昨日、ある保険関係の店舗に行きました。すると、入口を入った右側、フロアの隅に7、8人の従業員が仕事用のスーツを着て一つの机を囲むように集まっていました。最初、一部の人しか目に入らなかったので、「結構クライアント(顧客)がきているんだ」と思いました。それにしては結構大きな声で話す声が聞こえてきます。どちらかと言えば白熱した議論をしているかのようでした。後で聞いたら、それは顧客への対応を互いにシミュレーションしている「研修」だったらしく、同じ社員同士、しかも若い人同士で本当の顧客に十分対応できるように練習(研修)していたようです。同じ若い者同士だからこそ「今の説明ではよくわかりません」などと遠慮なく相手を言及することができます。その集団からいきいきとした心地よい空気を感じて、すばらしい研修だと思いました。
多くの企業では、新しく採用した人に対して、一定の研修期間(数か月くらいでしょうか)を設けています。その研修によって,新規採用者が社員として働くための最低限のノウハウや会社のビジョンなどを理解するのだと思います。そして、研修中に新採用者の特性を見極めたうえで、それぞれの配属を決めることになるのでしょう。こうした研修は「何もできない」「何も知らない」者に顧客の対応をさせたり、商品の説明をさせたりするのは顧客に対して失礼であると考えているからだと想像できます。また、顧客の信頼を失うことのないように、接遇の基本などもみっちりと鍛えられることにもなるでしょう。つまり、リスクマネジメントの側面もあるわけです。もし、顧客が「もうこの会社の製品は買わない」と感じたら、身近な人にその不満を伝えるでしょう。今なら、SNSを使ってあっという間に広がります。特に、誠意がないと思われたときのリスクには計り知れないものがあります。そんなとき会社側の上司が、「失礼な対応をお詫びします。ただ、この社員は、まだ採用されたばかりで何もわかっていないんです。」などと言おうものなら、まさに火に油です。顧客からすれば「そんな経験不足の者を説明に当たらせるとは、どういうことだ。私を軽く見ているのか」ということになるでしょう。
しかし、研修をきちんと実施するのは顧客のためだけではありません。新採用者にとっても拠り所を与えてもらえるという意味もあります。この会社が何を目指しているのかというビジョンに始まり、商品に関する知識や、説明手順、顧客への言葉遣いにいたるまで事前に丁寧に研修することで安心して顧客の前に立てるのです。
それに比べれば、新採用教員というのは非常に残酷な扱いを受けています。大学を卒業してすぐに採用された人はなおさらです。教員は4月1日から即プロ扱いです。まったく研修なしで学級担任を任されることもあります(都道府県によっては、都道府県教委から可能な限り学級担任をさせよという指示が出ている場合もあります)。これは一般企業では考えられないことです。昔に比べれば、県教委や市教委の研修は、内容も系統性も充実しています。それでも「走りながら」の研修であることに変わりはありません。これでは研修が生かされる前に教員がつぶれてしまいます。ツイッターなどで、新採用教員が4月の初旬(4月1日という人さえいるようです)に辞職したというのをしばしば目にします。これを「最近の若い人は我慢が足りない」と一蹴していいものだろうかと思います。確かに、私が新任だった37年前から(いやもっと前から)同じやり方をしているわけですから、現役教員の多くが「いきなり最前線制」を経験しているわけです。「誰もが我慢してやってきたじゃないか」という人もいるでしょう。しかし、それはあくまでも学校側、教員側の理屈です。
学校に勤務した経験のない人に実際に聞いた話ですが、その人曰く「せめて、接遇の仕方、特に電話対応の仕方くらいは研修で身につけさせてから学級担任や部活動の顧問にしてほしい。失礼な物言いをしていることに気づかず、ちょっと質問をしたらモンスター扱いされて、次にものが言いにくくなる。先生は自分たちはいつも正しいと思っているのですか。」
私も、大学を出てすぐ採用、その年から学級担任でした。経験もなく研修もまったくないまま毎日手探りの状態でした。不安ばかりが広がり、いつもイライラしていていました。「どうしたらいいでしょう」と先輩に聞いても「あなたのやりやすいようにやれば」としか言ってもらえず、途方にくれ、孤立感は限界に達しました。毎日通勤途上で「今日こそ朝一番に校長室に行こう。そして校長先生に辞めると言おう」と思っていました。そう思わなければ学校に行く力が湧いてこなかったのです。そして、6月には学級が崩壊し、保護者から「訴える」とまで言われました。
私は、そのとき思いました。「これでは、泳げない者に泳ぎ方も教えずに、太平洋の真ん中に放り出すようなものじゃないか」と。
こうした事態をヒューマンエラーではなくシステムエラーだと指摘する人もいます。まさにその通りです。こうしたシステムエラーを解消するには、初任者の採用を3月1日とし、せめて一か月くらいは研修期間を設けるべきでしょう。その分予算もかかるでしょうし、大学との調整が必要でしょう。法的な改正も必要かもしれません。しかし、採用試験受験者が激減し「受験した者をすべて合格にしても定員割れ」となってしまう県もあるという実態を考えれば、緊急な対応が必要です。文科省にはそのくらいのことを実施する危機感と決断力を望みます。
それにしても、生きる力の育成が叫ばれていったい何年が経っているのでしょう。その間、文科省は具体的には何も大きな改革をしていません。いやむしろ学校現場の教員を信頼せず、できていないことばかり指摘してきたようにしか見えません。この度廃止されるに至った教員免許の更新制度にしても、恐らく文科省のオリジナルアイデアではないでしょう。文科省はいつも誰かを頼り、専門家を集めて意見を聞き、重い腰をゆっくりといか動かしません。だから、教員の負担を軽減することを理由に廃止したはずの免許更新制度に、今後も校長の指示による研修を義務づけるような見解を出すのです。本当に教員の負担を軽減することが急務だと思っているなら、周囲から教員の質の低下を指摘されてもなぜ反論しきれなかったのでしょう。「研修は重要だ。しかし、多くの府県で採用試験の倍率が1倍台になっている今、まず最優先すべきは教員の確保である」と。文科大臣が堂々とて発信して成しえた施策は一つでもあるのかと疑いたくなります。
この会社が実施していたような「相互研修」を新採用教員に行うことで、若い教員がそうした研修の楽しさを実感し、実際に授業を行うときに子ども同士の授業展開を積極的に取り入れる原動力になると思うのです。何の研修も受けずにどうしてアクティブラーニングなどできるはずはありません。新任の教師が教科書の内容を伝えることにアップアップしてしまうのも当然です。そこからは「教え合う」こととは程遠い、「教え込む」までもいかない「知識を報告する」授業にとどまってしまうでしょう。
現在の学校は様々な面で制度疲労を起こしています。学校のシステム改善は待ったなしの問題です。制度疲労を起こしているシステムの一つ、新規採用者への研修制度を変えるためには、3月採用制度は決して無理でもなく、悪くもない案だと思うのですが。
(作品No.92RB)