「放課後児童クラブ」が全国的に定着しています。今では、保護者が働くためには必須の制度です。小学校に上がるまでは、保育園やこども園に預けられますが、それ以上の年齢になると預かってくれません。かといって、例えば小学校1年生の子を一人で家に帰らせるのは、このご時世非常に心配です。
そこで、児童クラブに預けることになるわけです。しかし、この児童クラブの実情や子どもの気持ちというのは、意外と一般に知られていません。
まず、子どもたちは、学校ではそれなりに素直に過ごしていても児童クラブにいるときはまったく違った顔を見せます。豹変すると言ってもいいでしょう。
例えば、支援員が何か大切な連絡をしようとしてもまったく聞こうとせずに騒ぎ続け、少し厳しく注意するとふてくされます。女性の支援員に「うるさい、クソババー」など叫ぶのは日常茶飯事。下級生を殴ろうとしている子を注意すると「殺すぞ、ボケ」と支援員に言い放つ子。なかには、「あんたら、ボクらがおるから金もらえてるんだろ、ボクらにもっと感謝しなよ」と逆ギレする子。他には、気に入らないことがあると持っている水筒を支援員に投げつけたり、「私外遊びに行ってくるから、その間に先生、私の宿題しておいて」という子もいます。支援員が宿題をしている子のプリントをのぞき込むと「気安く見るんじゃねえ」と叫んだりする子もいます。理由もなく支援員の足を思い切って蹴ってケガをさせる子さえいます。
近年は、保育園などでの大人の「不適切なかかわり」が問題としてニュース等で報じられますが、今あげたような子どもの行動は、ほとんど報道されることはありません。子どもは守られるものであって、少々わがまま勝手な言動をしても、それを何とかするのが支援員の仕事だろうということでしょうか。
そういう子どもたちに対しても、支援員は子どもへの暴力や暴言、恫喝まがいのことは決して許されません。しかも、支援員というのは特別な資格が必要な職ではありません。一定の研修は受けますが、具体的な対処法までは沿言えられないままに現場に立つ人も少なくないのです。なかには、過去に保育園や幼稚園で経験を積んだ人もいますが、どちらかと言えば少数派です。
つまり、子どもの扱いについては素人といってもいいわけです。何の資格も求めない制度そのものに問題があるとは思いますが、資格を求めると十分な支援員の確保が難しくなります。現在、保育園やこども園でも人手不足が深刻になっている状況を考えれば、児童クラブの支援員に何らかの資格を条件づけるのは現実的ではないでしょう。
多くの自治体では、少し前から児童クラブの先生の呼称を「指導員」から「支援員」に変更しました。支援というのは「優しい」言葉です。子どもに寄り添うと言う意味では、「指導」よりも「支援」の方がいいに決まっています。
でも、子どもたちの中には(大人の入れ知恵だとは思いますが)、それを逆手にとる子もいます。「支援員に子どもに命令する権利はない。そんなことも知らないの!」と平気で文句を言ってきます。低学年の子がそういう態度を示すのです。
子どもたちを管理し過ぎるから、反発が生じるのだという人もいるかもしれません。でも、考えてみてください。冒頭にあげたような暴言を口にする子や指示を無視する子が多数いる中で、一定の管理なしに子どもの安全が守れるでしょうか。
子どもたちを自由にさせておけば、些細なことから喧嘩が始まります。口喧嘩くらいならかわいいものですが、最近の子は、結構平気で相手の顔面をグーで殴りつけます。今にも殴りかかろうとする子を前にしたら、時には大きな声で厳しく制止することも必要になります。
しかし、そういう「指導」は「支援」の域を越えているとして、保護者からのクレームが入ったりもするのです。もし、子どもが大きなケガでもしたら、支援員が責任を問われます。
まさに、支援員にとっては、なす術がない状況で日々奮闘しているのです。その上、多くの自治体では、国の定める最低賃金レベルの時給で雇用し、昇給もほとんどない状態です。もう少し本気で待遇改善をしなければ、そのうち支援員不足によって児童クラブが運営できなくなることになるでしょう。
雇用の促進をいくら叫んでも、雇用を根本で支えている児童クラブが崩壊すれば、親は十分に働くことができず、貧困の問題はさらに深刻化するでしょう。
国や自治体は、子育て世代への支援をさらに充実させ、支援員の待遇改善を早急に実施すべきです。
それにしても、どうして、こんなに子どもたちは児童クラブで荒れてしまうのでしょうか。そこには、親に甘えたい盛りの時期に、親と引き離されてしまうさみしさがあると思います。
子どもたちは、そんなさみしさを抱えながら、学校で緊張感を持って生活し、放課後にはさほど広くない児童クラブの部屋に閉じ込められるわけです。子どもたちは別に児童クラブに来たくて来ているのではありません。大人の事情で来ているわけです。それがやむを得ないということは、子どもは子どもなりに理解はしています。けれども心情的には抑えきれないものがあるに違いありません。
子どもは、社会情勢などとは関係なく、とにかく親に甘えたいわけです。そして、十分に甘えた経験があるからこそ自立への歩みをすすめることができるのです。
児童クラブに通う子どもはみんな、親がいつもより早くお迎えにきてくれるとすごく喜びます。また、いつもはおばあさんがお迎えなのに、今日はお母さんが来てくれるというだけでテンションが上がるのです。「ママがもっと早く帰れる仕事をしてくれないかなあ」とつぶやく子もいます。
近年では、一人親家庭も増えています。そういう場合は、0歳から保育園に預けることも珍しくありません。子どもはが十分に親に甘えられる時間は年々減っています。
子どもの立場からすれば、せめて小学校の低学年くらいまでは親が毎日働かなくてもいいくらいの社会保障制度が必要なのかもしれません。それができないなら、子どもたちだけの自由な時間を確保する工夫がなされるべきです。
そのためには、児童クラブはもっと広い場所を準備する必要があるでしょうし、子ども同士のトラブルに寛容である社会の土壌が必要となります。非常に難しい問題だとは思いますが、支援員が「指導」せざるを得ない今の状況では、子どもたちの気持ちは荒れ、支援員や周囲の子に鬱憤を晴らすしかありません。
児童クラブの中には、その日のスケジュールをできるだけ子どもたちの話し合いで決めているところもあります。そういうところでは、高学年の子が低学年のこの面倒をよくみてくれるそうです。自分たちが決めた予定だから、気持ちが前向きになるのでしょう。
教育の場でもなく、保育の場とも言えない児童クラブには、子どもたちを取り巻く社会の矛盾がそのまま表れています。その矛盾の一番の被害者は他ならぬ子どもたちです。子どもの気持ちに、大人の事情は通用しないのです。
(作品No.187RB)