処分されないという悲劇

同窓会の帰りでした。招待していた恩師がわざわざ私のところにやってきてこう言いました。

「とにかく、徹底的に職員を守れよ」

 その恩師は、私がそのとき教頭として小学校に赴任していたことを知っていました。そして、ちょうど、ある臨時講師が何度も児童への暴言を続けることを受けて、校長と協議した結果辞めてもらう決断をした直後でした。その恩師は元県教委の要職についていた人です。もしかしたら、今回の臨時講師の件も知っていたのかもしれません。とにかく、迫力のある目で私を圧倒してきました。「職員を守ってこその管理職だ」と私に知らしめたかったのでしょう。

 私は、かなり残念な思いがしました。あれだけ信頼していた恩師がもうすでに時代遅れの感覚を持ち続けていることを感じたからです。

 かつては職員を守るというのは、事を大きくせずに穏便に済ませるという意味でした。そのことによって、その職員の職歴に傷をつけることがなく、管理職としても職員をあたかも家族のように守ってやったという満足感が得られたのでしょう。

 でも、今はその考え方は仇にしかなりません。

 昨日(2022年12月17日)、読売新聞オンラインで次のような記事を見つけました。タイトルは「保護者から相次いだ苦情、体罰の訴え軽視した元小学校長「責任感じている」…中1男子が自殺」。体罰を繰り返す教員に校長が何度も指導したにも関わらず、態度を変えることがなく、ついに生徒が自ら命を絶ってしまったことについて、当時の校長が取材に応じたという記事です。

そこでは、「音楽の授業で子供の腹を殴ったのでは」と保護者から訴えがあった際に、「腹筋を使うようにという指導」との元教諭の説明を信じ、市教委には体罰ではなく「不適切な指導」として報告するに留めたとあります。

 また、児童、保護者を対象に体罰の有無を尋ねるアンケートでは、複数の保護者が元教諭の体罰があったと証言しているにもかかわらず、市教委に報告すらしていませんでした。

 その上、元教諭は問題行動が多かったために担任から外されていたのに、元校長はそうした引き継ぎも受けていながら、6年生の学級担任にしています。「希望したのが彼だけだった。不安はあったが、指導で徐々に変わっていた」というのです。

 この元校長が、のために大ごとにすると面倒だと考える事なかれ主義者だったのか、いわゆる「親分肌」タイプの校長として「職員を守ろう」とした結果のことだったのかは、この記事からはわかりません。

 当該教員は「元校長から指導を受けた覚えはない」と主張していますが、元校長は何度も指導したと話しています。こういうところから推察すると、元校長の中に、昔ながらの「職員を守る」という意識があり、指導の内容が厳しさに欠けた可能性を否定することはできないと思います。元校長の指導が「とりあえず指導しました」というアリバイづくりくらいのレベルだったのではないかと勘繰られても仕方ありません。

 私の勤務していた学校にも同様の不適切教員がいたことがありますが、どんなに保護者が真剣に訴えてきても絶対に事実を認めることはありませんでした。その教員は過去に市の教育長から児童へのセクハラをもみ消してもらった経験があり、事実を認めなければ処分されないという確信があったのだと思います。

 こうした悲劇を生み出さないためには、最初の体罰や問題行動に対して第三者による事実確認や、公的な処分を行うべきです。「守られる」のが当然だと思っている教員の意識を変えるためにも、たとえ非情だと言われても校長は事を公にし、処分も辞さない方向で対応すべきです。職員を守ろうとして子どもの命を奪ってしまったら、何のために校長をやっているかわかりません。仮に、早い段階でこの職員が公式に処分されていれば、このような悲劇は起こらなかったと思います。

 本人が事実を認めない場合、確たる証拠があるわけではないため、対応は慎重に進める必要があるでしょうが、校長としては毅然とした姿勢を周囲に示すべきです。SNSがこれだけ広がっている時代です。隠そうなんて考えても、保護者の間であっと言う間に情報が広がります。ときには、動画を取られていることもあるのです。そんな時代に、職員を守るために事を穏便に済ますことなどできるはずはありません。

 それに、こうした不適切な教員に対して校長が「守る」姿勢を見せれば、その他の真面目な教員を守ることができなくなります。被害を受けた児童生徒の学級担任にも過酷なほどの負荷がかかります。学級担任として、受け持っている子どもが命を落とすほどショックなことはありません。精神のバランスを崩してしまうことも十分あり得ます。

 教員の中にも、まだまだ「守られる」のが当たり前の権利のように思っている人がいます。先述の私の学校でのケースでも職員鍵で堂々と「管理職が職員を切り捨てるようなことが許されていいのか」と怒気を強めて訴える人もいました。そういう人の意識を変えるためにも、できるだけ早期に、目に見える形で公にする方向で対処すべきです。

 こうした事案は、事実を確認するだけでも膨大な時間がかかることも考えられますが、方向性が処分も辞さないという毅然とした対応であることが被害者に伝われば、最悪の事態防止に大きな力になるはずです。

 かつて、私と同期の校長が職員会議で次のように言ったそうです。

「子どもは死ぬんですよ。私たちよりずっと死との距離は近いんです。そのことを頭に入れて関わってください」

 まさにその通りです。中途半端な対応は子どもを殺してしまう可能性があります。その危機感を、すべての教員が持たなければなりません。

 (作品No.190RB)

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