「高原の風景」-「世情」の解釈-

中島みゆきさんの「世情」という歌があります。その歌詞に「変わらない夢を流れに求めて」というのがあるんですが、私は長く「変わらない夢を流れにも止めて」だと思っていました。1978年リリースということですから、少なくとも私は高校生にはなっていたはずです。なんともお恥ずかしい話です。

 この曲は、当時大人気だった学園ドラマ「3年B組金八先生」(武田鉄矢さん主演)の中で加藤君という生徒を中心とした「反抗的」な生徒が数名教室に立てこもり、最後は警察によって強引に引きずり出されるという場面のBGMとして使われて話題になりました。
 担任役の武田鉄矢さんが、廊下でもみくちゃにされながら必死に警察の介入から生徒を「守ろう」とする場面と、この歌の歌詞一つ一つが見事にシンクロしていました。特に「シュプレヒコール・・・」のリフレインは、中島さんの一種「ドス」の効いた迫力ある歌声によって見ている者の胸をぐいぐいと押してきました。そして、日本中を大きな感動の渦に巻き込んだのです。
 
 今思うと、当時の教育はとても「牧歌的」でした。
 1970年代から1980年代といえば「校内暴力」が全国に広がっていた時期であり、学校の治安を守るために警察を介入する学校もありました。
 しかし、いわゆる「非行少年」の暴力や破壊行為は「犯罪」であるというより「わかってくれよ、先生」という悲痛な叫びとして解釈されることが多かったように思います。
 尾崎豊さんの「15の夜」がリリース(1983年)されたのもちょうどこのころです。
 「盗んだバイクで走りだす(立派な犯罪ですが・・・)」けれど行き先は自分にもわからない。でも、締め付けるばかりの学校や教師のやり方が、かけがえのない自由を自分たちから奪っていくことは許せない。免許を取得することもバイクに乗ることも許されない。だから盗むしかない。他に方法が見つからない。でも、俺たちは自由のために本当は何をどうすればいいんだ。当時の「暴力」や「非行」にはそんな若者の切ない思いが含まれていました。
 
 戦場とも言える学校。それを敢えて「牧歌的」と表現したのは、教師は非行に対して厳しく接しながらも根本的に教育は信頼関係によって成立するものだという信念があり、警察に頼ることは教育の敗北だと考える人が数多くいたからです。
 多くの教師は「俺がなんとかしてやる」という熱い思いで生徒にぶつかっていき、社会もそういう「熱い」教師を支持する土壌がありました。
 「お前たちの気持ちはわかる。しかし、許されることと許されないことがあるんだ」という教師の思いが、そこに厳然としてあったのです。金八先生のドラマのシーンが「名場面」となりえたのも、どこかで互いに求めあっているはずだ「牧歌的」なつながりがあったからでしょう。
 
 私が新任として採用されたころ、校内暴力は都市中心から地方中心に移行していました。ピークこそ過ぎてはいましたが、校舎の二階から机が「降ってくる」とか、中庭をバイクで走り抜けるといった暴挙もまだたびたび起こっていました。それでも先輩の先生方は「きっといつかわかってくれる」と生徒を信じて生徒にぶつかっていきました。そして、卒業して何年経っても互いに連絡を取り合うような濃密な信頼関係が成立したのです。
 当時、そうした教師と生徒の関係の築き方ができたのは、「情熱」と「信頼」を目に見える形で訴えることができる「牧歌的」な時代だったからだと思います。
 そして「牧歌的」な教育を社会で共有可能な目標が支えていたのです。社会学者の土井隆義氏は次のように述べています。その頃の日本は「頂上へ向かってひたすら山を登っている最中」1)であり、人々はその目標を信じていました。だからこそ生徒は反抗する対象を見つけやすかったし、教師は正しい道に戻してやろうとぶつかっていくことに疑問を持たずにいられたのです。

 今の学校が難しいのは、こうした共通の目標が社会の中に見つけにくくなったからです。先ほどの土井氏は見田宗介氏の比喩を用いて、「人々はすでに頂上に達しており、広い「高原」にいる状態だ」2)と指摘しています。
「高原」は見晴らしもよく、自由に走り回ることもできます。しかし、今までみんなで見ていた同じ目標はそこにはなく、それぞれがそれぞれに違う方向を見始めています。
 そこには「本当はこっちを向いた方がいいんですよ」と自信を持って教えてくれる人はいません。誰もが何を見るのが正解なのかがわかっていないからです。
 そうなると一人一人の不安は大きくなっていきます。「本当にこれでいいのか」「もっといい方向はないのか」という不安は尽きることがありません。
 私たち教育に関わる者に求められるのは、まず、今私たちが「高原」にいることを受け容れることです。だだっ広い高原で今まで通りに「上を見ろ」と言っても、そこにあるのは広い広い空と雲だけです。言われた方は途方に暮れてしまいます。

冒頭の「世情」には次のような歌詞があります。
「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」
 これまで戦ってきた相手はもうここにはいません。時の流れを止めようとしても無駄です。戻ることは許されないのです。教師や学校が「変わらない夢を見たがるもの」になってしまえば、子どもたちは路頭に迷うだけでしょう。私たちはいまこそ「問い」の仕方を変えなければいけません。広い高原の中で、迷っているのは子どもたちだけではないはずです。
 肩の力を抜いて「さあ、どっちにいこうかねえ」と、子どもの横にゆったりと寄り添わなければなりません。

 そう考えると私の「変わらない夢を流れにも止めて」という聞き間違いは、あながち間違ってはいないのかもしれません。今までと変わらない目標を子どもに押し付けるのではなく、大きな社会の変化の中でさえも敢えて自分を「止めて」、子どもと一緒に考える。悪い話じゃないと思います。(作品No.129RB)

1)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87010?imp=0

2)土井氏は『「宿命』を生きる若者たち』(2021 岩波ブックレットp38)で、見田宗介氏の比喩を次のように引用しています。「見田宗介の巧みな比喩を借りるなら、現在の私たちはすでに山を登りつめて、高原地帯を歩みはじめているのです。」

