世界には一人として同じ人間はいないという意味で、すべての人はオンリーワンだと言われます。ただ、オンリーワンはナンバーワンに比べてわかりにくいものです。オリンピックで金メダルを獲った人や、何かの大会で優勝した人は誰の目にも明らかにナンバーワンであることがわかりますが、オンリーワンというのは、どこかつかみどころのなさを感じます。
それでもオンリーワンという言葉は魅力的な響きを持ちます。そこに、すべての人にはそれぞれに違った個性があるのだから「そのままの自分でいいんだ」という優しさが含まれているからでしょう。同時に、他の人と比べることの虚しさも教えてくれます。
でも、オンリーワンは直訳すれば「ただ一つ」という意味です。もし、自分の中に他の人にはない「ただ一つ」が見つけられなければ、自分はダメな人間じゃないのかと感じてしまうこともあります。思春期を迎えた子どもが、そういう自信のなさのために自己肯定感を下げてしまうことも少なくありません。この悩みは大人が考えている以上に深刻なもので、中には家に閉じこもってしまうケースもあるといいます。オンリーワンの個性を「持ちたい」と思っているときはいいのですが、「持つべきだ」という規範として受け止めてしまうと一種の圧力となります。この点について社会学者の土井隆義氏は次のように指摘しています。
「個性的な存在たることに究極の価値を置くこのような社会的圧力の下で、彼らは、自己の深淵に隠されているはずの潜在的な可能性や適性を見出そうとあせり、絶えざる焦燥感へと駆り立てられています。」(土井隆義2004『「個性を煽られる子どもたち』岩波ブックレットNo.633、p38 下線は引用者による)
思春期の子どもは「自分は何者なのか」と自問します。そのとき、「こうありたい」とか「こうあるべきだ」という自分像と、現実の自分とのギャップに悩みます。思春期の子どもが気難しくなりやすいのは、そういうギャップが解消できないもどかしさによって気持ちの波が激しくなるからでしょう。所謂アイディンティティ(自我同一性)確立に関わる悩みです。
さて、ここで一つの矛盾に気づきます。オンリーワンという概念に従って「ただ一つ」であることを実感しようとすると、必然的に他者との比較が必要になってしまうのです。自分の個性が「自分にしかない」ことを証明しようとすれば、比較対象となる他者がいないとできないからです。アイディンティティの問題で悩む子に「あなたらしく生きればいい」と言ってもなかなか伝わらないのは、そう言われた子が、自分らしさを(土井氏の指摘する)自分の中にあるはずの「潜在的な可能性や適性」に見出そうとしてしまうからです。つまり「個性」が自分の内側(生まれ持った資質など)のどこかにあるはずだと思ってしまうのです。しかし、そもそも人間は他者なくして「個性」をつくることはできません。オンリーワンという概念は非常に魅惑的ですが、個性をつくり上げるために欠かせない「他者」の存在を薄めてしまう危険性もあります。
他者と自分を比較して、劣等感を抱いたり、優越感に浸ったりするのは愚かな行為だと思います。しかし、世の中に自分と他者を比べないで生きられる人がどれほどいるのでしょうか。ましてや、子どもなら無意識に比べてしまっても責めることはできないでしょう。
私たちは他者と自分を比較することを「良くないこと」として否定するのではなく、その比較の仕方によっては、自分の「個性」を形成する大切な作業になりうると伝える方が、よほど説得力があると思うのです。「あなたの苦しみは、かけがえのない自分をつくるために必要なことなんですよ」というメッセージをどう伝えるかが大切なのではないかと思います。
そもそも、何に、どう悩むか、それも自分らしさの一つなのですから。
(作品No.97BA)