名探偵のコナン君の決め言葉は「真実はいつもひとつ」。劇場版ではオープニングの最後にコナン君が登場し、この台詞を言うのが恒例。かっこいい言葉です。でも、ひねくれた性格の私は、この台詞を聞くたびに思うのです。本当に真実は一つなのかと。
例えば、世界にはさまざまな宗教が存在します。日本では、八百万の神という言い方があり神はいたるところにいますが、神は唯一で絶対だとする宗教も多々あります。そうした宗教や国にとっては神の言葉は絶対的な真実(真理)です。その言葉を拠り所にして、自分たちの考え方が正しいかどうかを判断したり、行動に移したりしているわけです。信心の程度には個人差があるにせよ、迷ったときや切羽詰まったときには頼もしい存在となるでしょう。でも、考えてみればおかしな話です。本来なら唯一絶対の神は一人(?)であるはずです。複数いた時点ですでに「唯一絶対」ではないわけです。そうすると、唯一絶対の神を信じれば信じるほど、他の神を否定せざるを得ないことになります。時にはそれがテロや戦争という大惨事につながってしまう危険性をも孕んでいるのです。
こうした「特定の問題や現実の事象をただ一つの原理で説明しようとする考え方(精選版 日本国語大辞典デジタル)」を「一元論」と言うそうです。一元論的なものの考え方は、正しいとする内容が明確でわかりやすい半面、他を受け入れない怖さもあるのです。
今回テーマは「不易と流行」。教育の世界では手垢がつくほどよく使われる言葉です。一般的に「不易」はどんなに時代が変わっても不変なもので「真実」に近い意味で使われます。それに対して「流行」は、そのときどきの流行りであり、いつか廃れるものというイメージがあります。これまで教育の世界ではどちらかというと不易の方が重要視され、流行は軽んじられる傾向にありました。どんなに世の中が変わっても変わらないものがある、それを伝えるのが教育の神髄だと。でも、それももしかしたら「一元論的」なのかもしれません。
もともと不易と流行という言葉は、松尾芭蕉の俳諧論書である『去来抄』で使われたのが最初だと言われています。その一節には、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。解釈にはいろいろあるようですが、「不易と流行を同じ位置に置くからこそ、確かな基盤に基づいた新しい芸術が生まれる」という意味です。私なりの解釈をするなら新しいものを取り入れなければ不易は不易であり得ないということです。
カナダのシンガーソングライター、ニール・ヤング(Neil Young)の言葉に「変わり続けるからこそ、変わらずに生きてきた」というのがあります。歌手の松任谷由実さんもよく使う言葉だそうです。進化という真実は、人が変わり続けたからこそ得られたのです。
ちなみにコナン君の名誉のために申し上げておきますと、彼の言う「真実」は「客観的事実」という意味ではないかと思います。真犯人は誰で、どんなトリックを使ったかという「事実」は変えられない。その変わらない事実に至るために、おそらくコナン君は、事件のないときも常に新しい情報を収集し、不断に観察力や洞察力を進化させ続けているのだと思います。突き止めた「事実」を「解決しない事件はない」という真実につなげるために。
(作品No.15HAB)