私は、大学の時に遠山啓(数学者)の『競争原理を超えて』1) を読んで感銘を受け、序列主義や偏差値に捉われない教師になりたいと単純に思っていました。自分が教師になったら、この「偏差値」偏重主義には、必ず反抗しようと思っていました(あの頃は純粋だったのです)。ところが、実際に勤務してみると、偏差値はおろか順位も出していませんでした。おそらく国会で偏差値での「輪切り」や業者テストの問題が取り上げられるなど、序列主義の評価に対する批判が相次いだためだと思います。3年生は受験のことがあるので順位は出していたと思いますが、1、2年生には自分の得点と教科ごとの平均点しか生徒には示していませんでした。若干拍子抜けしましたが、これは素晴らしいと思っていました。ところが、数年して新しい評価システム(と言ってもちょっとこましな表計算ソフト程度だったと思いますが)が導入できることになり、出そうと思えば偏差値も簡単に出せるようになりました。そのことを受けて、当時中堅教員だった先輩の先生が「簡単に出せるんなら全学年出したらいい」と軽い口調で職員会議で提案されました。それをテスト結果通知表に記載して生徒に渡すというのです。
私は咄嗟に手を挙げて反対しました。当時20代前半の若造が40近い先生に楯突いた形となりました。私は、「偏差値というのは、素点が正規分布(ガウス曲線)するという前提で出されるもので、学年単位くらいの人数では必ずしも正規分布するとは限らない。また、問題点も多く指摘されているのに、何の議論もすることなく、単に技術的にできるからといって実施するのは短絡的すぎる」と反論したのです。先輩の先生は、みるみる不機嫌な表情になりましたが、それ以上何も言わず、そのまま私の意見が通りました。その頃の私は、偏差値の功罪については職員の中で一番わかっているという根拠のない自信がありました(若いというのは時に恐ろしい)。
私は、もともと偏差値というのが1957年(昭和32年)に「東京都港区立城南中学校(当時)理科教員であった桑田昭三により考案された」もので、「勘を依りどころに行われていた「志望校判定会議」における日比谷高校の合格判定を、より科学的、合理的に割り出すために考案された」2)ということを知りませんでした。桑田氏は、「生徒の能力を決めてしまうことにつながりかねないため、開発当初も、(中略)(その後も)偏差値は生徒に知らせるべきでないと考えていた。しかし、偏差値は生徒に努力目標を明確にさせるのに便利であり、多くの学校教員は、生徒に自分の偏差値を知らせた。結果、学力偏差値が悪者扱いされてしまったことを、心底残念に思っている」といいます。私が職員会議で反論した内容は、開発者の意図からしても間違ってはいませんでした。でも、偏差値そのものが悪いのではなく、その意味を理解し、使い方を工夫すれば客観的な資料として使える可能性があるということには気付いていなかったのです。森田氏は後に『よみがれ偏差値』とい本を書いておられるそうです。手に入れば一度読んでみたいと思っています。
ちなみに私に反論された先生からは、しばらくの間何かにつけ「私は短絡的ですから」と嫌味を言ってこられました。まあ、笑いながらですが・・・。(作品No.37HB)
1) 1981.11.15 14版、太郎次郎社 ちなみに遠山氏の理論は1985年に開校した「自由の森学園」の理論的バックボーンになっています。
2) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』