「定義」と「いじめ」

前回、学校の「丸腰」状態について書きました。そして、少しずついじめについて書いていくとしました。今回は、まず過去の経験を踏まえて私の基本的な考え方について触れておこうと思います。この文章は昨年度自校の職員向けに校長の私が示したものを一部修正したものです。

学級担任をしているとき、学活の時間に「定義づけテスト」いうのをやっていました。黒板に示した言葉を自分なりに定義してみようというもので、例えば、「鉛筆」という「お題」を出すと生徒が「字を書く道具」などと書きます。それを集めて生徒の前で私が読むという、いたって単純なものです。これが結構面白い。最初は目に見える物から始めて徐々に抽象的な言葉(概念)へと発展させます。「優しさ」や「幸せ」など「お題」が抽象的になるほど生徒の回答も多様になります。生徒の持っているイメージもよく表れます。教室全体を「ほーっ」と感心させるものも結構出てきます。

もともと定義とは、「概念の内容や用語の意味を正確に限定すること」(精選版 日本国語大辞典 コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E5%AE%9A%E7%BE%A9-79069)です。例えば、新型コロナウイルスを撲滅するためには、ウイルスがどんなものかという「正体」を知る必要があります。さまざまな分析や解析によって他のウイルスと何が違うのかを突き止め、ウイルスを「限定」することで「正体」が判明し、ワクチンの開発も可能となります。まさにウイルスを「定義」しているわけです。そうやって開発されたワクチンは、あくまでも限定された範囲内でどのくらい効果があるかということがわかるわけです。

 ところが、学校における様々な課題、特にいじめについてはだれも明確な定義を持ち合わせていません。これが問題を複雑にしています。確かに文科省は定義を示していますが、現在の定義は範囲が広く、「限定」が非常に難しい内容です。昭和61年度に明記されていた「弱い者に対して一方的に」「継続的」「深刻な苦痛」「学校としてその事実を確認」などの表記がすべて削除され、現在いじめは被害者が「いじめられた」と思うことによって成立することになりました。しかし、いじめられた側にもいじめについての明確な定義があるわけではなく、冒頭の「定義づけテスト」と同様、あくまで個人のイメージなのです。自ずと生徒一人ひとりのいじめの定義もそれぞれ違ったものにならざるを得ません。

文科省が定義を広くとらえるようになったのは、いじめによる自殺など重大な事態をなくすために早期発見、早期対応を緊急課題としたからです。いじめによって自ら命を絶つという数多くの悲劇があったことは忘れるわけにはいきません。しかし、深刻ないじめをなくそうとしたことで、皮肉にもいじめの増減さえよくわからない事態となっています。それぞれに定義が違うものを集計しても正確な経年比較はできないからです。また、明確で統一された限定がないということは、正体がはっきりわからないということです。正体がわからないものをなくすことは、理論上不可能です。

新聞やニュースではよく「いじめ過去最多」などと報じられます。それを見た生徒や親は「やっぱりなくならないのか」と感じ、いじめに対して、より敏感になり、些細なことも「いじめ」だと感じやすくなります。いじめがなくならない隠れた原因の一つがここにあります。

このような状況で私たちにできることは、目の前で起こっていることが生徒にとって望ましいかそうでないかを考えることに集中することだと思います。いじめかどうかという識別よりも「生徒にとって何が良くて、何が悪いのか」を考える方がずっと重要です。

(作品No.18HB)

(追伸)これを書いたきっかけは、生徒間のトラブルが多発するなかで生徒指導担当の先生を中心に、どの事例をいじめとして市教委に報告するかどうかで時間をかけているのを見て、そんなことに時間をかけるのはもったいないと感じたからです。また、学級担任や部活動の顧問が保護者と対応するときに「これはいじめだ」と言われることに対するプレッシャーを少しでも軽減できればと思ったからです。報告についてはできるだけそのまま報告すればいいし、いじめはいじめられたと感じたらいじめなのですから、起こって当たり前です。被害者の生徒や保護者が「いじめだ。どうしてくれるんだ」と強く訴えてきたとしても、「そうです。いじめとして対応します」という姿勢でいればいいのです(実際に保護者にそういう言い方はできませんが・・・)。学校には詳細な対応マニュアルがあります。その通り丁寧に対応すれば、何もショックを受けることはないし、プレッシャーに感じる必要はないと思うのです。そもそも定義による限定ができないのですから、発生件数を気にすることに意味があるとは思えません。これも「困難校」のストラテジー(対処戦略)の一つです。

学校はいつも「丸腰」

学校にはさまざまな問題が山積しています。いじめの問題や不登校の問題はもちろん、古い指導観に囚われた教員の意識の問題(暴言や体罰などを含む)、教員の超多忙化の問題、虐待やヤングケアラーの問題(これは福祉の問題でもありますが、結局学校が解決の窓口にならざるをえません)など挙げればきりがありません。私が最後に勤務していた中学校では、そのすべてが網羅されているような学校でした。

でも、何といっても一番神経をすり減らしてきたのは、子どもの命の問題です。これは、先に挙げたそれぞれの問題と密接にかかわっています。決して、単純な問題ではありません。深刻な生徒指導上の事案が毎日のように起こる学校では、それらの多くが子どもの命に直接関わる可能性があるのです。

例えば、家出をした生徒がいたとして、私たちが一番に考えることは「生きていてくれ」ということです。多少のトラブルはあっても、あるいは警察に保護されるような事案であっても「とにかく生きていてくれたら何とかなる」という思いで先生方と必死に対応してきました。幸いにして、その中学校では私が勤務していたときに自ら命を断つ子はいませんでした。しかし、紙一重のことも数多くありました。

