自分の原点を知るために -映画『同胞』-

この映画を始めて観たのは、地元の市民会館、封切から5年も経った後でした。当時、高校3年生だった私は、12月に遠い関東の大学を推薦で合格を決めていました。暇を持ちあましていたとき、近くで映画会があると聞いて出かけたのです。

「同胞」という映画が松竹80周年記念作品であることも知りませんでしたし、芸術祭参加作品であることも知りませんでした。それだけではなく、監督がかの有名な山田洋次氏だということさえ意識にはありませんでした。そもそも「同胞」を「はらから」と読むことさえ知らなかったのです。

 今も細かいストーリーを覚えているわけではありません。心に残る特別なシーンがあったわけでもありません。けれども私は、一人でこの映画を観ながら、ただただ「号泣」したことだけは、はっきりと覚えています。嗚咽とはこういうものかと実感したのもそのときです。ちょうど新しい生活が始まるタイミングだったこともあったのかもしれませんが、なぜあんなに「号泣」したのか自分でもよく覚えていないのです。

 今から42年前、何がそれほどまでに私の心を動かしたか。その頃の自分にもう一度出会いたくて、インターネットでレンタル落ちDVDを購入しました。

 ストーリーは、いたって日常的です。田舎の村にミュージカル公演を実現させるという設定はどこにでもあるものではないでしょうが、一つひとつのセリフは、いつでも、どこにいても出会えそうなものばかりです。はらはらどきどきするような映画でもありません。クライマックスのシーンですらどこか冷静さを感じるほどで、仰々しさはほとんどみられません。観る者を惹きつける場面と言えば、主演の寺尾聡氏が感極まって泣き出すシーンと消防団長役の渥美清氏が画面に大きく映る場面(この映画での渥美さんの出演は数分あるかないかです)くらいでしょうか。

 いったい、この作品のどこに「号泣」するほどのインパクトがあったのか、その答えは結局見つかりませんでした。

 けれども、あの頃こういう映画に感動する心を自分は持っていたのだ。そういう敏感な時期が自分にもあったのだということだけは、確認することができました。

 出会いというのは不思議なものです。私がこの映画に出会ったのは偶然としか言いようがありません。推薦入試に落ちていれば呑気に映画など見る余裕はなかったでしょう。市民会館が上映会をこの時期にしていなければ、私の「号泣」はなかったのです。それらの偶然によって与えられた出会いが、私の心に刻みこまれ、いつしか必然に変わっていきます。必然となった記憶は、それがなければ、今の自分の何かが欠け落ちてしまうような重要な位置を占めるようになります。

 今回私は、同じ映画を観ても当時のような感動は得られませんでした。でもそれは、必然に変わった何かが、私という存在にまったりと同化したからだ、そう思いたいという感情が生まれました。

 私が、自分の手や足や、それらを動かす心臓や脳の存在をほとんど意識することがないように、今も、あのときの「号泣」が私の体のどこかに潜んでいるのだと。(作品No.196RB)

<映画『同胞』について>

 1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開された。監督・脚本 山田洋次、出演 倍賞千恵子・寺尾聡他。DVD(発売・販売元:松竹株式会社ビデオ事業室、1975年)のディスクジャケットには「美しいふるさとで一つのものを作り上げる喜び」という見出しで以下の説明がある。「農村青年たちと都会の演劇青年たちが多くの困難や障害を克服し青春の夢の一つ(演劇公演)を現実のものにした岩手県の松尾村で実際に起った感動の物語」。

 いかにも「昭和」である。

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