拠り所探し

かつて、教職に就いて10年目の32歳のとき、近隣の大学に二年間内地留学させてもらいました。そのころの私は、学級経営も部活動もそれなりにはできるようになっていましたが、どうも説明しがたい違和感を抱くようになりました。こちらが熱意を持って真剣に訴えても生徒に「伝わっている」という実感が得られず、その空気感が教室に広がらないのです。暖簾に腕押し状態となることが多くなりました。そして、これは生徒に何か変化が起こっているのではないかと思うようになりました。端的に言えば、目の前の生徒が何を考えているのかがわからなくなってきたのです。

そんなある日、担任していた数人の生徒が、数日後に迫った夏季大会(部活動)に参加するかどうかを教室で友だちと相談し合っているのを目にしました。その子たちは控え選手でしたが、それでも3年生にとっては最後の大会です。参加しないってあり得ないだろうと私は思いました。教室には他の生徒も大勢いましたし、もちろん私もいました。こっそり相談するのではなく、堂々と、そして冷静に選択しようとしているのです。特に彼らが部活自体に不満を持っているわけではありませんでした。また、今のように部活動の加熱が問題になるようなことはほとんどなかったころの話です。その様子を見て、私の違和感は確信に近くなりました。何か得体のしれない大きな変化が起こっている、そう直感しました。ちょうどその頃、都市部での公立中学校離れが話題になっていたこともあり1)、私の違和感は次第に危機感に変わっていきました。私は変化の正体を見極めたいと思い、内地留学を決めました。

 内地留学の大学では、実にいろんなことを経験させてもらいましたが、最も「きつかった」のは、修士論文を仕上げるために何百ページもある専門書(日本語翻訳版)を何冊も読まなければならないことでした。とにかく難しくて、1ページ読むのに一週間くらいかかることもありました。ひどいときには一行読むのに一日かかることさえありました。それでも十分に理解することは困難でした。「本当にこれは日本語なのか」と思うくらい、私にとっては高いハードルだったのです。

しかし、ゼミの先生に指導助言を受けながら読んだ専門書の内容を根拠に研究を続けた結果、中学生の価値観は、外見上のファッションや持ち物に対する意味づけに教師と大きな差があったものの、人としてどうあるべきかという点については多くの共通点が見出されました。その研究は学校現場に復帰した後、生徒指導を中心にさまざまな場面で判断の拠り所となりました。不思議なことに、その拠り所の効果は年数を重ねても目減りすることなく、むしろ高まっていったのです。

近年の大学(学部)には、大学在学中に早くから学校現場ですぐに役立つような授業を増やす傾向があるそうです。学校現場に体験に行かせる「インターンシップ」的な実習(教育実習とは別枠)を単位認定し、積極的に実施する大学もあります。確かに、即戦力であることは学校現場にとってはありがたいことですが、何か違うような気がします。

教育社会学者で日本大学文理学部・大学院文学研究科教授の広田照幸氏は、自身の「教育の社会学」という授業の初回に次のように学生に話すそうです。

「私のこの授業は、採用試験にも対応していないし、教員になってすぐ日々の仕事に役立つものでもありません。でも、教員になってしばらくやっていくと、それまでのやり方でうまくいかなくなって行き詰まったり、どう考えればいいか分からないような事態に直面したりすることが、きっとあると思います。そのときには、私がこれから話をする講義の中の理論や概念や現状分析を思い出してみて下さい。考えをめぐらせるための材料が見つかるかもしれません。」(広田照幸(2019)『教育改革のやめ方』岩波書店、p188)

大学の教育がどうあるべきかなどと偉そうにいうつもりは毛頭ありませんが、大学には大学にしかできないことがあるはずです。即戦力となることを期待するあまり、学生が汎用性の高い拠り所を得る機会が奪われているとしたら、それは悲劇だと思います。学校現場は多忙です。一旦赴任すれば専門書を読むような時間はありません。また、読もうとしてもそうした本は相応の専門知識がないと理解できません。それはもう読解力の域をはるかに超えています。専門家のいる大学だからこそ読めるのです。

教員にとって熱意は欠かせないものです。しかし、熱意を十分に活かせる拠り所を持たなければ、これだけ多様化が進んだ社会に対応することは困難です。熱心に関われば関わるほど生徒との意識のズレが大きくなることもあります。現職となった先生には専門書を読む時間はないでしょうが、専門書でなくても教育に関する意義深い本はたくさんあります。専門書をわかりやすく解説している本もあります(漫画すらあります)。それらを入口にすれば、短い時間で「拠り所探し」は十分に可能だと思います。

「すぐに現場で使えるものは、すぐに使えなくなる」(前掲書、p181)。広田氏の指摘は的を射ています。

1)NHK教育プロジェクト・秦政春(1993 初版1992)『公立中学校はこれでよいのか』NHK出版(ネットなら数百円で買えます)

(作品No.176RB)

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