教師がどんなに誠実に子どもとかかわり、何かあったときにでき得る限りの対応をしたとしても、最後の最後は子どもを信じるしかありません。それはもう「祈り」に近いものです。あらゆる手を尽くしているつもりでも、私たち教師に最後に与えられるのは「祈り」しかないのです。もし、魔法が使え、願い事がただ一つ叶うなら「自分の学校から自ら命を断つ子が出ませんように」とお願いするだろうと真剣に考えたことは一度や二度ではありませんでした。生徒指導上の問題がそれほど多くない学校の関係者からすれば「何を大げさに」と思われるかもしれませんが、これが「困難校」と言われる学校の現実なのです。こういうとき私は、教師というのはいつも「丸腰」だと感じます。喩えが適切かどうかはわかりませが、まるで「丸腰」で戦場の最前線に立たされているようなものなのです。決定的な危機回避手段はほとんど持ち合わせていません。そこでは、これまでの経験を持ち寄り、一人ひとり違う生徒に最適な対応は何かをそのときそのときに迅速に判断し続けるしかないのです。

仮に、リストカットをした生徒がいるとします。専門家の中には「リストカットは生きていることを確認しようとする行為だから、むやみにやめなさいというのは逆効果だ」という人もいます。でも、それを信じて特に何も対応しなかった結果、本人には死ぬ気がなくても、うっかり深く切り過ぎて大量出血となることもあります。もし命を落とすようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれません。「様子を見る」という判断は問題を先送りする消極的な方法だと思われがちですが、実はかなりの勇気がいることなのです。そういう場合、専門機関に通告しますが、その専門機関が現状ではパンク状態のため、かつては比較的柔軟に対応してくれていた子ども家庭センターなども「すぐに命の危険にさらされている場合でなければ保護できない。まずは、市町の児童福祉に相談してください」として取り合ってくれなくなってきました。一度や二度のリストカットくらいでは保護の対象にならないことが多いのです。センター側からすれば地域全体から数えきれない通報があるわけでしょうから、緊急性の高い順にしか対応できないのもわかります。しかし、ここ数年では市町の児童福祉からの通報でないと基本的に対応してくれません。学校が直接通告しても門前払いとなります。でも、市町の児童福祉課としても強制的に保護する権限はなく、その場所も確保されていません。結局対応は学校に委ねられます。

そして、仮に原因が学校になかったとしても子どもが自ら命を断てば、必ずマスコミは「いじめがあったんじゃないか」と勘ぐってきます。明らかないじめがあって、それを認知していたにもかかわらず放置していたとか、そういう事実を隠蔽しようとすることは絶対にあってはならないことです。でも、大規模校にあって、しかも「超」がつくほど多忙な勤務状態で一人ひとりの心の変化をすべて把握するのは至難の業です。それでも、ひとたび事が起これば学校の責任は厳しく追及されます。マスコミが騒ぎ、周囲がざわつき始めると、子どもたちの動揺は激しくなります。私は自校の生徒が命を落とすという経験を三回しました。中学校の教諭時代に二回。もう一回は小学校の教頭時代でした。いずれもいじめなど学校の問題によるものではありませんでしたが、それでも昨日まで一緒に生活していた友だちが突然いなくなる衝撃は子どもたちにとって耐え難いものがあります。精神的なバランスを崩して生きる気力を失う子も出てきます。そういう場合、県や市からカウンセラーが増員されますが、それも一時的な対応で終わってしまうこともしばしばです。

そして、管理職、特に校長は教員も守らなければなりません。自分のクラスの子が自ら命を断ったときの心労はとてつもなく大きなものです。世間では、一切合切すべてを公表せよと迫ってきます。教師に問題があった場合(体罰や暴言など)なら仕方がないと思いますが、そうでない場合でもすべてつまびらかにするように迫られます。それが、当の教員にとって、あるいはその保護者にとってどれほどの重荷になるかを考えたとき、ある程度の情報統制をせざるをえないときもあると思うのが普通の校長です。時にそれが「隠蔽」と言われることがあっても校長だけが責められて済むならそれでいいと考えてしまうのです。

それなら、そういうことも含めて説明すればいいと言われるかもしれませんが、説明できない理由を説明すること自体がすでに説明していることになってしまうというジレンマに陥ることも多いのです。また、そういう話を世間が本当に冷静に受け止めてくれるかどうかわかりません。すべてを話す方がよほど校長としては楽なことです。でもそうすると、該当する教員は教職を続けられないほどの痛手を受けることもあります。場合によっては保護者が根拠のない誹謗中傷を受けることもあります。何度も言いますが、これは教員に誤った言動がなかった場合の話です。落ち度があった場合は、全面的に情報を公開し誠意を持って謝罪すべきです。

学校は今、いろんな面で相対化が進んでいます。学校に対するまなざしも大きく変わりました。それは、多様化する社会のなかでは仕方がないと思います。また、相対化によって学校に意見を言いやすくなっている面もあり、それが必ずしも悪いこととは言えません。これまでの学校はどちらかと言えば閉鎖的で、教育的意義という大義名分をもって、頑なにこれまでの指導方法を変えようとしなかった責任も大いにあります。だから、教員の意識も含めて制度的な改革も進めなければならないと思います。ただ、本当に学校側の意識を変えようとするなら、学校側の本音も冷静に受け止める土壌が社会になければならないはずです。それがないと感じるから現職の校長や教育委員会の口は固くなり、問題の本質に迫れなくなるのです。私も現役のときには、こんなことを書き示すなど絶対にできませんでした。

文部科学省もこれまでにくらべれば、わかりやすい教員向けのパンフレットなども積極的に出しています。学校側の本音に近いことも踏まえてある点は評価できると思います。書いてあることについて基本的に異論はありません。でも、そこには理念と結論しか書かれていません。今、学校が求めているのはそんなわかりきった内容ではなく、何をどこまでやれば学校はその責任を果たしたことになるのかという指針です。ここでいう指針とはマニュアルに近いものです。「いじめ防止対策推進法」の施行を受けてほとんどの各学校には「いじめ対応マニュアル」が作成されました。私が勤務していた学校も「チェックリスト」を含めた詳細なものをホームページに掲載していました(現在もあります)。「超」多忙な困難校を救うには詳細なマニュアルは必須です。それを全職員が理解し、行動に移すよう指導するのは管理職の役目でしょう。マニュアルがなければ教師による指導や対応を際限なく続けざるをえない今の状況を打破することはできません。でも、いつもどこかに不安があります。それは、そのマニュアル通りに対応すれば学校の責任が本当に回避されるのかという不安です。

