「平凡」であることを恐れない

確かなデータがあるわけではありませんが、最近「荒れている中学校」が少なくなったと思います。私が長く勤めた中学校も私が初任として勤務した30年前には、二階や三階から机や椅子が飛んでくるような状態でした。そのため、校舎のそばを歩くのは危険だと先輩の先生に助言されるほどでした。今ではその頃の雰囲気は全くなく、授業中はどのクラスも集中し服装違反もほとんどありません。実に落ち着いた学校になりました。そういう意味では教師はやりやすくなったと思います。荒れているときは、やんちゃ系の生徒ほど学校が大好きで、ほとんど休むことがありませんでした。また、おとなしい生徒もそういうやんちゃ系の生徒が好き勝手している中でも休むことなく登校していました。

ところが、近年不登校生徒が格段に増えました。30年前なら学校で一人不登校(当時は登校拒否といってました)の生徒がいると、職員室でも大きな話題となりました。今やクラスに数人いてもおかしくない状態です。

私は一概に不登校が「悪」だとは思っていません。ましてや、不登校の生徒を「弱い」とも思いません。問題なのは、多くの不登校状態の生徒が「苦しんでいる」という実態です。仮に学校に通えていなくても自分で何かやりたいと思うことがあって、家でもある程度安定した生活が送れているのなら一つの選択肢としても「あり」だとさえ思っています。

でも、ほとんどの不登校生徒は苦しい思いをしています。みんなが普通にできることができないと感じて自分を情けないと思っていたり、自分に価値がないと思い込んでしまっていたりすることが大きな問題です。

また、教員の中には「なんでこんな些細なことで・・・」という人が結構います。ちょっとからかわれただけでも予想以上に落ち込んでしまうのは昔に比べて生徒が「ひ弱」になったという人もいます。しかし、この「些細なこと」とは、あくまでも教師や大人にとって「些細」であるだけで、生徒本人にとっては自分の生存価値に関わるくらい重大なことなのです。そのことを周囲の大人が十分に理解できていないところに大きな問題があると思います。

世の中は、「自分らしく生きよう」とか「個性を大事にしよう」というメッセージをたくさん送り続けています。報道される内容や授業(道徳など)で生徒に伝えられるのは、ほとんど成功例ばかりです。大リーグで活躍している選手やオリンピックでメダルを獲った選手など、ある種ヒーロー、ヒロインばかりが注目されます。でも、実際には、世の中のほとんどの人が平凡な人なのです。目標を持って最大限の努力をすることは確かに尊いことですし、そういう人の生きざまに触れることで自分の生き方を律することも大切です。でも、だからと言って、そういうヒーローやヒロインと同じ生き方をする必要はありません。ましてや、同様の結果を残さなければ価値がないなどと誰も言うことはできません。斎藤茂太さんの言葉に「努力してこそ凡人になれる」というのがあります。特別な結果を残さなくても十分に価値のある人生を送ることもできるんだというメッセージを大人たち(特に教師は)はもう少し子どもたちに送ってもいいのではないかと思うのです。平凡であることを恐れない、特別になる必要はないというメッセージも必要なんだと思います。

次回は、個性を生徒にどう伝えればいいのかについて書きたいと思います。(作品No-96B)

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