限りなく現実に近いフィクション

今日は、参観日(中学校)。M先生のクラスは1年生。授業は理科室での理科。授業者はK先生。50歳を過ぎたベテランです。M先生はすでに年度当初の第1回の参観日で「顔見せ」を済ませていたので、今回は駐車場係でした。それが終わったあと、参観授業後の学級懇談会に備えて教室の環境整備の仕上げをするために、自分の教室に向かいました。できるだけ和やかな雰囲気で会が進むようにと机を円形に並べ直したり、ゴミが落ちていないかなどを確認したりしていました。

M先生は、今年その学校に転勤してきたばかりだったのですが、すでに10年以上の経験があり、前年までは当時としては珍しかった内地留学で大学院での研究もしていました。

4月に出会った生徒はたいへん素直で、学級経営も順調。今日の学級懇談は、きっと充実したものになるという確信めいたものさえありました。ところが―――。

参観授業終了のチャイムが鳴り、M先生は保護者を迎えるべく、自分の教室の入口で待っていました。廊下の端の方から、予想以上の保護者が教室に向かってくるのが見えた。「ほお、この学校は保護者が熱心なんだ。こんなに学級懇談に残ってくれるとは」と思って、先頭にいた男性保護者に「ご苦労様です」と声を掛けようと近づいたそのとき、男性は怒りが収まらないといった鬼の形相で吐き捨てるように言った。「いやあ、すごいもの見せてもらいましたよ」「えっ!何のこと?」後に続く保護者の顔も一様に強張っています。

懇談が始まります。M先生は、冒頭の担任あいさつで恐る恐る聞いてみました。「授業、どうでしたか?」

一瞬のうちに教室の空気が凍りつきました。そして、さっきの男性保護者が口火を切りました。「あの先生は何なんですか?あんなのを普段から許しているんですか」

その保護者曰く、授業中に指名された生徒が「わかりません」と答えたら、授業していた教諭がこう言ったのだと言う。

「そんなものもわからないの?親の顔が見てみたいわ!(後ろで見ている保護者の中の)どの人?」

それだけではすまず、K先生は、最近の親の教育力のなさについて延々と話し続けたのだといいます。

M先生は耳を疑いました。こんなことがあるはずがない。人間業だとは思えません。その後、K教諭に対する批判が次々と噴き出しました。完全にヒートアップ状態です。あまりに予想外の出来事にM先生は現実感を失ってしまいました。そして、これはもうここで収集がつくレベルではないと判断したM先生は、「K先生はもちろん、管理職とも相談して対応させていただきます」と答えるのが精一杯でした。用意していた家庭学習の仕方や生徒指導上の問題についての資料に触れる余裕などまったくありませんでした。

そして、最後にさらに予想外の展開が待っていたのです。

小一時間、K先生批判がとめどなくあふれ出た後、一人の女性保護者が静かに発言を始めました。教室の中はK先生糾弾の方向でほぼ結論を得た状態でした。

 その女性は、消え入りそうな小さな声で話し始めます。

「皆さんの言われることは、よくわかります。」

女性は目にいっぱいの涙をためていた。唇は小刻みに震えています。そして、若干の間があった後、絞り出すように言葉を続けました。

「皆さんやM先生の言う通り、こんなひどい先生はありえないと思います。K先生は一昨年まで私の娘が通う小学校に勤務していました。そのとき、同じような問題が起きて、私は校長先生に直談判しました。そして、校長先生がK先生に指導されたようです。その後、私の娘に対するK先生の当たり方がひどくなりました。授業(専科)のあるたびに嫌味を言われ続けました。娘は私に「お母さんがいらんことするからだ」と毎日泣いていました。娘は必死に耐え、学校を休むこともなく、授業も受けました。でも精神が壊れるんじゃないかと何度も思いました。でもK先生は結局何も変わりませんでした。次の年、K先生はこの中学校に転勤となり、6年生のときは安心して学校に通うことができました。なのに、また・・・。  

皆さんに言いたいことは、あの先生は何をしても絶対に態度を変えないということです。それに、あの先生は2年に一度転勤を繰り返しています。一つの学校に長く勤務させられないので校区の学校を順にたらいまわしにされているんです。たぶん、今年で転勤になると思います。何をしても変わらない人と関わるのはエネルギーの無駄遣いです。傷つく子が増えるだけです。子どもと一緒に無視する方が子どものためだと思います。筋が通っていないのはよくわかっています。でも、今年我慢すれば、あの人はいなくなるんです。うちの娘にとってはそれだけが一筋の希望なんです。下手に刺激して、また娘に集中攻撃されたら娘は本当に壊れてしまうかもしれません。」

教室の空気が一変しました。ひどいとは感じたもののそこまでとは・・・。その後、その女性保護者と同じ小学校区の保護者数名が、援護するように続けて意見を述べました。まさに「無理が通れば道理引っ込む」の究極の状況です。ここまで子どもたちや保護者を追い込んでいて、何も感じず教職を続けられることにM先生は怒りを抑えきれませんでした。しかし、懇談会は保護者の総意として「無視」をすることでまとまりました。やるせない気持ちを強く感じながらも、M先生はその場はそこで会を閉じることにした。

このような「総意」が成立したのは、その学校が近隣地区に比べて田舎であったことも影響していたのかもしれません。また、この話が今から30年ほど前のことであることも関係していたのかもしれないと思います。しかし、今なら、確実にマスコミにリークされて大問題になっていたはずです(その方がよかったかもしれませんが)。M先生は校長にすべてを話すことにしました。校長はK先生が問題あることを知っており、かの保護者が言うように、2年で転勤させることを教育委員会でも確認していたようでした(それも変な話ですが)。

その年の年度末、人事異動が発表になり、K先生は予定通り転勤となりました。ただ、それまでと違ったのは、校区内でのたらいまわしではなく、市外への異動となったのです。校長は、K先生に指導するのではなく、K先生に内緒でKさんの夫に何度も会い、夫から退職を勧めるように説得を続けていたようです。しかし、それは不調に終わりました。ただ、市外に転勤したその年の年度末、K先生は定年まで数年残して退職したと聞きました。なぜ、市外への転勤が可能になったのか、なぜあれだけ教職にこだわったKさんがあっさり退職したのか、はっきりしたことはわかりません。やり手と言われた校長だったから、何か特別な方法を取ったのかもしれません。

いずれにしても、M先生が当時の校長を信じて、すべてを話したことは間違いではありませんでした。

後にも先にもM先生が、こんな学級懇談会を経験したのはこのときだけです。

(作品No.143RB)

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