「困難校」では(いじめ防止対策推進法施行前から)ストラテジー(対処戦略)として、とにかく専門機関や警察に通告することが多くなりました。連絡された専門機関にどんなに嫌がられても、そうでもしないと一日にいじめと思われる事象が重複して発生することも珍しくない「困難校」では、教員の身がもたないのです。それにしたって一時的な精神安定剤くらいの効果しかありませんが。

ようやくではありますが、近年教員の働き方改革が進められようとしています。それが、教職希望者の激減という外からの力によって切羽詰まった結果であったとしても、やらないよりははるかにましです。社会の学校化はもう限界に達しています。背負いきれないものを背負わされている学校の現実に目を向けなければ、最終的に救われないのは子どもたちです。限界を超えた重荷を一つずつ減らし、その代わりに持てる荷物については今まで以上にしっかりと責任を果たす、そういう流れをつくっていかなければいけないと思います。

なお、いじめについての私の見解については、別の回に少しずつ示していこうと思っています。

(作品No.125RB改)

私がやった道徳の授業 その2 小学生向け

今回は小学生(中高学年)向けの授業例を紹介します。

〇優先座席は必要か? 

授業者:優先座席のマークを見せる。「これ何だか知ってますか。」

児童「知ってます」「優先座席のマークです」

授業者「これって何のためにあるの?」

児童「お年寄りや体が不自由な人、妊婦さん、松葉づえを使っている人など、立っているのがつらい人が席に座れるようにするためです。」(こんなにきちんと発言できないとは思いますが、予想される発言を一つにするとこんな内容になると思います)

授業者「なるほど。でも、これって必要なの? いらないんじゃないの?」児童「困っている人のためのものだから必要だと思います。」

何人かに意見を聞いた後、最初に優先座席を導入した阪急電車の新聞記事を配布し「必要」論を後押しする。それを簡単に説明した後、阪急電車が一時優先座席を廃止したことを知らせる。

授業者「どうしてやめちゃったと思う?」

児童「元気な人が座って、譲らなかったから」何人か意見を聞く。阪急電車に「譲らない人」が多いというクレームがあったことも参考として伝える。

その後、再開されたことを知らせ、優先座席の有無にかかわらず困っている人に気付いたらどの席に座っていても譲るのが本当のやさしさであることに気付かせる。

 小学生を対象にした授業では、中学生ほど極端なオープンエンドやモラルジレンマ的に授業を展開するのは困難だと思います。そうした終わり方は時として児童を混乱させることがあります。そのため、ある程度「なるほど」と納得できる着地点を設定しておいた方がいいと思います。しかし、「どうして?」という質問によって、その都度子どもたちの心を揺さぶることは必要です。揺さぶるたびに思考は深化していきます。そのためには、抽象化された言葉ではなく、実際に起こった事実を使うのが効果的です。事実は児童にとって「絶対的」なものであるだけに、「えっ」「そんなはずはない」と思わせるのに有効なのです。

 いずれにしても、子どもにとって何の「事件」も起こらない授業は必ず上滑りします。事件とは「えっ」と思わせることです。

(作品No.124RB)

私がやった道徳の授業 その1-「赤ん坊」で揺さぶる-

前回のコラムで中学生が道徳の授業を面白くないと感じるのは「最初から答えが決まっえている」というのが、その大きな理由だと書きました。それを打破するためには生徒の心を揺さぶる発問が必要です。私は過去に何度か「赤ん坊」という言葉を使って揺さぶりました。以下にいくつか例を挙げてみます。

(ここに挙げる例は、今から20年~30年前に実践したものです。そのため、「障害」という言葉など現代にそぐわないものも含まれています。また、授業の内容については、具体的な資料が残っていないものも多く、私の記憶を頼りに書いている部分も多々あります。もし、この記事を参考に道徳の授業を実践しようとされる場合は、現代の価値観や目の前の児童生徒の状況に合わせて適切にアレンジを加えていただきますようお願いいたします。)

1 障碍(障害)ということ:「障碍者(障害者)問題の「問題」とは何か」(中学生対象) 

授業者「障害がある人というのはどういう人のことをいうの?」

生徒「何かできないことがある人のこと」「車いすを使っている人のこと」「目が見えない人」など

授業者「なるほど。それでは生まれたばかりの赤ん坊は障害者ってことかな?」

生徒「・・・(いや、そういう意味ではないんだけどなあという表情)」

授業者「車いすを使っていれば障害者だという意見もありましたが、私が交通事故にあったとして一か月間車いすを使ったら、その間は障害者ってことかな?」 

授業者「目が見ない人という意見もあったけど、かなり視力の弱い人はどう?いやっぱり障碍者?」

この授業で私が生徒に考えてほしかったのは、健常者と障碍者とを区別することにどれほどの意味があるのかということでした。どんな人でも得意なこともあれば苦手なこともあります。苦手というだけなら努力である程度カバーできるでしょうが、それが努力してもどうにもならないものであったなら、何らかの支えや援助によって補うのは当然のことです。視力の弱い人なら眼鏡をかけて補うことや、うまく歩けない人が車いすを使って移動するのは何も特別なことではなく、必要だから使っているのです。

 当時は「障碍者」差別が今以上に多く、生徒の中にも障害のある子に対して露骨に差別的な発言をする子もいました。もちろん優しく手を差し伸べようとする子もいましたが、それでも「~してあげる」という意識は見え隠れしていました。そういう生徒の意識に揺さぶりをかけたくて授業をしました。

