福祉と学校教育

学校教育の世界はいま大変な状況です。いじめや不登校への対応はもとより、次々と降ろされてくる教育改革によって、仕事の量が年々増え続けています。その上、保護者からの理不尽な要求への対応もあります。

 また、近年では、教員による不祥事や「不適切なかかわり」がマスメディアで毎日のように報じられます。そのたびに、文科省や教育委員会は新たな取組を学校現場に求めてきます。不祥事を起こす教員に非があるのは当然ではありますが、ほんの一握りの教員の蛮行によって、締め付けが厳しくなり、報告書の類はさらに増えていきます。

 このような状況の中にあって、教員は疲れきっています。

 教員は、子どもと接し、その成長ぶりを身近に感じることが最大の喜びです。いまも昔もそのことに変わりはないと思います。ところが、最もやりがいのある仕事が十分にできない状況に追い込まれているのです。

 それでも教員の多くは少しでも子どもたちの成長を支えようと必死で頑張っています。

 いまこそ、子どもとかかわる以外の教員の業務を大幅に削減しなければ、単に教員不足となるだけでなく、子どもたちの将来にも悪い影響が生まれてしまうでしょう。

 私は、教育、特に学校教育をこの苦境から救うには福祉の充実を行うべきだと思います。格差社会の中で、貧困にあえぐ家庭に余裕はなく、親も必死で働いているのに子どもと寄り添う時間を確保できていません。子どもは、長い時間親から引き離され、やっと帰ってきた親にいろんなことを聞いてもらい、甘えようとしても親は家事に追われ、何より疲れ切ってじっくりと話を聞く余裕がありません。虐待の多くはこういう環境によって生まれます。 

 子どもは純粋です。そしてけなげです。どんなに親に邪険にされようとも親を見限ることはしません。特に、小学校低学年くらいの子にそんな選択肢はありません。じっと我慢するしかありません。むしろ、疲れている親に気遣い、欲しいものも欲しいと言えず、抱きしめて欲しい気持ちも抑えています。自分のために必死になって働いていることを子どもは十分理解しています。

 けれども、さみしい気持ちややるせない気持ちを家庭の中でため込んだ子どもたちが、学校に来て集中して学習に取り組めるはずはありません。なかには、些細なことで友だちに暴力を振るってしまったり、先生に悪態をついてしまうこともあるでしょう。現状ではそれを受け止めるのは教員しかいません。

 福祉がもっと充実していれば、そういう子どもたちの鬱憤はかなり減るでしょう。本来福祉でやるべきことが十分にできていないために起こる問題さえも、学校は引き受けているのです。

 私は、福祉関係で働く人を悪く言うつもりはありません。福祉の仕事をしている人も限られた予算と人員の中で精一杯努力されていることは十分理解しているつもりです。

 学校の教員を増やすことも急務だとは思いますが、福祉に関わる人の増員もそれ以上に重要だと思います。

 福祉の充実というと、子育て支援としていくばくかのお金を支給するイメージがあります。それも大切ですし、現状十分な措置がなされていないことを考えれば、さらに充実させる必要があるでしょう。本当なら、子どもが小学校を卒業するまでくらいは親のどちらかが働かなくても(あるいは学校に行っている間のパート程度でも)十分に生活できるような施策が必要です。しかし、それはいまの日本ではほぼ不可能でしょう。

 それならば、せめて子どもたちに自由に過ごせる場所と時間を与え、相互に育ちあう環境を整備することが必要だと思うのです。福祉はそこに焦点をあてるべきです。

 子どものことはすべて学校に任せようとするから、学校はどんどん疲弊していくのです。広い場所を用意し、子どもをそこで自由にさせることはできないものでしょうか。教員が関われば「教育」をしなければならなくなります。また、現在行われている放課後児童クラブは、狭い部屋に大勢の子どもがひしめき合っています。狭い空間は、それだけで子どもにとって大きなストレスです。 

 企業の体育館などを開放するなどによって、広い場所を確保し、福祉に関わる人員を増やせばそんなに無理なことではないと思います。

 体育館なんて何も遊具がないじゃないかという人もいるでしょうが、子どもは遊びの天才です。場所と自由さえあればいくらでも自分たちで遊びます。遊び道具は、ボールを何種類か用意してやれば充分です。

 安全の確保の問題も懸念されるかもしれません。でも、それに固執すればするほど子どもは大人の目からは自由になることはできません。学校では教員によって制御され(必要な制御だとは思いますが)、放課後児童クラブでは安全確保のために細かい規則によって縛られています。それは、大人が決めたルールです。安全・安心とそれを保障する責任を追求することが悪いとは言いませんが、それは子どもたちの我慢によって成り立っているのです。子どもはもっと遊びたいはずです。

 いまの子どもたちに必要なのは、さまざまな鬱憤を思い切り発散させる場所と時間なのです。

 近年では、教育系の大学を中心に学生を学校現場に送り込んで経験をさせる「インターンシップ」制度を導入しているところが増えていると言います。即戦力を期待するのも結構ですが、将来教員になろうと考えている学生に、子どもをより深く知ってもらうには、確保した場所と時間の中で子どもと一緒に遊ぶ方がよほど有益だと思います。

 そもそも、学校現場に赴任すれば日々の業務は自然に身につきます。教育の本質は、こどもの中にあるはずです。むしろ、下手に学校現場を経験させることで「こんなにブラックなのか」と驚愕し教職をあきらめてしまう人も出てくるかもしれません。

 極端な話だと思われたかもしれませんが、個々の家庭が経済的な面で追い詰められている状況では、どんなにすばらしい教育施策を打ち出しても根底から崩れ落ちてしまいます。

 思い切り遊び、思い切り甘える。大人が子どもたちに用意すべきなのはこの二つを実現できる環境なのです。

(作品No.188RB)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です