読書の種類

 教諭時代(中学校)、よくこんな会話をしました。私の専門教科は国語です。

保護者「先生、どうやったら子どもが読書好きになれるのでしょうか?」

私「どうしてお子さんを読書好きにしたいのですか?」

保護者「うちの子は国語が苦手なので、本を読むようになれば少しは成績が上がるんじゃないかと思うんです」

そこで私は若干残酷な言い方ではありますが、次のように答えます。

「残念なことですが、本を読むことが嫌い(苦手)な子が、中学生になってから受験のために本を読んでもほとんど効果はありません。本来読書は自分が楽しむためにするものです。受験のためとなるともうそこには「楽しみ」はありません。楽しいと思えないことはきっと続かないでしょう。私は、「本は読むべきだ」と思って行う読書はあまり意味がないと思っています。むしろ、そんなことを強制したらいまよりもっと本が嫌いになるでしょう。」

 でも、保護者の方をあまり失望させることも失礼ですので次のような助言はしました。

「目的が国語の点数を上げるためであるなら、読書よりも効果的な方法があります。そういう子が最も苦手とするのは長文問題です。だから、点数のことだけを考えるなら読書なんて無駄なことをせずに、長文読解の問題集を買ってきて(解答の解説が詳しいものが望ましい)一日15分~30分だけでいいからその問題に取り組ませてください。試験用の文章に慣れることに徹するのです。15分~30分としたのは、それ以上になればおそらく嫌になって続かないと思うからです。そして、自分で15分と決めたら15分経った時点で潔く諦めて解答と解説を見ればいいのです。それでも最初は「どうしてこれが正解なのかわからない」ということもあるでしょうが、続けているうちに問題のパターンと答え方のパターンが見えてきます。「また、同じ聞き方をしている」ということに気づくようになります。そうなればしめたものです。国語の問題に対する抵抗感が減っていき、継続する意欲につながります。それでも、結果が出るまでには半年くらいかかるかもしれませんが。」

 そして、最後にこう付け加えます。

「あくまでもこれは点数を少しでも上げるためのノウハウであって、読書好きになれる方法ではありませんよ」

生徒個々の「読書の経験」の時間格差は十数年生きている間にあまりに大きくなっています。もはや、追いつくことは不可能でしょう。

 当然授業でも受験対策はしていました。問題を解くコツみたいなものや過去問の傾向などを自分なりにまとめて生徒に伝授したこともあります。

ただ、国語が得意な者にとっては、漢字や諺など暗記する内容以外はほとんど受験勉強などしなくても一定の点数が取れてしまいます。文法問題も中学生レベルなら文法の勉強をまったくしていなくてもおおよその見当はついてしまいます。この差は大きい。

それに比べて苦手な子は、頑張りようがない部分もあるわけです。私の同級生が高校時代よく言っていました。彼は理数系のテストはうらやましいくらい点がとれるのですが、国語だけは偏差値が30点台でした。「国語の得意な奴はうらやましい。俺なんか何をしても点が取れない。」と嘆くのです。

生まれてからずっと私たちは日本語の社会で生きてきたのですから、その経験差はおそらくどの教科よりも大きいでしょう。家庭の読書環境によっても大きく左右されます。小さなころから親が図書館によく連れて行ったとか、読み聞かせをしたとか、そういうことも関係してくるでしょう。それを中学生になって受験があるからといって読書を始めても間に合わないのは目に見えています。先にも書いたように、そもそも読書は強制されればされるほど嫌いになります。だから、毎年「課題図書」が決められて読書感想文を書かせるなんて本当はナンセンスです。それは結局間接的に読書を強制しているわけです。

生徒には、読書について年度初めにいつもこんな話をしていました。

「読書の仕方には三種類あります。一つは精読、これは細かく丁寧に読むこと。同じ作者の本を続けて読むとか、同じテーマで違う作者のものを読むとかという読み方です。次に、濫読。手当たり次第に読む。そして、最後の一つが「積読」(つんどく)。タイトルを見て興味ある本を買ってそのまま「つんどく」。(間)つまり、積んでおく。積み上げて放置するということです。いつか読む気になったら読もうとキープしておくことです。」

 生徒たちは、「積読」と聞いて「そんなもの、読書って言えるの?」と聞いてきますが、タイトルが気になるということは何か自分の中で(無意識であっても)必要としている可能性があります。いつでも読めるように身近に置いておくのは意味あることです。

 もう一つ、生徒には「完読できなかったからと言って、それを悔やまないことです」とも言ってきました。読書が嫌いになる一つの理由に「最後まで読めなかった」という嫌な体験があると思うのです。そういう自分が嫌になるから、最初から読まなくなる。でも、100頁ある本のたった1頁しか読まなくても、そこで心に残るたった一つの言葉に出会えたら、それで本を手に取った価値はあると思います。そういう話を生徒にすると結構真剣に聞いてくれました。

 近年は、英語を小学校から授業に取り入れるようになりました。せっかくそれまでの英語活動で英語を楽しんできたのに、教科となればアルファベットがけけるように指導され、一定数の単語を覚えなければならなくなったのです。文科省は英語力の向上のためには早期からやらせるのが効果的だと考えているのかもしれませんが、現実的には、早期から英語嫌いを増やしています。その結果、国語ほど極端ではないにしても、中学校入学時にはすでに英語力に大きな差が出てしまっているのです。早くから始めれば始めるほど差は大きくなるのは当然です。どうも文科省の考えることは、一部のよくできる子を中心に据えているように思えて仕方がありません。私は逆に中学校でも英語活動的な内容に転換するほうがよほど英語嫌いをなくし、最終的にはコミュニケーション能力を向上させると思っていたのですが、非常に残念です。

ちなみに、子どもが読書好きになれる最も効果的な方法は?と聞かれたら、私は迷わずこう答えます。

「親が読んでいる姿を見せることです。」

読書好きな親のもとにいれば自然と子どもは本を手にするようになります。自分は読まないのに、子どもにだけ「読め」と言っても説得力はありません。

(作品No.173RB)

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