2 人間の条件

授業者「社会科か理科の授業で勉強したかもしれませんが、人間はサルが進化したものだといいますよね。そのとき、人間である条件って教えてもらいましたか?」

生徒 「二足歩行ができる」「言葉が使える」「火が使える」・・・

授業者:「なるほど。じゃあ、赤ん坊は人間じゃないってこと?」

生徒 「・・・(そういう意味じゃないんだけどなあ)」

 ちょっと乱暴な発問だったとは思いますが、「1 障碍(障害)ということ」と同様、生徒は「・・・(そういう意味じゃないんだけどなあ)」という反応を示してくれました。「そうじゃないんだけどなあ」と思いながらも、うまく言葉にして表現することができない。だから、「本当はどういうことなんだろう」と考えるようになります。この後の授業展開は、授業者の事前準備と当日のコーディネート能力が必要になりますが、とりあえずこの反応が出た時点で授業のねらいの大半は達成できたと思います。なぜなら、このとき子どもたちは「障碍」や「人間」といった言葉の概念を無意識に再構成を始めた証拠だからです。

 ステレオタイプに物事を決めつけてしまうことは、さまざまな偏見のもとになります。よくわかっていると思っていることや当たり前だと思っていることを少し広い視野で見直したり、深く考えたりするきっかけを与えることが道徳の授業では特に大切です。そういう一工夫によって「どうせ答えが初めからわかっている」という虚無感のようなものを越えることができると思います。最終的に、障碍があってもなくてもみんな同じ人間なんだというゴールに行きつくとしても、あえて少し遠回りをさせることが必要です。その途中で「えっ」とか「なるほど」といった驚きや感動がなければ、ステレオタイプの認識に刺激を与えることも、自ら考えさせることもできません。

次の機会には、小学生対象の例も挙げようと思います。

特別にならない

野球部の顧問になって5年目くらいのころ(今から30年近く前)からだったと思いますが、部活動結成会で野球部通信を生徒に配り、そこに必ず「特別になるな」という見出しで次のように書くようになりました。

「野球はとても注目度が高いスポーツだ。地域の小さな大会でさえチーム紹介や試合結果が掲載される。時には写真まで。だからときどき「野球をやっている自分は特別だ」と勘違いする者が出てくる。野球のためだと言えば何でも許されると思ってしまう。そういう者は、自分がやりたいことや好きなことには熱心だが、必要なことでも、嫌いなことには手を抜く。そうした自分中心な考え方は必ず雑なプレーを生む。また、人のミスを許すことができず、自分のミスには言い訳をする。そして、チームの雰囲気を悪くし、新たなミスを生み出す。そして、互いに信頼できなくなって大敗の原因となる。

君たちは、何も特別な存在ではない。それは、たとえば君たちの中に将来プロ野球で活躍できるほどの素質を持っている者がいたとしても同じことだ。君たちは野球が好きで野球部に入ってきた、普通の中学生である。つまり、野球部員である前に本校の生徒である。だから、学校のルールを守るのは当たり前のことだ。安易に学校のルールを破る者は、野球もぞんざいに取り組むと私は判断する。そんな選手と一緒に野球がしたいとは思わない。」

この野球部通信は、当時、近隣地区においてその安定したチーム力で定評のあったA中学校野球部顧問のK先生の通信を参考にしたものです。とにかく何回やっても勝てなかった相手でした。あるとき、K先生にチームづくりのポイントを尋ねたら、ご自身が出しておられた野球部通信を何部かくださったのです。

驚いたのは、そこには、A中野球部の方針として,「練習試合を除き、練習は2時間を越えない。」と書かれていたことです。もちろん土日も同じ基準です。長い練習は集中力を低下させる。「今日は練習が長い」と思うと、子どもたちは力を温存するために無意識に練習前半で力を抜くようになる。逆に時間を短縮すると、できるだけ効率の良い練習をしようとして工夫や努力が生まれる、それがK先生の持論でした。

ある年の春、一度練習の様子を見せていただいたのですが、私にとっては何もかもが新鮮でした。K先生の練習メニューには「打撃練習」とか「守備練習」といったカテゴリーが存在していないのです。つまり、ほとんどのメニューに複数の要素が盛り込まれているため、これは打撃練習だと定義することができないのです。トスバッティングには守備の基礎練習や送球練習が組み込まれているし、バント練習には体力強化ダッシュが入ります。フリーバッティングでは、必ず走者がつけられてゲージの打者に合わせてスタートを切る練習をしています。時にはアウトカウントやイニングを設定することもありました。要素が増えれば、当然一人一人の動きは多くなります。そうなると気を抜く暇はなくなります。部員は常に動いている状態となり、30分もすれば部員たちはみんな息が上がりそうになる。結果、体力、集中力共に飛躍的に向上したといいます。

また、メニューはすべて実戦に結びついていました。たとえば、ベースランニングでは、必ず場面設定(アウトカウントや得点差、イニング、打球の方向など)がなされ、打球がどこに飛んだかを含めて次の走者が状況を指示します。前の者と同じ設定は御法度。緊張感が持続しているのがわかります。体だけでなく頭もフル回転です。でも、生徒たちは実に楽しそうでした。悲壮感などかけらもないのです。

その年(平成2年)の夏、K先生率いるA中学校は当地区初の全国大会出場を決め、ベスト4まで駒を進めました。私は、全国大会に出ることや、そこで勝ち進めたことにのみ価値があるとは決して思いません。実際そのときチームには、詰まった当たりのショートゴロで二塁から余裕でホームインするほどの俊足の子や、かすりもしないスピードボールを投げるエースもいました。明らかに運動能力の高い選手が揃っていたのです。「どこまで勝てるか」は「どんな選手がいるか」によっても大きく左右されます。

しかし、K先生の次の言葉を聞いたとき、私は目の前の勝利を遥かに超越した中学校野球の神髄を感じました。そしてその精神は、部活動が中学校から地域主導へと移りゆく今だからこそ、子どもたちの持つ可能性を最大限に引き出すために受け継がれるべきものだと思います。

