今回は、あるベテラン先生が中学3年生の学年集会(4月実施)で話された内容です。今から数十年前のことです。
「皆さんはこの4月から中学3年生になりました。来年の今頃には、新しい進路先でそれぞれの力を発揮して頑張っていることでしょう。それにしても、自分の進路を決めるのは結構難しいですよね。将来自分がどんな職業に就きたいとか、こんなことがしたいという夢や目標をもって、そこから逆算して、そのためにはどの高校を選択するのがいいのか、あるいはすぐに社会に出て経験を積むのがいいのかを決める、これが理想だと言われますが、なかなか中3で将来の仕事まで決められる人は少ないでしょう。
でも、こういう人もいます。中学3年生の女の子。大好きな男の子ができました。3年生になってその男の子と同じ高校に行きたいと思うようになります。しかし、最初の個別懇談で担任の先生に合格の確率は半々だと言われました。いわゆるボーダーラインというやつです。その女の子は、それでもあきらめずに進路希望を変えませんでした。そして、懸命に勉強しました。ただ、その子にはひどいアレルギーがあって、これが彼女の努力を前に立ちはだかりました。毎日のように襲ってくる全身のかゆみは、彼女の集中力を根こそぎ奪ってしまおうとしているかのようでした。当時はアトピー性皮膚炎という言葉もなかった時代です。この苦しみをわかってくれる人は、毎週通っている病院の優しい看護師さんくらいでした。
それでも、好きな子と同じ高校に行きたいという思いは強く、彼女はそれをエネルギーに変えて歯をくいしばって勉強に取り組みました。
12月、最後の個別懇談のとき、合格の確率をもう一度先生に聞きました。でも、答えは同じでした。両親は進路変更を進めましたが、彼女は頑として変えませんでした。万一のために私立を受験することを条件に両親を説得しました。そして、彼女のたゆまぬ努力と強い思いによって、見事に合格しました。
私は、「友達や好きな子が行くから」という理由で進路を決めることが必ずしもいいとは思いません。でも、何もないよりははるかにましです。どんな理由であっても自分が本気で頑張れるのなら、それも一つの選択としてあってもいいと思います。そして、本気で努力しているうちに、その思いが本物かどうかが見えてきます。自分の思いが中途半端ではないか、目指す方向が本当に自分らしいのかどうかは実際に努力しているからこそわかるものです。
彼女は、念願かなって、好きな子と同じ高校に通えることになりました。結局告白はできなかったようですが。でも、中3の時を振り返って気づいたことがありました。自分の努力を支えてくれたのは大好きなあの子だけではない。あの苦しい時に、自分を支えてくれた看護師さんの励ましがなかったら、くじけていたかもしれない。そう考えたとき、彼女の将来の夢が決まりました。看護師になる。そして、自分と同じような苦しい思いをしている人に力を与えられる人になろうと決めたそうです。すべては、彼女が必死で頑張ったことから生まれた彼女なりの答えです。努力は結果よりも努力することそのものに意味があるのです。
ちなみに、その後彼女は、その大好きな男の子と結婚したそうです。彼女は今、自分の高校の選び方についてどう思っているんでしょうかね。
今日、家に帰ったら聞いてみたいと思います。」
(作品No.221RB)