「自分らしさ」の伝え方

今回は前回予告した通り、「自分らしさ」や「個性」についての生徒への伝え方について書こうと思います。以下は、私が実際に生徒(中学生)に話した内容(一部改)です。

 桜の木。学校にもたくさんあります。桜は、毎年毎年同じ時期に同じような花を咲かせます。そこに全く迷いはありません。迷っている桜を見たことないですよね。今年はちょっと嗜好を変えてバラの花にしようか、梅にしようかなんて考えない。なぜだと思いますか。それは、桜は桜の花を咲かせることが、自分にとって一番美しいということを知っているからなんです。少なくとも私はそう思っています。

 なんか現実離れした話に聞こえるでしょうが、これを言っているのは実は私だけではないんです。北原白秋って知ってますか?教科書にも載っている詩人です。「あめふり」(雨雨ふれふれ母さんが)など多くの童謡や子守歌を作った人です。その人がこう言っています。

「バラの木にバラの花咲く、何事の不思議なけれど」って。

バラの木にバラの花が咲くのは、何の不思議もないんです。でも白秋は最後に「けれど」と言っています。不思議ではないけれどって。不思議じゃないし、当たり前「だけれど」桜はすごい、うらやましい、白秋はそう感じたんです。なぜなら、人間はいつも迷い続ける存在だからです。白秋も私も、そして皆さんも同じです。人間は、何かを決めようとすると必ず迷うんです。だから、桜がうらやましくてしょうがないんです。でも、逆に言うと迷うことは人間である証でもあるんです。

皆さんも、3年生になれば受検があります。そして、自分の進路を考えないといけない。迷いますし、悩みもします。就職するにしても同じです。でも、結局は一つを選ばなければいけない。一つを選ぶということは、逆に言うとそれ以外を捨てるということです。だから悩むし、迷う。でも、それこそが人間である証なんです。友達との関係で悩む、自分に自信が無いと悩む。それでいいんです。悩んでこその人間ですから。人間は、桜やバラのように生きている間に何をするかは決まっていません。そして、生きている間にすることは一人ひとり全部違うんです。自分が何をするか。それが、世間でいう個性とか、自分らしさということです。

 世の中は「自分らしく生きよう」とか夢を持って生きようというメッセージに溢れています。こんな風にすれば自分らしく生きられますよっていうメッセージがたくさん流れています。でも、自分らしさってなんだということについては、誰もはっきり教えてくれない。どうします?中には「自分探しの旅」とか言って、外国に一人旅に出る人もいます。それを悪いとは思いません。いろんな経験をして自分の視野を広げるのはいいと思います。でもね、本当の自分らしさは、そんな遠くに行かなくてもいいんです。すぐ身近にあるんです。今、隣に座っている人、家族、友達、先生、そういうすぐ近くにいる人とたくさん話をして、一緒に何かをすることで、初めて自分ってどういう人間なのかがわかるんです。言い換えれば、自分らしさというのは、自分の外にあるんです。意外に思うかもしれませんが、自分の中にあると思ってしまうと、見つからないんです。

 最近の若い人は、とても悩みが多くなっていると言われています。いろんな国際的な調査ででも昔に比べて自分に自信が無い人が増えているんだそうです。なぜだと思います?それは、自分の個性が生まれつき自分の中にあって、それを見つけなきゃいけないと思っているからです。本当はそうじゃないんです。もしそうだとしたら、どんなに頑張っても、なりたい自分になれないかもしれないでしょ。そう思うから自分に自信が持てなくなるんです。

 そうじゃなくて、本当の自分らしさというのは、自分の外にあるものを、取り入れながら身近な人と一緒に「創っていく」ものなんです。自分の周りにいろんな人がいて、そういう人たちと一緒に考えたり、一緒に悩んだり、いろんなことをいろんな人と一緒にすることで、少しずつ創られるものなんです。自分らしさというのは、もともと自分の中にあるものじゃないんです。だから、自分の中にいくらさがしてもないんです。ないものを「あるはずだ」と思って自分の中に探そうとしても見つからない。そして、やっぱり自分はダメだと思ってどんどん自信がなくなってしまうんです。