「私がこだわってきたことは二つだけです。一つは部員が辞めない部にすること。もう一つは、控えの選手や入部したばかりの1年生が生き生きと活動できること。それだけです。」

(作品No.1H-2)

2%の許し-「信じる」ための授業「道徳」-

「信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。」

ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい』(2012幻冬舎)の著者、渡辺和子さんの言葉です。私は、信頼は厚ければ厚い方がいい、100%(何があっても相手を信じている状態)が理想だと思っていたので、この言葉はとても衝撃的でした。実際、渡辺さんも「あなたは人に不信感を植え付けようとしているのか」と言われたこともあったといいます。そういうとき渡辺さんはこう答えるそうです。「(私は)誠実に生きるつもりだけれど、間違うこともあるかもしれないし、約束を忘れることもあるかもしれない。そういう時に許してほしいから」と。また、2%を残しておくことで、大切な相手を責めたり追い込んだりしなくてすみます。また、結果として信頼関係を保つことができ、大切な友人を失わずにすみます。それは、人はもともと不完全なものだということを互いに認め合うことでもあります。と、渡辺さんは仰います。

同様のことを精神科医の泉谷閑示さんは、自著1)の中で次のように述べています。

「どんな人間も、聖なる部分も邪なる部分もあわせ持っているわけで、人を信じるといっても、この部分を信じるということまでしかできないはずです。百パーセント信じる方が話としては美しいでしょうけれど、それは、相手に神と同じ完璧さを要求する「欲望」を向けることにほかなりません。この美しい偽りの道徳は、その陰に厚かましい「欲望」を秘めているものなのです。道徳というものは、このように美しい嘘を含んでいる場合が往々にしてあります。それが人間の「頭」にすり込まれると、物事をあるがままに見ることを妨げ、認識を歪めることになるのです。」また、泉谷さんは人間不信を訴えるクライアントの治療を続けていくうちに「「人を疑ってはならない」とか「まず相手の良いところを見るようにしなさい」などといった道徳がその人の「頭」に強くすり込まれていた」ことが明らかになるとも述べています。

渡辺さんのいう「2%」は、泉谷さんのいう「相手に神と同じ完璧さを要求する「欲望」」とつながります。確かに完全なる聖人君子などこの世には存在しないのですから、人が認め合うという行為は相手の不完全な部分を知ったうえで成立するわけです。「2%」は自分もそういう不完全な人間であるということを素直に認めるという謙虚さとして大切なことだと思います。

ただ、一つ疑問が残ります。それじゃあこれまで私たち教師がやってきた「道徳」の授業は意味がないのかということです。「道徳」で扱う内容は人としての理想です。その理想を「厚かましい」と言われたり、「美しい嘘を含んでいる」とされたりするのは、なんだか釈然としません。

ここまで考えてきて一つ思い出したことがあります。以前、「道徳」の授業について調査したとき「道徳の授業が好きになれない」と答えた小中学生が結構いました。理由で多かったのは小学生では「すぐ説教になる」、中学生では「最初から答えが決まっていて面白くない」というものでした。「道徳」の時間での発言が小学校高学年や中学生へと年齢が上がるにつれて減っていく傾向にあるのはこのためだと思います。

つまり、そのくらいの年齢になると道徳的に何が正しいかは(少なくとも知識としては)わかっているわけです。先生がどんな発言を求めているかも熟知しています。それをことさらに自分の意見として発言する「虚しさ」のようなものを感じるのでしょう。その上「現実はそんな理想通りいかないよ」いうこともわかっています。しかも、それを言ったら授業が壊れるということさえも知っています。だからこそ、ある年齢以上での「道徳」の授業は、理想と現実のギャップにあえて触れることが必要なのだと思います。そのギャップはときに「本音」を誘導することになり、授業の行方が不透明になる「怖さ」もあります。また、どこまでの「本音」を想定するかという「さじ加減」も必要です。でも「本音」を全く通さない授業は上滑り状態(子どもの心に何も残らない状態)となります。逆に真面目すぎる子どもたちの中に、泉谷さんの指摘する「美しい偽りの道徳」をすり込まんでしまうことも起こり得るのです。

「道徳」の授業で大切なことは、一旦「本音」(現実)を通すこと、相手を許す余裕をもつこと、そして、道徳を武器にして必要以上に相手を攻撃しないことが必要です。昨今の匿名による誹謗中傷も、LINEなどのSNSによる個人攻撃や排除も結局ここに解決の糸口があると思います。

(偉そうなことを書いた責任もあるので、私が過去に中学校で実践した道徳のテーマや論文についても、次回以降に紹介していきたいと思います。)(作品No.72KB-2)

 平成31年4月25日初稿 令和4年5月 加筆修正

1)泉谷閑示『「普通がいい」という病』2006.10.20、講談社現代文庫、p236 引用文中の文字強調は引用者による

「とうとうと」

教員対象の講演会や研修会で、講師の話が終わった後に「何か質問があればどうぞ」という場面があります。そこで手を挙げるのはちょっとした勇気がいります。だから、それができる人はすごいと思います。でも、時々「ちょっとそれは・・・」と思うこがあります。例えば、質問をするための前置きが長いとき。質問自体は簡単なのに、「私の学校では今こういう取組をいついつから始めていまして・・・」で始まって、その取組の成果を「とうとうと」述べたあと、ようやく質問にたどり着くというパターンです。「いらち」の私は「早よ質問せいよ」とイライラしたりします。

