「つ」のつくうちは・・・

私には、大学生のときから現在に至るまで未だ解決していない疑問があります。それは、「発達」に関する疑問です。大学で教職の必修科目だったので「児童心理学」(発達を含む)に関する授業を受けましたが、その授業は「出生直後から小学生くらいまで、すなわち乳幼児期から学童期まで」1)に子どもが何歳くらいにどんな能力が発達しどんなことを身につけられるかを、最初から決まったことのように説明する講義でした(基礎講座だから仕方ないのですが)。そのとき次から次へと疑問が湧いてきました。「それはすべての人間に当てはまるのか?」「時代の変化や社会の価値観の変化、メディアの著しい発達などが発達に影響を与えることはないのか?」。「持って生まれた特性よりも環境の方が発達に与える影響は大きいんじゃないのか?」そう考えると「「発達法則」2)のような基準に意味はあるのだろうか?」そんなことを考えてしまったのです。結局、内容がなかなか頭に入ってこず、成績も惨憺たるものでした(クラブ活動ばかりしていたからという説もありますが・・・)。

さて、三大発達段階説3)というのがあるそうです。フロイト(4段階)、ピアジェ(5段階)、エリクソン(8段階)の三つを指します。やっぱり「発達法則」は確かに存在するんだと思わせるには十分な面子です。私なんぞに否定することなどできるはずもありません。でも、最も新しいエリクソンでさえ30年以上前の理論です。現代のように、年端も行かない子どもが毎日スマホを見ている(親が見せている)環境を想像できたのでしょうか。そして、それが発達に影響しないとどうして言い切れるのでしょうか。発達心理学は常に更新しなければ意味がないのではないだろうか。疑問は疑問のままです。

  昔から日本には『「つ」のつくうちは神の子』という言葉があります。「「ひとつ」「ふたつ」というふうに年齢に「つ」がつく間、すなわち「ここのつ」までは別の生き物であり、神様が育ててくれるのだから、大人があまり介入するな」4)という意味で使われるようです。9歳までは神様の子だから、自由にさせておいても勝手に育つ、何とも牧歌的です。でも、なんだか懐かしい感じがします。もしかしたら、子だくさんで一人ひとりになかなか関われなかった時代の「親側の知恵」だったのかもしれません。

今の私に言えることは、基本的な「発達法則」は確かにあるだろうし、無視することはできないとしても、それにこだわりすぎて「なんで〇歳になっても、こんなこともできないの?」と子どもを責めることだけは避けなければいけないということ。あくまで「発達法則」は原則であり、結局は一人ひとりの状況や状態に合わせてどう関われば(寄り添えば)いいのかを考えるしかないと思うのです。(作品No.115RAB)

(私の疑問に明解な答えをお持ちの方、どうか教えていただければ幸いです。)

注)

1)コトバンク:「児童心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「児童心理学」の解説 https://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%AB%A5%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-74416

2) コトバンク:「発達心理学」日本大百科全書(ニッポニカ)「発達心理学」の解説https://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%81%94%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-115139「受胎から死に至るまでの生体の心身の形態や機能の成長・変化の過程、これに伴う行動の進化や体制化の様相、変化を支配する機制や条件などを解明し、発達法則を樹立しようと目ざす心理学の一分科。発生心理学とよばれることもある。児童心理学と相互に混用されることもあるが、発達心理学は1950年代以降世界的に広まっていった名称であり、両者の間にいくつかの対比を認めることができる。」[藤永 保](文中文字強調は引用者による)

3)ピアジェ(1896-1980)の発達段階論は、フロイト(1856―1939)の「リビドー発達段階理論」、エリクソン(1902-1994)の「心理社会的発達理論」と並ぶ、3大発達段階説のひとつ。https://kodomo-manabi-labo.net/piaget-developmental-stages

4) https://kodomo-manabi-labo.net/erikson-developmental-stages

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