 最近嫌な言葉が流行っています。「親ガチャ」っていう言葉。ガチャってわかりますよね。100円か200円入れてレバーを回すとガチャっと音がして、中からカプセルに入ったおもちゃなんかがでてくる、あれです。中身は選べない。あれと同じで親は選べない。だから、どんな親の元に生まれてくるかで、人生の大半が決まってしまうという考え方、それが「親ガチャ」です。でも、そんな馬鹿なことはない。

 確かに私も皆さんも親から遺伝子をもらっています。でも、生まれた瞬間にゴールが決まっている人なんていないんです。私たちは、桜の木やバラの木とは違うんです。私が言いたいのは、今の自分が自分のすべてではないということです。よく覚えておいてほしいのは、どんなに自分に自信がなくなっても、それはあくまでも今の時点の話です。自分という人間は、過去と現在と、そして未来を含めての自分なんです。

 皆さんは、これからまだまだ多くの人と出会います。まだ、会うはずの人がたくさんいるんです。高校に行けば、他の中学校から来た新しい友達に出会う、大学に行けば他の都道府県から来た人に出会えるかもしれない。就職すれば、知らない大人たちとたくさん出会う。そういう出会いを含めての自分なんです。 

前に赤ん坊の話をしました。赤ん坊は生まれたとき握った手の中に自分の夢をどこかに飛ばしてしまうという話です。でも、実はね、ほんの少しかけらが残っているんです。体の中に。それが親からもらった遺伝子なんです。そこには人間が人間であるために最低限必要なものが入っています。そのかけらにいろんなものを付け足していって、自分というのは出来上がっていくんです。皆さんが物心つくまでは皆さんの親や家族が付け足してくれました。それをもとにしてこれからは自分で継ぎ足していくんです。

皆さんも、誰かの言葉を聞いて、なるほどと思うことがあると思います。この人は素晴らしいと感じることがあるでしょう。そういうものを今の自分に継ぎ足していってください。それを一番たくさん与えてくれる人は、今隣にいる人、皆さんが読む本、今一緒に生活している人、そして、一緒に歩んでくれる先生です。

 しつこいようですが、個性や自分らしさが自分の中にもともとあって、変わらないものだなんて絶対に思わないでください。自分らしさは遺伝子だけでは絶対に創れないんです。嫌なことがあっても、思い切り悩んだときも、迷ったときも、今の自分だけ見ていたらだめなんです。もしかしたら明日運命を変えるような人と出会うかもしれない。そういう本と出会うかもしれない。だから皆さんの可能性は無限だって言われるんです。

 赤ん坊の時に手放してしまった(と言われる)自分の夢。それに出会えるのは10年後か20年後、あるいはもっと先かもしれません。ときには「これだ」と思ったものが勘違いだったということもあるでしょう。でも、それならそれで、そこからまた積み上げていけばいいんです。みなさんがこれから、どんなことに悩み、迷い、そしてどんな人に出会って何を継ぎ足していくか、心から楽しみにしています。最後まで聞いてくれてありがとう。以上で私の話を終わります。

 これは、卒業式が終わった3月の終わりごろ進級を目前にした1年生と2年生の学年集会でそれぞれ同じ内容で話をしたものです。生徒たちはとても真剣に聞いてくれました。この話をするにあたって参考となった主な書籍を以下にお示ししておきます。個性や自分らしさを見つけられない(創れない)子どもについては、また別の機会にも書きたいと思っています。(作品No-98B)

・『「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える』土井隆義著、岩波ブックレッ  ト、2004年9月7日

・『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』土井隆義著、ちくま新書、2016年1月5日(第17版)

・『ドリームハラスメント』高部大門著、イースト新書、2020年2月11日

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