また、以前経験したことですが、ある講演会の謝辞を小学校の定年間近の校長がされました。ところが、講演の内容に対する自分の意見を「とうとうと」話すにとどまらず、仕舞いには「私はもっとすごいこともやっています」という「自慢話」になってしまいました。会場全体がしらけてしまったのはまだ許せるとしても、講師の先生があきらかに不機嫌になってしまったのです。進行役の人は実に困った顔をしていました。確かに、講師の話を漠然と聞いていると謝辞にならないので、いろんな挨拶の中でも謝辞というのは一番難しいとは思います。でも、文字通り「感謝の意を表す」のが謝辞ですから、講師を置き去りにしたのではまさに本末転倒。またそういう人に限って自分は話がうまいと思っているから始末が悪い。反面教師として肝に銘じました。得意だとか慣れているからというのが実は一番危ないのかもしれません。車の運転でも「俺はベテラン」と思うのが一番危ない。逆にスキーの初心者は骨折しないと聞いたことがあります。

さて、こうした「自慢話」をしたがる人をどう理解すればいいのか。それを考えるのにとてもいい本に出会いました。以下に、抜粋します。

「「苦労が身になる」という言葉がありますが、「経験」をした人は苦労が身になりますが、一方「体験」止まりの人は、苦労は身にならず「勲章」になります。苦労が「経験」になっている人は、よほどこちらが質問しない限りは、自分からは苦労話をしないものですが、「体験」の人の場合は、こっちが聞いてもいないのにうんざりするぐらい苦労話をしてくれます」1)

著者は森有正の著2)を引用して「経験」とは、あくまで未来に向かって開かれているものであって、まったく新しいものを絶えず受け入れる用意ができているものとした上で、「≪生きているもの≫を「経験」と呼び、硬直化した≪死んでいるもの≫は「体験」と呼んで区別しようとした」のが森有正の理想であると述べています。つまり、新しいものを取り入れようとせず自分の考えに固執する人ほど聞かれもしていない「自慢話」を「とうとうと」話すのです。

人の話し方をとやかく言うお前はどうなんだという声が聞こえてきそうです。私は校長になる前も、研修所や市の教育委員会で話すことが多かったのですが、人前に立つたびに緊張していました。自分のイメージ通りに話せたことはほとんどありません。ましてや自分が話がうまいなどと思ったことはありません。それでも学級担任をしていたころ、生徒が食い入るように聞いてくれることが何度かありました。そんなときの充実感や達成感は何物にも代えがたいものがあります。

恐らく、こうした充実感や達成感は、その話が自分の中で「経験」に近いものだったのではないかと思います。ただ自分が話したいことを勝手に押し付けているだけの単なる「体験」による話は、聞いている子どもにとっては苦痛でしかありません。自分の話が単なる「自慢話」なのか、「経験」として伝わる話なのかは、その内容が子どもたち(聞く側)の未来(明日や明後日と言った近い未来を含みます)につながるものかどうかで決まるのではないかと思うのです。そして、その答えはいつも子どもたちが出してくれています。まずはそのことに気付く姿勢を持つことです。聞いている子どもたちの様子や態度といった目に見えるものだけではなく、一種の雰囲気(空気と言ってもいいと思います)のような「目には見えないもの」を敏感に感じ取ろうとする姿勢こそが「経験」と「体験」の違いを見分ける唯一の方法だと思うのです。

(作品No.21hb-2)

  1. 泉谷閑示『「普通がいい」という病』講談社現代新書、2006.10.20、p199
  2. 森有正『生きることと考えること』講談社現代新書

不登校という「警鐘」-「適応」の「問題」-

「適応指導教室」1)というのがあります。

これは、学校に行けない子どもの「学校生活への復帰を支援するため」1)教育委員会が設置するもので、カウンセリングや教科指導を行なうものです。ただ、そこに「適応」という言葉が使われていることに私はずっと違和感を覚えてきました。

「適応」する対象は学校です。学校は一つの社会ですから、当然そこにはある種の価値が存在し、文化も生まれるわけです。学校に行けないことを「不適応」とするためには、学校が絶対的に正しい存在(学校は行くべきもの)であるという前提、言い換えれば、学校という社会や文化に適応することは正しいことだという前提が必要です。その前提があるから、学校に行かない(行けない)ことは正すべき「問題」として扱われることになります。しかし、本当にそうなのでしょうか。

私は、不登校の「問題」は子どもたちが学校に「適応」していないことが「問題」なのではなくて、学校に行けないことで「苦しんでいること」が「問題」だと考えます。他のみんなは普通に通えるのに自分だけはできない、だから自分はダメな人間だと思い込んでしまうような苦しさから子どもを救えていないことが最大の「問題」なのです。「適応教室」は「学校生活への復帰」を支援するとされています。でも、本当に大切なのは、学校への復帰ではなく、その子にとって学校がどんな意味を持っているのかを子どもと一緒にじっくりと考えることだと思います。

厳しい言い方かもしれませんが、「適応」という言葉には大人や教育する側に、ある種の思い上がりがあるのではないかと思います。学校に通うのは当たり前、その当たり前ができないのは、その子に「問題」があるからだという視点が透けて見える気がするのです。不登校の子どもが気持ちを整理し次へのエネルギーを生み出すためにはカウンセリングは非常に有効です。しかし、学校はカウンセラーに任せていればそれでいいというわけにはいきません。学校も子どもを真ん中に置いた発想によって変わっていく必要があります。同質性を基盤とした学校のシステムは多様化の大きな波の中で、すでに制度疲労を起こしている可能性もあるのです。

まずは、「適応指導教室」という言い方をなくすべきです。以前、学校教育法等の一部を改正する法律によって、平成19年4月1日から「養護学校」は「特別支援学校」に変更されました。この変更によって、特別支援教育の理念は学校や保護者に浸透しやすくなりました。それと同様、別の名称に変えるべきです。「適応」という言葉を使っている限り、不登校に対する周囲の意識変革はなかなか進まないと思います。

それでは、学校ではこの問題をどう考えればいのでしょう。そのための貴重なヒントを精神科医の泉谷閑示氏の次の文から得ることができます。

「私たちは幼い時から例外なく、現世は適応するために理性というツールを駆使して自己コントロールをしたり、人間関係に配慮することが大切だと教わってきています。それは人間が社会的動物である以上やむを得ないことです。しかし、問題となるのは、これがあくまで「処世術に過ぎない」という但し書きが伝えられていない場合で、特に神経症的な人が教育やしつけを行うと、処世術を伝えているつもりで神経症性そのものをすり込む結果になってしまいます。指導者をお手本にしたモデリング(模倣)が行われるわけです。」2」

