最近では、腕を入れてスイッチを入れるだけで自動的に測定してくれる機械も多くなりましたが、看護師が測定器で測った方が正確な数値がわかるそうです。当然、看護師は私たちがチョークの有効な使い方を知っているように、血圧測定器の操作に長けています。
ところが、何らかの理由で上腕で測れない患者もいます。そういう場合には前腕で測ったり、時には下肢で測ったりすることもあるそうです。測る部位が変わればその部位に応じた機器を使用しなければならず、機器の種類によって測定部位と患者の心臓からの距離や高低差を調整する必要があります。また、計測する部位によって数値に誤差の度合いが異なるため、それを踏まえた上で正確な数値を見極めることになります。
看護の専門家によれば、こうした対応には看護技術と看護実践の二つの要素が含まれているのだそうです。上記の例で言うと、看護技術とは、測定するさまざまな機器の特徴や使い方を知っていて、かつ実際に使えることとなります。一方、看護実践には、看護技術をベースとして目の前の患者にはどの方法が最も適切かを判断することを含みます。たとえ滅多にないケースであっても、その場ですぐに対応しなければなりません。それには豊富な経験が必要です。そして、プロの看護師として最も大切なことは、できるだけ患者に負担をかけずに正確な測定をするにはどうしたらいいかを「瞬時にその場で判断する」ことだそうです。迷いなく適切な方法をとってもらえた患者は看護師や病院を信頼することができます。
私たちは、授業の質を向上させるためにさまざまな研修を受けたり、自分で本を買ったりして技術的な部分を補っています。また、ベテラン教師の授業を見せてもらうことで、その技術を自分の授業に取り入れたりします。先の看護師の例でもそうですが、経験は大きな武器です。身近にいる経験豊富な人の技術に触れることは授業力を向上させるために最も有効な方法です。
けれども、ベテランの人と同じ方法で授業をしてもうまくいかないことがあります。それは、そのベテランの先生と、そこにいる子どもの間で醸し出される空気感が違うからです。その先生の個性によってつくられた場の雰囲気は、他の誰がやってもまったく同じものは再現できません。その上、子どもは日々変化しています。昨日うまくいったことが今日はだめだったということもあります。私たちは、技術を最大限に生かすために、まず自分がどんな空気感を出しているのかを知る必要があります。また、毎日変化する子どもの「いま」に最もぴったりくる方法で働きかける必要があります。私たちが思っている以上に「実践」というのは、多様でつかみどころがないのです。
「実践とはなにかということが甚だ捉えにくいのは、ひとが具体的な問題の個々の場合に直 面するとき、考慮に入れるべき要因があまりにも多い上に、本質的にいって、それらの要因が不確かであり、しかもゆっくり考えているだけのひまがない、つまり、≪待ったがきかない≫からである。いいかえれば、無数の多くの選択肢があるなかで、多かれ少なかれ、その時々に際して決断し、選択しなければならないからである。」1)
授業の技術は、経験を積めば必ず向上します。しかし、授業の実践力は必ずしもそうはいきません。実践の場はいつも不確かで予想困難だからです。
「不確かな状況だからこそ、まさに一人ひとりの看護師の生き方が偽りのない状態で表現される場となる。つまり、自己の生き様が看護実践に映し出されるのである。」2)
看護師を教師に、看護実践を授業実践に置き換えたとき、その指摘の厳しさを痛感します。
でも、逆に言えば、あらゆる実践は「自分にしかできない、かけがえのないもの」であるということでもあります。実践の奥深ささえ知っていれば何も恐れることはないと思うのです。
(作品No.219RB)