名刺と肩書き

名刺にこだわる人は結構いるもので、名前や住所、職場と役職以外に地元の写真を入れたり、メッセージを入れたりする人もいます。インターネットが始まったころ、URLを入れるのがかっこいいと思っている人もいました。カラフルな名刺を好んで使う人もいます。確かに、そういう名刺は印象に残りやすいと思います。現役時代、名前と学校名、所在地や電話番号しか書いてない私とは雲泥の差です。

 そんななか、究極の名刺に出会いました。名前しか書かれていないのです。それをもらったとき、「ほー、こういうパターンもあるのか」と思いました。その人曰く、「私は私という人間そのもので勝負したいと思っています。肩書で私という人間を判断してほしくない」というのが「名前のみ名刺」を作った理由だと自信たっぷりに仰いました。世の中にはいろんな人がいるものだと思いました。相手の肩書によって物の言い方や態度を変えるのはよくないというのも一理なくはない。でも、かなりの違和感がありました。

 それから何年か経って、ある校長先生からこんな話を聞きました。私が県教委に出るときの所属校の校長だった人です。「指導主事になったら、名刺は必ず多めに作っておきなさい。中でも役職は非常に大切です。なかには、名前だけの名刺を作って悦に入っている人がいるが、自分の身を明かさないことは、相手に対してこれほど失礼なことはないし、実に無責任な態度です。指導主事の名刺を渡すということは、県の職員として責任をもって対応しますという意思表示でもあるのです。」なるほどと思いました。名前なしの名刺を受け取ったときの違和感の正体はこれだったのかと納得しました。

 また、その校長先生は指導主事になろうとする私へのアドバイスとして「当たり前のことですが、自分が作成した文書には必ず自分の名前を書くこと。上司の代わりに出す文書であっても最後に担当者の自分の名前を書くこと」とも言われました。

 つまり、自分の名前を出すということは、責任の所在を明確にするということです。ごくまれにですが、学校だよりに〇〇学校長とだけ書いて自分の名前が書かれていないものを見かけます。インターネット(ホームページ)に上げるときに消すというのならまだわかりますが、保護者や地域に紙で配布する文書に名前を書かないのはどうかと思います。書かれたものというのは、口頭と違って後に残ります。そこに何か問題があれば、書いた者の責任が問われます。配布したものが確たる証拠になるからです。だから、できれば誰が書いたかわからなくしておいた方がいいという下心がはたらくのです。その気持ちがまったくわからないわけではないですが、名前を明記することによって書くときに細心の注意を払おうとする姿勢につながるのも事実です(その割には私の学校だよりはミスが多くて何度も出し直しをしましたが・・・)。

 肩書きを書かない名刺を作って相手に渡す人は、結局は肩書きにこだわっているように思うのです。最初隠しておいて、後で「えっ、あの人そんなすごい人だったの?」と言われることを期待しているような気がするのですが・・・。考えすぎでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です