「勉強は何のためにするの?」と児童生徒に聞かれたらどう答えればいいか迷います。子どもが納得できる答えは簡単にはみつけられません。私は、この問いに答えるためには、学校教育を「機能」と「目的」に分けて考える必要があると思います。
まず、「機能」とは、社会に出たときに役に立つような知識や技能を身につけさせるはたらきです。例えば、算数の四則計算を使いこなせることや、最低限の漢字が使えるといったいわゆる「読み書き算盤」は、社会生活を営む上で欠かせないものです。
また、学校には社会化機能というのもあります。社会人として必要な礼儀やモラル、コミュニケーションの取り方などのことです。これも子どもが社会に出て困ることのないようにと願いつつ、私たちは子どもと日々のかかわりを続けているわけです。
一定の年齢までは「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞いてきた子どもに「将来必ず必要になるから」と答えるのが最もストレートに伝わるでしょう。
ところが、学年が進むにつれて学習内容は難しくなり、中学校くらいになると抽象的な概念なども増えてきます。そうなると「将来役に立つ」というだけでは説明がつきません。
例えば、社会人である大人がどれほどに一次関数や二次関数を使っているかと問われれば、答えに窮してしまいます。かくいう私も日常的に関数を使うことはありません。本当は意味のあることなのですが、中学生にとってはその意味を実感することは困難でしょう。
そこで必要になるのが、勉強の「目的」です。
近代的な学校が成立する前は、徒弟制度などによって大人から直接必要な知識を得ることができました。それは経験に基づいた技能や知識が中心でした。親の職業を受け継ぐことが多かった時代ならそれでよかったのでしょうが、職業選択の自由が保障されて選択肢が広がっていくにつれ、次第に経験だけで伝えられるものでは不十分となっていきました。つまり、「身の回りにないものを学ばせる必要が生じてきた」1)のです。そして今、学校には「人生のさまざまな生き方の可能性」2)を与えることが求められるようになりました3)。
言い換えれば、学校教育は、この社会や世界がどういうふうに成り立っているのかを理解しようとする視点を子どもが持てるようにすること、これが大きな目的の一つになったのです。だから、卒業した後、一回も使わない知識や技能があったとしてもそれがまったくの無駄であるとは言えないのです。
中学生に「なぜ、勉強しなきゃいけないんですか?」と聞かれたとき、次の言葉が役に立ちます。
「天文学者と小さな少年が同じように望遠鏡で星を見ていても見えるものが違う」5)
子どもたちにとって学校で身につける知識は、一見無駄に思えるかもしれません。でも、知識があるからこそ見えてくることもあります。それが自分の人生を豊かにするのです。
(作品No.207RB)
- 広田照幸(2022)『学校はなぜ退屈でなぜ必要なのか』ちくまプリマ-新書、p89
- 前掲、p98
- このことを最初に提唱したのは、コメニウス(Johannes Amos Comenius、1592-1670)の『大教授学』だとされています。400年以上も前にすでに気づいていた人がいたというのはまさに驚きです。