民主的な学校づくりは、本気で取り組まなければならない問題です。子どもたちに「自分たちが学校をつくっているんだ」という意識を持たせないと、「指示待ち」の人間ばかりを育ててしまいます。
いわゆるシチズンシップ(市民教育)が必要です。学校は社会に出たときに必要な最低限の知識と技能を身につけるところであると同時に、社会の発展に貢献することのできる人間を育むという大きな二つの目標があるはずです。
シチズンシップを育てるためには、一定の年齢に達したら、今、社会でどんなことが起こっているかについて考える時間を設ける必要があるでしょう。しかし、それは子どもたちにとって、身近な問題になりにくい面もあります。
だから、まずは最も身近な学校の課題に目を向けさせることが必要です。学校は大きく視点を変えて子どもたちに任せられることは思い切って任せる方向に舵を切らないと何も変わりません。例えば、校則の決定や改正については、提案から実現まで生徒会主導で実施するべきです。
ただ、ここで気をつけたいことは、「拙速」にならないことです。緩やかな変革が大切です。どんなに素晴らし取組であっても、拙速に過ぎれば無駄な反動が起こります。
校則の見直しは生徒の手で行えばいいとは思いますが、極端な話、昨日まで制服着用が課せられていたのに、急に明日から着てこなくていよとなれば、生徒はもちろん保護者も戸惑いを隠せないでしょう(ちょっと話が極端すぎましたかね)。
大切なのは、教員、生徒、保護者の三者が合意を形成することです。その合意を得ないままに、今の時代に合わないからといって学校側だけの判断で事を進めたら意味がありません。大切なのは学校に制服が必要かどうか、今の校則が妥当なのかどうかということではなく、それらの見直しが必要かどうかの合意形成をするための「過程」です。
それは、生徒が頑張って取り組んで先生の許しを得るというものではなく、生徒がまず、制服の意義を考え、必要か必要でないかを議論し、全校生徒や保護者、教員にも意見を聞き、いざ、制服を廃止するのがいいという合意が得られたら、どのような手順が必要かを考えるといった「過程」のなかで子どもたちは成長するのです。
だから、問題の内容によっては一年で終わらないかもしれません。生徒会が主導するなら次の代に引き継ぐことも起こりうるでしょう。それでもいいと思います。とにかく、プロセスを軽んじ、結果ありきでことを「拙速」に進めたらシチズンシップを培うことはできません。
ルソーは、大人が子どもに指示、命令、禁止ばかりを続けていると「「やがて、息をしなさい」といわれないと自分で呼吸をすることさえできなくなるだろう……」(苫野一徳(2020)『100分で名著 読書の学校 ルソー社会契約論』NHK出版、p74)という辛辣な皮肉を述べたと言われています。
今の学校は、指示や命令をしなければ維持できないシステムになってしまっています。学校が変われないのは、単に教員の意識レベルの問題だけではありません。子どもたちに、市民として生き抜く力を身につけさせることができる環境整備が何より重要です。
具体的には、教員に時間的な余裕を与えること、入試制度を抜本的に見直すこと、個々の生徒の理解度に合わせた授業展開を可能にするための人員確保など、行政が真剣に改革を進めなければ教員は身動きがとれません。
なぜ、それらの改革が必要なのかについてはまた改めて示したいと思います。とにかく、シチズンシップの育成のためには、生徒に自由を与えなければなりません。そして、そのためには、教員にも余裕と自由を与えるシステム改革が必須なのです。(作品No.198RB)