県の研修所に勤務していたとき、最初に与えられた仕事が「真っ先に電話に出る」ことでした。今はどうかわかりませんが、当時の研修所では一番若い者が最初に電話を取るという慣習がありました。私が在籍していた課は、研修全般の日程や場所の調整、講座の申し込みを受け付ける部署でした。研修所には他に義務教育に関する研修を担当する課、高校教育に関する研修を担当する課、情報教育に関する研修を担当する課、それにカウンセリングを受け付ける課など様々な課があり、それぞれがいくつも研修講座を主催していました。私の課はそれらの研修に関する質問を受け付け、何十もある研修についての電話を即座に担当課につながなければいけません。しかし、入ったばかりの私にはどんな研修があって、それがどの課の担当なのかもわかりません。電話が入るたびに研修の一覧を見て担当課を確認するため、どうしても時間がかかります。もたもたしていると電話の向こうからお叱りの声が飛んできます。かけてきた方はこっちが新参者かどうかなんて関係ありません。研修所にいるのだから研修のことは全部知っていて当然だと思っていますから。
新参者が電話を最初に取るという暗黙のルールは、危機管理上非常に重要なことです。できるだけ、上司に電話(特に苦情電話)を取らせない、そうすることで、新参者が対応に失敗しても上司がフォローすることができる。その上司が対応を間違えたとしてもそのまた上司が対応することができます。こうした組織は、トップが柔軟な思考をしないと新しいこと始めるときには動きが遅くなったりもしますが、何層にもガードを準備することという意味では組織を守ることはしやすくなります。学校でも同じです。私は校長時代、最初に電話に出ることはまずありませんでした。目の前の電話が鳴っても、受話器をとることはあえてしませんでした。職員によっては「電話くらい出てくれたらいいのに」とか、「ややこしい電話を職員に取らせるのか」という人もいましたが、校長が出て話をしてしまうと、それは最終決定になってしまいます。大きな事件やマスコミがからむようなトラブルが発生している場合でも、教頭は校長より先に電話に出なければいけません。それは学校や職員を守るために大変重要なことです。
ただ、たとえ上司であっても何ともフォローしにくい失敗もあります。
当時の研修所は、丁寧な電話対応を誇りとしていて、私の課の場合、電話を受けた直後に「はい、こちら教育研修所、〇〇課、△△と申します」と言わなければなりませんでした。これが簡単なようでなかなかできない。必ず途中で噛んでしまいます。最初のうちは、通勤途上の車の中で何度も繰り返し練習していました。そして、何とかすんなりと言えるようになったころ、とんでもない失敗をしてしまったのです。なんと電話を取った第一声で、
「はい、こちら教育研修所、〇〇課、△△(私の名前)と思います」
と言ってしまったのです。私は、「しまった」と思うより先に自分の失敗がおかし過ぎて笑いが止まらなくなってしまいました。「自分の名前を“思って”どうするんだ」と、心の中で自分に突っ込みを入れていました。そうすると余計に笑えてきて、電話の相手には本当に申し訳ないと思いつつ、まともに対応するどころではなくなり、最後まで笑いながら対応してしまいました。課長は、その一部始終を見ていました。「叱る」を通り越して、あきれていました。
私は、人があきれたときというのは、本当に口がポカンと開くのだということをそのとき初めて知りました。
(作品No.36HB)