神経症的に関する部分は別としても、小学校高学年から中学生くらいの年齢で人間関係に苦しんだ結果「不適応」と言われて苦しんでいる子どもに対して私たち教師が伝えるべきことは、「何とか頑張って学校に行きましょう(適応しましょう)」というメッセージではなく、「あなたが人間関係に気を使っているその悩みは、所詮「処世術」であって、あなた自身の価値を決定づけるものではないんですよ」という見方を示すことです。簡単には伝わらないとしても、教師側がそういう意識で寄り添うことが必要だと思います。そうすることで不登校の本質的な問題である「苦しんでいる子ども」を少しでも救うことになるのではないかと思います。

社会の問題も見逃せません。学校に行かない(行けない)ことによる不利益があまりにも大きい(あるいはそう感じさせてしまう)社会を変えていくことも必要です。でも、そんなことはすぐにはできません。だからこそ、せめて学校にいる教師が「学校は行くべきところ」という認識に囚われずに「学校は行きたいところ」とするために何が必要なのかを考える柔軟で謙虚な姿勢を持つことが必要だと思うのです。不登校の増加は今後の学校の存在意義への警鐘なのかもしれません。                  (作品No.121RB)

1)「「教育支援センター(適応指導教室)」(以下、教育支援センターとする。)とは、不登校児童生徒等に対する指導を行うために教育委員会及び首長部局(以下「教育委員会等」という。)が、教育センター等学校以外の場所や学校の余裕教室等において、学校生活への復帰を支援するため、児童生徒の在籍校と連携をとりつつ、個別カウンセリング、集団での指導、教科指導等を組織的、計画的に行う組織として設置したものをいう。なお、教育相談室のように単に相談を行うだけの施設は含まない。(「教育支援センター(適応指導教室)に関する実態調査」結果」(令和元年5月13日文部科学省)

2)『「普通がいい」という病』泉谷閑示、2006.10.20、講談社現代文庫 p232 引用文中の文字の強調は引用者による

「つ」のつくうちは・・・

私には、大学生のときから現在に至るまで未だ解決していない疑問があります。それは、「発達」に関する疑問です。大学で教職の必修科目だったので「児童心理学」(発達を含む)に関する授業を受けましたが、その授業は「出生直後から小学生くらいまで、すなわち乳幼児期から学童期まで」1)に子どもが何歳くらいにどんな能力が発達しどんなことを身につけられるかを、最初から決まったことのように説明する講義でした(基礎講座だから仕方ないのですが)。そのとき次から次へと疑問が湧いてきました。「それはすべての人間に当てはまるのか?」「時代の変化や社会の価値観の変化、メディアの著しい発達などが発達に影響を与えることはないのか?」。「持って生まれた特性よりも環境の方が発達に与える影響は大きいんじゃないのか?」そう考えると「「発達法則」2)のような基準に意味はあるのだろうか?」そんなことを考えてしまったのです。結局、内容がなかなか頭に入ってこず、成績も惨憺たるものでした(クラブ活動ばかりしていたからという説もありますが・・・)。

さて、三大発達段階説3)というのがあるそうです。フロイト(4段階)、ピアジェ(5段階)、エリクソン(8段階)の三つを指します。やっぱり「発達法則」は確かに存在するんだと思わせるには十分な面子です。私なんぞに否定することなどできるはずもありません。でも、最も新しいエリクソンでさえ30年以上前の理論です。現代のように、年端も行かない子どもが毎日スマホを見ている(親が見せている)環境を想像できたのでしょうか。そして、それが発達に影響しないとどうして言い切れるのでしょうか。発達心理学は常に更新しなければ意味がないのではないだろうか。疑問は疑問のままです。

  昔から日本には『「つ」のつくうちは神の子』という言葉があります。「「ひとつ」「ふたつ」というふうに年齢に「つ」がつく間、すなわち「ここのつ」までは別の生き物であり、神様が育ててくれるのだから、大人があまり介入するな」4)という意味で使われるようです。9歳までは神様の子だから、自由にさせておいても勝手に育つ、何とも牧歌的です。でも、なんだか懐かしい感じがします。もしかしたら、子だくさんで一人ひとりになかなか関われなかった時代の「親側の知恵」だったのかもしれません。

今の私に言えることは、基本的な「発達法則」は確かにあるだろうし、無視することはできないとしても、それにこだわりすぎて「なんで〇歳になっても、こんなこともできないの?」と子どもを責めることだけは避けなければいけないということ。あくまで「発達法則」は原則であり、結局は一人ひとりの状況や状態に合わせてどう関われば(寄り添えば)いいのかを考えるしかないと思うのです。(作品No.115RAB)

(私の疑問に明解な答えをお持ちの方、どうか教えていただければ幸いです。)

注)

1)コトバンク:「児童心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「児童心理学」の解説 https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%AB%A5%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-74416

2) コトバンク:「発達心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「発達心理学」の解説https://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%81%94%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-115139「受胎から死に至るまでの生体の心身の形態や機能の成長・変化の過程、これに伴う行動の進化や体制化の様相、変化を支配する機制や条件などを解明し、発達法則を樹立しようと目ざす心理学の一分科。発生心理学とよばれることもある。児童心理学と相互に混用されることもあるが、発達心理学は1950年代以降世界的に広まっていった名称であり、両者の間にいくつかの対比を認めることができる。」[藤永 保](文中文字強調は引用者による)

3)ピアジェ(1896-1980)の発達段階論は、フロイト(1856―1939)の「リビドー発達段階理論」、エリクソン(1902-1994)の「心理社会的発達理論」と並ぶ、3大発達段階説のひとつ。https://kodomo-manabi-labo.net/piaget-developmental-stages

4) https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages