大学における研究に対して学校現場の私たちは、学校現場を知らずに「しち難しい」ことや、できもしない理想ばかりを語っているという思うことがあります。しかし、今大学の変革はかなりの勢いで進んでいます。以前に比べて学校現場に役立つ研究が多くなされています。大学教授も積極的に学校現場に入るようになってきました。つまり非常に実践的な研究が行われるようになってきたわけです。でも、本当にそれでいいのかとも思うのです。
かつて、兵教大でお世話になったS教授が「最近はどうも目先のノウハウばかりを追いすぎている。評価ばかりがうるさく言われて学校現場は大変だろう。数値(結果)で表せない部分にこそ本当の教育があるんだがなあ。」と、つぶやくようによく仰っていました。某県では全国学力学習状況調査を実施する直前に何度も生徒に模擬試験を受けさせることもあると聞きます。平均点が全国で上位となる「結果」を求め過ぎるとこのような本末転倒なことが起きてしまいます。私が勤務していた県立教育研修所も実践中心の研修がほとんどでした。まあ、研究所ではなく研修所なので仕方がないのですが、「研究」部門も実践的なもの以外はなかなか研究紀要に乗せられることはありませんでした。学校現場に戻ってすぐに役立つもの、教員や県民のニーズがあるものでないと講座としても成立しません。「役に立つ」という「結果」を求めることは悪いことではありません。でも、「結果」だけを求めると、結局その場しのぎになる可能性もあります。
こう考えたとき、私は研究を専門とする方々には「すぐには役に立たなくても、必要なこと」もじっくり深めていただきたいと思うし、私たちも研究者に「役に立つ」ものを求めすぎないことも必要なのかもしれません。研究者が研究者らしくせず、学校現場以上に学校現場らしいことを考えてしまうのは非常に勿体ない話だと思います。
学校現場が、「使える」知識や技術を求めるのは当然のことです。でも、研究部門には理論的なリーダーシップをとるという重要な役割があるはずです。例えば教育とはなにか、生きる力とはどのようなものかという根源的な問いを徹底的に極めるのは大学等の研究部門でしかできないのです。兵教大の元学長の佐藤修策先生が当時のパンフレットに「理論と実践の融合」を掲げておられたのは、それぞれの立場でそれぞれのできることを精一杯やったうえで、相互につながらなければ意味がないという信念があってのことだと思います。
現場で長年勤めていると、「本当にこれでいいのだろうか」という壁にぶつかることがあります。その壁を乗り越えるためには、しっかりとした「理論」が必要です。その理論が拠り所となって、初めて自分の指導方法を検証することができるのです。その拠り所を提示するはずの大学があまりに現場寄りになってしまえば、この先、現場の教師が本当に迷ったときに何を頼ればいいのか、いよいよ分からなくなります。
学校現場の殺人的な忙しさの中では、根源的な問いにじっくり向かい合う時間など到底ありません。そういう問題こそ研究する立場の人たちが「役に立たない」という批判を恐れず、徹底的に研究をしてほしいと思います。そして、それを私たちにわかりやすく示してくれることが本当の意味で学校現場にとって有益だと思うのですが・・・。(作品No.44HB)