ある年の忘年会(小学校)のときです。私は校長として、会の初めの挨拶を任されました。まだ、コロナもなかったころの話です。
その日は、非常勤の先生や、用務員さんまで参加してくれました。ほぼ全職員が集まることでできるのはそうそうあることではありません。とてもありがたいことだと思いました。そして、この一年間特に大きな事故もなく比較的平和な日々が流れたことに感謝しようという趣旨で話をすることにしました。
過去に勤務していた学校で、教員が不祥事を起こし全国版のニュースにも流れたことがあり、半年以上「飲み会」を自粛せざるを得ませんでした。そのときは職員全体に暗く重い空気に包まれていました。自粛は当然の流れでした。誰も宴会など開こうという気にはなれなかったのです。そうした私自身の経験を少しだけ話したあと「こうして、みんなが集まって楽しい会が持てるということに、心から感謝したい」と締めくくりました。
さて、次に登場したのは、乾杯の音頭を取る教頭です。私は耳を疑いました。乾杯の発声の前にした話が、私とほとんど同じ話だったのです。こんな人間がいるのかと思いました。おそらく教頭は「自分だってこんなに苦労したことがある」と、私を相手にマウントを取ろうとしたのでしょう。そのセンスのなさに唖然としてしまいました。普通は校長の話を受けて、それをフォローするのが教頭の立ち位置です。私が県の教育委員会にいた経験があるから特に感じたのかもしれませんが、そうでなくても校長相手にマウントを取る話をする感覚には驚きしかありませんでした。それも、あたかも自分だけがそういう経験をしてきたかのように、自慢げに話しているのです。正直に言って、かなり不愉快でした。
もし、県教委の宴会でこれをやったら上司にその場で激怒されているところです。私は、校長を立てないから腹が立ったのではなく、そういう態度で職員に接していることに無性に腹が立ったのです。私は、教育委員会でも自分の課内にいるものを「部下」だと思ったことはありません。それがいいかどうかはわかりませんが、役職的には部下であっても、同じ課の仲間です。残念ながら教員にはまだこういう人間がいるんだ。申し訳ないけれど、小学校ばかり経験しているとこうなってしまう人もいるのかもしれないとさえ感じました。
小学校の先生の中には、中学校の教員に対して「高圧的だ」とか子どもを邪険に扱いすぎるとか批判する人がいます。私も若いときベテランの小学校の先生から「〇〇は最近荒れてるそうじゃないか。あの子は私の前では今でも素直に話ができる。もっとちゃんと指導できないのか」と本気で怒られたことがあります。この教頭の姿を見て、その時のベテラン小学校教員を思い出しました。何もわかっちゃいない。あなたには、「中学校に行っても(環境が変わっても)しっかり生活ができるだけの心を育てる」という気概はないのかと思いました。体も小さく、自我の発達もまだ未熟な小学生を相手に自分の思うように子どもをあやつっていただけなんじゃないのかと思うのです。そういう人は、一度中学校に来て生徒に胸倉をつかまれてみないとわからないのだろうか(その頃はまだ校内暴力が残っていました)。
何も中学校の教員がすべて正しいと言っているわけではありません。センスのない教員はどの校種にもいるでしょう。けれども、それなりの経験を積んでいながらそんな狭い視点しか持てないのは、子どもにとって害にしかなりません。おそらくそういう人は保護者にも同じような物言いをするのでしょう。
ちなみに、先に挙げた教頭は電話対応で相手を選ばず「うん、うん」と相槌を打つのです。電話先の相手が後で校長の私に「あの教頭はどうにかならないんですか」と訴えてきました。そりゃそうです。「うん」という言い方が上からだということに気づくセンスがないのですから。
(作品No.163RB)