教員であった桑田昭三により考案された」もので、「勘を依りどころに行われていた「志望校判定会議」における日比谷高校の合格判定を、より科学的、合理的に割り出すために考案された」2)ということを知りませんでした。桑田氏は、「生徒の能力を決めてしまうことにつながりかねないため、開発当初も、(中略)(その後も)偏差値は生徒に知らせるべきでないと考えていた。しかし、偏差値は生徒に努力目標を明確にさせるのに便利であり、多くの学校教員は、生徒に自分の偏差値を知らせた。結果、学力偏差値が悪者扱いされてしまったことを、心底残念に思っている」といいます。私が職員会議で反論した内容は、開発者の意図からしても間違ってはいませんでした。でも、偏差値そのものが悪いのではなく、その意味を理解し、使い方を工夫すれば客観的な資料として使える可能性があるということには気付いていなかったのです。森田氏は後に『よみがれ偏差値』とい本を書いておられるそうです。手に入れば一度読んでみたいと思っています。

 ちなみに私に反論された先生からは、しばらくの間何かにつけ「私は短絡的ですから」と嫌味を言ってこられました。まあ、笑いながらですが・・・。(作品No.37HB)

1) 1981.11.15 14版、太郎次郎社 ちなみに遠山氏の理論は1985年に開校した「自由の森学園」の理論的バックボーンになっています。

2) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「何でも質問してください」

今から20年以上前、地元の教育大学に内地留学に行かせてもらっていたときのことです。カウンセリングの講義を受けていたときの話です。その講義の教授はカウンセリング界でもかなりの大御所でした。学校内のカウンセリングの充実やソーシャルワーカーの学校導入について熱心に取り組まれていました。まだ、学校にスクールカウンセラーすら配置されていなかった頃です。教授曰く「アメリカでは、いずれも常識になっている。日本は遅れている」とよく話されていました。ある日、講義の終わりに教授が「何か質問がある人はいますか。なんでもいいよ」と言われたので、40代くらいの受講者が手を挙げて質問しました。「先生のお話はよくわかります。でも、カウンセラーやソーシャルワーカーが当たり前になっているアメリカの学校で、どうして生徒による銃の乱射などの悲劇が生まれるのでしょうか?」その質問が終わるや否や、自身の考えを否定されたと感じたのか、その教授は烈火のごとく怒りだし、大声でこう怒鳴ったのです。「あなたは、なんて馬鹿な質問をするんだ。そんな質問に答える必要はない」。教室全体に異様な空気が流れました。呆気にとられたと言ってもいいと思います。

そのとき、私が中学生3年生のときのことを思い出しました。社会科の授業中にナポレオンの話になり、先生が「なんでもいいから質問してください」と言うので、私は教科書に載っていたナポレオンの写真(絵?)を見て、「どうしてナポレオンは右手を服の中に入れているんですか」と質問しました。私はいたって真剣でした。もしかしたら当時の文化とも関係があるのかもしれない。ところがその先生は、私の質問を一笑に付しただけでなく嫌味っぽくこう言ったのです。「もうちょっとまともな質問はできんのか」と。「えっ」と思いました。それから、私はその先生の授業が嫌になり、ふてくされた態度を取り続けました。それが癇に障ったのでしょう、ある日、その先生は授業中に私の席の近くに来て、とんでもないことを言いました。

「お前、いつまでそんな態度を続けるんだ。内申点を下げることもできるんだぞ」。私は咄嗟に「別に構いませんけど」と答えてしまいました。結局、担任の先生が中に入る形で事は収まりました(謝ってはくれませんでしたが)。

冒頭の大学の教授とこの社会の先生は、いずれも「生徒(受講者)に馬鹿にされた」と感じたのではないかと思います。そして、相手を自分より劣っている者だと捉えていたのだと思います。また、生徒(受講者)は、自分(教師)の言うことを素直に聴くものだという意識が強かったのかもしれません。少なくともそこには、ある課題を一緒に考えようとか、生徒から学ぶこともあるという意識は全くなかったと思います。

そう言えば、私も新任のとき初めて担任した1年生のクラスでしょっちゅう怒鳴っていました。私が話しているときにちょっと後ろを向いただけの生徒を大声で怒鳴ったこともありました。学校全体が荒れていたこともあって、自分のクラスだけは荒れさせたくないという気負いもありました。でも本当の理由は他にありました。自分の指導力に自信がなかったのです。自信がないので、どう対処していいのかわからず不安でたまらなかったのです。もし、学級が荒れたら自分の評価が下がると思っていたのです。

社会心理学者のエーリッヒ・フロムは次のように言っています。

「・・・与えることがすなわち与えられることだというのは、別に愛に限った話ではない。教師は生徒に教えられ、俳優は観客から刺激され、精神分析は患者によって癒される。ただしそれは、たがいに相手をたんなる対象として扱うのではなく、純粋かつ生産的にかかわりあったときにしか起きない。」1)

結局、2学期以降は完全に学級崩壊状態となり、誰一人私の言うことをまともに聞かなくなりました。当然の結果です。生徒を自分の評価の手段のように扱い「対象」としてしか見ていない教師に信頼を寄せるはずはありません。

あのときの生徒には本当に申し訳ないことをしました。(作品No.43HB)

1) エーリッヒ・フロム著 鈴木晶一訳『愛するということ』2022.2.17(初版2020.9.10)紀伊国屋書店、p46