地域のまなざしと働き方改革

エピソード その1

「先生、A町なんて停留所ありませんよ」

私は当時野球部の顧問でした。A中学校に練習試合に行ったときのことです。A中学校は車でも30~40分かかるところにありましたので、私は道具を自分の車に積んで移動し、生徒たちは、電車と路線バスを乗り継いで現地に向かいました。電車を降りた駅でA中学校の最寄りの停留所を確認して彼らはバスに乗り込みました。ところが、いつまでたってもその名前の停留所がなく、結局、終点まで行ってしまったというのです。バスから降りてきた部員はどれも不満顔です。仕方なく数十分かけて歩くことになりました。私は約束の時間より遅れることを相手の監督に伝えに行くために車を走らせました(当時は携帯電話がありませんでした)。しかし、初めて行く学校だったので場所がよくわかりません。そこでたまたま公民館の掃除をしていたおばさんに出会い道を尋ねたところ、丁寧に教えてくださったうえに、事情を聞いてわざわざ生徒を車で迎えに行ってくださいました。それどころか、近所の人にも伝えてくださり、何人もの人が「運んでやろう」と車を出してくださったのです。

 初めて行ったA中学校。見知らぬ土地の、見知らぬ人からの温かいやさしさが身に沁みました。

エピソード その2

転勤して間もないころ、学校のすぐ近くに住んでいる人と話をしているときのことです。その人は中学生のことを「学校の子」という言い方をされました。その人だけでなく、何回かこの言い方を耳にしました。

私は、その言葉から、地域に根差した「学校」の「子」だから地域の中で大切にしようというニュアンスを感じ取りました。同時に、少々のことは大目に見てやる、でも度を越したときにはしっかりと叱ってやろうという雰囲気がまだ残っているのを感じました。自分の子どもではなくても「学校の子」が困っているなら手を差し伸べてやろうという懐の深さが地域にはあったのだと思います。

働き方改革のめざすところ

この二つのエピソードがあってからすでに30年以上が経過しました。地域の学校に対するまなざしも大きく変わりました。こういう「牧歌的」な雰囲気はもう期待できないのかもしれません。また、今後、学校の働き方改革が進んでいくなかで、地域とのつながり方の見直しが俎上に載せられるときが必ずくるでしょう。学校のスリム化は喫緊の課題なのです。でも、そうであるからこそ私たちは、どんなまなざしが学校に寄せられているのかを敏感に察知し、スリム化した後の学校にあっても地域から支えられる準備を今から始めないといけないと思います。

「牧歌的」な教育はもう古いという人もいます。本当にそうでしょうか。私は逆だと思います。学校は本来「牧歌的」であるべきです。優しさを基盤として、子どもと一緒にじっくりと自分の生き方を考えるためには「牧歌的」な雰囲気が必要なのです。学校の働き方改革は、教育を「牧歌的」なものに戻すために必要なのです。抱えきれない重荷を背負わされて、時間的にも精神的にも追い込まれているような状況を一日も早く改めなければ、教師はじっくりと子どもと関わることはできません。学校の時間がゆったりとした流れになることで、余裕をもって地域にも関われるようになるのです。私たちは、本格的に改革が進む前である今こそ、丁寧に地域との信頼関係を築いておかなければなりません。そうでないと「学校の先生だけが楽をしている」という誤解を生むことになりかねません。学校や教育行政の変わり方によっては、「牧歌的」な学校に戻れる可能性は十分に残されていると思います。

(作品No.118RDB-2)

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